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チャイコフスキー:交響曲第5番
マリス・ヤンソンス(指)バイエルン放送交響楽団
第2楽章ホルン・ソロ:
BR KLASSIK
40357-900104

録音年:2009年10月9日ミュンヘン・ガスタイク(デジタル・ライヴ)
演奏時間: 第1楽章 14:48 / 第2楽章 12:25 / 第3楽章 5:43 / 第4楽章 12:03
“バイエルン放送響の機能美はどこへやら…”
「チャイ5」のコメントを書くのに、これほど腰が引けてしまったことはかつてありませんでした。以前のCHANDOS録音がほとんどムラヴィンスキーを表面的になぞっただけの演奏だったのに比べれば独自のカラーを発揮しているといえますが、その独自性があまりにも問題山積です。中堅・若手といわれる指揮者に続々とセンス溢れる人が登場するい一方で、音楽そのものに対する捕らえ方を勘違いしたまま巨匠と言われる立場に立ちつつある人も存在しているこの現状を思うと、気分が落ち込むばかりです。いったいヤンソンスという人は何処へ向かおうとしているのでしょうか?そんな心配を私がする必要などないのですが、本当に心配なのはそんな彼にシンパシーを感じて次世代を担おうとしている指揮者が少なからず存在しているということです。少なくともこの「チャイ5」だけで判断しても、音楽に対する敬意を感じさせず、スコアにないクレッシェンドは全て恣意的、演出の意図が見え見えでその効果は上がらず、結局的に音楽が矮小化してしまうという状況を目の当たりにすると、もはや「音楽を楽しむ」のではなく、弄んでいるとしか思えないのです。終楽章で高らかに「運命動機」を斉奏そうする箇所、こんな最もロシア的ともいえる箇所をこんな散漫な音楽でやり過ごせるのは神経には愕然としますし、しかもこのCDに関しては雑誌のインタビューなどで「ビジネスとしてではなく、良質なものを厳選して届けたい一心」と語っているのですからますます頭を抱えてしまいます。オーケストラ共鳴度も万全とは言えません。クレンペラーやコンドラシンが振った演奏に象徴されるように、バイエルン放送響の優秀さは、単にアンサンブルが鉄壁でというだけでなく、指揮者の持つ能力と意図を120%に膨らませて結実させる点にあると思うのですが、そんな化学反応もここでは望みようがありません。なお余談ですが、先日某音楽雑誌に掲載されていた「現代の名指揮者」ランキングには、当然のようにヤンソンスの名が挙がっていました(ちなみにヤンソンスを挙げた人のほとんどがバレンボイムの名も挙げている)。この人たちは、以下のようなおかしな解釈に正当性を感じるのでしょうか?
第1楽章のツボ
ツボ1 クラリネットも弦も音程の正確さが抜群だが、共感はあまり感じられず、弦は男性的な強さを出そうとするあまり前に出すぎて。結局確固としたニュアンスを表出できないまま流れる。ムラヴィンスキーの呪縛も多少感じさせる。
ツボ2 テンポは標準的。弦の刻みの後半からディミニュエンドし、早速ヤンソンスらしい衒いが登場。そうした発想力は素晴らしいし、そうしたい気持ちもわかるが、音楽として出てくる際にはそれが単に「ユニーク」としか印象付けられないのが残念。
ツボ3 スラーを意識し、意外にも優美な表情。しかし、それならば、その複線として序奏部においてもそれと連動するニュアンスを打ち出しておくべきではないのか?
ツボ4 スコアどおりで表面的には何の問題もないが、音楽自体に空虚さが漂う。
ツボ5 ここは聴きもの。冒頭は緩やかなスフォルツァンド。若干テンポを落として甘美に歌い上げるが、120小節以降のフレージングはスコアどおりのアーティキュレーションを遵守しながら実に心がこもった深い呼吸を展開。こういう姿勢常に曲げないでほしい!
ツボ6 アニマートに向かって感情を飛翔させてほしいところだが、全体に平板。
ツボ7 場面展開のコントラスト付けが不十分。ピチカートはただ鳴っているだけ。クラリネットが繰り返す付点の音型は、あまりにも機械的。
ツボ8 最初の数小節を実に美しいフレージングで、全体にマイルドなトーンの録音状態とあいまって心に響くが、175小節に差し掛かるとまた悪い癖が!極めて意図的な最弱音を支持し、そのご一呼吸で駆け上る作戦。同様の解釈をする指揮者は他にもいるが、オケの響きの質からもわかるように、心の震えのないただの弱い音なのだから、必然性を感じようがない。なお、再現部の同じ箇所は、これをさらにもっとイヤラシく強調。
ツボ9 冒頭は完全に埋没。そのままイン・テンポ。呼吸に閉塞感がつきまとう。
第2楽章のツボ
ツボ10 弦の導入のフレージングは恣意的。ホルンは完璧なテクニックで楽々演奏。しかし哀愁も郷愁も希薄。オーボエは味わい深い。
ツボ11 チャイコフスキーがフォルティシシモと指示した意図をどう汲んでいるのか?先日コメントしたネルソンス動揺、ベチャッーとだらしなくぶちまけてしまう意味がわからない。
ツボ12 クラリネットの技量は抜群によく、共感も滲んでいるが、70小節ではまたしても無意味な弱音を指示。同じフレーズが続くときは、その2度目をどうしても弱音にしないと気が済まないのだろうか?続くファゴット・ソロでももちろん同様。
ツボ13 なんという気の抜けたピチカート。
ツボ14 なかなかの渾身技。呼吸も迫真で強弱の起伏を捉えきった解釈だが、残念ながら全体を取り巻く緊張感が、それに届いていない。
ツボ15 2度目のフレーズを弱音にする癖をここでこそ発揮すべきだと思うが、その期待を見事に裏切るただの素通り。ここでの弱音は全体的に感覚的。
第3楽章のツボ
ツボ16 インテンポのままなだれ込み。
ツボ17 まとわり付くものが何もない、オケの機敏な動きは実現できている。奇の衒いようもない箇所だけに至って全うな解釈だが、音楽的な湧き上がりに欠ける。
ツボ18 ファゴットの第1音が強すぎる。
第4楽章のツボ
ツボ19 堂々とした威厳に満ちたフレージングを実現し、そのスタンスにはブレがない。
ツボ20 ホルンは完全に裏方。トランペット、ホルンによる運命動機に緊張感がないのが惜しい。
ツボ21 緊張感のないティンパに・ソロを経て主部冒頭は中庸のテンポで開始。ティンパには強弱を付けずに控えめにトレモロを続けるだけ。全体に音が軽く、地に足が着かないまま流れる感じ。
ツボ22 アクセントは生かしているようだが曖昧。148小節冒頭もスフォルツァンドにし打ているようだが、これも中途半端。
ツボ23 これまた前代未聞!コントラバスのフレーズ後半をなんとディミニュエンドして木管のフレーズにつなげるというあざとさ!音楽を感じることよりも「細工」を優先していることが露呈してしまった瞬間。
ツボ24 主部とほぼ同じテンポ。アンサンブルが汚い。
ツボ25 鈍い一撃。
ツボ26 そのまま主部冒頭と同じテンポ。主部冒頭よりは推進力がある。
ツボ27 快速テンポでストレスなく進行するが切迫した雰囲気に欠ける。
ツボ28 実際の音符の音価よりもかなり長めにに引き伸ばす。
ツボ29 テンポはごく標準的。
ツボ30 弦もトランペットも曖昧なまま流れるだけ。
ツボ31 ムラヴィンスキー同様、499小節でガクッと弱音に落としてからクレッシェンドで浮上。その緊張感のない唐突さはムラヴィンスキーと比べるまでもない。
ツボ32 いかにもドイツ的な響きなので放射力が強くない。
ツボ33 イン・テンポで安定した締めくくりを迎えると思いきや、最後の4つ連打がなぜか性急になる。

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