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モーツァルト/MOZART |
MUSICAL CONCEPTS MC-141(4CD) |
モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集、幻想曲 ハ短調K.475 |
ヴラド・ペルルミュテール (P) | |
録音:1956年6月 パリ Pathe studio(VOX原盤) | |
“これが本当のペルルミュテール!!” | |
ラヴェル直伝のピアニストとして有名なペルルミュテールの演奏は晩年のNimbusへの録音で味わうことができ、そのイメージがペルルミュテールのピアニズムの全貌と捉えられがちですが、このモーツァルトを聴くと、晩年のピアニズムはあくまでも晩年のそれであって、本来のタッチと音楽を自然に息づかせる比類なきセンスはこういうものだったのかと驚かれる方が多いことでしょう。とにかく、こんな名演奏が埋もれたままだったことは全く不可解。慈愛と共感に満ち溢れ、余計なルバートは排しながらも全てのフレーズが優しい表情を伴って絶妙に音楽自体が語りかけてくるのです。音と音の間合いの良さも絶品!全曲にわたって駄演とは全く無縁。しかも全てが各曲の頂点に君臨すべき名演であると言っても過言ではありません。それくらい、他のピアニストにはあってペルルミュテールの演奏にはないというニュアンスが皆無なのです。したがって、一生のうちにモーツァルトのピアノ・ソナタのセットは一つしか所持しないと決めている人がいるとしたら、お勧めするのはこのセット以外は今のところ考えられません。 まずK.279の第1楽章、装飾音がまさに鈴の音のように囁き、上行音型はハープのようにエレガント。提示部のこの至福の空気に触れただけで、歴史的な名演であることを確信させます。展開部に入るとタッチの硬軟の使い分けがますます冴え、しかもそこにはメカニックな操作性が一切存在しないので、今まさに生まれたてのような瑞々しさ。K.280は、第2楽章の表現にご注目!タッチの多彩さはここでも顕著ですが、短調特有の悲哀に溺れることなく、タッチには常に芯があり音楽の隈取がくっきりと表出させており、音楽そのものの息遣いが聴き手にダイレクトに伝わります。コーダでの呼吸の沈静のさせ方もまさに名人芸! K.330第1楽章のニュアンスの豊かさも、只事ではありません。もちろんピアニストの感情や表現意図が過多になればニュアンスが膨らむことは言うまでもありませんが、そうではなく、ピアニストが前面に出ないで音楽自体が無限にニュアンスを広げる演奏がいったいどれだけあるでしょうか?あまりにも有名な「トルコ行進曲」もかつて聴いたあらゆる演奏の中で最高峰。これほどタッチの粒が揃い、それぞれが美しく有機的に連鎖し切ったフレージングに接したことは未だにありません。K.332の第2楽章の究極のアゴーギクを堪能。先走りするようにフレーズを滑り込ませてから直後にテンポを取り戻すテクニックは極意中の極意!安易に真似するとどういうことになるか、それを考えると以下にペルルミュテールの見識と音楽性が深いかを思い知らされます。3:21から約10秒間のフレーズは絶対にお聴き逃しなく!この一瞬になんと多彩な表現を指先から発していることか!K.457も最初の3秒で脱帽。ハ短調特有の悲壮感がタッチの圧力ではなくタッチの連鎖の中から湧き上がるこんな演奏を他に聴いた記憶がありません。 あえてダントツの1曲を挙げるとすればK.283。第1楽章のテンポその良さが奇跡的!肩の力が抜けきったたおやかな滑り出しが最後まで一貫し、各フレージングがその流れの中で無限とも思える表情の豊かさを表出。第2楽章さらに信じ難いニュアンスの連続!繊細な神経が宿るアゴーギクはどこまでもピアニストの自己顕示の痕跡を感じさせず、とてもこの世で鳴り響いている音楽とは思えない幻想を生み出し、聴き手を不思議な恍惚へと誘うのです。終楽章はリズムの立ち上がり方が、他のモーツァルト弾きと呼ばれるピアニストも実現していない理想の姿!この演奏を聴くと、モーツァルトアレグロ楽章においてほとんどのピアニストがタッチを鋭利に立たせ過ぎ、その分ハーモニーの豊かさとフレーズのニュアンスが後退させ、音楽の魅力を半減させてたことに気づかされます。ここでのペルルミュテールのタッチは、モーツァルトの音楽を奏でるうえでのタッチのあり方を吟味しつくしており、その範囲内で10本の指全てからニュアンスを発し、それらを音楽的はフォルムに形作る、当たり前のようでいて、本当に実現するのは至難の業を当然のように実行してるのですから、もう言葉を失うしかありません。 |
MIRARE MIR-152(1CD) |
モーツァルト:ピアノ作品集 きらきら星変奏曲K.265、 ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330、 幻想曲ハ短調K.396、 アダージョ.ロ短調K.540、 デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲ニ長調K.573、 ピアノ・ソナタ.ニ長調K.576、 アンダンテ.ヘ長調K.616 |
シュ・シャオメイ(P) 録音:2011年3月17-20日ポワチエ・オーディトリアム劇場 |
“ピアノから自発的に音楽が溢れ出す純真無垢なモーツァルト” | ||
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ピアノ・ソナタ第10番、リスト:ピアノ・ソナタ、ロレム:舟歌,コープランド:ソナタ、ウェーバー:ピアノ・ソナタ第4番, ラヴェル:ソナチネ、道化師の朝の歌、左手のための協奏曲、ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 |
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レオン・フライシャー(P)、ジョージ・セル(指)クリーヴランドO、 セルジュ・コミッショーナ(指)ボルチモアSO |
1957年〜1982年 ※ロレム、コープランド、協奏曲のみステレオ録音 |
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PHILIPS 456775(2CD) |
“一世を風靡したフライシャーの驚異のヴィルトゥオティ!” | ||
一連の「GREAT PIANIST」シリーズは、どれもその選曲のセンスの高さに感心してしまいますが、これはその点でトップクラスの存在感を示しています。フライシャーの右手故障以前の絶頂期、1959年代末の録音を中心に納めた2枚組。まずモーツァルトが、目からウロコの名演奏!シンプルなものをシンプルなまま大切に音を紡ぎ出す風情は、まさに師のシュナーベル譲りで、これぞモーツァルト!第1楽章は、明確なタッチで極めて闊達に進行しますが、感覚的な痛快さに終始することはなく、豊かに情感が広がります。第2楽章は絶品!タッチはここでも克明ですが、品格と美しさを兼ね備え、内省的なニュアンスをじっくり表現。終楽章冒頭のリズムの弾ませ方と優しい語り口もセンス満点で、速いパッセージでも自己満足的なノリに陥ることなく、確実に聴き手の耳にモーツァルトの息吹を伝えてくれます。完全に師を超越した独自のピアニズムを炸裂させるのがリスト。タッチの輪郭が明快なのはここでも同じですが、ここではそれが猛獣のように容赦ない強靭な打鍵に変貌し、独特の戦慄空間を生み出します。しかしデモーニッシュな面だけを強調することなく、濡れたようにきらめくピアニッシモとの対比と、息の長い呼吸の妙が一体となり、リストがこの曲に込めたピアニズムの粋を余すところなく凝縮しています。アンダンテの中間部で、静かなリリシズムから荘厳さを携えて盛り上げる箇所の音像のそびえ立ちには息を呑み、そこからアレグロに転じる際の静寂の中には、この先の熾烈なドラマを予感させる異様な緊張を醸し出します。その先は究極のヴィルトォジティの嵐!手を傷めるのも無理もない激烈な打鍵は全く容赦なく、しかも音を絶対に濁らせない驚異のバランス!そして、コーダの最後の数秒、神が降りてきたような淡い光…。これはフライシャーの絶頂を示すだけでなく、この曲の最高の演奏としても広くし認識されるべき名演奏です。そのモーツァルトとリストの演奏でのフライシャーの持ち味を一度に味わえるのが、ウェーバー。第2楽章のトリオの目まぐるしい無窮動の鮮やかさ、終楽章のリズムの峻厳さには唖然とするばかりです。「ソナチネ」は第2楽章にご注目!なんというリズムのたゆたい!「道化師の朝の歌」は、6分を切る超高速テンポの中に、道化師の笑いと涙をぎっしり凝縮。グリッサンドも鉄壁!「パガニーニ狂詩曲」もリストと並ぶ、センス満点のヴィルトゥオジティの宝石箱!伴奏の有機性の点でも最高峰です。この曲に何よりも技巧の正確さを求める人も、音楽的な充実を求める人も唸らせる、とてつもない凄演です。故障から復帰後の左手の協奏曲は、そんな彼の比類なきピアニズムが決して枯渇していないことを示すのに十分な名演奏。録音はモノラルのものが少なくないですが、どれも明確に打鍵の魅力を伝える優れもの。日本において、このような制作者のセンスと見識を感じさせるアルバムが誕生する日はいつでしょうか? |
ピアノ・ソナタ第10番、幻想曲ニ短調、ロンドニ長調、シューベルト:即興曲Op.90-2.3.4 | |||
梯剛之(P) | 2002年 デジタル・ライヴ録音 | ||
毎日新聞社 MNCL-101 |
“本当の音楽の美しさに涙を禁じえない感動ライヴ!” | ||
彼のピアノを聴くと、いつも指揮者のジョージ・セルを思い出します。イメージ的には全く違う二人ですが、彼らの音楽作りには、いわゆる「出来が悪い」ということがまずありえません。技巧以前の音楽への共感の度合いに全くムラがないからこそ、人々に感動を約束できるのではないでしょうか?梯のピアノには、常に自分が作品を愛してやまないという一途さがあるだけで、技巧的を徹底的に磨いたり、スコアを細部に渡って掘り下げたりといった、「後付け」の要素を全く感じさせません。「純粋」という一言で済むかもしれませんが、本当の意味での純粋な音楽の感動を伝えられるピアニストは、現在彼をおいて他にいないとさえ思えます。「ロンド」が鳴り出した途端、もうそこにはモーツァルトがいます。それだけですが、それ以上のものを必要としない感動に包まれます。幻想曲の冒頭を、絶妙なペダリングでこれ程まさに幻想の空気で覆った例も聴いたことがありません。突然の休止の不思議な余韻はどうでしょう!その無音までも感じ、頭で構築した痕跡が全くないという至純の極み!ソナタに至っては、アゴーギクが絶妙などというだけ空しくなるほど、ただ音楽が音楽として息づいているだけです。しかし、それで感動させられるピアニストなどほとんどいないのです!即興曲Op.90-3は、もはやピアノが鳴っているという感覚を通り越して、なにやら美しいキラキラしたものが全身を取り囲む異次元へと誘われます。ここに収録された全ての曲は、かつての名録音とは同列で聴き比べることができない別格の名演奏として、永遠に光を失うことはないでしょう。 |
H.M.F HMC-901856 |
ピアノ・ソナタ第10番、第11番、第12番 | ||
アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ) ※1785年頃のウィーン、アントン・ワルター製フォルテピアノのコピー, 1986年、マルブルク、モニカ・メイ作製) |
2004年3月 デジタル録音 | ||
“音楽的呼吸の天才シュタイアーが見せた「トルコ行進曲」でのワクワク演出!” | |||
いつもながら、シュタイアーの演奏には学究的な無機質さが微塵もなく、音楽の根底に眠る魅力まで自然に引き上げ、生命力に溢れています。「第10番」第1楽章は実に自然なテンポが心地よく、さり気なく付加される即興的な装飾音も嫌味がなく、耳をくすぐります。展開部の美しさは、この楽器だからこそ醸し出せる不思議な幻想性に満ち、いきなり別世界に舞い込んだような錯覚に陥ります。この繊細な転調の揺らめき感じ切った幻想的な空気は、いつまでも消えないで欲しいと願いたくなるほど魅惑的です!第2楽章は最初の数小節の主題だけでも、その音楽的な呼吸に言葉を失います。特に長い音符の懐の深さと香り高い余韻!終楽章では、両手が完全なユニットになっているのはもちろんですが、フレーズの変わり目であえて低音部を強調することで、音楽に独特のメリハリをつけ、それによって真に躍動が漲る推進力ももたらしているところが印象的。第12番の第2楽章も、音楽性満点!主題が短調に転じる直前で自然にテンポを落とし、影を落としながら滑り込むまでのほんの数秒の間に、音の一つ一つををこれほど感じ切った演奏は決して多くないと思います。逆に短調から長調に変わる際の鮮やかさに驚くのが「トルコ行進曲」!冒頭は音量を抑えて翳りを保ち、主題を繰り返す際に早速リズムを変え、チャーミングな装飾音が印象的ですが、そこから長調で大きく羽ばたく際の一呼吸が絶妙の極みなのです!その後更に腰を抜かすのがアバンギャルドなまでの即興風アレンジ!しかも気付くととてつもない高速に達しています!決して威嚇的なスリリングさではなく、この手作りのワクワク感がシュタイアーの演奏を味わう醍醐味の一つではないでしょうか? |
ピアノ・ソナタ第10番、第11番、第12番 | |||
クリスチャン・ツァハリアス(P) | 1984年、1985年 デジタル録音 | ||
EMI 5749832[EM] |
“ツァハリアスの慈しみに満ちた美音と、トルコ風打楽器付き「トルコ行進曲」の成果!” | ||
【全集】 CZS-3675242(5CD) |
非常に洗練されたテクスチュアで統一しながら、作品への慈しみを全編に漂わせた温かなモーツァルト。古典的な様式から意図的にはみ出ようというそぶりは見せずに、目の前の愛する人にだけ奏でるような、強弱対比を抑えての語りかけが実に魅力的ですが、リズムは常に健康的に弾み、決して神経質に響くことはありません。装飾音をさりげなく織り交ぜていますが、これまた絶妙で、モーツァルトの音楽の持つデリカシーを損ねることもありません。「第12番」の第2楽章などは、ツァハリハスの美しいタッチと細やかな息遣いが素晴らしく、音楽の素晴らしさだけがストレートに伝わってきます。その終楽章ともなると才気に満ち溢れますが、どんな強音でもまろやかさを失わず、短調に転じたときの色彩の変化を実に自然に導く手腕にも、ツァハリアスのセンスを感じさせます。驚きは「第11番」の“トルコ行進曲”での装飾音追加のセンス。ここでは全体を通じて最も多く装飾音が追加されていますが、そのどれもが音楽的な弾力と一体となって自然に響きます。しかもコーダではシンバル音を付け加えて、トルコ風のエキゾシズムを醸し出すという演出つき!これは知らずに聴くとかなりビックリしますが、音楽として実によく溶け合っているところが流石です。他にも同様の装置をつけたフォルテピアノによるCDがありましたが、現代楽器で試みようとする意欲にとにかく敬服! |
ピアノ・ソナタ第11番、第5番、幻想曲ニ短調、ロンドニ長調、ロンドイ短調 | |||
梯剛之(P) | 1995年 デジタル録音 | ||
KING KICC-192 |
“「音楽とは何か」を教えてくれる、梯の衝撃的なメジャーデュー盤!” | ||
2002年のライヴの7年前、梯のいわゆるメジャーデビュー盤ですが、彼が引き出す全ての音が真実そのもので、これ以上のものを一切必要としない究極のものであることは疑いなく、全体の構成力もこの時点で完全に出来上がっていることが確認できます。ライヴ録音とだぶる幻想曲とロンドも、ほとんどスタイルはそのままで、幻想曲冒頭のニュアンス溢れるペダリングなどもここで聴くことができます。これが発売された当初、レコ芸の月評で「必要以上に純粋な演奏と称して賞賛すべきではない」といったニュアンスのコメントが書かれているのに目を疑いましたが、なんとその数年後に、その評論家が梯と対談をした際に、彼を日本の誇りとして激賞していたのには呆れてしまいました。この豹変の理由は未だに理解できませんが、いずれにしても、このベーゼンドルファーから流れ出るまろやかな音色と彼の音楽自体に語らせる才能を前にして、一切の理屈は通用しません。“トルコ行進曲”の力みの一切ない推進力と汚れのないタッチを兼ね備えた演奏だけでも、歴史的事件です! |
ピアノ・ソナタ第14番、ロンドイ短調K.511、デュポールのメヌエットによる変奏曲、 幻想曲ニ短調K.397、ハ短調K.475、 |
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アンヌ・ケフェレック(P) | 2001年 デジタル録音 | ||
MIRARE MIR-9913 |
“モーツァルトの短調作品に込めた幽玄のニュアンスが見事!” | ||
粋のパリジェンヌであるケフェレックは、来日公演のバッハなどでも実証済のように、ドイツ系作品でも緻密な構成感を堅持した演奏を聴かせてくれます。持ち前のクリスタルのようなタッチをふんだんに盛り込みながら、特に短調作品から醸し出される夕映えのような色彩と沈静感が聴く側の心に迫ります。1曲目の「ロンド」冒頭から語り掛けるような絶妙な間合いから引き込まれ、「変奏曲」は、雰囲気満点の優秀録音と相俟って、チャーミングなタッチが耳から離れません。白眉はハ短調ソナタ!バッハにも通じる堅固な構成感と一貫した緊張感が全編に貫き、この曲独特の激情を美しいフォルムで表出。第2楽章のフレージングの深みと気品など、ケフェレックの魅力の真髄と言えましょう。最後に置かれた「幻想曲」は、グールドの気の遠くなるスローテンポによる名演もありますが、それとは別次元の凛としたドラマ性で訴えかけます。録音がまた雰囲気満点! |
ジーグ ト長調、幻想曲とフーガハ短調、ピアノ・ソナタ第10番、ピアノ・ソナタ第5番、メヌエットニ長調Kv.355、 デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲、幻想曲ニ短調、メヌエットKv.1 |
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デヤン・ラツィック(P) | 2002年6月、2002年3月(ライヴ) | ||
Channel Classics CCS-13398 ¥2310 ↓ |
“互いの天才性が手を取り合って初めて表出可能な絶世のニュアンス!!” | ||
「幻想曲とフーガ」は、もうこれ一曲だけでもラツィックの才能の高さは明白!最初に何の気なしに置かれる和音の安定感と深さ!このたった一つの和音にこの曲全体の意味を凝縮させているかのようです。おまけにタッチの美しさが絶世!主部に入ってからの右手の上行音型と左の下降音型の艶やかな対話感も泉のように湧き上がり、3:27からのアルペジョの連続がさり気ないペダル配分とともに星が舞い降るように煌く演奏など、他に類例を見ません!フーガの部分も決して肩肘を張らずに自然体そのもので丹念に音のつむぎだしに徹しているだけながらこの味わい!とても21歳(当時)のわざとは思えません。ソナタ第10番の澄み切った青空のような清々しさはどうでしょう!第1楽章で軽妙に跳躍し続ける上声部など、ピアニストの側に何かしてやろうという魂胆が顔を出した途端に純度が落ちてしまいがちですが、ラツィックに限ってはそんなことは皆無。第2主題で音価を自在に伸縮させるのも、呼吸と一体化していることが肌で感じられるので説得力絶大。もちろん左手も伴奏役に止まっていません。第2主題後半のアルペジョでペダルを外してリズムを弾ませる無邪気さは忘れられません。しかも最後を締めくくる和音のアルペジォが、掌の上で真珠を転がすような美しさ!第2楽章は、音を発した後に、更に自分の体内に宿すような慈しみが一杯。終楽章のテンポとリズムと呼吸が、全て指先に集約した究極芸!ソナタ第5番も感動的。これほどモーツァルトの天才技を実感できる演奏も珍しいでしょう。第1楽章再現部でテーマが短調で現れる箇所の真の儚さ!第2楽章でも、柔和な雰囲気を保ちながらも音自体はしっかり表情を伴って発言。「幻想曲ニ短調」は、ことさら悲壮感を煽ることなく、音と音の隙間を自然な緊張で埋め尽くして、これまた聴き手を釘付け!後半の長調部分への移行も自然そのもの。 |
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