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チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 Op.64
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指)フィルハーモニア管弦楽団
第2楽章ホルン・ソロ: デニス・ブレイン
OPUS蔵
OPK-7029
録音年:1952年5月ー6月、1953年6月 ロンドン、キングスウェイ・ホール 【モノラル録音】
演奏時間 第1楽章 15:54 / 第2楽章 14:08 / 第3楽章 6:53 / 第4楽章 13:00
カップリング/組曲「くるみ割り人形」
“カラヤンの第1回目の「チャイ5」セッション録音”
アナログ本来の持ち味を生かした復刻で定評のあるOPUS蔵のリリースだけに大いに期待したのですが、かつて発売されたEMI盤(7364602)よりも、音の伸び、ハリ、スケール感、各楽器の輪郭が明らかに劣ります。フーベルマンのチャイコフスキーなど、生々しい訴えかけを再現した復刻を知っている者にとっては、この結果は全く意外です。EMI盤をお持ちの方は、買い替える必要は全くありません。演奏そのもに生命感が漲っていないものはアナログで聴いても同じ…とは決して思いませんが、少なくとも音の粒子が宿している微妙なニュアンスや深みを追及するタイプでないカラヤンの演奏は、ライヴ録音は別として、録音の美しさを前提にしなければ厳しいものがあるのでは…、と改めて考えさせる結果となりました。元々この録音は、同年代のケンペンの録音などと比べても古さが目立つうえに、この復刻では後半2楽章のピッチが不安定というのも問題です。したがって、せっかくのD・ブレインのソロも、そのニュアンスを伝えきっていません。演奏自体は、後年のカラヤンの基本形がここですでに完成していたことが確認できます。全体的に大人しいイメージですが、細かく聴くと例のカラヤン・レガートが後年の録音ほど練れていない分だけ露骨な形で表出されるので、その意図があからさまになりすぎて、音楽の流れを寸断する結果にも繋がっています。時代掛かったルバートが控えめに盛り込まれているのも特徴的ですが、それがいかにも中途半端。よく揶揄される「表面的」というイメージを決定付けてしまいかねない演奏と言えましょう。第2楽章のブレインのソロも、他の録音と聴き比べるまでもなく、彼だけが持ち得る閃きがまるで感じられない(EMI盤でも同様)のが信じられないほどで、それこそライナーに書かれている「スケール豊かなふくらみ」が抑え込まれているのですから痛恨の極みです。真に本領を発揮したときのブレインがいかに素晴らしいかを痛感していれば、「このブレインが素晴らしい」などと軽々しく言えないはずです!第3楽章はカラヤンに相応しい楽曲のはずですが、綺麗に整えようとする意図ばかりが先走り、「ほら、こんなに素敵ですよ」と語りかけてくる箇所が見当たりません。勢いに任せた演奏=生命感のある良い演奏、とは言えませんが、人間的な自然な律動を抑えて音楽を組み立てようとすることの無理が表面化してしまい、いたたまれません。終楽章も、展開部冒頭の8分休符がゲネラル・パウゼになっている珍妙さ以外は、後年の録音とスタイルは同じ。しかし、音自体に輝きと自身がなく、スケールも小さく、個々の奏者のセンスも封じ込まれているようなもどかしさが終始付きまとうので、当時のフィルハーモニア管の魅力を味わうとしても、肩透かしを食らいます。しかしこの録音の後、オケの個人芸が自分より注目されることがないように徹底的に意識すること以外は熟考を重ね、1975年に(DG)に比類なき金字塔を築くのですから、この録音こそがその理想に向けての第一歩だったと言えるかもしれません。
第1楽章のツボ
ツボ1 後年の録音で顕著となる独特のぬめりを持つレガートがここでも出現。しかもクラリネットは線が太く、おそらく4本使用しているものと思われる。
ツボ2 冒頭の弦の刻みと管の主題が、この復刻ではやや弱々しく聞こえる
ツボ3 クレッシェンドの支持があるが、むしろディミニュエンド気味で上品さを演出。かすかにポルタメントも掛かる。
ツボ4 メンゲルベルクほどではないが、73小節でわずかにテンポを落として19世紀的なニュアンスを漂わせるが、香りが立ち上ってこない。
ツボ5 カラヤンらしいしなやかな呼吸。
ツボ6 スフォルツァンドをかなり強調しているのが意外。やや唐突な印象が拭えない。フォルティッシモは上品。
ツボ7 活気付くことなく、媚を売るようななよなよとした進行。
ツボ8 まったく非の打ち所のない美しいフレージングで、響き極めて均整が取れているが、心に直に訴えかけるものに乏しい。
ツボ9 テンポはそのまま。487小節冒頭のフルートは完全に埋没。
第2楽章のツボ
ツボ10 スコアを忠実に再現しているが、イメージを喚起させるニュアンスには乏しい。注目のD・ブレインのソロも、録音がやや遠めのせいもあり、彼の真価を伝えているとは言いがたい。ブレインは終生オケの一員であるという本分を忘れず、一人目立つことを厳しく戒めていた人だが、その点を差し引いても、ここでの演奏は何度聴いても彼本来の音楽性を発揮しているとは思えない。カラヤンが自分よりも彼が注目されてしまうことを恐れて何らかの操作をしたのだろうか?と勘ぐってしまう。なお、EMI盤はこれよりも線がすっきりと立ち上がり、ニュアンスが感じられるが、やはり音楽が迫ってこないのは同じ。
ツボ11 血の気が失せた顔で何やらワーッと叫んでいるだけのような感じ。まるで心ここにあらず。
ツボ12 クラリネットもそれに続くファゴットも、テヌートの下降音型で同じように微かなテンポ・ルバートを行っているのは、明らかにカラヤンの指示。特にクラリネットのB・ウォルトンのソロは絶品のセンスを伝えているにもかかわらず、この4つの音符のもが奇異に響くのがなんとも残念。
ツボ13 各小節の第1音は、縦の線をあえてずらして響きに広がりを持たせようとしているが、その全てが機械的。オケもその必然性を感じ取りながら弾いているとは感じられない。
ツボ14 スコアに書かれたとおりのスケール感は表出しているが、最後のぎりぎりのところで足を引っ張るような力が作用し、フォルテ4つの箇所に至っても、音楽が突き抜けないのは実にもどかしい。その原因は録音の古さだけではない。オケの弾きにくそうな顔が目に浮かぶ。
ツボ15 なぜかこの付近からピッチが微かに低くなる。
第3楽章のツボ
ツボ16 3楽章も若干ピッチが低い。フォゴットノ入りはわずかにテンポを落とす。
ツボ17 リズムがいかにも鈍く、楽想の持ち味が生かされていない。靴底にガムをつけたまま踊らされている感じ。
ツボ18 214小節からの終結部は音量を落とし、カラヤン特有のレガート節を徹底尾的に盛り込んでいるのは、後年の録音では影を潜める表現。場面転換にメリハリを与えるという点では大いに功を奏している。
第4楽章のツボ
ツボ19 終楽章もわずかにピッチが低い。中庸のテンポ。低弦の響きが茫洋と覆いかぶさる。
ツボ20 ホルンは完全に裏方。サトクリフのオーボエが、かろうじてセンス抜群の主張を繰り広げる。
ツボ21 ティンパニは、終始一定のトレモロを持続。後年の録音と店舗はほとんど変わらないが、推進力が乏しい。
ツボ22 完全に無視。
ツボ23 バスはしっかり聞き取れはするが、決して存在感を誇示することはない。バスと同等かそれ以上にヴァイオリンの伴奏音型を浮き立たせるのは、最後の録音まで一貫した手法だが、その意図は不明。
ツボ24 主部冒頭と同じテンポ。
ツボ25 布団を被せたような鈍い音。ティンパニは終始このような響き。
ツボ26 摩訶不思議な現象!展開部冒頭の8分休符が完全なゲネラル・パウゼに変更になっている!編集で繋げたとは考えにくい箇所なので、その真意は謎。
ツボ27 かなり高速で、後年のどの録音よりも速い。しかし金管の呼吸が極めて平板。
ツボ28 かなり長め。
ツボ29 ここからピッチが正常になる。全体を通じて、ここが最も真の力感を感じさせる。
ツボ30 弦は切るが、トランペットはつなげるようにして吹いている。
ツボ31 スコアどおりで改変なし。
ツボ32 この響きは絶品!なんと神々しい響き!ただ録音がやや遠く、復刻状態も足を引っ張っている。
ツボ33 ほとんどインテンポのまま終結。


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