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大植英次 |
ミネソタ管弦楽団 |
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Minnesota Orchestra
VOLUME-12 |
録音:1997年11月28日 ミネアポリス,オーケストラ・ホール(ステレオ・ライヴ) |
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演奏時間: |
第1楽章 |
14:55 |
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第2楽章 |
12:40 |
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第3楽章 |
5:42 |
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第4楽章 |
11:57 |
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カップリング/グリーグ:「ペール・ギュント」抜粋 [オスモ・ヴァンスカ(指)ミネソタO] |
"大植英次の音楽性とミネソタOとの関係性を知るための録音" |
大植英次は1995年から2002年までミネソタ管弦楽団の首席指揮者を歴任。Referenceに録音もあるものの管弦楽小品ばかりだったので、この本格的な交響曲録音(ミネソタ管の過去の演奏を集めた12枚組CDボックス)は、大植の指揮センスを知るうえで重要な意味を持ちます。しかしその演奏内容には、称賛すべき点がほとんどありません。アメリカ特有とも言えるマイルドなサウンド志向が足を引っぱってしまった感もありますが、何よりも大植のビジョン不足が最大の要因。昨今はお客を呼べるだけではなく、「一緒に楽しく仕事ができる人」が主席指揮者に選抜される例が増えていますが、このコンビもただそれだけで誕生したのでは?と勘ぐりたくなります。リズム感もニュアンスの焦点もどこか不安定で、終楽章コーダでテンポの切り替えにメリハリ感がないことなどを考えると、大植の指揮技術そのものにも疑問符が付きます。
第1楽章は第2主題に入るまで全て鈍重で、それがロシア的な重厚さや暗さを目指しているならまだしも、中身が空虚なのですから困ったものです。結局第1楽章が終わっても、この作品でどんな世界を現出させようとしているのか全く見えず、一方で、中途半端なポルタメントを挿入したりと、これまた一貫性を欠くニュアンスが顔を出すのですから戸惑うばかりです。
普通に音楽を楽しんで演奏すればそれなりに聴き手にもそれが伝わる第3楽章でさえ、どこか迷いがあるので、表面的に小気味よいだけで、華など求めようがありません。終楽章の主部の入り方は露骨なムラヴィンスキーの真似で、偉大すぎる巨匠との説得力の開きを露呈。
明確なビジョンを持たぬまま演奏に臨み、一般受けする解釈でやり過ごしたとしか思えません。以下のコメントでも「不足」とか「欠落」という単語を何度も使う羽目に陥り、辛いひとときでした。【湧々堂】 |
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第1楽章のツボ |
ツボ1 |
クラリネットは素直なフレージングを続ける中、弦は途中で超弱音を交えて交響的ニュアンスを注入。両者の一体感が希薄。 |
ツボ2 |
テンポは中庸。ユニゾンのバランスは極めて良好。 |
ツボ3 |
スラーならではのしなやかさが感じられない。 |
ツボ4 |
丁寧に奏でてはいるが、どこか「ときめき」が足りない。 |
ツボ5 |
インテンポのまま滑りこむが、ここでは心の底からのニュアンスが溢れ出ている。 |
ツボ6 |
強弱の幅を抑えて、上品に歌わせることに終始。 |
ツボ7 |
場面転換にふさわしいメリハリ感に欠ける。 |
ツボ8 |
直前でテンポを落とさずそのまま滑りこむのが珍しいが、強固な集中力に欠けるので、どこかぎこちなく響く。ただ、この副次主題自体は引き締まった表情が冴えている。この主題には特別な愛着を感じているのか、再現部では更に濃い表情付けを行っているが、それはやや唐突感がつきまとう。 |
ツボ9 |
16分音符は聞き取れる。表情は鈍重なままで、クライマックスとしての緊張感の増幅がまるで感じられない。 |
第2楽章のツボ |
ツボ10 |
導入の弦は、コントラバスが強すぎる。ホルンは、冒頭の3音が既にセンス・ゼロ!自己顕示欲丸出しのリズムの崩し、デリカシーに欠ける音色が感興を削ぐ。 |
ツボ11 |
心のこもったフレージングだが、注視しなければ気づかない程度のポルタメントを盛り込む意図は理解不能。フォルティシシモは高揚感不足。 |
ツボ12 |
テンポの変化は殆どなし。クラリネットもファゴットも技巧的に完璧だが、どこかあっけらかんとしている。 |
ツボ13 |
直前でティンパニのロールが早く収束してしまう。ピチカートは、表情皆無。 |
ツボ14 |
強弱にはドラマがなく、フレージングにどういう思いを込めたいのか全く見えてこない。 |
ツボ15 |
ムード音楽。 |
第3楽章のツボ |
ツボ16 |
ほとんどインテンポのままだが極めて自然な理想形。 |
ツボ17 |
小気味良さは出ているが、ワクワクさせる何かが欠けている。 |
ツボ18 |
1回目が特に素晴らしい。 |
第4楽章のツボ |
ツボ19 |
テンポは中庸。ここも表情不足。 |
ツボ20 |
ホルンは基本的に裏方だが、後半に次第に浮上してくるのが意味不明。 |
ツボ21 |
ティンパニは。冒頭クレッシェンドを無視し、弦の冒頭も弱音で開始。テンポも高速で、極めて分かりやすいムラヴィンスキー・スタイルの踏襲。皮肉にも、ここまでの演奏でこの箇所が最も音楽的な凝縮度が高い。しかし、真に自発的な表現ではないので、完全には表情が炸裂しない。 |
ツボ22 |
完全に無視。 |
ツボ23 |
音像がかなり明快。 |
ツボ24 |
わずかテンポを落とす。 |
ツボ25 |
鈍い響き。 |
ツボ26 |
インテンポのまま。 |
ツボ27 |
直前でテンポを落としておいて、ここから加速。 |
ツボ28 |
8分音符の音価はやや長め。 |
ツボ29 |
直前で最高に高揚しきった後に、ここからふやけたような音楽を垂れ流す演奏が少なくない。この演奏もまさにそれ。モデラートを意識しているなら、それが際立たなければならないはず。 |
ツボ30 |
弦は一貫してレガート。トランペットはレガートだったり切ったりと曖昧。こんなにトランペットが虚弱体質なのも珍しい。 |
ツボ31 |
改変型。 |
ツボ32 |
いかにもドイツ風の深遠な響き。トランペットのバリバリの響きが強烈! |
ツボ33 |
イン・テンポだがどこか不安定なのは、決然とした意志力に欠けている証し。最後の3音の前に全休止を挿入するのも、音楽的とは言えない。 |