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協奏曲M〜モーツァルト


レーベルと品番、ジャケット写真は管理人が所有しているものに拠っていますので、現役盤と異なる場合があります。



モーツァルト/MOZART

Avie
AV-2058(3CD)
ヴァイオリン協奏曲全集、2つのヴァイオリンの為のコンチェルトーネK190、協奏交響曲K364
シュロモ・ミンツ(Vn、Va、指揮)、ハガイ・シャハム(Vn)、ECO
デジタル録音
“芳醇な美音健在!加えて精神的な深みも涙を誘います!
シュロモ・ミンツがAvieから登場!ミンツがアバドのバックを得て、ブルッフの協奏曲で颯爽とデビューしたときの、あの甘美な音色は今でも健在です。その美音は単に小手先で作られたい感じを与えず、ミンツの体内からじんわり滲み出るような独特の粘りがあり、いわゆる弾き飛ばしてニュアンスをスパッと放射することがないので、常に温かな風情が聴き手の目の前に丁寧に繰り広げられます。第1番の第1楽章展開部で長い持続音が登場しますが、なんでもないこの一本の音の線が、聴く側にしっとりと浸透するのを自覚できる演奏に今まで出会ったことがありません。高音へ向かう急速パッセージでも音が外へ逃げることがなく、第3楽章のプレストでも、弓が当たる衝撃音までもがまろやか!第2番の終楽章1:22からの副主題の上品な愉悦感も聴きものです。構築にも音色にも混濁感がないミンツの芸風は、全ての曲に一貫し、思わずため息が出る箇所が随所にありますが、その究極の瞬間の一例が、第3番の終楽章、ピチカートの伴奏と共に始る例のアンダンテ主題部!ここからテンポを速める人もいますが、ミンツはたっぷりとテンポを落とし、その分、音の重心を若干低めに保ちながら、伴奏の彫琢にも音楽的な閃きがふわっと沸き立つのです!モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、ピアノ協奏曲に比べて音楽的に薄いという人もいますが、これを聴くとそれは演奏家のセンス次第ではないかと思い知らせれます。名手揃いのイギリス室内管の持ち味をしっかり生かした指揮も立派で、単なる伴奏以上の克明に表情が感じられます。聴後もその場でしばらく佇んでいたくなるこの味わいを是非!


Pentatone
PTC-5186064
(1SACD)
ヴァイオリン協奏曲集第3番/第4番、アダージョK.261、ロンドK.269
ユリア・フィッシャー(Vn)、ヤコブ・クライツベルク(指)オランダCO
デジタル録音
毎日でも味わいたい!もぎたてのモーツァルト!
何と愉しいモーツァルトでしょう!モーツァルトのヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲より一段下に見る向きもありますが、こういう素晴らしい演奏に触れると、そんな疑念を抱いている暇はありません。とにかく全てを吹っ切った天真爛漫な音楽性のはじけ方が素晴らしいのです。第3番はリズムは鋭敏に弾みながらまろやかさと温かみを感じさせ、人なつっこさ満点の表情で迫り、早速イチコロ!第1楽章展開部の短調に入ってからも推進力を保持したまま深い情感を湛え、美しいホールトーンと相俟って音楽のイメージがますます広がります。第2楽章の弱音の美しさも絶品で、常に音は脆弱にならずに凛とした香りと芯を感じさせ、部屋中をまさに純白の輝きで満たしてくれます。特に短調に転じる3:03からのフレージングの息の長さと美音の安定感には言葉をなくします。終楽章は低弦に見事な弾力を与えた伴奏の躍動感に乗せて、これまた至純の音楽が連綿と流れます。ピチカートの伴奏が現れる部分の気品に満ちたフォルム、ヴィヴラートとノン・ヴィヴラートを自在に織り交ぜた多彩でコクのあるなニュアンスにびっくり。第4番も感動的で、聴き手をワクワクさせずにおかない音楽味満点のニュアンスの連続。オケの導入からして、その先の素晴らしい展開が予見されるほど魅力的で、その養分をたっぷり吸い込んで滑り出すヴァイオリンは、冒頭の連続する高音域が生命の誕生のような瑞々しさ!しかもその瞬間に古典的な様式感も確立してしまうセンスというのは、いくら賞賛しても足りません。展開部の陰影の濃さも忘れられません。終楽章では、さり気ない装飾音が人間の鼓動そのものとして脈打たびに琴線に触れます。重音箇所での技術的な安定はもとより、その感覚的な面白さをじっくり伝えるゆとりのフォrルモも絶品。これら名演奏に見事に華を添えている指揮のクライツベルクも大功労者!単なる伴奏に止まらず自己主張を続けながら、押し付けがましくならずに、初めて聴くような瑞々しさで一杯。伴奏だけ聴いて愉しいと思える演奏はそうそうありません。それでいながら、ソリストと完全な調和も図る手腕は只事ではありません。シュロモ・ミンツによる端麗な名盤が出たばかりですが、これはそれとは好対照をなす、生まれたてのモーツアルトです!なお、カデンツァの内訳は以下の通り。
●Vn協No3−第1楽章(ユリア・フィッシャー)/第2楽章(ヤコブ・クライツベルク)/第3楽章(サム・フランコ、ユリア・フィッシャー)
●Vn協No4−第1楽章&第2楽章(ユリア・フィッシャー)/第3楽章(ヨーゼフ・ヨアヒム)
●《アダージョ》(ユリア・フィッシャー)《ロンド》(ユリア・フィッシャー)

Pentatone
PTC-5186-098
(1SACD)
協奏交響曲変ホ長調K.364コンチェルトーネ ハ長調K.190、ロンド ハ長調K.373
ユリア・フィッシャー(Vn)、ゴルダン・ニコリッチ(Vn&Va)、ヤコフ・クライツベルク(指)オランダCO
デジタル録音
“音楽がはじける!フィッシャー&クライツベルクの絶妙コンビネーション!”
協奏交響曲が始まった途端、部屋の空気が一変するほど音楽がハジけまくってています!クライツベルクの生み出す音楽は、小細工感じさせない自然な造型の中に決め細やかなニュアンスを盛り込んで、初めて聴く作品のような新鮮な衝撃を与えてくれますが、この伴奏も例外ではなく、軽い気持ちで聴き始めた聴き手をも強力に引き寄せる魅力が詰まっています。そして、今までもハズレのないフィッシャーがまたもや名演を披露。第1楽章は天真爛漫に幕を開け、展開部はぐっと深みを増して、有機的なクライツベルクの伴奏と共に内面を抉る気迫が見事に結実。ややもするとメロドラマ風な陳腐な音楽になりかねない第2楽章は、まさに芸術的なリリシズムの結晶!チャイコフスキーのようなすすり泣きを見せないにもかかわらず、内面から連綿と湧き出る悲哀が切実に迫ります。そしてフレージングのなんと艶やかなこと!終楽章はかなり快速ですが、音楽がせかせかすることなく、ニュアンスが上滑りすることなく表出される様には完全に脱帽。まsた、ヴィオラのソロが始まると、ヴァイオリニストとのセンスの差が歴然とする演奏も多いですが、この演奏はそんな心配は全く無用。ニコリッチ(ロンドン響のコンサート・マスターとオランダ室内管の音楽監督を兼任)の技量と音楽の志向性はフィッシャーと完全に長をを見せており、この演奏全体を極めて凝縮力の高いものにしている重要な要素となっています。少なくとも協奏交響曲ファンの方は、とにかく必聴!


PHILIPS
456-577
ピアノ協奏曲第11番、第17番、第19番
ゾルタン・コチシュ(指、P)、ブタペスト祝祭O
録音:1996年〜1997年(デジタル)
“コチシュ独自のパッションと繊細な詩情が織りなすドラマ”
コチシュの弾き振りによる初のモーツェル。新モーツァルト全集に基づいて、ピアノがオケに混じって和音を奏でたりするのは、映像収録された23番の協奏曲でも確認できますが、この時はコチシュのスピード感と奔放なダイナミズムが、指揮(ビエロフラーヴェク)とマッチしていたとは言い難いものでした。その点、こちらは万全。中でもダントツに素晴らしいのは第11番!オケと一体となった時の響きには絶妙な味があり、全ての音は末端まで心が通い、終始聴き手を引き付けて離しません。終楽章の終わりの余韻がまた格別。19番のテンポは、おそらく史上最速と思われますが、ただのノリに終わらず、音の端々から細やかなニュアンスを放射し、ドラマティックな緊張を絶やさないのがコチシュの凄さ!また3曲とも、第2楽章の切ない詩情が印象的で、17番でははっきりと23番の萌芽さえ感じさせるのです。


BRILLIANT
BRL-92865(3CD)
★★★
ピアノ協奏曲第1番、第11番、第15番、第20番〜第23番、第25番
デレク・ハン(P)、ポール・フリーマン(指)フィルハーモニアO
録音:1992年 1993年
“モーツァルトの天才的な楽想と共に「香り」を運ぶハンの絶品ピアニズム!”
モーツァルトの音楽の素晴らしさそのものを伝えてくれる見事な演奏ばかり。中でも「第15番」と「第22番」の素晴らしさは特筆ものです!デレク・ハンは、1957年生まれ。中国人の両親を持つアメリカのピアニストで、師のリリー・クラウスの影響と思われる芯の確かなタッチと、カチッとしたフォルムの中に音楽をしなやかに流すセンスが見事に反映されています。「第15番」の第1楽章第1主題は硬質でありながらまろやかさも併せ持つタッチで、ハーモニーのニュアンスを感じながら自然な呼吸でフレーズが息づいているのにハッとさせられ、第2主題は憧れの風情がフワッと香ります。楽譜をデフォルメすることなしに淡々とイン・テンポで進行しますが、それが機械的に響いて終わってしまう演奏との差も歴然。第2楽章はよく歌い上げ、フレーズ全体が美しいレガートを形成。音の育み方も素晴らしく、オケの伴奏のような形でアルペジョ風に奏でるシーン(1:29〜)のなんという慈愛!終楽章は闊達な中にも気品が感じられ、タッチの一つ一つに繊細な神経を通わせているのが分かります。後半のカデンツァで顕著なように、強いタッチで音の粒が均整を失わず、香り高いニュアンスを生んでいる点にもご注目を。フリーマンの指揮もハイセンス。
それにしても、「第11番」第1楽章冒頭や、お伽の国にいるような同第2楽章など、どこをとっても一貫しているハンのピアニズムの香り高さをどう形容したらよいでしょうか?


Arte Nova
82876-640082
ピアノ協奏曲第17番、第9番「ジュノム」
マティアス・キルシュネライト(P)、フランク・ベールマン(指)バンベルクSO
録音:2004年(デジタル)
“ふと顔を覗かせる孤高のダンディズムにご注目!”
キルシュネライトは、ピアニストが不作と言われて久しいドイツが久々に生んだセンス満点のピアニスト。1962年ドイツのドルトムンド生まれ。1989年デトモルド音楽院卒業後、アラウ、ゲルバー、ペライアらにも師事。1987年には、ボンのドイツ音楽コンクールで優勝を果たしています。キルシュネライトがArte Novaに録音したモーツァルトはどれも素晴らしいですが、その中でもこの2曲は筆頭株。まず「第17番」が、A・シフ以来の名演です!辺りの空気を一変させるほど至純のニュアンスを漂わせるオケの序奏に続いて現れるのは、何とも軽やかで自然に滑り抜けるタッチ。自身をひけらかすことなくアゴーギクは最少でありながら、ほんのりと人間的な温かさが滲み出るのです。第1楽章第2主題の強弱対比、瞬時にアクセントを施して音像を曖昧にしない制御力、アーティキュレーションの清潔さは、まさにアラウやゲルバーらの特質を最良の形で受け継いでいると言えましょう。展開部では儚い風情が漂う楽想に変化しますが、ここでも明確なタッチでニュアンスをぼかすことなく表出。カデンツァもことさら個性的ではないものの、ありきたりの感を与えず、細やかに感情の起伏を盛り込んでいます。幻想的な楽想の意味を完全に掌握した第2楽章も絶品。この楽章もフワフワと浮遊した感覚のまま過ぎ去る演奏が多い中で、4:14からのカデンツァのようにインテンポを基調としながらも、内面からふとダンディな佇まいを覗かせるあたりにご注目を。指揮のベールマンの明暗の描き分けも絶妙。その指揮のセンスは終楽章で更に開花。お花畑のような雰囲気を築いた上に、キルシュネライトが清潔なタッチで融合します。各変奏ごとのニュアンスの変化には全く奇を衒ったところがなく、それでいながら先の進行をワクワク期待させるものがあるのです。強烈な自己アピールよりも、この作品の素晴らしさをありのままに示すことで味わい表出に成功した稀少な例として忘れるわけにいきません。「ジュノム」も同様に素晴らしい演奏!ここでもまず、第1楽章序奏のオケのニュアンスに心を奪われます。ベールマンはモーツァルトを振るために生まれてきたのではと思えるほど、音楽の感触が瑞々しいのです。誠実なキルシュネライトの音楽作りはここでも変わらず、フレーズの変わり目できちんと間を置いて雰囲気を変える配慮が楷書風の佇まいを生んでいます。終楽章のB主題に入る前の装飾音を伴う下降音型の何とチャーミングなこと!白眉は、ガラッと雰囲気を変えてしっとりと歌われるC主題!タッチと歌心が完全に連動し、気品溢れる空気を醸し出してくれます。


WEITBLICK
SSS-0070(1CD)
ハイドン:交響曲第57番
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番
クラウス・テンシュテット(指)ベルリン・ドイツSO、
カール・エンゲル(P)

録音:1973年9月11日(ステレオ・スタジオ録音)
“モーツァルトの真の理解者エンゲルが成し遂げた心に染み入る名演奏!”
テンシュテットとベルリン・ドイツ響(当時のベルリン放送響)との共演はこの時限りと思われ、その意味でも貴重な記録ですし、一般的ではないハイドンの「57番」という作品をあえて選んだ理由も、全楽章を通じて確実にテンシュテットの感性に正直なニュアンスが確実に盛り込まれていることからも、相当の思い入れを持っていたことは明らか。モーツァルトの「29番」に似た雰囲気を持つこの作品に新たな生命力を与えた功績は計り知れません。特に第2楽章の愛くるしい表情は聴きものです。
しかし、それを上回るほど重要なのが、エンゲルが奏でるモーツァルトの比類なき素晴らしさ!エンゲルは、1970年代に全集を完成する以前のステレオ初期にもこの作品をスタジオ録音しており、その際は、オケの人数を極力切り詰めて室内楽の一員のような立ち位置で、慎ましくも味わい深い演奏をしていましたが、ここではもちろん、通常の協奏曲スタイルで、エンゲルの玉を転がすようなタッチの妙味と、フレージングのしなやかさが至福の空気感を生み出し、エンゲルが稀代のモーツァルティアンであったことを再認識させられ、間違いなく同曲の最高峰に位置する名演!古典的な佇まいを醸し出すために、強弱の対比を抑制するピアニストもいますが、エンゲルはそんな安易な手段は用いません。音楽はどこまで言っても伸びやか。各音のニュアンスは十分に練られながら、その苦心を感じさせない自然さで聴き手の耳にすんなりと浸透します。特に第2楽章のタッチの艶やかさと、フレーズが生まれたてのように瑞々しく息づく様は、絶品中の絶品!録音の良さも特筆もので、エンゲルのタッチの魅力を十二分に伝えています。終楽章は強弱の振幅を抑えた従来のスタイルながら、単に慎ましさに安住しているだけではなく、全ての音に慈愛の心が寄り添っているので、シンプルな楽想であってもニュアンスが実に多彩。真モーツァルトの良き理解者とは何か?その答えは全てここにあります!【湧々堂】


King International
KKC-2047(2CD)
ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491#
ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488##
ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595*
ワルター・クリーン(P)
ホルスト・シュタイン(指)
若杉弘(指)*、NHK響

録音:1980年2月9日東京文化会館、
1983年3月2日#、1977年12月9日##、1989年12月1日* 以上NHKホール(全てステレオ)
“モーツァルトを真に体現でききたピアニスト、ワルター・クリーン最高名演!”
湧々堂がかねてからメーカーにCD化を要請していた名盤が復刻!特に「第27番」は、ヘブラーによる「第17番」など共に、N響によるモーツァルトととしては5本の指に入る名演奏と確信しております。愛情あふれる若杉の指揮に続くクリーンのピアノは、これまた馥郁たる魅力満点!打鍵は明瞭ながら、一音ごとに音を刻印するのではなく、あくまでもフレーズの流れを意識した歌心をベースにして、硬軟自在なタッチが夢の様な空間を導きます。第2主題をこれ程オケに対して音楽の受け渡しを丁寧に行った演奏も珍しく、フレーズ結尾でフッと息を抜く間合いのなんと見事なこと!展開部は悲しみを誇張することなく愚直なほど素朴なタッチを貫きますが、それが返って涙を誘います。最後のカデンツァが、まさに今生まれたての即興性を持って響くのも実に稀なこと。第2楽章もタッチはあくまでも明瞭。その明るさ常に悲哀と慈愛が寄り添い、聴く者の心の迫り、得も言われぬ余韻の残しながら進行します。2:37からの中間部は、奇跡としか言いようのないほど感動的!これこそまさに計算を超えた音楽の塊で、誰も真似の出来ない奥義であることをどなたも実感されることでしょう。終楽章は、内省味を湛えたカーゾン等とは対照的に健康的に開始しますが、これがまた意味深い光を放ちます。同じフレーズを繰り返す際に、決して同じニュアンスではない点にもご注目を。そこに一切恣意性を感じさせないのは、まさにクリーンの経験とセンスの賜物。歌曲「春へのあこがれ」をモチーフにしたカデンツア(VOX録音と同じ)が流れ出してからは、もはや涙腺が完全に弛緩。とても言葉になりません!なお、この演奏のわずか1か月後に、W.クリーンはウィーンで他界。しかし演奏には死の影など微塵も感じられません。
他の3曲はこれよりもかなり以上前の録音ですが、「27番」と音楽作りの基本と熟成度に差がないのが嬉しいところ。
「第23番」第2楽章は、最初にピアノが築き上げた雰囲気をオケが共有していない例が多いですが、ここでの一体感は理想の極み。後半でのクリーンのセンスが光る装飾音の追加も聴きもの。
「第24番」だけは、他とは趣を異にします。まずシュタインの伴奏が実に見事。モーツァルトにしては立派過ぎると思いきや、これこそがミソ!まろやかでありながら芯のしっかりしたクリーンのタッチはここでも健在。特に弱音の多用を徹底的に避け、ベートーヴェンへと繋がる強靭さを表出。シュタインが繰り広げる勇壮な伴奏と一体となって恐ろしいほどの緊張感を伴って聴き手に迫るのです。【湧々堂】


ワーナー
WPCS-21219

ピアノ協奏曲第20番、19番、2台のピアノの為の協奏曲
マルタ・アルゲリッチ(P)、アレクサンドル・ラビノヴィチ(P,指)、パドヴァO、イェルク・フェーバー(指)ビュルテンブルグCO
録音:1998年、1995年*(デジタル)
“モーツァルトの世界を一挙に広げた画期的名演!”
アルゲリッチがソロを弾く20番は、今にも墓場のモーツァルトも驚愕して飛び出しそうなほど衝撃的な名演!アルゲリッチの奔放な音楽性はモーツァルトの音楽の容量からはみ出てしまうのでは?という懸念は、絶妙なアゴーギクに乗せて陰影のあるタッチで最初のフレーズが奏でられた瞬間に吹き飛びます。モーツァルトの様式美から決して逸脱しないこの平衡感覚の凄さ!音符の特に少ない第2楽章では、アルゲリッチのあまり語られることのない真珠のような弱音タッチが魅力で、その一音一音に絶妙のコントラストを施して独特の幻想性を表出。家庭的で安穏としているだけの演奏とは一線を画しており、中間部の激烈な感情の起伏も比類なし。終楽章では、快速テンポに乗せて頻繁に上下行するスケールの粒立ちの良さに唖然。緻密なフレーズの連なりには固唾を呑んで聴き入るばかりです。19番は、ラビノヴィチが弾いていますが、これも蔑ろにできません。アルゲリッチの演奏と勘違いしそうなほど、あらゆるフレーズに明快な主張が込められており、アグレッシブな快演となっています。2台ピアノ協奏曲は、単にソロの一体感が見事なだけでなく、小さなモチーフの受け答えと、両者間の強弱対比の分業の妙が鮮やか!国内盤の解説には「初演当時のほのぼのとした雰囲気を再現…」などと書いてありますが、そんな次元の演奏ではなく、この曲の真価を現代に知らしめる示唆に富んだ名演奏と言うべきではないでしょうか。ところで、忘れてならないのが、指揮者としてもラビノヴィチの力量。古楽器奏法を駆使しての濃厚な表情とダイナミズムは凄い手応えで、特に20番は、こうでなければアルゲリッチのソロがここまで生き切らなかったと思わせるものがあります。


CLASSICO
CLASSCD-369
ピアノ協奏曲第21番/第23番、交響曲第32番、歌劇「牧人の王」序曲
クリスティーナ・ビイェルケ(P)、ダグラス・ボストック(指)ボヘミア室内PO
録音:2001年 デジタル録音
ピアノも指揮も音楽感度抜群!!
ビイェルケのピアノは、アゴーギクを極力抑え、モーツァルトの無垢な音楽性をそのままストレートに表出し、感情過多に陥るのをサラッと回避しているのが特徴的。闊達なフレーズであってもタッチに内省的な育みを感じさますが、オケに埋没して大人しく振舞っていないのがまた素晴らしく、表情豊かなボストックの伴奏を自然と牽引する不思議な力も兼ね備えています。第21番第1楽章の第2楽章の後の4:31からは、リズムを根本まで感じで打ち込み、アルペジョの隅々まで音楽性を湛えています。展開部でタッチの繊細な配分から生まれる陰影の揺らめきも、思考の跡を感じさせない自然な佇まいが美しさの極み!長い持続音の連続の第2楽章も安易に甘い雰囲気に乗っかるそぶりを全く見せず、ただただ音を感じているだけですが、その感じるセンス自体が素晴らしく、長い音価の持続音が、最後まで弛緩しないのです!きりっとしたタッチで颯爽と駆け巡る終楽章も、そのテンポを自ら生み出そうとする真の生命力を感じさせので、感覚的な快感に止まりません。第23番も心を打つ瞬間の連続!丹念タッチでじっくりとニュアンスを醸し出すことに専心しながら、音楽が萎縮せず、モーツァルトの閃きを取りこぼすことなく表出。第2楽章では音が決して痩せない極美のピアニッシモのセンスに脱帽!最初のピアノ・ソロに続くオケの入りで、それまでの雰囲気を考慮せずに弦を鳴らす指揮者も多い中で、ここでのピアノが生んだニュアンスを丁寧に引き継ぐボストックのセンスにもご注目を。ボストックという指揮者は、どんな曲もそつなくこなすだけの指揮者だと思っていましたが、なんと素晴らしい感性を持っていることでしょう!この指揮センスはカップリングのオーケストラ曲で十分に確信できます。内声の隅々にまで表情を浮き立たせることに余念がないそのボストックの指揮とビイェルケの霊妙なピアノが一体となった終楽章も素晴らしく、ちょっとした装飾音の音価配分まで両者が連動しているのも見事。単に縦の線を揃えるだけでなく音楽自体をしっかり共有することで生まれるこの豊かなニュアンスを是非感じてください!


WEITBLICK
SSS-0026-2
モーツアルト:ピアノ協奏曲第22番
 交響曲第40番*
ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒRSO
エリック・ハイドシェック(P)

録音:1967年11月14日モノラル、1987年6月2日ステレオ*
“衒いなし!無垢な情感にあふれた天才の閃き!”
まずピアノ協奏曲が大名演!ユニークな解釈が極端に際立つことあるハイドシェックですが、ここではモーツァルトの音楽にどこまでも献身し、無垢な情感に溢れ、聴き手を夢の世界に誘います。特にフレージングの淀みのない美しさは奇跡的とさえ言いたくなるほど。第1楽章3:46からの大きな呼吸のうねりと音像の凝縮力には思わず唖然。第2楽章は、これこそモーツァルトの書いた最高傑作ではないかと思わせる、尋常ならざる含蓄と美しさ!その無限とも言えるニュアンスに全く取りこぼしなどありません。終楽章冒頭のテーマは、何の変哲もないようでいてエレガンスの極み!カデンツァはハイドシェックの自作。ケーゲルの指揮も変に張り合うことなく、一体となって引き締まったフォルムを形成しています。モノラルながら音質も鮮明で、珠を転がすようなタッチも確実に捉えられています。
交響曲は、第1楽章は標準的なテンポによるオーソドックスな解釈ですが、第2楽章はケーゲルならではのレガートが出現し、独自の翳りのニュアンスが心を捉えます。衝撃的なのは第3楽章。驚きの高速テンポ(4分に満たない)で、しかも何という切迫感!しかも中間部はガラリと表情を変え、これまたドッキリ。終楽章は精神的なもがきがそのまま音に表出されており、突発的なテンポの変化やフレーズのしならせ方が異常な緊張を生んでいます。【湧々堂】


Accord
4769009[AC]
ピアノ協奏曲第23番/第22番
ジャン=クロード・ペネティエ(P)、カール・リステンパルト(指)ザールCO
※第22番のカデンツァ=P・B・スコダ作
録音:1967年(ステレオ)
“まさにフランス流儀の奥深さ!”
強弱のレンジの幅を抑えて丹念に仕上げたモーツァルト。強烈な主張がない分、聴き手の方から聴き入ろうとする姿勢が必要な演奏ですが、「第23番」第1楽章のカデンツァのタッチの流麗さ、第2楽章のまろやかな音色と、決して暗いニュアンスが沈滞することのない独特のピアニズムは、フランス流儀の奥深さを感じさせます。第22番はより一層タッチに意味深さが加味され、音楽が前に出てきます。それどころか、これは歴史的な名演です!第1楽章3:55、いきなり短調で飛び込む瞬間のなんという緊張感!ことさら強靭なタッチを叩きつけることなく、激流に身を投じるようなこの凄みは、リステンパルトの絶妙な指揮と渾然一体となって織り成された素晴しい瞬間です。第2楽章は感動の極み!ニュアンスの濃淡がひたひたと聴き手の心に届き、タッチの美しさは感覚美に止まらず、一音一音にドラマを感じさせるのです。しかもオケが絶品!2:57からの木管群による長丁場のアンサンブルの味わい深さは鳥肌もので、この瞬間だけでも、この曲の伴奏の最高峰であることは必至。今更ながら、モーツァルトはとんでもない作品を遺してくれたに衝撃を新たにする演奏です。終楽章はまずテンポが素晴しいこと!このなにも音の着地の一歩一歩が愛に満ち溢れた演奏が他にあったでしょうか?さらに心してお聴きいただきたいのが5:27以降。もう美しいとか心がこもっているとかいった形容では収まらない無垢な音楽そのもの!涙が止まらず言葉も出ません!!このまま冒頭のテーマに戻らず、このまま死んでもいいと思える演奏にはかつて出会ったことがありません。

VIRGIN
5455042[VI]
ピアノ協奏曲第24番/第21番
ピョートル・アンデルジェフスキ(P,指)シンフォニア・ヴァルソヴィア
録音:2001年(デジタル)
“明るさの奥に隠れた涙を感じ切った恐るべき感性!”
「24番」の最初のピアノの入りを病的なほどの弱音で弾き始めるので、この先どうなるかと不安になるほどですが、その後のオケのトッゥティと絶妙なコントラストを生み、それぞれの意味が音楽的に際立ってくるのを感知すると、アンデルジェフスキが築く独特の空気にはまってしまいます。特に見事なのは終楽章で、リズム処理がセンス満点な上に、半音階的なフレーズの感じ方が尋常ではなく、それを自ら楽しみながら幻想的な空気をかもし出すのです。緊張を湛えたコーダの築き方、孤独に打ち震える音の塊は、何としてもお聴きいただきたいものです!オケの雄弁さも忘れられません。アンデルジェフスキの指揮は単なる余技ではありません。そのことを痛切に感じさせるのが「21番」。これほどオケの内声を抉り出した演奏を聴いた記憶がありません。第2楽章は持ち前の弱音の美しさが印象的ですが、ムード調にならず、異次元的な妖しさを漂うわせるので耳が釘付け!この曲の終楽章でも半音階的なフレーズが随所に現れますが、ここでも快速テンポに乗せた軽快さに止まらず、その感じ切ったニュアンスが絶品です。更に短調に転じた際の暗い影の落とし方も、説明調に陥ることなく、迫真のドラマとして結実。両曲ともアンデルジェフスキ自身のカデンツァが用いられていますが、これがまた不思議な求心力を持った音楽!特に21番の第1楽章のカデンツァの前半部分は、チャーミングなことこの上なし!

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、第19番*
ポーリナ・オセチンスカヤ、セルゲイ・エルヴァイェフ(P)*、
サミュエル・ティトコフ(指)サンクト・ペテルブルク祝祭O、
アレクサンドル・ティトフ(指)サンクトペテルブルク古典音楽スタジオO*
デジタル録音
天才と天才が手を携えながら紡ぎだした崇高なニュアンス!!
米SONY
QK-64333
オセチンスカヤは1975年生まれ。モスクワ中央音楽院で学んだ後にレニングラード音楽院へ進学。1990年代には、レニングラードでもっとも有望と目されるまでに、その才能は音楽通の間で語り草になりましたが、既に彼女は幼少の頃から天才性を発揮しておりて、9歳の時には、なんとベートーヴェンの「皇帝」とシューマンの協奏曲を一つのプログラムで弾き通すという離れ業をやってのけています。初の大舞台はモスクワ音学院大ホールでのモーツァルトの23番の協奏曲。日本にも来日しており、ショパンの作品などのレコーディングが行なわれたようですが、発売には至っていません。
密度の濃い伴奏に導かれて滑り出すオセチンスカヤのピアノは、全ての音が後ろ髪を惹かれるような哀愁を湛えながら、有機的なインテンポを基調として気品のフォルムを一瞬にして形成。第2主題がまろやかさと硬質のきらめきを同時に兼ね備えながら、翳りを引きずりながら淡々と語る風情も涙を誘い、ソロとして自らを際立たせようとする恣意的なそぶりも微塵も見せないので、聴き手の心にストレートに語りかけてきます。タッチの音量の制御バランスにここまで配慮した演奏も他にはまず見当たりません!オケの一部分のように完全に溶け合う部分と、泉が湧き出るようにフワッと、しかも自己顕示的にならずにピアノの旋律線を克明に描く箇所のタッチ配分の絶妙さは、モーツァルトの音楽を真に理解し、共感し尽くしていなければあり得ない技です。再現部で第2主題をオーボエが引き継ぎ、それに答えるようにピアノがアルペジョ風に駆け上がる箇所(9:44〜)のような些細な走句にも、そのあまりの美しさに衝撃が走ります。第2楽章もインテンポが基調ですが、この曲に限らず、あらゆる曲の音盤の中で、このように音楽的な懐の深さを感じさせるインテンポを繰り広げた例は過去を振り返っても思い当たらず、しかも、極端に音の少ないモーツアルトにおいてそれを魔法のように実現しているのですから、この感動が只事でないことはお察しいただけると思います。更に極美タッチとの合わせ技なのですからに、ただ呆然とするばかりです。終楽章も冒頭からその半音階的進行の音色ニュアンスを投影しきった霊妙なタッチが紡ぎ出され、一つとして惰性で置かれている音がなく、再びオケのみで演奏される箇所までの緊迫の持続力が全体に神々しい光を帯びさせるのです!全楽章を通じて最も強固な打鍵を披露する2:48からは、研ぎ澄まされた美色はそのままに毅然とした意思を漲らせ、音像にブレが一切生じない見事な制御力をいかんなく発揮。クラリネットから始る挿入句以降の長調の箇所の、珠を優しくころがすようなタッチも、その一粒一粒を体内に全て取り込みたくなる衝動を抑えられないほど魅惑的ですが、その後再び翳りを帯びていく4:44からの数秒間は、もう全身硬直!信じ難いレガートのセンスとともに呼吸が沈静に向かい、伏目がちに沈みきってから主題を再現するまでの幻想的なニュアンスは、天才と天才が出会った上に更に奇跡が起きたとしか思えません!止めは最後の短いカデンツァ!第1楽章冒頭と同質の暗い空気に回帰し、幻覚の中に漂うようなニュアンスを凝縮し尽くしたまま幕を閉じるのです。この曲はハ短調という調性からか、ベートーヴェン的な逞しさだけが際立ち、肝心のモーツァルトが後退している演奏も少なくない中、モーツアルト独自の様式美とモーツァルトの涙をしっかりと聴き手に届けることに成功したこの演奏は、真の歴史的名盤と声を大にして訴えさせていただきます!


MOS
MOS-17562
2台のピアノの為の協奏曲KV.365*、3台のピアノの為の協奏曲KV.242
ニコライエワ*、ヴィルサラーゼ*、ルガンスキー(P)、
ソンデツキス(指)リトアニアCO
録音:1986年2月7日(ステレオ・ライヴ)
“録音も優秀!サロン的ななごやかさを越えた優美なモーツァルト!”
ニコライエワが愛弟子ルガンスキーと共演するのは珍しくないですが、ニコライエワと全く毛色の違うヴィルサラーゼと共演しているとは!その二人明確なコントラストを醸し出すと思いきや、全く同質と言ってよいほどのタッチの質感と慈しみを持って各音を丹念に紡ぎ出しているので、味わいもひとしおです。これらの曲は、仲間内でのサロン的な雰囲気が優先しがちですが、そのような丹念なニュアンス作りによって、実に芸術的な香り溢れる演奏に仕上がっているのです。2台のピアノ協奏曲の終楽章の、古典的な風情を大切にした控えめなタッチの美しさなど、素晴らしいの一言に尽きますが、音量を抑えながら音楽が萎縮しないところがまた見事!その温かなタッチと情感が完全に一体化しています。3台のピアノ協奏曲も、良い意味で二人の大教師のオーラに見事に溶け込んだルガンスキーと共に、2台ピアノ以上のニュアンスの膨らみが感じられます。またオケのセンス満点の伴奏も聴きもの!3台ピアノ協奏曲、第2楽章の導入でいきなりひきつけられるとは思いも寄らず、コーダの最後の和音の優しい置き方にも、思わずうっとり…。まろやかな中にしっかりとした芯を感じるタッチの素晴らしさを捉えた、録音の素晴らしさにもご注目!しかもライヴながら客席のノイズも皆無に近く、言う事なし!


BBC LEGEBDS
BBCL-4206
モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番/第27番*、アダージョとフーガ ハ短調KV.546
スヴャトスラフ・リヒテル(P)、ベンジャミン・ブリテン(指)ECO
録音:1967年6月13日スネイプ、モールティングス(ライヴ)、
1965年6月16日サフォーク、ブライスバラ・チャーチ(ライヴ)*(全てステレオ)
“リヒテル&ブリテン競演の最高録音!”
ピアノ協奏曲は、多くのリヒテルとブリテンの共演盤の中でも、伴奏の彫りの深さ、リヒテル特有の緊張度、全体に漲る高揚感においてダントツの魅力を誇っています。第2楽章の恐ろしい程の深遠な空気、終楽章の比類なき格調美は、このコンビ以外では考えられません。協奏交響曲も感動的で、二人のソリストの楽器の鳴りの良さ、音色美、呼吸の一体感、一貫した緊張など、過去の有名名盤と比べても異彩を放っています。特に第2〜3楽章の淀みない流れは、ライブとは思えない程です。


TAHRA
TAH-259
ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」、セレナータ・ノットゥルナ
ステファン・アスケナーゼ(P)、アーベントロート(指)ドレスデン・シュターツカペレ
録音:1956年(モノラル・ライヴ)
“瞑想のピアニスト、アスケナーゼの貴重な遺産!”
アーベントロートの死の年に行われたオール・モーツァルト・プログラムからの復刻。ポーランド出身で、1985年に没したアスケナーゼの名は、'50年代にDGに遺した不朽の名盤、ショパンの夜想曲で記憶しいる方も多いと思いますが、彼のCD復刻は、遅々として進んでいないのは実に残念なことです。珠のような柔らかなタッチで繊細にフレーズを歌わせ、第1楽章の第2主題の憧れに満ちた陶酔の風情、独自のカデンツァに、アスケナーゼのセンスが光ります。カーゾンのモーツァルトを愛聴される方なら、きっとお気に召すでしょう。音質も、彼の魅力を伝えるのに十分な良質なもの。

NAXOS
8.110809
ピアノ協奏曲第27番、交響曲第35番「ハフナー(リハーサルも併録)、「フィガロの結婚」序曲
ミヤチェスラフ・ホルショフズキ(P)、トスカニーニ(指)NBC響
録音:1943年(モノラル・ライヴ)
“高音質で蘇った、ホルショフスキ壮年期の逸品!!”
ホルショフスキは、最晩年に独特の慈愛に満ちた感動的名演を多く遺してくれましたが、ここでは相手がトスカニーニでは、完全に指揮者寄りのペースでことが運んでしまうのでは、という心配は無用。特に第2楽章では、むしろホルショフスキ主導で、指揮者共々、深い息遣いでじっくり風情を醸し出しているのです。「ハフナー」はもちろん凄いダイナミズムの放射!第2楽章のカンタービレの美しさは聴き逃せません。リハーサルでは例の“絶叫”が聞こえます。

IMP
TCD-77
クラリネット協奏曲、ホルン協奏曲(4曲)、フォゴット協奏曲、フルート協奏曲、オーボエ協奏曲
デイヴィッド・クック(Cl)、W.V.ミューレン(Hrn)、B.カミンス(Fg)、エッシェンバッハ(指)ヒューストンSO
録音:1993年(デジタル)
“全ての音が悲哀の涙色!一生心に残る感動のクラリネット協奏曲!”
エッシェンバッハが主席を勤めたヒューストン響の主席を集めて、モーツァルトの全協奏曲を録音したもの。ショップ店員時代に、あまりの感動に「できることなら、このCD以外は全て撤収したい!」と大袈裟なキャプションを付けてしまいましたが、どんな心の傷も癒してくれる独特の音色と風情に、今でも涙を禁じえません。エッシェンバッハの指揮からして伴奏の域を超えており、切なさが横溢!これでけでも、ッシェンバッハの指揮者としての力量は、疑いようもありません。それに寄り添うように、ヒューストン響の主席D.ペックが、あえてリズムの切れもテンポも音量も押さえ、涙を必死にこらえて自分の人生を回想するような内省的な歌を奏で続けるのです。第2楽章の聴こえないくらいの究極の最弱音は、人生の黄昏そのもので、その先を聴くのがつらいほど心に迫ります。終楽章は、もはや完全に天上の音楽。奇跡のニュアンスと言うしかありません。クラリネット協奏曲だけを収めた1枚物のCD(MCD91)でも発売されました。


OLYMPIA
OCD-470(廃盤)


BRILLIANT
BRL-99713(7CD)
ホルン協奏曲第1番〜第4番、フラグメント ホ長調K494a(イョーロスン完成版)、
フラグメント変ホ長調K370b、ロンド変ホ長調K371、ロンド ニ長調K514(朗読つき)
ヘルマン・イョーロスン(Hrn)、 ロイ・グッドマン(指)オランダCO
録音:1996年(デジタル)
“ D・ブイレインの存在を意識させない固有の味わい!”
管楽器を用いたクラシックの作品の論評は、なぜか「専門」の人たちによるものばかりで、まるでヴァイオリンやピアノとは一線を画す領域に要に扱われているのが常ですが、特にモーツァルトともなると版の問題等において学級的な解釈も入る込むことになるので、どうしても演奏そのものの味わいについて触れられる機会が少ないような気がします。更にはD・ブレイン別格としても、それ以外の録音についてはどれも似たような論調ばかり。実際、D・ブレイン&カラヤンとの比較を要さないほどの固有の魅力を持つ録音を探すのは至難の技ですが、あえて1枚挙げればこれです!イョーロスンは、1952年生まれのオランダの名手。ヘルツェル門下で、ハーグ・レジデンティ管の主席。ブラバント音楽院でホルン課の教授も勤めています。彼のホルンの魅力は、学級的な解釈を施しながらもそれを感じさせず、モーツァルトそのものを感じさせる感性の素晴らしさと、音色の深み。恰幅が豊かでありながらだぶつかず、どんな音量でも芯の確かな音を発し、音楽を自在に伸縮させます。小器用にやり過ごす瞬間は皆無で、聴き手を自然に吸い寄せる力を孕んでいるのです。てくれます。にどのような第3番第1楽章展開部の豊かな陰影、明快な録音も功を奏し、弱音でも音像がぼやけることなく、表情がキリッと立ち上がっています。第2楽章の冒頭のフレージングでもイチコロ!大らかでありながら繊細な歌心をサッと繰り広げる手腕は只事ではありません。第1番のロンド楽章はジェスマイヤーが補筆した版が一般的ですが、ここではイョーロスン自身が校訂。ホルン・パートもジェスマイヤー版とは異なり最後にほんの一瞬の高音トリルを用いた管デンツァが登場。ジェスマイヤー版の中間で聴かれるメランコリックな旋律は省略されています。なお、自筆楽譜には、友人のロイトゲープに対するいたずら書きが書かれていますが、最後のトラックでは「なんて調子っぱずれな!」などのそれらの言葉を朗読しながらの演奏も収録されています。第4番第1楽章展開部も聴きもの。なんという深い表情でしょう!トリルのセンスにも脱帽。終楽章の粋なリズム感にも酔いしれてください。
※Olympiaからライセンスを受けたBrilliant盤(BRL-99713)は、モーツァルトの協奏曲を集めたセットです。

Accord
4768961[AC]
フルート協奏曲第1番/第2番、フルートと管弦楽のためのアンダンテK.315、
フルートとハープのための協奏曲
*
マクサンス・ラリュー(Fl)、スザンナ・ミルドニアン(Hp)*、リベール・フラヴァチェク(指)プラハCO*
ヘルムート・ミュラー=ブルール(指)ケルンCO
録音:1969年、1971年*(全てステレオ)
“ラリュー&ミルドニンの阿吽の呼吸!”
慎ましく温かなラリュー音色が耳に心地よく響きます。華々しく開放的に音楽を発散することなく、丁寧にフレーズを紡ぎ出すラリューの音楽作りの魅力が如何なく発揮された名演です。テンポは終始淀むことなく、推進性があり、伴奏と一体となって薫り高いニュアンスを築き上げます。第1番第1楽章展開部の深みは格別!そしてカデンツァで顕著なように、タンギングの何と滑らかなこと!第2楽章では気品溢れる歌を堪能。終楽章は一音一句を丁寧に表出し、自身が浮かれることのなく誠実な佇まいが感動に拍車をかけます。ミュラー・ブルールの指揮がこれまた見事!モーツァルトの音楽の愉悦を全身から溢れ出ています。モーツァルトのフルート協奏曲は、フルート愛好者以外の方にとってはどんな演奏でも似たり寄ったりと思われがちですが、例えば第2番の終楽章をお聴きいただきたいものです!楽器がフルートであるとかいうことを意識させず、ただただ求心力の極めて高い音楽そのものが脈々と流れ、無意識のうちに引き込まれる方が多いのではないはないでしょうか?ラリューとは名コンビとして知られ、共に来日も果たしているミルドニアンとの演奏は、まさに阿吽の呼吸の妙!この作品はフルートの輝かしさにハープのエレガンスが相まって、ゴージャスに響くことが多々ありますが、ここでも二人の織り成す音楽はあくまでも端正なフォルムを保ちながら優しく語り掛けます。しかもお互いに音楽的な主張が明確で、特に第1楽章展開部に象徴されるように、添え物的に響くこともあるハープが全体との調和を保ちながら自己表現をしっかり行っているのにはハッとさせられます。無数に存在する同様のカップリングCDの中でも、これは傑出した一枚です。

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