湧々堂HOME 新譜速報: 交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック 廉価盤 シリーズもの マニア向け  
殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



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(ドイツ)



※品番結尾に特に表記のないものは、全て1CDです。
品番 内容 演奏者
SSS-0001
ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」
 幻想交響曲*
アンドレ・ヴァンデルノート(指)
ベルギー・フランス語RSO(RTBF響)

録音:1951年1月28日、1990年11月23日*
ローマの謝肉祭のみずみずしい響きは、滅多に聴かれないもの。しかし、とどめは、「幻想」のユニークさ!
SSS-0002
ベートーヴェン:交響曲第4番、
交響曲第7番*
アンドレ・ヴァンデルノート(指)
ベルギー・フランス語RSO(RTBF響)

録音:1990年1月12日ライヴ、1990年1月27日ライヴ*
快速テンポのベートーヴェン。第4番は、テンポの変化が自在。第7番もさしてうまくないオケを叱咤激励しながら、ぐんぐん引っ張っていく様が感動的。
SSS-0003
マーラー:交響曲第1番「巨人」 アンドレ・ヴァンデルノート(指)
ベルギー・フランス語RSO(RTBF響)

録音:1988年9月10日ライヴ
じっくりと攻めた名演。ゆっくりしたテンポはワルターのようですが、ヴァンデルノートだけにモーツァルト的な楽しみも両立させてくれます。
SSS-0004
モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲
 ピアノ協奏曲第21番*、
 交響曲第35番「ハフナー」#
アンドレ・ヴァンデルノート(指)
ベルギー・フランス語RSO(RTBF響)
アブデル・ラーマン・エル・バシャ(P)

録音:1991年1月12日、1987年10月21日*、1991年1月12日#
伝説のモーツァルト指揮者ヴァンデルノート待望のモーツァルト!ピアノ協奏曲第21番は、ハイドシェックとの共演がモノラルだったので貴重です。「ハフナー」交響曲の美しさにも打たれます。テンポをここまで変化させても、どこまでも自然に響きます。
SSS-0005
チャイコフスキー:大序曲「1812年」、
 交響曲第5番*
アンドレ・ヴァンデルノート(指)
ベルギー・フランス語RSO(RTBF響)

録音:1989年3月5日ライヴ、14989年10月8日ライヴ*
自由自在なチャイコフスキー。軽めのサウンドに違和感を覚える方もいらっしゃるでしょうが、これほどまでに清潔なチャイコフスキーは初めてと言えましょう。
SSS-0006-2(5CD)
アンドレ・ヴァンデルノートの芸術
【SSS-0001〜0005のセット】
アンドレ・ヴァンデルノート(指)
ベルギー・フランス語RSO(RTBF響)
SSS-0007-2
ブルックナー:交響曲第9番(原典版) フランツ・コンヴィチュニー(指)ライプツィヒRSO

録音:1962年5月22日ステレオ・ライヴ
自由自在のテンポ設定。特にスケルツォは異様な迫力を誇ります。第3楽章の思慮深さも素晴らしい!亡くなる2ヶ月前ということで格別の思い入れがあったかも知れません。
SSS-0008
パガーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番
チャイコフスキー:交響曲第4番
フランツ・コンヴィチュニー(指)
シュターツカペレ・ベルリン
リカルド・オドノポソフ(Vn)

録音:1960年3月24日(モノラル)
音楽監督を務めていながら、録音は極めて少ないシュターツカペレ・ベルリンとのライヴ。オドノポソフはウィーン・フィルのコンマスも務めた名手。彼にとっても初の音盤化レパートリー。チャイコフスキーはムラヴィンスキーを思わせる金管に圧力をかけて、ゆったりしたテンポで歌い上げた名演。
SSS-0009
ブラームス:交響曲第4番 フランツ・コンヴィチュニー(指)
シュターツカペレ・ベルリン

録音:1960年10月8日(ステレオ)
冒頭からうっとりさせるような表現。剛直、堅実なだけでないロマンティシズムは必聴ものです。
SSS-0010
ロッシーニ:「絹のはしご」序曲
ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」3番*
モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」#
フランツ・コンヴィチュニー(指)
ベルリンRSO(旧東独)

録音:1951年1月28日、1951年9月22日*、1959年1月21&24日#
「ジュピター」はコンヴィチュニー向きのレパートリー。快速で進めながらもメヌエットの優雅なゆっくりさは、さすがに個性的。意外なロッシーニも清々しい演奏。
SSS-0011
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス フランツ・コンヴィチュニー(指)
ベルリンRSO(旧東独)

録音:1956年5月14日(モノラル)
名盤中の名盤であるゲヴァントハウス管とのベートーヴェン全集を補完する重要な一枚。ベートーヴェン晩年の力作にして最高傑作をコンヴィチュニーは「第九」を超える壮大さを持って音にした。
SSS-0012(2CD)
ブルックナー:交響曲第8番(原典版) フランツ・コンヴィチュニー(指)
ベルリンRSO(旧東独)

録音:1959年12月18、19、21日(ステレオ)
ブルックナーの最高傑作。コンヴィチュニーは、悠揚せまらぬ表現で押し通します。構えの大きい名演。アダージョ以降はクナッパーツブッシュもできなかったパウゼ、アゴーギクが素晴らしい。
SSS-0014(6CD)
「コンヴィチュニーの芸術」第1期
【上記アイテム(SSS-0007〜0012のセット)
フランツ・コンヴィチュニー(指)
SSS-0015
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第7番* フランツ・コンヴィチュニー(指)
ライプツィヒ・ケヴァントハウスO

録音:1960年10月8日(モノラル)、1958年10月30日(モノラル)*
ベートーヴェン傑作集。ライプツィヒ国立歌劇場再開記念コンサートである、「運命」は、がっちりとした造型と辺りを払う威厳溢れる名演。第7番はコンヴィチュニーとしても熱い演奏で、様々なテンポアップやアゴーギグが顔を出し、目が離せない展開です。

SSS-0016
ウェーバー(ベルリオーズ編):舞踏への勧誘
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」*
フランツ・コンヴィチュニー(指)
ライプツィヒ・ケヴァントハウスO

録音:1961年12月10日(モノラル)、1958年10月30日(モノラル)*
きらきら輝く大宮殿での舞踏会ではなく、もっと身近な人間臭い味わいを感じさせる雰囲気に溢れたワルツの魅力がたまりません!導入部からいたって純朴で、チェロとクラリネットの対話も温かみ満点。主部に入ると重心の低い、いかにもドイツ流儀のリズムが音楽を息づかせますが、そのリズムそのものが味!田舎臭く鈍重になる寸前のスウィング感は計算して成立する代物ではなく、まさに滲み出る情感の現われ。そして決定的と言えるニュアンスが現われるのが2:09からの第2主題!3拍目に軽くアクセントを置くそのさり気ないスパイスは一度耳にすると病み付きになること必至。全体的に楷書風のきっっちりとしたフォルムを貫いていますが、その美しい造型の中からこれほど夢と憧れが紡ぎ出される演奏も少ないでしょう。ベートーヴェンは、完全に鄙びた田舎風の風情一辺倒の佳演 。それだけにウェーバーとのコントラストが一層際立ちます。モノラルながら音質も良好です。【湧々堂】
SSS-0017(2CD)
ウンター・デン・リンデン・フェストコンサート1955ライヴ
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番、
バッハ:ヴァイオリン協奏曲BWV1042*、
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、
ベートーヴェン:ロマンス第2番
フランツ・コンヴィチュニー(指、通送低音*)
シュターツカペレ・ベルリン
ダヴィット・オイストラフ(Vn)

録音::1955年9月17日(モノラル)
オイストラフ父子はコンヴィチュニーを心から尊敬し、数々の共演、スタジオ録音を残しています。ここでは、完璧さに加わる緊張感の中、オイストラフの色気たっぷりの艶やかな音色とシュターツカペレの輝かしい響きが堪能できます。一晩のコンサートを丸ごと収録したマニア垂涎の注目アイテム。ヴァイオリン・ロマンスはアンコールでリラックスした名演です。
SSS-0018
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 フランツ・コンヴィチュニー(指)
ダシュターツカペレ・ベルリン
ヴィット・オイストラフ(Vn)

録音:1960年10月14日(モノラル)
オイストラフの同曲正規盤は意外と少なく、ガウク、エールリンク、クリュイタンスだけです。当盤は、ドイツ音楽の第一人者コンヴィチュニーとの共演だけに文句なしの素晴らしさ。人間的にも親しかった巨匠二人の充実しきったコラヴォレーション!深々たる叙情、思案に感動させられます!
SSS-0019(5CD)
「コンヴィチュニーの芸術」第2期
【上記アイテム(SSS-0015〜0018)のセット】
フランツ・コンヴィチュニー(指)
SSS-0020-2
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 エリー・ナイ(P)
フランツ・コンヴィチュニー(指)
ライプツィヒ・ケヴァントハウスO

録音:1955年3月3日コングレス・ハレ、ライプツィヒ(モノラル)
エリー・ナイは戦前ドイツを代表する名女流ピアニストですが、戦後も1968年まで長寿を保ち近年再評価の機運も高まっています。コンヴィチュニーの重厚な伴奏はオーケストラ音楽としての、この名曲の真価も存分に堪能させ、それに融合したナイの深々とした叙情とスケールの大きさは、ドイツ音楽、ドイツ型演奏の愛好家には堪らない逸品と言えましょう。
SSS-0021
フランソワ〜日生劇場ライヴ
フランク:前奏曲,コラールとフーガ、
フォーレ:夜想曲第6番嬰二長調、即興曲第2番ト短調
ドビュッシー:前奏曲第1巻〜デルフィの舞姫/亜麻色の髪の乙女/沈める寺、
 前奏曲集第2巻〜花火、ピアノのために
サンソン・フランソワ(P)

録音:1969年11月16日、日生劇場(モノラル・モノラル)
サンソン・フランソワが早世する前年の日生劇場ライヴ。フランソワのライヴ録音は極めて少ないのですが、日生劇場、弊社が協力し関係各所の了解を得、フランスEMI、子息マクシミリアン・フランソワの快諾も得た公式全世界発売です。
SSS-0022
ハイドン:交響曲第81番、
ブラームス
:交響曲第1番*
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1986年9月30日(ステレオ)、1973年3月27日(ステレオ・ライヴ)*
ブラームス、中低音に比重を置かず、透明感のあるハーモニーを重視した響きが特徴的。1楽章冒頭のティンパニも強打ではなく全体に絶妙に融合していますが、音楽の芯には熱い精神宿っています。主部以降は主題をレガート気味に歌わせるのがいかにもケーゲル的ですが、その感覚的な美しさの背後には不安に対する慄きが見え隠れし、展開部の8:25以降の鎮静は、蝋燭の火が消えるような冷気が漂います。第2楽章で、極めて純度の高い響きから厭世的な空気が溢れるのは、過敏なまでのケーゲルの感受性のなせる技。終楽章は第1主題が登場するまでの呼吸の間合いが絶妙で、草書風のしなやかさを見せながら、ピチカートの溜めなどに独特のこだわりが。背筋がゾクッとするのは、第1主題の滑り出し方!この第1音は決然とした意志ではなく、予期しない世界に舞い降りてしまったような浮遊感。一体どうしたらこんな空気が醸し出せるのでしょうか?その後の進行は心の底からの呼吸が全面的に生きた推進力を見せますが、決して健康的ではなく、視線は遠い彼岸を見つめているような様相。聴き手にこれほど想像力を換気させる演奏も珍しいでしょう。【湧々堂】
SSS-0023
ストラヴィンスキー:バレエの情景、
 組曲「火の鳥」*、春の祭典#
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1986年9月30日、1969年4月1日*、1977年4月19日# (全てステレオ)
駄作と言われる「バレエの情景」に於けるシビアな眼差し。「火の鳥」組曲の数理的な音の積み重ねの正確さ。そして「春の祭典」は、どこまでも個性的で圧倒的。ケーゲルも興奮し、足を踏み鳴らし、唸り、譜面をめくる力んだ音が入ります。
SSS-0024-2
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界」*
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1972年9月29日、1967年11月14日* (全てステレオ)
「シンフォニエッタ」はケーゲルにぴったりな曲。金管の高らかな咆哮が聴きもの。「新世界」は残念ながらモノラルですが、モノラル最後期ゆえに良好なサウンドです。ラルゴの粘っこい味わいや第3楽章の切れのよいリズム感はケーゲルならでは。フィナーレの計算し尽くされた演出も聴きもの。
SSS-0025
バルトーク:カンタータ・プロファーナ
 管弦楽のための協奏曲*
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO
エーベルハルト・ビュヒナー(T)、
ギュンター・レイブ(Br)、
ライプツィヒ放送cho(ホルスト・ノイマン指揮)

録音:1972年9月29日、1971年3月16日* (全てステレオ)
珍しいカンタータ・プロファーナはドイツ語歌唱です。難曲ですが、分厚いハーモニーで手練の指揮ぶりです。「オケコン」もケーゲル向きの名曲です。厳しいリズム感覚で、鋭利な刃物のような部分ばかりでなく、全体はゆっくり目のテンポがとられ、しっとりとした哀愁さえも漂う美しさが聴きものです。至高の名演と呼んで差し支えありません。
SSS-0026
モーツアルト:ピアノ協奏曲第22番
 交響曲第40番*
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO
エリック・ハイドシェック(P)

録音:1967年11月14日モノラル、1987年6月2日ステレオ*
まずピアノ協奏曲が大名演!ユニークな解釈が極端に際立つことあるハイドシェックですが、ここではモーツァルトの音楽にどこまでも献身し、無垢な情感に溢れ、聴き手を夢の世界に誘います。特にフレージングの淀みのない美しさは奇跡的とさえ言いたくなるほど。第1楽章3:46からの大きな呼吸のうねりと音像の凝縮力には思わず唖然。第2楽章は、これこそモーツァルトの書いた最高傑作ではないかと思わせる、尋常ならざる含蓄と美しさ!その無限とも言えるニュアンスに全く取りこぼしなどありません。終楽章冒頭のテーマは、何の変哲もないようでいてエレガンスの極み!カデンツァはハイドシェックの自作。ケーゲルの指揮も変に張り合うことなく、一体となって引き締まったフォルムを形成しています。モノラルながら音質も鮮明で、珠を転がすようなタッチも確実に捉えられています。
交響曲は、第1楽章は標準的なテンポによるオーソドックスな解釈ですが、第2楽章はケーゲルならではのレガートが出現し、独自の翳りのニュアンスが心を捉えます。衝撃的なのは第3楽章。驚きの高速テンポ(4分に満たない)で、しかも何という切迫感!しかも中間部はガラリと表情を変え、これまたドッキリ。終楽章は精神的なもがきがそのまま音に表出されており、突発的なテンポの変化やフレーズのしならせ方が異常な緊張を生んでいます。【湧々堂】
SSS-0027
ベートーヴェン:交響曲第2番、第5番「運命」* ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1973年9月25日、1986年10月7日* (共にステレオ)
ベートーヴェンの第2・第5「運命」という傑作選では、規律正しい統率ぶりでヴァントを想わせるリズムの正確さに感動します。第2番の綏徐楽章ロマンティックな美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。いずれも高音質でオーケストラの演奏技術も向上している70年代以降のものです。
SSS-0028
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1972年5月26日(ステレオ)
「レニングラード」は、妥当なテンポ設定で、メタリックな感触よりも叙情的でしなやかな響きで押し通します。しかしやるべきところは徹底する凄みある演奏で、フィナーレは正に感動的です。
SSS-0029(2CD)
マーラー:交響曲第3番 ヘルベルト・ケーゲル(指)ドレスデンPO
ドレスデン・フィル少年cho、
同女声choマドヤロヴァ・ヴィオレッタ(A)、
クリューヴ・ヴィリ(ポスト・ホルン)

録音:1984年3月25日(ステレオ・ライヴ)
ケーゲルのマーラー第一弾。遅いテンポが採用され、特別の意識を持ったモタモタ振りが尋常ではありません。ドレスデン・フィルの透明で美しい美しい響きはシュターツカペレ・ドレスデンに勝るとも劣らないものです。
SSS-0030(2CD)
マーラー:交響曲第1番「巨人」、第2番「復活」* ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO
ライプツィヒ放送cho
エリザベート・プロイル(S)、
アンネリーゼ・ブルマイスター(A)

録音:1978年5月9日、1975年4月15日* (共にステレオ)
これは、ケーゲルが遺した交響曲のライヴ録音の中でも、録音の良さも含めて絶品中の絶品!人間の持つ情念の全てを放射した恐るべきマーラーで、分析臭など入り込む余地などなく、2曲とも全楽章を通じてヴォルテージに緩みが全くないのも驚異です。
「巨人」は、第2楽章冒頭の異様なテンポの溜めや、中間部での気紛れに移ろうテンポなど、一見大袈裟な表現が、きっちりと作品のフォルムに収まって説得力を発揮するのはまさに職人技!終楽章はいきなり血の大噴射!徹底的に深い呼吸で歌いまくる弦のカンタービレは官能の渦と化しています。段階的にテンポを加速するコーダの築き方は、もう全身鳥肌ものです!
「復活」
も、何がここまで彼を駆り立てるのか、ケーゲルの表現意欲は最初から最後まで衰えを知りません。表面的に後付けしたような表情はどこにもなく、異様な緊迫感に彩られた決死のニュアンスで圧倒し続けます。完全に全体が一丸となったときのオーケストラ演奏の凄みをまざまざと思い知らされます。 【湧々堂】
SSS-0031
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1960年11月11日(モノラル)
ODE CLASSICSからは出てなかったスタジオ録音による「ロマンティック」が初登場します。60年代ケーゲルの特徴である、ごくオーソドックスでありながらちゃんとツボを押さえた解釈による美演。60年モノラルですが、音質は実に良好です。
SSS-0032
ベートーヴェン:「献堂式」序曲、
 交響曲第3番「英雄」*
オトマール・スウィトナー(指)
シュターツカペレ・ベルリン

録音:1977年3月5日、1977年3月22日* (共にステレオ)
お馴染みスウィトナーのベートーヴェン。「英雄」では、高名なスタジオ録音より数年若いスウィトナーは収まることなく、大曲に対峙。スタジオ録音とは別人のような気合がタマリマセン。いたずらなテンポ変化こそないもののスピード感溢れる名演を展開しております。
SSS-0033
シューベルト:交響曲第8番「未完成」、
 交響曲第9番「グレート」
オトマール・スウィトナー(指)
シュターツカペレ・ベルリン

録音:1978年10月14日(ステレオ)
お得意のシューベルト名曲プロ。「未完成」のしみじみとした叙情はまさにスウィトナーの美意識の象徴。そして「ザ・グレート」は、一見普通に始めながらも弦が豊かに歌うごとに段段と熱してきて、スケルツォ以降は羞恥心をかなぐり捨てたとんでもない盛り上がりを見せます。
SSS-0034(2CD)
R・シュトラウス:「ナクソス島のアリアドネ」前奏曲、
 「ナクソス島のアリアドネ」序曲、
 「アラベラ」第3幕前奏曲(
モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」*
ブルックナー:交響曲第8番#
オトマール・スウィトナー(指)
シュターツカペレ・ベルリン

録音:1970年7月14日、1984年10月3日*、1986年9月9日#
スウィトナーはR・シュトラウス作品の録音には恵まれませんでしたが、オペラからの管弦楽作品の名演で、その溜飲を少しでも下げましょう。得意としていたモーツァルトでは遅めのテンポによって滋味豊かな名演を成し遂げています。そして極めつめの大曲ブル8は、巨匠が体調を崩し始めたころのライヴですが、どこに隠れていたのか破壊的なパワーで全曲が統一されてます。
SSS-0036
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番
交響曲第5番*
ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプツィヒRSO

録音:1978 年 5 月ライヴ・ステレオ、1986年10 月ライヴ・ステレオ*
SSS-0040(5CD)
ケーゲル/ショスタコーヴィチ:交響曲集
交響曲第4番、交響曲第5番*、
交響曲第6番**、交響曲第9番#、
交響曲第11番「1905年」##、
交響曲第14番「死者の歌」(独語)+、
交響曲第15番++
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO
エミリア・ペトレスク(S)、
フレッド・タシュラー(Bs)

録音:1969年5月ライヴ(モノラル)、1986年10月(ステレオ・ライヴ)*、1973年9月(ステレオ・ライヴ)**、1978年5月(ステレオ・ライヴ)#、1958年4月(モノラル・ライヴ)##、1972年3月(ステレオ・ライヴ)+、1972年11月(ステレオ・ライヴ)++
SSS-0041
ラヴェル:ボレロ、ピアノ協奏曲*、
 「ダフニスとクロエ」第2組曲#
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO、
ライプツィヒ放送cho、
セシル・ウーセ(P)

録音:1985年5月(ステレオ)、1974年3月(ステレオ)*、1965年9月(モノラル)
SSS-0042-2
ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」 ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスO

録音:録音:1986年3月(ステレオ)
以前PILZから発売された「ブル8」も迫力満点で感動的でしたが、この「ブル3」は、曲の性格からもその熱い没入スタイルが隅々までプラスに作用し、ドイツ流儀の雄渾なブルックナー・サウンドが真正面からストレートに迫る名演です。ゲヴァンとハウス管は、マズア(ケーゲルの宿敵)が指揮するようになってから、本来の音の厚味みを欠いてしまったと言われたりしますが、コンヴィチュニー時代を髣髴とさせる重厚さを決して捨て去っていなかったことを知るだけでも大収穫です。神秘の森を手探りで進むうちに突如巨木が出現するような第1楽章冒頭から完全ノックアウト!いぶし銀の音色で貫徹した壮大な響きもそれ自体が感動的で、決然とした意志が漲るコーダまで、聴く側も緊張の連続です。第3楽章の中間部は、呼吸といい伸びやかなテンポといい、これぞレントラーの真髄と言える瞬間。終楽章に至っては、荘厳さと素朴さが完全融合。5'20''から最高潮点への登り詰め方は、前代未聞のスケール感で手に汗握ります。これは、ブルックナー・ファン、ドイツの伝統的なオケの響きを堪能したい方にはこたえられない魅力がたっぷり詰まった一枚です。 【湧々堂】
SSS-0043-2
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番〜第2楽章
ジュリアス・カッチェン(P)
フランツ・コンヴィチュニー(指)
ゲヴァントハウスO

録音:1960年11月24日(モノラル)
SSS-0048(4CD)
ブラームス:交響曲全集、
シェーンベルク
:室内交響曲第1番/第2番
*
 浄夜、
5つの小品、変奏曲*
 交響詩「ペレアスとメリザンド」
*
ハインツ・レークナー(指)
ベルリンRSO<旧東独>、
ライプチヒRSO
*

録音:1978年〜1987年(ブラームス)、
1980年〜1991年(全てステレオ・ライヴ)
ブラームスの「第1番」のみスタジオ録音ですが、この張り詰めた緊張と音の凝縮はライヴのような熱を帯び、あの名演「ブル9」第2楽章のそれを彷彿とさせます。序奏の清潔この上ないテクスチュアとティンパニの見事なブレンド、続くフルートの厳粛な輝き、ゴリゴリとうねる低弦の発言力など、全てが破格の説得力で迫ります。フレージングの境目が分からないほど一息での大きな呼吸の妙や、展開部後半のいきり立つ高揚は、レークナーの気力の絶頂を示す好例。第2楽章の高雅な佇まいと、コーダのVnソロの信じられない美しさも必聴!終楽章は、まさに一気呵成!それだけに、コーダの金管コラールの神々しいテンポルバートのように、ここぞという箇所のテンポの動きが、絶大な説得力!序奏のホルン・ソロを支える弦のさざなみの美しさも、地底から静かに湧き上がる生命のような佇まいを醸し出しているのですから、言葉が出ません。通常より速めのテンポを設定するのがレークナーの常ですが、それがスポーツ的なノリと無縁で、内面の燃焼度が極めて高いので、どんなに音楽が高揚しても脂ぎることなく、芸術的な格調を保つ常人には真似のできない技を発揮し尽くしたのが「第2番」。第1楽章の提示部は、ごく普通に流れるだけに感じますが、それが展開部以降の芯の熱さを誇る音楽のうねりの伏線であることに気付かされます。その展開部の雄渾さや11:59以降の魂の壮絶な叫びそのものの響きは、まさに至高のレークナー・サウンド!第2楽章の幽玄のニュアンスも聴き手を離さず、第3楽章中間の表情の多彩さは空前絶後!終楽章に至っては、演奏時間こそ9:26と普通ですが、第主題と第2主題のテンポ・ニュアンスの違いがくっきりと浮き出ると同時に、コーダに向かって弛緩することなく熱い共感を込め、燃えるレークナーの凄さを思い知らされます。コーダ直前でワルター以上のテンポルバートで一呼吸置いた後の加速の激烈ぶりは、レークナーどの録音からも聴けなかったもので、これをもし生で聴いていたらと想像するだけで、失神しそうな極限の感動に襲われるのです!案の定、最後の音が鳴り止まないうちに、会場から大拍手が湧き起こっています。ところが、さらに凄いことになっているのが「第4番」!かつてレークナーが読響を振った演奏が、この世で鳴ったブラ4の最高峰と勝手に確信していたのですが、そのときの演奏よりも胸を突き刺すのですから、どんなに美辞麗句を並べても追いつきません!第1楽章は11:17という史上最速テンポ!もちろん押し付けたスピード感ではなく、特有のフレージングの大きさからでた結果で、一陣の風のように流れるその風情は、あえてシューリヒトの閃きをも超越していると言っても過言ではありません。第2楽章後半に登場する第2主題の全身で受け止め切れないほどの内容量の前では、あのアーべントロートが起した奇跡さえ霞んでしまいます。終楽章は第2変奏から早速それまでとは違うテンポに移行するなど、各変奏の表情を入念に描き分けながら、全体に太い芯を貫かせ、一気に聴き手をフレーズの奔流に引きずり込んで離しません。一方、シェーンベルクは逆に肉感的なニュアンスさえ漂わせ、これまた独特の風味を持つ演奏ばかりです。十二音技法の頂点とも言われる「変奏曲」は、ショルティなどの剛直さとは異なり、生々しい人間的な息づかいが聞かれます。第6変奏の官能にも似た不思議な空気や、第8変奏のどこか「軋み」と伴う色彩の綾は、いかにも旧東ドイツの土壌が生んだ雰囲気が濃厚。ちなみに、ベルリンの壁が崩壊するのは、この半年後のことです。旧東独で現代作品のエキスパート・オーケストラの役を担っていたライプチヒの放送オケの起用も最大に効を奏しています。調性崩壊へ向かう前兆の「室内交響曲第1番」も、明らかにマーラー側から捉えたロマン的な解釈で、冷たい演奏ほど望ましいとする迷信を吹き飛ばす説得力!これほどこの曲が心の琴線に触れたことはありません。「浄夜」では、果てることのないイマジネーションの広がりと魂の叫び(例えば5:33以降!)に圧倒され、「この曲はどう演奏されるべきか」などと頭で考えている場合ではありません!こうして聴くと、ここまでではないにせよ、独シャルプラッテンの数々の録音でもレークナーの比類なき音楽性の片鱗は十分に窺えるのに、それに気付こうともしない(気付けない?)評論家がこの国にはほとんどいない現実を悲しく思います。  【湧々堂】
SSS-0049(2CD)
マタチッチのR・シュトラウス
歌劇「エレクトラ」(全曲)
交響詩「死と変容」 *
ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)
シュターツカペレ・ベルリン
ジークリッド・エッケハルト(エレクトラ)、他

録音:1957年10月3日、1958年1月18日*  
ベルリン国立歌劇場(モノラル・ライヴ)

SSS-0050
ブルックナー:交響曲第9番、
ヴィヴァルディ
:協奏曲集「調和の霊感」*
ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)
ベルリン国立歌劇場O

録音:1958年1月17日ベルリン国立歌劇場、
1958年1月18日ベルリン国立歌劇場*(モノラル)
マタチッチのブルックナー録音としては、第4番「ロマンティック」(EMI)に次いで初期の録音です。 (タチッチのブルックナーは、どのオケを振っても、表現の幅が異様に広く、人間的な情感を熱く漲らせているにもかかわらず、聴き手の耳に到達するまでの間に、崇高な精神と神々しい光で被われた音楽に変貌するという奇跡にいつも衝撃を禁じ得ませんが、古色蒼然としたオケの響きと一体となったこの演奏では、その衝撃が更に倍増!そのフォルティッシモの威力は、地殻変動を引き起こしかねない尋常ならざるもの。この年代で、ブルックナーの音楽を体全体で理解していた人は、マタチッチ以外にはいなかったのではないでしょうか?本場のオーケストラを無骨に鳴らし続ければ、いかにもブルックナーらしい音響を実現できるとは思いますが、ここにはルーティンにやり過ごした箇所が皆無というのも驚きです!終楽章2:05からのトランペットのリズム!この箇所がこれほど厳格な意思と律動を込めて鳴りきり、神の宣告とした演奏は例がありません!一方、ヴィヴァルディがこれまた只事ではありません!クナの指揮するバッハで、濃厚巨大なバロック音楽を知っている耳にも、これはあまりにもショッキング!時代錯誤などというありふれた批判をこの演奏に投げかけることほど空しいことはありません!とにかく最初の低弦の持続音の恐ろしい襲来に、椅子から転げ落ちないようご注意下さい。音質も聴きやすいものです。
SSS-0051
ベートーヴェン:交響曲第8番、交響曲第3番「英雄」* ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1974年5月14日ライヴ、
1975年9月2日ライヴ* (全てステレオ)
正に古典美の極とも言える端然とした演奏。爽快なテンポ設定は、トスカニーニやヴァントを思わせるきりっとしたアプローチで新鮮そのもの。こういうスタイルでは第8番が冴え渡るのも当然で緊張感とリラックスを取り混ぜた名演。「英雄」も一般にイメージされる壮大な演奏の対極にある演奏で、純粋古典音楽と割切った大胆な演奏。いずれもライプツィヒ放送響の合奏能力が上回った70年代後半、ステレオ高音質ライヴです。
SSS-0052
マーラー:交響曲「大地の歌」 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO、
ヴィエラ・ソウクポヴァ(A)、
ライナー・ゴールドベルク(T)

録音:1977年4月5日(ステレオ)
初出レパートリー。最晩年のどろどろは意識せず、彼岸的演奏に徹底していますが、それでもアルト・パートの歌わせ方と粘るテンポは強烈なものがあります。特に終楽章の「告別」は30分を超える演奏時間で、タイミング以上に濃密です。ゴールドベルクの歌唱は軽めで、ワルター盤のパツァクで刷り込まれたファンも納得の出来と言えましょう。
SSS-0053
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」 ハインツ・ボンガルツ(指)
ライプツィヒRSO

録音:1969年6月30日(ステレオ)
SSS-0054
R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」*
ハインツ・ボンガルツ(指)ドレスデンPO

録音:1977年2月5日、1977年11月9日* (共にステレオ)
ブルックナー:交響曲第9番(SSS-0007)、ブラームス:交響曲第4番(SSS-0009)、ブルックナー:交響曲第8番(SSS-0012)はステレオ録音の表記がありますが、初期ステレオ録音のため広がりの狭いモノラルに近い音質であることをご承知おき下さい。

SSS-0055-2
R・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」、
ベートーヴェン:「エグモント」序曲、
ヘンデル
:合奏協奏曲Op6-3
クルト・ザンデルリンク(指)ライプチヒRSO
録音:1972年2月ライヴ、1969年1月スタジオ、1972年9月ライヴ(全てステレオ)
「英雄の生涯」はザンデルリンクのレパートリーから次第に外されてしまいましたが、この曲の「英雄の引退」の演奏と共に、ザンデルリンク自らもこの作品と訣別したしまったのでは、と思えるほど、全ての音楽的イマジネーションを放出しつくした世紀の大名演です!お決まりの「いぶし銀」という形容で片付けられかねませんが、出てくる全ての音が、現代的機能性を重視した金属的な輝きとは全く次元を異にするばかりか、旧社会主義国の演奏を聴く時にいつも感じる、目の前の演奏に全てを投入せざるを得なかった環境によってこそ、このような決死の演奏が実現したという皮肉をこれほど痛切に感じさせる演奏もありません。第1曲冒頭は、より見通しよく、カッコよく鳴らすことはいくらでも可能ですし、またそのことを最優先させた演奏が多いですが、ザンデルリンクはあくまでも響きの融合にじっくりと耳を傾け、吟味し尽くしているのが分かります。音量も決して大袈裟に偏らず、むしろ節度を保っていように聞こえますが、腹の底から湧き上がらせる風格自体が説得力絶大で、聴き手のセンサーも感覚的な気持ちよさから、演奏と同時進行で作品の深部に浸ろうとする方向へ転換させられること必至。旧東独の大指揮者の中でも、各旋律が必要以上に粘着質にまとわりつかせることのないフレージングが特徴的なザンデルリンクらしさも最大限に発揮。“英雄の敵”では、木管の嘲笑が実にリアルな肉声としてさざわつく様が印象的ですが、全て満ち足りた飽食の環境下では絶対に出しえない迫真のニュアンスだけに、演出的ないやらしさが皆無なのです!“英雄の伴侶”もVnソロのニュアンスが、「表現力」を駆使したというよりも、全ての煩悩をここで吐き出すしかないといった生々しさ!その極端なまでにキュートで甘美な囁きと、低弦でうねり続けるテーマが付いては離れを繰返しますが、両者の距離感、コントラストの加減がまた絶妙!3:15でほんの一瞬ハープが爪弾きますが、すぐに弦を手で押さえるタイミングの素晴らしさもお聴き逃しなく。“戦い”の場面のヴォルテージの高さは、後年のザンデルリンクからは想像できない決死の咆哮!小太鼓に導かれるマーチの部分から強烈さに拍車がかかり、その小太鼓の痛烈な打ち込みと、絞り出すようにいきり立ちながらも音色の美しさは死守するトランペットの存在感が見事!遂にここへ来て音量も極限を目指し、4分あたりには命を投げ打ったような強烈テンションが全身に襲い掛かります。迫力満点の演奏は他にいくらでもありますが、音の向かう方向が違うのです!“業績”のシーンで、「ティル」のテーマが挿入されるあたりの静かな箇所での、心の底から過去を懐かしむ風情にも、苦難の痕跡が音の端々からj零れます。イングリッシュ・ホルンのソロが現れる直前のオケの最後の咆哮が、まさに決然と表舞台から去り行く決意表明そのものとして迫る演奏は今まで聴いた記憶がありません。終結で、ヴァイオリンが高音域を奏で続ける中、金管が次第に浮上し、圧倒的な高みの登りつめるのを目の当たりにして、鳥肌が立たない人がいるでしょうか?!この大曲だけでもあまりの感動に胸が一杯ですが、他の2曲も無視できません!「エグモント」は、鋭利な迫力よりも穏健な佇まいを維持した中庸の演奏に見えて、音量の大きさではなく、共感の熱さがそのまま乗り移ったオケの弾きっぷりが感動を呼びます。革張りティンパニのグォングォンと轟きも何と素晴らしいこと!その響き自体が溜息が出るほどの深みに溢れているのです。最後の追い込みでも決して騒ぎ立てず、真のドイツ流儀の重厚さを思い知らされます。ヘンデルは、バッハの曲かと思ってしまうほど、精神的な深遠に食い入るような集中力に圧倒されます。低弦の厚みを土台とした雄渾極まりない響きはチェンバロにまで乗り移りっています。音を削ぎ落とすことに余念がない昨今の風潮では、こんな強靭なヘンデルはますます聴けなくなってしまうでしょう。全て良質なステレオ録音。 【湧々堂】

SSS-0056
ベートーヴェン:交響曲第1番、
 交響曲第5番「運命」*、「エグモント」序曲*
クラウス・テンシュテット(指)
メクレンブルク・シュターツカペレ・シュヴェーリン、
キールPO*

録音:1968年4月19日(ステレオ・スタジオ録音)、
1980年3月20日ステレオ・ライヴ*
テンシュテットは旧東独出身の巨匠ながら、出身地での活躍状況はほとんど知られておりません。若い頃から、録音時のトラブルが多かったため(巨匠は晩年まで、人間的には非常に問題があったことが知られています)、テンシュテットとは録音の仕事をするなというのが放送業界では不文律になっていたそうで、旧東独放送録音ではごく初期のオペラ・アリアの伴奏、東独現代音楽が少々しか現存しません。1962年から音楽総監督を務めた古都シュベーリン州の歌劇場管=メクレンブルク・シュターツカペレとのベートーヴェンは、奇跡的な存在ともいえるもので、立派な演奏である上に、一点一画を疎かにせず、しかも十分な高揚があります。この時代から、すでに巨匠的風格を備えていたのです。「運命」と「エグモント」は、すでに東独から亡命し、アメリカ、イギリスでの活躍で名を挙げてからの演奏。1972年から音楽総監督を務めたキール歌劇場管=キール・フィルとの凄絶な名演奏。ピリピリとした緊張感とド迫力が共存。マニアからはプライヴェート盤他でテンシュテット最高のベートーヴェンとして知られるものです。ではテンシュテット未亡人との良好な関係を今後も維持し、良質な演奏をリリースすべく計画しているそうです。
SSS-0057
ブルックナー:交響曲第7番 フェルディナント・ライトナー(指)ハーグPO

録音:1978年10月4日コミッシェ・オパー・ベルリン(ステレオ)
ブルックナー演奏には定評がある巨匠ですが、その上品な芸風に最もぴったりな第7番、初出レパートリーです。手兵ハーグ・フィルを率いての東ベルリン公演。しみじみとした味わいが筆舌に尽くしがたく、美音の連続と無理のないオーケストラ・ドライヴ。ゆとりを感じさせるブルックナー。70分を超える、ゆったりとした悠久の名演です。
SSS-0058
ベートーヴェン:交響曲第7番、
ショスタコーヴィッチ
:ヴァイオリン協奏曲第2番*
ヘルベルト・ケーゲル(指)
シュターツカペレ・ドレスデン、
ヴィクトル・トレチャコフ(Vn)

録音:1969年9月16〜20日ドレスデン・ルカ教会(スタジオ録音)、1969年10月10日クルトウア・パラスト・ライヴ*、(全てステレオ)
ケーゲルのベートーヴェンやブラームスのライヴ録音は、今ひとつ音が冴えないものが多いですが、この「第7番」は、音質、演奏内容共に屈指の素晴らしさ!
第1楽章冒頭の一撃から、ドレスデンならではの端正な響きに熱い芯が宿り、内容味満点のニュアンスを敷き詰めます。第1主題直前など、長い音価を目一杯保つのがいかにもケーゲル節ですが、殊更ユニークな解釈を際立たせることなく、堅実なアプローチを貫徹。それでいながら、音そのものにニュアンスが充満しているので、教科書的な味気ない演奏に傾かず、聴き手の意識を惹きつけるのです。第2楽章では、ケーゲルのフレージング・センスを満喫!悲壮感を煽ることなく淡々と進行しているようでいて、フレーズの末端までニュアンスを感じ取り、徹底して音に具現化しようとする意思が漲っているので、余計な味付けなど不要。終楽章も、短絡的な熱狂とは一線を画し、内声の連携を利かせながら、響きの緊張と緩和でニュアンスを形成する手法が徹底されています。最後の数分は、絶頂期のこの名門オケが高次元で沸点に達した時の凄さを痛感されるはずです。
ショスタコーヴィチは、メーカーのインフォでは、ステレオとなっていますが、非常の明瞭な音質ながら、どう聴いてもモノラル。チャイコフスキー・コンクール優勝の3年後のトレチャコフとの共演ですが、これがまた大名演!
トレチャコフの憑かれたような集中力は全楽章を通じて途切れることなく、終楽章に至っては、絶望の淵を徹底表出。それを乱暴な汚い音でごまかすのではなく、正確無比な技巧と美音を保ちながら実現する凄さ!【湧々堂】
SSS-0059
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」、
ヤナーチェク:ラシュスコ舞曲集〜第1、2、5、6番
クラウス・テンシュテット(指)ミュンヘンPO

録音:1975年バイエルン放送によるスタジオ(ステレオ)
何とテンシュテットが「チェリ以前」のミュンヘン・フィルを指揮した貴重な録音が登場!しかも、バイエルン放送音源により、音質も極めて良好。テンシュテットのショスタコーヴィチの第5番はもちろん初正規CD化ですが、この作品をこの時期既に十分に練り上げていたことが実感できます。第1楽章冒頭の低弦の抉り出しは実に強靭。その後も皮相さは皆無。ピアノが打ち鳴らされて以降のテンポアップの熱さ、脇目も振らぬ集中力には手に汗握ります。全体がユニゾンを奏でた直後、11:36の超低速のテンポは衝撃的!第2、第3楽章は、よく言われる当時のミュンヘン・フィルの純朴な響きが功を奏し、テンシュテットの人間味を感じさせる表現が一層引き立ちます。特に第3楽章は前半のたおやかな雰囲気から悲痛な叫びに至るまでのプロセスの描きわけ、感情のバランス配分が絶妙で、決して髪を振り乱すことなく作曲家の心情を代弁する真摯さがかえって作品の息遣いのみを引き出す結果となっており、涙を誘います。終楽章はやや遅めのテンポで、ドイツ的重厚さを持って進行。鋭利でスリリングな迫力よりも、ここでも人間的な温かみなニュアンスで包まれています。コーダもことさら大げさに構えず、自然な締めくくり。なお、この録音当時はまだケンペが存命していましたが、「決して一流とは言えない」などと言われた当時のミュンヘン・フィルは、第3楽章の後半の弦の静寂の美しさに象徴されるように、バイエルン放送響と言われても疑わないほどの質感を保持していたことを確認できる点でも貴重。更に聴きものはヤナーチェク!「シンフォニエッタ」のように頻繁には演奏されない曲ですが、あのヤナーチェク特有の和声の癖よりも、ドヴォルザークのスラブ舞曲のような佇まいを持つこれらの曲集の持ち味を丹念に引き出していて愉しさこの上なし。   【湧々堂】
SSS-0060
バッハ:音楽の捧げ物、
 王の主題による5つのカノン(デッサウ編曲)、
 6声のリチェルカーレ(ウェーベルン編曲)
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO、
アマデウス・ウェーバーシンケ(フリューゲル・ピアノフォルテ、通奏低音)、
ジェルジ・ガライ、ヘルガ・ロッチャー(Vn)、
ペーター・クリュグ(Vc)、
ハインツ・フグナー(Fl)、
フリッツ・シュナイダー(オーボエ・ダモーレ)、
エルヴィン・クレツマー(Fg)、
トーマス・ヴュンシュ、
エルノ・クレポク(ヴィオラ・ダモーレ)、
ハイニ・フォーグラー、
ベルトラム・バルト(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、
ウォルフガング・ウェーバー、
ハンス・ヴェルナー(Vc)、ディーター・ツァーン(Bs)

録音:1972年5月24日、6月5日、ライプツィヒ・ベタニア教会
隅々までケーゲルの厳しい眼が光った出色の蔵出し音源。 
SSS-0061
シベリウス:交響曲第4番、交響曲第1番* ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1969年3月4日コングレス・ハレ・ライプツィヒ・ライヴ、
1982年4月26日ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・ライヴ*
ケーゲルのシベリウスはとても珍しく、第4番がETERNAにある程度です。当CDは演奏を繰り返し鬼才の偏愛が窺えるその「第4番」。初出レパートリーとなる「第1番」はシベリウスの交響曲の中でも人気の高い名作。1980年以降のケーゲルはゆっくり目のテンポを取って、ロマンティックな部分を強調したりする場合が多いのですが、この演奏もその部類です。実に恰幅の良い演奏です。ドイツ人指揮者でシベリウスを積極的に取り上げる人は決して多くありません。ケーゲルもその例に漏れませんが、やはりプロフェッショナル。レパートリーにあるものには凄腕で聴かせてくれます。
SSS-0062-2
シューマン:交響曲第4番、
ブラームス
:交響曲第2番
ヘルベルト・ケーゲル(指)ドレスデンPO

録音:1980年10月14日、ライプツィヒ・コングレスハレ(ステレオ・ライヴ)、1988年11月22日ライプツィヒ・ゲヴァントハウス(ステレオ・ライヴ)*
得意のドイツ・ロマン派音楽の傑作を並べた名演集。シューマンは伝説の来日公演でも取り上げた得意曲ながら手兵とのディスクは初めて。シューマンの交響曲では第4番のみを偏愛していた模様です。ブラームスは、特に愛情を注いだ第2交響曲。最晩年のライヴだけに、メロディを強調した個性的な遅いテンポが採用され、第2楽章の官能的な歌と熱情には驚かされます。今までのケーゲルとは一風変わった名演です。いずれも音色の美しいドレスデン・フィルだけに、素晴らしい仕上がりです。
SSS-0063
マーラー:交響曲第1番「巨人」 ヘルベルト・ケーゲル(指)ドレスデンPO

録音:1981年2月25日クルトゥア・パラスト(ステレオ・ライヴ)
ケーゲルならではの退廃ムードで統一された異様なマーラー。既に晩年の「第9番」に繋がる人生の苦悩をこの作品からも見出し、瑞々しい青春賛歌とは無縁の世界を築いたとも言えましょう。第1楽章は冒頭の弦の高音の持続音からして魂が浮遊しているよう。主部に入ると徹底して耽美な世界ば広げ、弦は実にシルキーな美しさですがが、全体の空気には常に暗雲が立ち込め、この雲は終曲まで払拭されません。第1主題がトランペットで現れる前までの静かな戦慄も聴きもの。第2楽章の濃厚なアゴーギクはケーゲルの常套手段ですが、中間部ではそのアゴーギクがここぞとばかり開花。しかしあくまでも表情伏し目がちで、ほのぼのとした雰囲気とは正反対に、むしろクールなエロティシズムさえ感じさせます。第3楽章は、内面が乾ききった忘我の境地。中間部の半音下降音型の脱力ぶりは、生き気力が失せた様子そのもので、コーダで一瞬おどけて見せるのも束の間、痛々しさがよぎります。終楽章も堂々たる風格とは無縁。コーダでは猛烈な速さで突進しますが、もちろん勝利の雄叫びではなく、自暴自棄ともいえるこれまた不気味な明るさ。ちなみに、1978年の同曲ライヴはこちら。 【湧々堂】
SSS-0065
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番、
チャイコフスキー
:ピアノ協奏曲第1番*
エミール・ギレリス(P)、
フランツ・コンヴィチュニー(指)
ライプチヒ・ゲヴァントハウスO、
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO*

録音:1960年11月3日、1965年3月2日* (共にモノラル・ライヴ)
コンヴィチュニーとケーゲルという思いも寄らぬ組合せ、硬派同士の共演!モーツァルトは、コンヴィチュニーのベートーヴェン的な重厚極まりない、ゆったりしとした伴奏にギレリスの鋭いタッチとリリカルな風合いの対照の妙が聴きものです。チャイコフスキーは、鬼才ケーゲルとの共演という注目盤です。ケーゲルはチャイコフスキーに対してはあまり思い入れがなかったのか演奏機会はごく僅かです。ここでのケーゲルはすっきりとした古典的なアプローチで透徹しております。ギレリスの見事なテクニックと疾風怒濤の迫力には圧倒されるばかりです。ギレリス・エステート公認のリリースです。音質はモノラルですが極上。 
SSS-0066
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプツィヒRSO&cho、
ヴェンスラヴァ・フルバー=フライブルガー(S)、
ローズマリー・ラング(A)、
ディーター・シュヴァルトナー(T)、
ヘルマン・クリスチャン・ポルスター(Bs)

録音:1987年7月31日ゲヴァントハウス、ライプツィヒ(ステレオ・ライヴ)
1980年代にドレスデン・フィルに転じたケーゲルですが、度々ライプツィヒ放送響にも復帰し共演しております。第4楽章のお祭り騒ぎに共感できぬとか、演奏会ではペンデレツキ、ノーノ、シェーンベルクなどシリアスな作品と組み合せるなど、「第九」についてネガティヴな言動、行動が多いケーゲルですが、当盤では夏の音楽祭シーズンのガラ・コンサートという枠組みのせいなのか、熱気溢れる正に祝祭的な盛り上がり、緊迫感を見せています。燃えやすいドイツ人、ケーゲルの面目躍如の名演。しかも、それが実に様になっております(足踏みも凄い)。元来が合唱指揮者だっただけに合唱の厚みある響きはケーゲルの怖い視線を感じさせる見事さです。
SSS-0067(2CD)
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプツィヒRSO&cho、
エンリケタ・タレス(S)、
ヴィオレッタ・マジャロヴァ(A)、
セルゲイ・ラリン(T)、クルト・リドル(Bs)、
ヨアヒム・ダリツ(Org)

録音:1987年12月30、31日ベルリン・コンツェルトハウス(シャウシュピールハウス)、ステレオ・ライヴ
古巣のライプツィヒ放送響に戻ってきたケーゲルは一時の強烈なアプローチを廃し、かなり遅めのテンポを採用し、慈愛に満ちた優しい微笑みをもってこの大曲の真髄に迫ります。ヒットアイテムとなった「第九」(SSS0066)と同年の演奏です。ケーゲルは合唱指揮者からキャリアをスタートしただけに、合唱の取扱いも厳格なだけに留まらず、分厚いハーモニーを紡ぎだすことに成功しています。この1987年12月は、レーガン、ゴルバチョフによるINF(中距離核戦力)全廃条約締結があり、世界は冷戦の終結に向けて歴史的な前進を遂げたのです。
SSS-0068-2
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、
ピアノ・ソナタ第25番「かっこう」〜第1楽章
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」*
ハンス・リヒター・ハーザー(P)、
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1978年6月6日、1971年5月11日*(全てステレオ・ライヴ)
ハンス・リヒター=ハーザー(1912-1980)は、ドレスデン生れですから、ケーゲルとは同郷ということになります。ベートーヴェンの権威として知られ、PHILIPSへのソナタ録音は、華麗さ、派手さを廃した実に渋く、そして魅力的な音色で名盤の誉れ高いものです。そのピアノの音はきらびやかさを意図的に否定しつつも郷愁を誘う泣かせる音色と申せましょう。EMIへは、カラヤンとブラームスの協奏曲、ジュリーニとのベートーヴェンがありますが、晩年の演奏は、Kontrapunktのザンデルリンクとの共演盤くらいです。ケーゲルの定評あるベートーヴェンは、さすがにベートーヴェンらしい格好良い場面展開を強調しながらも繊細でしみじみとした味わいを見せてくれるのも興味深いところです。

SSS-0070
ハイドン:交響曲第57番
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番
クラウス・テンシュテット(指)ベルリン・ドイツSO、
カール・エンゲル(P)

録音:1973年9月11日(ステレオ・スタジオ録音)
テンシュテットとベルリン・ドイツ響(当時のベルリン放送響)との共演はこの時限りと思われ、その意味でも貴重な記録ですが、あえて強調したいのは、エンゲルが奏でる協奏曲の素晴らしさ!エンゲルは、1970年代に全集を完成する以前のステレオ初期にもこの作品をスタジオ録音しており、その際は、オケの人数を極力切り詰めて室内楽の一員のような立ち位置で、慎ましくも味わい深い演奏をしていましたが、ここではもちろん、通常の協奏曲スタイルで、エンゲルの玉を転がすようなタッチの妙味と、フレージングのしなやかさが至福の空気感を生み出し、エンゲルが稀代のモーツァルティアンであったことを再認識させられます。古典的な佇まいを醸し出すために、強弱の対比を抑制するピアニストもいますが、エンゲルはそんな安易な手段は用いません。音楽はどこまで言っても伸びやか。各音のニュアンスは十分に練られながら、その苦心を感じさせない自然さで聴き手の耳にすんなりと飛び込みます。特に第2楽章のタッチの艶やかさと、フレーズが生まれたてのように瑞々しく息づきく様は、絶品中の絶品!録音の良さも特筆もので、エンゲルのタッチの魅力を十二分に伝えています。く【湧々堂】

SSS-0071
ブルックナー:交響曲第9番、
ワーグナー
:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲*
オイゲン・ヨッフム(指)ミュンヘンPO

録音:1983年7月20日、1979年11月8日*、ヘルクレスザール・ライヴ(全てステレオ)
ヨッフムが指揮者デビューで競演したミュンヘン・フィルとの記念碑的なライヴ録音。かつてMETEORレーベルで発売され、マニアの間でも評価の高かったものですが、このディスクはバイエルン放送マスターによる新たな復刻です。いぶし銀のような味わいに溢れた名演。第1楽章第1主題の高揚のさせ方も機能的にすっきりと聳えるスタイルが主流の昨今、アンサンブルの縦の線よりも全体の風情を重視。第2主題の歌い口はその特質が大きく功を奏し、その自愛に満ちたフレージングが心に染みます。6:32からの弦のフレージングに連綿と脈打つ至高のニュアンス、続くホルンの一節の響きは、チェリビダッケの透徹とはかなり趣が異なり、ケンペ以前のミュンヘン・フィルの朴訥さを思わせるほどヒューマンな温かさに満ちています。終結部がまた感動的で、クラリネットがはっきりとした意思を持って立ち上がりつつ、弦のトレモロを効かせる手法のなんと奥深いこと。第2楽章もゆったりとしたテンポで一貫し、鋭角的な凄みも誇示しませんが、音楽が決して野暮ったくならず、内容味満点。特にトリオのキリッと引き締まったリズムを土台とした躍動とその後の深い呼吸による弦の振幅の対比のが絶品で。この中間部に克明かつ自然な形で深い内容を盛り込むヨッフムの芸の深さに感じ入ります。終楽章に至っては、冒頭の第1音から最後まで感覚的な効果に敢然と背を向けて内面重視に徹しきっているため、聴く側もそれなりの覚悟が必要でしょう。第2主題の深遠なニュアンスは破格の素晴しさで、構えを大きくしようとする意図を表面には出さずに音楽を自然に熟成させる指揮芸術の極みです!後半の不協和音炸裂に至るまでのヴォレテージの高揚にはも人為的な操作の入る込む隙がないほどの宇宙的な噴出力!ここでこんな奥深い最強音を実現できる指揮者は他にいたでしょうか?ワーグナーもヨッフムの全人格を反映した至芸の連続!  【湧々堂】
SSS-0072
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
バッハ:2台ヴァイオリンのための協奏曲、
ブラームス
:交響曲第4番
クルト・ザンデルリンク(指)ミュンヘンPO、
インゴ・ジンホファー(Vn)、
スレテン・クルスティク(Vn)

録音:1984年11月23日ヘルクレスザール・ステレオ・ライヴ(ステレオ)
ブラームスがとにかく凄い!ザンデルリンクのブラームスというと「テンポの遅さ」ばかりが云々されますが、少なくともこの第4番は、第1楽章から様式を逸脱したような異様な遅さなはく、各主題の性格に応じて確実にニュアンスを変えていることでも明らかなように、全ての指示が作品のあるべき姿を再現するためのアプローチとして、破格の説得力を持って迫るのです。6:34のトゥッティからクラリネット・ソロへと繋ぐ際の緊密な連携プレーなど、他では聴けないでしょう。第2楽章は、過剰なロマンチシズムに溺れず、作品の古風な佇まいを重視するザンデルリンクの姿勢が明確に反映され、より耽美的に歌える箇所でも古典的な居住まいを崩さず、凛としたフレーシングを保持。第2主題でもそのスタンスは変わらず、イン・テンポを基調としながらも気が遠くなるほど深い呼吸と低弦の応酬で圧倒します。第3楽章は凄い攻撃力!この時期のザンデルリンクに、こんな露骨なまでのパワーが残っていたことに驚きを禁じえません。決して外側から指示したものではなく、根底から湧き上がるリズムの躍動と化しているので、音楽的な意味に溢れた推進力が尋常ではありません。中間部の陰影の濃さも印象的。終楽章は冒頭テーマのハーモニーの美しさに驚愕!ザンデルリンクの音色志向を窺い知る必聴ポイントです。その直後のアーティキュレーションがこれまた高潔で、2:50からのフレージングの透明感も前代未聞。チェリビダッケのあの緻密さとはまた違う、不思議な陶酔感に酔いしれるばかり。拍節を四角四面に振り分けるだけでは成し得ない、まさに究極の芸です。
バッハは近年聴かれなくなった大柄の演奏ですが、バイエルン国立歌劇場管のコンマスもつとめたジンホファー、ミュンヘン・フィルのコンマス、クルスティクの連携も見事で、これも聴き応えあり。 【湧々堂】
SSS-0074(2CD)
マーラー:交響曲第4番、
交響曲第6番「悲劇的」*
ガリー・ベルティーニ(指)ベルリン・ドイツSO、
カミラ・ニルンド(S)
録音:2004年2月29日フィルハーモニー・ベルリン(デジタル・ライヴ)、1973年4月30日フィルハーモニー・ベルリン(ステレオ・ライヴ)*
最晩年までエネルギッシュな活動を繰り広げた巨匠ベルティーニのマーラー名演集。超名演としてCD化が熱望されていた第4番。マーラーを積極的に取り上げた初期の第6番「悲劇的」の刺激に満ちた名演を収録しました。いずれも高音質です。

SSS-0076-2
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(指)
ベルリン・ドイツSO&cho

録音:2003年5月4日フィルハーモニー・ベルリン・ライヴ(デジタル録音)
※英語、日本語、ドイツ語のライナーノート付。
巨匠スクロヴァチェフスキが、近年客演を繰返すドイツの名門ベルリン・ドイツ響(旧西ベルリン放送響)の優秀さを存分に活かし、稀に見る緊張感を孕んだ強烈な演奏の登場です。スクロヴァチェフスキは、当曲をマンチェスターのハレ管弦楽団とも録音しておりますが、オーケストラの能力には如何ともし難い部分があったのは事実です。スクロヴァチェフスキは、オーケストラに対し非常に要求の厳しい指揮者であり、その指示命令を完璧にこなすには、相当の技量を持ったオーケストラでないと上手くいかないことは、ファンなら良く知る所と言えましょう。ムラヴィンスキーを想起させる辛口でキリリと引締った快速テンポが採用され、変幻自在な棒さばきにドイツ響が見事に反応する様子は魔術のようです。音量の強弱、大小のコントラストの強さは、凄絶を極めます。英語、日本語、ドイツ語のライナーノート付。

SSS-0078
マーラー:交響曲第5番 ジョルジュ・プレートル(指)ウィーンSO

録音:1991年5月19日コンツェルトハウス・ウィーン(デジタル・ライヴ)
見事にメリハリが利き、色彩的で迫力満点!年齢を感じさせず、作品を生き生きと再生させる恐るべき手腕はマーラーでも全く揺るぎなし!この演奏を感動的なものにしている最大の要因は、なんと言っても歌のセンス!殊更にマーラー特有の毒気を強調せずとも、余る表現意欲がふんだんに盛り込まれた濃密なフレージングは、終始聴き手の心を捉えて離しません。第2楽章2:45からのフレージングの求心力の物凄いこと!まさに身を焦がしつくした真の歌がここにあります!虚弱のコントラスト、パンチ力など、この楽章をこれほど熱い共感を込めた演奏した例はめったにありません。第3楽章冒頭ホルンのは思い切り空気を吸い込んでフワッと力を抜く呼吸の妙技に唖然。第1トリオの薫り高い弦の囁きもお聴き逃しなく。第4楽章も単に浮くつ示唆に酔わせるだけでなく、呼吸の振幅を聴き手と体感する意思が強力!例えば5:49あたりからの感情の高ぶりと鎮静の交錯はオペラチックとさ言えるほど迫真で、肌にピタッと吸い付くような威力です。終楽章はノン様な演奏だと冗長さが気になるところですが、この演奏ではもちろんそんな不安は全くなし。テンポは標準的ながら音楽が瑞々しい共感と推進力に溢れているので、ワクワク感が途絶えることがないのです。コーダのたたみかけも圧巻!マーラーの交響曲は「第9」以外聴く気がしないという方も、新鮮な感動が蘇ること必至!英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。 【湧々堂】

SSS-0079
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」 ジョルジュ・プレートル(指)ウィーンSO

録音:1991年10月10日ムジーク・フェラインザール(デジタル・ライヴ)
2008年VPOニューイヤーコンサートを見て、プレートルは「枯れずに円熟」することができた極めて稀な巨匠でることをどなたも痛感されたことでしょう。この「悲劇的」も全く年齢を感じさせない表現意欲全開の超名演奏!第1楽章は速めのテンポで突き進みながら「アルマの主題」では持ち前の色気を放ち、場面ごとの表情が実にリアリティに富んでいます。コーダは加速と共に物凄い突進力を見せ、それでいながら音楽が風格豊かにどっしりと安定しているのは流石です。第2楽章はこれまたいきなり猛進!噛み付くような攻撃で開始する演奏も珍しく、しかもフレージングは有機的。ーニ飛んでいます。終楽章のアレグロに入る前の金管の絶叫の凄まじい伸びやかさも必聴!全体のニュアンスがここまで精妙かつダイナミズムに溢れる演奏は、マーラーのスペシャリストとされる指揮者でもかつて実現した例があるでしょうか?このアレグロに入ってからの全声部の隈取の明確さ、そして迫真の推進力には全く演奏の疲れなど感じさせません。いわゆる小器用な演奏とは次元が違い、ただただ一途な共感を持って最初から最後まで全力投球あるのみで、これが舞台上の盛り上がりだけでなく、確実に聴衆に波及させるパワー尋常ではないのです。ウィーン響の響きとアンサンブルも見事で、特にティンパニの強靭な意志を感じさせるうち込みの深さは忘れられません。ちなみにハンマーの打ち込みは通常の2回ですが、それぞれの直後の音の激高ぶりは、ムジークフェラインの許容量ギリギリと思われる特大スケール!それでも音は決して割れずに美しいハーモニーを形成しているというのは驚異です!是非、可能な限りヴォリュームを上げてこの音楽の洪水に浸ってください。80分を超える長時間収録。 【湧々堂】
SSS-0080
マーラー:交響曲第5番 ガリー・ベルティーニ(指)ウィーンSO

録音:1983年4月12日ムジーク・フェラインザール(ステレオ・ライヴ)
ベルティーニは、マーラーの交響曲全曲をケルン、東京、ウィーンで指揮しました。ウィーンでのパートナーは密接な関係を誇ったウィーン交響楽団です。木管のウィーンサウンドが実に魅力的です。
【ライナーノートより】:有名なアダージェットでも表現力は全開だ。ことに6分過ぎからは、あまりにもロマンティックでとろけるような夢幻美が広がる。テンポを自由に伸縮させながら柔らかく弱い音で紡がれる、月夜に映える美しさとでも言おうか。甘美さや陶酔という点では、この楽章の究極の演奏のひとつと言ってよいだろう。特に終わりの3分ほどは恍惚としながらも不安や孤独や寂しさが交叉して曰く言い難い味わいを醸し出して絶品だ。
SSS-0081(2CD)
マーラー:交響曲第9番 ガリー・ベルティーニ(指)ウィーンSO

録音:1985年2月3日ムジーク・フェラインザール(ステレオ・ライヴ)
晩年は、快速テンポを採用することも多かったベルティーニですが、第9番に関しては悠然とした遅いテンポを守りました。当演奏も究極の美演で、耽美的マーラーの最右翼と申せましょう。こういう場合にウィーン響の音色、ムジークフェラインのホールトーンが最適である証拠となっております。
【ライナーノートより】:全曲を通じてもっとも聴きごたえがあるのはフィナーレであろう。たっぷり量感がある、しかし柔らかな弦楽器の響きが楽しめる。会場のムジーク・フェラインザールではさぞや美しく鳴ったに違いないと想像される。絶望や終末感は薄く、表情は意外にも明るい。ベルティーニのマーラー演奏は、多くの場合、他の指揮者たちよりも肯定的な色合いを帯びている。やさしげな慰撫の感じられるこのフィナーレはその典型的な例だ。コーダに至っては甘美な微笑のようですらある。あるいはこの豊麗な演奏は、この曲になじみがない人にとってはもっとも親しみやすいものかもしれない。
SSS-0082-2
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 アルヴィド・ヤンソンス(指)
ベルリンRSO(旧東独)、
ベルリン放送cho、
デルフィナ・アンブロシアク(S)、
ジゼラ・ポール(A)、
ギュンター・ノイマン(T)、
ジョゼフ・グレゴル(Bs)

録音:1973年12月31日ベルリン・フリードリヒシュタットパラスト(ステレオ・ライヴ)
ロシア的なパワー炸裂型とは違い、やや古風な響きを持つオケの特質の作用して、ドイツの伝統に即した正統的な解釈を貫き、精神的な重みを十分に感じさせる高密度な名演奏。響きは凝縮され、そこに宿る魂は限りなく浄化し尽くされており、美しく結晶化した音像を突きつけられると、息子の芸風とのあまりの格の違いを痛感させられます。第1楽章展開部は、コンドラシンを思わせるテクスチュアの透明度が魅力。再現部:からの対旋律が低弦からヴァイオリンへ受け継いでいく過程のなんと高潔なこと!第2楽章もテンポは中庸そのもの。テンポを上げる中間部でも決して浮き足立つことなく内容味満点の響きを醸し出し、前後の曲想の関連を念頭に置いていることを窺わせます。そして白眉の第3楽章!まさに絶世の美しさです。冒頭、木管の動きに優しく挿入される弦の何としなやかなこと!2:37から第2主題を導くコントラバスの意味深さには、是非注意深く耳を傾けていただきたいものです。3:15からのピチカートも同様に格別の味わい。そして警告ラッパ以降の渾身の響きはヤンソンスの芸術性の高さを遺憾なく表した場面。この芸術的な威容は鳥肌ものです!終楽章が祝典的な気分よりも、決して騒ぎたてずに神への感謝の念を一身に歌い上げて心に染みます。歌手陣も皆立派で、特に、遅めのテンポに完全に呼吸と拍節を併せたテノールのセンスは見事。ロシア人が指揮するベートーヴェンは、あくまでも「ロシア風ベートーヴェン」で押し通すか、自身とのイディオムの違いに迷い続けて焦点が定まらないまま終わってしまうことが少なくありませんが、ヤンソンスは、ベートーヴェンをベートーヴェンとして真摯に再現し、しかもその演奏に説得力を持たせることができた稀有な存在だったのです。【湧々堂】
SSS-0083-2
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 クルト・ザンデルリング(指)ベルリンSO、ベルリン放送cho、ベルリン国立歌劇場cho、ベルリン・コミッシェ・オパーcho、エヴァ・マリア・ブンドシュー(S)、ウタ・プリエフ(Ms)、ペーター・シュライアー(T)、テオ・アダム(Bs)

録音:1987年10月23日ベルリン・ドイツ民主共和国会館(ステレオ・ライヴ)
巨匠ザンデルリンクの第9ライヴ。ベルリン市制750周年を記念した祝賀演奏会。東ドイツ(DDR=ドイツ民主共和国)では最大の音楽イベントと申せましょう。独唱歌手も東独系の超大物が用意されました。手兵ベルリン交響楽団を存分に駆使し、強靭な造型を堅持しつつ、ザンデルリンクとしては、かなり音量、テンポの変化を与えたドラマティックな演奏です。フィルハーモニア管とのベタッとしたはっきりしない演奏とは正反対の緊張感に満ちた、そして気迫の籠もった怖ろしいまでの威容を誇る超名演です。ザンデルリンク先生がお孫さん達へのクリスマス・プレゼントにしたいと仰ったために緊急リリースとなりました。

SSS-0084(2CD)
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」 ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)ウィーンRSO(旧オーストリアRSO)

録音:1982年1月14日ウィーン・ムジークフェラインザール(ステレオ・ライヴ)
■WEITBLICKより
このリリースには非常な困難を擁しました。オーケストラが名称もウィーン放送響と変更になった上に、ド・ビリー体制であることを前面に出したい(!)という意向があり過去の録音のリリースに否定的であったことです。しかしこれだけの演奏を埋もれたままにしておくことは偲びなく、マタチッチ財団とともに説得し、最終的に応じてくれました。一言で言って最重量級の演奏であり、標題音楽であることを全面に出した情感豊かな演奏です。
演奏時間=[17’20”][13’30”][10’47”][13’22”][14’26”][14’55”]
■宇野功芳氏のライナーノートより
「期待にたがわぬ傑作である。過去最高の名盤はスメターチェク/チェコ・フィルの80年盤であるが、演奏は同格、録音は断然今回のマタチッチ盤の方が鮮明だ。
第一曲「高い城」(Vysehrad)の冒頭、ハープが弾く“高い城”の動機の雄弁なこと!これだけで聴き手の心はわしづかみにされる。曲が進むにつれ、マタチッチが創り出すひびきの重量感、ものものしさ、スケールの大きさに圧倒される。ヴァイオリンはむせるように歌うが、つねに深い苦味を湛えているのである。
第二曲「モルダウ」。なんとなく不器用な出がいかにもマタチッチらしく、まさに人間が演奏している音楽だ(今は機械が演奏しているようなものが多いので)。なつかしいモルダウ川の主題があくまでゆったりとしたテンポで悠然と流れてゆく。もちろんスケールは相変わらず大きい。朗々たる狩のホルン、そして農民たちの踊りのなんという遅いテンポ!このテンポでは踊れない。あくまでコンサート用の演奏なのだ。月の光からテーマ再現にかけてもスロー・テンポは微動だにしない。急流は力まず、高い城のテーマが登場するともう一段テンポを落とす巨匠の芸。
第四曲「ボヘミアの森と草原より」(Z ceskych luhu a haju)も他の指揮者のCDに比べると深いひびきや堂々たる佇いがまるで違う。それに何という巨大さであろう。マタチッチの人間の大きさ、芸術家としての巨きさが終始ものを言っている。そのためか、終了後に拍手が出てしまう。それとも、ここで休憩を取ったのだろうか。ぼくにはそうは思えない。全六曲は連続演奏すべきだし、拍手のおずおずとした出方が感動を示さずにはいられない聴衆の気持ちのように感じられるのである。」

SSS-0085(2CD)
ブラームス:交響曲第4番、ピアノ協奏曲第2番 オイゲン・ヨッフム(指)
シュターツカペレ・ドレスデン、
ミシェル・ベロフ(P)

録音:1979年5月25日クルトウア・パラスト、ドレスデン(ステレオ・ライヴ)
ヨッフムとシュターツカペレ・ドレスデンとの共演はブルックナー:交響曲全集を除いては意外と少なく、その意味でもこのライヴは貴重ですが、この2曲の演奏は全体にただならぬ濃密な空気が全体を支配しており、不思議な感動に誘ってくれます。
まず交響曲。第1楽章冒頭から異様なすすり泣き!あえてテンポ感と拍節感を度外視したようなその滑り出しは、単なる悲しみを超えて異次元的な美しさに満ち、ようやくテンポがバシッと決まるのは開始から57秒ほどたってから。このロマンと憧れにあふれる表情は、近年の古楽奏法寄りのアプローチでは表出し得ないととどなたも痛感されることでしょう。第2主題以降の内容の濃さもたまらない魅力。特に付点リズムが響きの重厚さを保ったまま根底から躍動する様は、心にずっしりと伝わります。もともとヨッフムは音楽の自然な流れを重視するタイプですが、ここでもこの作品の重厚で渋い魅力を十分に湛えながら、音楽が決して鈍重になることがありません。コーダではわずかにアッチェレランドを掛けながら、熱い芯を感じさせる高潮を築く手腕もさすがです。第2楽章は、開始のホルンをはじめとして茫洋とした響きで始まることが多いですが、ここでの響きは意外にもアーティキュレーションも和声の隈取も明確で、そこにヨッフムの意志の力が漲っています。クラリネットが奏する第1主題を支えるピチカートの格調高い響きにもご注目。そして2:54からの弦の主要主題のなんと美しいこと!外面的効果を一切排した無垢なニュアンスは、まさにいぶし銀と謳われたこの名門オケ伝統の響きが決して失せていないことをも物語っています。しかも音が瑞々しいこと!絶妙な金管のクレッシェンド(8:14〜)を経て奏される分厚い弦による第2主題は、ごりごりとうごめく低弦が物を言って格別の深みを現出!!第3楽章は、リズムをキリッとさせると楽しげな舞曲風になってしまう演奏が多い中、老境に達してもリズムが老朽化せず、ブラームスの音楽の奥深さを痛感させる響きを醸し出しているのがまさにヨッフムの面目躍如。終楽章は熟練技の極み。シャコンヌ主題の楽器間の移行を強調するあまり説明調になってしまう演奏もありますが、ここではニュアンスの輪郭を克明に表出しながら終始音楽が音楽として息づき、高い求心力を誇っています。0:59からの木管の渾身の強奏、金管の一瞬の咆哮がディミニュエンドして次の変奏に向かう際の呼吸の間合いの良さは、まさに究極の芸術品!中盤移行の推進力には手に汗握りますが、決して荒々しい雄叫びは発せずに音楽の核心を内面から抉り出すパワーに圧倒されます。久々にブラームスの、そしてこの第4番という交響曲の本質をとことん堪能させてくれる演奏に出会えました。
一方のピアノ協奏曲も聴き逃せません!第1楽章開始のホルンの深いニュアンスにしっとりと溶け込むベロフのタッチと思慮深さを感じさせるニュアンスにまず脱帽。曲が進むにつれてベロフの硬質でキラキラ煌めくタッチと、渋いオケの響きを最大活用するヨッフムとはちょっと異質なのではという不安は、すぐにスリリングな面白みに変わります。お互いに全幅の信頼を寄せ合いながらも、ベロフが闘志を剥き出しにするとヨッフムが手綱を締める、その協調ぶりが決して主従関係を反映したような窮屈なものではなく、結果的に音楽が豊穣なものとなって迫るのがなんとも不思議。それにしてもここでのベロフの打鍵の強靭さは尋常ではありません。これだけ鍵盤をぶっ叩けば、単にメカニックで面白みのない演奏に傾向きそうなものですが、それが全くないというのもこれまた不思議。ベロフの中にこの作品を通じて主張したいことが確固として存在する証でしょう。第3楽章でも音楽が安らぐことことはなく、ベロフの意慾満々ぶりは衰えを知りません。そのせいか、4:56では一瞬オケと合わないハプニングがありますが、無事に通過。聴き物は6:23以降で、ヨッフムが敷き詰める深々としたニュアンスに夜露に煌くようなベロフのタッチが美しく反映して、陶酔的な美しさを醸し出しています。チェロのソロの巧さも格別。音楽を前へ前へと進ませる意欲は終楽章で完全に結実。しかもヨッフムが持ち前の瑞々しい感性をついに全面開放し、ベロフを上回るほど前のめりになっている瞬間さえあります。コーダはいっそう音楽が白熱し、ピアノとオケが完全に結晶化。「よい音楽を聴いた」と心から思える素晴らしい演奏です。録音も良好。日本語ライナーノート付。  【湧々堂】
SSS-0087-2
ハイドン:交響曲第94番「驚愕」、
ブラームス
:交響曲第3番
クルト・ザンデルリンク(指)ウィーンSO

録音:1998年12月17日、1997年10月4日 ウィーン・コンツェルトハウス大ホール(共にデジタル・ライヴ)
巨匠お得意のブラ3では普段の渋みにウィーン響の華やかさが加味され絶妙。カプリングの「驚愕」はあるようでなかったディスク初登場レパートリーです。ハイドンを面白く聴かせる第一人者の巨匠ゆえに、堅苦しさや優等生的な融通の利かなさはまるでなく、愉悦と大胆な遊び心に満ちた快演。やはり第2楽章の豪快な「バシンっ」には痺れます。
SSS-0088-2
チャイコフスキー:交響曲第4番、
ムソルグスキー
(ショスタコーヴィチ版):「ホヴァンシチナ」前奏曲
クルト・ザンデルリンク(指)ウィーンSO

録音:1998年12月17日、1997年10月4日 ウィーン・コンツェルトハウス大ホール(共にデジタル・ライヴ)
ザンデルリンクはチャイ4も十八番で、活動最後期まで手放さなかった愛想曲。華麗で荘重。ベルリン響とのスタジオ録音から20年を経た気品あふれる名演。スケールは極大ですが、そこはかとない寂寥感が如何にもザンデルリンクらしいところです。音色のブレンドに凄腕を持つ巨匠に対し、オーケストラの機能美にも打たれます。「ホヴァンシチナ」序曲も初出演目。しみじみとした憂愁、鄙びたビターな味わいには感服です。

SSS-0089
ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版) オイゲン・ヨッフム(指)ミュンヘンPO

録音:1979年11月8日ヘルクレスザール・ミュンヘン,ステレオ・ライヴ
細部を緻密に積み上げると言うより、全体のおおらかなニュアンスを大切にしたアプローチが美しく結実した名演奏!第1楽章で第2主題が現れるまでの自然で伸びやかなフレージングには淀みや音色のくすみがなく晴朗そのもの。リズムにも張りがあり、決して枯れていません。展開部冒頭のチェロの鬱蒼とした響きも、深みを湛えつつ沈鬱にはならずセンス満点。終結部は実に感動的で、遠近感を確保したホルンの響きと弦のトレモロとのコントラスト、大仰な見得を切らずにストレートに高揚しながら天高く舞い上がる清々しさは、この楽章独特の持ち味を心得た巨匠ならではの技でしょう。第2楽章に第1主題は、望洋のチューバが奏する箇所のあまりの呼吸の深さに驚ろかされ、弦のテーマが登場するとそれが惜しげもない愛情の発露に変化。ただでさえ美しいメロディーがこれほど切々と慈しぬいた例は他に思い当たらず、特に3:46からの弦の高音トレモロがせせらぎのように囁くのは、まさに心のときめきの結晶と言えましょう。第3楽章もリズムが一切もたつかず、しかもアゴーギクのツボが完全に染み付いているのでメカニックに響くことなど皆無で、素朴で人間臭いが躍動が自然に立ち上がります。特にフレーズの繋ぎ目で微妙にリタルダンドすることで生まれる味わい、綺麗な3拍子を振るだけでは決して表出されず、中間部の5:58からの弦のフレーズとホルンの掛け合いは、信じ難いほど絶妙!終楽章は感動の極み!特に「ブルックナーらしい響き」にこだわる方は尚のこと必聴!冒頭のリズム自体に主張が明確に宿り、聴き手の意識を一気に惹きつけます。ここでも響きを厳しく制御しているという痕跡を感じさせない至芸に脱帽するばかり。すべての楽想が意味深く表出されながら押し付けがましくなく、自然に発生的に沸き立たせるのはヨッフムの音楽作りの特徴の一つですが、その資質が作品の持ち味の中で最大限に生かされることによって、この楽章がこれほど内容の濃い音楽だったかと気付かされ方も多いことでしょう。3,4楽章はオマケのように言われることもありますが、もちろんこの演奏には当てはまらず、コーダの圧倒的な風格美を目の当たりにすると、構造的な第5番や第8番と異なり、この曲に限っては年輪を重ねなければ絶対に表現しきれない要素があると痛感ぜずにはいられません。【湧々堂】

SSS-0090-2(2CD)
スヴェトラーノフ・ワーグナー・アーベント1988
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」〜第1幕/第3幕前奏曲、
「ローエングリン」〜第1幕/第3幕前奏曲、
「タンホイザー」序曲、
「トリスタンとイゾルデ」〜前奏曲と愛の死、
「ジークフリート」〜森の囁き、ジークフリート牧歌、
「ワルキューレ」〜ワルキューレの騎行
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)ミュンヘンPO

録音:1988年12月ガスタイク・フィルハーモニー(デジタル・ライヴ)
旧ソ連の巨匠指揮者エフゲニ・スヴェトラーノフが、チェリビダッケが完全統治をなしたミュンヘン・フィルに客演したワーグナー・アーベント(恐らくこれが唯一の共演と思われます)・ライヴ。ゆっくり、たっぷりとしたテンポが採用され、ソビエト国立響との演奏で聴かれたバリバリ、ガリガリの雄叫びは陰を潜め、しっとりとした落ち着きと極大な包容力を誇る魅力たっぷりの名演集です。1988年というとチェリビダッケが鍛えに鍛えた全盛期のミュンヘン・フィルです。シルキーで透明な弦楽合奏の美音、マッシヴな金管の咆哮、アンサンブルの精緻は滅多に耳にすることのできない逸品と申せましょう。「ミュンヘン・フィルを隅々まで知る男」許光俊氏、「スヴェトラーノフを味わいつくした男」はやしひろし氏による微細に渡る分析と、丁寧な紹介が嬉しいライナーノートも魅力。

◆はやしひろし氏のライナーノートより
では、この演奏、客演機会が少ない場合のご多分にもれず平凡なものか? それも否である。 この演奏、オケが実に活き活きとしてよく鳴っているのだ。 弦が表情タップリに深々と大きめの呼吸の元で奏でられ、木管がリズミカルに跳ね、金管がスパーンと強く奏される。 この開放的な鳴りの良さはとても魅力的である。
スヴェトラーノフが客演すると共通して「オケの音とスケールが普段より大きくなった」とよく言われる。 N響への客演で実際にそう感じられた方も多いだろう。これは、彼が左手を振り上げそう要求していることもあるが、彼を前にすると、楽団員が無意識のうちに、自身を開放させ、呼吸が大きくなり、結果、強く大きな音が出るようになるらしい。 <中略>スヴェトラーノフとチェリビダッケ支配下のミュンヘン・フィル、そしてワーグナー。いずれの組み合わせも、固定観念では発想しがたく、実現した経緯も半分イベント的な意図だったかもしれない。しかし、その結果、高い次元でスタンダードさと開放的な力強さのバランスが取れた名演が生まれた。 最もドイツ的なオケによる力の漲った鳴りっぷりのいいワーグナーの名演、と言ってもいいかもしれない。 それは、逆にこのコンビだったからこそ誕生し得たものであり、いつもとは異なり、自国の音楽をストレスフリーで楽しんでいる楽員の活き活きとした表情が見えるかのようなワーグナーなのである。

SSS-0091
ベートーヴェン:交響曲第2番
交響曲第5番「運命」
クルト・ザンデルリンク(指)ベルリンSO

録音:1973年7月28日メトロポールシアター・ベルリン、1984年10月1日シャウシュピールハウス・ベルリン(共にステレオ・ライヴ)
第2番は愛奏曲で活動最後期まで演奏を繰り返しました。この時代から大巨匠の風格十分のゆったりした悠久の名演。第5番「運命」は、途中からレパートリーから外してしまった曲目です。こちらは、シャウシュピールハウス、ベルリン(現コンツェルトハウス、ベルリン)の.落とし公演で、旧東ベルリン芸術週間の枠組みの記念コンサートです。かつてCAPRICCIOから出たことがありますが入手困難になっておりました。今回はDRA提供のマスター・テープよりの復刻で既出盤よりも残響が抑え目になっており、細かい所の混濁が避けられています。力強い横綱相撲とでも例えたい極めつけの名演。
ザンデルリンクという指揮者は、この年代のドイツ系指揮者にしては珍しいほどアーティキュレーションや音価の制御を徹底していたことを新ためて思い知らされる演奏で、予備知識無しに聴いたらドラティの指揮?と思えるほど、音の線と意思が明確。音像も決して中低域のみに偏っておらず、意外なほど見通しが効いているのも特徴的。第2番の序奏部から、これらの特徴が顕著に現れ、第2楽章など、音楽の重心は低く保たれているのもかかわらず、ハーモニーが常に晴れやか。終楽章も実に内容味満点ながら、流れに淀みがなく健康的。コーダの熱狂も相当なもの。「運命」はいかにもドイツ本流のスタイルに従った演奏ですが、こちらも流れが必要以上に重くならず、一定の推進力を確保しながら声部のバランスを精妙に取っていることが分かります。第1楽章の最初の数秒を聴いただけでは、一昔前のただ古臭い演奏に聞こえるかもしれませんが、聴き進むうちに、昨今の誰が聞いても分かるような感覚的な刺激など入り込みむ地のない、真剣な作品への没入が張り巡らせされていることに気づかれるでしょう。オーボエ・カデンツァの思い切った引き伸ばしには驚きますが。第2交響曲同様、この第2楽章でも響きが決して曇らず、まさにザンデルリンクの特質。終楽章は嗚呼、ベートーヴェン!」と叫びたい雄渾の響きとスケール感!ただ、ここでもフレージングの伸びやかさに象徴されるように、教条的な威厳を示すのとは異なり、世界を包みこむような大きさを感じざるを得ません。一音足りともこころのこもっていない音などありません! 【湧々堂】

SSS-0092
ブラームス:交響曲第1番 ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1991年6月7日クルトゥア・パラスト・ドレスデン(ステレオ・ライヴ)
我が国でも実演を何度と無く繰り返している十八番レパートリーですが、何とCDは初登場のレパートリーとなります。シュターツカペレ・ドレスデンのブラ1というのも、意外と少なくザンデルリングだけではないでしょうか。演奏は誠実そのもののブロムシュテット流。はったりこけおどし一切無しでここまで説得力がある名演はそうそうありません。ブロムシュテットも「いずれも現在の私の解釈とは全く異なるものの、ドレスデンとの美しい想い出の記録」とリリースを許されました。さらに嬉しいことに本人のライナーノートつき。
SSS-0093
ベルリオーズ:幻想交響曲 ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1978年5月25日クルトゥア・パラスト・ドレスデン(ステレオ・ライヴ)
ブロムシュテットにとってもシュターツカペレ・ドレスデンにとっても音盤初レパートリー。ブロムシュテットは「第5楽章の鐘がちょっときつ過ぎる様な気がする」と録音状態とホールトーンを指摘しましたが、マスタリングによりこの辺りは改善。ブロムシュテットも「いずれも現在の私の解釈とは全く異なるものの、ドレスデンとの美しい想い出の記録」とリリースを許可しました。嬉しいことに、ブロムシュテット本人のライナーノートつき。
ギトギトに肥大化したベルリオーズとは無縁で、丁寧に音楽を紡ぎ上げるブロムシュテットの特徴と、当時のこの名門オケの目の詰んだ響きがマッチして、独特の味わいを残します。第1楽章の後半でも決して脳天気に騒がず、凝縮力の高い響きを確保。第2楽章では、シュターツカペレ・ドレスデンならではの端麗な響きの魅力を堪能。第3楽章は、オーボエの響きが天上の響のように降り注ぎ雰囲気満点。室内楽的な透明度を保ちながら推進力を獲得した第4楽章も、ブロムシュテット&ドレスデンのコンビネーションの妙が生かされています。終楽章において、これほど毒気を強調しない演奏も珍しいでしょう。テンポの緩急の落差がエキセントリックになることを避けつつ、ただただスコアを丁寧に再現することだけに専心することで、作品の構成が克明に浮き上がります。ヴァイオリンは両翼配置。【湧々堂】

SSS-0095
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 ジョルジュ・プレートル(指)ウィーンSO、
ウィーン楽友協会cho、
キム・ベグリー(T)、ロベルト・ホル(Br)、
クラシミラ・ストヤノヴァ(S)、
キャサリン・ゲルドナー(Ms)

録音:2006年5月30日ムジークフェラインザール・ウィーン(デジタル・ライヴ)
ウィーンフィル、ニューイヤーコンサート出演を皮切りに、WEITBLICKからはマーラー第5、第6の凄演が登場し、一躍注目を集める存在となった最後の巨匠プレートル。最新盤は、何とベートーヴェンの「第9」。お相手はもちろんウィーン交響楽団!2006年ウィーン芸術週間のハイライトとも言える名演です。巨匠も盛り上がって怒鳴る、唸る、足踏みするわで、大変なノリの良さです。第1楽章、第2楽章の恐ろしい緊張感、第3楽章におけるしみじみとした、そして美しい音色が嬉しく、第4楽章は一撃突進の大迫力。巨匠プレートルの情熱のバトンが閃き、演奏会初日故の高揚が止まりません。まさに感性の芸術家プレートルの真骨頂です。来年早々には、何と「ブル8」が予定されております。

SSS-0096
ブルックナー:交響曲第8番(ノヴァーク版) ジョルジュ・プレートル(指)ウィーンSO

録音:2008年2月20,21日ムジークフェラインザール・ウィーン(デジタル・ライヴ)
枯れずに完熟を極めるプレートルの芸術が、あの感動的なマーラーのみならずブルックナーでも横溢!ムジークフェラインの響きもプレートルの純粋な音楽作りに全面的にプラスの効果をもたらしています。ことにブルックナーとなると神格視する向きもありますが、プレートルは、プーランクであろうとドイツの重厚な交響曲だろうと、臨むスタンスは同じなのでしょう。ことさらに構えるのではなくただただ愛情一筋。その愛を注入せずにはいられないその衝動そのものが、音楽に瑞々しい説得力を与える原動力になっているのではないでしょうか。プレートルのマーラーはバーンスタインのように情念剥き出しタイプではないですし、このブルックナーは朝比奈のような愚直なまでの頑丈さもありません。それでも聴後にずっしりと手応えを感じさせるのは、決して上から見下ろして作品を料理するのではない、渾身の一体感の為せる技であると痛感することしきりです。
第1楽章は、速いテンポで爽やかに開始するのがいかにもプレートル流ですが、決して軽い音楽に堕していない点が流石。フレーズは常に生命の躍動躍動そのものと化して脈打ち続け、一切淀むことがありません。第2楽章は誰よりも垢抜けた見通しの効いたハーモニーに溢れ、一般的ななイメージの無骨さとは無縁。それでも曲の持ち味とブルックナーならではの息の長いフレージングの有機性が維持されているのは、リハーサルにおいては相当綿密な指示を与えていることが窺われます。第3楽章のニュアンスの陰影も、旧来のドイツの指揮者のそれとは大きき異なりますが、ブルックナーの音楽特有の敬虔さが十二分に滲み出た感動的な演奏。第2主題第1句(5:19〜)のチェロが、しなやかな流線を描きつつも平板に滑ることなく丹念に置かれていく、その呼吸のなんという迫真性!終楽章は冒頭で鋭利にエッジを立ててガッガッと畳み掛けるのが意外ですが、続くティンパニの連打が前のめり気味に襲い掛かるのがこれまた強烈なインパクト。それでももちろん音楽が汚れることはありません。第3主題直前の弦の奔流の生々しさも、音楽を停滞させかねない鈍重さとは一線を画します。終結部は主旋律とそれを取り巻く対旋律群の明瞭なコントラストの熾烈さが感動に一層拍車をかけ、彼岸へ達する直前の音楽ではなく、これから新たな一歩を踏み出す希望の光と活力を満々と湛えているのです。そして締めくくりは大聴く音を引き伸ばして一気に終息させる鮮やかさ!この演奏は、ブルックナーの音楽を勇気を持って埃まみれのお堂から白日にもとに担ぎ出した快挙と呼びたいくらいです。【湧々堂】
SSS-0097
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 アリシア・デ・ラローチャ(P)、オイゲン・ヨッフム(指)ベルリン・ドイツSO(西ベルリン放送響)

録音:1981年6月7,8日 フィルハーモニー・ベルリン(ステレオ・ライヴ)
例えば第1楽章の主題が長調から短調へと転じる一瞬、ラローチャの指先からは繊細の極みの弱音が生まれ、とてつもない寂寥感を漂わせるが、再び長調となれば、温かな母性が最大の慰めで淋しさを包み込む。対するヨッフムもラローチャの表現の万華鏡を心からめでつつ、的確な棒さばきで室内楽的な対話を繰り広げる。 (池田卓夫氏のライナー・ノートより)
巨匠オイゲン・ヨッフム+ベルリン・ドイツ響のブラームス・プロ第1弾発売です。ソリストには全盛期のラローチャを迎えて南欧風のリラックスと濃厚なロマンを謳い上げます。楽曲初演から100年を記念してラローチャは、この年の5月には、日本で朝比奈隆指揮大阪フィル、山田一雄指揮日本フィルともこの曲を披露しています。デッカ、RCAにも録音がなく、「ラローチャのドイツ物」の実力を知る好企画です。後半プロは第1交響曲で、これも発売が決定しております。

SSS-0098
ヨッフム&ベルリン・ドイツ響/1981ブラームス・プログラムVol.2
ブラームス:交響曲第1番
オイゲン・ヨッフム(指)
ベルリン・ドイツSO(西ベルリン放送響)

録音:1981年6月7,8日 フィルハーモニー・ベルリン・ライヴ、ステレオ・ライヴ
第1楽章冒頭から、壮大なスケール感と低速テンポによる入念な精神昇華力で、聴き手のハートをたちまち虜にする真の巨匠芸!ティンパニの打ち込みも恣意的な強打ではなく、魂の鼓動そのものの磐石の手応え。その遅いテンポには常に意味があり、リズムは老朽化の影もなく瑞々しく沸き立つのもヨッフムならではの至芸。展開部の最後や再現部の後半(12:34〜)の盛り上がりでの、金管の強烈な強奏も辞さない壮絶な緊張感は圧巻。第2楽章の呼吸の深さも驚異的!その音の情報量の多さにはむせ返るほどで、その弱音を決して多用しない広大な空間表出力に、ドイツ精神の意地を痛感せずにはいられません。終楽章の第1主題の何の衒いもない素直なフレージングも、共感一筋で歌いぬき、その一途さに心打たれます。11:45の大噴射は、まるでクナッパーツブッシュのような粉砕力!そして締めくくり最後の一音の灼熱の放射!まさに宇宙に届けとばかりの全身からの叫びを浴びせられると、現実社会でのちまちました出来事などどうでもよくなります。  【湧々堂】

SSS-0099
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、
「プロメテウスの創造物」序曲
ホルスト・シュタイン(指)
ベルリン・ドイツSO

録音:2000年4月24日ベルリン・コンツェルトハウス(シャウシュピールハウス) (デジタルライヴ) 
日本でもお馴染みのシュタインのまさに最晩年の名演!N響との共演でも聴かせてくれた、正統的な純ドイツ流儀と一切の遊びを許さない職人芸はここでも健在。といってもベームのような厳格さとは性格が異なり、「黙って俺につい来い!」的な親分的な牽引力がシュタインの音楽のベースになっており、その彼の波長とオケのテンションがした時の演奏の凄さは、誰もが認めるところでしょう。そのシュタイン独特の凄みに加え、ここではかつての多くの巨匠たち同様の、完全に雑念から脱しきった、音楽の真のエキスのみで構築された音楽が圧倒的な存在感で迫り続けるのですから、その感動たるや言葉になりません!
まず大物「英雄」の前にお聴きいただきたいのが、「プロメテウスの創造物」序曲。5分半を要する悠然たるテンポ。そのなんと意味深いことか!特に近年では切れ味とスピード感を競い合っているような作品ですが、その印象と落差からではなく、このテンポでなければ言い尽くせない思いとイマジネーションの豊かさにただただ降伏。序奏部における得も言われぬ幽玄の世界!主部に入る前のこの短いシーンでかつてこれほど心を吸い寄せられた経験はありません。主部に入ってもわずかにテンポを上げる程度で、決して先を急がずリズムを頑丈に刻む揺るぎない意思。思わず膝をたたく方も多いことでしょう。そのリズムは決して老朽化しておらず、シュタインならでは活力が息づいているのも嬉しい限りです。そしてコーダ最後の3つの和音の恐るべき含蓄!固いティンパニでスカッとキメる演奏では味わい得ない手応えを十分に感じていただきたいものです。
その感動を胸に聴く「英雄」は、もちろん感動の宝庫。ある意味、朝比奈隆以上に何の操作もしない演奏ですが、この破格の説得力は、この年齢にして到達し得たた悟りがあればこそ獲得できたものと言えましょう。徹底的に弦楽器主体とした声部バランスも近年では貴重ですが、ここぞという場面(第1楽章再現部後半など)での金管の強奏は強烈なインパクトをもたらします。
悠然たるテンポで開始される第1楽章は、その威厳を誇示しない自然な佇まいがいかにもシュタイン。提示部リピートを敢行していますが、その移行時の木管の柔らかなニュアンスは聴きもの。それにしても、このただただ音楽そのものだけが湧き上がる感興の豊かさはどうお伝えすればいいでしょう。再現部後半17:45以降の渾身かつ熟成しきった力感の飛翔に至っては、これに心動かされない人はベートーヴェンとは無縁!とさえ言いたいほど、シュタインのベートーヴェンへの畏敬の念が極限まで結晶化されているのです。
第2楽章は、冒頭、コントラバスとの抉りと間合いのタイミングが信じ難い絶妙さ!単に物悲しいといった次元ではなく、響きの厚みを保ちながら、有機的なフレージングを延々と続けつ精神力にはまったら最後、なかな抜け出せません。長調に転じる5:42以降のおおらかで温かなニュアンス、造型の大きさ…、とにかく無意味に響いているなどどこにもなく、オケとの波長が完全に一致したときだけに可能な奇跡的なニュアンスの連続としか言いようがありません。
第3楽章はひときわテンポの遅さが際立ちますが、リズムには毅然とした芯が宿っているので、音楽が決してくすむことがないのです。そのテンポから醸し出されるニュアンスが他の楽章と美しく調和していることにも気づかされます。
終楽章も文字通り巨匠ならではの名演奏。他の楽章にも言えることですが、例えばもう少しティンパニをガツンと鳴らしてくれたら、感覚的な達成感のようなものを味わえたかもしれません。しかし過去のN響のどの演奏を聴いても明らかなとおり、特定の楽器を突出させて刺激的な音を出すことなど皆無に等しく、あくまでも全体を一丸にまとめて豊かな響きを発することを信条としていたのではないでしょうか?それにそのティンパニは単にやる気のない弱さではなく、調和をを保って確実に音楽的に鳴りきっている点が凄いのです!ただ、そのような音楽つくりは録音条件やホールの状態によっては散漫な響きに終始し、聴き手に音楽が伝わらないことにもなりまねません。その点、このディスクの録音は味付けのない、ホールで鳴った音そのものが捉えられている上に、オケの共感も並々ならぬものがあるため、シュタインの意思と音楽性が最良の形で迫ってくるのではないでしょうか。その全体融合の凄みを最も感じさせるのがこの終楽章。
なお余談ながら、レコード芸術2月号の月評は、これとは完全に正反対の内容でした。それだけに、この「誇張のない凄み」をご自身の耳でフルボリュームで堪能されることを強くお勧めする次第です。   【湧々堂】

SSS-0100(2CD)
マーラー:交響曲第9番 アンタル・ドラティ(指)
ベルリン・ドイツSO(旧西ベルリン放送響)

録音:1984年5月30日ベルリン・フィルハーモニーに於けるライヴ
「ドラティとマーラー」というとあまり馴染みがないようにも思われますが、最後の来日では読売日響と「巨人」を演奏、他にプライヴェート盤でも第5番があったとされています。この「マラ9」は剛直そのものの演奏で、歌いに歌って嘆き節に陥る部分などまるでありません。リズム重視の規律正しい側面はショルティに共通するところもあります。それでいて、演奏タイミングを見ればお分かりの通りかなり遅めのテンポが採用されております。これはフレージングを恣意的に伸ばしたり縮めたりして効果を揚げるのではなく、むしろ遅めのインテンポを基調とした直球勝負の結果と言えます。第2楽章、第3楽章など、手綱を厳しく締めているからこそ狂気の踊りが浮かび上がってきます。この当時ベルリンフィルが流麗、繊細に傾斜していったのと対照的に、ベルリン・ドイツ響は辛そうなトランペットの音色をはじめとして、深刻な感情が折り重なるような弦楽合奏の厚み(もちろん第4楽章が聴き物です)といい、正にドイツの(しかも北部の)オケらしい非楽天的で強靭なサウンドを聴かせてくれます。アンサンブルに死角がないのは、ラインスドルフのトレーニングの置き土産であることは申すまでもありません。
※演奏タイミング:[28:20][16:37][14:15][26:00]


SSS-0101
モーツァルト:交響曲第39番
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
クルト・ザンデルリンク(指)
ベルリン・ドイツSO

録音:1991年12月2日シャウシュピールハウス、ベルリン(現コンツェルトハウス),ライヴ
モーツァルトの第39番はザンデルリンクの初出レパートリー。第1楽章序奏での木管のハーモニーの際立たせ方のなんと艶やかなこと!まさに愛の塊です。主部は低中域をガッチリと確保しながら生命感溢れるリズムを躍動させ、瑞々しい音楽を展開。第2楽章も、過度にメランコリックにならず、モーツァルトらしいカラッとした明るさを絶やさしませんが、それとコントラストを成すような中間部のフルートの導入のあまりにも切ない響き、後半5:00から繰り返される木管の下降音型の明瞭な表出に是非ご注目を。第3楽章も木管が弦楽器と同等のバランスで有機的に響き、独特の晴れやかな雰囲気を醸成。特に中間部は太い筆致にもかかわらず音楽が鈍重にならないという絶妙なさじ加減に頭が下がります。終楽章も声部バランスが巧妙を極め、悠然たるテンポで安定感抜群の進行を見せます。ここに至ってザンデルリンクの立体的な構築力が顕著となりますが、ベートーヴェンのような頑丈さとは異なる柔和さを忘れない点が流石です。
「田園」は更に感動的!第1楽章は超スローテンポ。音量を抑えながらノスタルジーを満々と湛えながら歌い抜き、早速涙を誘います。そのニュアンスを最後までインテンポで貫徹させますが、雰囲気に溺れずに凛とした気品と意志を常に携えているので、音楽の造型美が見事に現出。コーダのテンポの減衰の余情もお聴き逃しなく!手作りの柔らかなテクスチュアの中で遊ぶ第2楽章のニュアンスも心に染みます。内声の充実味は比類なく、一見シンプルな楽想がこんなに奥深いニュアンスが隠れていたのかと驚きを禁じえません。しかもそこには説明調の嫌らしさが皆無なので、この作品の素晴らさだけに意識を集中して味わうことができるのです。そして終楽章!大きな包容力を感じさせる名演奏は過去にもいくつかありましたが、これは更にその上を行く、全人類を根底から勇気づけるような度量の大きさ、完全に人生を達観した人間でなければ成し得ない次元の音楽として迫り続けるのです。5:30からの信じ難い無垢な響き!これを感じる力があれば人生何も恐くありません!その後のコーダまでの進行は何もかもが感動的!!【湧々堂】

SSS-0102
ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版) ジョルジュ・プレートル(指)
ベルリン・ドイツSO

録音:2006年5月1日ベルリン・フィルハーモニーに於けるライヴ
“「ブルックナーらしさ」よりも音楽的な感動を優先したい人のための必聴盤!”
なんという伸びやかなブルックナーでしょう!しかもかつて誰も引き出しえなかったこの作品の魅力を「拡大解釈」を用いずに引き出した功績はいくら讃えても足りないほどです。
第1楽章冒頭の弦のトレモロを聴いただけで、名演奏であることを確信させるほど、詩的なニュアンスがふんわり立ち上がります。そのトレモロはかなりの弱音で開始しますが、決して無機質ではなく繊細な心のときめきとして響き、なおかつ通常のブルックナーのイメージを突き抜けた、夢色の色彩が微妙な陰影を伴いながら広がる様にワクワクさせるものが孕んでいるのです。第2主題は全く粘らず、春風のような清々しさを放つのはいかにもプレートル的ですが、感覚的な魅力だけでなく、そうもそうそういう瑞々しい生命の息吹を湛えた音楽であるのだという確信に裏打ちされたニュアンスの求心力の高さに心打たれるのです。第3主題も同様。ある意味でシューリヒト以上にシューリヒト的とも言えましょう。そしてコーダでは物々しい鎧を完全に取り払い、全身で生を謳歌!これは画期的解釈という次元ではなく、自身の感性を信じることがいかに重要で、聴き手を感動に与える必須条件であることを痛感させる必聴シーンです。第2楽章は弦のテーマが伸縮硬軟自在の豊かなフレージングにこれまたノックアウト!しかも全声部が完全に融合しきった窮極の響きが何の力みもなく自然発生的に湧き出るのですからたまりません。羽のように軽妙な第2主題の香しさ!心の底から歌いながらも歌い込み過ぎによる停滞感などあり得ず、有機的な流れを絶やさないまさに熟練技。第3楽章もかつてないほどの健康的な明るめの響き。いわゆる「ブルックナーらしさ」に囚われていては思いも付かないニュアンスの連続です。今までねじ伏せられていた音符たちが一斉に命を吹き返したような活力が「やりすぎ感」や「場違い」のイメージを与えることなく当然のように鳴り渡る、これぞプレートルの芸術の真骨頂でしょう。
終楽章も表面的にはサラッとした感触ですが、内容は濃密。展開部冒頭テーマはなんという堅牢さ!ベルリン・ドイツ響が乾坤一擲、鉄壁のアンサンブルを披露しているのはプレートルへの絶対的な信頼の現れと言えましょう。コーダは第1楽章と同様に一気呵成型ですが、もちろん熱気で興奮を煽るそれとはことなります。「音の凝縮させる」という本当の姿を体現いただけるはずです。演奏後は聴衆もすぐには拍手をせず、一瞬ど惑いのような空白がありますが、聴衆の各々の引き出しにはない想定外の感動にあっけにとられたに違いありません。【湧々堂】
※演奏タイミング:[17:51][21:44][9:19][11:07]

SSS-0103
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 エーリヒ・ラインスドルフ(指)
ベルリン・ドイツSO(旧西ベルリン放送SO)、
聖ヘドヴィヒ教会cho
ルーシー・ピーコック(S),
ジークリンデ・ワグナー(CA),
マンフレッド・ユング(T),
ハラルド・スタム(Bs)、
録音:1978年9月18日BPOハーモニーに於けるライヴ

「私はラインスドルフに尋ねたことがある。ボストンSO常任時代に残したスタジオ録音と同時期に放送された同じ曲目のライヴ演奏の違いがなぜここまであからさまなのかと。彼は雄弁に答えた。演奏家が後世に残る記録としてスタジオ録音する場合に求められることとは「演奏を一回だけ聴く場合には効果的だし輝かしくも聴こえる解釈上の盛上げや強調は、レコードとして繰り返し聴く場合には聴き手を疲れさせる場合もあるのですよ。だからスタジオ録音の時はそういうルバートの量とか、音量の変化、テンポの伸縮なんかを抑えているのです」と、ヘンリー・フォーゲル(元シカゴSO総裁)のライナーノートより。
この回答が表すとおり、巨匠エーリヒ・ラインスドルフ(1912〜1993)は演奏会と録音を別に考えていたことが明らかです。それ故に多くのスタジオ録音が覇気に欠け、真っ当だけれども面白くないという結果になったのでしょう。多くのレパートリーがこうして録音されたために、ラインスドルフの評価は日本では高いとはいえません。おまけに若い頃は凄かったが、年を取ってから駄目になったなど謂れのない誹謗もあります。ここに聴くベルリン・ドイツSO(ベルリン放送SO)との「第9」は、首席指揮者就任早々(就任記念?)の演奏で厳しい練習が想像できる見事なアンサンブル、タイミングが示すとおりの快速でトスカニーニの歴史的解釈を思わせる緊張感溢れる爽快な名演です。ドミンゴ参加というだけで知られるRCAへのスタジオ録音とは別人のような生命力です。変幻自在なテンポも面白く飽きません。こういう演奏を多く遺して欲しかったと心から思います。各楽章開始を告げる指揮棒で指揮台を叩く音はラインスドルフの怖い視線を感じさせます。第4楽章で独唱、合唱がうねりを上げる所はオペラに長じた名指揮者ならではだなあと感慨あらたです。聖ヘドヴィヒ教会choは、ベルリンフィルとの唯一の録音であるシューベルトのミサ曲でも採用されているのでお気に入りだったのでしょう。余談ですが厳しすぎたのか2年しかドイツSO首席を維持できませんでした。オケと何らかのトラブル(喧嘩?)があったと思われます(ドイツSOのプロフィールでもあまりラインスドルフ時代に触れておりません)。ラインスドルフに疑問を持っている方にこそ聴いて頂きたい「第9」です。
※演奏タイミング:[15:37][12:30][14:29][23:37](以上、メーカー・インフォメーション)

音の隈取が極めて克明。ややドラスティックに過ぎることもあるラインスドルフが、その資質を強靭な意思の力に完全に転化し尽くして見事に一枚岩の凄演を築き上げています。第1楽章展開部など、壮絶なティンパニをはじめとしてエネルギーの噴出力が素晴らしく、まさに魂の叫び。こういうラインスドルフの没入ぶりも珍しいですが、それに対するオケの反応も「従属」ではない自発性を持った表現に徹しているので、迫りくる音の訴求力は尋常ではありません。第2楽章冒頭、“ダッダダ・ダッダダ”をここまで芯まで厳しく鳴らしきった例も皆無に近く、その厳格さを終始貫徹。中間部でもにこやかに浮かれるそぶりは微塵も見せず鬼の形相のラインスドルフが目に浮かぶほど。それにしてもなんと何と強固で豊かなハーモニーの連続でしょう!第3楽章も雰囲気に耽溺せず瞑想にふけることもなく明瞭に音のラインを紡ぎ続けますが、音の一つ一つが希望を見据えた渾身の祈り!トランペットの警告シーンの熱さにも御注目。終楽章最大の注目は、独唱陣および合唱の音程の正確さ!特に独唱に関しては指揮者はほとんど「ご自由に」と言わんばかりの演奏が少ないないですが、ここまで制御し尽くすとは流石ラインスドルフ恐るべしです。マーチの部分はかなりテンポで疾走しますが、ユングの独唱がこれまた正確かつ輝かし飛翔。そしてその輝きのまま喚起の合唱へ突入。コーダは白熱を発散することなく、ぱんぱんにエネルギーを溜め込んだまま最後の一音を締めくくるので、これまた比類なき手ごたえ!近年発掘された同曲ライヴとしては、音質の良さも含めてダントツの名演奏です。【湧々堂】
SSS-0104
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 朝比奈隆(指)ベルリン・ドイツSO
(旧西ベルリン放送響)

録音:1989年9月24日ベルリン・フィルハーモニーに於けるステレオ・ライヴ録音(第39回ベルリン芸術週間ライヴ)
「1994年、私が朝比奈隆をシカゴ交響楽団に招くことを決意したとき、当時私はオーケストラの総裁であったが、音楽監督バレンボイムを説得する要があった。彼は朝比奈がどんな指揮をするか全く知らなかったので。私が朝比奈のブルックナー交響曲第8番のレコードをかけると、バレンボイムは即座に承諾した。そして優れて観察力の鋭いコメントをした。朝比奈はフルトヴェングラーのリハーサルに立会い彼と話をしたことがあると私が言うと、バレンボイムは“実のところ、彼の指揮は私に同時期だけれど別のドイツの巨匠−クナッパーツブッシュをより強く思い起こさせる”と答えた。この言葉を私は常に覚えている。このディスクの「英雄」交響曲を聴くとき、この言葉こそまさに的を射たコメントである」〜ヘンリー・フォーゲル(元シカゴ響総裁)のライナーノートより
当演奏は日本でもFMで放送されたものです。そのアプローチは同年の新日本フィルとの名盤となんら変わるところはありませんが、ベルリン・ドイツ響(当時は西ベルリン放送響)のソリスティックな部分の妙技や音色の味わいの濃さには抗し難い魅力があります。朝比奈と同オケとの共演は放送収録を含めて複数回に及びますが、この演奏会が最後の共演となりました。新聞批評は真っ二つに割れたと言われておりますが、鳴りっぷり豊かで構えの大きい演奏は朝比奈ファンなら納得の名演であることは言うまでもありません。スケルツォ冒頭の極端な遅さなど朝比奈が自分の解釈を名門オケで試しているかのようです。この年ベルリン芸術週間は第39回目。7月に亡くなったカラヤンを偲ぶ追悼演奏会も含まれた豪華版でした。2ヵ月後には壁崩壊という劇的な変化の真っ只中のベルリンで、まだまだ元気一杯の巨匠朝比奈が渾身の力を込めて振った「エロイカ」の登場です。朝比奈ヨーロッパ・ライヴ第1弾。
※演奏タイミング:[20:22][18:27][6:52][13:10]
SSS-0106
朝比奈隆/ヨーロッパ録音・第2弾
ハイドン:交響曲第92番「オックスフォード」
 交響曲第99番*
1975年渡独時のインタビュー
朝比奈隆(指)ベルリンRSO

録音:1971年2月8-11日スタジオ録音,1974年2月18,19日スタジオ録音* (全曲ステレオ)
これを聴くと、朝比奈がハイドンを多く遺さなかったことが悔やまれてなりません。特に「オークスフォード」は、日本人指揮者によるハイドン交響曲演奏の中でも屈指の名演と言えましょう。言うまでもなく妙な演出など一切なく、一途にスコアをそのまま音化しているだけですが、オケの自発的な音楽センスと機能美を全面的に信頼した結果、ハイドン独自の愉悦感が安定感をもって表出されます。第1楽章の序奏から主部への入り方の何とさりげいこと!2:51からのフレーズの愛くるしさも聴きもの。展開部の弦の声部の絡みは実に有機的。、第2楽章のほのぼのとした歌心は、朝比奈の人間味がストレートに表れており、決して媚びない微笑が心に染みます。弦と木管のユニゾンのバランスも極めて良好。その管楽器の巧さにも唖然。第3楽章は粘り腰で重心の低い進行ながら、リズム自体にも表情が宿り、微妙なアゴーギクも味。終楽章はこの年代の朝比奈だからこそ可能だったと思われる、肩の力が抜け切ったしなやかな推進力が魅力。4:53からの第2主題の再現で見せる可憐さは絶品!「99番」も同様に小細工を排したストレートさが信条。第2楽章の情に流されない古典的なフォルムの美しさが忘れられません。2曲とも録音が極めて明瞭なのもありがたい限り。流暢なドイツ語で応対するインタビュー付。 【湧々堂】

SSS-0108-2(2CD)
マーラー:交響曲第3番 ニ短調 ジュゼッペ・シノーポリ(指)
シュトゥットガルトRSO
シュトゥットガルト放送女声cho
ケルン放送女声cho
シュトゥットガルト賛美歌児童cho
ワルトラウト・マイヤー(A),

録音:1996年7月2〜5日シュトウットガルト・リーダーハレに於けるライヴ(ステレオ)
*シュトゥットガルト放送提供音源
“マーラーの深層心理に肉薄した同曲最高峰の名演奏!”
シノーポリの音楽作りの魅力が全面に出た感動的な演奏で、オケの技術の高さと言い、音質の良さと言い、間違いなく同曲の最高峰の名演。
第1楽章冒頭から強弱対比が凄まじい説得力で迫りますが、その指示の徹底ぶりとそれを完全履行するオケの意気込みにまず唖然。この先1時間以上もの長丁場をこのテンションのままで乗り切れるのかと心配になるほど。
第1楽章第3主題には、シノーポリの純粋なロマンが濃密に投入され、とかく「頭脳明晰」なイメージの強いシノーポリは、実は心の音楽家であったことを痛切に思い知らされます。録音が極めて優秀な上に一切の綻びを見せずにオケが鳴りきっているので、構築力の堅牢さが印象的ではありますが、楽想転換や一見陽気な行進曲であっても、単純に拍節を刻んでいるだけのシーンなど皆無。常に暗い心情が通底していることでも明らかなように、この演奏の至上命題は、あくまでもマーラーの心情へ肉薄すること。
第2楽章も極めて甘美に歌い上げ、響きも十分に透明度を保っていますが、どこかその美しさに酔い切れない不安が見え隠れし、独特の陰影をもたらします。第4楽章のソロを歌うマイヤーも、陰影の濃いシノーポリのアプローチと完全に歩調が一致しており、張りのある発声法から、真実のニュアンスが溢れる名唱を聴かせます。
終楽章は感動の極み!音楽を産毛の先まで感じ、ここまで身を粉にして歌い抜いた演奏は、なかなか聴けるものではありません。主要主題が2回目に登場する際の、音像の広がりと凝縮の見事な均衡を聴くにつけ、この指揮者の早すぎた死が悔やまれてなりません。
締めくくりのティンパニは2台要求しているにもかかわらず、他に埋没して聞こえないことが多いですが、ここではホーレンシュタインほどの強打ではないものの、見事なバランスでこの長大なコーダを支えている点も流石です。【湧々堂】
SSS-0109(2CD)
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
交響曲第10番〜アダージョ*
ジュゼッペ・シノーポリ(指)
シュトゥットガルRSO

録音:1985 年5 月8 日、1981 年1 月28 日*、シュトゥットガルト・リーダーハレに於けるライヴ(ステレオ)
第10番アダージョは、フィルハーモニア管とのスタジオ録音(1987年)が32分を超える壮大な演奏でしたが、こちらもやはり[29:01]というスローテンポです。何よりもシノーポリのデビュー間もない頃のマーラーが聞けるというのも嬉しいことです。1981年というとまだチェリビダッケが客演を続けていた頃ですから、ひょっとしたらシュトウットガルト放送響の清澄な美音はチェリビダッケの余韻なのかもしれません。第6番「悲劇的」は、スケルツォを第2楽章におき、タイミングは[23:32][13:04][18:07][32:10]となっており、肥大感と若干のダレが感じられたスタジオ録音盤より妥当な解釈と感じられます。フィルハーモニア管とのスタジオ録音がヴァイオリンを両翼に配したものであるのに対し、これらのCDは前作第3番同様一般的配置で、実はシノーポリはライヴではほとんどこの配置で演奏していたのです。

SSS-0111
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲*
 ボレロ#
ジョルジュ・プレートル(指)
ベルリン・ドイツSO、
ベルリン放送cho*

録音:2008年10月27日、2007年3月4日*、2001年10月15日#、フィルハーモニー・ベルリンにおけるライヴ(デジタル)
“常人には真似できない官能美の徹底表出!”
同レーベルのマーラーとともに、プレートルの凄さを実証する一枚。音質も極上。
まず、「展覧会の絵」が、十分なダイナミズムを湛えながら、オーケストレーションの色彩的な魅力と、そこに宿る詩的なニュアンスに徹底的に焦点を当てた稀有な名演!最初の「プレムナード」から見通しの利いたハーモニーが美しく、「グノーム」では、フレーズの語りかけ方からプレートルの温かい人柄が滲みます。「古城」や「ビドロ」では、パステル調の色彩感覚の冴えが如実に現れ、鬱蒼とした暗さとは違う、気品に満ちた音彩に心奪われます。「テュイルリーの庭」は、シルクのようにしなやかな語りと間合いの妙!「バーバ・ヤガー」の解釈はまさに名人芸の極み!ほとんどの演奏では、土俗的なリズム以外のニュアンスが立ち昇ることなど滅多にありませんが、ここまで全てのフレーズに歌を見出して語り尽くした演奏など聴いたことがありません。そして、フレーズ間にたっぷりと間合いを取り、混濁皆無の音像で訴えかける「キエフの大門」の絶大な説得力!これはまさに、二人の作曲家の魅力を完全に同居させた演奏としても、今後長く語り継がれる大名演です!
「ダフニス」は、官能の嵐!大音量のパワーよりも、色彩の放射力で聴き手の鼓膜を直撃。「ボレロ」は、これまた驚愕!第2テーマの音価を極限まで引き伸ばして、エロチシズムを更に煽るユニークさ。トロンボーンのようなソロ・パートだけならまだしも、全体斉奏でもこれを敢行するのですから、終始鳥肌が立ちっぱなし!こんなこと、他の指揮者が安易に真似したら単に下品に響くだけでしょう。【湧々堂】

SSS-0112
フォーレ:レクイエム
ドビュッシー:夜想曲(女声合唱付)
ジョルジュ・プレートル(指)ベルリン・ドイツSO
ミヒャエル・グレイザー(指)ベルリン放送cho
オレシャ・ゴロヴネヴァ(S)
クレメンス・ザンダー(Br)

録音:2007年3月4日フィルハーモニー・ベルリン・ライヴ、全デジタル
モーツァルトやブラームスなどとは異なり、フォーレのレクイムは何と言っても色彩の魅力が不可欠。その点プレートルは、楽器編成を小さくすることなく、パステル調の色彩美と敬虔な祈りを絶妙にミックスさせた空気の醸し方が実に絶妙。合唱の声の質感が軽妙かつ浸透力が高いのも魅力に拍車をかけます。
「入祭唱」1:36からの男声のしっとりとした語りかけと弦の絡みから引き出される響きは、キラっと光る涙の一雫のよう。「サンクトゥス」はまさに無垢な天上世界のそもの。全く指揮の操作性を感じさせないフレージングの揺らめきが絶美。金管ファンファーレはかなり思い切りが良いですが、音量を控えて音楽を小さくしてしまうことよりも、音楽の豊かな流れを最優先するプレートルの熟練技に感服することしきりです。「ピエ・イエス」のソプラノは、楽譜通りに歌えていても、ゆったりとした情感にフレーズを乗せきれない歌唱が多い中、ゴロヴネヴァはプレートルの繊細なフレージングと完全に一体化。特に後半部分のきめ細やかたニュアンスは聴きもの。このゴロヴネヴァもそうですが、「リベラ・メ」でソロを務めるザンダーも、いかにも宗教曲然とした抑制モードに走ることなく、ヴィブラートも発声も通常通りにしっかり歌い込んでいます。しかし、全てが音楽と詩のニュアンスを引き出すために有効に作用しているので、大味なイメージや座りの悪さを感じさせることがないのです。最後の「イン・オアラディスム」は、オルガンのアルペジョが終始突出して希望の光を灯し続け、一方で弦は薄いヴェールを敷き詰めたように背後にまわり、そのシルキーな空気の美しさたるや言葉を失います。
完全なコンサート仕様で、これだけ宗教的な敬虔さと純音楽的な奥深さを同時に引き出した演奏というのは近年稀ではないでしょうか。
オーケストラの響きがその国のお国柄を反映していたのは昔の話だとは分かっていても、「夜想曲」を聴くと、ドビュッシー以外の何物でもない筆致の軽みと弾力をドイツのオケが再現していることに驚きを禁じえません。「祭り」の後半も物々しいミリタリー調に陥ることなく華麗な色彩と香りを放ちます。【湧々堂】
SSS-0113
メンデルスゾーン:「フィンガルの洞窟」
芥川也寸志:弦楽のための3楽章(トリプティク)〜第1楽章、第2楽章
ベートーヴェン:交響曲第4番
朝比奈隆(指)スウェーデンRSO

録音:1956年12月1日ライヴ,モノラル
※英語、日本語、独語によるライナーノート(執筆:ヘンリー・フォーゲル、元シカゴ響総裁)付き
巨匠朝比奈は1953年にヘルシンキ・フィルへ初客演して以降、ヨーロッパでの指揮活動を活発化させていきます。1956年6月にはベルリン・フィルに初登場、その年の12月にスウェーデン放送交響楽団に出演したライヴがここに登場します。曲目もベルリン・フィル・デビューで取り上げた十八番のベートーヴェンの第4番です。当コンサートは、日本とスウェーデンの指揮者交換という試みで、仲介役はあのクルト・ヴェス。スウェーデンからは、ステン・フリクベリが来日、朝比奈はスウェーデン放送響、エーテボリ響に客演しました。
 『フィンガルの洞窟』からしてエキサイティングな演奏で、当時の朝比奈の情熱の迸りには圧倒されます。そして後年はほとんど指揮しなかった芥川作品(クルト・ヴェスが委嘱・初演)もスウェーデンに紹介、極めて遅いテンポによるユニークな演奏です。そしてベートーヴェン、これは朝比奈がフルトヴェングラーの影響下にあったことの証明とも言える演奏です。ただし、朝比奈は既に晩年に見せたインテンポを基調とした悠然としたベートーヴェンを確立していることも事実です。重厚な低弦は朝比奈ならではで、朝比奈はこの頃から十分に大指揮者の資質があったのではないでしょうか?
 このコンサートは長らく1956年11月27日の演奏とされてきましたが、新たな調査の結果当時の出演料支払い明細までもが見つかり、12月1日と判明しました。
 注目の音質ですが、保存状態が極めて良好で、当時のレコード用スタジオ録音と比較しても遜色のないもので十分に観賞用として楽しめます。
SSS-0114
ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1978年6月6日ステレオ・ライヴ
鬼才ヘルベルト・ケーゲルによるブルックナーの交響曲は1999年にODE CLASSICSより一気に7曲が発売されて、演奏水準の高さでファンの度肝を抜きましたがレーベル解散もあって、長らく廃盤となっておりました。今回改めて、ケーゲル未亡人、ドイツ放送アーカイヴのライセンスを得てWEITBLICKが新たにマスタリングしなおして再発売の運びとなりました。ブルックナーとマーラーを同等のハイレベルで演奏しえた名匠ケーゲルの貴重な遺産です。演奏はリズム重視の極めて厳しいものです。細部まで神経がピリピリと尖っていますのでブルックナーに大らかさやのどかさを求める方には反感を買う恐れがあります。特にこの第3番はゲヴァントハウス管とのライヴ(1986年,SSS0042-2)が伝統を尊重した古典的演奏であるのに対し、こちらはイメージ通りのケーゲルとも言えるアジテーションたっぷりの過激演奏と言えましょう。
演奏タイミング[19:39][13:51][7:02][11:45]
SSS-0115
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1971年9月21日ステレオ・ライヴ
第4番「ロマンティック」も表題に逆らうかのような演奏。スタイルはクール、情熱は火の玉のような個性的名演です。冒頭こそ、ゆっくりと風情豊かですが次第に温まってくると、ケーゲル本来の偏執的徹底振りが目立つ演奏となって参ります。特に第3楽章のスケルツォの運動神経は特筆もので、この曲が取りとめがなく、ブルックナーの中でも内容に乏しいなどという偏見を振り払うに十分な名演です。第4楽章のフィナーレの回顧などひょっとしたら、この曲はブルックナーの「エロイカ」なんではないかと妄想してしまうほどの雄渾振りです。「ハース版」を基調としていますが、第1楽章展開部にティンパニ追加など、ところどころ味付けがあります。
※演奏タイミング[19:01][17:40][10:41][21:14]
SSS-0116
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1977年7月6日ライヴ(ステレオ)
当演奏は初出当時から極めて評価の高かったものです。リズム重視で厳格にして快活なテンポ設定。ケーゲルらしい隅々までレントゲン照射したかのように音形を浮かび上がらせた名演です。幻想味を強調せず、どこまでも現実的な演奏と言えましょう。楽曲を合理的に再構築してしまう手腕はヴァントに通じるものがあります。思えば、放送オケとの親密な関係、練習狂と言った面も似ております。
※タイミング[19:53][16:12][10:58][22:44]
SSS-0117
ブルックナー:交響曲第6番イ長調 ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプツィヒRSO

録音:1972年12月12日ライヴ(ステレオ)
第6番は長らく「地味」の烙印が押されておりました。しかしクレンペラーやヴァントの演奏が広く普及した現在、魅力に満ちた楽曲であることをファンは既に気づいています。ケーゲル盤も最高の名演とカウントされて然るべきものです。かつては、ブルックナーの長調の交響曲らしいハッピーさなどと評された作品ですが、当曲の白眉は第2楽章と申せましょう。緩余楽章に名作が多いブルックナーですが、ここまで怖い音楽はありますまい。しつこい繰り返しに尋常ならざる作者の人格を想像してしまいます、そしてそれは正解です。
※タイミング[16:17][15:59][8:36][14:56]
SSS-0118
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1971年5月17日-28日(ステレオ・スタジオ録音)
旧東ドイツの放送オーケストラは日程に恵まれていたのか放送用のセッションもレコード録音なみに日数をかけております。ほかの曲目の演奏に比して比較的遅めのテンポが採用され抒情性満点。柔らかく細密な仕上がりを見せます。聴衆を前に盛り上がるイキの良いケーゲルとは別の一面を見せてくれます。
SSS-0119
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1975年3月11日(ステレオ・ライヴ録音)
この翌日からケーゲルはスタジオ・セッション録音を残しておりまして、こちらは PILZ 盤で親しまれましたが、音質演奏ともにこちらのほうが上であると言えましょう。切れ味鋭いブルックナー。牧歌的な演奏を期待する方はお避けになったほうがよろしいでしょう。鮮血が迸るようなブルックナーでチェリビダッケなどの超常現象的ブルックナーの対極にある目の前で起きるドキュメンタリータッチのブルックナーと言えるかもしれません。この演奏は「事件」です。
SSS-0120
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO

録音:1975年12月16日(ステレオ・ライヴ録音)
ブルックナーの最後の作品である第9 番もケーゲルは、特別な感傷を注入することなく、55 分という快速で突っ走ります。とはいえ無感傷は無感情にあらず。冷たいけれど触れると火傷をする……、ドライアイス的演奏と申せましょう。リズム感がしっかりしているのでリリカルにも聴こえますが内声の抉りには心しびれます。

SSS-0121
ブルックナー:交響曲第9番 エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1999年3月6日ベルワルド・ホール,ライヴ(デジタル)
スヴェトラーノフとブルックナーと意外に思われるかも知れませんが、第8番の名演はマニアなら知るところでしょう。第9番は、ロシア国立響との第3楽章のみが正規発売されています。当盤の登場で巨匠の名解釈が初めて世に問われることになります。演奏分数の通り、正に大河的名演奏。ミュンヘン・フィルとの共演(ワーグナー、SSS0094)でみせた静謐な心境で取り組んだ美演と申せましょう。その細密画のような描写は遥か対極にあるかのように思われたチェリビダッケの演奏にも通じるものがあります。
※演奏タイミング[28:46][11:40][25:25]

高音質ライヴ。晩年のスヴェトラーノフの世界を大きく包み込むようなスケール感と巨大な振幅力がブルックナーの宇宙と見事に融合した感動的名演奏です。かつてのソビエト国立響との録音は、オケの馬力が純ドイツ的な朴訥さと相反するせいか、厳格なブルックナー・ファンからは敬遠されがちでしたが、ここではオケの機能美とも相まって、祈りに満ちた精妙な大空間を築いています。第1楽章の冒頭動機の16分音符と複符点2分音符の正確な奏し方!スヴェトラーノフというととかくそのスケール感のみが賞賛されますが、こんな緻密な配慮も持ち合わせていることも実証しています。第2主題がこれまた他に類を見ないほどの美しさで、心を込めぬき、手元でじっくり育んだ後に音を発しおり、尋常ならざる共感の深さを感じさせます。終始力みを感じさせず、煩悩を捨て去ってすっきりとした心持ちで、自然に委ねるようにフレーズを流動させ、勘所は決して外さずにビシッと制御する熟練技は、まさにこの作品に相応しいもの。第2楽章は鋭角的でアポロ的な演奏とは対極的。全声部を調和させながら、ひたひたと緊張が迫ります。終楽章はまさに諦観の境地。13:29からの楽節は例外的に表現の意思を表面化させ、切迫感をあらわにしますが、これはこの後に迫り来る壮絶な主題展開の伏線でしょうか。20:44以降のフォルティッシモは激烈そのものですが、最後の不協和音を引き伸ばしたりせずにさっと身を引くなんという妙味!そこには安易な演出の入りこむ隙などありません。そして、コーダでの弦のアルペジョ風のリズム打ちのなんという清らかさ!!すべてを浄化し尽くした末に訪れた世界が遂に現出するのです。 【湧々堂】

SSS-0122
スヴェトラーノフ/ローマ三部作
レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」
 「ローマの祭り」/「ローマの松」
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1999年9月10日ベルワルド・ホール,ライヴ録音(デジタル)
まず録音の素晴らしさに感激!しかもオケの巧いこと!「噴水」の1曲目から色彩の艶やかさが生々しく伝わり、スヴェトラーノフ特有の粘着を帯びたフレージングと相まってエキゾチックは空気を醸し出します。「トリトンの泉」の眩い噴射力も期待以上。細かい音型の一つ一つを蔑ろにせずに刻印しながらも決して鈍重にならず濃淡が陰影を描き尽くす筆致に息を飲むばかり。「トレヴィの泉」の凱旋の巨大な威容はまさにスヴェトラーノフの独壇場!「メディチ荘の噴水」も曖昧模糊としたハーモニーはどこにもなく。街並み全体が夜露に濡れゆく様が目に浮かびます。レスピーギの書いたスコアが持つ色彩の魅力を更にスヴェトラーノフ独自の色彩センスの中に取り込んでしまい、作曲家自身も想定していなかったであろうパノラマが繰り広げられるのですから感動もひとしおです。「祭り」は、吸引力満点のフレージング、歌のセンスにまず鳥肌!1曲目「チルチェンセス」中間の聖歌の官能的なまでのニュアンスの説得力たるや他に類を見ません。「主顕祭」も期待以上の凄み連発。通常よりもテンポは遅めですが、爽快に飛ばしては素通りしてしまう精妙なスコアの隠し味が次々と現出し、手回しオルガンのシーンなどまさに目の前で情景が生々しく立ち上がるのです。そして、想像を絶するアゴーギクが天空を突き抜けた後に訪れる「サンタレルロ」の凄まじい事!浮き足立つ素振など微塵も見せず、今まで繰り広げた街の賑わいを破壊しつくような重戦車と猛獣を総動員した超弩級のクライマックスに言葉も出ません。1980年のライヴではオケのロシア訛りが狂喜乱舞ぶりに拍車を掛けていましたが、この録音はまるで次元が異なり、絶対的存在を誇る司令官のもとに統制された厳格な造形と一枚岩の強固なアンサンブルによって、より次元の空間が築かれています。「松」もあまりにも内容がてんこ盛りで、そのニュアンスはどれもが意味深く迫り尽くすので、通常の人間が受け止めきれる許容量をはるかに超えています!「カタコンブ」で流れる聖歌の暗さは、完全にロシアの魂から発せられるもので、その地底から湧き出るような強靭な精神力にひれ伏すしかありません。そしてお待ちかね「アッピア街道」はとんでもない興奮のるつぼ!最後の和音引き伸ばしは、ソビエト国立響が13秒にも及び腰を抜かしましたが、これは更に上回る20秒近くも延々とクレッシェンド!決して悪ふざけではなく、ここまで築いてきた巨大伽藍を支えるにはこうするしか他ないでしょう!これを越えるスケール感を誇る演奏が今後聞けるとは到底考えられません。  【湧々堂】

SSS-0123(2CD)
ガーシュウィン・コンサート1996
パリのアメリカ人
ピアノ協奏曲ヘ調
キューバ序曲
交響的絵画「ポーギーとベス」(ロバート・ラッセル・ベネット編)
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO
ジェフリー・シーゲル(P)

録音:1996年3月6日ベルワルド・ホール,ライヴ録音(デジタル)

※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
スヴェトラーノフはガーシュインを愛し、「パリのアメリカ人」、「ポーギーとベス」についてはMELODIYAにも手兵ロシア国立響との録音があります(未CD化)。この「ガーシュイン・コンサート」は、一聴して顔をしかめる方がいるであろうことが想像に難くない、重々しくて、超絶のスローテンポを駆使した正に「オレ流」ガーシュインです。しかし説得力は無類。ガーシュインが作曲の天才であり、如何に遅いテンポで歌ってもその美しさはビクともしません。ソリストのシーゲルは、アメリカ出身。1989年ロン・ティボー・コン第1位。スラットキンとはガーシュインを普通のテンポで録音しています。今回の共演はピアノ協奏曲の演奏を熱望したスヴェトラーノフに、スウェーデン放送響楽団長がシーゲルを推薦し実現した初顔合わせです。スヴェトラーノフはシーゲルを気に入り、ハーグ、ロシアでも共演を重ねました。「今度は、チャイコフスキーの第2協奏曲、ラフマニノフの第1協奏曲を共演しよう」という約束が彼の死で果たせなかったとシーゲルは懐古します。

SSS-0125
スヴェトラーノフのフランス音楽
ショーソン:交響曲変ロ長調Op.20
フランク:交響曲ニ短調Op.48*
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:2002年2月23日ベルワルド・ホール・ライヴ録音(デジタル)
1979年9月10日ライヴ(ステレオ)*
循環形式を用いた名曲2作品は、時に冗長さを伴う場合がありますが、スヴェトラーノフの手に掛かればそんな心配はご無用。これらの作品につきまとう沈鬱なイメージが、更に助長されてしまうのでは、という懸念も、聴き始めてすぐに吹き飛びます。
フランクでは第1楽章後半にリズムの重心を低く保ったまま情念の限りを燃やし、そのエネルギー放射力にはただただ唖然。第2楽章は何の変哲もないインテンポの中に細やかな情感が息づき。スヴェトラーノフのデリケートな感性が見事に結晶化。終楽章は誰もが期待する通りの超弩級のスケール。 しかし、更に感動的なのがショーソン。スヴェトラーノフの死の3か月前の録音ですが、そんな影は微塵もなく、先例に囚われないロマンの洪水と化した凄演を展開。録音の良さとも相まって以外なほど透明なテクスチュアを敷き詰めているのも新鮮な衝撃ですが、その色彩がパステル調に煌めいているのは更に驚き。しかもその内実は生命力が充満し、1楽章コーダなど、スヴェトラーノフ以外にはあり得ない宇宙規模なスケール感を獲得。3楽章冒頭で、ようやくあの油脂分たっぷりのスヴェトラーノフ・サウンドが披露されます。
単に異質な演奏として片付けるのは簡単ですが、比類なき個性の全てが作品を輝かせるために注入され尽されている凄さを体感せずに、音楽にいったい何を期待するというのでしょうか。【湧々堂】

SSS-0126
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
 交響曲第9番「ザ・グレート」*
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1986年9月8日ベルワルドホール・ライヴ(ステレオ)
1990年9月18日ベルワルドホール・ライヴ(ステレオ)*
“過去のどんな名演も引き出し得なかった、シューベルトの未知の魅力!”
N響とのベートーヴェンやマーラーでも実証されているように、スヴェトラーノフはロシア的な流儀を無理強いはせず、作曲家でもある独自の審美眼を持って各作品の持ち味を最大に引き出すことを第一に考え、安定感抜群の数々の名演を聴かせてくれました。ただシューベルトとなると、スヴェトラーノフの音楽性から最も遠いのでは?と思われる向きもあるでしょう。ところがこれが素晴らしいのです!
まずは「未完成」。内省的な旋律の魅力と立体的な構築を際立たせる箇所の配分が実に絶妙で、超名曲であるあることを十分認識していたつもりが、これほどの多彩なニュアンスを秘めた作品だと気付かされて驚きを禁じえません。第1楽章はまさに抑制の美学。ロシア的な重厚さやリズムの粘着性を完全に封印し、繊細で香り高いなフレージングに徹してますが、決して芯に欠けるぬるま湯的な演奏ではありません。展開部の8:35の弦の刻みから木管へかけての連動では強固な緊張が漲り、作品構成に立体感をもたらしている点も流石。第2楽章はさらに心に迫る演奏。1:10からの木管の旋律の克明さ、1:33〜1:44にかけてのフルートに宿る精神的な逞しさ印象的ですが、圧巻は3:10から訪れます!ここへ来て遂に内燃のエネルギーと堅牢な造形力を一体化させた精神的な高揚を見せ、一瞬スパイス的に効かせるティンパニの効果も加わって壮絶なドラマを繰り広げるのです。なお、終演後の拍手はなし。
一方の「グレート」は音盤初出レパートリー。ミュンシュのような元気一杯猛烈な演奏でも説得力を持つ名演になる曲ですから、それこそロシア的な馬力全開モードでも様になるかもしれませんが、そんな安易な手法を取りません。サン・サーンスの「オルガン」では、「絢爛豪華」という作品の最大の魅力を徹底的に押し広げたのと同様に、ここでもあくまでもシューベルトらしい純朴な歌心を丁寧に引き出すことに主眼を置き、仰ぎ見るようなスケール感でそれを押しつぶすような暴挙に走らないところに、スヴェトラーノフの見識の高さを感じずにはいられません。
第1楽章序奏はゆったりとしたテンポで開始されます、ホルンに続いて弦が登場すると、実に繊細で陰りに満ちたニュアンスが現れ、早速このテンポ以外はありえないという説得力のあるフレージングに心打たれます。音の重心は常に低く保ち、フレーズの末尾まで克明に音化するのはいかにもスヴェトラーノフらしいですが、その揺るぎないテンポ自体の訴求力の高さと相俟って、味わいは格別。主部直前で加速することや、第2主題でテンポを落とすという伝統的な手法をそのまま踏襲していますが、そこには必ず明確なニュアンスの変化が伴い、決して漫然と流れることはありません。特に第2主題でテンポを落とすことで、再び異次元に誘うような演奏はあまり聞いたことがありません。このゆったりテンポを提示部の最後で回復させる解釈も新鮮。コーダのテンポ設定もセンスの塊!
第2楽章も遅めのテンポで幾分ヌメリを帯びながら冒頭の弦が開始されますが、続くオーボエ・ソロの切なさに感涙!そして1:31からのホルンの強奏の意味深さ!それが構えの大きな音楽作りに大きく貢献していますが、少しもシューベルトから逸脱していません。3:44からの長調に転じてからのニュアンスはまさに天国的な美しさ!慈愛に満ちた演奏というのは過去にもいくつもありますが、大きな包容力で優しく抱かれる感覚は比類なし。コーダの締めくくり方は、もう筆舌に尽くし難い感動!14:48のオーボエから、ぜひ全神経を集中して味わい尽くして下さい!
第3楽章は軽妙なリズムが人懐っこく、1:30では弦の音を短く切り上げてなんとも粋!この処理は再現部後半でも登場し、場面転換のメリハリ表出に大いに貢献。中間部に入った途端、外に飛び出して遊ぶ子供のような無邪気さがフワッと広がる…、そんな演奏が過去にあったでしょうか?
終楽章はいわゆる「爆走」一辺倒ではない、瑞々しい推進力が横溢。展開部直前でチェロがスフォルツァンドで明確に句点を打ち込むのには一瞬ギョッとしますが、これまた粋な計らい。再現部ではティンパニの音程の変更あり。コーダ最後の締めくくりの方も聴きもの。スヴェトラーノフ・ファンならきっとニンマリすることでしょう。
なお、終演後には、鳴り止まぬ拍手の中、突然オーケストラがファンファーレを奏でます(13:14〜)が、演奏が素晴らしかった時に現地ではこうして指揮者を讃える習慣があるそうです。
晩年のスヴェトラーノフはロシア以外にも活躍の場を広げましたが、その芸術性においても、ロシアのローカル色を超えた真の偉大さを獲得してことを改めて痛感させられる貴重な録音です。日本語解説には「彼らしい覇気が漲る」「最高な鳴りっぷり」というコメントがありますが、それどころではありません! 【湧々堂】

SSS-0127
ブラームス:交響曲第4番
モーツァルト:フルート協奏曲第2番*
アルヴィド・ヤンソンス(指)
シュターツカペレ・ドレスデン、
オーレル・ニコレ(Fl)

録音:1984年10月7日東ベルリン・シャウシュピール・ハウス(現コンツェルトハウス)、1971年5月28日ドレスデン・クルトゥア・パラスト*(ともにステレオ、ライヴ)
ブラームスは亡くなる一ヶ月前の演奏となります東ベルリン芸術週間ライヴ。この演奏を聴くとアルヴィドはムラヴィンスキーとは正反対の音楽性、誤解を承知で言えば、フルトヴェングラーのように情熱的にテンポを動かし、楽曲の悲劇性を強調、重要視した名指揮者であったことが判ります。もっと極論を言えば、アルヴィドは極めてドイツのロマン主義名指揮者に近い存在と言って過言ではありません。冒頭の美しさは如何にもSKDですし、第2楽章のホルンの妙技も身震いするほどです。当レーベルのヨッフムとの名盤にも引けを取りません。カプリングは豪華ソリスト、オーレル・ニコレをソロに迎えたモーツァルト。ニコレのライヴは極めて珍しく、アルヴィドのバッキング能力の高さも特筆されましょう。
※演奏タイミング、ブラームス:[13:06][10:57][6:08][10:54]/モーツァルト:[7:52][7:30][4:56]

SSS-0128
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
カール・フリードリヒ(1920-):弦楽合奏のためのロンド・レジエロ
アルヴィド・ヤンソンス(指)
シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1971年5月18日ドレスデン・クルトゥア・パラスト(ステレオ、ライヴ)
「悲愴」がアルヴィド初の音盤レパートリーというのも意外です。シュターツカペレ・ドレスデンの「悲愴」も初めて!演奏時間からも想像できるように恰幅よく、存分に歌わせて、さらに嘆く、絶望する。ロマンの香ムンムン漂う、熱情的な名演奏です。木管のとろけるような美しさ、弦楽合奏の粘るような魅惑、そしてゾンダーマンのティンパニが炸裂する非の打ち所のない「悲愴」です。カール・フリードリヒは、ドレスデン・フィルやシュターツカペレ・ドレスデンのヴァイオリン奏者で作曲家。ドレスデン音色マニアならば興味尽きぬ演奏と申せましょう。
※演奏タイミング 「悲愴」:[18:42][7:22][8:18][10:30]、アベル:[12:34]

「悲愴」冒頭の沈痛さが尋常ではありません。これこそ極限の苦しみを身をもって知っている人間でなければ表現し得ないニュアンスです。しかし、作品全体を絶望的で救いようのないないものとするのではなく、芸術的な造形力を常に携えて普遍的な味わい深い作品として再現している点も見逃せません。第3楽章の推進力はムラヴィンスキにも似てアポロ的な威光が差し、怖いほどの迫力。【湧々堂】

SSS-0129
ブラームス:交響曲第3番
 交響曲第2番*
ジョルジュ・プレートル(指)
ベルリン・ドイツSO

録音:2008年10月27日,2011年2月6日*
全て,フィルハーモニー・ベルリンにおけるライヴ・デジタル録音
第3番は、その感情的な旋律の揺さぶり、テンポの変化を想像してしまうが、実に率直なアプローチで驚かされる。爽快で誤解を承知で言えばまことにスポーティなのである。高速道路を性能の良い車で走っているような雰囲気すらある。第2楽章も、巨匠が緘徐楽章の演奏でしばしば聴かせる、矯めに矯めて爆発させるという手段を用いない。不自然な拘泥は一切ないのだ、思い切りの良い演奏と言っても良い。ところが第3楽章が始まると、ここに巨匠の真骨頂が表れてくる。止まりそうなほど……という遅さではないが、情感はたっぷりに奏される。そして美しい旋律を羽毛のように浮遊させる。優秀なホルンの美しい咆哮(それも静かな)は、まるで遠く離れた山奥から聴こえて来るようだ。その夢幻的な表情付けを聴けば、やはりプレートルにしかできない演奏だなと納得し、大いに首肯せざるを得ない。第4楽章は、基本的には第1楽章の演奏を継承したものと言えるだろう。そのケレン味のない味わいには聴いていて襟元を正したくなるが、生真面目一辺倒に終わらないのがこの芸術家だ。フィナーレのコーダのチェロの音色など、モノクロ映画に一瞬色彩が入るかのような衝撃と官能が聴き取れるだろう。
第2番もまた軽やかな足取りの演奏である。第1楽章提示部こそは、結構ゆっくり丁寧に奏でられ説明的な表現とも言えるが、展開部以降はぬかるみを荷車曳くようなもたつきは一切なく、雲の上を歩くようだ。そしてクライマックスに至るまでの焦燥も見事。第3楽章は、第4楽章へバトンを渡す通過点という感がある。白眉は終楽章であろう。プレートルの豪快な芸風が炸裂する。身振りの大きな音楽で、一気呵成にフィナーレの大きな歓喜に突き進む。存分に延ばされたフェルマータも凄い迫力である。(ライナーノートより)
演奏タイミング:
第3番[12:27][7:52][7:15][9:09]、第2番[14:43][9:42][5:04][9:29]

SSS-0130-2
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
シューマン:ピアノ協奏曲*
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
(P)
セルジュ・チェリビダッケ(指)スウェーデンRSO

録音:1969年5月20日ヘルシンキ・フェスティヴァル・文化会館ステレオ・ライヴ(フィンランド放送提供)
1967年11月19日ストックホルム・コンサートホール・モノラル・ライヴ(スウェーデン放送提供)*
ついにこの日がやってまいりました!ミケランジェリとチェリビダッケという孤高の巨匠が四つに組んだ超名演、「皇帝」とシューマンのカプリングが登場です。内容は数多くのプライヴェート盤で知られるとおりの高水準ですが、音質もスウェーデン放送、フィンランド放送からの蔵出し音源で万全の体制であることは申し上げるまでもありません。「皇帝」は、1969年5月20日のヘルシンキ・フェスティヴァルへの客演ライヴであることが特定されました。チェリビダッケがスウェーデン放送響の首席指揮者の任にあった最盛期のライヴだけに、練習がすみずみまで行き届き、「皇帝」など意外な軽やかさ、明るさ、華やかさでビックリさせられます。まるでラヴェルやドビュッシーを聴くかのような絶美の名演です。優秀なステレオ録音で「皇帝」の中の「皇帝」と申せましょう。シューマンは、1967年11月19日の本拠地ストックホルム・コンサートホールでのライヴです。モノラルなのが惜しいところですが、リリシズム、ロマンティシズムを堪能できるのはこちらかも知れません。物思いにふけるかのようなしみじみとした風情。官能的な揺れや、気だるさすら漂う繊細な味付けは、鋭敏なセンスを誇るこのコンビならではです。※今回は未曾有の大災害に見舞われた日本に対して、チェリビダッケ氏子息の御理解を得てのリリースとなります。この協奏曲集に加えて、ミケランジェリのフィンランドに於けるソロ・リサイタルも近々発表できるかと思います。これら2タイトルの売上より、「音楽の浄財II」として一部をを日本赤十字社に寄付致します。

SSS-0131
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
 スラヴ舞曲第3番Op.46-3
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1983年1月14日ベルワルドホール・ライヴ(ステレオ)
ロシア国立響との名盤も広く知られているところですが、今回の音質はそれを上回り何よりもオーケストラの音色と録音がいわゆる常識的故に、スヴェトラーノフの解釈が尋常でないことが浮き彫りになります。金管には目一杯の咆哮を強要しています。喋るスピードというか騒ぐ感じの音楽です。終結はメンゲルベルクの「第9」を甦らせた様な衝撃であり、スウェーデン放送響は全く素直な演奏団体です。フィルアップのスラヴ舞曲は、直後に英国ツアーを控えていたこのコンビがアンコールとして用意していた故に演奏されたもので、本拠地でのアンコールというのは異例です。
演奏タイミング:新世界[8:56][12:50][7:05][10:11]/スラヴ舞曲[4:50]

SSS-0132-2
スヴェトラーノフのサン・サーンス
(1)サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付」*
(2)ルーセンベリ:「街のオルフェウス」組曲
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO
ヴァンサン・ワルニエ(Org)*
録音:1998年9月3日グスタフ・ヴァーサ教会ライヴ*
1983年1月14日ベルワルドホール・ライヴ
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
スヴェトラーノフの「オルガン」といえば、レスピーギのローマ三部作とと並ぶ必聴作品!1982年のソビエト国立響との録音でも、この曲のイメージを根底からひっくり返す壮麗な演奏で魅了しましたが、この演奏では更にニュアンスの深みと繊細さも加味され、オケの響きに癖がない分、より一層スヴェトラーノフの音楽性の奥深さが際立った恐るべき名演となっています。全楽章を通じて低速で重心の低い造型で一貫していますが、それによって浮揚する新鮮な表情の多さに最後まで釘付けとなること必至です!
第1楽章第1部は、音楽の構築は大きく維持しながら、あくまでも内省味を湛えたニュアンスが終始心を捉え続けますが、じりじりと内燃のパワーを表面化させ、遂に後半のテーマ再現(8:42〜)ではティンパニの最強打を皮切りに圧倒的なスケールの音像にまで達します。82年盤では終楽章コーダの盛り上がりだけが話題となった感がありましたが、第1楽章第2部の絶世の美しさは、スヴェトラーノフがただ馬力優先の指揮者ではないことをはっきり認識させただけでなく、その歌のセンス、音楽的ビジョンの揺らぎの無さがビリビリと胸に迫る感動的な瞬間でした。この録音ではその至純を極めた響きの温かさ、呼吸のスパンの長さ、豊かさは更に深化を遂げ、このまま時が止まって欲しいと願わずにいられません。
第2楽章第2部、ピアノ・ソロが加わるシーン(0:40〜)は、まさに低速モードが最大の効果を発揮した瞬間で、宝石箱をゆっくりを開くようなキラキラした色彩、ワクワク感が他のどの演奏に望めましょうか。その後の音楽はもう言語を絶するド迫力絵巻の連続!そしていよいよ訪れるコーダの超大団円!!ティンパニの革も破裂覚悟の大強打を経て、最後の和音引き伸ばしは延々15秒!!ホールの残響が豊かなのでその効果も絶大です。
カプリングのルーセンベリの「街のオルフェウス」も聴きもの。土俗的は迫力に満ちた第1曲やR=コルサコフを思わせる第5曲などは、スヴェトラーノフの色彩感覚と粘着質なリズムの魅力が大全開。【湧々堂】

SSS-0133
シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」
ハイドン:交響曲第39番ト短調*
クルト・ザンデルリンク(指)
スウェーデンRSO

録音:1994年10月14日ベルワルドホール・ライヴ
1992年10月16日ベルワルドホール・ライヴ(共にステレオ・デジタル録音)
巨匠ザンデルリンクに「ザ・グレート」のディスクがなかったことは驚きですが、ついに名人集団スウェーデン放送響との名演が発見されました。録音も上々。スケール極大の大演奏です。どこまでも自然体で、柔らかな響きを保ちます。ホルンを朗朗と吹かすところなど、こうでなくっちゃという感じです。これぞ「ビッグではなく、グレートです」と申せましょう。ハイドンの疾風怒濤期の名作「第39番」(モーツァルトではなく、ハイドンです!)も初出レパートリーです。巨匠はしばしばハイドンをコンサートの前プロに置くことが多かったのですが、この第39番は特に愛奏した素晴らしい作品です。エネルギッシュにオーケストラをドライヴする姿が目に浮かぶようです。
SSS-0134-2
ブラームス:悲劇的序曲
 交響曲第4番*
クルト・ザンデルリング(指)
スウェーデンRSO

録音:1997年11月28日ベルワルドホール・ライヴ
1990年5月4日ベルワルドホール・ライヴ*
巨匠ザンデルリングと言えばブラームスですが、この第 4 番はザンデルリングのどの同曲異演よりも情熱的というか、私小説的主情的な解釈と言えます。当レーベルではミュンヘン・フィルとのライヴがありますが、それよりも全体で 2分以上も長く、ロマン主義解釈の大家であることは疑いないザンデルリングですが、ここまで耽溺的な一面があったのかと驚かされます。第1楽章などは祈りにも似た没入。第3楽章の裂帛の気合も身の毛もよだつばかりです。フィナーレに至っては奈落の底へ突き落とされるかのようなカタルシスさえ感じます。例によって遅いテンポが採用されておりますが、その劇性は凄まじく手に汗握る熱演となっております。「悲劇的序曲」はベルリン交響楽団との全集では再録音しなかった曲で、こちらも15分にも及ぼうという怪演。古格を保つ驚愕の名演です。
※演奏タイミング 交響曲第4 番[14:33][12:42][6:34][11:45]/悲劇的序曲[14:47]
SSS-0135
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 クルト・ザンデルリング(指)
スウェーデンRSO

録音:1994年10月21日ベルワルドホール・ライヴ
ザンデルリンクのショスタコ8番と言えば、ベルリン交響楽団とのスタジオ録音が唯一で、この曲を遅いテンポで透徹したユニークな演奏として名高いものでした。第 8番は、巨匠が活動最晩年までレパートリーから外さなかった愛奏曲ながら、ライヴ録音の登場は今までありませんでした。ムラヴィンスキーなら、快速で進めるであろう箇所はザンデルリングはこれでもかとばかりに執拗に遅いテンポで、このシリアスな作品をまるで点描画のように聴衆に開示して行きます。余程好調だったのか、足踏みや第3 楽章から第4楽章にかけての掛け声を発したり、冷静沈着に見えるザンデルリングの燃える姿が記録されています。
演奏タイミング [27:31][7:11][7:24][9:52][17:39]

SSS-0136(2CD)
ブラームス:交響曲全集 エフゲーニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:第1番(1984年9月7日)、第2番(1982年1月15日)、第3番(1980年9月6日)、第4番(1985年10月20日)
以上、全てベルワルドホールに於けるステレオ・ライヴ
ソ連邦解体前、晩年ほどグローバルな存在ではなかったスヴェトラーノフが才気溢れる熱演を展開してます。1981年のソビエト国立響とのライヴとは録音年代が近いだけに基本コンセプトは共通していますが、こちらは何と言ってもオケの響きにクセがなく清潔なので、スヴェトラーノフ本来の無垢な音楽性がストーレートに伝わるという点で見逃せません。
「第1番」。第1楽章冒頭の硬質なティンパニ連打と弦のブレンドの絶妙さにまず息を飲みます。中低域寄りのでっぷりとしたブラームスではなく、アゴーギクを最小限に抑えた推進力を重視した演奏で、最晩年に差し掛かる前のアグレッシブな表現意欲を強く感じさせます。展開部の最後8:23以降の内燃の凄さは聴きもの。第2楽章はフレージングのアクセントが独特、と言うよりもこれほど綿密に一音ごとにニュアンスを配分した例は稀でしょう。そこから後ろ髪ひかれるような余情が引き出される様にスヴェトラーノフの比類なき芸術性を痛感するばかりです。終楽章の第1主題開始後のテンポの腰の座った安定感と響きの隈取りの克明さは、あの晩年の威容に繋がるものを感じさせます。そしてコーダの猛烈な放射パワーに鳥肌!
「第2番」は全4曲中、ずば抜けて素晴らしい名演!特にこの第1楽章を聴くと、ソビエト国立響では感じにくかった、スヴェトラーノフの響きと呼吸に対する繊細な感性が手に取るようにわかり、感動もひとしお。第2主題の儚い風情に拍車をかけるようにチェロが呟くような弓使いを見せるなど、その象徴と言えましょう。終楽章は演奏時間8:10とかなり高速の部類に入りますが、いわゆる爆走とは違う求心力の高さが聴く者を虜にします。各パートの主張もかなり強いですが、それを凝固させる意志が尋常では無いのです。これもこの頃の年代のスヴェトラーノフならではでしょう。そしてコーダでの仰天アレンジ!81年盤と同様に、金管の持続音をスコアの指示より1小節長く引き伸ばして、完全無欠の勝利を強烈にアピール!
「第3番」は、全体を通じて爽やかな余韻を残すイン・テンポ進行を基調としているのがやや意外。第2楽章も過剰な粘りを見せず、スウェーデン放送響の透明なテクスチュアを生かした純な詩情が瑞々しく息づきます。終楽章でのアンサンブルの凝縮度、燃焼度の高さは、やはりスヴェトラーノフならでは。
「第4番」も第2番と並ぶ大名演!弦のピチカートに象徴される内声への徹底したこだわりは作曲家としてスヴェトラーノフの見識を伺わせ、一見独特なアゴーギクや一瞬のアクセントも、各フレーズの魅力をことごとく倍増させているのには舌を巻くばかりです。第1楽章5:04で鉄槌を下すような強烈なアクセントが施されますが、この一撃は、「第4番」を単なる古風な音の積み重ねではない人間ドラマとして描ききるという強固な意志が凝縮されているかのようです。第2楽章は「これぞブラームス」と呟きたくなる逸品!特にシューリヒトにも近いフレージングの浸透力は、喩えようもない高潔さ!当時のロシア指揮者の多くがドイツ作品を振ると作品との距離感を感じることが多かったことを考えると、明らかにチャイコフスキーとは異なるブラームス独自の色彩とフレージングの魅力を感知するセンスは驚異といえるのではないでしょうか。コーダ9:43からフルートが一音づつ上行する場面がかくも余情に満ちていたことは稀です第3楽章もドンチャン騒ぎとは無縁の格調の高さ。終楽章はシャコンヌ主題の意図的な炙り出しをあえて避けて淡々と進行させながらも、各パートが真に音楽的なニュアンスを発している点にこれまた頭が下がります。コーダでの緊張の高まりに向けての自然な流れといい、ムラヴィンスキーと双璧と言いたい「第4番」です。【湧々堂】
SSS-0138(2CD)
バッハ:ミサ曲ロ短調BWV.232 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO、同Cho、
チェレスティーナ・カサピエトラ(S)、
レナーテ・フランク・ライネッケ(S)、
ヴェラ・ソウクポヴァ(A)、
エーバーハルト・ビュヒナー(T)、
ジークフリート・フォーゲル(Bs)

録音:1975年9月16日ライプツィヒ・コングレスハレ・ライヴ・ステレオ
久々のケーゲルの新譜は、「ロ短調ミサ」です。これは演奏内容の素晴らしさから未亡人がぜひに、ということで実現しました。ライプツィヒというとバッハ演奏では伝統を誇りますが、ケーゲルの演奏は「音楽の捧げもの」編曲版くらいしか思い浮かばず、今回の登場は貴重です。合唱指揮者出身のケーゲルだけにこういう曲もお手の物で、やはり一家言あったと思われます。カラヤン、ジュリーニ、チェリビダッケのようなロマンティックな演奏とは一線を画した、極めてストイックで硬質な演奏を聴かせます。全体としてスタイリッシュで、キリリと引締まったテンポは活力に満ち、全曲があっという間に終わります。

SSS-0140(2CD)
マーラー:交響曲第9番ニ長調 カルロ・マリア・ジュリーニ(指)
スウェーデンRSO

録音:1973年2月9日ストックホルム・コンサートホールに於けるステレオ・ライヴ
シカゴ響との録音(DG)は伝説的名演として知られておりますが、活動晩年にはレパートリーから外してしまった曲目でもあります。伝え聞くところによると、ジュリーニは1964年にベルリン・フィルとこの曲を取り上げ(この頃が初演奏と思われます)、1975年にはウィーン交響楽団と演奏。前述のシカゴ響との録音が1976年故に、70年代でほぼ演奏しつくした感があります。スウェーデン・ライヴは73年ですから、ちょうど解釈の頂点を迎えた時期と言って差支えないでしょう。当演奏はネット・ラジオでも知る人ぞ知る超名演として話題にもなっておりました。第1楽章が重く遅いのはいつも通り、フィナーレは意外なスピードと軽やかさを見せます。スウェーデン放送響はこの頃から優秀だったことを証明しています。ジュリーニの伝記作者でフランス国立放送のディレクターも長年務めたジャン・イヴ・ブラ氏のライナーノートも価値あるものです。
演奏タイム:[30:40][16:34][13:49][22:56])

SSS-0141
ブラームス:交響曲第3番
ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」 *
カルロ・マリア・ジュリーニ(指)
スウェーデンRSO

録音:1992 年6 月13 日、1996 年4 月
27 日、ベルワルド・ホール(デジタル・ライヴ)
ジュリーニ活動最晩年期のスウェーデン・ライヴ。ブラ3 は、ウィーンフィルとのDG 盤より2 年後のライヴで第 1 楽章など 3 分も長いタイミングです。後期ジュリーニの演奏スタイルは、その極度なスローテンポが批判を浴びることもあり、また緊張感の持続に欠けるという指摘も確かにありました。しかし当盤はスウェーデン放送響の献身的従順演奏によって、ジュリーニの意図は完全に具現化されております。上品、高潔な指揮者として知られる巨匠が実はかなり大胆で過激な表現力をもった指揮者であることが浮き彫りになりました。フィナーレでは唸り声を上げ、足踏みも頻出します。ラヴェルの「マ・メール・ロワ」組曲も愛奏曲でしたが、コンセルトヘボウとのライヴより7 年後の演奏。光彩陸離、チェリビダッケ並みのピアニッシモ、フォルティッシモも強烈さが印象に強い好演です。ジュリーニの伝記作者でフランス国立放送のディレクターも長年務めたジャン・イヴ・ブラ氏のライナーノートも価値あるものです。
SSS-0142
フランク:交響曲ニ短調
ドビュッシー:交響詩「海」
カルロ・マリア・ジュリーニ(指)
スウェーデンRSO

録音:1996年4月27日ベルワルドホール・ライヴ(デジタル・ライヴ)
ジュリーニ活動最晩年期のスウェーデン・ライヴ。後期ジュリーニの様式が手に取るように判る演奏です。フランクは1993 年のソニー盤より3 年も後のライヴ。ジリジリと止まる寸前の遅いテンポで微に入り細に渡り全てを描きつくします。不調時のジュリーニはリズム感が明瞭でないこともありましたが、こちらは遅いが故に強いられる緊張感とでも申しましょうか、強烈なインパクトを誇ります。特筆すべきはフィナーレのコーダで、凄い強調が見られます。明るい音色、陰鬱な風情、良く歌う表現は、ドイツ音楽とフランス音楽の融合を目指したフランクのそしてジュリーニの特徴と申せましょう。「海」も愛奏曲として名高いものですが、フランクと同日のライヴだけにその方向性は同一であり、スウェーデン放送響が巨匠の過酷な要求に見事につき従う様が感動的です。ジュリーニの伝記作者でフランス国立放送のディレクターも長年務めたジャン・イヴ・ブラ氏のライナーノートも価値あるものです。

SSS-0143
シューマン:交響曲第4番
ベートーヴェン:交響曲第2番*
クルト・ザンデルリング(指)
スウェーデンRSO

録音:1990年5月4日デジタル
1997年11月28日デジタル*
いずれも、ベルワルドホールに於けるライヴ
“室内楽的響きから渾身の意欲が湧き出る感動的名演!”
2曲とも超名演!シューマンは、ザンデルリンクが自身の引退コンサートでも取上げた十八番の作品ですが、その熟しきった表現と透明感のあるオケの響きの魅力が融合し、得も言われる感銘をもたらします。
特に第1楽章展開部は、室内楽的な精緻を極めた響きから精神の塊のような音楽が溢れ感動の極地。第2楽章の孤独と幽玄、第3楽章の老朽化の影など微塵も見せないリズムの切れ味も80歳を目前にした老巨匠とは思えぬ充実ぶり。終楽章がこんなピュアな響きで青年のような活力が漲る演奏も稀。第2主題はわずかにテンポを落として憂いを浮かべますが、その間も活力は減退させず、主部のリピートが生き切っています。そして展開部冒頭での刃物のような弦の切れ味!コーダのテンポの切り替えの機敏さと声部間の響きの突き抜け方も感動に拍車をかけます。
ベートーヴェンは、ザンデルリンク85歳の時の録音ですが、これまた表現意欲に全く陰りなし。第1楽章冒頭からティンパニが意外な強打で開始し、木管フレーズを短くスタッカートで吹かせるなどユニークなこだわりが見られますが、皮相な表現はどこにもなく、この序奏部だけでも聴き所満載。第2楽章の全てを浄化しきったような響きと優しい語りかけも格別。ただ何となく柔和なだけでなく、フレージングやアクセントに自然な形で、しかも妥協なくその指示を徹底させているので、生き生きと音楽が脈打つのです。終楽章はエキセントリックに突っ走る演奏が増えている中で、ゆとりのあるテンポの中で調和のとれたハーモニーが心を捉え続けます。特定の声部を強調しているわけではないのに、全声部が確実に主張をしており、内面から抉り出す音楽のなんと心を打つことか!コーダの強固な凝縮力も聴きもの。
ザンデルリンクにはこの2曲の録音は他にも存在しますが、録音の良さも含め、現時点でこのディスクがトップと言えましょう。
ただ、シューマンの終楽章のトラックが序奏を飛ばして主部に割り当てられていることは、不可解ですが…。【湧々堂】

SSS-0144
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 オイゲン・ヨッフム(指)
スウェーデンRSO

録音:1975 年2 月23 日ストックホルム・コンサートホール,ライヴ
ヨッフム+スウェーデン放送響の初ディスクです。1975 年というと、座って指揮するようになった最晩年の枯淡と壮年期の馬力に満ちた動的アプローチの丁度中間期に当たります。しっとりとした味わいに加え、若き日の劇性をも兼ね備えた非の打ちどころのない演奏と申せましょう。ブルックナーの名作の中でも穏当に過ぎるとも見られるこの曲にはピッタリな表現方法とも言えましょう。勿論「ロマンティック」は巨匠の愛奏曲でしたが、ライヴとなるとコンセルトヘボウとの同年のものだけです。澄み切ったスウェーデン放送響の音色は、フランスともロシアともイギリスとも違いますが、どちらかというと機能美を誇るドイツの放送オーケストラに近い、明快さと機敏さに溢れた近代的なものと言えましょう。

SSS-0145(2CD)
マーラー:交響曲第9番 ニ長調 エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:2000年1月21日ベルワルド・ホール,ライヴ(デジタル)
※スヴェトラーノフが忍び寄る死の影を感じながら紡ぎだした絶美の演奏。第 1 楽章の深遠な解釈、第4 楽章の澄み切った境地は、正に生と死の表裏一体を教えてくれるかのようです。対照的に中間楽章はエネルギッシュそのもので、リズム感の良さを物語ります。スヴェトラーノフのマラ 9 と言えば、ロシア国立響とのスタジオ録音は恵まれた音質といえなかっただけに、妙技を誇るスウェーデン放送響、名録音を誇るスウェーデン放送による当ライヴは、ファン垂涎のものでしょう。
演奏タイミング:[29:19][18:08][12:37][24:45]
この第9 交響曲は、作曲家マーラーの最後の作品である。間もなくその演奏活動を終える偉大な指揮者(偉大な作曲家であることもマーラーと共通している)スヴェトラーノフがこの作品を取上げるということも示唆に富んでいるし、暗示的である。巨匠は、スウェーデン放送響と本拠地ストックホルムのみならず、直後のロンドンへの楽旅でもこの曲を指揮している。(ライナーノートより)

SSS-0146
ケーゲル&ライプツィヒ放送響/管弦楽名曲集1
J・シュトラウス:「こうもり」序曲
 ワルツ「美しく青きドナウ」
ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」
J・シュトラウス1世:ラデツキー行進曲*
ウェーバー(ベルリオーズ編):「舞踏への勧誘」*
ウェーバー:「オベロン」序曲 **
スメタナ:交響詩「モルダウ」#
ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプツィヒRSO

録音1969年2月4日ライヴ
1973年9月4日ライヴ*
1975年9月2日ライヴ**
1968年5月14日ライヴ#(全てステレオ)
“愛の嵐が吹き荒れる、怒涛のワルツ「うわごと」!”
毎年恒例のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、J・シュトラウス一家以外の作品も演奏されるのが通例になりつつあるようで、それはそれでバラエティに富んで楽しいことですが、どの曲も響きの厚みや質感が同じに聞こえるのは気のせいでしょうか?その答えは、このケーゲルの演奏を聴いてはっきりしました。
ケーゲルというとすぐに「屈折した暗さ」を連想しがちですが、「こうもり」序曲は実に軽妙洒脱。とは言ってもケーゲルのこと。作品のフォルムをきっちりと固めた上で、真剣に音楽の楽しさを伝えているのです。ワルツ前の鐘の音がアンティークシンバル(ドビュッシーの「牧神」の終わりで使われる)で鳴らされるのにまずドッキリ。主部のワルツに入ると意外にもウィーン風のリズムを考慮した独特のスウィング感を表出。ロ短調の空間部でも悲しみを煽ることなく、一定の洗練度を保っています。しかし、ほとんどの指揮者がテンポを一旦落とすコーダ前の7:30から意地を通すようなイン・テンポで突っ込み、素のケーゲルを垣間見る思いです。
「美しく青きドナウ」も安易なリピートカットなどしないことでも明らかなように、徹底的にニュアンスを注ぎ込んだ名演奏。冒頭ホルンはまるでワーグナーのような深淵さ!しかもアゴーギクは思い入れたっぷりで、そこには嘘のない音楽愛が横溢!各ワルツの描き分けにも心奪われ、ルーティンな要素など微塵もなし!特に3:44からのワルツのパーッと視界が開けるような場面の切り替えの鮮やかさは、今のウィーン・フィルに傾聴してほしいものです。
この2曲は、ウィーン風のイディオムも生かしつつ、自己主張を全面に立てることよりも作品の魅力を全開させる重視していますが、次の2曲では一変!
「うわごと」はカラヤンなど大指揮者にも人気の作品ですが、なんというド迫力!こんなに肉感的で主張の強い「うわごと」は聴いたことがありません。5:54からのとろけるような甘美さ、6:10からの胸が張り裂けんばかりの恍惚美!もう鳥肌の連続です。「他の指揮者に任さられない」といったような確信に満ちた表現の渦を前にして、もはやウィーン風かどうかを語るなど何の意味がありましょう!
そして「ラデツキー行進曲」は、遂にウィーン風を完全払拭。導入の小太鼓連打の物々しさから、鉄壁のミリタリー調で押し通すのです。
シュトラウス以外では「モルダウ」が聴きもの。有名なテーマはそれだけで美しいですが、この演奏のように小細工をせずに内面から悲哀が滲むような演奏はめったに出会えません。3:51からの舞曲はデリカシーの塊!一音一音がこれほど細やかにニュアンスを変化させ、真に息づいているのです。【湧々堂】

SSS-0147
ショスタコーヴィチ:交響曲第8 番ハ短調 Op.65 アルヴィド・ヤンソンス(指)
ベルリンRSO(旧東独)

録音:1981年11月11日ベルリン放送局大ホール1(ステレオ)
全体的に悲劇性だけを強調するのではなく、慈愛と希望の光をニュアンスに盛り込むことを主眼としているのが特徴的。第1楽章は、オケの精妙なアンサンブル力もあって第3主題以降の凶暴な音楽の内にも、凍てつくような恐怖のみならず、ハーモニーに人間的な温かみを宿しています。行進曲風のクライマックスでも明らかなように、体全体で音を放射しつつも、耳をつんざくような感覚的な刺激に頼らないので、地味に思われかねませんが、内実の熱さに是非耳を傾けてください。第2〜3楽章も鋭利な迫力とは対照的ですが、その分内面からニュアンスが間断なく滲み出てるので、思わず聴き入ってしまいます。そして終楽章コーダの響きの均衡を保った絶品の余韻!録音も極めて良質。【湧々堂】

SSS-0148
ホルスト:組曲「惑星」 エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO
スウェーデン放送Cho

録音:1994年9月3日、ベルワルドホール・デジタル・ライヴ
“作品の持ち味を自身の音楽性の中にグッと引き寄せた、恐るべきダイナミズム!!”
スヴェトラーノフは既に同曲を1991年にフィルハーモニア管と感動的な録音しており、それも決して存在価値を失うものではありませんが、ここでは完全に英国風の典雅さを払拭した、スヴェトラーノフ特有の粘着質で重量級のフレージングとリズムの躍動が更に際立った演奏を繰り広げています。少なくとも独特なテンポ変動に対する共感を持ったオケの反応力は、こちらが一枚上と言えましょう。例えば「火星」で、主題が回帰するシーンの気の遠くなる低速感とその後のクライマックスの築き方はまさに筋金入り。「金星」での深遠な祈りと色彩感は、フィルハーモニア盤と双璧の素晴らしさ。「木星」も演奏時間8:47とかなりの低速モードですが、そのテンポだからこそ打楽器の打ち込みをはじめ、どんな些細なフレーズも末端まで鳴りきり、スポーティさ皆無のスヴェトラ節が大全開となります。最後の「海王星」も一音も雰囲気で流した感はなく、極彩色でありながら精緻なハーモニーで魅了し続けます。この作品のスペクタクルな魅力と自身の音楽性を完全にドッキングさせた恐るべき名演奏です。録音も優秀。いつもながらスウェーデン放送響の機能美も絶品。【湧々堂】
SSS-0149
R・シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」
交響詩「死と変容」*
ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプツィヒRSO
モーリス・ジャンドロン(Vc),
トーマス・ヴュンシュ(Va)

録音:1968年5月14日ライヴ、ステレオ
1968年4月9日,ライヴ、ステレオ*
ケーゲルはドレスデン生れですからリヒャルト・シュトラウスとは非常に縁が深い(ドレスデン・シュターツカペレの音楽学校にも学んでいます)筈ですが今まで録音が出たこともなく、さらには演奏機会もそれほど多くなかったようです。そこに初登場するのがフランスの名手モーリス・ジャンドロンと組んだ「ドン・キホーテ」です。瀟洒と呼ぶにふさわしいジャンドロンの明るく、美しい音色を物語の俳優の様に生かした見事な演奏。「ドン・キホーテ」は日本では極めて人気の低い作品ですが、巨匠指揮者、特にドイツの名指揮者には愛奏されることでも知られます。それだけストーリーが普遍的なのでしょう。こういう標題音楽らしい標題音楽をケーゲルが指揮することも稀であったと申せます。ジャンドロンにとっても初出レパートリーです。
一転して、シリアスそのものいつものケーゲルらしい演奏が「死と変容」です。カミソリの刃のようにエッジの尖った演奏で、近寄りがたい風情を醸し出しています。オーケストラ・ドライヴの見事さには傾聴に値する名演奏です。

SSS-0150
ベルリオーズ:幻想交響曲
ベートーヴェン:序曲「コリオラン」
アルヴィド・ヤンソンス(指)
ドレスデンPO

録音:1980年2月28日ドレスデン・クルトゥア・パラスト、ステレオ・ライヴ
“主人公の深層心理に徹底的に寄り添った画期的アプローチ!”
当時のソ連の指揮者の中でも、品格と繊細さを兼ね備えた芸風が際立つアルヴィド・ヤンソンス。その特色を遺憾なく発揮したのがこの幻想交響曲。レニングラード・フィルともセッション録音行なっているほどの十八番作品です。
第1楽章の滑り出しは超低速と超弱音で、主人公の脆い神経と淡い恋心を反映したようなニュアンスで、早速聴き手の心を鷲掴み。これが何とも心を打ちます。主題の歌い回しも入念を極め、強弱対比にも古今を通じてこれほど神経を砕いた演奏も稀でしょう。第2楽章も単なる楽しいワルツではなく、拍節を克明に刻むことを避けて、夢遊病的な空気感を表出。第3楽章はこれまた絶妙な孤独感が全体を覆います。
第4楽章以降は打って変わって音の隈取リを強調して鮮明な音像を打ち立てますが、馬力で押し通すのではなく、テンポを盤石に固めながら丹念に楽想の連鎖させる力量たるや、改めて父ヤンソンスの芸術性の高さを思い知らされます。そして、その高い芸術性が高次元で燃焼を遂げる終楽章!いきなり魑魅魍魎の世界を演出する大方の演奏とは異なり、冒頭から鐘が登場するまでの前半部分は不安な空気感を徹底的にひ敷き詰め、唐突とも思える明快な鐘の音でふと我に返るという、巧みな設力にまず唖然。コーダに至ってようやく音圧を極限まで高めますが、その響きのなんと神々しいこと!音を外に放射することを許さず、含蓄を宿したまま締めくくる姿勢に、ヤンソンスのこの作品への強いこだわりを感じさせます。期待していた豪放な締めくくりとはかけ離れていたせいか、終了後の拍手もどこか呆気にとられた様子。
今までのイメージとは一味も二味も異なるヤンソンスだけが可能な幻想世界、とくとご堪能あれ!【湧々堂】


SSS-0151(2CD)
チェリビダッケ/ベートーヴェン・ライヴVol.1
交響曲第3番「英雄」
「レオノーレ」序曲第3番 *
交響曲第4番**
交響曲第2番#
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:1970年3月22日ストックホルム・コンサートホール・ステレオ・ライヴ
1968年11月16日スタルフォルスコラン・ステレオ・ライヴ *
1970年9月20日ストックホルム・コンサートホール・ステレオ・ライヴ**
1965年4月11日ストックホルム・コンサートホール・モノラル・ライヴ#
SSS-0153(2CD)
チェリビダッケ/ベートーヴェン・ライヴVol.2
交響曲第5番「運命」
交響曲第7番*
交響曲第6番「田園」#
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:1967年9月6日ナッカ・アウラ・ステレオ・ライヴ
1970年3月5日アプサラ大学ホール・ステレオ・ライヴ*
1971年3月6日スタルフォルスコラン・ステレオ・ライヴ#
1960 年代から1970 年代のチェリビダッケ+スウェーデン放送響のベートーヴェンが遂に正規リリース。海賊盤でも聴けなかった初出演奏がほとんどというファン垂涎のシリーズです。ブルックナー、ブラームスについてはシュトゥットガルト 放送響との 1960 年代から 1970 年代の演奏が既出ですが、どういう訳かベートーヴェンは今まで一切リリースされること はありませんでした。この時期の巨匠の特徴は何よりも常識的なテンポ設定。そして類まれなカリスマ性、統率による推 進力、前進力です。いずれも隅々まで見通しが良く、細部が手に取るように理解できる演奏であるにも関わらず、単なる 部品、要素の羅列ではなく「一つの有機体としての音楽」を嫌と言うほど堪能できます。もちろん透通るようなスウェーデ ン放送響の美音も魅力的です。スウェーデン放送協会音源提供の良好なステレオ録音(第 2 番のみモノラル)。当然の ことながらセルジュ・イオアン・チェレビダーキ氏認可。
※イタリア語・英語・日本語・ドイツ語によるライナーノート付。

SSS-0155(6CD)
ブルックナー:交響曲名演集
(1)交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
(2)交響曲第5番変ロ長調
(3)交響曲第6番イ長調
(4)交響曲第7番ホ長調
(5)交響曲第8番ハ短調
(6)交響曲第9番ニ短調
ハインツ・レークナー(指)
ベルリンRSO(旧東独)

録音:(1)1983年11月7日メトロポールシアター
(2)1990年6月8日シャウシュピールハ
ウス、ベルリン
(3)1978年5月27日ベルリン民主宮殿
(4)1979年10月13日リガ・フィルハーモニー(ラトビア)
(5)1985年5月3日シャウシュピールハウス、ベルリン
(6)1983年2月7日メトロポールシアター
生前は鬼才の名をほしいままにし、若き日よりポストに恵まれ、さらなる円熟が約束されていた70 代前半に忽然と世を去ったハインツ・レーグナー。レパートリーは広範に及び、その多くが録音にも恵まれています。芸風はシューリヒト張りの快速で拘泥を嫌った爽やかな演奏をするかと思えば、一転して凄まじいばかりの遅いテンポで隅々を執拗に抉るような演奏をも展開。音色も重厚な純ドイツ風かと思えば時に軽やかできらめくようなラテン的な響きも追及すると言った具合で正体不明、千変万化の巨匠でもありました。ブルックナーは愛奏するレパートリーですが、ここでも演奏するたびに別人のような表情を見せるため驚きが続きます。当セットで言う離せない演奏。第4 番と第6 番はスリリングで目が離せない演奏。第5 番は早いテンポは個性が強いが全体にオーソドックスな演奏。第7 番は柔らかたおやかな演奏。第8 番、第9 番は過激でショッキングな演奏と言った処でしょうか。御息女スザンヌ・レーグナー女史の協力を得て、レーグナーと生前に親しく仕事を共にしたディルク・ステーヴ氏のライナーを得ております。

SSS-0162
スヴェトラーノフのモーツァルト
交響曲第40番ト短調K.550
交響曲第41番ハ長調「ジュピター」*
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1988年9月10日、1993年9月18日(共にライヴ・デジタル) ベルワルド・ホール*
“数々のロシア音楽の名演を築いたスヴェトラーノフの音楽性の源がここに!”
モーツァルトの交響曲で、全てのニュアンスを漏らさず聴き取らねばという衝動に駆られたのは、何年ぶりでしょう?もちろん編成を切り詰めることのないかつての大編成スタイルですが、決して大味にならず、持ち前のロマンの息吹を吹き込みつつ、心の奥底から奏でたモーツァルトというのは、ワルター以来と思えるほど。
「40番」冒頭から、なんと音がときめいていることでしょう!全音域をむらなく響かせつつも厚塗りに傾くことなく、遅めのテンポを貫いてじっくりと楽想を紡ぎます。第1楽章は、裏の声部まで孤独な感情が繊細に滲み出ており、その音色は聴き手を慰めるような温かさ。第2主題の陰影の豊かさにも感動を禁じえず、この音楽の感じ方こそ、スヴェトラーノフの音楽性の核であり、だからこそ、チャイコフスキーやラフマニノフの大音量でも音圧だけではない浸透力が生まれるのでしょう。提示部リピートが、これほど必然性を持つ演奏も稀。第2楽章はデフォルメのない純粋な響きで魅了。常に音価を長目に保っているので、昨今のパリっとした晴朗さとは正反対ですが、そこから生まれる内省的な味わいが各格別。第3楽章は、3拍目を長く引き伸ばすことで腰の座ったリズムを生み、フレージングは愛のかたまり。終楽章でも提示部、再現部のリピートを慣行。再現部の1回めの演奏の最後は薄い響きにしてから繰り返す配慮にも、スヴェトラーノフの繊細な感性が表れています。展開部4:29以降の声部の絡みの「優しい緊張感」は必聴!作品の構成を緻密に制御しつつ、静かなドラマが確実に迫るのです。
「ジュピター」は、愉悦感溢れるリズムをきっちり表出し、音楽にしなやかな推進力を与えていますが、これまたトキメキの連続!スヴェトラーノフは、ここでも古典音楽としてのモーツァルトの佇まいを弁え、決して大伽藍風の響きなど片鱗すら見せません。それでいて、全ての声部が意味を持って鳴り、極めて含蓄に富んだ音楽が形成されるのです。ハ長調であるにもかかわらず、楽天的でも祝典的でもない、どこか憂いを含む独特のニュアンスは、他では味わえません。提示部リピート慣行。第2楽章はテンポを停滞せさない意志の強さが際立ちます。1:29からの音楽の抉りの強さは、まさにスヴェトラーノフ節。それがモーツァルトの枠からはみ出ることなく美しく収まった響きの充実ぶりと言ったら、とても言葉が出ません。第3楽章は意外にも速目のテンポですが、3拍子としての安定感は比類なし。そして、究極の名演、終楽章!声部の有機的な連携が、意図的な解析を全く感じさせずに大河のごとく流れる様は、フーガを形成するこの楽章に大々的に効力を発揮。コーダでは複雑な声部の綾が一切の取りこぼしなく再現され、風格と品格を携えてまさに宇宙的な広がりを現出させるのです!
近年、ロシア音楽以外の録音で、スヴェトラーノフの音楽性の本質を再認識させられる機会が増えていますが、性格の全く異なるモーツァルトの二大傑作をこれほど感動的に再現する手腕は、ムラヴィンスキーが極めてレパートリーが限られていたことを思うと、本当に驚異的でなことです。【湧々堂】

SSS-0164
ベルリオーズ:幻想交響曲
デュカス:魔法使いの弟子*
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:1969年11月23 日ストックホルム・コンサートホール、1968年9月7日ヴェステラス・コンサート・ホール* (共にステレオ・ライヴ)
“安易な怪奇趣味とは一線を画すチェリビダッケ美学を完全敢行!”
「幻想交響曲」第1楽章の導入の超微弱音からチェリビダッケ・モード全開!雑味の入り込む余地のない弦のソノリティ、ホルンの囁きの霊妙さは比類なく、主部に入る前のこの数分間だけで、聴き手を完全に虜にします。
第2楽章開始の弦のトレモロは、これまたやっと聞こえる程度の超微弱音ですが、その後に表情に広がりを見せるところをお聴き逃しなく。音量も色彩も徹底的に抑制した音像は、改めてこの音楽が「幻想の中の舞踏会」であることを思い起こさせます。
驚異的なのが第3楽章!遠近感を捉えた音像構成が、これほど完璧に実行されている演奏が他にあるでしょうか。そして、木管楽器の応答の背後を彩る弦のニュアンスは、なんという幅広さ、奥深さでしょう!
第4楽章も音の放射力で圧倒する安易さを完全に拒否し、精緻な色彩構築を最優先。異様に遅いテンポも、死に向かう不安を投影した感情的表現の結果ではなく、全ての意識は美しい響きの実現に向けられていることは、響きのどこにも血の臭いや汗を一切感じさせないことからも明らかです。終楽章は、チェリビダッケの超精密芸術の集大成!これだけ膨大な要求をつきつけるのですから、チェリビダッケのこの曲の録音が多くないのも頷けます。そしてコーダでは、これまでの抑制を取り払って突き刺すような放射力を伴って突進!締めくくりの打楽器の巧妙な操作にも鳥肌!
なお、チェリビダッケの録音を聴く際に最大の支障となるのが、特有の微弱音がヒス・ノイズに埋もれてしまうこと。その点この録音は1960年代としては異例なほど非常にクリアで、チェリビダッケの美学をほぼ完璧に実践し尽くしているという点でも、この以上の「チェリの幻想」は存在しないのではないでしょうか?
「魔法使いの弟子」も、生半可な名演ではありません。3:56のハープの一瞬の駆け上がりにまで命を吹き込み、4:42からの弦のハーモニーがこれほど流麗な響いた例も他にないでしょう。幻想交響曲のような、極端な音量操作はここでは持ちこまず、一見すとれーた表現にも聞こえますが、全ての楽器が、他には考えられないバランス間隔を保持しながら迫り来る様は、尋常ならざる説得力を誇ります。ディズニー・アニメ的な楽しさだけではなく、この音楽の色彩的な面白さを徹底的に掘り下げた演奏として、歴史に刻むべき大名演です。【湧々堂】

SSS-0167(2CD)
チャイコフスキー:交響曲集
交響曲第4番/交響曲第5番*
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:1970年9月13日サンドスタ音楽堂ライヴ
1968年11月16日エシュクリシュタナ小学校講堂ライヴ* (全てステレオ)
※セルジュ・イオアン・チェレビダーキ氏認可
1960 年代から1970 年代のチェリビダッケ+スウェーデン放送響のライヴ名演集が正規リリース。大きな反響を呼んだベートーヴェン、「幻想」に続く新譜は、お得意のチャイコフスキー、それも第4 番と第5 番という強烈な演奏です。チェリビダッケはチャイコフスキーを愛し、生涯を通じて演奏を繰り返しました。壮絶な感情注入と、整然とした音色とアンサンブルの両立という一見二律背反する理想を見事に具現しています。演奏内容は、既に晩年の問答無用の遅いテンポに傾斜する部分が垣間見られます。しかし壮年期らしい豪快なドライヴも随所に併せ持っており、魅力豊かな名演ばかりです。スウェーデン放送響のひんやりとした音色もチャイコフスキーに相応しい高潔さと申せましょう。どんな時代でも「極めていた」巨匠ならではの完成度です。いずれの曲もミュンヘンフィルとの晩年の演奏しか正規盤はありませんから、これは必聴です。スウェーデン放送協会音源提供の良好なステレオ録音。

SSS-0169(2CD)
ラヴェル:管弦楽名演集

(1)「マ・メール・ロワ」組曲
(2)高雅で感傷的なワルツ〜第2曲
(3)道化師の朝の歌
(4)「ダフニスとクロエ」第2組曲
(5)スペイン狂詩曲
(6)クープランの墓
(7)ラ・ヴァルス
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:(1)1969年9月10日、ナッカ・アウラ、
(2)1969年6月29日ファルベルク・スポーツホール
(3)1967年12月1日エシュキルストゥナ・コンサートホール
(4)1970年11月8日ストックホルム・コンサートホール
(5)1969年3月7日エシュキルストゥナ小学校ホール
(6)1967年9月6日ナッカ・アウラ
(7)1969年1月26日ストックホルム・コンサートホール
(全曲ライヴ・ステレオ録音)

※セルジュ・イオアン・チェレビダーキ氏認可※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
続々リリースのチェリビダッケの知られざる時代、スウェーデン時代の充実を今に伝えるライヴ録音集。今度の新譜は、ラヴェル名演集です。昨年フランス国立放送響時代の名演も発売されましたが、スウェーデンはそれよりも前なので、フェンシングの選手を思わせると聴衆を感動の坩堝にたたきこんだ、華麗で運動神経抜群なオーケストラ・ドライヴを堪能できます。驚異の弱音、美音を駆使した、「マ・メール・ロワ」、「クープランの墓」。結構俗っぽい魅力も兼ね備えた「ダフニス」、「ラ・ヴァルス」も必聴の名演です。


SSS-0171(3CD)
ブルーノ・ワルター・イン・ストックホルム
モーツァルト:交響曲第39番
 アイネ・クライネ・ナハトムジーク
シューベルト:交響曲第9番「グレート」
ブラームス:ドイツ・レクイエム*
ブルーノ・ワルター(指)
スウェーデンRSO
ストックホルムPO*
ケルスティン・リンドベルイ・トールリンド(S)、
ジョエル・ベルグルント(Br)、
王立フィルハーモニーCho

録音:1950年9月8日ライヴ、1950年9月13日ライヴ*
8日の演奏はスウェーデン放送響の演奏であることが判明!既出盤は非オリジナル音源の上にストックホルム・フィルと誤記されていました。全ての演奏が正規音源からの初リリースとなります。
■ライナーノート〜より
1950年の晩夏から秋にかけて、ワルターの身はヨーロッパにあった。8月にはザルツブルク音楽祭に出演し、ウィーン・フィルのオーケストラ・コンサートを二日間指揮している。この中からマーラーの交響曲第4番とベートーヴェンの「エグモント」序曲がCD化されて聴くことができる。さらに9月4日には、フランクフルト博物館の管弦楽団(これはフランクフルト歌劇場のオーケストラの別名)を指揮し、ここではマーラーの交響曲第4番を取上げている。これは第二次大戦後初のドイツにおける演奏となった。この録音も現存する。そしてストックホルムに移動、8日から14日にかけての演奏会。さらに24,25日は生れ故郷のベルリンを訪れてベルリン・フィルに出演。これがベルリン・フィルとの再会にして最後の共演となった。10月2日にはかつて歌劇場総監督の地位にあった、バイエルン国立歌劇場のオーケストラ・コンサートを指揮し、シューベルトの「未完成」とマーラーの第1交響曲を指揮している。この時期にワルターは恐らくもっと多くの土地を訪れ、オーケストラに客演している筈である。70歳の半ばでこの長期に渡る過密スケジュールをこなせたのは驚異的だ。気力の充実もさることながら、心臓の病に冒される前という体力的な好条件も揃っていたから可能だったとも言えよう。モーツァルトの交響曲第39番は、予想通り響きがとても柔らかい。
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も瑞々しい感性は、古くから聞かれているSP録音と変わることなく、老け込んだ気配もない。ライヴ録音故に快活さが当然のごとく加味されている。演奏会のメインの曲目が「ザ・グレート」である。これは雄大なスケールを持った演奏であり、細かく刻むリズムの楽しさは抒情的表現の泰斗であるワルターらしい快演である。この曲のライヴ録音は他にNBC響とのものしか聴けないので、今回のリリースは歓迎されるだろう。
ワルターはブラームスに関してもエキスパートであったが、「ドイツ語によるレクイエム」となると、シリアスな表現が徹底している。ストックホルム・フィルの「ドイツ・レクイエム」というと、このワルターの演奏と近い時期に行われた、フルトヴェングラーの1948年の演奏が有名だ。合唱団も共通している。この合唱団が優秀なのは周知の事実である。ワルターの演奏もフルトヴェングラーに負けず劣らずの劇的な演奏である。「ドイツ・レクイエム」の第2曲目、「肉はみな、草のごとく」の結構派手で動的なアプローチの迫力、第6曲目「われらここには、とこしえの地なくして」はヒロイックでもある。第7曲目「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」の終結はさすがに静かに瞼が閉じるような静謐さである。極めて起伏に富んだ演奏であり、歌劇場で育った芸術家ワルターならではのドラマティックな名演と言えるだろう。

SSS-0174(2CD)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482
R・シュトラウス:アルプス交響曲
朝比奈隆(指)
ベルリンRSO(旧西、現ベルリン・ドイツ響)
リリアン・カリール(P)

録音:1964 年3 月6 日SFB-ザール(ステレオ・ライヴ/R.シュトラウス生誕100 年記念演奏会)
朝比奈隆が度々自ら話題にした、1964 年リヒャルト・シュトラウス生誕100 周年記念にドイツ で演奏した「アルプス交響曲」。ドイツの放送局がシュトラウス作品を特集して演奏・録音した 一環で、「家庭交響曲」はカール・ベームが担当したという正に歴史的に重要なコンサート。 この時、朝比奈はまだ56 歳という壮年期。もちろん「アルプス交響曲」はこの時が初振り!「や ってみたらそんなに難しい曲じゃない」ということで大のお気に入りとなり、数年後には自らの 還暦記念で大フィル、京都市響との合同演奏を行います。その後も80歳記念、大フィル創立 50年でも演奏します。特筆すべきは、1990 年の北ドイツ放送響客演時にもこれを取上げて、 現地で聴衆からの熱狂の拍手を浴びております(EMI 盤は、これをカット。制作者の無関心が 偲ばれます)。1991 年に日本で合同オーケストラ「オール・ジャパン・シンフォニー・オーケスト ラ」を指揮した際は、体調の不全を押しての凄絶な演奏を聴かせ、客席にいたシカゴ響総裁 ヘンリー・フォーゲルを感激させ、1996 年のシカゴ響出演に繋がります。いわばブルックナー 以上の勝負レパートリーであったのです。後年よりテンポは速めですが、頂上から降りてから の威厳と風格は既に確立しており、「日没」、「終結」、「夜」の心に沁みわたる演奏には感動を 禁じ得ません。前半プロのモーツァルト:ピアノ協奏曲第22 番も珍しいレパートリー。アメリカの 名女流リリアン・カリール(パメラ・フランクの母、クロード・フランクの妻)と紡ぐ、陰鬱、深深とし た抒情がこれまたたまりません。 演奏と近い時期の若い頃の写真が見つかりジャケ写に使用しています。良好なステレオ録音。
SSS-0175
チェリビダッケのショスタコーヴィチ
(1)交響曲第9番変ホ長調Op.70
(2)交響曲第5番ニ短調Op.47「革命」
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:(1)1964年11月20日、(2)1967年3月19日
ストックホルム・コンサートホール (全曲ライヴ・ステレオ録音)
※セルジュ・イオアン・チェレビダーキ氏認可
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
チェリビダッケは、若き頃よりショスタコーヴィチに多大な関心を寄せており、第7 番「レニングラード」のドイツ初演は録音も遺っており、過激な表現は聴き手の心胆を寒からしめる凄絶さでありました。後年もショスタコーヴィチを各地で取上げながらも録音に恵まれずあっても満足から程遠い音質であったりでファンが渇仰するレパートリーともいえる存在でした。 ついに、第5 番「革命」と第9 番がスウェーデン放送響との名演で甦ります。第5 番「革命」は晩年のミュンヘンフィル時代にも取り上げて 1 時間に及ぶ演奏だったという伝説がありますが、1960 年代のチェリビダッケは常識的なテンポを採用し、かなり動的なアプローチで楽想を抉り出します。濁りのない透明なサウンドで、この世のものとは思えぬ静謐さを第 3 楽章では体感できます。第 9 番のようなシニカルな作品は正にチェリ向きで、ベートーヴェンの第8 番的な諧謔には舌を巻くばかりです。

SSS-0176(3CD)
カール・ベーム&ケルン放送響/ステレオ・ライヴ録音集
(1)ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調
(2)モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」
(3)ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
(4)ブラームス:交響曲第1番ハ短調Op.68
(5)モーツァルト:交響曲第29番イ長調K.201
カール・ベーム(指)ケルンRSO
(2)クリスチャン・アルテンブルガー(Vn)

録音:(1)(2)1978 年6 月23 日ヴッパータル市立劇場、(3)1980年11月9日デュッセルドルフ・トーンハレ、(4)(5)1976 年9 月21 日ヴッパータル市立劇場
全てライヴ録音
■〜ライナーノート〜より
ベームはカラヤンと同等の地位にある20 世紀の指揮者の中の覇者であるが、カラヤンと最も異なる点は、カラヤンが ベルリンフィルとウィーンフィルの指揮台にのみ活動を限定したのに対し、ベームは最晩年まで世界中の多岐にわた るオーケストラを指揮し続けたことである。 ドイツ国内の放送オーケストラ(そのいずれもが優秀であることは言うまでもない)に繰返し客演したベームの演奏 は、最も密接な関係を保つと言われたウィーンフィルとの演奏と全く異なる表現を取ることもあり、興味が尽きない。 ベートーヴェンの交響曲第7 番を例に取ってみよう。この曲などベームは生涯で何度指揮したかわからない程であろ う。当ケルン盤(1978 年6 月23 日ライヴ)では、隅々まで血が通っている。正しく人間が奏でる音楽である。 そして何よりも、オーケストラの反応がベームに対して実に素直なのである。聴衆を前にしたベームの高揚、推進力、 気迫。ゴツゴツとした無骨さ。そうした長所だけでなく、時折見せる微かな造形の乱れや迷いといったものも全て白日 のもとにさらされるような演奏である。 カプリングのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第 5 番「トルコ風」も、艶やかな音色で知られるアルテンブルガーのソ ロに、モーツァルトの泰斗、ベームの伴奏という贅沢な一品で、モーツァルトの天才を聴き手に余すところなく伝えて いる。

SSS-0179(2CD)
スヴェトラーノフ/ベートーヴェン傑作集
「レオノーレ」序曲第3番
交響曲第3番「英雄」*
交響曲第5番「運命」#
交響曲第6番「田園」##
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1989年9月15日、1988年9月16日*、1989年9月18 日# 以上ベルワルド・ホール、1991年1月5日ヴェクスホ・コンサートホール##
ムラヴィンスキーの作り上げた痩身でスタイリッシュなベートーヴェンと対極にあるスヴェトラーノフの貫禄溢れるベートーヴェン。じっくりとやや遅めのテンポを採用し、風格豊か。巨匠のドイツ音楽への畏敬を強く感じるヒロイックな名演揃いです。 「レオノーレ」序曲第3番は、同年の3月にベルリンフィル初登場でも取上げた自信のレパートリー。大交響曲を聴くようなスケール極大な表現に圧倒されます。 「英雄」、「運命」はロシア国立とのメロディア盤が1981 年の演奏でしたから、さらなる高みに邁進するスヴェトラーノフの 90 年代を予期させる立派な演奏。単なる爆演に終らぬ当演奏の落着きと熟成感が顕著です。「田園」は、1999 年にもN響と披露し慈愛に満ちた表現で評判でした。91 年の当演奏はまだ晩年から遠く、馬力を感じる名演。いずれも音質優秀、オケも優秀。必携の名盤です。

SSS-0181(2CD)
スヴェトラーノフ/R・シュトラウス傑作集
交響詩「英雄の生涯」
アルプス交響曲*
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1998 年3 月1 日、1993 年9 月18 日* ベルワルド・ホール
正にスヴェトラV.S.シュトラウスという感じの肉弾戦!スヴェトラーノフはシュトラウスを好み、メロディアにも複数の録音があります。交響曲の破壊者と呼び得るシュトラウス独特の異形の様式、テーマの突飛さ、意表を突く楽器の活用などは、フル編成のオーケストラを意のままに操る専制君主、スヴェトラーノフにとっては食指の動く作品群だったと言えるでしょう。しかし音質の良い演奏に恵まれず、その解釈を堪能するには隔靴掻痒の感がありました。ついに登場した初出レパートリー「英雄の生涯」は、じっくり感の凄い遅めのテンポによる巨像の歩みのような個性的な名演。音色のパレットも豊富で、シュトラウス解釈者としての並々ならぬ実力を誇ります。 スヴェトラーノフの「アルペン」はロシア国立とのメロディア盤はLPのみ。ハーグフィルとのライヴはオケが非力なため優秀なスウェーデン放送響とのライヴは歓迎すべきでしょう。物語性、神秘性の創出。類まれなるロマンティスト、スヴェトラーノフの超名演です。
SSS-0183
シューベルト:華麗なるロンドD.895
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番
ヨアンナ・マルツィ(Vn)
ジャン・アントニエッティ(P)

録音:1957 年5 月18 日ケルン放送第2 ホール、 スタジオ録音(モノラル)
誰がこの日を予想できたことでしょう。録音が少ない幻の名女流ヨアンナ・マルツィの初出レパートリー、ベートーヴェンの「スプリング・ソナタ」の登場です。マルツィとベートーヴェンの相性の良さは広く知られるところですが、一般的に聞かれるのは第8 番(DGの超高額中古LPでも有名)と「クロイツェル」だけでしょうか。「スプリング・ソナタ」は弦楽器愛好家が熱望したレパートリーであり、この愉悦に満ちた、そして繊細な抒情には抗しがたい魅力がございます。新春早々の注目盤です。シューベルトの「華麗なるロンド」は18 番、ベートーヴェンの第8 番のソナタもまるで人の声のような痛切な名演。伴奏のアントニエッティとも見事なコンビネーションを見せます。ケルン放送による放送用スタジオ録音で音質も万全。これは必携盤です。
SSS-0184
チェリビダッケのモーツァルト
モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」 *
交響曲第38番「プラハ」
6つのレンドラー風舞曲
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:1971 年3 月21 日ライヴ*、1970年2月8日ライヴ (共にステレオ)
CDで聴けるチェリビダッケのモーツァルトの交響曲と言うのは極めて少ない。 交響曲第 36 番「リンツ」は、初の公式発売のレパートリーである。この曲をチェリビダッケはミュンヘン時代にも演奏しているからレパートリーから外していた訳ではない。音の出だしが何時もながら独特だ。ラヴェルやドビュッシーのようだ。 第 38 番「プラハ」はモーツァルトが古典様式の交響曲に回帰したと言われる三楽章性の交響曲だが、この演奏は晩年のチェリビダッケが獲得した荘重な演奏様式を早くも獲得している。実にロマンティックな演奏と呼ぶほかない。
SSS-0185
チェリビダッケのシューベルト
シューベルト:交響曲第9番「グレート」
交響曲第3番*
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:1969年1月26日ライヴ、1967年12月1日ライヴ*(共にステレオ)
音の始まりが柔らかで美しい故に、テンポはミュンヘン時代に比べて常識的(46 分)ながら、全体にゆったりした印象を受ける。ティンパニのアタックも鋭角的ではない。これは意図的である。第 2 楽章が、まるでラヴェルのように鳴り響く。第 3 楽章ではメロディの繰返しの執拗さをさらに強調している感がある。 第 4 楽章では、熱血漢チェリビダッケの顔が飛び出す。柔らかに美しくを目標にしていても、どうしても血の気が騒ぐのだろう。怒鳴り声、足音とともに音色のエッジが立ってくる。こういう箇所がチェリビダッケは面白い。血の通った芸術家なのである。 第3 番について、チェリビダッケは第1 楽章から目いっぱい遅いテンポを採用し、「ザ・グレート」同様のエッジの柔らかい演奏を繰り広げている。こんな演奏は聴いたことがない。第4 楽章フィナーレのディミヌエンドなど、全く「ザ・グレート」のフィナーレと同様の解釈をしている。相似を意識していたのではないか?

SSS-0186
チェリビダッケ&ニルソンによるワーグナー、ヴェルディ
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死*
 ヴェーゼンドンク歌曲集より3曲(天使、悩み、夢)*
ヴェルディ:歌劇「マクベス」第2幕より「光は萎えて」
 歌劇「仮面舞踏会」第2幕より「ここがかの恐ろしい場所」
 歌劇「運命の力」第4幕より「神よ平和を与え給え」

(ボーナス・トラック)
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死 リハーサル風景
ビルギット・ニルソン(S)
セルジュ・チェリビダッケ(指)
スウェーデンRSO

録音:1967年9月8日*、1968年9月1日、ストックホルムコンサートホール(ステレオ)
21 世紀になってチェリビダッケによるオペラが聴けるとは!決して経験がない訳ではないにも関わらず、やはり歌劇場とは疎遠だった巨匠チェリビダッケ。しかしコンサートではしばしばオペラの序曲などを好んで指揮しました。 今回のアルバムは、圧倒的な声量を誇ったビルギット・ニルソンと正にがっぷり四つの名演集。ワーグナー作品についてはかつて GALA という海賊盤レーベルから出ていましたが、劣悪なモノラル音源で当盤とは比較になりません。特徴的な精緻を極めた弱音。繊細でいながら大きなうねりも生み出す巧みなオーケストラ・ドライヴ。熱い血を持つチェリビダッケが展開する官能美に余裕たっぷりのニルソンの堂々たる歌唱には深い感動とともに痺れる他ありません。この翌年の再共演が、イタリア・オペラのアリア 3 曲です。チェリビダッケの音楽づくりはいつもの通り、ヴェルディも熟練の管弦楽作家として描き尽くします。しかしニルソンの顔を潰すような場面はなく、正に、龍虎相打つと言ったお互いの尊敬が音楽に込められております。
SSS-0187
ミケランジェリ・ベルン・リサイタル
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番
ドビュッシー:「映像」から(第2集より「葉ずえを渡る鐘の音」、第1集より「ラモー賛」、第1集より「水に映る影」)
シューベルト:ピアノ・ソナタ第4番イ短調D.537
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(P)

録音:1975年3月18日ライヴ・ステレオ(ベルン放送スタジオ) SRFスイス放送による収録

※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
1975 年3 月18 日に行われたこのコンサートは実はかつて、幾つかの形でプライヴェート盤が出ていた。ベートーヴェン作品 とシューベルト作品は、DISCOCORP レーベル、ROCOCO レーベルからLPが出ていた。ドビュッシーの「映像」第一集から「ラ モー賛」と「映像」第2 集から「葉ずえを渡る鐘の音」の2 曲がTHEATRE レーベルからCDが出ていた。いずれも非正規な発売 であり、音質も劣悪であった。
●ベートーヴェン
当ベルン・リサイタルでは、まるでミケランジェリ(ABM)が目の前で演奏してくれるかのような臨場感が心地良い。粒だった音色 の美しさが素晴しい。滑らかな手の動きが目に見えるようだ。 ABM の音色は極めて明るいものである。時としてベートーヴェン作品の演奏では、その明るさがベートーヴェンの持つ陰鬱さを 減じているという非難もあった。 ところがこの演奏を聴けば、明るい音色で暗を創造しているではないか。やはり、聴衆を前にした芸術家の生み出す演奏こそが 真の芸術家の姿、真の演奏と言うべきであろう。
●ドビュッシー
ABM の技術の特徴に音の消え方がある。まるで人が息を引き取る瞬間に居合わせるようだ。その箇所がたまらなく美しい。そし てその様子をじっと見守る聴衆の姿まで目に浮かぶようである。
●シューベルト
ABM のDG へのスタジオ録音のレコードには、わざわざ60 年以上前のピアノで演奏しているという注意書がある。ピアノに殊の 外やかましかったABM のことだから、不本意であるという意味での記述ではないであろう。さて、このベルン・リサイタルのピアノ はどんな音であろうか?それは聴いてのお楽しみとしておこう。(ライナーノートより)

SSS-0192
ミュンシュ&ケルン放送響ライヴ
フォーレ:「ペレアスとメリザンド」組曲
リスト:ピアノ協奏曲第1番*
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲 #
ルーセル:交響曲第3番
シャルル・ミュンシュ(指)
ケルンRSO
ニコル・アンリオ・シュヴァイツァー(P) *
ハンス・ユルゲン・メーリング(Fl)#

録音:1966年9月30日ケルン放送 ビスマルク・ザール(ステレオ)
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
1966 年の9 月、即ち1966/1967 シーズンの開始の月、ミュンシュは多忙を極めていた。9 月上旬には、フランス国立放送響を率いて、ブザンソン国際音楽祭に参加している。さらに各地へ客演。9 月30 日には、ケルン放送響に初客演(そして最後の)し、当CDに収録のコンサートを行う。10 月にはフランス国立放送響を率いて日本ツアーを行っている。正にミュンシュの音楽的壮時と言える時期だった。 当CDにおけるケルン放送響との演奏は、ミュンシュとドイツのオーケストラによる初のディスクとなる!良好なステレオ録音で現存していたことが有難い。ケルン放送響は現在に至るまで、ドイツで屈指の優秀な放送オーケストラだ。プログラムはミュンシュお馴染みの曲ばかりだが、「フルーティスト」を意識的に重用した曲目となっている。そのフルーティストは、ハンス・ユルゲン・メーリング。ケルン放送響の首席フルートを長く務
めた名手である。ジャケットには辻修氏による来日時の写真を使用!(ライナー・ノートより)

SSS-0193(4CD)
カイルベルト・ステレオ・ライヴ1966-67
(1)ベートーヴェン:交響曲第6 番「田園」
(2)ベートーヴェン:序曲「コリオラン」
(3)ブラームス:交響曲第1番
(4)マーラー:交響曲第4 番
(5)ドヴォルザーク:交響曲第9 番「新世界より」
(6)モーツァルト:交響曲第33番
ヨゼフ・カイルベルト(指)
ケルンRSO
(4)アグネス・ギーベル(S)

録音:(1)1967年10月27日、(2)(4)1967年12月8日 、(3)1967年3月31日 、(5)(6)1966年4月15日 ケルン放送ビスマルクザール
〜ライナーノート〜より
■ベートーヴェン:交響曲第6 番「田園」、「コリオラン」序曲
「田園」をカイルベルトは、ハンブルク・フィルとスタジオ録音している。中々評判の良い 演奏である。が、今回の演奏は、それよりもずっと録音状態が良い。もちろん、ケルン放 送交響楽団の妙技もハンブルク・フィルを上回る。「嵐」以降の迫力も凄まじい。カイル ベルトは、フルトヴェングラーのような天才的なアッチェルランドを見せる人ではない。
■ブラームス:交響曲第1 番
ベルリン・フィルとのスタジオ録音は残念ながらモノラル録音であった。当盤のケルン放 送響とのライヴは、やはりオーケストラの機能性が非常に高い。第 3 楽章から第 4 楽章 へは、アタッカで奏される。よほど指揮者とオーケストラの意思疎通が良かったに違いな い。奔流のようなフィナーレは、筋骨隆々のフォルムと相俟って、圧倒的である。
■マーラー:交響曲第4 番
カイルベルトにとっての初出レパートリーである。カイルベルトとマーラーは縁が薄いよう だが、決してそうではない。マーラー生誕 100 年を祝う 1960 年のウィーン芸術週間に は、ウィーン交響楽団と第8 番「一千人の交響曲」を演奏している。そのほか、第1 番、 「大地の歌」の放送録音もCD化されている。音色も普段の重厚なカイルベルトと違って 軽妙で明るい。さすがに第3 楽章では、18 分も掛けて情緒纏綿に噎せ返るほどに甘美 に歌っている。非常に音質が良く、「カイルベルトのマーラー」の代表盤となった。
■ドヴォルザーク:交響曲第9 番「新世界」、モーツァルト:交響曲第33 番
カイルベルトは「新世界」交響曲を好んで指揮した。バンベルク響とのスタジオ録音も名 高い演奏である。ドヴォルザークは正にブラームスと肩を並べる、構成的な作曲家であ ることをカイルベルトの演奏は我々に教えてくれる。モーツァルトの交響曲第 33 番は、 現在では全く聴くことのできないスタイルの演奏である。カイルベルトは徹底的にリズム を厳格に刻んで、まるでベートーヴェンのようにモーツァルトを聴かせる。この頑なさ、こ れもカイルベルトの魅力である。
※英語・日本語・ドイツ語によるライナーノート付。舞台写真の大家、故丹野章氏による 来日時の写真を使用。


SSS-0197
ブラームス:交響曲第1番
ハンガリー舞曲集(第1、第3番、第4番、第5番)*
ジョルジュ・プレートル(指)
シュトゥットガルトRSO

録音:2000年12月8日リーダーハレ、1997年10月29日〜31日リーダーハレ*
常識に囚われない独自の感性と構成力を湛えたプレートルの芸術をここでもたっぷり堪能できます。その耳慣れないニュアンスやテンポ設定等の表面的現象だけを捉えて、「仕掛け満載の面白い演奏」と形容したら、プレートルは浮かばれません!「仕掛け」でも「演出」でもなく、そうせずにはいられない心の底からの表現が漏れなく音に変換されていること、音そのものの純粋さは、交響曲の第1楽章冒頭を聴けば明らかです。大上段に構えず、しなやかなフレージングを基調としながら大河のようにうねる音楽は、どこを取っても強い確信に満ち、その説得力を目の当たりにすると、他の指揮者はなぜここまで踏み込まないのかと疑問が湧き起こるほどです。序奏第1音から2:07の頂点に至るまでに、溜め込んだエネルギーを着実に増幅させる構築力も他に類を見ませんが、そこにも衒いなどなく、感情表現と一体化しているからこそ強烈な訴求力を生んでいるのではないでしょうか。
第2楽章のテクスチュアの透明感、名優の台詞回しのような生き生きとした語りも、プレートルならでは。オーケストラの音を感覚的な面白さではなく、「実体の伴ったドラマ」として再現する並外れたセンスは、終楽章は大きく開花。第1主題を前段と後段で対話させるのは、それこそユニークなアイデアですが、「こんなことも出来るんですよ」と心の中でニンマリしているような嫌らしさが無いのです。「何も歌わず語らない音楽なんて無意味!」と言わんばかりの信念の塊に聴こえませんか?しかも、その主題の現れるたびにその対話を判で押したように繰り返すのではなく、各シーンごとに温度差を与えるという入念さ!これこそ、プレートルが「生きた音楽」を追求していた証ではないでしょうか?コーダの盛り上がりも、「ゴツゴツとしたブラームスらしさ」とは無縁。音は常に健康的で伸びやかに聳えます。最後のティンパニのロールにもご注目を。音の最後の末端まで強固な意志が漲っているのは、単に奏者のやる気だけではなく、プレートルの徹底したこだわりが乗り移っているように思えてなりません。【湧々堂】
※この第1交響曲の登場で、プレートルのブラームス全集が揃うことになります。第2番、第3番(ベルリン・ドイツ響、SSS-0129)、第4番+ピアノ四重奏曲(管弦楽版)(聖チェチリア管、 TBRCD-0028)。

SSS-0198
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
マーラー:交響詩「葬礼」
ジョルジュ・プレートル(指)
シュトゥットガルトRSO

録音:1996年10月14日〜28日リーダーハレ、1998年6月28日リーダーハレ*
プレーヤー再生前に一言!ドヴォルザークの「新世界」の後にマーラーがカップリングされていますが、最初にマーラーから聴かれることを強くお勧めします。
ニ作品品とも、各音楽に込めた作曲家の思いをこれ以上に追求し引き出すことは不可能と思われる超絶的な名演なのですが、まずはマーラー
「復活」第1楽章の原型となった「葬礼」は、過去の録音は、珍曲の紹介程度の意味しか成さなかったものが多い中、これは一個の作品として完全に結実していることを実証した初めての例と言っても過言ではありません。暗さにばかり焦点を当てず、明暗をくっきりと描き、作品の潜在力を出し尽くしたこの演奏。特に灼熱のコーダの凄さは、当分これを超える演奏は出現しないでしょう。
そのニュアンスの徹底注入ぶりは、ドヴォルザークも同じ。「新世界」の名演は数々あれど、録音の優秀さも含め、これ以上のものはかつて聞いたことはなく、こんな感動があり得るとは夢にも思いませんででした。
第1楽章冒頭の弦の質感から、清潔なテクスチュアへの志向がはっきり伺えますが、続くホルンは硬質の響きで聴き手を覚醒させ、次の木管はとことんメロウに歌う…というように、各楽想への配慮と共感は、古今を通じて比類なし!主部以降も響きの硬軟の使い分けは尋常ではなく、そのそれぞれが他のニュアンスなど考えられないほどの説得力で迫ります。テンポ・ルバートも誰にも真似出来ない個性的なものですが、少しも押し付けがましくなく、どの部分を取っても瑞々しさが横溢。
第2楽章では逆にテンポを動かさず、心の底からの呼吸の妙味で聴かるという、これまたこの巨匠ならではの奥義。
終楽章の感動に至っては筆舌に尽くせません!まず冒頭の1分間、相当の高速進行にも拘らず暴走に傾かない点にご注目!これほど全ての音が高度に結晶化し、根底から主張している演奏が他にあったでしょうか?この必死さ、夢中さは、現代においてまさに奇蹟と呼ぶしかありません。第1楽章同様、各楽想のニュアンスの炙り出しはここでも徹底敢行。単なるやりたい放題の爆演とは違う心の襞への訴え掛けが、月並みの名演とは桁違いなのをお感じいただけると思います。そして、聴後に訪れるのは、全身の血液を全てリフレッシュしたような爽快感!そんな後に、マーラーで落ち込む必要がどこにあるでしょうか!【湧々堂】
SSS-0199
チャイコフスキー:交響曲第4番、
ビゼー:交響曲第1番
ジョルジュ・プレートル(指)
シュトゥットガルトRSO

録音:1991年6月28日リーダーハレ
是非ビゼーからお聴きになることをお勧めします。あまりにも凄いチャイコフスキーの後に、改めてビゼーを受け入れられる人があるとは思えないからです。
このビゼーは、Hanssle(SWR)から出ていたものと同一録音。この曲の理想を徹底追求した名演です。カラッと晴れやかなサウンドを基調としながら、これほどメルヘンの世界を表出しきった演奏は滅多に出会えません。特に第2楽章の憧れの風情は、これ以上は表現不可能と思われるほど。作品への愛おしさを惜しげもなく全面に出しつつ品位を落とさない絶妙なバランス感覚は、プレートルのバランス感覚の比類なさを象徴しています。終楽章は相当の高速テンポながら力技に走らず、これぞ軽妙洒脱の極み!
チャイコフスキーの交響曲のセッション録音は「第5番」しか遺していませんが、そのあまりの素晴らしさに他の録音がないのを悔やんでいた方には大垂涎!これまた並の名演ではありません。
第1楽章冒頭の金管の動機からして即興性満点で、杓子定規な進行とは無縁なことを表明。そして、木管が奏でる第1主題を支える弦のさざ波はなんというデリカシー!結尾をいちいちディミニュエンドする演奏は他にもありますが、ここに聴くニュアンスは、まさに愛の結晶。9:34以降は、どんなに悲哀に満ちたフレーズでも決して女々しさとは一線を画した甘美な優しさで包み込むプレートルの特質が全開。後ろ髪を弾かれるようなアゴーギクはかなり大胆ですが、恣意性は皆無で、ただただ泣けます。終楽章は超高速!その中で明確にアーティキュレーションを施して作品の隈取を明確化しつつ、歌を徹底注入。しかも迫力満点でありながら、音を荒廃させないセンス!何から何まで芸術性の極地と言う他ありません。6:36からの弦の擦り寄り方など、完全にオペラ・アリアの一節のよう。そしてコーダの突き抜けたと突進力!超高速の中で、大太鼓の一撃も含めてここまで徹底的に鳴らしきった演奏を聴いたことがありません。この作品の表現の幅を最大限に押し広げた画期的な大名演です!もちろん音質も極上。【湧々堂】


SSS-0209
フィルクスニー/モーツァルト協奏曲集
ピアノ協奏曲第15 番
ピアノ協奏曲第18 番*
ルドルフ・フィルクスニー(P)
ズデニェク・マカール(指)
ジョージ・セル(指)*
ケルンRSO

録音:1973年1月19日放送録音、1966年6月24日放送録音(共にステレオ)
(音源提供:WDR ケルン放送)
今なお忘れがたい名ピアニスト、ルドルフ・フィルクスニーのモーツァルトの協奏曲 が登場!我が国でもモーストリー・モーツァルト音楽祭でも妙技を披露し絶賛されたこ とがあります。これほどの適性を示したモーツァルトながら録音は極めて少なく、2 曲と も音盤初レパートリーです。ドイツ屈指の実力を誇るケルン放送響との共演でステレオ 録音高音質! 第15 番は、フィルクスニーが高く評価したマカールとの共演。奇を衒った箇所が少し もないのに十分に愉悦に富んで、奇数番号の協奏曲らしく楽しく聴けるところがフィルク シュニーらしい美点です。そして聞き物は何といっても希代のモーツァルティアン、ジョ ージ・セルが伴奏する豪華共演の第18 番は、かつてEMI から出ていたチャイコフスキ ーの交響曲第5 番の前半プログラムです。自身が優れたピアニストであったセルは共演 するピアニストに殊に厳しく、アニー・フィッシャーなどには、自ら弾いて見せた上で「こう いう風に弾け」と強要し衝突した程です。フィルクスニーとは非常に相性が良く、商業 録音こそ遺さなかったものの共演を繰り返しております。粒だった美音と清潔そのものの 気品溢れるフィルクスニーの芸風はセルとも相通じるものがあります。
■フィルクスニーご息女、ご子息からのメッセージ!
イゴールと私の兄弟にとって、最近ドイツの放送局WDR のアーカイブで発見された父の歴史的録音がディスク化されることは大きな喜びです。ジョージ・セルもズデニェク・マカールも父が長年個人的に親密な結びつきを持っていた偉大な指揮者です。私たち兄弟はセルに会ったことはありませんが、彼の写真と眼鏡が、父が毎日練習していたピアノの後ろの本棚の上段に恭しく置かれていました。この並外れたアーティストに対して父がどのように思っていたかはその口調から明らかでした。どんなに深く尊敬していたか、そして愛していたか、共演の数々からいかに多くのことを学んだか。ここに収録されている 1966 年の録音は私たちが生まれる前のもので、この演奏を聴くことができたのは私たちにとってまさに思いがけない贈り物といえます。(ヴェロニク・フィルクスニー)
ズデニェク・マカールと父はプロフェッショナルな同僚でしたが、同時にお互い家族ぐるみで友人でした。父やマカールのような道徳的義務を負った人々が政治的な状況からチェコスロヴァキアからの亡命を余儀なくされたとき、この二人の同胞がともに音楽を演奏するどんな機会も極めて特別な意味を持っていたといえます。子供のころ夏の音楽フェスティヴァルでスイス、ルツェルンに滞在したときにはマカール家族をたびたび訪ねました。思い出してみると、私たち家族は家ではほとんどチェコ語のみを話していましたが、両親が他の人々とチェコ語で会話しているのを聞くのは稀なことでした。従ってマカールの湖畔の家を訪ねたことはとても意味深い鮮明な記憶として心に深く残っています。父はズデニェク・マカールを指揮者として、また音楽家としてこの上なく敬愛し、いつも芸術的な協力ができる場を楽しみにしていました。(イゴール・フィルクスニー)


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