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殿堂入り: 交響曲  管弦楽  協奏曲  器楽曲  室内楽  声楽曲  オペラ  バロック レーベル・カタログ チャイ5




チャイコフスキー:交響曲第5番〜全レビュー
TCHAIKOVSKY:Symphony No.5 in e minor Op.64
レオポルド・ストコフスキー(指揮)
Leopold Stokowski



掲載しているCDジャケットとそのCD番号は、現行流通盤と異なる場合があります。あらかじめご了承下さい。




レオポルド・ストコフスキー(指)
フィラデルフィアO(第2楽章のみ)
第2楽章ホルン・ソロ:
Serenade
SEDR-5025
(2CDR)
限定生産
録音::1923年4月30日 【モノラル録音】 使用原盤:Victor (U.S.A.) 6430/31(C27904-2/05-1/06-2)
演奏時間: 第1楽章 - / 第2楽章 13:07 / 第3楽章 - / 第4楽章 -
カップリング/チャイコフスキー:交響曲第5番
(1)コンヴィチュニー(指)ベルリンRSO、(2)マクミラン(指)トロントSO
“ストコフスキーの「チャイ5」初録音!”
なにせラッパ吹込みゆえ、作品の輪郭しか捉えられていません。いろいろ推察しながら聴きとおすしかありませんが、私たち以上に、ストコフスキー本人ががもどかしさを感じていたことでしょう。音価を自由に伸縮させるその徹底ぶりは、晩年とは比較にならないほど。時代の流行と共にスタイルを変化させること自体は珍しくありませんが、165小節の8分音符を倍の長さに引き伸ばすのは、晩年まで一貫して守り通した手法で、そのこだわりの根底に何があるのか、あれこれ思いを巡らすのも一興です。【湧々堂】
第2楽章のツボ
ツボ10 ホルンは音色の広がりは求めようがないが、カ細い収録の中からも繊細な歌心は感じ取れる。
ツボ11 ダイナミズムを感じようがない。弦は音の上下行のたびに掛かるほど頻出。時代をそのまま映した表現。
ツボ12 ここでも音の引き伸ばし、ポルタンメンとが頻出。クラシック音楽を映画音楽のように、あるいはちょっと高級なお菓子のように味わってもらいたいという願いをそのまま音に出来る時代だったのだ。
ツボ13 それぞれの和音をアルペジョ風にボロン〜と奏でる。
ツボ14 縦の線が曖昧ながら、最高潮へ上り詰めるまでの呼吸とテンポの伸縮は鮮やか。
ツボ15 予想通りポルタメントの連続。さすがに現代の耳では違和感が残る。


レオポルド・ストコフスキー(指)
フィラデルフィア管弦楽団
第2楽章ホルン・ソロ:
Biddulph
WHL-015
録音:1934年11月12日 【モノラル録音】 原盤:Victor (U.S.A.) 8589/94[M-253]
演奏時間: 第1楽章 14:49 / 第2楽章 13:30 / 第3楽章 5:53 / 第4楽章 11:54
カップリング/
“ストコフスキー版「チャイ5」の原点!”
ストコフスキーは、これ以降この作品に生涯こだわり続けることになりますが、この時点で、スコアに追加する楽器とその箇所、声部のバランス配分に対するアイデアは、ほとんど出来上がっていたことが分かります。一方で、テンポと強弱をどのように設定し、いかにこの作品を一層輝かしく蘇らせるか、特にその点に関しては、多くの芸術家の常であるように、死ぬまで納得いくものを見出せなかったのではないのでしょうか?聴けば聴くほど、他の録音とは似ているようで異なる解釈が頻出し(その為にこのページの完成に要する時間も膨大!)、まずはその飽くなき探究心に改めて頭が下がります。
第1楽章展開部の最後で低弦を強烈に迫り出させたり、同再現部冒頭のファゴットを展開部の結尾から先行して吹かせるなどのアイデアは、後年の録音でも一貫して実行していますが、その他の箇所は試行錯誤の痕が感じられ、その取捨選択の基準をどこに置いていたのか、いろいろ想像するのも一興でしょう。ただ、一見奇抜と思える数々のアイデアの源は、どこにあったのでしょう?この録音を聴くと、やはり当時の録音技術の限界に立ち向かおうとするストコフスキーの意欲がそうさせたのではないかと思えてならないのです。言うまでもなく、実際に録音現場で鳴っている音楽と録音された音楽の色彩やスケール感のギャップに対し、当時の演奏家は妥協するしかなかったわけですが、その点でストコフスキーはその録音技術に積極的に介入し続けただけではなく、演奏の面からもあらゆる手段を用いて作品の素晴らしさをリスナーに届ける使命感を果たし切った人だったと痛感するのです。これは後年の有名なステレオ録音しか知らなかったら気づかなかったことでしょう。
また当時のフィラデルフィア管の弦の魅力と、その艶やかさを徹底的に生かしたピチカートの感触の素晴らしさを味わえる点でもこの録音は貴重。ストコフスキーの演奏のトーンを決定付ける特徴の一つであるあの強靭なピチカートの出発点も見出すことができます。【湧々堂】
第1楽章のツボ
ツボ1 主題結尾の付点2分音符のクレッシェンドは既に実行。太く濃厚な色彩の志向もこの頃既に確立していたことが分かる。21小説の冒頭のピアニッシモを無視。28小節のスフォルツァンド直前でもクレッシェンドを挿入。低弦はかなり増強していると思われる。
ツボ2 最初の弦の刻みはほとんど8分休符は無視して、後ろ髪を引かれるようなテヌートで開始。木管はかなり明瞭。
ツボ3 極めて甘美な上行ポルタメントも盛り込みながら敢行。虚弱の振幅をスコアの指示以上に細かく挿入。
ツボ4 甘く切ない歌いまわしに対し、結尾のスタッカートが強いコントラストを持って響く。後の録音で行われる76〜79小節をカットはここでは行われない。その後、第2主題が現れるまでイン・ンテンポ。
ツボ5 直前でのアッチェレランドではやや縦の線がずれる。冒頭のスフォルツァンドは強調せず、強弱の揺れもむしろスコアの指示よりも少ないほどだが、時代がかった自然発生的なポルタメントのせいで、十分に流麗。この部分は、まだ後年ほどコンセプトが確立していないように思われる。
ツボ6 ここでのニュアンスも、ポルタメント以外はごく標準的なスタイル。強弱やテンポの変動も大きなデフォルメはない。注目すべきは144小節から。ホルンの合いの手のように答える弦の付点4分音が心底デリカシーを込めて歌いぬくその素晴らしさ!
ツボ7 ここから少しテンポを上げるが、前の部分との強烈なコントラストは見せない。156小節から弦のフレーズで大きくテンポを落とすのは後年まで一貫したスタイル。
ツボ8 フレージング自体はいたって素直。テンポの緩急の幅も最小限にとどめているが、なんと心と血の通ったフレージングだろう。
ツボ9 冒頭の16分音符はもちろん不明瞭。高速で疾走しつつ、503小節に入る直前で一旦テンポルバートするのは後年も見られる手法だが、音を引き伸ばしとクレッシェンドはここでは行っていない大。結末の入念勝つ濃密なニュアンスはストコフスキーの独壇場。
第2楽章のツボ
ツボ10 弦の導入の弱音は決して痩せておらず、色彩の余韻を感じながら進行。第2ヴァイオリンの入りの自然さむ含めて味わい深い。ホルンがまた素晴らしく、一貫して安定した弱音を保ちつつ、憂いのある表情が絶えることがない。
ツボ11 録音上の制約があるので、圧倒的なスケール感は望めないが、直前の最後の金管の音を瞬間的にクレッシェンドすることで、感覚的な浮揚感を表出!大音量をそのまま捉えきれない録音のハンデを回避するためのストコフスキー独自のアイデアかもしれない。
ツボ12 クラリネットもファゴットも即興的な味を出しているようで実はストコフスキーの強い統制力も感じさせる。クラリネットの9連音は、何度聞いても9以上あるように聞こえる。
ツボ13 ピチカートの艶やかな響かせ方は、ストコフスキー独自の色彩力を最も端的に示している部分だが、ここでは若干表情が淡白で意思が不徹底か。
ツボ14 聞き取りにくいが、後年にも現れる、フォルテ4つの頂点でのトランペットによる機関銃のような連続音の付加と、165小節の8分音符を倍の音価への引き伸ばしは、この時点で実行。
ツボ15 後年にはさらにきめの細かい表情を見せた録音もあるが、最もストレートに人間臭い表情を表出したのはこの録音かもしれない。
第3楽章のツボ
ツボ16 若干ぎこちないが、テンポ・ルバートあり。その後のアゴーギクも安定しないが、ファゴットの力量のせいだろうか?
ツボ17 もたつき皆無、潤滑油満点の弦のスピード感は後年まで一貫。アクセントの位置も同様にご注目
ツボ18 これはあらゆる点で理想的な出来栄え!クラリネットとファゴットの融合のみならず、後年まで敢行し続けたストコフスキー独自のアイデアも、最も音楽的に結実した録音!225小節で、チェロの・ソロだけを最後まで引き伸ばすのと、主題が回帰する241小節の木管をフォルテで吹かせる演出は、ストコフスキーが狙ったと思われる色彩的な魅力が存分に感じられる。
第4楽章のツボ
ツボ19 ストコフスキー流レガートの魅力満点。テンポは標準的。20小節で唐突にフォルティッシモ、21小節で急激にピアニッシモにするのは後年まで一貫
ツボ20 ホルンはほとんど裏方。注目すべきは、テーマに含まれる2つの16分音符の吹かせ方。32分音符の縮め、それによって、テーマ全体が軽くスウィングする。古いスタイルの録音に稀に聴かれるスタイルだが、ここでは時代のなせる技というよりも、ストコフスキーの明確な意図を感じさせる。ちなみに、その徹底ぶりに差こそあれ、これは後年の録音においても見られる現象である。
ツボ21 他の録音に見られる、52〜54小節のカットはここでは行なっていないが、56〜58小節を弦のみへの変更は実施。主部の開始は超低速。ティンパニはクレッシェンドを行わず一定音量でトレモロを続けるが、ほとんど表面には出ない。70小節冒頭で大太鼓の一撃は追加あり。
ツボ22 完全に無視。184〜199小節までカット
ツボ23 コントラバスはことさら強調していない。
ツボ24 主部冒頭よりやや速いテンポ。
ツボ25 ほとんど聞こえない。
ツボ26 ほとんどテンポ変動なし。
ツボ27 インテンポ。
ツボ28 469〜472小節をカット。
ツボ29 475小節の頭を完全にスタッカートにして、きりっとした響きを徹底表出。
ツボ30 他の録音同様、トランペット以外の管楽器パートを全てカット。その分、響きが急激に薄くなることは否めないが、リズムのエッジが鮮明に立ち上がり、孤軍奮闘するようなニュアンスを醸し出している。弦もトランペットも明確にスタッカートにして音を切っている。
ツボ31 499小節から501小節にかけては、トランペットを完全休止(もしくは最弱音)。502小節ではフルートを強調。503小節から少し音量を弱めてからクレッシェンド。504小節冒頭で、大太鼓の一撃を追加。
ツボ32 明瞭。548〜549小節をスラーで繋ぐ
ツボ33 ごく普通のプレストといった感じで、テンポの上ではこれといった細工は見られない。557〜559小節をカット。最後の2小節はテンポを落とすが、重量感は感じられない。



レオポルド・ストコフスキー(指)
NBC交響楽団
第2楽章ホルン・ソロ:
Guild
Historical

GHCD-2334
録音:1942年11月29日 NBCスタジオ8H 【モノラル・ライヴ】
演奏時間: 第1楽章 15:03 / 第2楽章 12:38 / 第3楽章 6:23 / 第4楽章 12:50
カップリング/チャイコフスキー:序曲「嵐」(録音:1942年11月29日)、幻想曲「テンペスト」(録音:1943年3月7日)
“数ある“ストコフスキー版チャイ5”の最高峰!”
 ご承知のとおり、ストコフスキーのチャイ5は非正規盤も含め多くの録音が存在するため、これらのコメントは今までずっと躊躇し続けてきましたが、ついに重い腰を上げざるをえない恐るべき録音が出現してしまいました!今後ストコフスキーの録音に関してはなるべく年代順に聴き直しながらコメントしていくつもりですが、おそらく後にも先にも、これほど彼の意思をオケが汲み取り、完璧に表現として完成しきった演奏には巡り会えないことでしょう。
 最も有名なDECCAのステレオ録音をお聴きの方の中には、本来ならもっと凄いことが出来るはずだったのでは?というもどかしさを感じた方も多いことでしょう。不思議なことに、スタジオ録音、ライヴを問わず、またオケの技術の優劣を問わず、ストコフスキーが振るチャイ5はなぜかアンサンブルの縦の線が乱れている例が多く、これは他の作品にいてはあまり見られない現象です。おそらく、ストコフスキーのあの独特な指揮法、つまり打点は明確ながら、その前触れを示す運動がほとんどなく、いきなり打点をアタックする指揮は、優秀なオケでもなかなか慣れにくいものでしょうし、ましてこの曲には、他の曲以上に常識外の唐突なテンポ、強弱の急変を要求していまので、彼の一挙手一投足までを完璧に感知して、瞬時に音にすることは至難の技なのだと想像できます。私自身、今まではそうやって納得させた上で彼の個性的な解釈を楽しんできました。ところが、そんな妙な憶測など必要とせず、出てくる音の全てがとのかく凄い、そんな演奏がこうして存在していたのです!NBC響は言うまでもなく技術的に最高次元に達した素晴らしいオケですが、彼らをを鍛え上げたトスカニーニが突如辞任を発表し、急遽招聘されたのがストコフスキーでした。その背後に何があったか、いろいろ説があるようですが、ここはそれを検証する場ではありません。ただ、トスカニーニがストコフスキーを露骨に嫌悪していたことは事実のようですし、彼らの芸風を知る人なら、まさに水と油であることは創造がつくはずです。オケの事務局側の思惑はともかく、オケのメンバーは、トスカニーニとは全く違う個性に触れることに歓びを見出していたに違いありません。辛いものばかり食べていると甘いものが欲しくなるように…。持てる技術力の全てを出したというだけでなく、今まで眠らされていた、しかも彼ら自身も思いも寄らなかった欲求が堰を切って飛び出してどうにも止まらない、そんな雰囲気がこの演奏には満ち満ちているのです。したがって、ほとんどの客演指揮者との録音で感じる「トスカニーニの色の上にその指揮者の色を乗せる」といったイメージはなく、最初から最後まで紛れもないストコフスキー・サウンドに変貌しているのです。
 そのサウンドの魅力と共に心底感じ入るのが、本物の呼吸感。ストコフスキー特有のあの吸い付くようにしなやかなフレージングには、決して外面的な鮮やかさだけでなく、心の奥底から感じきった結果に真の衝動が息づいています。例えば、第2楽章のホルンソロが終わってから一回目の山場を迎えるまでの迫真のフレージング!誰に真似できましょうか?逆にステレオ録音で聴くと、その外面的な演出ばかりが耳にこびり付きがちですが、こうしてバランスの良い放送モノラル音源で聴くと、彼の目指した音楽の内面に宿るものが焙り出されるような気がしてなりません。  【湧々堂】
第1楽章のツボ
ツボ1 第一音から、完全にストコフスキー色。クラリネットの音色にトスカニーニにはない艶やかさがある。主題結尾の付点2分音符をいちいちクレッシェンドする点や。21小説の冒頭のピアニッシモを無視し、明確に音を立ち上げるのは、後年まで一貫していた解釈。
ツボ2 弦は引きずり気味に陰鬱な雰囲気で開始し、木管もそれに合わせて開始しようとするが、42〜43小節でいささか先走りぎみになる。しかしすぐに両者が一体となり、濃密なフレージングを実行。注目は主題が弦に移行した直後!フレーズ冒頭を前打音風にしねらせ、甘味満点!この部分をここまでニュアンスがぶれずに表出され尽した演奏も珍しい。
ツボ3 一気呵成にフレーズを下降し、音量を弱めないのがストコ流。76〜79小節をカットその後、第2主題が現れるまで一気呵成に駆け抜ける。
ツボ4 これは個性的。ディミニュエンドで減衰するのではなく、下行フレーズで急激に弱音に転じ、コントラストを明確に施している。しかもデリカシー満点。
ツボ5 ここも絶品、というより116から副主題が現れるまでの数秒間は奇跡的な出来栄え!直前で壮絶なアッチェレランドでパワーを放射した直後、この第2主題ではほぼ倍にテンポを落とし、冒頭のスフォルツァンドの効果を完璧に実現!強弱の振幅も渾身。弦のテクスチュアの透徹も見事と言うほかない。スコアには表記はないが、120小節冒頭でも再びスフォルツァンドを行うが、その直前の付点2分音符の音価を早めに切り上げ、エロティックなニュアンスを徹底演出!
ツボ6 極限までテンポを落とし、吸い付くようなフレージング。アニマート部分はまさに恍惚境!
ツボ7 ここから急速に駆け上がりるが、直後の156小節で大きく減速。後にノーマン・デル・マーもこのスタイルを踏襲しているのが興味深い。
ツボ8 171小節冒頭でポルタメント。189小節あたりから大きくリタルダンドし、181小節結尾でポルタメントを掛けながら一旦終息。その先は展開部に入るまで一気呵成に突っ走る。
ツボ9 猛烈な速さにつき、冒頭の16分音符は不明瞭だが、この高速進行の緊張感と、501〜502小節での大きなテンポ・ルバート&クレッシェンドを挟んで、次第にエネルギーが地面に浸透していくような終息へと向かうドラマティックな展開は、アンサンブルの完璧さと共に、ストコフスキーの同曲録音の中でも群を抜いた素晴らしさ。
第2楽章のツボ
ツボ10 弦の導入では、聴き手に弱音を意識させるのは、なんと最初の一音のみ。ホルンはリリシズムを讃えたフレージングが魅力的。クラリネットはかなり濃密に絡みつくが、そのハーモニーにストコフスキーならではの色彩が滲み出る。
ツボ11 事前に急加速を掛け、その極限に音量の頂点も合体させる。ストコフスキーは、この手法をこの曲の随所で用いているが、空回りに終わっている箇所が全くない!
ツボ12 やはりアゴーギクが独特だが、音色、音量共に、ニュアンスの広がりには繋がっていない。クラリネット奏者の力量不足か?
ツボ13 空前絶後のパワフルさ!しかも気負いを感じさせずに大音量でホールを響き渡らせるストコフスキー、ならびにNBC響の技量にただ呆然とするばかり。しかも突如、110小節で最弱音にすり替わる鮮やかさ!また、この後の第2回目の山場を築くまでの熱いカンタービレの連続も聴きもの。
ツボ14 142小節冒頭ではそれほどパワーを感じさせないが、フォルテ4つの頂点を完璧に見据えた設計と進行の素晴らしいこと!その頂点では例によってトランペットによる機関銃のような連続音の付加があるが、それだけが突出せずに全体と見事にブレンドした響きとなっている点も注目。
ツボ15 ここでの弦の高音パートと低音パートは、それぞれに男女の役割を与え、愛のいとなみのように聞こえる。ストコフスキーは全楽章を通じて弱音をめったに用いていないが、ここでのヴァイオリンの最弱音は、まさに満を持して現れた、抜群の説得力!
第3楽章のツボ
ツボ16 誰よりも大きくテンポ・ルバート。しかもしばらく遅いテンポのまま進み、繰り返し時には、強弱の変化も与えるという凝った演出。
ツボ17 アクセントの位置にご注目!この部分のスピード感をリアルに表出するために以下に効果的なアクセントであることか!
ツボ18 ステレオ録音から判別できるような明瞭さは感じようもないが、一本の線で緊密に連携しているのは感じ取れる。
第4楽章のツボ
ツボ19 強固な意志を湛え、スケール感のある導入。ピチカート開始と共に加速。
ツボ20 ホルンはほとんど裏方だが、オーボエを中心とした主旋律に、これ以上不可能なほどの太い筆致を求めており、それを完璧に敢行。
ツボ21 他の録音同様、直前の52〜54小節はカット。56〜58小節は、管パートを全てカットして弦楽のみに変更。ティンパニはクレッシェンドを行わず一定音量でトレモロ。全精力を弦に傾け冒頭で一撃、その後クレッシェンドなしに最後までトレモロ。テンポは極めて低速。70小節で他の録音で付加されているピッコロはここでは登場しないが、70小節冒頭で大太鼓の一撃は追加あり。80小節あたりから加速を開始し、82小節からまさにヴィヴァーチェ・モードに突入。82小節冒頭にも大太鼓の一撃あり。
ツボ22 完全に無視。しかしその代わりに、ストコフスキー自身のフレージングのセンスの高さを窺わせる結果となっている。
この後、他の録音と同様に184〜199小節までカット
ツボ23 コントラバスのみを強調はしていないが、量感十分。
ツボ24 80小節と同様の高速テンポを設定するが、すぐに304小節で大きくテンポ・ルバートし、TempoTから再び高速へ。
ツボ25 響きは鈍いが、アクセントとしての役割は果たしている。
ツボ26 80小節と同様の高速テンポに再び戻る。
ツボ27 意外にも金管は抑え気味にして、弦の細かい躍動を前面に出す。
ツボ28 他の録音と同様に全休止前後の467〜472小節をごっそりカット
ツボ29 素晴らしい張りと輝き!テンポの伸縮感の独自さにも要注目。特に478小節の下降フレーズでの微妙な減速は、メンゲルベルクに代表されるようなアゴーギクの概念とは性格を異にしており、より生々しく肉感的に響く
ツボ30 トランペット以外の管楽器パートを全てカット。その分、響きが急激に薄くなることは否めないが、リズムのエッジが鮮明に立ち上がり、孤軍奮闘するようなニュアンスを醸し出している。弦もトランペットも明確に音を切っている。
ツボ31 完全に聞き取ることは不可能だが、499小節から501小節にかけては、トランペットを完全休止(もしくは最弱音)し、502小節に入ってから少しだけ浮上させる。この502小節からのトランペットの音の運びはスコアどおりと思われる。その間、一貫して弦を前面に立てて、502小節ではフルートを強調。503小節の2つの2分音符のスフォルツァンドは、それぞれクレッシェンドに改変。504小節冒頭で、大太鼓の一撃を追加。
ツボ32 極めて明瞭。548〜549小節をスラーで繋ぐ
ツボ33 プレスト部分は演奏可能な限界を行く超高速。546小節で一旦落ち着くが、再び加速。557〜559小節をカットし、最後の2小節は荘重なテンポで幕を閉じる。


レオポルド・ストコフスキー(指)
国際ユース祝祭管弦楽団
第2楽章ホルン・ソロ:
Cameo Classics
CC-9007CD(1CDR)
録音年:1973年8月19日 ロイヤル・アルバート・ホール(プロムス) 【ステレオ・ライヴ】
演奏時間: 第1楽章 14:35 / 第2楽章 12:18 / 第3楽章 5:42 / 第4楽章 12:49
チャイコフスキー:交響曲第5番のリハーサル(34:43)
“死の四年前!華で彩られたストコフスキー最後のチャイ5!”
市販されたストコフスキーの「チャイ5」の最後の録音。あの幻のレーベル“CAMEO”が、当時のプロデューサーの手で復活しました!
チャイコフスキーの「第5番」に夢中になり始めた高校生の頃、この録音の存在は何かの本で知ってはいましたが、幻のLPとされ、現物を目にすることは殆ど諦めていました。そんな時ふと立ち寄った中古店でなんとこのLPを発見!しかも未開封!あまりの予期せぬ発見にしばし呆然としましたが、値段が3万円と高校生にはあまりにも高額で愕然。しかしここで諦めたら一生再会できないと思うと我慢しきれず、どうやって工面したのかさっぱり憶えていませんが、とにかく3万円を手にして入手することができたのでした。しかし買ったのはいいのですが、あまりにも恐れ多く、傷をつけては大変という思いが先に立って無心で聴き入ることができないままCD時代へ突入。ますますLPの棚から引っ張り出すことなく今日に至ってしまった次第です。あれから何十年経ったことか…。遂に手にした気軽に聴けるCD。LPで聴いたときの漠然としたイメージは残っていたものの、今のイメージが当時のものより悪くなってしまったらきっと悲しいだろう、などとまた余計なことを考えながら、とにかく試聴開始。結果は好転!
ストコフスキーの演奏を聴くたびに思うことですが、「芸術的」と呼ぶかどうかはともかく、ストコフスキーは、空前絶後の根っからの音楽家であったことは間違いないでしょうし、どんな批判にも屈せず、「天国へ行ったら作曲家に詫びたい」と本人も語ったように、自身の行なっている行為を十分自覚しながらも、最後まで「華やかさ」という単純明快なモットーを守り通したその心意気!それを個人的な独りよがりに終わらず明確に音楽に注入できた、音楽家の中の音楽家だと、これを聴いて改めて確信しました。この期に及んでは今までになかった斬新なアレンジこそ見られませんが、強烈で個性的な改変が年代と共にどのように醸成され、オーケストラの響きの操作加減でいかに聴き手に大きなインパクトを与えるか、それに全霊を傾けてきたことか、それを知るには、やはり彼の初の全曲録音(1934年盤)から少なくとも10年スパンくらいでチェックしておく必要があるようです。
さてこの録音、あのロイヤル・アルバート・ホールという巨大なホールで行われているので、万全のスタジオ録音のような細部の明瞭さには欠けますが、それでもストコフスキーの極彩色の威力を最も体感できるものであり、有名なDECCAの人工的なバランスの録音では分からなかった大胆なアレンジの意図がリアルに伝わって来る点が最大の特徴でしょう。それを最も痛切に感じるのが、終楽章の全休止を無視してモデラートに突入する例の壮麗なシーン。こういう場面で変なプロ意識や恥ずかしさが出てしまってはただシラケるだけです。その意味でこの演奏の快挙には、ストコフスキー自身も狂喜したに違いありません。全体を通じてもやはりこの終楽章が最も強烈で、特に、完全に緊張から解き放たれた開放感がそのまま直情型の推進力に転じる後半は、トランペットの極限の強奏といい、弦の放射力といい、ストコフスキーの威光が溢れんばかりです。しかも91歳です!人間は年をとれば例外なく肉体の機能が衰えます。その衰えが、音楽表現に直結する人とそうでない人がいます。日本に限らず前者を特にありがたく崇める傾向が強いようですが、こうでなければならないテンポ、どうしも妥協できないビート感が体にしっかり宿っていれば、たとえ手足が動かなくてもオケに対する指示は可能なはずですし、またそれをするのが指揮者の仕事です。体の衰えと共にその意欲まで失い、「枯れた芸風」などという評判に甘んじていられる人を、私は指揮者とも音楽家とも呼びたくありません。

この録音について
Cameo Classicsは、デイヴィッド・ケント・ワトソン氏が1973年に創設したイギリスのレーベルで、青少年オーケストラの演奏を最良の形で記録することを主な目的として活動していました。特に、ハル青少年オーケストラによる英国の作曲家の世界初演録音は特筆すべき仕事といえます。LPの生産終了を経て、2004年からインターネットを通じてCD-R仕様での販売を開始。最近は、ザロモン・ヤーダスゾーンやイグナツ・ブリュルのような20世紀にナチ・ドイツで禁止したユダヤ人のドイツの作曲家や、無視され続けてきた傑作を掘り起こすことに力を注いでいます。
国際ファスティヴァル管弦楽団は、青少年オーケストラ国際フェスティバルの一貫として組織されたオーケストラで、このプロムスの演奏会のため集められた若手演奏家はなんと140人!ストコフスキーは、生涯を通じて才能のある若い音楽家との仕事に情熱を傾け、1969年の第1回の国際ファスティヴァルからこのオーケストラとの活動を続けていました。

リハーサルの主な内容
和気愛愛とした楽しい雰囲気は皆無。淡々と指示を出し続けるのは、プロ・オーケストラとのリハーサル風景映像の様子と全く同じです。
1、第1楽章序奏部(途中からファゴットが加わりますが、完全にクラリネットとユニゾンで合わせているようです。このファゴットの音量が大きすぎると注意。もっとソフトに演奏するよう要求。)
2.第1楽章提示部(第2主題の直前でホルンに明瞭さを要求。)
3、第1楽章提示部、副次主題。
4、第1楽章展開部の最後
5、第1楽章、終結部
6、第2楽章冒頭(「エスプレッシーヴォ」を要求。
7、第2楽章中間部、クラリネット・ソロ
8、第2楽章終結部
9、第3楽章冒頭(癇癪爆発!指揮台を叩いて「指揮者を見ろ」と大声。)
10、第3楽章終結部
11、第4楽章序奏部
12、第4楽章70小節からのホルン(ベルを上に向けて大きな音量を出すように要求)
13、第4楽章436小節以降〜モデラートの冒頭
「何か質問は?」と呼びかけて、終了。


★リハーサル写真(独特な楽器配置を確認できます)
第1楽章のツボ
ツボ1 冒頭のクラリネットは倍増しているだけでなく、サックスを重ねているように聞こえる。フレージングは素直だが巨大なホールのせいか、ややムーディ。
ツボ2 全休止をほとんど置かずにそのままそっと滑り出す。テンポはごく普通で、今までのストコフスキーになく色彩よりもアンニュイさが付きまとう。
ツボ3 他の録音も多かれ少なかれ独特のクセを感じるが、これは最もあからさま!最初の8分音符を約半拍ほど早く弾かせる悩殺モード!76〜79小節をカット。
ツボ4 エネルギーを減衰させず、意思を持ち続けたまま下降。
ツボ5 幾分テンポを落として官能的に歌い上げる。決して強弱の振幅を滑らかにせず、発作的な感情の揺れを再現しているのがいかにもストコ流。
ツボ6 129小節に驚愕!第2ヴァイオリンが半音ずつ上下降を繰り返す、そのなんと幻想的な空気!この世のものとは思えぬニュアンスをふんわりと醸し出した究極のニュアンス!
ツボ7 まさに、ストコフスキー・ピチカートと呼びたい豊穣なニュアンスを湛えた弾き方!このピチカートと、直後のアルコによる合いの手の噴出力とのコントラストの強烈。
ツボ8 表面的には普通の表現だが、夢と憧れでこれほど胸を焦がし、居ても立ってもいられない衝動に駆られたような切迫したフレージングはそうそう聴けるものではない。ここまでやって初めて「共感」していると言えるのではないだろうか。
ツボ9 快速テンポ。502小節最後の音の引き伸ばしは他のどの録音よりも長く、元のテンポに復帰できないほど音楽が膨張!
第2楽章のツボ
ツボ10 間を置かずアタッカで弾き始める。粘ることなくサラッとし感触で流れるが、繊細な味わいがある。ホルンは、広いホールの距離感がこのフレーズのニュアンスに相応しく、実に美しい。技術的な破綻もなく安心して聴き入ることができる
ツボ11 意外にも派手さはないが、深みを湛えたティンパニと共に手応えのあるフォルティディディモを築いている。エネルギーを溜め込んでから噴出するのではなく、前の段階から高揚を持久しながらなだれ込むストコフスキー流の大きなうねりを堪能できる。
ツボ12 クラリネットは、ブレスによる間断を感じさせない素晴らしいフレージングが感動的!翳りのあるニュアンスも素晴らしく、後半の消え入り方など孤独感一杯!
ツボ13 今まで何もなかったような恐ろしく淡白なピチカート。アルコのヴァイオリンの出だしが若干戸惑う。
ツボ14 トランペットによる機関銃連続音は他のどの録音よりも明瞭かつ露骨。精力全開のパワーも驚異的。
ツボ15 ここも表面的にはごく普通の優美なフレージングだが、音が立っているというか、「共感しても耽溺しない」ストコフスキーのアプローチの特色を痛感させられる。
第3楽章のツボ
ツボ16 2楽章から3楽章の移行もアタッカでいきなり弾き出すのは珍しい。第2楽章最後の最弱音を徹底的に引き伸ばしていることからも分かるように、意図的に全体の一体感を狙った証拠(リハーサルでも、第2楽章の最後の弦を美しく引き伸ばしたうえで第3楽章に移ることを要求している)。かつての録音同様、単にテンポを落とすだけでなく、細かくニュアンスを付加。
ツボ17 こういう無窮動的な弦の動きでその量感を出すのも、ストコフスキーの真骨頂。木管は多少もたつく
ツボ18 マイクから遠く不明瞭だが、緊張を持って一本のラインを築いている。
第4楽章のツボ
ツボ19 ここはアタッカではない。やや速めのテンポで颯爽と進行。
ツボ20 ホルンはほとんど裏方。
ツボ21 他の録音同様、直前の52〜54小節はカット。56〜58小節は、管パートを全てカットして弦楽のみ(もしくはフルートだけを残して)に変更。ティンパニはクレッシェンドを行わず一定音量でトレモロ。他のニュアンスは'42年盤などと類似。大太鼓の一撃はそれほど大きな衝撃はない。
ツボ22 完全に無視。184〜199小節までカット
ツボ23 コントラバスはマイクから遠い。続く木管との掛け合いにズレが生じる。
ツボ24 80小節と同様の高速テンポを設定するが、すぐに304小節で大きくテンポ・ルバートし、TempoTから再び高速へ。
ツボ25 響きは鈍い。
ツボ26 80小節と同様の高速テンポに戻る。
ツボ27 極端にテンポは速くないが渾身の猛進。
ツボ28 全休止前後の467〜472小節をごっそりカット。その直後の大太鼓のド派手連打からそのままモデラートへなだれ込む例の大アレンジを敢行するが、これはストコフスキーが狙った効果を最も発揮し尽くした実例だろう。
ツボ29 疲れ知らずの漲るパワー!アンサンブルは極上とはいえないが、それを上回る表現欲と闘志で有無を言わせぬ進軍を続ける。
ツボ30 トランペットが最強音を連発!弦は明快に切るが、トランペットは多少スラーがかかる。
ツボ31 '42年盤のコメントと同様の独自アレンジ。やはり後半からトランペットを浮上させている。
ツボ32 強烈ではあるが、前後のトランペットのインパクトの方が凄い。
ツボ33 557〜559小節をカットし、最後の2小節は荘重なテンポで締めくくる。

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