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レコードのある部屋 |
三浦淳史:著 |
湯川書房 |
税別\2,000 |
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“亡き三浦淳史氏の深い探究心の賜物!” |
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「ステレオサウンド」誌に連載していた文章をまとめともの。タイトルからはレコード・ガイドのようなもを想像してしまいますが、三浦氏がであった人間や芸術作品をベースにして、自身の考え方を洗練された文体で綴ったもので、随想集と言った方が良いでしょう。三浦淳史といえば英国音楽への深い愛情が真っ先に思い浮かびますが、この本では、それに止まらず、リヒャルト・シュトラウス、カール・ベームという2人の「俗物」(三浦氏の表現)にまつわる話題、マゼールが録音したガーシュウィンの「ポーギーとベス」、ファリャ生誕100年に寄せた文章など多種多様。特に、ベームのメータへの嫉妬とも取れる行動や、米国へドルを稼ぎに行くのが好きだったという話題を載せているのは、これがベーム存命中に発売(初版1979年)されたことを考えると、随分思い切ったことをするものだと感心させられます。それを暴露することで自らが俗物になることなく、読み手の想像力を掻き立たせるような不思議な余韻があるのが、三浦氏の文章の独特の魅力でしょう。もちろん、ディーリアス、ビーチャム、ブリテン、バターワースについて語った章も面白いですが、ここでも三浦氏の実体験と、イギリス人の生活習慣、気質と重ね合わせて語っているところに、単なる紹介以上の説得力があるのです。ピ−ター・ピアーズに対して、「なぜ君たちはふたりとも結婚しないのか?」とぶしつけな質問をし、「運命」という答えが返ってきたという話や、メフィストフェレス役を得意としたバス歌手、ノーマン・トリーグルの死を悼む文章も印象的。ちなみに、この本の執筆に際して、傍らにいつも愛猫の「チーコ」がいたので、この本をそのチーコに献呈しようとしたら、夫人に咎められたというこぼれ話しが最後に載っていますが、これなども、三浦氏の人間味を感じずにはいられません。読後に、何か清々しいものを感じる一冊です。 |
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〜本文中の名言〜 |
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・けっきょく、何も起きはしない-三浦淳史(20頁) ※ディーリアスの音楽(特に「アパラチア」の)動機を聴くたびに胸が詰まり、期待が高まるが、最後には何も起きない。人生もそんなものかもしれない、と三浦氏は言う。年末にベートーヴェンの「第9」を聴く人の気持ちも分からないと言っている。 |
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・聴き手に涙をさそったトスカニーニのふったヴァルトトイフェルの「スケートをする人々」の入魂の演奏を思い出していただきたい-三浦淳史(101頁) ※デ・ブルゴスの振ったトゥリーナの「闘牛士の祈り」は、魂のこもった演奏とは受け取れない、と言う言葉を受けて補足している。このワルトトイフェルとスメタナの「モルダウ」は、私も本当に素晴らしいと思う。 |
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・聴衆は私を見るためにコンサートにやってくる-サー・トーマス・ビーチャム(175頁) ※ビーチャムもお気に入りだったデニス・ブレインがフィルハーモニア管に移ってしまった時のビーチャムの強気の発言。「小器用なホルン・プレイヤーのために来るわけじゃないよ」と続く。 |
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