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演奏家特集
第4回

デヤン・ラツィック
(ピアニスト)



プロフィール
1977年、旧ユーゴスラヴィアのザグレブ生まれ。 音楽一家に育った彼は、幼少の頃からピアノを始め、神童と称されました。13歳のとき、アントニオ・ ヤニグロ(指)ザグレブ合奏団とモーツァルトのピアノ協奏曲を共演。その後、激化する民族紛争を避けてユーゴを離れ、現在は西欧を中心に活動中。ウィスペルウェイ との共演やチャンネル・クラシックスからリリースされているCDで、更に世界的に知られるようになりました。ピアノの他に作曲も学んでおり、協奏曲でのカデンツァにも、そのセンスが十分生かされています。

ラツィックの魅力
おそらく異常なほどIQの高い頭脳の持ち主だと思われるほど、全体の設計に全く淀みがなく、しかもその意図を聴き手に意識させず、作品のエッセンスの部分のみを連綿と奏でるセンス!その自分の能力に酔いしれたり、誇張するそぶりもないので、ただ川の流れのように音楽がどこまでも自然に流れ、音楽のまさに原点を呼び起こしてくれるといっても過言ではありません。硬質でありながら温かでまろやかなタッチ、呼吸とアゴーギクの完全な一体感など、表面的に繕っただけでは追いつかない研ぎ澄まされた感性の賜物でしょう。以下のCDではお馴染みの名曲ばかりが並んでいますが、どこかほんの一瞬きいただけで、彼にしかない世界が詰まっていることを実感できると思います。


Channel Classics /ラツィックの全ソロ・レコーディング
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 、楽興の時D.780
デヤン・ラツィック(P) 2004年 デジタル録音
CCSSA
20705
(1SACD)
\3255

“この超難物ソナタから誰も引き出し得なかったニュアンスが一杯!”
この最後の長大なソナタについては、謎めいたメッセージ性を云々されることが多いですが、ラツィックの手に掛かると、曖昧性を全く感じさせず、全てが肯定的で、完成させた超一級の芸術品としてのあり様を鉄壁なテクニックで披露し、今まで気付かなかったこの曲が持つ表情が次々と現れます。第1楽章の冒頭の不気味な低音トリルの箇所までで全てが決まる!などと勝手に思っていましたが、そんな線引きはここでは通用しません。つまり、あのリヒテルのような全神経をいきなり凍らせる個性的な演奏とは対照的に、何の変哲もない普通の演奏に聴こえるのですが、その発展のさせ方が尋常ではないことに次第に気づくのです。主題がじりじりとクレッシェンドして頂点に達すると、唐突に元気になる演奏もありますが、ラツィックは底へ上り詰めるまでの持久力がまず見事。提示部を繰り返す直前の4:48からほんの数秒の右手のアルペジョのなんと言う美しさと余情!この付近は音符同士の隙間が極端に多いですが、その全ての間(ま)に、違った意味合い持たせていると言っても過言ではないほど、休符にまで音楽が浸透しているのです。展開部の長調と短調の微妙な揺らめきの感じ方も並ではありません。第2楽章の孤独感と虚無感、そこから中間の風格に自然につなげる手腕にも脱帽。第3楽章はリズムの敏捷性がいかんなく発揮されていますが、自己アピールが先に立つことがなく、タッチも単に軽やかななだけでなく適度に湿度を保っているので、音楽味満点!終楽章はテンポが快適な上に、アーティキュレーションが明確なので、これまた磐石な手ごたえ。有り余る表現力を冷静に丹念に配分し尽くし、コーダの最高音で、硬質に輝く打鍵で有無を言わせずに締めくくるという鮮やかな設計に至っては、もう完全ノックアウトです。それぞれの小品たちに違った彩を添えた「楽興の時」も、ラツィックの感性が横溢!有名な第3番では、響かせ過ぎないメゾ・フォルテの完璧なフォームに唖然!第4曲では、前に進むのを拒むような表情が独特ですが、小手先の思いつきでなく、曲自体がそう語っているように響くのです。第5曲は凄まじいタッチの切れ味、瞬間的なタッチ強弱の変化に釘付け!

ハイドン:ピアノ・ソナタ第50番、ピアノ・ソナタ第52番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番*
デヤン・ラツィック(P)、ヘリベルト・ベイゼル(指)ボン・クラシックPO 2002年6月、2002年3月(ライヴ)*
CCSSA19703
(1SACD)

\3255

“ハイドンのソナタをおもしろいと思ったことがない方、これでどうですか?”
ハイドンが2曲だけなのが残念に思えるほどパーフェクト!「50番」は、ハ長調という調性の安定感とこの曲の音域の広大さ、ハイドンのウィットを体で感じた切ったニュアンスに溢れています。もちろんアカデミック臭など皆無。これを聴いて、ハイドンのソナタの面白さに気づく人も多いことでしょう。終楽章の唐突な休止と転調の鮮やかな処理など、天性のハイドン弾きと讃えずにはいられません!「52番」もバックハウスやグールドと肩を並べるべき逸品!終楽章導入部、全休止後の低音の凄みの利かせ方など、ハイドンの精神を代弁するかのような説得力!ベートーヴェンがまた嬉しい衝撃の連続!第1楽章、最初のピアノの入りの聴こえないくらいのピアニッシモがまず意外。徹底的に強弱の幅を狭めて慎ましく歌い続けますが、その真綿にそっと触れるようなタッチに気品と可憐さを浸透させ、しかも神経質に響かないところが流石。第2主題の直後のフレーズの天国的なテクスチュアは信じ難い美しさ!他のCD同様のスタインウェイを用いながら、ここまでまろやかなタッチが実現するというのは本当に驚きです。第2楽章の、オケを恋人に見立てて対話するような空気には官能さえ立ち込めます。終楽章の第1副主題(0:48以降)のフレーズごとの愛情の育み方!第2副主題のタッチの粒の揃い方とリズムの清潔さ!このベートーヴェンはライヴですが、会場ノイズもほとんど皆無。肩肘張らずに古典の佇まいを大切に、自然に表出しきった素晴らしい1枚です。

ラヴェル:前奏曲(初稿)、ハイドンの名によるメヌエット、亡き王女のためのためのパヴァーヌ、
クープランの墓、高雅で感傷的なワルツ、シャブリエ風に、ボロディン風に、前奏曲(第2稿)
デヤン・ラツィック(P) 2001年 デジタル録音
CCSSA-17502
(1SACD)

“ラヴェルのピアノ作品演奏史上の快挙!”
これまた衝撃の連続!希望曲のトラックを選択すると、ボタンを押し間違ったかと思うほど、それぞれの曲からかつて聴いたこともないニュアンスが次々に飛び出します。最初の「前奏曲」は、音自体の奥行きの深さが印象的で、彼の打鍵への細心の配慮を窺わせせます。しかしこれは、予想外のドラマ直前の束の間の陶酔。次の「ハイドンの名によるメヌエット」から驚天動地!テーマが独特のアゴーグクで弾みまくり、アグレッシブな閃光を放射し放題。1分弱の曲の中に、見事な起承転結を見せているので息つく暇もありません。「亡き王女のためのパヴァーヌ」もノスタルジックな甘さを思い描いているととんでもないことになります。まず、ほとんどペダルを用いずに、伴奏音型をポツポツと呟きながらの不思議な空気を醸し出ているのにびっくり。その後この主題が登場するたびにペダルの付加具合を微妙に変えていますが、それは全てのフレーズについて言えることで、それぞれにくっきりと違った表情を与え、それでいながら、見事な統一感を持たせているのです。最後にこの主題が再現される際、低音に荘重なアクセントを施し、音像を一気に拡大するセンスにも唖然としますが、コーダを強靭なフォルティッシモで締めくくるとは!これは、歴史にはっきり刻印すべき画期的な名演奏です!「クープランの墓」も曖昧模糊としたフレージングは皆無。1曲目は、超高速で一息で駆け抜けながら、繊細なアゴーギクをさり気なく盛り込み、全体に瑞々しさが横溢。彼の演奏の全てに言えることですが、こういう痛快モードの箇所でも自己アピールが鼻につくことがなく、そうあるべきものとして納得させられてしまうのです。“フォルラーヌ”も、アーティクレーションの節目が全く予想不能。“リゴードン”は、急転直下の高速ダイナミズム!そのテンポの中でも、フレーズ同士に見事な呼応性を持たせ、中間部に入ってからも、左手の声部にたっぷりと意味を持たせて生命感を絶やさないのですから、もう言葉を失うばかりです。「高雅で感傷的なワルツ」もその名の意味をはるかに飛び越えたニュアンスの溢れ方!このラヴェルでは、決して好き嫌いの問題ではなく、ラツィックが居ても立ってもいられず、そう表現するしかなかったという「表現力の塊」を是非感じていただきたいと思います。

モーツァルト:ジーグ ト長調、幻想曲とフーガハ短調、ピアノ・ソナタ第10番、ピアノ・ソナタ第5番、メヌエットニ長調Kv.355、デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲、幻想曲ニ短調、メヌエットKv.1
デヤン・ラツィック(P)、ヘリベルト・ベイゼル(指)ボン・クラシックPO 2002年6月、2002年3月(ライヴ)
CCS13398
\2310

“互いの天才性が手を取り合って初めて表出可能な絶世のニュアンス!!”
「幻想曲とフーガ」は、もうこれ一曲だけでもラツィックの才能の高さは明白!最初に何の気なしに置かれる和音の安定感と深さ!このたった一つの和音にこの曲全体の意味を凝縮させているかのようです。おまけにタッチの美しさが絶世!主部に入ってからの右手の上行音型と左の下降音型の艶やかな対話感も泉のように湧き上がり、3:27からのアルペジョの連続がさり気ないペダル配分とともに星が舞い降るように煌く演奏など、他に類例を見ません!フーガの部分も決して肩肘を張らずに自然体そのもので丹念に音のつむぎだしに徹しているだけながらこの味わい!とても21歳(当時)のわざとは思えません。ソナタ第10番の澄み切った青空のような清々しさはどうでしょう!第1楽章で軽妙に跳躍し続ける上声部など、ピアニストの側に何かしてやろうという魂胆が顔を出した途端に純度が落ちてしまいがちですが、ラツィックに限ってはそんなことは皆無。第2主題で音価を自在に伸縮させるのも、呼吸と一体化していることが肌で感じられるので説得力絶大。もちろん左手も伴奏役に止まっていません。第2主題後半のアルペジョでペダルを外してリズムを弾ませる無邪気さは忘れられません。しかも最後を締めくくる和音のアルペジォが、掌の上で真珠を転がすような美しさ!第2楽章は、音を発した後に、更に自分の体内に宿すような慈しみが一杯。終楽章のテンポとリズムと呼吸が、全て指先に集約した究極芸!ソナタ第5番も感動的。これほどモーツァルトの天才技を実感できる演奏も珍しいでしょう。第1楽章再現部でテーマが短調で現れる箇所の真の儚さ!第2楽章でも、柔和な雰囲気を保ちながらも音自体はしっかり表情を伴って発言。「幻想曲ニ短調」は、ことさら悲壮感を煽ることなく、音と音の隙間を自然な緊張で埋め尽くして、これまた聴き手を釘付け!後半の長調部分への移行も自然そのもの。

ピアノ・ソナタ第2番、夜想曲Op32-1,2、ワルツ「小犬」、Op64-2、Op70-1、Op69-1、Op18、バラード第1番、
アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ、他
デヤン・ラツィック(P) 2000年 デジタル録音
CCS15998
\2310

誰の亜流でもない独自の閃きを貫いた痛快なショパン!
このCDにはRetrospection(回顧)というタイトルがついていますが、決してノスタルジーに浸っているだけではありません。まず「ソナタ」が鳴り出したとたんにビックリ!プレイヤーが壊れたかと思うほど異常な高速で第1主題を駆け抜け、続く第2主題の優しさと見事なコントラストを織り成しています。第2楽章も冒頭からマシンのように飛ばしまくりますが、アーティキュレーションが実に明確。第3楽章の中間部は、彼の気品に満ちた歌センス、弱音の美しさが際立ち、テクニック一辺倒のピアニストでないことが確信できます。「夜想曲Op32-1」では、しっとりと揺れる詩情が美しく、それを突然さえぎる全休止の意味深さも鮮烈。「小犬のワルツ」の鮮やかさはこのCDの白眉!快調なテンポを貫きながら、指が良く回ることに自己満足しているだけのピアニストとは比べ物にならない豊かな風情が醸し出されています。「バラードは一変してじっくりと構え、情感の沸き上がりを曲の構成にフィットさせていく手腕に驚かされます。コーダのプレストの部分はペダリングも含めて、瑞々しい色彩を放ちます。彼の破格の技巧を惜しげもなく発散させた大ポロネーズは、どんなピアニストもお手上げでしょう。ここまで楽しさ全開の演奏は、滅多に聴けません。実に様々なスタイルの曲が詰まったアルバムですが、見事に起承転結をつけ、それぞれに相応しいスタイルで曲の魅力を最大限に引き出すラジッチの力量は、間違いなく本物です。



















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