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殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤!!
ショスタコーヴィチ
交響曲



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ショスタコーヴィチ/SHOSTAKOVICH
交響曲第1番

豪ELOQUENCE
4428413[EL]
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番
交響曲第9番、
バレエ組曲「黄金時代」*
ワルター・ウェラー(指)スイス・ロマンドO、
ジャン・マルティノン(指)LSO*

録音:1971年、1957年* (全てステレオ)
“低迷期なんて嘘!ウェラーとスイス・ロマンドOの相性のよさを痛感”
 かつてウィーン・フィルに団員として在籍していたウェラーは、室内楽の奏者として支持する人が多いものの、指揮者としての評価はなかなか定まらないのが現状でしょう。しかし、このショスタコーヴィチはあまりにも見事!奇を衒ったところが一切なく、どこまでも正攻法を貫きながら、この2曲の交響曲のシンフォニックな醍醐味を存分に聴き手に伝え、アンセルメの死後3年しか経っていないオケも、ウェラーの意図を十分に介してセンス満点の妙技を繰り広げています。
 「第1番」は第1楽章冒頭、弱音器つきのファゴットとトランンペットが醸し出すニュアンスが実に意味ありげ。その先は強弱の対比をアグレッシブに表出しながら、不安なムードを打ち払うようにグングンと前へ音楽が進行します。第2楽章もレスポンスが俊敏。中間のフルートのテーマの物憂げな表情には暖かな慈しみが感じられ、同じリズムを延々と繰り返して不安を煽る弦との対比も見事。第3楽章の深々としたニュアンス、終楽章の緻密な場面転換センスなどは常にメリハリをもって聴く側に迫り、このオケが当時低迷期だったなどと片付けてしまうにはあまりにもったいない素晴しい仕上がりです。
 「第9番」も至極真っ当なアプローチですが、ただ音符を追っただけの演奏とはわけが違います。故意に皮肉を注入した嫌らしさがなく、古典的なフォルムを重視しながらも、音そのものは常にいきり立っており、彫琢も豊か。第2楽章はクラリネットの巧さが印象的。第3楽章はリズム感が抜群に良く、腰の入った推進力が魅力です。その引き締まった響きはC・クライバーを思わせるほど。終楽章は脳天気な喧騒に陥る一歩寸前で止めた確かな構築力、響きのコクと深みで最後まで聴かせます。おなじみのヴィクトリア・ホールとDECCA録音との相性のよさも改めて痛感させられます。【湧々堂】

EMI
7677292
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番
プロコフィエフ:古典交響曲、
ハチャトゥリャン:「仮面舞踏会」〜ワルツ/ギャロップ
リャードフ:キキモラ、
カバレフスキー:「道化師」組曲、他
エフレム・クルツ(指)
フィルハーモニアO

録音:1957年 ステレオ録音(ショスタコーヴィチ)
地味なクルツの芸風とフィルハーモニア管の妙技の絶妙な融合!”
 全盛期のフィルハーモニア管を起用しているところがミソ!決して自分の個性を前面に出そうとはせず、作品の素晴らしさの再現に徹したクルツの指揮と相俟って、ショスタコーヴィチの天才性を痛感させられ演奏になっています。
 第1楽章は、諧謔的なフレーズを次々と連鎖していくソロ・パートが、それぞれに最高のセンスを発揮し、決して締め付けすぎることのないクルツの棒さばきが、その妙味を見事にすくい上げています。第1楽章の5:38のトランペットの弱音による嘲笑や、要となるクラリネットの巧さ!全体に醸し出されるどこかのんきな風情も味です。
 第2楽章も、鋭利な響きや物々しいダイナミズムからは程遠く、どこか大らかな空気が漂いますが、そんな中だからこそ、ピアノが入ってからバス・ドラムが加わるまでの痛快な面白さが一層生きてきます。中間の木管の屈折した哀愁も絶品。
 クルツは1900年、レニングラード生まれで、グラズノフやチェレプニンに学んでいますが、第3楽章にほんのり香る妖艶な空気や独特の詩情の生かし方は、作曲者との交流もあったことを窺わせる説得力があり、自然にその空気に引き付けられます。終楽章のラルゴの部分の深々とした風情とキラキラした色彩、ヴァイオリン・ソロ、ティンパニ・ソロの巧さも印象的。

ショスタコーヴィチ/SHOSTAKOVICH
交響曲第4番

CAvi
4260085-532353
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番 ダニエル・ライスキン(指)
ライン州立PO&マインツ州立POの合同オケ

録音:2009年3月19日フェニックスホール、マインツ(ライヴ)、
2009年3月20日ライン・モーゼル・ホール、コブレンツ(ライヴ)
“自信と確信に満ち溢れた巨匠級の名演!”
 ダニエル・ライスキンは1970年サンクトペテルブルク生まれ。2005年からライン州立フィルハーモニーの首席指揮者に就任。またアルトゥール・ルービンシュタイン・POの首席指揮者、ヴロツワフ・フィルの常任指揮者、ウラル・フィルの首席客演指揮者、ミッケリ・シティ・オーケストラ常任指揮者なども歴任。新世代を代表する指揮者として着目されています。
 このショスタコーヴィチは既に巨匠の風格と安定感に溢れた素晴らしい演奏で、ライヴとは思えぬ緊張感の持続、アンサンブルの密度の高さにも驚かされます。悲痛な叫びを大音響だけに頼るのではなく、音楽的なニュアンスとして結実した独特の凄みを持つ音に転換してから放出する手腕は並の才能ではありません。一つ一つブロックを積み重ねるように音の厚みを緻密に配分するセンスにもご注目を!【湧々堂】

GEGA NEW
GD-380
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調Op.43 エミール・タバコフ(指)
ブルガリア国立RSO

録音年月日不詳 (ステレオ)
“ローカルなオーケストラと侮れない驚くべき表現意欲!”
 ブルガリアの名匠エミール・タバコフ(1947年生まれ)がショスタコーヴィチ:交響曲シリーズ第1弾として世に問うのは、なんと最大規模の難曲「第4番」!それだけでもタバコフの並々ならぬ自信が伺えます。タバコフといえば、廉価盤としてはもったいないくらいの濃密な内容を誇るマーラーの交響曲全集が忘れられませんが、このショスタコーヴィチは、最初の数秒を聴いただけでそれを超える全集になることを予感させます。
まず驚くのが、ブルガリア国立放送響の合奏精度の高さと、第1楽章のファゴットやハープのソロでも明らかなように、個々の奏者の表現センスの高さ。ヴィルトゥオジティを目指さず、全員が主体的な表現を行いつつ見事な一体感を形成。そこへ、音楽の内実を余すところなく引き出すタバコフの意思と職人的な造形力が加わり、極端な誇張を行わずとも絶大な説得力を持つ音楽として聴き手に迫ります。
 終楽章コーダのティンパニ連打に始まる大炸裂も、統制を利かせることでニュアンスが結実し、最後に消え入る余韻もなんと美しいことか!つくづくのこの曲がとんでもなく偉大であることを痛感させます。録音も極めて優秀。【湧々堂】

CYPRES
CYP-2618
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番 ユーリ・シモノフ(指)
ベルギー国立O

録音:1996年 デジタル・ライヴ
“決死の絶叫!鬼才シモノフが放つ真のショスタコ・サウンド!”
N響への客演でもお馴染みのシモノフが、全身全霊でショスタコの魂を代弁!無慈悲にリズムを叩きつけるだけでない多彩な表現は、まさに作曲者の屈折した心理そのものとして迫ります。第1楽章20:35以降のティンパニのトレモロに続く、身を引き裂くような雄叫びと、その後のマーチ主題の脱力。終楽章では、木管ソロの、人間くさい味わい、全曲中最大の山場での入魂の盛り上げ、コーダの、チェレスタの呟きと沈静化した弦の持続音の醸し出すピュアな佇まいなど、機能的な美しさとは無縁の生々しさです。シモノフが’94年以降音楽監督を務めたオケの反応も見事です。 【湧々堂】

ショスタコーヴィチ/SHOSTAKOVICH
交響曲第1番

ORFEO DOR
ORFEOR-819101
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」*
シーモア・リプキン(P)*
レナード・バーンスタイン(指)NYO

録音:1959年8月16日ザルツブルク・旧祝祭劇場(モノラル・ライヴ)[ORF収録]
 このショスタコーヴィチは、単にホットな演奏というだけでは済まない、使命感と命を掛けた壮絶な演奏!バーンスタインの大得意曲だけに、どんな演奏になるか大方の予想はつきますが、その安易な予想をバッサリとなぎ倒すようなの凄み!直後に行われたセッション録音と比べても、音の線の太さ、表情の濃密さ、説得力の大きさは段違いです。
 第1楽章の突入から気迫が尋常でなく、フレーズの末端に到るまで血の塊!弦の最高音域の身を切るような呻き、ピチカートの生々しさなど、その確信に満ち溢れたアプローチはとどまるところを知りません。
 第2楽章は皮肉よりも怒りが優り、幾分前のめりなテンポがその怒りに一層拍車を掛けます。
 第3楽章は、救済を夢る隙を与えない絶望の淵!9:33以降の頂点は、団員の全てが椅子に腰掛けたまま演奏しているとは思えないほどで、極限の絶叫が続きます。最後の締めくくり、ヴァイオリンのトレモロが続く中、やっと安息を得た至福の空気感とその呼吸の温かみも感動的!
 終楽章は完全弾丸モード!セッション録音では一種の躁状態にも聞こえなくもありませんが、この録音を聴くと、その超快速の意味は、決して祝典的な明るさではなく、人間の理性を崩壊させた「体制」への怒りの噴出として捉えていることがありありと伝わります。それにしてもなんという集中力!最後の一音まで破綻を見せず、バーンスタインの激情に応えるオケのアグレッシブなアンサンブルにも脱帽です。音質はモノラルながら良質。 【湧々堂】
RPO HYBRID
RPO-222874
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番、
祝典序曲
チャールズ・マッケラス(指)
ロイヤルPO

デジタル録音
“作曲者の苦悩をスコアから読み取った鬼気迫る名演!”
各声部を徹底的に見通しながら、スコアの奥に潜む心理的な葛藤まで抉り出した迫真の名演!第1楽章、ピアノが入る直前の暗い沈静とその後の重量級の進軍の対比は、本場指揮者も顔負け。第2楽章中間部で、一瞬クラリネットが超高音で絶叫する箇所をリアルに突出させるのも鮮烈。第3楽章は弦の各フレーズの第1音をその都度吟味しながら、涙を絞るように歌い尽くしてむせび泣き、最弱音の弦のトレモロに被さるクラリネット、フルートのソロは憂い一色。終楽章は驚異的なダイナミックスを実現するオケの巧さに息を呑み、打楽器の発言力も破格です。序曲も他の指揮者の出る幕なし。機能美大全開です!【湧々堂】

BMG
74321-24212
廃盤

82876-554932
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
「ハムレット」の音楽*
アンドレ・プレヴィン(指)LSO、
セレブリエール(指)ベルギーRSO*

ステレオ録音
“才気爆発!若き日のプレヴィンの凄まじい激情噴射!!”
レヴィンは「第5」を後年シカゴ響とも録音していますが、その無菌状態のきれいな演奏とは全く対照的に、ここではオケを縦横無尽に引っ張りまわし、生々しいドラマを展開しています。第2楽章など皮肉を通り越して怒りにまで達し、第3楽章は涙をびっしりと敷き詰めながら、凝縮力の強いフレージングを展開。最高潮時の峻厳な響きは、ムラヴィンスキーに迫る勢いです。終楽章は、全身全霊で大疾走しながら軽率さに陥らず、終始テンポの運び方がバーンスタインとそっくりなのが興味深いところです。セレブリエールもツボを心得た佳演。

ショスタコーヴィチ/SHOSTAKOVICH
交響曲第7番「レニングラード」

ALTO
ALC-1241
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」 コンスタンチン・イワーノフ(指)
ソヴィエト国立SO

録音:1962年ステレオ
※「西側」初出と表示あり。
 イワーノフらしい直截なダイナミズムに溢れた快演!しかもこの年代のソビエト録音としては非常に高音質。第1楽章はもちろん大迫力で押し通し、第2楽章はロシア的な憂いを浮かべつつも悲嘆に暮れずに音楽は常に推進力を持ち続けます。第3楽章は強烈な弦のユニゾンが無慈悲なほど押し寄せ、中間部はまさに野人の疾走。
 終楽章は、暗に作曲者が体制への批判を込めていることに囚われず、あくまでも勝利宣言として捉えていることがいよいよ明白に。その解釈の是非はともかく、隅々まで気合が注入され、ブレることのない表現意欲が確固たる説得力を生み出していること言えましょう。【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-00282
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプチヒRSO

録音:1972年(ステレオ・ライヴ)
“『証言』とは切り離して体感したい、ケーゲルの本気のショスタコ!”
 第1楽章は、速いテンポによる一気呵成の進軍で一貫し、リズムも終始沸き立ちっぱなし!中間部のマーチの高揚が進むにつれて、作曲者が意図したと思われる風刺を超え、怒りも通り越して、破滅的な喧騒で圧倒するに至ります。後半ヴァイオリンが奏でる第1主題の再現は、美しくも痛い響き。
 第2楽章も痛烈。中間の弦のピチカート以降は、歴史の非情な荒波に吸い込まれるのに対しての必死の抵抗として響き、それでもたどり着くのはいつも悲惨な現実…。その悲しい宿命に対する開き直りの様のような表情を漂わせつつコーダに向かいます。
 第3楽章は、人生と自然の讃歌と言われていますが、健康的な色合いはどこにもなく、郷愁と苛立ちの狭間で揺れる心情の熱い激白として胸に突き刺さります。
 終楽章コーダも、あまりにも残酷な勝利の響きに打ちのめされます。例の『証言』が世に出てからは、それを解釈にどう生かすかがよく議論されますが、それよりも何よりも、こうしてスコアから生々しいドラマを引き出し、聴き手のイマジネーションを刺激して、音楽として訴え掛けることの意義をこれほど痛感させられる演奏も少ないのではないでしょうか?録音も良好バランス。 【湧々堂】

ショスタコーヴィチ/SHOSTAKOVICH
交響曲第8番

WEITBLICK
SSS-0147
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調 Op.65 アルヴィド・ヤンソンス(指)
ベルリンRSO(旧東独)

録音:1981年11月11日ベルリン放送局大ホール1(ステレオ)
“悲劇に埋没せず、最後まで希望を携えた名解釈!”
 全体的に悲劇性だけを強調するのではなく、慈愛と希望の光をニュアンスに盛り込むことを主眼としているのが特徴的。第1楽章は、オケの精妙なアンサンブル力もあって第3主題以降の凶暴な音楽の内にも、凍てつくような恐怖のみならず、ハーモニーに人間的な温かみを宿しています。
 行進曲風のクライマックスでも明らかなように、体全体で音を放射しつつも、耳をつんざくような感覚的な刺激に頼らないので、地味に思われかねませんが、内実の熱さに是非耳を傾けてください。第2〜3楽章も鋭利な迫力とは対照的ですが、その分内面からニュアンスが間断なく滲み出てるので、思わず聴き入ってしまいます。そして終楽章コーダの響きの均衡を保った絶品の余韻!録音も極めて良質。【湧々堂】

BMG
74321-562582
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ジャン・ドミニク・ポネル(指)
ミンスク国立PO

録音:1996年 デジタル録音
グローバル・スタンダードなオーケストラによる演奏との意味合いを思い知る凄演!”
 この曲でムラヴィンスキー以上の名演というものがあるとは思えませんが、それとは違う意味で胸を締め付けられる演奏として、この「民衆の生々しい絶叫」を感じるポネル盤を忘れるわけにはいきません。
 第1楽章前半のショスタコ特有の静かなもがきには、洗練された美とは違う一途な祈りを感じ、小太鼓登場以降の激高も、決してオケの機能性に物を言わせるのではない素朴な叫びとして迫るので、刹那的な凄み溢れる演奏では感じ取ることができない、生々しい市民の心情を代弁するような切実さが伝わります。
 2、3楽章ともなると、ミンスクという都市が、幾度も戦争と占領を繰り返し受けてきたことへの怒りの全てをぶちまけているとしか思えないヴォルテージの高さに唖然とさせらます。
 第3楽章から第4楽章へ移行する箇所や、終楽章の8:02以降の異常なテンションは、オケ全員が集団自殺するかのような血生臭さで、壮絶という一言では片付けられません!ショスタコーヴィチは、なんという曲を遺してくれたことでしょう。ちなみに、ジャン・ドミニク・ポネルは、演出家ピエール・ポネルの息子。 【湧々堂】

ショスタコーヴィチ/SHOSTAKOVICH
交響曲第9番

ARTS
ASACD-476758
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番
交響曲第10番
オレク・カエターニ(指
)ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディSO

録音:2003年(第9番)、2002年(第10番)
“画期的解釈の連続!人間の本質を突いた『第9』!!”
 24bit-96kHzを売り物にした全集の第3弾。第1弾の5番&6番と第2弾の第7番は、以前のテラーク録音のような録音のせいか、シューマンやメンデルスゾーンで聴かれたカエターニ特有の翳りのある音色も、地底から湧き出るようなあの異様な迫力もやや後退していた残念でしたが、ここではカエターニ本来の重戦車を思わせる音の重みと、閃きに満ちた多彩な表情を完全にオケから引き出し、画期的なショスタコ像を鮮烈に印象づけています。
 第9番は、第1楽章から、曲自体の軽さと重心の低い足取りとのギャップが異様な空気を醸し出し、作曲家がこの曲へ込めた皮肉と葛藤、と言うより、怨念に近い音楽として迫って来ます。管楽器ソロ・パートに顕著な急激な強弱付加は呻き声そのもので、戦慄を禁じえません。いつもカエターニの演奏を聴くたびに、スコアの背後に隠れた核心部分をじりじりとあぶり出す才能が並外れていることに驚かされますが、この楽章などはまさにその典型でしょう。第2楽章も皮相な暗さに止まらず、孤独の極地。第3楽章の線の太い勇壮な進行、第4楽章の激烈トロンボーンと恐怖におののくファゴットのコントラストの妙も、決して小手先のものではありません。終楽章も特有の粘着質のリズムをベースにして懐の深い音楽が展開され、意地でも暗さを払拭しません。2:00からの弦の旋律が、弱音のレガートで奏される意味深さはどうでしょう!しかも、同旋律が2:37に発作的に威厳を纏って首をもたげるという、このコントラストの妙!この1分弱のニュアンスの移ろいには、何としてもお聴き逃しなく!その後、音楽はヒートアップしますが、5:02以降の行進曲に至っても陽気な開放感を退け、敗退ムード一色!その雰囲気を誇示するかのように、前代未聞のリタルダンドを掛けてから、やっとコーダという入念さです!
 「第10番」も素晴らしい!第1楽章の清明さと不安が入り混じったようなクラネットの主題が心に食い入り、フルートの第2主題以降は、まさに出口のない暗闇の中のもがきが絶叫に変わるまでの凄まじい情念の爆発が壮絶の一言ですが、壮大極まりない音響が芸術的なフォルムで迫るので、説得力も尋常ではありません。第2楽章は、ムラヴィンスキーの天上から降り注ぐ鋭さとは対照的に、独特の粘着リズムで地の底からスターリンを引き摺り下ろす怨念の噴射!第3楽章は憂いたっぷりのホルン・ソロが象徴するように、暗い放心の空気が濃密に漂います。終楽章では、序奏からアレグロに転じる直前の、暗さから脱しようとしながらも彷徨うしかない静かな苛立ちの色彩が意味深く迫り、アレグロの入ってからも、カラッとした楽観は見せず、独特のぬめりと厚みのある音圧で聴き手を揺さぶり続けます。コーダの神々しい響きもカエターニ・サウンドと呼ぶべき素晴らしいもので、最後のティンパニの強打がこれほど深みをもって打ち鳴らされたこともかつてあったでしょうか?【湧々堂】

ショスタコーヴィチ/SHOSTAKOVICH
交響曲第10番

URANIA
URN-22.272(2CD)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番、
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲、
ヴェルディ:「運命の力」序曲、
スカルコッタス:4つのギリシャの舞曲

ディミトリ・ミトロプーロス(指)NYO

録音:1955年10月1、2日,アテネでのライヴ
“完全なる狂気!異常高速3:35で爆走するショスタコ第2楽章!”
 ミトロプーロスの故郷のギリシャで行った凱旋ライヴ。とにかくショスタコーヴィチが凄すぎます!ミトロプーロスの人間離れした感性とのめり込みの激しさを知っているつもりでいても、こうまで全てのヴェールを取り外して激情をぶちまけられると、他の演奏では生ぬるくイライラししまうこと必定!アポロ的なダイナミズムの極致を行くのがムラヴィンスキーだとすれば、その対極で血肉まみれで徹底抗戦するのがミトロプーロス。しかもただ乱暴に突進するのではなく、根底で牽牛な構築の手綱を決して緩めないので、その突き刺すような音のパワーが尋常ではありません。
 第1楽章の冒頭動機は不安に慄くというより、いよいよ死闘に挑む秘めたる決意のよう。第2主題のフルートのどす黒い怨念も類例がありません。シンバルを伴ったトゥッティの痛々しい響きも壮絶の極み。第2楽章は、極太の響きで容赦なく荒れ狂い、完全にネジが外れた異常高速に思わず後ずさりする威力!当時のNYOの面々が決死の形相で弾き切っているのが目に浮かびます。第3楽章の副主題(1:04以降)は、完全に神経がヤラレテしまった人の怖い明るさに背筋が凍ります。
 終楽章は、序奏のオーボエ・ソロの感覚的な美しさを捨てきった露骨な悶絶、2:57の乾いたピチカートなど、夢も希望もない泥沼状態。そこから脳天気なアレグロ主題への入るまでの緊張も、通常の感性では支えきれルトは思えないほどです。コーダの威力も破格で、ホルンの抉りが利いた強奏と共に神がかり的な歓喜の雄叫びを上げるのです。
 「英雄」は特に終楽章の各変奏の微妙なテンポの変動の意味深さにご注目を!変奏と言えば、ブラームスでの各変奏が説明調に陥らず、人生の悲哀を込めぬいたドラマとして響くのにも驚愕。この曲にこれほどの重みを与えた例も、他に思い当たりません。
 スカルコッタスもお忘れなく!民族的なリズムと大管弦楽が咆哮しまくる激烈曲ですが、特に血が飛び散る勢いの終曲は必聴!
 録音も耳障りなノイズがなく、極めて優秀。但し、「運命の力」の6:29付近で、テープの傷みのせいか、一瞬音が飛びます。【湧々堂】



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