Channel Classics /ラツィックの全ソロ・レコーディング |
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シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 、楽興の時D.780 |
デヤン・ラツィック(P) |
2004年 デジタル録音 |
CCSSA
20705
(1SACD)
\3255
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“この超難物ソナタから誰も引き出し得なかったニュアンスが一杯!” |
この最後の長大なソナタについては、謎めいたメッセージ性を云々されることが多いですが、ラツィックの手に掛かると、曖昧性を全く感じさせず、全てが肯定的で、完成させた超一級の芸術品としてのあり様を鉄壁なテクニックで披露し、今まで気付かなかったこの曲が持つ表情が次々と現れます。第1楽章の冒頭の不気味な低音トリルの箇所までで全てが決まる!などと勝手に思っていましたが、そんな線引きはここでは通用しません。つまり、あのリヒテルのような全神経をいきなり凍らせる個性的な演奏とは対照的に、何の変哲もない普通の演奏に聴こえるのですが、その発展のさせ方が尋常ではないことに次第に気づくのです。主題がじりじりとクレッシェンドして頂点に達すると、唐突に元気になる演奏もありますが、ラツィックは底へ上り詰めるまでの持久力がまず見事。提示部を繰り返す直前の4:48からほんの数秒の右手のアルペジョのなんと言う美しさと余情!この付近は音符同士の隙間が極端に多いですが、その全ての間(ま)に、違った意味合い持たせていると言っても過言ではないほど、休符にまで音楽が浸透しているのです。展開部の長調と短調の微妙な揺らめきの感じ方も並ではありません。第2楽章の孤独感と虚無感、そこから中間の風格に自然につなげる手腕にも脱帽。第3楽章はリズムの敏捷性がいかんなく発揮されていますが、自己アピールが先に立つことがなく、タッチも単に軽やかななだけでなく適度に湿度を保っているので、音楽味満点!終楽章はテンポが快適な上に、アーティキュレーションが明確なので、これまた磐石な手ごたえ。有り余る表現力を冷静に丹念に配分し尽くし、コーダの最高音で、硬質に輝く打鍵で有無を言わせずに締めくくるという鮮やかな設計に至っては、もう完全ノックアウトです。それぞれの小品たちに違った彩を添えた「楽興の時」も、ラツィックの感性が横溢!有名な第3番では、響かせ過ぎないメゾ・フォルテの完璧なフォームに唖然!第4曲では、前に進むのを拒むような表情が独特ですが、小手先の思いつきでなく、曲自体がそう語っているように響くのです。第5曲は凄まじいタッチの切れ味、瞬間的なタッチ強弱の変化に釘付け! |