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協奏曲B〜ベートーヴェン


レーベルと品番、ジャケット写真は管理人が所有しているものに拠っていますので、現役盤と異なる場合があります。



ベートーヴェン/BEETHOVEN

ORFEO
ORFEOR-647053(3CD)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集
(第1番、第2番、第3番*、第4番*、第5番「皇帝」#)
合唱幻想曲#
ルドルフ・ゼルキン(P)、
ラファエル・クーベリック(指)バイエルンRSO,
バイエルン放送cho

録音:1977年10月5日、1977年11月4日*、1977年10月30日#
“全集としての完成度、燃焼度の頂点を極めた壮絶セット!”
クーベリックの指揮、録音年代などの条件から、聴く前からとてつもない名演であることは想像できますが、丹念に聴けば聴くほど尋常ならざる感動に襲われることはもちろんのこと、、こんな名演を後世に遺してくれたになんと感謝したらよいのか言葉が見当たりません。とにかくここにはゼルキン74歳の絶頂期の神々しい名演がぎっしり!「第1番」は瑞々しいリズムの躍動が隅々にまで浸透。モーツァルトを思わせる可憐さ兼ね備えながら、あおくまでも音楽の芯は強固に保って豊に音楽が流れます。その好例が第2楽章で、まろやかな詩情を湛えながらも毅然とした精神が音楽の核となっているのが感じ取れます。終楽章は、冒頭の慈しみように開始するのが意外で、全体的にもノリノリで突っ走ることを厳に戒め、格調を維持しています。「第2番」は一層音楽が伸びやかになるとともに、ニュアンスの陰影も濃くなります。クーベリックと完全に価値観を共有しながら音楽全体のイメージを明確に確定付けていることが窺えます。終楽章のさり気ないアクセントを伴うフレージングの推進力はまさにゼルキンの面目躍如。第2主題の決して媚びない語りの妙はこれぞ名人芸!「第3番」はまず冒頭、オケによる長い導入部に感動!かくも微に入り細に入り思いを込めた演奏は類例を知らず改めてクーベリックの芸の奥深さを痛感。そしてピアノが入るとさらに感動に拍車がかかります。最初のテーマが大きな弧を描きつつ持ち前の強靭なタッチで音楽をさらにギュッと凝縮させるのです。ただトリルを繰り返している箇所や、音階で下るだけのシーンなど、通常気にも留めない箇所でいちいちハッとさせられる演奏が他にいくつあるでしょうか?7:38以降での「ベートーヴェンならではの悲壮感」がじわじわ滲む様にも御注目も。なんでもシーンません。第2楽章はより陶酔的な雰囲気を出した演奏もありますが、そこへ陥りすぎることを回避しながら(、常に先に待ち受ける光一点を見つめる清々しい心意気が印象的。したがってどんなに歌っても。決してショパンのような響きにはならないのです。終楽章は、同レーベルのギレリス&セルの恐ろしく強固な名演と双璧の味わい深さ!クラリネット・ソロから長調に転じる3:41から再び短調に戻るまでの瞬間は、まさに奇跡的なニュアンスの連続。さらに凄いのが「第4番」!これはゼルキンが遺した同曲最高の演奏であるばかりか、あまたの名演はと明らかに一線を画す別次元の名演と呼ぶしかありません!聴き所を挙げたらきりがありませんが、弱音での囁がウエットにならず、「心の軋み」をそのまま音価したようなリアルの情感が音の全てに投影されているそんなピアニズムは滅多に耳にすることが出来ないものですし、10:47のように惜しげもなく強音を打ち鳴らすことに象徴されるように、意思の力も並大抵ではありません。しかもそのような強靭な姿勢が決して高圧的なものではなく、ヒューマンなぬくもりと共に聴き手に迫るので、音楽がこれほどまで豊穣に実るのでしょう。オケの攻撃とは裏腹にピアノが切々と独白する独特の楽想を持つ第2楽章は、短いアーティキュレーションで息も絶え絶えといった風情で演奏する場合が多いですが、ここでもゼルキンの大きく息の長いフレージングはどうでしょう!息が長いどころか、楽章全体を一呼吸でフレージングさせているとさえ言いたいほど、隙間なく音楽が充満しているのをお感じいただけると思います。終楽章はもちろん圧巻で、内面で音楽が飽和状態まで燃焼し尽くされています。クーベリックの指揮はここでも単なる伴奏に甘んじていません。「皇帝」は恰幅の良いお爺さんさんのようなそれではなく、バーンスタインとの共演盤ほどではないにせよ推進力を湛えた名演奏。第1楽章のカデンツァの一発勝負的、度胸満点な切り込みはまさに狼!終結は空駆ける天馬の勢い!終楽章は全身を揺さぶるリズムの弾力に思わず身じろぐほど。後半8分以降は白熱の極み!!「今の若い人は技術に走りがち」とよく言われましたが、昨今ではまだ30代でありながら老人のような演奏をする人が散見されるのはどうしたことでしょう?そんな人たちにはこの演奏から発射される強烈な電流を全身に浴び、「夢中になること」を知ってから出直して欲しいと願わずにはいられません。

BERLIN CLASSICS
BC-0283(10CD)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集
 ピアノと管弦楽の為のロンド、
ハイドン:ピアノ協奏曲 Hob.XVIII11&4、
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番、
ストラヴィンスキー:ピアノと管弦楽の為のカプリッチョ、
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全曲、
 パガニーニの主題による狂詩曲、
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、
シューマン:ピアノ協奏曲、
 序奏とアレグロ・アパッショナート、序奏とアレグロ Op.134、
ウェーバー:ピアノ協奏曲第1&2番、
 コンツェルト・シュトゥック Op.79 
ペーター・レーゼル(P)、フロール(指)ベルリンSO[ベートーヴェン]、
ヘルビッヒ(指)ベルリンSO[ハイドン]、
ボンガルツ(指)ライプツィヒRSO[プロコフィエフ]、
ケーゲル(指)ドレスデンPO[ストラヴィンスキー]、
ザンデルリンク(指)ベルリンSO[ラフマニノフ]、
マズア(指)ライプツィヒ・ゲヴァントハウスO[チャイコフスキー&シューマン]、
ブロムシュテット(指)シュターツカペレ・ドレスデン[ウェーバー]

録音:全てステレオ
“全5曲のあるべき姿をくっきりと浮かび上がらせた画期的名演!”
このベートーヴェンの第1印象は地味!こちらから積極的に聴き入る姿勢を示さない限り、その渋いニュアンスはどんどん過ぎ去ってしまいます。ちょうどシューリヒトの演奏のように…。レーゼルはテクニックもタッチも精妙を極めながら、そのことを聴き手に気付かせず、オケの楽器の一部としてのスタンスを崩さないのです。第1番はモーツァルト的なニュアンスを重視し、ダイナミックスを控えめにした繊細さな表現が印象的。第1楽章展開部の水墨画を思わせるモノクロの色彩で一貫したタッチが、緩やかな流線型を描くフレーズは、噛みしめるほどにむほどに味わいが広がります。終楽章も痛快さを徹底回避し、慈しみのタッチで一貫。第3番では、ベートーヴェンらしい剛直さを加味しますが、第1楽章冒頭の絶妙な間合い、タッチの吟味に象徴されるように、詩的なニュアンスを重視。第1楽章のカデンツァでは、今まで控えめに抑えていた表現の振幅力を一気に拡張し、レーゼルの魅力が大全開!強靭なフォルティッシモもここで初めて登場しますが、音を割らず格調高い空気がじんわりと広がります。ピアノ自体に語らせた第2楽章も絶品。終楽章の1:33からのフレーズがこれほど美しい演奏も稀です!そんなレーゼルのピアニズムと更に絶妙な相性なのが第4番!第2楽章の一見淡々としたフレージングは、孤独の戦慄ではなく、ひたむきな祈り。「皇帝」は、曲が男性的な力感に溢れている分、レーゼルのタッチの美しさがかえって際立ち、鍵盤を叩かずに奏でることを知り尽くしたピアニストだけの究極芸をとことん堪能できます。ダイナミックスの幅もグッと広がりますが、第1楽章6:52の高音のフォルティッシモに驚愕!その強健さと硬質な輝きはだの4曲のどこでも見せなかった威力!!しかも全体は、丹念に織り上げた織物のような風合いに満ちているのです!終楽章の主題の強弱の完璧なメリハリ感、リズムの高潔さにも唖然。渋さ、繊細さ、美しさ、奥深さと、あらゆるニュアンスを絶妙に織り込んだレーゼルのタッチの魅力に気付いたら最後、ちょと抜け出せないかもしれません。 


Bel Air Music
BAM-2005
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番、
ピアノ・ソナタ第3番
ワレリー・グロホフスキー(P)、
クリストファー・ウィルキンス(指)モスクワRSO

録音:2001年
“あまりにも予想外!普遍的価値を誇る信じ難い名演奏!”
グロホフスキは、1960年モスクワ生まれ。グネーシン音楽院出身。このCDは心して鑑賞していただきたい一枚です。まずは協奏曲第1番。これは誤解を恐れず超名演奏と断言せずにはいられません!バックハウスの名演もゼルキンの名演も、あくまでもバックハウスやゼルキンのそれであって、ただただ作品そのもの真髄のみだけが浮上する普遍的価値という点では、それらの巨匠よりも上とあえて申しあげたい。それほど素晴らしいのです。第1楽章のピアノの最初の出だし、タッチの選択の趣味の良さ、丹念なフレージングを十分に感じ取ってください。しかしこれだけなら凡百の演奏と変わらないですが、3:33のように何でもない装飾音にまで心を通わせる細やかな感性!これが演奏全体に一貫しており、その結果、音楽が小さくまとまって終わりという演奏とは異なる味わいを確実なものにしてくれているのです。発せられる音が常に内面に向かい、各シーンに相応しいニュアンスが選択すると行為をここまで徹底させている演奏は、古今を通じて耳にしたことがありません。第2楽章でももちろんそのスタンスは変わらず、深い瞑想の空気に引き付けて止みません。中でも涙を禁じえないのは8:08からの延々と続くトリルの切ない語り掛け!これに匹敵する演奏が他にあれば是非ご教示いただきたいものです。終楽章は愉悦感を十分に出しながらも、持ち前のデリカシーが作品に陰影を与えており、これまた味わい満点。ウィルキンスの指揮がこれまた絶品。単なる伴奏に徹するのではなく、十分に発言しながらも、ピアノのニュアンスを際立たせる為に貢献するというまさに理想的なもの。
ピアノ・ソナタは、別人かと思うほど豪放なピアニズムに変貌。しかしその強靭さも決して自己顕示の結果によるものではなく、若きベートーヴェンの向こう見ずな直情をストレートに反映させ切った結果。第1楽章展開部の立体的な声部の湧き立ちには手に汗握り、瞑想に深く沈みこみ過ぎない第2楽章も、全体像を捉えた上での深い見識を感じさせます。終楽章は何と深い呼吸!細部への配慮と全体を大きく構築する力量とを同時に兼ね備えるグロホフスキー。本当にとてつもない逸材です!


ORFEO
ORFEOR-271921
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番、
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
*
ゲザ・アンダ(P)、
クーベリック(指)バイエルンRSO

録音:1968年(ステレオ・ライヴ)、1962年*(モノラル・ライヴ)
“名コンビによる魂を込め抜いた熱きフレージングの連続!”
ベートーヴェンが実に画期的!モーツァルトの影を感じさせず、ベートーヴェンならではの強靭な意志が漲っています。潔癖な打鍵、インテンポの中に詩的な表情を込める技量もさることながら、終楽章の冒頭主題の結尾でディミヌエンドを効かせるなど、各フレーズに明確な輪郭を与えるのは、アンダ特有の最も魅力的な一面でしょう。一方ブラームスは、タッチがよりブリリアントに変貌し、ヴィルトゥオーゾぶりを大発揮。第1楽章展開部の最後(7'57)の高音トレモロはまさに命がけ!こちらはモノラルですが、そのハンディを全く感じさせないほど、アンダのピアニズムを如実に伝えています。クーベリックの指揮も実に壮大!

SONY
5033872
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番、
ピアノ協奏曲第4番
ロベール・カサドシュ(P)、
エドゥワルド・ヴァン・ベイヌム(指)ACO

録音:1959年(ステレオ)
“オケとの絶妙なコンビネーションが、カサドシュのタッチを引き立てます!”
「第1番」は、まずベイヌムの引き出す格調の高さと、当時のコンセルトヘボウ管の音楽味満点の響きに釘付け!テンポも優雅そのもので、そこへ滑り込むカサドシュのピアノが、あのモーツァルトで見せた珠のようなタッチで慈愛のニュアンスを更に広げます。第1楽章第2主題は、まさにカサドシュのために書かれたような一体感が魅力で、全く肩に力を込めずに指先から自然に紡ぎ出される愛くるしい語りかけがたまりません!カサドシュ自作のカデンツァも魅惑的。第2楽章は、ベイヌムの描く透明度の高い音像と温かにきらめくカサドシュのタッチが見事なコントラストが聴きもの。テンポ自体がしっかり引き締まっているので、音楽が一切水っぽくなっていないのも特筆に価します。終楽章は第2主題のカサドシュの飛び込み方が衝撃的!それまで保持していたまろやかタッチから一変して決然とした意思を込めた打鍵に変貌し、この直後、オケの木管ソロの絡み合いから生まれるニュアンスも印象的。力みを感じさせずに根源的な活力を湧き上がらせている点も全く見事。
「第4番」でも、最初はジョージ・セル的な高潔さを見せるベイヌムの指揮に引きつけられます。第1楽章では7:40からのペダルを抑制した訥々としたピアノの駆け上がりと、その背後で各声部が緊密に連携を取り合っているオケのニュアンスの見事なこと!是非耳をそば立ててご注目を!第2楽章は第1番同様、伴奏の強固さが、カサドシュの真珠のようにきらめくタッチを一層引き立てています。非常に短いながら闊達な表情を持つカデンツァも魅力!なお、この録音は、カサドシュのパリでの演奏会に先立って急遽録音さたもので、なんとその二日後にはその演奏会場でレコードが売られたというスピード発売記録を作った盤としても有名。そのせいか、第4番終楽章で、一箇所ホルンが音を外しています。フィリップスのアメリカでの発売がコロムビア系のエピックであった関係から実現した企画でした。


EMI
5726802[cfp]
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番、第4番 ジョン・リル(P)、
アレクサンダー・ギブソン(指)
スコティッシュ・ナショナルO

録音:1975年 ステレオ
“ピアニストのセンスを露呈する2曲で見せつけたリルの驚異!”
まず印象的なのが、第2番でのギブソンの指揮の充実ぶり!モーツァルト風の軽妙なテクスチュアは何の変哲もないようでいて、夢をたっぷり抱いたニュアンスが心を捉えます。リルのピアノはストレートですが、第1番展開部で顕著なように、タッチそのものが洗練され、音楽的に決して上滑りしない確かな手応えを残します。第2楽章の息の長いフレージングは白眉!リルもギブソンも共に慈愛を込めながら雰囲気に溺れず、確実に前を見据えて内容豊かな音楽を繰り広げます。終楽章は気品と躍動感の融合が見事。第1副主題結尾に漂う微妙な翳りを是非お聴き逃しなく!2:17からの第2副主題の以降のオケとピアノの緊密な連携の鮮やかさと、古典様式の美しさを湛える緊張感が絶妙!先人の影響とベートーヴェン自身の個性の狭間で揺れる音楽性を的確に再現した演奏として忘れるわけにいきません。そうなると第4番も当然期待されますが、結果は予想以上の感銘度!女性的とか内省的といった特質をしっかり生かしてはいますが、それに固執しすぎて音楽が羽ばたかない演奏が多い中で、柔和な表情の中に程よい緊張を敷き詰めた演奏は希少価値。7:55からの暗い情感を透徹のタッチとギブソンの伴奏(特に低弦の生かし方!)が渾然一体となって築く数分間は、賞賛し尽くせない魅力の宝庫!ピアニストの弱音のセンスが問われる第2楽章は、音量自体はオケに埋没する寸前まで抑えながら、それによって逆に存在感をキラッと光らせる手法が素晴らしく、後半のトリルでやっと生気を取り戻す設計力にも唖然!この録音時点で、リルがチャイコフスキー・コンクール優勝してから5年しか経っていないということを考えると、パワーで逃げ切ることのできない2曲において、この揺るぎないバランス感覚と深い音楽性を示しているということは驚異です!


Treasures
TRE-316(1CDR)
ハンゼン/ベートーヴェン:ピアノ協奏曲集
ピアノ協奏曲第1番ハ長調 Op. 15*
ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op. 37
コンラート・ハンゼン(P)、
ハインツ・ワルベルク*、イシュトヴァン・ケルテス(指)
バンベルクSO、

録音:1960年頃(共にステレオ)
※音源:独OPERA St-3959*、St-3919
◎収録時間:69:16
“小手先の演出とは無縁のドイツ・ピアニズムの真髄!”
■音源について
2曲とも10インチの初期ステレオ盤を使用。

★1906年ドイツ生まれでE・フィッシャー門下、フルトヴェングラーとの競演でも知られるハンゼンの芸風をとことん堪能できる貴重なステレオ録音。珠を転がすようなタッチから深みとコクを湛えた風情が滲み、ピアニッシモでも音楽自体を脆弱にせず、一本芯の通った精神的な逞しさを絶やさないのは、リヒター・ハーザーなどとも共通する特質です。
 第1番、第1楽章は楽想の可憐さをと古典美を湛えた演奏。第3番と共にハンゼン自身の作によるカデンツァが使用されていますがこれが実に素晴らしく、他のピアニストにも是非採用して欲しい力作。第2楽章は情に溺れず、強弱対比も控えめに淡々と進行しているようでいて、そこにはモーツァルト的な柔和な光が常に付随。特に5:40以降の弦のピチカートと共に進行するフレーズの幸福感、6:42以降のトリルの慈しみ方は、例えようもない余韻を残します。近年ではまるで速さを競うかのような演奏が多い終楽章は、まずそのテンポに膝を打ちます!このテンポだからこそベヒシュタインと思われる楽器の馥郁とした雰囲気も十分に揮されたと言えましょう。
 第3番の第1楽章は、第2主題に入ると柔和な表情に転じる演奏が多いですが、ここでは明快なタッチを崩さず全く媚びるそぶりを見せず男っぽさ満点!第2楽章も強弱の振幅を意図的に操作する印象を与えない朴訥な進行がかえって心を打ちます。装飾音やトリルは決して軽く滑らすのではなく、音の粒の一つ一つが芯から響いているのです。終楽章はもっとスポーティな演奏はいくらでもありますが、この筋金入りとしかいいようなない頑丈な構築感は何度聴いても見事。一見ぶっきらぼうとも言える1:56〜1:58のフレーズの締めくくり方は、ドイツの心意気丸出し!更に感動的なのは5:01からのまろやかなタッチに彩られた夢のようなロマン性!全く力みがなく指が勝手に動いているような自然な音楽の律動感が美しさの極み!この箇所でこんなに心奪われたことはありません。メカニックな痛快さはどこにもありませんが、逆にその技巧を武器にしない渋いピアニズムの奥底のある息遣いを是非感じていただきたいと思います。
 2人の指揮者との競演も盤石。派手さとは対極にあるハンゼンのピアニズムを見事に引き立たせつつも、オケの持つ木目調の風合いとも相まって自然な構築美を築き上げています。【2024年6月・湧々堂】


Hanssler(SWR)
93-056
ギーレン生誕75年記念・分売1
ベートーヴェン:交響曲第8番、
ピアノ協奏曲第3番*、
大フーガ(ギーレン編)#
ミヒャエル・ギーレン(指)南西ドイツRSO
ステファン・リトウィン(P)

録音:2001年1月21-22日、1994年4月20日*、1993年10月9日#
“鬼才リトウィンがギーレンと共謀した感動的確信犯!”
このCDのメインはもちろんギーレンの「第8交響曲」ですが、驚くべき名演はピアノ協奏曲
ステファン・リトウィンは1960年生まれ。現代音楽を得意とし、ギーレンとの共演も多いので両者のコンビネーションは絶妙。しかも互いの主張が強固に合致したことを裏付ける緊張感が尋常ではなく、解釈自体の新鮮さもさることながら、誰にも邪魔させないという盤石の表現意欲に圧倒されまくります!
第1楽章冒頭のオケの導入から異様な緊張感。と言うより殺気立った気迫に唖然。それに続いて、リトウィンのピアノはペダルを抑制したドライなタッチで突入。しかし音楽の精神まで乾いた無機質な響きではなく、むしろその配慮によって赤裸々にベートーヴェンの孤高の魂が浮上します。テンポもかなり速めですが、そのテンポならではの緊張感がまた見事で、第2主題など呆気無く通過するようでいて心の奥底で確実に音楽を感じていることが結晶化されたタッチから感じ取ることができます。6:56からの主題の奏で方も外見上はポーカーフェイス。しかし内面では赤々と主張が燃えたぎっています。それと同時に、弦が奏でるリズムが静かな緊張をメラメラと敷き詰めている点にもご注目。7:56から弱音で跳躍するタッチは極限まで研磨された美しさながら、背後では悪魔が囁くような不気味さ。カデンツァでは、強弱配分の含蓄の豊かさ、全く緊張が途切れないフレージングの持久性といった古今の名盤と比較しても傑出した魅力に、この演奏の歴史的な価値を確信するに至ります。
第2楽章はタッチの質とペダリングへのこだわりが更に顕著となり、陶酔的な安らぎのみならず、各楽想に相応しいニュアンスが新鮮な息吹をたたえながら浮かび上がります。
終楽章は、意外にもやや遅めのテンポ。ここでも精緻なアーティキュレーションのセンスを携えながら、教条的な雰囲気を与えずに、音楽のあるべき美しさのみが導き出されて心に染み、何よりもこれだけ細部にわたってこだわりを見せながら、音楽が小さくまとまることがないというのも驚異です!
交響曲第8番は、特に終楽章後半の声部の解像度が空前絶後。大フーガは、猟奇的な響きがいかにもギーレン的。 【湧々堂 120417】


MERIDIAN
CDE-84494
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調Hob XVIII:11
*
フー・ツォン(P、指揮*)、
イェルジ・スウォボダ(指)
シンフォニア・ヴァルソヴィア

録音:1989年(デジタル)
“ショパンの「夜想曲集」と並ぶ、フー・ツォンの感動作!”
以前ビクターの国内盤でも発売されたことのある名盤。フー・ツォンの録音の中で、ショパンの夜想曲集と並び、心の深部に食い入ってくる破格の名演奏です!ベートーヴェンは第1楽章のテンポの遅さにまずビックリ!瞑想と憧れが入り混じる不思議なニュアンスをそのテンポにたっぷり注入し、音楽が弛緩することなく、現実離れした美しい空間に聴き手を誘います。しかし、曖昧模糊とした雰囲気はどこにもなく、強固に結晶化されたタッチを終止維持し、音楽に艶やかさと造形美をもたらしているので、その魅力はあまりにも絶大です。中間で短調に転じてからの彫琢の豊かさが、カデンツァに入ると更に神々しい風格に変貌し、まさに打鍵の全てからオーラが発せられているとしか思えません。風格拡張、構築性艶やかなこと!コーダ(21:04〜)ではメゾ・フォルテでタッチの輪郭を明確に打ち出し、木管の合いの手に優しく受け渡すのをはじめとして、タッチの変化の使い分けの妙に唖然!これ以上タッチの色彩を吟味し尽くすのは不可能でしょう。フー・ツォン特有の瞑想のピアニオズムが惜しげもなく投入された第2楽章も感動的。ピアノはオケの力強い応酬から全く隔絶した世界で孤高を貫き、最後にはオケをその世界に自然に招き入れながら共に沈静していく、その両者の力関係、距離感の絶妙なバランスは、奇跡的とさえいえます。ベートーヴェンは何と素晴らしい音楽を残してくれことでしょう!終楽章も通常よりも遅いテンポを貫きますが、最初に登場するピアノの速いパッセージは珠を転がすような甘美な美しさ!この部分の美しさは古今を通じて並ぶものがないのではないでしょうか。副主題の弱音の美しさと、その中でもアクセントを確実に盛り込んで音楽をキリッと立ち上がらせる配慮も聴きもの。最後のカデンツァでは男性的な風格と呼吸の大きさに圧倒されると共に、フィー・ツォンが美しいフォルティッシモを奏でられる系名ピアニストであることもの実に示しています。スウォボダの指揮がまた見事で、まるでフー・ツォンが弾き振りしているかのように、ピアノの表現と完全に合致したニュアンスを堅実に盛り込んでいます。一方、弾き振りのハイドンも聴き逃せません!この曲の楽しさを優しく解きほぐして聴き手に届け、自ら楽しみながら華やいだ雰囲気を醸し出す様は、ベートーヴェンのときとはまるで別人!第1楽章は誰にも止められない音楽の湧き立ち方、リズムの生命感に圧倒されっぱなしです。6:04からの強靭なクレッシェンドとフレージングの持久力は、こじんまりしたハイドンのイメージを一気に払拭!第2楽章も完全に心を開放した晴れやかなに溢れ、この作品の魅力をも改めて気付かされます。終楽章はあまりの楽しさに目が回るほど!トリルを伴う音の跳ね上げの何と人なつっこいこと!!アルゲリッチの録音が有名ですが、この曲をかつて聴いたことがない方も、これを聴けば驚すること請け合い!


Audite
95.459
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
クリフォード・カーゾン(P)、
クーベリック(指)バイエルンRSO

録音:1997年 ステレオ・ライヴ録音
“壮絶な没入!強靭タッチで完全燃焼するカーゾン!”
カーゾンの広大なレンジを誇る独自のピアニズムを実感できる超名演です!「第4」は、冒頭の温かな語り掛けからうっとり。第2楽章は、誰もが期待する以上の幻想的なピアニッシモに息を呑みます。「皇帝」は更に感動的で、全ての音が意味深く鳴っているだけでなく、ふくよかなニュアンスが泉のごとく湧き上がります。第1楽章コーダの輝かしさと気品溢れるタッチの威力に呆然。終楽章の冒頭のアクセントの華麗さも鳥肌モノです!また、クーベリックの伴奏もこの上なく絶妙で、その核心に迫ろうとする意志力がカーゾンの音作りと完全に渾然一体となり、まさに協奏曲の究極のあり方を示しています。


TESTAMENT
SBT-1095
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
エミール・ギレリス(P)、レオポルド・ルートヴィヒ(指)フィルハーモニアO

録音:1957年(ステレオ)
“ギレリス壮年期の結晶化しきった珠玉のタッチの宝庫!”
ギレリスの「鋼鉄のタッチ」やストイックな重みになじめなかった方も、これにはうっとり聴き言ってしまうこと必至でしょう。特に第4番は、冒頭から純真で夢のようなタッチからチャーミングなニュアンスがこぼれるのにハッとさせられ、第2楽章では、この世のものとは思えぬ陶酔的なタッチに息を呑みます。あのリパッティを思わせる、あらゆる音楽要素を凝縮しつくした至高のタッチとフレージングの美しさは、10年後のセルとの再録音では、なぜか影を潜めてしまいます。


TESTAMENT
SBT-1299
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ハンス・リヒター・ハーザー(P)、
イシュトヴァン・ケルテス(指)フィルハーモニアO

録音:1962年、1961年(共にステレオ)
“決して聴き逃してはならない、純ドイツ産ピアニズムの威光!!”
剛直さの中にも、硬質でブリリアントな光沢を誇るタッチが、縦横無尽に敷き詰められた名演!スコアの背後の音楽の核心を全て抽出しようとする一途な集中力、そこから広がる凝縮力の強い構築が、得も言われぬ感動を誘います。第4番の第2楽章では、淡々としながらもタッチの光りを失わず、独特の幻想性を現出。終楽章冒頭のピアノの出だしでも、全く力みを感じさせずに、真珠のように風合いの音を醸し出し、1:23では、突如強健な打鍵でメリハリをつけるという入念さ!「皇帝」にも、そんなリヒター・ハーザーの魅力が100%盛り込まれていて、ケルテスの壮大な指揮と共に、絢爛豪華なドラマを打ち立てています。フォルティッシモの強靭さから、ピアニッシモでの朝露のようなきらめきまで、無意味に鳴っている箇所が皆無。この曲は彼のために存在する、と言わずにいられません!「音そのものが音楽的」というピアニストが何人いるでしょうか?一方のケルテスも負けていません!持てる感性の全てをぶちまけ、「皇帝」第1楽章のピチカートの躍動、コーダでの金管の伸びなど、惜しげもなく生命力を誇示しており、オケの部分を聴くだけでも相当な手応えです。


MUSICAPHON
M-56845(2CD)
コンラート・ハンゼン/ベートーヴェン&ブラームス
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」*
 ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調+
 ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調#
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番 ト短調**
 ピアノ・ソナタ第3番 ヘ短調++
 間奏曲 ロ短調 Op.119-1
コンラート・ハンゼン(P)
カール・ベーム(指)RIAS響*
ハンゼン・トリオ**
【エーリヒ・レーン(Vn)
アルトゥール・トレスター(Vc)】
エルンスト・ドペリッツ(Va)**

録音:1952年4月10日*、1952年11月26日#、1953年5月22日(+)、1959年6月1日**、1960年7月18日++、1965年4月21日##、(全てモノラル)
“コンラート・ハンゼンの、強固な精神と肉体の一体化!”
E・フィッシャー門下で、メンゲルベルクやフルトヴェングラーとの競演で知られるハンセンの深味のある芸術を徹底的に堪能できるお得な2枚組。1曲も愚演なし!しかも放送録音中心で、どれも音質も良好。晩年は教育者としての活動が中心となりましたが、その演奏は決してアカデミズムを全面に出した窮屈なものではなく、また「ドイツ的な渋さ」という一言で片付けられない独自の美学がどの録音を聴いてもからも感じられるのは、精神的にも肉体的にも強靭さを顕示していた証しでしょう。
特徴的なのは何と言ってもタッチの高潔さ。リヒター=ハーザーにも似た克明な隈取りに彩られたタッチは、強弱を問わず最も美しく響くポイントを瞬時に捉えたものばかりで、それが豊かなフレージングと一体化した時の音楽の広がり方は、例えようもない魅力です。
ベートーヴェンの「皇帝」にはそんなハンセンの魅力の全てが凝縮されており、ベームの毅然とした指揮と共に抜群の説得力を誇ります。第1楽章の導入部は何の衒いも見せずにこの存在感!そして5:53から6:08までの、揺るぎないインテンポの中で光彩を放つタッチの素晴らしいこと!外から鍵盤を制圧するのではなく、内面から威厳に満ちたニュアンスを引き出すハンセンの面目躍如たる瞬間です。10:30から、微妙にテンポの緩急を交えながら、絶妙な間合いと驚異的な息の長いフレージングを見せている点にもご注目を。第2楽章も第1音から美しさが尋常ではなく、そのタッチは、揺るぎない意志に根ざしたテンポとフレーズにってその魅力を開花させていることを痛感させ、雰囲気に流れる瞬間など皆無なのです。終楽章は感動の極み!まず、頑固一徹の遅いテンポ自体にノックアウト。しかも高貴な雰囲気に溢れ、ベームも完全に音楽性を共有しているので説得力は破格。やはり「皇帝」はこうでなくては!という思いを新たにすることしきりです。8:35からのペダルを抑えたタッチ味わい、その後のトリルの煌きにも言葉を失います。
2つのソナタも絶品。「第5番」の第1楽章第1主題の光彩陸離たる推進力は、ハンセンの音楽が精神と肉体が完全に連動した上に築かれていることを確信させ、最後の一音まで緊張の意図が寸分も途絶えないのです。第2楽章では歌のセンスに脱帽。中間部の急速な下降音型の鮮やかさは比類なく、最弱音でもタッチの煌きが失せることはありません。聴き手に緊張を強いるのではなく、自身のピアニズムの中に精神的な熱さを凝縮し、ひたすら音楽のあるべき姿を再現するハンセンのピアニズムは、「第32番」は更に深化。第1楽章冒頭の決然とした威厳に圧倒されない人がいるでしょうか?第2楽章第3変奏のジャズ的なリズムも、推進力は確保しながら付点リズムに軽々に乗るのでななく、精神的な厳しい制御によって音楽の風格美も維持されています。
ブラームスになると、タッチの牽牛さはそのままに、内省的なニュアンスに比重をおいたアプローチに変化。第3ソナタは、もっと作品のゴツゴツした造型を強調した演奏もありますが、そこを際立たせるよりも弱音のニュアンスに奥行きをもたせている点が特徴的。特に第1楽章の展開部で、そのことを顕著に感じさせます。詩的な第2楽章は過度に甘美にならず、まさに等身大のブラームスのときめきを反映しているかのよう。2:46からの瞑想的な美しさと人肌の温もり、はにかむような表情は、ブラームスならではのロマンと言えましょう。終楽章でも音を放射せず、中低域をベースにした安定感は最後まで盤石。
忘れてならないのがピアノ四重奏曲!ハンセン・トリオとして他にも録音が残されており、ヴァイオリンのレーンとチャロのドペリッツは共に1945年までベルリン・フィルの主席を務め、共に戦後は北ドイツ放送響へ移籍。それだけでも絆の強さを思い知らされますが、演奏がそれを反映した素晴らしさ!各奏者が作品の持ち味を噛み締めると同時に、ニュアンスを共有する距離感が絶妙で、誰がどのパートを弾いているということを聴き手に意識させないほど、音楽が自然に息づくのです。全体のトーンはハンセンのピアノが核になっていますが、第1楽章第2主題に象徴されるように、呼吸の一体感とフレーズの律動まで共有した豊かな流れは心を揺さぶります。第3楽章の弦楽器のユニゾンから滲に出る広大さ、変化する楽想への機敏な対応が素晴らしく、行進曲風の剛直な音像の打ち立て方にも圧倒されます。終楽章はまずテンポの選択が絶妙!昨今は、速いテンポが似合う作品はより速く演奏することが流行っている気がしてならないのですが、ここでのテンポは、各奏者が発した音を確認し合いながら音楽を展開させる上で不可欠であることを痛感させます。第2副主題後の哀愁満点のフレーズ(3:32)は白眉!ポルタメントも交えて切々と歌いますが少しも古さを感じさせず、音彩の美しさと共にむしろピュアな情感が際立って泣かせます!そして安易な感情の煽りに走らず、腰を据えたまま音楽を灼熱の頂点まで牽引するコーダの感度的なこと!
これはハンセンのピアニズムのみならず、全てのドイツ音楽ファンに訴えたい名盤です! 【湧々堂】


COLOSSEUM
COL-9036.2(1CD)
取り扱い停止
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
 交響曲第6番ヘ長調「田園」Op.68
オリヴァー・トリーンドル(P)
アレグザンダー・シェリー(指)
ニュルンベルクSO

録音:2010年5月25日、スメタナ・ホール・ライヴ
“ガッツ満点!理屈抜きで痛快な皇帝の中の皇帝!”
ピアニスト・指揮者のハワード・シェリーの息子、アレクサンダー・シェリーの「田園」は、素直な流れを大切にした瑞々しい。特に衒いを一切見せずに目の詰んだ表情に富んだ第2楽章は、アンダンテの性格を的確に感じ取ったテンポ感が素晴らしく、リズムも幸福感を反映。いかにも緩徐楽章のとしてゆったりと流しただけの演奏にはない深いニュアンスを醸し出されます。ドヴォルザークの第4番の名演が決して偶然ではなかったことを確信しましたが、想定していなかった大名演が、ドイツのピアニスト、トリーンドルが弾く「皇帝」!理屈抜きでガッツ満点!男性的な逞しい力感を全面に出した「皇帝らしい皇帝」をお望みの方に最適な演奏です。第1楽章冒頭から放たれるパワーは尋常ではなく、若き日のポリーニを彷彿とさせるアドレナリンの横溢ぶり。5:42からの静寂でも音は痩せず、しかも押し付け的なデリカシーではないタッチの自然なコントロールがニュアンスを更に押し広げます。10:40からのオケとの応酬は、リズムの切れといい強打の威力といいまさに野獣の凄み!オケとの合わせが至難の再現部冒頭の猛進も尋常では尋常ではありません。しかも音は決して割れないという見事な制御力!その結晶化されたタッチのみ魅力が2楽章では陶酔的な幻想を醸し出すのですからたまりません!じっくりと敷き詰めたその空気を一気に蹴散らすように、第2楽章から第3楽章へ突入する際は、トリーンドルの唸り声を契機に再び気迫全開モード。この箇所は本当に腰が抜ける衝撃ですのでご用心下さい。【湧々堂】


GOLDEN
MERODRAM
GM-4.0071(2CD)
(1)ブラームス:交響曲第2番
(2)ブラームス:運命の歌、
(3)モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番
*、
(4)モーツァルト:2台ピアノのための協奏曲#、
(5)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ヨゼフ・カイルベルト、
ラファエル・クーベリック#
オイゲン・ヨッフム*(指)
バイエルンRSO、
バイエルン放送cho、
ロベール・カサドシュ(P)、
ギャビー・カサドシュ(P)

録音:(1)'66.12.8(ステレオ)、(2)'61.1.19、(3)'54.3.11、(4)'70.2.27(ステレオ)、(5)'67.5.5(ステレオ)
“男カイルベルト!「ブラ2」終楽章の豪放な突進力!”
この「ブラ2」はかつてDISQUES REFRAINから出ていたものと同一で、カイベルトのライヴによる交響曲録音の最高作であるばかりでなく、質実剛健の一言で片付けられがちなこの指揮者の天才的なフレージング能力と、オケを奮い立たせる牽引能力の高さを思い知らされる凄演です。第1楽章は、冒頭から細部にちまちまと拘るのではなく、太い筆致の草書を思わせる風情がまさに純正ドイツの響きの象徴し、その後も分析臭は一切なく、一匹狼的な頼もしさで直進し続けますが、一見ストレートなようでいて、自然に呼吸が振幅を繰り返し、瑞々しさを決して絶やさないところが、伝統に安住しているだけの演奏とは一線を画すところです。第2楽章の中低音をベースとした奥行きを感じさせるテクスチュアも、バイエルン放送響の合奏力の高さとともに揺るぎないもので、ブラームスの醍醐味を徹底的に堪能させてくれます。6:08以降の低弦ピチカートに乗せたフレーズの芳しいニュアンスは、なんとしてもお聴き逃しなく!しかし腰を抜かすのは終楽章!一糸乱れぬアンサンブルとともに後半に行くに従って白熱の度は増すばかり。コーダでは遂に内声の深々とした融合を解いて、ティンパニが天空を突き抜ける勢いで砲撃を見せ、意図的なアッチェレランドとは違う真に差し迫った加速ぶりも、二度と同じようにはできないと思われる素晴らしさ!この数分間の奇跡だけでもこの2枚組を手にする価値ありと断言できます!そのカイルベルトの一枚岩のような音楽作りに乗せ、カサドシュがソロを務めた「皇帝」が、またこのこの曲のベスト演奏のひとつ!カサドシュのベートーヴェンはSONYにもソナタの録音などがありますが、やや水っぽくて食い足りなさを覚えた方も、これには驚かれることでしょう。最初のソロの瞬間から、タッチのニュアンスに一つとして同じものがなく、繊細でありながら音色はブリリアント!ステレオ録音が少ないせいか、カサドシュのピアノにこれほど「華麗さ」を感じる演奏はないように思います。もちろん音が決して割れずに気品を湛えているのはいつも通り。やや速めのテンポの中にも、カイルベルト共々深い呼吸を共有しています。一方、オケもその魅力を十二分に繰り広げ、17:13からのホルン・ソロは、あらゆる演奏の中でも最高に感動的!第2楽章の弱音タッチの美しさも溜息が出ます。カサドシュのタッチの「美しさ」を評も見たことがありませんが、作為の跡が全くない自然発生的な柔和タッチは、ほかに類例がありません。終楽章冒頭ペダルをサッと引いて、リズムの弾力を強調する粋なセンスも一度聴いたら病みつき必至。リズムの重心が低く、頑丈な構築を見せるのも意外。丁々発止のカイルベルトとの緊迫の掛け合いも圧巻!2台ピアノ協奏曲も、これ以上何を望めましょうか!愛妻ギャビーとの共演盤は少なくないですが、これは伴奏ニュアンスの豊かさの点でも同曲を語る際に絶対に外せないばかりか、おしどり夫婦ならでは息の合い方などという次元ではなく、完全に一対となって初めて可能な2台ピアノならではのハーモニー感を表出しきっているという点で、絶妙の極みです。第2楽章など愛の育みそのもので、二人の美音タッチで甘いニュアンスに更に香気が立ちこめます。第2楽章の4:45の一瞬の装飾音をあえて意識して聴いてみてください。息がぴったりどころではありません!【湧々堂】


ORFEO
ORFEO-385961
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、
交響曲第8番
ウィルヘルム・バックハウス(P)、クナッパーツブッシュ(指)バイエルン国立O
録音:1959年12月14日(モノラル・ライヴ)
“意地悪クナの指揮に耐え抜いたバックハウスの強靭な意志!”
この「皇帝」は世紀の大奇演!ソリストと指揮者の個性を融合させて築き上げるのが通常の協奏曲演奏の形ですが、その対極にあるのがこれです!とにかく、ピアノとオケのアインザッツが合わないのは一度や二度ではなく、両者とも終始マイペース。全く歩み寄りを見せぬまま、遂に曲が終ってしまうのです。どうしても両者のスリリングな応酬ばかりについ意識が行ってしいがちですが、是非ここでは、スリルだけではなく、、両巨匠の音楽性そのものの飛翔ぶりにを堪能して頂きたいところです。一方、クナの十八番「第8番」は、他の録音に比べてテンポは速めですが、特有の重量感は、紛れもなくクナそのもの。平凡に流れる箇所はどこにもなく、むしろ数種存在する彼の同曲録音の中でも、殴りかかるような凄みという点でこれはダントツです。音もモノラルながら良好。【湧々堂】


Classic FM
75605-570162
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
マリア・バッハマン(Vn)、
リボル・ペシェック(指)ロイヤル・リヴァプールPO
“万人に至福の時を約束する美しいフレージングの連続!”
聴けば聴くほど味わい深い演奏!全体に流れる気品と心地よい緊張感はムラが全くなく、じっくりとフレーズの末端まで弾ききり、自己顕示欲を剥き出しにせずに作品自体に音楽を語らせます。そういう本物のセンスを持つヴァイオリニストが今どれだけいるでしょうか?全体のフォルムの美しさ、クリーミーな美音を前にして、一部分だけを取り出してここが素晴らしいなどと形容することなど不可能です。とにかくこの絶妙な佇まい、是非お感じいただきたいものです。ペシェックの指揮の雄弁さも忘れられません。【湧々堂】


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