| お言葉 |
発言者 |
出典 |
| ア行 |
| アラブ人がそれほどの音楽センスを持っていたとは知らなかったよ |
サー・トマス・ビーチャム |
『イスラエル・フィル物語』
(牛山剛:著) |
| アルトゥールは決して完璧ではなかった。だがインスピレーションに満ちたピアニストだ。芸術家だ!それが肝心なところだ |
ゲンリフ・ネイガウス |
『コンサートのあとの2時間』
(ゴルノスターエヴァ:著) |
| 演奏している人自体が音楽であるともいえるわけです |
イゴール・マルケヴィチ |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| 演奏するために演奏するのではない |
サンソン・フランソワ |
『サンソン・フランソワ ピアノの詩人』(ジャン・ロワ:著) |
| 音楽がメディアに利用されている現実を見つめ、新しい技術で抵抗するための手がかりはことばにある |
高橋悠治 |
『コレクション1970年代』
(高橋悠治:著) |
| 音楽の深いところにあるものを聴こうとしない傾向が出てきていると思います |
ジャン・フルネ |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| カ行 |
| 楽器が本来の目的とは異なる用途に用いられている |
チーホン・フレンニコフ |
『コンサートのあとの2時間』
(ゴルノスターエヴァ:著) |
| 感動しなきゃ芸じゃない |
朝比奈隆 |
朝比奈隆・追悼特集〜最後のマエストロ(河出書房新社) |
| きたない棒の方が、オーケストラ鳴るんじゃないかなあ |
朝比奈隆 |
朝比奈隆・追悼特集〜最後のマエストロ(河出書房新社) |
| きれいすぎる絵はがきみたいな感じを受けませんか? |
スヴャトスラフ・リヒテル |
『コンサートのあとの2時間』
(ゴルノスターエヴァ:著) |
| 芸術家は全てを演奏しなければならないと言われることがある。なんと奇妙な考え方だろう!私たちは機械なのか? |
エレーヌ・グリモー |
『野生のしらべ』(グリモー:著) |
| けっきょく、何も起きはしない |
三浦淳史 |
『レコードのある部屋』(三浦淳史:著) |
| ここでテンポを決めるのは私だ |
イグナッツ・ヌマルク |
『イスラエル・フィル物語』
(牛山剛:著) |
| ここにトスカニーニが居合わせたらよかったのに… |
ミヒャエル・ギーレン |
『名指揮者たち』(ウルドリッジ:著) |
| この曲は歴史的にこういう位置にあって、ここがおもしろい、と何でも定義づけないと安心できないひとがいる |
高橋悠治 |
『コレクション1970年代』
(高橋悠治:著) |
| コンクールは音楽を学んでいく上で、いちばん強力な成長剤にこそなれ、歯止めをかけるようなことはない |
スタニスラフ・ブーニン |
『カーテンコールのあとで』(ブーニン:著) |
| サ行 |
| 探すより、見つけることだ |
パブロ・ピカソ |
『カーテンコールのあとで』(ブーニン:著) |
| 作曲家自身も気付いていない要素を引き出すよう努力しています |
イゴール・マルケヴィチ |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| 作曲家に関することについて、私は興味はありません |
サンソン・フランソワ |
『サンソン・フランソワ ピアノの詩人』(ジャン・ロワ:著) |
| 指揮者としてもう一つ必要なものに恵まれていない |
デイヴィッド・ウルドリッジ |
『名指揮者たち』(ウルドリッジ:著) |
| 指揮者の言うとおり、自分のセンスを使わずに、同じパートを専門家らしくそつなく弾いている他のオーケストラとは違う |
ズビン・メータ |
『イスラエル・フィル物語』
(牛山剛:著) |
| 指揮者の役割は、聴衆を未知の世界に誘うこと |
ワレリー・ゲルリエフ |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| 失礼ですが、私たちは「君」と呼び合うほど親しい間柄ではありません |
ミハイル・プレトニョフ |
『コンサートのあとの2時間』
ゴルノスターエヴァ:著 |
| ステージとは、宗派は問わぬが、無信仰を許さぬ宗教のようなものである |
スタニスラフ・ブーニン |
『カーテンコールのあとで』(ブーニン:著) |
| そうじゃない。我々が日本からあまりにも遠くにいるのだ。 |
エフゲニ・ムラヴィンスキー |
『評伝 ムラヴィンスキー』
(フォーミン:著) |
| 束髪の前からは、お化けのように髪の毛が下がっている |
森茉莉 |
『ピアニストという蛮族がいる』
中村紘子:著 |
| それは特殊な人がやる |
ゲオルク・ショルティ |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| それは僕を誤解しているのだ |
宇野功芳 |
『いいたい芳題』
宇野功芳:著 |
| タ行 |
| 知識や情報がありすぎると、それにしばられ、作曲家が暗号に託した想いを感じられなくなってしまう |
宇野功芳 |
『いいたい芳題』(宇野功芳) |
| 聴衆は私を見るためにコンサートにやってくる |
サー・トーマス・ビーチャム |
『レコードのある部屋』(三浦淳史:著) |
| 常に100%実行せねばならない。75%くらいではいけないのだ |
ウィレム・メンゲルベルク |
『名指揮者たち』(ウルドリッジ:著) |
| では泣くのだ!神の御名において泣くべきなのだ! |
アルトゥーロ・トスカニーニ |
『名指揮者たち』(ウルドリッジ:著) |
| 伝記もいらない。評論家の作曲家論もいらない |
朝比奈隆 |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| ドイツ音楽の最盛期は19世紀だ。現在は枯れている |
ヘルベルト・ケーゲル |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| 独自のスタイルを備えなければならないが、「唯一の」スタイルであってはならない |
ウォルター・レッグ |
『奇跡のホルン』(ペティット:著) |
| ナ行 |
| 人間にとって音楽は、どうしても必要なものではない。しかし、音楽がないことは不幸なことだ |
エフゲニ・ムラヴィンスキー |
『ムラヴィンスキー楽屋の素顔』
(西岡昌紀:著) |
| ハ行 |
| バッハの魅力は、カンタータに尽きる |
カール・リヒター |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| ピアノは弾くものであって、叩くものではありません |
中村紘子 |
『ピアニストという蛮族がいる』
中村紘子:著 |
| pをfに書き直したりすることは、演奏家の恥だと思うんです |
朝比奈隆 |
朝比奈隆・追悼特集〜最後のマエストロ(河出書房新社) |
| 本物の音楽家が目指すのは人を魅了することではなく、人から信頼されることである |
イーゴリ・マルケヴィッチ |
『評伝 ムラヴィンスキー』
(フォーミン:著) |
| マ行 |
| 前もって試演をしておくというのは、本当にばかばかしい考え方ね |
マルタ・アルゲリッチ |
『野生のしらべ』(グリモー:著) |
| 耳があれば聞こえるはずです |
マリア・ユージナ |
『コンサートのあとの2時間』
(ゴルノスターエヴァ:著) |
| ヤ行 |
| よい指揮者、悪い指揮者とかいったものはない。悪い指揮者は既に指揮者ではないのだ |
セルジュ・チェリビダッケ |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| ラ行 |
|
|
|
| ワ行 |
| 私が本当に愛しているのは「現在」だけだ |
サンソン・フランソワ |
『サンソン・フランソワ ピアノの詩人』(ジャン・ロワ:著) |
| 私は自分の快楽のためだけに生きる。誰にも頼らない。孤独だからだ |
サンソン・フランソワ |
『サンソン・フランソワ ピアノの詩人』(ジャン・ロワ:著) |
| 私は料理人であって、コックというのは卵について精神的に考えるのではなく、割って料理するだけです |
クリストファー・ホグウッド |
『名指揮者との対話』
青澤唯夫:著 |
| われわれは、音楽のことしか考えていないのに |
宇野功芳 |
『いいたい芳題』(宇野功芳) |