湧々堂HOME 新譜速報: 交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック 廉価盤 シリーズもの マニア向け  
殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE !! レーベル・カタログ チャイ5



WEITBLICK再プレス・セール!!




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※セール期間内でもご注文数がメーカーの在庫数を上回った場合には受付終了となる場合がございます。



※表示価格は全て期間限定特価(税込み)。品番結尾に特に表記のないものは全て1CDです。
品番 内容 演奏者
SSS-0048(4CD)
!!
ブラームス:交響曲全集、
シェーンベルク
:室内交響曲第1番/第2番
*
 浄夜、
5つの小品、変奏曲*
 交響詩「ペレアスとメリザンド」
*
ハインツ・レークナー(指)
ベルリンRSO<旧東独>、
ライプチヒRSO
*

録音:1978年〜1987年(ブラームス)、
1980年〜1991年(全てステレオ・ライヴ)
ブラームスの「第1番」のみスタジオ録音ですが、この張り詰めた緊張と音の凝縮はライヴのような熱を帯び、あの名演「ブル9」第2楽章のそれを彷彿とさせます。序奏の清潔この上ないテクスチュアとティンパニの見事なブレンド、続くフルートの厳粛な輝き、ゴリゴリとうねる低弦の発言力など、全てが破格の説得力で迫ります。フレージングの境目が分からないほど一息での大きな呼吸の妙や、展開部後半のいきり立つ高揚は、レークナーの気力の絶頂を示す好例。第2楽章の高雅な佇まいと、コーダのVnソロの信じられない美しさも必聴!終楽章は、まさに一気呵成!それだけに、コーダの金管コラールの神々しいテンポルバートのように、ここぞという箇所のテンポの動きが、絶大な説得力!序奏のホルン・ソロを支える弦のさざなみの美しさも、地底から静かに湧き上がる生命のような佇まいを醸し出しているのですから、言葉が出ません。通常より速めのテンポを設定するのがレークナーの常ですが、それがスポーツ的なノリと無縁で、内面の燃焼度が極めて高いので、どんなに音楽が高揚しても脂ぎることなく、芸術的な格調を保つ常人には真似のできない技を発揮し尽くしたのが「第2番」。第1楽章の提示部は、ごく普通に流れるだけに感じますが、それが展開部以降の芯の熱さを誇る音楽のうねりの伏線であることに気付かされます。その展開部の雄渾さや11:59以降の魂の壮絶な叫びそのものの響きは、まさに至高のレークナー・サウンド!第2楽章の幽玄のニュアンスも聴き手を離さず、第3楽章中間の表情の多彩さは空前絶後!終楽章に至っては、演奏時間こそ9:26と普通ですが、第主題と第2主題のテンポ・ニュアンスの違いがくっきりと浮き出ると同時に、コーダに向かって弛緩することなく熱い共感を込め、燃えるレークナーの凄さを思い知らされます。コーダ直前でワルター以上のテンポルバートで一呼吸置いた後の加速の激烈ぶりは、レークナーどの録音からも聴けなかったもので、これをもし生で聴いていたらと想像するだけで、失神しそうな極限の感動に襲われるのです!案の定、最後の音が鳴り止まないうちに、会場から大拍手が湧き起こっています。ところが、さらに凄いことになっているのが「第4番」!かつてレークナーが読響を振った演奏が、この世で鳴ったブラ4の最高峰と勝手に確信していたのですが、そのときの演奏よりも胸を突き刺すのですから、どんなに美辞麗句を並べても追いつきません!第1楽章は11:17という史上最速テンポ!もちろん押し付けたスピード感ではなく、特有のフレージングの大きさからでた結果で、一陣の風のように流れるその風情は、あえてシューリヒトの閃きをも超越していると言っても過言ではありません。第2楽章後半に登場する第2主題の全身で受け止め切れないほどの内容量の前では、あのアーべントロートが起した奇跡さえ霞んでしまいます。終楽章は第2変奏から早速それまでとは違うテンポに移行するなど、各変奏の表情を入念に描き分けながら、全体に太い芯を貫かせ、一気に聴き手をフレーズの奔流に引きずり込んで離しません。一方、シェーンベルクは逆に肉感的なニュアンスさえ漂わせ、これまた独特の風味を持つ演奏ばかりです。十二音技法の頂点とも言われる「変奏曲」は、ショルティなどの剛直さとは異なり、生々しい人間的な息づかいが聞かれます。第6変奏の官能にも似た不思議な空気や、第8変奏のどこか「軋み」と伴う色彩の綾は、いかにも旧東ドイツの土壌が生んだ雰囲気が濃厚。ちなみに、ベルリンの壁が崩壊するのは、この半年後のことです。旧東独で現代作品のエキスパート・オーケストラの役を担っていたライプチヒの放送オケの起用も最大に効を奏しています。調性崩壊へ向かう前兆の「室内交響曲第1番」も、明らかにマーラー側から捉えたロマン的な解釈で、冷たい演奏ほど望ましいとする迷信を吹き飛ばす説得力!これほどこの曲が心の琴線に触れたことはありません。「浄夜」では、果てることのないイマジネーションの広がりと魂の叫び(例えば5:33以降!)に圧倒され、「この曲はどう演奏されるべきか」などと頭で考えている場合ではありません!こうして聴くと、ここまでではないにせよ、独シャルプラッテンの数々の録音でもレークナーの比類なき音楽性の片鱗は十分に窺えるのに、それに気付こうともしない(気付けない?)評論家がこの国にはほとんどいない現実を悲しく思います。  【湧々堂】

SSS-0071
!!
ブルックナー:交響曲第9番、
ワーグナー
:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲*
オイゲン・ヨッフム(指)ミュンヘンPO

録音:1983年7月20日、1979年11月8日*、ヘルクレスザール・ライヴ(全てステレオ)
ヨッフムが指揮者デビューで競演したミュンヘン・フィルとの記念碑的なライヴ録音。かつてMETEORレーベルで発売され、マニアの間でも評価の高かったものですが、このディスクはバイエルン放送マスターによる新たな復刻です。いぶし銀のような味わいに溢れた名演。第1楽章第1主題の高揚のさせ方も機能的にすっきりと聳えるスタイルが主流の昨今、アンサンブルの縦の線よりも全体の風情を重視。第2主題の歌い口はその特質が大きく功を奏し、その自愛に満ちたフレージングが心に染みます。6:32からの弦のフレージングに連綿と脈打つ至高のニュアンス、続くホルンの一節の響きは、チェリビダッケの透徹とはかなり趣が異なり、ケンペ以前のミュンヘン・フィルの朴訥さを思わせるほどヒューマンな温かさに満ちています。終結部がまた感動的で、クラリネットがはっきりとした意思を持って立ち上がりつつ、弦のトレモロを効かせる手法のなんと奥深いこと。第2楽章もゆったりとしたテンポで一貫し、鋭角的な凄みも誇示しませんが、音楽が決して野暮ったくならず、内容味満点。特にトリオのキリッと引き締まったリズムを土台とした躍動とその後の深い呼吸による弦の振幅の対比のが絶品で。この中間部に克明かつ自然な形で深い内容を盛り込むヨッフムの芸の深さに感じ入ります。終楽章に至っては、冒頭の第1音から最後まで感覚的な効果に敢然と背を向けて内面重視に徹しきっているため、聴く側もそれなりの覚悟が必要でしょう。第2主題の深遠なニュアンスは破格の素晴しさで、構えを大きくしようとする意図を表面には出さずに音楽を自然に熟成させる指揮芸術の極みです!後半の不協和音炸裂に至るまでのヴォレテージの高揚にはも人為的な操作の入る込む隙がないほどの宇宙的な噴出力!ここでこんな奥深い最強音を実現できる指揮者は他にいたでしょうか?ワーグナーもヨッフムの全人格を反映した至芸の連続!  【湧々堂】

SSS-0084(2CD)
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スメタナ:連作交響詩「わが祖国」 ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)ウィーンRSO(旧オーストリアRSO)

録音:1982年1月14日ウィーン・ムジークフェラインザール(ステレオ・ライヴ)
■WEITBLICKより
このリリースには非常な困難を擁しました。オーケストラが名称もウィーン放送響と変更になった上に、ド・ビリー体制であることを前面に出したい(!)という意向があり過去の録音のリリースに否定的であったことです。しかしこれだけの演奏を埋もれたままにしておくことは偲びなく、マタチッチ財団とともに説得し、最終的に応じてくれました。一言で言って最重量級の演奏であり、標題音楽であることを全面に出した情感豊かな演奏です。
演奏時間=[17’20”][13’30”][10’47”][13’22”][14’26”][14’55”]
■宇野功芳氏のライナーノートより
「期待にたがわぬ傑作である。過去最高の名盤はスメターチェク/チェコ・フィルの80年盤であるが、演奏は同格、録音は断然今回のマタチッチ盤の方が鮮明だ。
第一曲「高い城」(Vysehrad)の冒頭、ハープが弾く“高い城”の動機の雄弁なこと!これだけで聴き手の心はわしづかみにされる。曲が進むにつれ、マタチッチが創り出すひびきの重量感、ものものしさ、スケールの大きさに圧倒される。ヴァイオリンはむせるように歌うが、つねに深い苦味を湛えているのである。
第二曲「モルダウ」。なんとなく不器用な出がいかにもマタチッチらしく、まさに人間が演奏している音楽だ(今は機械が演奏しているようなものが多いので)。なつかしいモルダウ川の主題があくまでゆったりとしたテンポで悠然と流れてゆく。もちろんスケールは相変わらず大きい。朗々たる狩のホルン、そして農民たちの踊りのなんという遅いテンポ!このテンポでは踊れない。あくまでコンサート用の演奏なのだ。月の光からテーマ再現にかけてもスロー・テンポは微動だにしない。急流は力まず、高い城のテーマが登場するともう一段テンポを落とす巨匠の芸。
第四曲「ボヘミアの森と草原より」(Z ceskych luhu a haju)も他の指揮者のCDに比べると深いひびきや堂々たる佇いがまるで違う。それに何という巨大さであろう。マタチッチの人間の大きさ、芸術家としての巨きさが終始ものを言っている。そのためか、終了後に拍手が出てしまう。それとも、ここで休憩を取ったのだろうか。ぼくにはそうは思えない。全六曲は連続演奏すべきだし、拍手のおずおずとした出方が感動を示さずにはいられない聴衆の気持ちのように感じられるのである。」
SSS-0097
!!
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 アリシア・デ・ラローチャ(P)、
オイゲン・ヨッフム(指)ベルリン・ドイツSO(西ベルリン放送響)

録音:1981年6月7,8日 フィルハーモニー・ベルリン(ステレオ・ライヴ)
例えば第1楽章の主題が長調から短調へと転じる一瞬、ラローチャの指先からは繊細の極みの弱音が生まれ、とてつもない寂寥感を漂わせるが、再び長調となれば、温かな母性が最大の慰めで淋しさを包み込む。対するヨッフムもラローチャの表現の万華鏡を心からめでつつ、的確な棒さばきで室内楽的な対話を繰り広げる。 (池田卓夫氏のライナー・ノートより)
巨匠オイゲン・ヨッフム+ベルリン・ドイツ響のブラームス・プロ第1弾発売です。ソリストには全盛期のラローチャを迎えて南欧風のリラックスと濃厚なロマンを謳い上げます。楽曲初演から100年を記念してラローチャは、この年の5月には、日本で朝比奈隆指揮大阪フィル、山田一雄指揮日本フィルともこの曲を披露しています。デッカ、RCAにも録音がなく、「ラローチャのドイツ物」の実力を知る好企画です。後半プロは第1交響曲で、これも発売が決定しております。

SSS-0098
!!
ヨッフム&ベルリン・ドイツ響/1981ブラームス・プログラムVol.2
ブラームス:交響曲第1番
オイゲン・ヨッフム(指)
ベルリン・ドイツSO(西ベルリン放送響)

録音:1981年6月7,8日 フィルハーモニー・ベルリン・ライヴ、ステレオ・ライヴ
第1楽章冒頭から、壮大なスケール感と低速テンポによる入念な精神昇華力で、聴き手のハートをたちまち虜にする真の巨匠芸!ティンパニの打ち込みも恣意的な強打ではなく、魂の鼓動そのものの磐石の手応え。その遅いテンポには常に意味があり、リズムは老朽化の影もなく瑞々しく沸き立つのもヨッフムならではの至芸。展開部の最後や再現部の後半(12:34〜)の盛り上がりでの、金管の強烈な強奏も辞さない壮絶な緊張感は圧巻。第2楽章の呼吸の深さも驚異的!その音の情報量の多さにはむせ返るほどで、その弱音を決して多用しない広大な空間表出力に、ドイツ精神の意地を痛感せずにはいられません。終楽章の第1主題の何の衒いもない素直なフレージングも、共感一筋で歌いぬき、その一途さに心打たれます。11:45の大噴射は、まるでクナッパーツブッシュのような粉砕力!そして締めくくり最後の一音の灼熱の放射!まさに宇宙に届けとばかりの全身からの叫びを浴びせられると、現実社会でのちまちました出来事などどうでもよくなります。  【湧々堂】

SSS-0130-2
!!
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
シューマン:ピアノ協奏曲*
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
(P)
セルジュ・チェリビダッケ(指)スウェーデンRSO

録音:1969年5月20日ヘルシンキ・フェスティヴァル・文化会館ステレオ・ライヴ(フィンランド放送提供)
1967年11月19日ストックホルム・コンサートホール・モノラル・ライヴ(スウェーデン放送提供)*
ついにこの日がやってまいりました!ミケランジェリとチェリビダッケという孤高の巨匠が四つに組んだ超名演、「皇帝」とシューマンのカプリングが登場です。内容は数多くのプライヴェート盤で知られるとおりの高水準ですが、音質もスウェーデン放送、フィンランド放送からの蔵出し音源で万全の体制であることは申し上げるまでもありません。「皇帝」は、1969年5月20日のヘルシンキ・フェスティヴァルへの客演ライヴであることが特定されました。チェリビダッケがスウェーデン放送響の首席指揮者の任にあった最盛期のライヴだけに、練習がすみずみまで行き届き、「皇帝」など意外な軽やかさ、明るさ、華やかさでビックリさせられます。まるでラヴェルやドビュッシーを聴くかのような絶美の名演です。優秀なステレオ録音で「皇帝」の中の「皇帝」と申せましょう。シューマンは、1967年11月19日の本拠地ストックホルム・コンサートホールでのライヴです。モノラルなのが惜しいところですが、リリシズム、ロマンティシズムを堪能できるのはこちらかも知れません。物思いにふけるかのようなしみじみとした風情。官能的な揺れや、気だるさすら漂う繊細な味付けは、鋭敏なセンスを誇るこのコンビならではです。※今回は未曾有の大災害に見舞われた日本に対して、チェリビダッケ氏子息の御理解を得てのリリースとなります。この協奏曲集に加えて、ミケランジェリのフィンランドに於けるソロ・リサイタルも近々発表できるかと思います。これら2タイトルの売上より、「音楽の浄財II」として一部をを日本赤十字社に寄付致します。

SSS-0155(6CD)
!!
ブルックナー:交響曲名演集
(1)交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
(2)交響曲第5番変ロ長調
(3)交響曲第6番イ長調
(4)交響曲第7番ホ長調
(5)交響曲第8番ハ短調
(6)交響曲第9番ニ短調
ハインツ・レークナー(指)
ベルリンRSO(旧東独)

録音:(1)1983年11月7日メトロポールシアター
(2)1990年6月8日シャウシュピールハ
ウス、ベルリン
(3)1978年5月27日ベルリン民主宮殿
(4)1979年10月13日リガ・フィルハーモニー(ラトビア)
(5)1985年5月3日シャウシュピールハウス、ベルリン
(6)1983年2月7日メトロポールシアター
生前は鬼才の名をほしいままにし、若き日よりポストに恵まれ、さらなる円熟が約束されていた70 代前半に忽然と世を去ったハインツ・レーグナー。レパートリーは広範に及び、その多くが録音にも恵まれています。芸風はシューリヒト張りの快速で拘泥を嫌った爽やかな演奏をするかと思えば、一転して凄まじいばかりの遅いテンポで隅々を執拗に抉るような演奏をも展開。音色も重厚な純ドイツ風かと思えば時に軽やかできらめくようなラテン的な響きも追及すると言った具合で正体不明、千変万化の巨匠でもありました。ブルックナーは愛奏するレパートリーですが、ここでも演奏するたびに別人のような表情を見せるため驚きが続きます。当セットで言う離せない演奏。第4 番と第6 番はスリリングで目が離せない演奏。第5 番は早いテンポは個性が強いが全体にオーソドックスな演奏。第7 番は柔らかたおやかな演奏。第8 番、第9 番は過激でショッキングな演奏と言った処でしょうか。御息女スザンヌ・レーグナー女史の協力を得て、レーグナーと生前に親しく仕事を共にしたディルク・ステーヴ氏のライナーを得ております。

SSS-0216
!!
マタチッチ/シュトラウス・ファミリー名演集
J・シュトラウス:「常動曲」
 ポルカ「ピツィカート・ポルカ」
 ポルカ「トリッチ・トラッチ・ポルカ」
 ペルシャ行進曲
 ワルツ「南国のバラ」
 ワルツ「芸術家の生活」
ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」
 ワルツ「天体の音楽」
ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)
ベルリンRSO(旧東)

録音:1958年6月24,25,26日ベルリン放送ザール1(スタジオ録音)モノラル
“シュトラウス一家の音楽を極限まで芸術的に高めたマタチッチの凄技!”
ウィーン情緒をなぞることなど全く眼中になく、マタチッチの感じ たJ・シュトラウスの魂を妥協なく発散させた驚異的な名演の数々。 しかもオケは、旧東独のベルリン放送響ですから、世界標準など気 にしない確信犯的なニュアンスの発散ぶりが、一層感動を煽るので すからたまりません! 極めて人間臭い表現をとりながらも、各曲に相応しい風情と余韻を連綿と湛えているのは、単なる爆演ではない高い芸術性が息づいているからに他なりません。
 1曲目の「オーストリアの村つばめ」から仰天!最初の数秒で、セルのスタジオ録音と共に記憶すべき超名演であることを確信。冒頭木 管郡の芸術的飛翔にまず唖然!主部に入るとアゴーギクの濃密さが ロマンの風をふんだんに振り撒き、むせ返るほど。音楽の構えもク ナ張りに巨大なうえに、3:02からの旋律の夢想性も比類なし!この 瞬間だけでも、マタチッチが音楽への純な愛情を高次元に昇華する 力量が桁外れであることを痛感しますが、5:49からの甘美な憧れと メロウな色彩(モノラルにもかかわらず!)も涙なしに聴けません。
 「天体の音楽」もこれ以上に多彩なニュアンスを注入することは不可能と思われ、しかも全てが過剰演出に陥らず愛の塊として降り注 ぎます。4:57の霊妙な弦のニュアンスを経た後の響きの結晶度は尋 常ではなく、6:09からのテンポの溜めは、安易なノリで通過せずに 、あえて内省的なニュアンスを育むという離れ業! とにかく、どの曲も好き嫌いを超えた魅力的なニュアンスの連続で 、その全てを書き尽くせません。
 ピチカート・ポルカも、そのスケール感は間違いなく史上最大規模ですし、「ペルシャ行進曲」は、冒頭の音量が弱いのでマスターテープの不具合?と思ったら大間違いで、遠近感を出すためのマタチッチの巧妙な設計。後半へ向けてのエネルギーの増幅力が物凄いので 、決して冒頭で決してアンプの音量を上げないで下さい。2:28のトランペットの合いの手も、昨今こんな 熱く魂を燃やした響きがどこで聴けるでしょうか? 「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の強弱コントラストのハイセンスぶりとホルンの雄叫びの痛快さも必聴。
 リピートの取捨選択にもマタチッチの作品への愛が完全に投影されています。中でも「南国のバラ」の第1ワルツをリピートするのは珍しく、そうせずにはいられないマタチッチの気持ちが痛いほど伝わるのです。
 音質もモノラ ルながらストレスを全く感じさせないのも嬉しい限りです。【湧々堂】

SSS-0241
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ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
エーテボリSO

録音:1992年9月17日エーテボリ・コンサートホール,ライヴ
"最晩年の一歩手前で成し遂げた理想のブルックナー"
スヴェトラーノフ 2 種目のブル8が登場。しかも音盤では初顔合わせと なるエーテボリ響客演ライヴ。ロシア響とのメロディア盤は 1981 年でした のでほぼ 10 年後の演奏です。エーテボリ響もヤルヴィ時代の充実期で 立派な演奏を聴かせます。エーテボリのコンサートホールは音響の良さ で知られますのでクリアなサウンドを聴かせます。ロシア響はかなり金管を 強調させた激演でしたが、こちらは弦楽器を生かしたオーソドックスな名 演。スヴェトラーノフのもう一つの魅力である神経の細やかさを聴きとれる ことでしょう。第3 楽章冒頭の弦楽器の刻みは驚くほどの繊細さ。1992 年 というとまだまだ元気いっぱいでエネルギッシュな巨匠。最晩年の巨象の 歩みのような遅いテンポによる解釈ではなく運動神経抜群な切り返しも見 せます。90 年代のスヴェトラーノフは東京でチャイコフスキー交響曲全曲 演奏会を開き同時にライヴ録音して一気に評価を高めた時期です。 はやしひろし氏による書下ろしライナーノート付(英訳あり)。
これはスヴェトラーノフの最晩年の境地に至る手前の録音である点がポイント。カロリーに満ち溢れた超重量級のサウンドを期待すると肩透かしを食らうこと必至。ブルックナー特有の敬虔さを邪魔することなく、スヴェトラーノフ自身の個性はブルックナーの背後に置くことで、あくまでもブルックナーの音楽の味わいを再認識させる演奏に仕上がっています。
 最も感動的なのは第3楽章!8:42以降の色彩の陰影の濃さはスヴェトラーノフの独壇場ですが、それでもブルックナーの音楽から逸脱しない絶妙なバランス感覚を発揮。15:57以降の大音量も決して放射型ではなく、作品の根幹から目を逸らさない思慮深さと集中力が見事な緊張を孕んだ音像を築きます。
終楽章の第3楽章3:52からのリズムの刻み方は、クナッパーツブッシュとは対象的な軽妙さながら、軽薄なノリとは無縁。しっかりとブルックナーに寄り添う共感が息づいているのです。
 全体的に、ティンパニの響きが突出しすぎないように絶妙な距離感で録音されている点も、名演として結実した大きな要因と言えましょう。【湧々堂】


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