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フランツ・コンヴィチュニー(指)ベルリン放送交響楽団 | |||||||||||||
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Serenade SEDR-5025 (2CDR) 限定生産 |
録音年:1951年 【モノラル録音】 使用原盤:URANIA(U.S.A.) URLP 7134 | ||||||||||||
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◆カップリング〜チャイコフスキー:交響曲第5番 @マクミラン(指)トロントSO、Aストコフスキー(指)フィラデルフィアO(第2楽章のみ) |
“恐るべきテンポ切り返しのセンス!男性的ダイナミズムに溢れた決定盤!” |
コンヴィチュニーと言えば、なんといっても晩年に行なったステレオ録音からその芸風、資質をイメージしている方が多いことでしょう。私もその例外ではありません。ベートーヴェンもシューマンも味わいのある演奏には違いないものの、オケのいぶし銀のニュアンスが優り、指揮者自身の解釈の有り様がいまひとつビシッと伝わって来ない点で、この人を二流に近いという見方さえしていた時期がありました。しかしこの録音を聴けばそんなマイナスイメージなど完全に吹き飛びます。おそらくこの時期が、アルコールに溺れる以前のコンヴィチュニーの絶頂期だったのでしょう。彼の意思と表現への妥協のなさはどんな些細な音にももれなく投影され、細部を穿り出すスタイルではなく、良い意味での大掴みな解釈が圧倒的な威厳とスケール感を生んだ掛け値なしの名演となっています。オケの響きはこの時期のドイツのオケの特性そのままの古色蒼然そのもの。それをそのまま引き出すだけでは、先に記したようにそれ止まり演奏で終わってしまいます。しかしこのチャイ5は、その先が凄いのです!とにかく一音一音の音の重みが尋常ではありません。テンポの操作もあからさまな形で表出するのではなく、注意深く聞かないとわからないほどの微妙さが音楽に独特の陰影を与えている点も特徴的で、例えば第1楽章の展開部以降は、ほとんどの指揮者がいったん築いたテンポを維持しながら直進しますが、この録音ではわずかにテンポを落とし、再びテーマに主部冒頭の翳りを帯びさせ、一気に発展させる手法をとっています。楽器バランスも器用な操作感を聴き手に与えずにその効果を引き出しています。第1楽章286小節の管の急速な駆け上がりでフルートを主体としたバランスにしているのがその好例。終楽章では金管が大活躍する運命動機の斉奏の力感が聴きもの!あのケンペン盤のような凄みと力感、居住まいを正したくなる厳格な造型を期待する方には涙ものでしょう。そして圧巻が終楽章のコーダ! この手の録音ではとかくスタイルの新旧が云々されがちですが、フレーズとフレーズの橋渡しをする際の意外なほど洗練されたセンスの高さにハッとされた方なら、そんな線引きなど無意味と思われるでしょう。録音状態は当時の水準並み。 |
第1楽章のツボ | |
ツボ1 | もったいぶらず、イン・テンポを基調とした進行。クラリネットは巧味満点で安定感も抜群。強弱のメリハリなど、ニュアンスに精密さは見られないものの、翳りのあるニュアンスが十分に伝わってくる。 |
ツボ2 | 強めて低速で、一歩一歩慎重に着地。この弦のリズムが実に意味深い! |
ツボ3 | 甘美さはないがデリカシーと気品が感じられ、心に響く。かなり主情的なフレージングにも感じられるが、決して自身を埋没させておらず一定の距離を置いて作品の持ち味を紡ぎだすことに専念 |
ツボ4 | これは個性的。ディミニュエンドで減衰するのではなく、下行フレーズで急激に弱音に転じ、コントラストを明確に施している。しかもデリカシー満点。 |
ツボ5 | イン・テンポのまま突入。そのスタイルは洗練されており、なんとなく古臭いというコンヴィチュニーに対してなんとなく古臭いというイメージを持っている人は意外に感じるかもしれない。 |
ツボ6 | アニマートに至って若干テンポを落とすが、情に流れないインテンポ路線は維持。 |
ツボ7 | お見事!縦の線が揃うだけでなく、弦を弾く質感が美しく均衡。腰の強い低弦の響きがいかにもドイツ的。 |
ツボ8 | 直前でテンポを倍に落とすなどといった手は用いず、わずかにリタルダンドする程度で、副次主題へ進入。これがまた洗練美の極み。しかも突き放したような冷たさは皆無。副次主題もインテンポに終始しながら豊かに呼吸が息づいている。 |
ツボ9 | 全くのインテンポ。オケのドイツ的な重厚な響きも手伝って勇壮さの満点。16分音符は曖昧。木管の動きはかなりフルートを強調しており、それが音楽の推進力に小気味よさを加味している。 |
第2楽章のツボ | |
ツボ10 | 冒頭は、このオケの弦の威力を見せつける。意思の力で前進を続け、一切迷いがない。テンポも速め。このテンポがいかに理にかない、音楽的なものであるか、続くホルン・ソロでさらに再確認させられる。ホルンの力量も十分。枝葉末節に惑わされずストレートな表現が好印象。 |
ツボ11 | 直前で一瞬ルフト・パウゼ風になるのが惜しいが、音楽の呼吸を寸断するほどではない。破壊的なフォルティッシモではないが、音楽的な訴求力を低下させないのは、弦の力によるところが大きいだろう。 |
ツボ12 | 今まで男性的な推進モードで来ただけに、このクラリネットとそれを引き継ぐファゴットも随分と儚げに響く。クラリネットの9連音はちょっと怪しい。 |
ツボ13 | 現代のあらゆるオケの団員が真摯に傾聴してほしいシーン!ただ大きい音を出せばよいというのではなく、音を「響かせる」とは、まさにこういうことではないのか!直後のヴァイオリンのフレージングにも注目!付点2分音符の保ち方!! |
ツボ14 | これは壮絶!「ツボ11」同様、直前でルフト・パウゼが入るが、ここではそれが最大に功を奏し、灼熱の凝縮力で強固な響きを打ち付ける。フォルテ4つの直前でもルフト・パウゼあり。オケの凄みとコンヴィチュニーの底力を再認識する瞬間。 |
ツボ15 | 音の輪郭もフレージングも明確そのもので、安易に甘美な空気に流されないのはここでも同じ。恐るべき統制力。 |
第3楽章のツボ | |
ツボ16 | バレエ音楽のようなワルツの弾力とは対極にある、厳格な3拍子。2,3拍目をずっしりと着地させてフォルムがぶれない。ゆったりとしたテンポもそれに相応しく、カビ臭い表現に陥ることなく気品を確保。ファゴットの入りもインテンポのまま。 |
ツボ17 | ここもテンポ不動。沸き立つような愉悦感は皆無だが、一点一画を疎かにしない筆致が音楽的 |
ツボ18 | マイクから遠いせいか、やや線が曖昧。 |
第4楽章のツボ | |
ツボ19 | やや遅めのテンポで悠然と進行。威厳に満ちたそのニュアンスはこの楽章の導入に相応しいもの。 |
ツボ20 | ホルンはほとんど裏方。音楽の進行が意味深長で、来るべきドラマの予兆を感じさせる見事な表現。 |
ツボ21 | ティンパニは冒頭で一撃、その後クレッシェンドなしに最後までトレモロ。テンポは極めて低速で、ケンペン盤を思わせる重戦車モード。 |
ツボ22 | 完全に無視。 |
ツボ23 | 際立って強調をしていないが、しっかりと音楽全体の土台として存在感を示している。 |
ツボ24 | 主部冒頭より若干速いテンポ。 |
ツボ25 | 強打ではないが、実に深みと広がりを湛えた雄渾な響き! |
ツボ26 | 主部冒頭のテンポに戻る。 |
ツボ27 | ここでもテンポを上げないのがいかにも古きドイツ流儀!そのテンポがリズムの重みと勇壮な威容を一層際たたせ、恐るべき説得力を醸し出している! |
ツボ28 | 8分音符の音価はスコアどおり。そこには決然としたい意思の力が感じられ、もしここで音を間延びさせてしまったら、この引き締まった緊張の音像は築き得なかったに違いない。それくらい確信に満ちた選択。 |
ツボ29 | 特定の楽器を部分的に突出させることなく、威厳と説得力に満ち溢れた響きを獲得しているのは、オケの持ち味とコンヴィチュニーの統率力の賜物。テンポはやや遅めで、そのテンポ自体に説得力があり、響きにも決死の意欲が横溢!ボタンひとつで何でも手に入れることができ、心底必死になる場面などない現代のオケでは、こんな音が出せる道理がない。 |
ツボ30 | 弦もトランペットも、音を明確に切っている。弦の素晴らしさもさることながら、トランペットの決して煩くならない輝かしい響きも感動的。 |
ツボ31 | やや曖昧ながら、スコアどおりと思われる。 |
ツボ32 | つんざくような強奏ではななく、あくまでもドイツ流儀の鬱蒼とした響きが味わい満点。 |
ツボ33 | プレスト以降のテンポ設定は巧妙の極み!504小節からのプレストは決して猛烈な速さではないが、音が次第に灼熱の度合いを高め、545小節までに最高潮に達する。546小節から再び頑丈な重厚路線に転じ、ホルンの雄叫びの直後からアッチェレランド。562小節で再び急激にギアチェンジして低速で引っ張り、最後の2小節は堰を切ったように急速射撃。 |
製作者・平林直哉氏のコメント このディスクのチャイコフスキーの第5交響曲はすべて世界で初めてCDR化されたものである。演奏史の観点から見るとそれぞれに興味深いが、まずこの曲の唯一の録音となるコンヴィチュニーは、徹底してドイツ風の解釈だ。第1楽章の主部の遅さはあのチェリビダッケを思わせるし、第4楽章の洗練されない遅いテンポはフルトヴェングラーに似ている。また、コーダの全く唐突な急発進、急加速は珍演奏として知られるワルター/NBC響(1940年)とうり二つと言っていいだろう。こうした田舎臭さは当時のドイツでは定番的な解釈だったと思われる。一方のマクミランはもっと洗練されており、すっきりした現代風の演奏である。しかし、第3楽章ではメンゲルベルク風にテンポが落ちたり、第4楽章にはシンバルを追加するなど、後期ロマン派の名残りが随所に感じられる。ストコフスキーはラッパ吹き込み時代のもので、しかも第2楽章のみの収録なので付録として加えた。管楽器のソロがルバートをかけたり、弦楽器にはポルタメント奏法が多用されるなど、ロマン的な色彩が強い。なお、マトリックス番号はSP盤に印字されていないので、Arnol d著の『The Orchestra on Record, 1896-1926』(Greenwood Press)を参照した。 コンヴィチュニー、ストコフスキーの略歴については省略するが、マクミランは日本ではほとんど無名に近く、彼の一番有名なレコードはグレン・グールドの伴奏をしたものかもしれない。生まれはカナダ。のちにイギリスに移住し、オルガンを学び、その後、エディンバラ大学、トロント大学でも学ぶ。1914年、パリに行き、そのあとバイロイトに滞在中に第1次世界大戦が勃発、ベルリン近郊のルーレーベンに収容される。その間の音楽活動が認められてオックスフォード大学より学位が贈られた。戦争後はカナダに戻り、オルガニスト、後進の指導に活躍し、1931年からはトロント交響楽団の常任指揮者に就任し、同楽団を短期間に一級の団体に仕上げた(1957年まで)。さらに、メンデルスゾーン合唱団の指揮者として活躍し、作曲家としても多数の作品を残した。1935年、イギリス政府よりサーの称号を与えられる。録音はSP時代にホルストの「惑星」、エルガーの威風堂々等があるが、量的には少なく大半は地味なレパートリーだった。(平林 直哉) |
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