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マルコム・サージェント(指)ロンドン交響楽団 | |||||||||||||
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SUITE BEAT 1002[SU] |
録音:1959年5月20日&6月3日 (Vanguard原盤) | ||||||||||||
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“大胆カット登場!サージェントの芸風の全貌がここに!!” |
このチャイ5は、粗悪プレスのなアメリカ盤のLPでは持っていたものの、世間にCDというものが出現し始めたばかりの頃に早々にCD化されて店頭に並んでいるのを見て、よりクリアになった音で新たな発見があるのではと思って買って聴いたみたものの、サージェントの「汚い音を出す人」というイメージを更に強めるだけで、それ以来20年もの間、棚に眠らせたままでした。汚い音、しかも、シルヴェストリやバティスのように表現欲が旺盛なあまり、美感を犠牲にしてでも飛び出てくる個性があるのと違い、「無意味に汚い」(この曲に限らず)音をどうして出せるのか?もしかしたら、自分の耳では聴き取れない何かが隠されているのではないか?20年前もあれこれと考えました。結局、ハッと気づく発見はなかったのですが、しかし一方で、どこかに気の置けない人間臭さというか、サージェントなりの「ひたむきさ」のようなものも感じていたのです。久しぶりに通して聴いて、やはり音の汚さと、何かをやろうとしているいじらしさは同様に感じられましたが、今回ふと思ったのは、サージェントという人には、音楽的イメージが決して欠落していたわけではなく、根本的にオーケストラを牽引する能力、集中力がごっそり抜けていたのでは?ということ。とにかく全、体を通じて無機質に流れるだけの箇所と、しっかりと表現の意思を感じる部分がパッチワークのように継ぎはぎで現れ、オケの側も、上の空のような音を出すかと思えば、金管が決死の雄叫びを上げるというように、一貫性というものがあまりにも希薄なので、そう思わざるを得ないのです。第1楽章、展開部に入る前の全斉奏の響きなど実に立派なのに、展開部最後の強奏は、バランスの悪い録音(管楽器と第1,2Vnと低弦部が分離して聴こえる)せいもあって、汚い音が拡散するありまさ。第2楽章は、副次旋律が弦で始る箇所は精一杯の歌が込められ、弦の響きもデリケートな風合いを漂わせ、コーダも録音のハンディを超えて染みるニュアンスを持っています。第3楽章はなんともスローなテンポが心地よく、ノスタルジーが横溢。終楽章は集中力が散漫で、汚い音も遂に全開となり、主部に入ってすぐの66小節から、弦も金管も総動員で下品なテヌートを施すのには閉口。似ようなことをロヴィツキも行なっていますが、やや奇異に響くことに変わりないものの、もっと芸術的な意味合いを感じたものです。そして最大の問題は、大幅な演奏カット!そここそ全く必然性が感じられないのです。展開部のカットは多くの例(ケンペン盤、セル=ケルン盤等)と異なり、やや短いカットに止めてはいますが、演奏に締まりがないせいもあって、繋がりが不自然なことは否めません。更に大胆にも、471小節の全休止後、運命動機の再現を18小節に渡ってごっそりカットするメンゲルベルク版まで持ち出していますが、ここもメンゲルベルクの確信に満ちた響きには遠く及びません。プロムスの名物男として聴衆の絶大な人気を誇っていたのとは裏腹に、オケからは二流の烙印を押され、ビーチャムの後任候補として彼の名が挙がったときも、だったら辞めると言った団員が続出したそうですが、サーの称号を受けながらそのような扱いをされた彼の芸風は、もしかしたら英国以外のオケとの共演なら何か見えてくるかも…、と、未だに割り切れないものを払拭できません。 |
第1楽章のツボ | |
ツボ1 | ぽつぽつと呟くようにクラリネットが奏でるが、色彩は単色的。10小節目の最後をテヌート気味にしているが、やや不自然。クラリネットと弦のバランスが良くなく、第2ヴァイオリンが低弦よりも浮き立つバランスも珍妙。録音のせいかもしれないが…。。 |
ツボ2 | テンポは中庸。弦の響きにニュアンスが希薄。木管の16分音符と8分音符の音価も短く素っ気ない。 |
ツボ3 | 音を跳ね上げる際に、多少アクセントが付く。 |
ツボ4 | 楽譜どおり。 |
ツボ5 | テンポは変えない。丁寧なフレージングだが、何だか響きが雑然としている。 |
ツボ6 | 何も感じずに通り過ぎるだけ。 |
ツボ7 | ピチカートの響きが艶やかで味わい深い!続く木管の跳躍音型も優しさが感じられ、それに応える弦のアルコの合いの手はしっとりとテンポを落として受け答えをする入念さ!これが実に自然なニュアンス! |
ツボ8 | 呼吸が浅く、低弦がなぜか控えめなので、音楽が痩せ気味。 |
ツボ9 | そのままのテンポで突入し、16分音符は埋没。金管が変に突出。全体にしっかりとニュアンスを確立しないまま音楽が過ぎ去ってしまう。 |
第2楽章のツボ | |
ツボ10 | 弦は一音ごとにニュアンスを施さず、淡白にインテンポで流れるが、ここでは高音域と低音域のバランスは良好。ホルンがまた徹底したインテンポだが、無機質ではなく、淡々とした中にほのかな憂いを込めている。安定した弱音のトーンも美しい。オーボエも音色自体は地味だが、センス満点。 |
ツボ11 | いかにも呼吸が中途半端。 |
ツボ12 | ここでもクラリネットが野放図。テンポは変えていない。 |
ツボ13 | 切々とニュアンスを湛えたピチカートに乗せて、続くアルコもオーボエも、美しく融合して詩的な空間を作り上げている。ホルンが巧い! |
ツボ14 | 芸術性は高くなく、フレーズの振幅も不安定だが、誠実な共感は伝わってくる。 |
ツボ15 | ここは全体を通じて最も響きが充実。心からのリリシズムの溢れ、最後を締めくくるクラリネットも、ここでは陶酔的な美しさを表出! |
第3楽章のツボ | |
ツボ16 | 出だしでんのわずかにテンポを落とす。 |
ツボ17 | 弦の高域と低域、管楽器がそれぞれ分離して聞こえる録音なので、ブレンドの妙は味わいようもないが、楽章冒頭からのノスタルジックな雰囲気は大切に維持している。 |
ツボ18 | 遅めのテンポにかかわらず、先走らずに美しく連動している。 |
第4楽章のツボ | |
ツボ19 | 典型的なメゾフォルテで一貫。テンポも中庸。 |
ツボ20 | 裏方に徹しつつも、分をわきまえて確実に響かせている。 |
ツボ21 | ティンパニのクレッシェンドの途中から、唐突に弦が刻み始める。ティンパニのトレモロは終始一定音量を維持。テンポは遅め。重厚さに欠けるが、なかなかの風格。 |
ツボ22 | テヌートで歌い抜いているため、完全無視。 |
ツボ23 | 210小節から再現部の303小節まで演奏カット。 |
ツボ24 | 〃 |
ツボ25 | 埋没している。 |
ツボ26 | テンポはそのままスローテンポ。 |
ツボ27 | 若干テンポアップ。トランペットの3連音が、緊張感ゼロ! |
ツボ28 | 8分音符の音価は思い切り長い。ティンパニのトレモロは、469小節で切り上げている。 |
ツボ29 | メンゲルベルク同様、472〜489小節(トランペットの運命動機直前)までカット!ゆったりとしたテンポによる全休止のあと、この金管を含む斉奏がくるのはどう考えても唐突。フェドセーエフの'98年盤のような突進力のある演奏なら効果絶大かもしれない。 |
ツボ30 | やや中途半端だが、トランペットは音を切っている。 |
ツボ31 | トランペットよりもトロンボーンを前面に出した凄いバランス!トランペットは完全に埋没しているのではっきりしないが、トロンボーンの音を聴く限り、改変はしていない模様。全体の音像は汚いことこの上ないが、逆に血生臭さい雄叫びは胸に迫るものがある。 |
ツボ32 | やや遠め。強奏とは言えない。 |
ツボ33 | 巨匠風のインテンポに終始。響きの重心がやや軽い。 |
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