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ダン・エッティンガー(指)東京フィルハーモニー交響楽団 |
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TOWER
TPTW-1002 |
録音年:2006年9月10日 オーチャードホール【デジタル・ライヴ】 |
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演奏時間: |
第1楽章 |
15:48 |
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第2楽章 |
13:53 |
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第3楽章 |
5:42 |
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第4楽章 |
13:05 |
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カップリング/モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 |
“終楽章の終結に全てを掛けた若き巨匠の真価” |
どんなに演奏が下手でも、響きが綺麗でなくても、それが演奏者の感性から発した心の叫びであるならば聴く者の心を揺さぶるということは言うまでも在りません。逆に「こうあるべき」という理論のみで塗り固められ、知性しかかつ活用していない演奏、つまり「嘘臭さ」が底流するような演奏ほど不快なものはなく、そういう音楽を佳しとする演奏者、評論家の存在意義に私は大いに疑問を感じています。ここに聴く「チャイ5」は確かに若さに似合わず「風格豊かな立派な演奏」と言えるでしょう。感覚的にはそのように受け取れます。しかし音として出てくる表情にほとんど心の震えが感じられないのです。昨今はピリオド・アプローチを取り入れた爽快な演奏が流行する一方で、かつてのクレンペラーのような風格を表面的に真似ようとする指揮者も登場しています。エッティンガーにはこの後者の匂いが濃厚です。一言で言えば嘘臭いのです。この両極端な現象は、ピリオド・アプローチが当たり前になりつつあることへのアンチテーゼとも考えられますが、いずれにしても音楽の本質とは違うところで起きている現象だということが悲しいのです。とにかく一言「感じてものを音にしてくれ!」と叫びたいのです。
第1楽章の展開部の最後、198小節のフォルティティモでガクッと一旦ピアニッシモにしてクレッシェンドするという、信じられないあざとさ!明瞭とは言えない録音のせいもあるでしょうが、全体的に弱音が痩せ気味なのも気になります。終楽章の主部直前の43小節からのフォルティッシモは、威容を誇示しようとするあまり、まるでここがクライマックスであるかのよう。全体の構成力の甘さを感じてしまいます。ただこの終楽章はフル・ヴォリュームで聴けば楽しめる部分が多く、尻上がりに心から感じ、オケを完全に掌握した熱い演奏が展開されるのは救いです。特に終結部直前から最後までの完全に殻を脱ぎ捨てたパッションの炸裂と括弧とした造形美は本当に見事!それだけに随所に散見される恣意的な操作や表現のムラが残念でなりません。会場のオーチャード・ホールの特性も、この演奏の真価を損ねてしまったのかもしれません。
ここからは余談ですが、私にはこのCDの価格設定はどうにも理解できません。スタジオでセッション録音をするよりも経費が安く済むことは当然ですが、仮にも新譜です。それを1000円という激安で発売し、さらに全国のショップに流通させないとあっては、広くこの演奏を知ってもらいたいという発送などなく、まさに一人勝ちすることしか念頭に置いていないと言われてもしかたないでしょう。この価格で十分に採算が取れのであれば、CD小売業を牽引するブランドの責任として、そのシステムが全体に根付くように広く働きかけるべきでしょう。もちろん一般リスナーにとっては、値段は安いに越した事はないでしょう。しかし、逆に¥2000、¥3000で新譜を発売するレコード会社は暴利を貪っているような恰好にになってしまい、「丁寧な仕事」の結果がますます報われず、感動的な演奏も埋没していくという負の連鎖を生むばかりなのです。「専門家」の人たちが誰もこの点に疑問を呈さないというのも不思議でなりません。 |
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第1楽章のツボ |
ツボ1 |
冒頭のクラリネットは音色は美しいが、フレージングが問題。慎重過ぎるというより、流れが停滞気味。細かい楽節ごと変に間を置くのが不自然。 |
ツボ2 |
やや遅めのテンポでここも慎重に進行するが、弱音の効果が薄い。 |
ツボ3 |
極力内向的な表現を目指しているのかもしれないが、スラーの意味もクレッシャンドの効果も意に留めず、結果として単にか細い音が出てくるのみ。 |
ツボ4 |
フォルティッシモからの減衰は表面的には美しい下降ラインを描いてはいるが、下降しきった時には、水が砂に浸み込むように音がすっかり腑抜けになっている。フレージングの力感を維持できない人がどうしてオペラを振ることができたのか、不思議でならない。 |
ツボ5 |
スフォルツァンドは十分すぎるくらい生かされている。最初の2小節と後の2小節で呼吸を分けているが、直後の120〜121小節ではなぜか一息でフレージング。この不統一感の意図が理解できない。 |
ツボ6 |
スフォルツァンドもディミニュエンドも意思が脆弱。アニマートの部分は無機的。 |
ツボ7 |
よく揃っているが音楽がときめかない。 |
ツボ8 |
ぐっとテンポを落として切々と歌うが、ここでも共感が滲んでこない。 |
ツボ9 |
冒頭は完全に埋没しているが、それよりも問題は、テンポを確定しきれないままズルズルと進行してしまうこと。ユニークなのは507小節から突如巨匠風の大柄な音楽作りに豹変するところ。ここから最後の締めくくりまでの素晴らしさは特筆もので、これがなぜ全体に浸透し切れなかったのか、残念でならない。 |
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第2楽章のツボ |
ツボ10 |
弦の導入はモゴモゴと音が混濁。フレージングも平板。ホルンは素晴らしい。それに絡むクラリネットも哀愁を心から感じている。 |
ツボ11 |
主旋律のフレージングは大きく保たれているが、全体の力感は、冒頭部分だけで消滅してしまう。 |
ツボ12 |
クラリネットもファゴットも表情が硬い。 |
ツボ13 |
108小節は物凄いフォルティッシモ!その後徐々に弱める。休符も長めで、いかにも入魂の響きとなるところだが、唐突としか響かない。 |
ツボ14 |
これまでのながれからして、ここは信じがたいほど素晴らしい出来栄え!パワーの持久力の保持、力点の置き方がツボを得ており、破綻のない大きな山場を築いている。 |
ツボ15 |
表面的には美しい。しかし弦の弱音があまりにも弱すぎて音楽が出てこない。しかも膨らみを与えず、そのまま最後まで流れてしまう。 |
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第3楽章のツボ |
ツボ16 |
ファゴットはテンポを落とすが、安定感にか欠ける。 |
ツボ17 |
声部のバランスが良好とは言えない。録音のせいか? |
ツボ18 |
残響が「つなぎ」の役割を果たして、一本のラインを形成。 |
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第4楽章のツボ |
ツボ19 |
エッジを立てずに品格重視で進行。テンポは標準的。 |
ツボ20 |
ホルンは一定音量で存在感を出しているがほとんど裏方。 |
ツボ21 |
最初のティンパニのトレモロ・ソロがやや冗長。その後のクレッシェンドはなし。テンポは標準的なものよりもやや遅めで重厚路線。 |
ツボ22 |
159小節のアクセントは生かしながら、163小節のアクセントは無視するとは不可解。 |
ツボ23 |
コントラバスは大いに均等しているようだが録音が捉え切れていない。。 |
ツボ24 |
この直前の経過くでテンポを落としすぎるので、ここで曲が終わってしまうかのよう。296小節目から主部冒頭のテンポ。 |
ツボ25 |
会場ではもっと明瞭に響いていたのかもしれない。 |
ツボ26 |
そのまま主部冒頭と同じテンポ。 |
ツボ27 |
直前テンポを大きく落として徹底的に見栄を切り、その後で確信を持って高速で突進。終結部に達するまでのこのシーンは素直に感性を炸裂させた懇親の響きとなっている。 |
ツボ28 |
長めの音価。 |
ツボ29 |
ここも全体が一丸となった素晴らしい響き。芯から熱い音楽がここへ来てようやく実現。但し、輝かしいカンタービレが続く中、487小節で突如音量を落とす!なんという不見識!!これさえなければ、この終結部は近年稀に見る大名演奏とさえ呼びたい。 |
ツボ30 |
この時点でもオケ全体の音の出し切り方は尋常ではなく、エッティンガーの求心力の高い指揮が完全に開花。弦は明確に音を切るが、トランペットはスコア表記の音価そのままで吹く。 |
ツボ31 |
改変型。 |
ツボ32 |
明瞭に鳴り響き、、全体との調和も良好。 |
ツボ33 |
モルト・メノ・モッソ以降の迷いの内心こうは本当に素晴らしい。締めくくり直前の付点2分音符を少し長めに引き伸ばしてから一気に終わる。カッコイイ! |