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ウィリアム・スタインバーグ(指) |
ピッツバーグ交響楽団 |
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Treasures
TRT-006(1CDR)
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録音:1953年頃 ※英mfp盤からの復刻(交響曲の第3楽章に、消去しきれないノイズがあります) |
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演奏時間: |
第1楽章 |
14:07 |
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第2楽章 |
12:49 |
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第3楽章 |
6:12 |
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第4楽章 |
12:29 |
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カップリング/チャイコフスキー:弦楽セレナード |
“潔癖でありながら綺麗事ではないフレージングの意味深さ!” |
スタインバーグの録音は、何を聴いても「誠実だけど胸に迫らない」という印象しか得られなかったのが、このチャイコフスキーには、時を忘れて聴き入ってしまいました。音楽を歪曲しない誠実さの背後には、鉄壁なまでのアーティキュレーションへのこだわりが垣間見え、それが音楽の清潔な流れと呼吸の源となって確実に音楽を突き動かしていることに気付かされたのです。
清潔なフレージング対する確固たる信念は、ドイツ生まれのスタインバーグの血のなせる技とも言えますが、最大の特徴は、テンポの緩急、強弱の変動に極端なコントラストを与えていないこと。ニュアンスを強調する箇所が皆無に近いので、感覚的には堅物な印象しか与えないかもしれませんが、決して楽譜絶対主義ではなく、聴けば聴くほど各フレーズを最も自然に息づかせる絶妙な柔軟性が終始一貫していることに敬服するばかりです。特に第2楽章は、スタインバーグの美学が満載。108小節の弦のピチカートなど、こんな含蓄のある響きを聴いいたことはありません。その直後の弦のテーマにはポルタメントが掛かりますが、こんな古さも汚れもないポルタメントがあり得ることに驚きを禁じえません。思えば1950年代前半は、19世紀的なロマン主義的な演奏スタイルから離脱する過渡期でしたが、オーマンディなどと同様に、現代的アプローチとの折衷スタイルが現れた瞬間としても興味深いものがあります。終楽章後半、全休止後のテーマの斉奏は、これほど弦のボウイングの使い分けを徹底した例を他に知りません。しかもそれを無理強いした痕跡など皆無で、当然のように自然にこなしているのは、この時期オケが既にスタインバーグの音楽性に全幅の信頼を置いていた証でしょう。だからこそ結果的に力技ではない、独特の清々しさを誇る推進力に結実しているのです。
スタインバーグは1952年から20年以上も音楽監督を務め、もちろん歴代最長。そもそも真面目なだけではこれだけの年数を務め上げることなど不可能だということに、もっと早く気づくべきだったと、猛省するばかりです。【湧々堂】 |
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第1楽章のツボ |
ツボ1 |
クラリネットと弦のブレンド感が良好。誠実なフレージングで、そのバランスを貫徹し、感傷方に陥らない姿勢を示す。 |
ツボ2 |
テンポは標準的。リズムに憂いを浸透させず淡々と進行しながら、スコアに従えば自然とペーソスが滲むはずという信念が感じられる。 |
ツボ3 |
スコア通り。 |
ツボ4 |
実に清潔! |
ツボ5 |
スフォルツァンドは省略し、スラーも強調せずに、全体をレガートで息づかせることを主眼としている。 |
ツボ6 |
ピンポイントで表情が突出することを避けるスタインバーグの姿勢が現れた瞬間。強弱の振幅を抑制している。 |
ツボ7 |
正確な音程が物を言っている。155小節からの管と弦の対話では、弦に僅かにリタルダンドが掛かる。 |
ツボ8 |
スタインバーグの洗練美が有機的に結実!新たなシーンであることを聴き手に悟らせないように、イン・テンポで滑り込む。これは、微妙な間合いの差で、無機的に響く危険があり、この指揮者の演奏の良し悪しも、そこの鍵があるのかもしれない。 |
ツボ9 |
克明に付点のリズムが聞き取れる。決然たるイン・テンポ進行であざとく緊張を煽ることなく、説得力のある終結を築く。 |
第2楽章のツボ |
ツボ10 |
低弦の導入は、このオケの優秀さを示す。ホルンの技巧も申し分なし。もう少しデリカシーが欲しい。 |
ツボ11 |
56小節を頂点とした叩きつけるようなフォルティシシモではなく、レガートの線上での呼吸の膨らませ方が絶妙。 |
ツボ12 |
クラリネットはやや明るすぎるきらいが有り。その後の弦の「洗練されたポルタメント」は聴きもの! |
ツボ13 |
これは素晴らしい!得も言われぬ含みを持たせたピチカート! |
ツボ14 |
力感を強調せず、あくまでもフレージングの持続を優先。 |
ツボ15 |
スコア以上の表情の追加はなし。 |
第3楽章のツボ |
ツボ16 |
明確にテンポを落とす。70小節でも同様。 |
ツボ17 |
ここからテンポを上げる。アメリカ的な軽薄さを感じさせず、地に足の着いた音の量感を維持。 |
ツボ18 |
パーフェクト! |
第4楽章のツボ |
ツボ19 |
格調高いレガート!この手法では表情が中途半端に終始することが多いが、ここでは明確なビジョンが感じられる。 |
ツボ20 |
ホルンは裏方だが、決して埋没していない。 |
ツボ21 |
テンポは標準的で、ティンパニもほぼスコア通り。管楽器の小細工を施さず、弦の力感を軸として進行。 |
ツボ22 |
これが理想的な手法かもしれない。ここにアクセントがあることを聴き手にわからない程度に音を響かせている。これを聴くと、この一音だけに明確にアクセントを置くのは不自然としか思えなくなる。 |
ツボ23 |
音の隈取は不明瞭だが、全体の力感には不足なし。 |
ツボ24 |
わずかにテンポアップ。 |
ツボ25 |
目立たない程度の打ち込み。 |
ツボ26 |
主部冒頭のテンポに戻す。 |
ツボ27 |
一段テンポを落とした安定した進行。ここにも、緊張を煽ろうとする意図を表面化させないスタインバーグの潔癖さが生きている。 |
ツボ28 |
ほぼ楽譜の音価を遵守。ティンパニの一撃もない。 |
ツボ29 |
実に健康的だが決して脳天気な開放ではなく、すべての音が結晶化している。 |
ツボ30 |
弦は、475小節ではレガート処理し、477小節では音を切るというボウイングの使い分け!同フレーズの繰り返し時にも同じ処理を行っており、漫然と流す演奏が多い中で、スタインバーグがいかにフレージングにこだわっていたかを示す重要なポイントと言えよう。そして、その後のトランペットは、一貫して音を切っている。ドイツ的な血のなせる技か? |
ツボ31 |
弦の動きと合わせる改変型。 |
ツボ32 |
殊更の強奏はさせていない。 |
ツボ33 |
561小節と562小節のみテンポを落とし、最後の2小節でテンポを戻す。 |