|
ラファエル・クーベリック(指) |
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
|
Treasures
TRT-013(1CDR)
|
録音:1960年11月21-24日 ウィーン・ムジークフェライン大ホール
(ステレオ) |
音源:独ELECTROLA STE-91135 |
|
演奏時間: |
第1楽章 |
14:11 |
/ |
第2楽章 |
12:05 |
/ |
第3楽章 |
6:14 |
/ |
第4楽章 |
12:45 |
|
カップリング/シューベルト:交響曲第4番「悲劇的」 |
“ウィーン情緒から一歩踏み出し、普遍的なスケールを獲得した名演奏!” |
レコ芸2017年6月号・交響曲・再発盤ページにクーベリック盤のレヴューが載っていましたが、「あまりにも事務的な進行」とか「統率能力不足が甚だしい」など、極端に的外れなコメントに愕然とした方も多いことでしょう。。昔から、単にきちんと演奏されているだけで「推薦」を乱発することは珍しくなく、心ある読者ならそれを額面通りに受けることもないでしょう。しかし、その逆となると断じて看過できません!名演たる要素をふんだんに含む演奏に対し、それを感知できず、ネガティヴにしか捉えられない人のコメントなど、百害あって一利なし。
第一に、クーベリックはデッカにウィーン・フィルと1950年代に集中的に録音を行い、その全てがオケの特性を活かしつつ、独自の感性を確実に刻印した名演揃いであること。第二に、劣化したマスターの使用など、復刻の仕方によっては音の精彩が減じてしまうこと。このどちらかさえ認識していれば、たとえその再発盤の音が物足りなくても、本当はもっと説得力の有る音だったかも?と想像力が働くはずですから、こんな事実誤認はあり得ないのです。しかも「表現についてどうのこうのと評する気になれない」、「情熱的でないチャイコフスキーなどあり得るだろうか」とまで書いています。「情熱的」とはどういう意味なのか?チャイコフスキーは爆演に限るというのでしょうか?何れにせよ、こんな人には、このクーベリック盤やケンペ&ベルリン盤のような「奥ゆかしさ」など理解不能でしょう。単に好き嫌いだけでで書いているとしたら、もはや評論ではありません。もしかして、それを自覚しているから「評論家」とは名乗っていなのでしょうか?
他にも突っ込みどころ満載の文言が2ページにも渡って掲載されていますが、いちいち添削しても虚しくなるだけです。以下にこれらの録音の本当の魅力をお伝えします。
チャイコフスキーの「5番」のウィーン・フィルによる録音はクリップス以降の全てが名演ですが、中でもクーベリック盤が最も地味な存在。そうなってしまった理由は、クーベリクの責任ではないことは賢明なファンならお判りのことでしょう。演奏内容は極めて濃密で、全てがウィーン流儀だったクリップス盤と比べ、ウィーン風の癖を少し抑え、スラブ的な情感を程よく付け加え、一層普遍的な魅力を増した名演となりました。決して音圧による威嚇に走らず、決して前のめりにならない落ち着きの中から、伸びやかなスケール感と風合いを湛えた音像が終始心を捉えて離しません。
第1楽章の展開部開始を告げるホルンは、ただの強奏ではなく強固な意思を湛え、再現部前の内燃エネルギーの高まり具合も、クーベリックとウィーン・フィルと結束の強さを如実に示すもの。第2楽章142小節以降の頂点へ登りつめるまでの熱い一体感も、両者が真に共鳴しあっていなければ到底不可能です。終楽章では、スラブ的な馬力よりも作品の造形への配慮を更に優先させますが、作品への共感度合いはもちろん不変。オケを強引に操作するのではなく、指揮者とオケが完全に納得の行く自然なアプローチに徹したたからこそ、全く惰性的に流れない感動的な演奏に結実したのでしょう。微に入り細に入り、注意深く聴かなければ気づかない、音楽を一層魅力的にする配慮も随所に散りばめ、聴きべ聴くほど唸らされるクーベリックの奥技を是非じっくりと御堪能下さい。冒頭に記したタイターの二の舞いにならぬよう、くれぐれもじっくりと…。【湧々堂】 |
|
第1楽章のツボ |
ツボ1 |
クラリネットは、ウィーン・フィルらしい素朴さ。弦は決して出しゃばらず、それでいてニュアンスを確実に湛える。 |
ツボ2 |
クラリネットとファゴットのブレンド感が絶妙!テンポは標準的。 |
ツボ3 |
明確にポルタメントを実行。しかしテンポ運びが洗練されているので古さを感じさせない。 |
ツボ4 |
音が下降しきった後の2小節をテヌートで沈静化させる。 |
ツボ5 |
僅かにテンポを落として、自然にフレージング。 |
ツボ6 |
スフォルツァンドを回避し、エッジを丸くし、強弱のメリハリも抑え、ルバートのみで余韻と哀愁を醸し出す。クーベリックとVPOの作品への本気の取り組みを象徴するシーン。 |
ツボ7 |
ここへ差し掛かるま。長いスパンをかけてリタルダンド。その自然な流れの美しいこと!ピチカートは、微妙な縦の線のズレが、人懐っこい表情を生む。 |
ツボ8 |
イン・テンポを貫徹した洗練美。甘美な旋律美に身を委ねるシーンと、このように距離を置くシーンとのメリハリが、音楽に画一的ではない奥行きを与えている。 |
ツボ9 |
イン・テンポのまま進行。冒頭音は不明瞭だが、直前の内燃のエネルギーが凄まじいので無理からぬこと。この内燃の熱さは楽章結尾まで続く。 |
第2楽章のツボ |
ツボ10 |
冒頭の弦は一音符ごとに表情を注入しながら、も全体の自然な流れも確保。ホルンは、ウィンナ・ホルンの魅力全開。強弱の振幅を広く取らないのでぶっきらぼうにも聞こえるが、感じていない音など一つもない。 |
ツボ11 |
音量はフォルテに抑え、全体の内省美を優先。 |
ツボ12 |
温もりを持った音色が絶品! |
ツボ13 |
冒頭ホルンより明らかに速いテンポ。しかも意思的な進行。その上で、アルコの弦が自発的なフレージングを展開するのは聴きもの! |
ツボ14 |
141小節結尾の8分音符の思いの込め方は空前絶後!続くフォルティシシモはもちろん爆音ではなく、世界を包み込むようなおおらかさ!フォルテ4つへ向かう過程での一体感は、史上屈指の素晴らしさ。、声部バランスと力感高揚が常にセットで繰り広げられるのは、本物の統率能力の証し!9:25など、管楽器の相の手を確実に挿入する配慮を必聴。 |
ツボ15 |
実の可憐なピアニッシモ。管楽器とのハーモニーの彩りにも要注目。 |
第3楽章のツボ |
ツボ16 |
前の小節テンポを落とし、歌う準備を整える。ファゴットソロからいきなりテンポを落とすより明らかに自然で美しいが、ほとんど例がない。クーベリクの指示というより、ウィーン・フィル側の肌感覚から発したものだろう。 |
ツボ17 |
随所にアクセントを施し、丹念に旋律線を描き、ニュアンスを噛みしめるように進行。 |
ツボ18 |
露骨に突出させないが、一本のラインで美しく連動している。 |
第4楽章のツボ |
ツボ19 |
テンポはやや遅め。気品あるテヌート進行が次第に威厳を加味して行く。 |
ツボ20 |
ホルンは基本的に裏方ヘ回っているが、他の管楽器との連動の中で、バランスを絶妙に変化させている。これもウィーン・フィルの直感的な伝統芸。 |
ツボ21 |
テンポは標準的。ティンパニはほとんどピアニッシモのままなので一瞬何事かと思うが、その後に浮上する様に接して、終始叩きっぱなしの通常パターンや、所々にアクセントを加える演奏に比べ、遥かに深淵さが増すことを実感。 |
ツボ22 |
完全に無視。 |
ツボ23 |
コントラバスは、どんな大音量で弾いても全体に打ち勝つことは不可能なせいか、ファゴットとのバランスを取ることを選択。これも他にほとんど類例なし。 |
ツボ24 |
少しテンポアップ。 |
ツボ25 |
聞こえる程度の一打。 |
ツボ26 |
少しテンポを落とす。 |
ツボ27 |
完全にイン・テンポで滑り込む。 |
ツボ28 |
楽譜どおりの音価。ティンパニ連打の革の風合いに惚れ惚れ! |
ツボ29 |
なんという弦のハリ艶!それに被さる金管の勇壮な響きはまさに理想形。 |
ツボ30 |
弦トランペットも、音を切る。 |
ツボ31 |
改変なし。 |
ツボ32 |
大強奏ではないが、ウィーン・フィル独特の雄渾さを湛えた素晴らしい響き。 |
ツボ33 |
イン・テンポのまま締めくくる。ティンパニの響きがここでも絶品。 |