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クリストフ・ポッペン(指) |
ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団 |
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OEHMS
OC-763(1CD)
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録音:2010年2月26-27日 Congresshalle Saarbrucken,
Germany(ライヴ) |
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演奏時間: |
第1楽章 |
14:37 |
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第2楽章 |
13:12 |
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第3楽章 |
6:05 |
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第4楽章 |
12:33 |
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カップリング/チャイコフスキー:スラブ行進曲 |
“指揮者の力量と共感の不足が刻印されただけの不毛な録音” |
ライヴ録音によるチャイコフスキー:交響曲全集の一環ですが、その内容は、新たなチャイコフスキー像を打ち立てるどころか、音楽に対して何らビジョンもなく、愛情もなく、単にスコアを表面的になぞっただけの代物。おまけに、指揮者としての牽引力にも欠けるので、これなら指揮者なしの整然とした演奏を聴くほうがまだマシというもの。とにかく、わずわざCD化しなければならない理由が全く見当たらないのです。
クリストフ・ポッペンは、1956年ドイツ生まれのヴァイオリニスト、指揮者。ヴァイオリニストとして多くのコンクール入賞歴を持ち、デトモルト室内管の音楽監督、ミュンヘン室内管の音楽監督を務めた後、1988年にはデトモルト国立音楽大学の教授、1996年からはベルリン国立音楽大学の学長に就任…、というように着実に「出世」を果たしてきたところを見ると、この一連の録音は忖度の賜物?とも勘ぐりたくなります。
多くのドイツ系アーチストによる演奏は色彩的な魅力に欠ける分、ソナタ形式を重視したアプローチで存在感を示すというのが通例ですが、ここではその両方が欠けているのですからどうしようもありません。第1楽章のコーダの響きのアンバランスさや、第2楽章ラストの裏方パートへの無配慮ぶりは、とてもプロの仕事とは思えません!ヴァイオリニストとしては後進の指導などに功績があるようですが…。
独自の解釈といえる箇所はなくはないのですが、そのどれもが必然性がなく意味不明。特に第3楽章の最後の2音間にルフト・パウゼ風の読点を挟むのは不可解の極み。やりたいことはわかりますが、リズムの重心もテンポも落とさなければ、効果はないことは明らか。そんな稚拙な判断力しかないことに驚きを禁じえません。
ここまでで既に私の怒りは頂点に達しましたが、最大限の寛容さを持って、難物終楽章へ。しかし、最後の2小節で指揮者の見識らしきものを垣間見せた以外は、見るべきものはありませんでした。
そんな状態ですから、カップリングの「スラブ行進曲」も、ミリタリー調でも哀愁路線でもない、スコアを音化しただけの音楽が流れるだけ…。
ジャケット写真の微笑みからこの指揮者の優しい人柄は伝わりますが、音楽を生み出すのに人柄重視、演奏家にとってのストレスフリー最優先では困るのです!【湧々堂】 |
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第1楽章のツボ |
ツボ1 |
停滞感皆無のスマートなフレージング。クラリネットも弦もノンヴィブラート的に響き、すすり泣くような悲哀は感じられない。5小節目のテヌートも無感動。 |
ツボ2 |
テンポは中庸。クラリネットとファゴットのブレンドは美しい。弦の繊細に弾むリズムはハイセンス。 |
ツボ3 |
響きを醸成しきれていない。強弱の対応も中途半端。 |
ツボ4 |
フィルティッシモからのエネルギーの減衰感が全く感じられないし、呼吸自体が平板。 |
ツボ5 |
ここも強弱が曖昧で、感情の起伏が伝わらない。 |
ツボ6 |
いかにも呼吸が浅く、強弱も平均化しすぎている。フォルティッシモもときめきがない。 |
ツボ7 |
ここも手持ち無沙汰。この楽想をどう捉えて良いのかわからないまま進行してしまった感が拭えない |
ツボ8 |
呼吸が浅く、別の場面に入るという心構えがないままにサクサク進行。それが洗練美に繋がればよいのだが、ここではただの共感不足にしか聞こえない。 |
ツボ9 |
そのままのテンポで突入し、16分音符は不鮮明。楽章最後でファゴットだけが目立つのが不可解。小節の結尾の音を弱めている。初めて指揮者の解釈らしいものが登場。しかしその意味が不明。 |
第2楽章のツボ |
ツボ10 |
弦は、付点2分音符のそれぞれが連動せずに流れが淀んでいる。ホルンは、誠実というより慎重すぎて窮屈。そこへ、脳天気なオーボエが飛び込む。 |
ツボ11 |
ティンパニの響きはなかなか良いが、やはり呼吸が伴っていない。 |
ツボ12 |
こうやって鼻歌風に軽々と吹かれると、作品を馬鹿にしているとしか思えない。ポッペン自身に確固たるイマジネーションがあれば、こんなことが起こるはずがない。 |
ツボ13 |
小節の結尾の音を弱めている。初めて指揮者の解釈らしいものが登場。しかしその意味が不明。 |
ツボ14 |
じっくり腰を据えて歌い抜くのは良いが、響きに求心力がないので漫然とした響きが続く。エネルギーの増幅も緊張感の持続も果たせず、指揮者として二流であることが露呈した場面。 |
ツボ15 |
「そこそこ美しい」だけ。弦の主旋律を支える管楽器の3連音があまりにも野放図なのに呆れるばかり。それを許してしまう指揮者など必要だろうか? |
第3楽章のツボ |
ツボ16 |
出だしでわずかにテンポを落とす。 |
ツボ17 |
どこかバランスが悪い。流れも停滞気味。 |
ツボ18 |
美しく連動している。 |
第4楽章のツボ |
ツボ19 |
今までの気になっていたが、ノンヴィブラート的な響きは何か狙いがあって出しているのか?全体のニュアンスは特に威厳をもたせるでもなくスマートに流れているだけ。 |
ツボ20 |
主旋律を良好なバランスを保っている。 |
ツボ21 |
ティンパニのクレッシェンドが一切ない!というより、ティンパニは、その存在自体に気づいていないかのような扱い。テンポは中庸。新たな船出を思わせる意志の強さなどない、型通りの進行。 |
ツボ22 |
完全無視。 |
ツボ23 |
何の配慮もない。 |
ツボ24 |
ここからテンポ・アップ。しかしそれに相応しい表情が伴っておらず、「テンポをを上げろと言われたから上げた」だけのような感じ。 |
ツボ25 |
鈍い一打。その中でも最低の無気力ぶり。もっとも、この一打に魂を込められるくらいなら、他の部分で何かしら魅力的な部分があったはず。 |
ツボ26 |
テンポはそのまま。 |
ツボ27 |
ほとんど同じテンポ。緊張感は希薄だが、響き的には好バランスを維持している。 |
ツボ28 |
8分音符の音価は、本来の音価どおり。最後の一音が、息切れしたかのように、なく霞んでいくのは、これから勝利の行進に突入しようとするにあたってあり得ないこと! |
ツボ29 |
それを受けた滑り出しは、当然ながら芯を欠いた上滑り的な響き。 |
ツボ30 |
弦は475小節ではレガートで、477小節は音を切り、一貫性なし。トランペットは音を切る方法で統一。496小節の頭のティンパニの音が変。 |
ツボ31 |
改変型。503小節のスフォルツェンドは、軽いクレッシェンド処理に変更。全楽章を通じてこれが唯一、指揮者の見識を伺わせるシーン。しかし、残念ながら音に意思が欠けるので効果は半減。 |
ツボ32 |
ドイツの放送オケらしい透明感の高い響き。 |
ツボ33 |
イン・テンポ進行。最後の4つの8分音符はティンパニを突出させて締めくくるのは、ありそうでなかなかないスタイル。 |