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マルコム・サージェント |
ロンドン交響楽団 |
第2楽章ホルン・ソロ:バリー・タックウェル (?) |
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SUITE BEAT
1002[SU]
↓
Treasures
TRT-015(1CDR)
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演奏時間: |
第1楽章 |
14:50 |
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第2楽章 |
12:56 |
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第3楽章 |
6:38 |
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第4楽章 |
10:56 |
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カップリング/ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 |
“大胆カット登場!サージェントの芸風の全貌がここに!!” |
EVEREST音源。この「チャイ5」の演奏は、粗悪プレスによる米LPの音で初めて知りました。世間にCDメディアが出現して間もなくCD化され、クリアに刷新された音による新たな発見を期待したのですが、結果は、サージェントは「汚い音を出す人」と印象付けただけ。しかも、シルヴェストリやバティスのように表現欲が旺盛過ぎて、感覚的な美感が後退したのとは違い、ただ「無意味に汚い」としか思えず、もしかしたら、その背後には表面化していない魅力が隠されているのではないか?と妄想するしかありませんでした。
そして出会ったのが、この良質LPの復刻盤。聴いて驚いたのは、汚いと感じていた音色がむしろ研ぎ出しの木のような素朴さとして伝わり、そこにサージェントのどこかに気の置けない人間臭さとひたむきさが加味されていること。スケール感もあり、心からの歌もあり、色彩的にも独自のカラーで一貫。第2楽章ラストなど徹底して楷書風ですが、真のリリシズムに溢れていて、単に「無意味」と一蹴することはできないという思いに至りました。
とは言え、復刻されたリアルなサウンドによって、サージェントという指揮者は、オーケストラを強力に牽引する能力と、音を凝縮させる能力が高くなかったのでは?という思いが強まったのも事実。とにかく、無機質に流れるだけの箇所と、しっかりと表現の意思を感じる部分がパッチワークのように継ぎはぎで現れ、オケの側、上の空のような音を出すかと思えば、金管が決死の雄叫びを上げるというように、一貫性があまりにも希薄なので、そう思わざるを得ないのです。第1楽章、展開部に入る前の全斉奏の響きなど実に立派なのに、展開部最後の強奏は、バランスの悪い録音(管楽器と第1,2Vnと低弦部が分離して聴こえる)せいもあって、汚い音が拡散するありまさ。第2楽章は、副次旋律が弦で始る箇所は精一杯の歌が込められ、弦の響きもデリケートな風合いを漂わせ、コーダもなかなか染みるニュアンスを持っています。第3楽章はなんともスローなテンポが心地よく、ノスタルジーが横溢。終楽章は集中力がやや散漫で、まさに汚い音が見え隠れすることも。主部に入って直ぐの66小節から、弦も金管も総動員で下品なテヌートを奏でるのには閉口。類例はロヴィツキにも見られますが、もっと芸術的な必然性を感じたものです。
そしてやはり最大の問題は、必然性皆無の大幅なカット!同じく展開部にカットを施した他の例(ケンペン盤、セル=ケルン盤等)と異なり、サージェントはやや短いカットに止めてはいますが、緊張感が緩いせいもあって、接続部分の連動が不自然なことは否めません。更に大胆にも、471小節の全休止後、運命動機の再現を18小節に渡ってごっそりカットするメンゲルベルク版まで持ち込んでいますが、これもメンゲルベルクの強烈な確信力には遠く及びません。
サージェントは、プロムスの名物男として聴衆の絶大な人気を集めていたとは裏腹にオケからは二流の烙印を押され、ビーチャムの後任のロイヤル・フィルのシェフ候補として彼の名が挙がったときも、そうなったら辞めると言った団員が続出したとか。サーの称号を授かりながらそのような扱いをされた彼の真の芸風は、もしかしたら英国以外のオケとの共演なら何か見えてくるかもしれません。オケから好かれている指揮者が必ずしも良い指揮者というわけではないのですから。【湧々堂】 |
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第1楽章のツボ |
ツボ1 |
ぽつぽつと呟くようにクラリネットが奏でるが、色彩は単色的。10小節目の最後をテヌート気味にしているが、やや不自然。クラリネットと弦のバランスが良くなく、第2ヴァイオリンが低弦よりも浮き立つバランスも珍妙。録音のせいかもしれないが…。。 |
ツボ2 |
テンポは中庸。弦の響きにニュアンスが希薄。木管の16分音符と8分音符の音価も短く素っ気ない。 |
ツボ3 |
音を跳ね上げる際に、多少アクセントが付く。 |
ツボ4 |
楽譜どおり。 |
ツボ5 |
テンポは変えない。丁寧なフレージングだが、何だか響きが雑然としている。 |
ツボ6 |
何も感じずに通り過ぎるだけ。 |
ツボ7 |
ピチカートの響きが艶やかで味わい深い!続く木管の跳躍音型も優しさが感じられ、それに応える弦のアルコの合いの手はしっとりとテンポを落として受け答えをする入念さ!これが実に自然なニュアンス! |
ツボ8 |
呼吸が浅く、低弦がなぜか控えめなので、音楽が痩せ気味。 |
ツボ9 |
そのままのテンポで突入し、16分音符は埋没。金管が変に突出。全体にしっかりとニュアンスを確立しないまま音楽が過ぎ去ってしまう。 |
第2楽章のツボ |
ツボ10 |
弦は一音ごとにニュアンスを施さず、淡白にインテンポで流れるが、ここでは高音域と低音域のバランスは良好。ホルンがまた徹底したインテンポだが、無機質ではなく、淡々とした中にほのかな憂いを込めている。安定した弱音のトーンも美しい。オーボエも音色自体は地味だが、センス満点。 |
ツボ11 |
いかにも呼吸が中途半端。 |
ツボ12 |
ここでもクラリネットが野放図。テンポは変えていない。 |
ツボ13 |
切々とニュアンスを湛えたピチカートに乗せて、続くアルコもオーボエも、美しく融合して詩的な空間を作り上げている。ホルンが巧い! |
ツボ14 |
芸術性は高くなく、フレーズの振幅も不安定だが、誠実な共感は伝わってくる。 |
ツボ15 |
ここは全体を通じて最も響きが充実。心からのリリシズムの溢れ、最後を締めくくるクラリネットも、ここでは陶酔的な美しさを表出! |
第3楽章のツボ |
ツボ16 |
出だしでわずかにテンポを落とす。 |
ツボ17 |
弦の高域と低域、管楽器がそれぞれ分離して聞こえる録音なので、ブレンドの妙は味わいようもないが、楽章冒頭からのノスタルジックな雰囲気は大切に維持している。 |
ツボ18 |
遅めのテンポにかかわらず、先走らずに美しく連動している。 |
第4楽章のツボ |
ツボ19 |
典型的なメゾフォルテで一貫。テンポも中庸。 |
ツボ20 |
裏方に徹しつつも、分をわきまえて確実に響かせている。 |
ツボ21 |
ティンパニのクレッシェンドの途中から、唐突に弦が刻み始める。ティンパニのトレモロは終始一定音量を維持。テンポは遅め。重厚さに欠けるが、なかなかの風格。 |
ツボ22 |
テヌートで歌い抜いているため、完全無視。 |
ツボ23 |
210小節から再現部の303小節まで演奏カット。 |
ツボ24 |
〃 |
ツボ25 |
埋没している。 |
ツボ26 |
テンポはそのままスローテンポ。 |
ツボ27 |
若干テンポアップ。トランペットの3連音が、緊張感ゼロ! |
ツボ28 |
8分音符の音価は思い切り長い。ティンパニのトレモロは、469小節で切り上げている。 |
ツボ29 |
メンゲルベルク同様、472〜489小節(トランペットの運命動機直前)までカット!ゆったりとしたテンポによる全休止のあと、この金管を含む斉奏がくるのはどう考えても唐突。フェドセーエフの'98年盤のような突進力のある演奏なら効果絶大かもしれない。 |
ツボ30 |
やや中途半端だが、トランペットは音を切っている。 |
ツボ31 |
トランペットよりもトロンボーンを前面に出した凄いバランス!トランペットは完全に埋没しているのではっきりしないが、トロンボーンの音を聴く限り、改変はしていない模様。全体の音像は汚いことこの上ないが、逆に血生臭さい雄叫びは胸に迫るものがある。 |
ツボ32 |
やや遠め。強奏とは言えない。 |
ツボ33 |
巨匠風のインテンポに終始。響きの重心がやや軽い。 |