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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー |
トリノ・イタリア放送交響楽団 |
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GRAND SLAM
GS-2272(1CD)
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録音:1952年6月6日、Sala del Conservatorio 【ライヴ】 |
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演奏時間: |
第1楽章 |
15:31 |
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第2楽章 |
14:18 |
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第3楽章 |
7:02 |
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第4楽章 |
10:56 |
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カップリング/ハイドン:交響曲第88番 |
“ムラヴィンスキーの代役であることを忘れさせる、父ヤンソンスの比類なき音楽性!” |
2トラック、38センチ、オープンリール・テープからの復刻。フルトヴェングラー唯一のチャイ5録音にして、フルトヴェングラーの最悪の演奏と言われることの多いこの録音。フルトヴェングラーの全録音を聴いたわけではないので本当に「最悪」かどうかの判断は出来かねますが、この曲を味わうのに最適の録音でないことは明らかでしょう。熱烈なフルヴェン・ファンが少しでも良い点を見出そうと「褒められた演奏ではないが悪い点ばかりではない」と何とか汚名を晴らそうと頑張っている文章を目にすることがありますが、ワルターだってクナだって出来不出来はあるのだから、粗捜しの逆のようなことを無理にしなくても…とかつては思っていましたが、今回改めて聴き直すと、決して思いつきではないフルトヴェングラーならではの感性に裏打ちされたニュアンスが確実に刻印されている箇所が多く、決して表現意欲を感じさせない凡演と同じ土俵では語れないこと、この録音の評判の悪さのは、音の貧弱さとオケの技量不足(練習不足?)によるところが大きいことに気付かされました。
まず第1楽章冒頭、肝心のテーマは、音が不鮮明ではないのにやたらと貧相。オケの音色的な魅力など全く伝わりません。ただ、その点だけを辛抱して聴き進めると、各音に込めたフルトヴェングラーの意思が確実に感じ取れ、一定のヴィジョンに沿った演奏をしていることに気付き出すのです。つまり、いきら聴き進んでもただ漫然と鳴っている音がないのです。
第1楽章第2主題の直前で加速したままなだれ込むのはいかにもフルトヴェングラーですし、そこから副次主題が現れるまでのニュアンスは極上で、限られた環境の中でもフルトヴェングラーがとことんこだわったことが伺えます。ただ、展開部はフルトヴェングラーのテンポ感や特有の暗いテクスチュアへの志向にオケが共鳴しきれていない部分が散見されるのが残念。
第2楽章は冒頭の低弦のうねりがこれまたフルヴェン節全開。ロシア的な暗さとは異なりますが、これが彼にとって嘘のない共感の表れなのです。クラリネット・ソロが入る直前4:10以降のフレージングの美しさも必聴。これでもっと響きが結晶化していたならさぞ感動的だったことでしょう。
第3楽章は、ゆったりとした素朴なレントラー風。チャイコフスキーらしさはどこにもありませんが、無機質な音も存在しません。
終楽章は、何と言っても218小節から315小節にかけての大胆なカット(2024年9月現在、これと全く同じ処理をした演奏は耳にしていません)が印象的ですが、今や、そして将来的にもそれが無意味であることは言うまでもありません。第2主題でわずかにテンポを落として別のシーンとして明確に描き分けるのは珍しいこと。
終結部直前では、観客のフライング拍手。この拍手が編集でカットされたLPも発売されましたが、ここではそのまま収録されています。それで緊張が緩んだせいか、気の抜けた音で木管が3連音を奏で出しますが、続く弦のハリとコシにはびっくり!実に分かりやすい凱旋行進曲として突き進みますが、その確信の強さは音の貧弱さを超えて胸に迫るものがあります。
フルトヴェングラーは演奏会でチャイ5の指揮をしたことは度々あったそうですが、それらの音源が発掘される可能性もなさそうなので、録音状態とオケのコンディションが整えばとてつもない名演になったであろうと想像を巡らせるしかありません。ただ、そんなロマンを感じながら味わう演奏もたまには良いのではないでしょうか。ちなみに、その手助けになるのがカップリングのハイドン。同じオケとは思えぬ響きとニュアンスの充実ぶり!【2024年9月・湧々堂】 |
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第1楽章のツボ |
ツボ1 |
クラリネットはリズムの崩しが顕著。ワルター・ゲール盤同様。イタリア・オケの特質かもしれない。その割にはニュアンスが平板。弦の絡みも有機的とは言えない。 |
ツボ2 |
テンポは標準より遅め。晩年のチェリビダッケよりやや速く、曲想が生きる限界のテンポと言える。クラリネットよりファゴットの存在感がやや大。 |
ツボ3 |
ポルタメントをかけずスコア通りの進行。 |
ツボ4 |
メンゲルベルク同様、65小節の結尾でぐっとテンポを落とし、同音型で同じ処理を繰り返すが、メンゲルベルクのような恣意性は感じさせない。 |
ツボ5 |
これは独特!第2主題直前で加速しそのままなだれ込む。その第2主題はスラーの指示を全て無視して一息で振幅させる、 |
ツボ6 |
スフォルツァンドの効果絶大。心からの嗚咽が伝わる。 |
ツボ7 |
一気に駆け上がるのではなく、イン・テンポで噛んで含めるように進行するのがフルトヴェングラーらしい。弦の質感は乏しい。 |
ツボ8 |
リハーサル不足か、縦の線がずれること夥しい。ここでもスコアのスラーの指示とは別の独自の呼吸感とテンポの揺らぎを織り交ぜており、これでアンサンブルが整っていたらさぞや感動的だったことだろう。 |
ツボ9 |
16分音符は聞き取れる。全くのイン・テンポ。 |
第2楽章のツボ |
ツボ10 |
ホルンは、現代ではとても通用しない技量の低さ。 |
ツボ11 |
フレーズを細切れにせず大きなスパンで歌うフルヴェン節! |
ツボ12 |
クラリネットもファゴットも下手というより、フルトヴェングラーの遅いテンポ設定に共鳴しきれずにぎこちなく聞こえるのかもしれない。 |
ツボ13 |
1小節ごとに音量を下げる独特の解釈。ただ、アルコの弦の旋律があらわれる110小節は殆ど聞こえないくらいまで音量が落ち、直後のオーボエの旋律の音量も異様に小さいので、録音時の設定不良があるのかもしれない。 |
ツボ14 |
感情の高まりと大きな呼吸が一体化した素晴らしいシーンだが、響きが貧弱なので大きな感動に及ばない。 |
ツボ15 |
独特の強弱対比やテンポ変動はないものの、高潔な精神が宿る素晴らしいフレージング。ただ、響きの貧弱さは如何ともし難い。 |
第3楽章のツボ |
ツボ16 |
ややテンポを落としてから滑り込む。 |
ツボ17 |
弦はかなり健闘しているが、管楽器は軽い味付け程度。全体的に華やぎや色彩に乏しい。 |
ツボ18 |
クラリネットもファゴットも不明瞭で、ニュアンス皆無。 |
第4楽章のツボ |
ツボ19 |
ここも、ワルター・ゲール盤同様、リズムが複付点気味になるところがある。 |
ツボ20 |
ホルンは完全に裏方。 |
ツボ21 |
ティンパニのトレモロは最弱のままで、弦の動きのみで進行。テンポはケンペンに近いが重量感には欠ける。 |
ツボ22 |
なんと1回目はアクセントありで、2回目はアクセントなし!偶然か? |
ツボ23 |
展開部218小節-再現部315小節をカット。 |
ツボ24 |
〃 |
ツボ25 |
〃 |
ツボ26 |
〃 |
ツボ27 |
テンポは遅めで開始し、徐々にアッチェレランドするのがいかにもフルトヴェングラーらしい。 |
ツボ28 |
8分音符の音価は、かなり長め。ティンパニは最後に一打あり。 |
ツボ29 |
テンポそのものは標準的。レガートを避けて勇猛な凱旋行進曲として進行。 |
ツボ30 |
弦もトランペットも、明確に音を切る。 |
ツボ31 |
意外にも改変なし。 |
ツボ32 |
あまりにも弱体。 |
ツボ33 |
最後の2小節は微妙に縦の線がずれるが、それがなければかなり凝縮力のある感動的なエンディングになったことだろう。 |