湧々堂HOME 新譜速報: 交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック 廉価盤 シリーズもの マニア向け  
殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤
ブラームス
交響曲



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ブラームス/BRAHMS
交響曲全集

Signum Classics
SIGCD-255(4CD)

分売あり
交響曲第1番&第3番

交響曲第2番&第4番
ブラームス:交響曲全集
交響曲第1番〜第4番
クリストフ・フォン・ドホナーニ(指)
フィルハーモニアO

録音(ライヴ):2009年5月14日(第1番)
2007年6月28日(第2番)
2009年10月22日(第3番)
2007年2月4日(第4番)
以上、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール&クイーン・エリザベス・ホール(第4番)
“従来のドイツ的巨匠芸を今に伝える至高の名演!”
 1994年にフィルハーモニア管の首席客演指揮者として迎えられたドホナーニは、1997年に首席指揮者に就任。このブラームスはクリーヴランド管とのスタジオ録音から20年を経ていますが、その円熟味たるや予想をはるかに超えるもので、名前を知らされずに聴いたらヨッフムやザンデルリンク級の巨匠の演奏と思われることでしょう。演奏内容はきわめて堅実。ただし、その生真面目なアプローチが音楽自体を極限まで熟成させ、内燃の活力を醸成させるのに完全に作用しているので、模範解答的な演奏には決して陥ってはいないのです。
 まずは「第4番」。冒頭は粘らず軽やかに滑り出しますが、ヴァイオリン両翼配置が功を奏して響きが充実の極み。第2主題は幾分テンポを落とし手じっくり歌い上げますが、その歌いっぷりが内容を伴った素晴らしいさ。アーティキュレーションには常には常に強固な意志が感じられ、それをフィルーモニア感が完全に受けとめています。そのオケの響きがまた筆舌に尽くしがたい魅力で、これぞブラームスといった雄渾な響きの表出を実現しているのも驚きです。10:53以降の内燃力に早くも感動が頂点に!
第2楽章も出だしはすっきりと進行し、ホルンは明瞭そのもの。。流れは楷書風ですが、その書体にも響きにも人口臭さがないので極めて清潔で説得力のある造形美へと繋がっています。第2主題の息の長いフレージングとその呼吸のしなやかさは、現代感覚と伝統的なスタイルが見事に融和した成果。その第2主題の再現(7:56〜)は、この作品への共感度を計る試金石とも言えますが、ここでも古めかしさを感じさせない一途な共感がこもり、分厚いハーモニーは高い求心力を誇ります。
第3楽章は、有機的な弾力をもつリズムにご注目。あからさまではない形で内声を充実させる才には以前から長けていたドホナーニですが、その特質に円熟味が加わったときの音楽の厚みを是非感じていただきたいものです。
終楽章も恣意的な声部操作を感じさせずに見事な立体感を表出。しかもハーモニーのバランスがここでも鉄壁!1:17からのアーティキュレーションから引き出される微妙なニュアンスは、耳と感性を全開にして接してください。いつの間にこんなこんな技を体得したのでしょうか?6:43以降はティンパニの充実ぶりが印象的。特に終結部ではその響きが核として一層大きな意味を成し、感動的なクライマックスを築くのです。
 「第2番」も、鋭角的な響きを持つ演奏が多く聴かれる昨今、響きの美しさ造型の揺るぎなさ、確かな共感といった当然の前提条件を兼ね備えた演奏になかなか出会えないとお嘆きの方にとにかくお勧めしたい素晴らしい演奏。声部感の連動が決してもやもやせずにすっきりしているにもかかわらず、響きが薄くならずに味わい深いのは第4番と同じ。終楽章開始間もなく0:51でティンパニが驚愕のアクセントを利かせるのはライヴならでは。しかもクライマックスの熱さと手応えは尋常ではありません。ここでは安易なアッチェレランドなお呼びでなく、オケの機能美とドホナーニの円熟が最高に結実したあまりにも見事な締めくくりに、言葉を失います。最後の金管の細かい音型が、ここまで明瞭かつ温かみを持って響き渡った例は他に思い当たりません。
 「第1番」は、序奏冒頭の何というハーモニーの豊穣さ!ティンパニのバランスも最高に素晴らしく、その打し込の余韻がそのハーモニの形成に大きく貢献しています。主部は地を這うように入念な進行。中低域重視のベーム以前のドイツ流儀を彷彿とさせる重みに打ちのめされ、イギリスのオケにおる演奏とは信じ難いほど。ピンポイントで金管を突出させますが、それも恣意的ではなく、音像を引き締めために有効に作用しています。第2楽章も構えが大きく、ドホナーニの円熟味を痛感。ヴァイオリン・ソロが決して出しゃばらずに全体とブレンドしている点も流石の配慮。終楽章はティンパニの巧さが大全開!
 「第3番」は、特に第2楽章にご注目!ハーモニーの美しさとブラームスらしい深々とした歌心、気が滅入るような暗さとは無縁の希望の光が指す響きの素晴らしさ。コーダでは、ここでも完全に調和のとれた中低域の魅力に感動。

ドホナーニは2009年に首席指揮者の座をエサ=ペッカ・サロネンに譲り桂冠指揮者に就任しますが、これはまさに有終の美を飾る逸品です!  【湧々堂】

BRILLIANT
BRL-99946(3CD)
ブラームス:交響曲全集
11のコラール前奏曲*
ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン(指)
オランダPO、オランダ放送PO*

録音:録音:2002年、1999年(第2番のみ)
“爽やかなのに味がある!現代感覚と伝統的手法の奇跡的融合!”
 ベートーヴェンの交響曲全集では、曲によってアプローチを変化させるという、独特の見識を見せたズヴェーデンですが、ここでは従来の伝統的な手法によって、作品の内容をじっくりと掘り下げ、なおかつ瑞々しい感覚にあふれた演奏を一貫して披露してくれています。
 まず「第1番」。第1楽章序奏のティンパニとのブレンド感の素晴らしさにまずハッとさせられます。推進力と重厚さを兼ね備えた音のニュアンスにも深みがあり、アーティキュレーションにもかなりのこだわりを見せますが、嫌味は皆無。主部に入ると自然な流れを崩さず、瑞々しい情感がいっそう大きく開花。提示部のリピートは行なっていませんが、ここでは大いに納得。終楽章はインテンポを基調にして実に快適にフレーズが進行しますが、決して呼吸が浅くならず、青春を謳歌するような清々しさを引き出しているのには最後まで感心させられます。最後の金管コラールでは大きくテンポ・ルバートを見せますが、これがまた確信に満ちた濃密な表現!その妙味には古めかしいさや嘘が全く感じられないので、この曲をはじめて聴いたような感覚に襲われるほどです。
 壮年期を過ぎて書かれた「第1番」を実にフレッシュな味付けを施したズヴェーデンは、「第2番」ではグッとしみじみ路線に変貌。第1楽章に込められたノスタルジーと慈愛がフレーズの端々に滲み、提示部リピート慣行も実に意義深く迫ります。細部に割って細やかなセンスを聴かせる好例として、第3楽章2:16からの感情の込め方にご注目を。オケの俊敏な反応も含め、自在なフレージングの美しさに酔いしれます。終楽章は安定感抜群の構築力を発揮し尽くし、快適なテンポに乗せてこの楽章の楽想を的確にキャッチ。6:17の金管突出効果のなんと絶妙なこと!コーダではわずかにアッチェレランドが掛かりますが、これこそまさに閃きの勝利!この畳み掛けを感覚的にも内容的にも見事に凝縮しきった演奏は他にあまり例が無いのではないでしょうか。
 「第3番」は第1楽章で顕著なように管楽器の重低音をクローズアップした響きなど、声部バランスの巧妙なバランス感覚に舌を巻きます。再現部交換からの聳えんばかりの立体的構築力の素晴らしさも必聴。6:20からのフレーズの末端まで余情を通わせる手腕もお聴き逃しなく。終楽章ではクナのよう重量級のスケール感を求めないまでも、重心がどっしりと安定しない演奏は決して多くはないですが、ここでは現代的な感性と伝統的な響きの融合を難なく実現するズヴェーデンの力量を再認識させられます。とにかく音楽が芯から熱していることがひしひしと伝わるのです。
 そういった点では、「第4番」はまさにその新旧融合のアプローチの絶妙さが全開!終始雄渾な響きが素晴らしく、渋い作風に囚われすぎることなく、素直に音楽を抽出しながら、感動の世界を導きます。この全集、こんな廉価ではあまりにももったいないです!【湧々堂】

Capriccio(廃盤)


Profil
PH-11019(4CD)
ブラームス:交響曲全集
アルト・ラプソディ

ハイドンの主題による変奏曲
クルト・ザンデルリンク(指)
ベルリンSO
アンネッテ・マルケルト(A)

録音:1990年 デジタル録音
“人生を重ねた巨匠のみが成し得る、完熟のブラームス!”
 古今を通じて、最も遅いテンポで一貫したブラームスですが、そのテンポでなければ到底訴えきれない多くの音楽的内容量とニュアンスをふんだんに湛えた超ド級の名演揃いです!特に50分を要する「第1番」の遅さは気が遠くなるほどですが、リズムの重力、スケール感は並ぶものがなく、旧オイロディスク盤を大きく凌いでいます。万全の条件下でのセッション録音ですので、音質も極上。【湧々堂】

Avie
AV-2051(3SACD)
ブラームス:交響曲全集 セミョン・ビシュコフ(指)
ケルンRSO

デジタル録音
“極上の美しさ!ブラームスのイメージを一新したこの艶やかさ!!”
 かつてのブラームスの交響曲から得たどの感動とも違う、独特の味わいに溢れた全集です!まず、いかにもブラームスといった鬱蒼とした雰囲気がなく、物々しい重厚さとも全く無縁!これほど音の隅々までまろやかで美しい歌に溢れたブラームスが実現し得るとは誰が予想できたでしょう!
 特にどっしりとした手応えを期待しがちな「1番」は、冒頭からティンパニを突出させず、完璧なブレンド感をもってしなやかに流れ、しかも響きにコクをたっぷりと湛えているのにびっくり!主部に入ってからも物腰は柔らかく、しかしフレーズの流動には確実に芯を携えているので、絶妙な安定感で迫り続けるのです。中間の楽章も音楽的な音色美に溢れ、ビシュコフがブラームスの音楽を心底から慈しんでいるのが分かり、弦も木管も完全に同じ質感で統一された音色トーンの美しさは、かつての名盤からもなかなか見出すことができません。終楽章、弦の第1主題の繊細さも比類なし。しかも今生まれたてのような瑞々しさで湧き上がります。コーダに至っても力で圧倒することなど念頭になく、誠心誠意ブラームスの心情を丹念に引き出そうとする一念が心を打ちます。 そんな独特のスタイルは「2番」では更に相性の良さを見せますが、驚きは、1番でのしなやかさをそのまま持ち込むのではなく、ここでは逆に終楽章へ向けてのドラマ性を打ち出していること。第1楽章の第1主題は、自然の全てを抱え込むような呼吸の優しさに溢れ、第2、第3楽章の自然発生的な音色の揺らめきが心を捉えて話しませんが、終楽章コーダで、アッチェレランドが掛かり、突如固いティンパニの強打が轟き、ここで初めてといっていい確固たる意志の力を発揮するのです!その強打はほぼ全拍に渡って打ち鳴らされますが、闘志剥き出し型ではなく、全体のフォルムを崩さず、美しい音色の融合を守り通しているのは驚異としか言いようがありません!
 「3番」の第1楽章は展開部に入って生命の活力を加味し展開部から再現部へのブリッジのテンポの落とし方と音楽的深みが絶品!コーダの12:13以降クレッシェンドして、最後に優しいフォルテピアノをさり気なく挟むセンスは、もうそれだけでビシュコフの感性は疑いようもありません!第3楽章のリリシズムは、すすり泣きの一歩手前のスレスレ。一方では、テーマの符点リズムを曖昧にしないこだわりも見せ、硬軟のバランス配分の妙にも新鮮な衝撃を覚えます。終楽章では、2番の終楽章コーダで聴かれたティンパニの強打の意味をここでまた再認識。本当に必要な箇所にだけ渾身の意味を込めて固く強打することによって、全体の構築をシャキッと聳え立たせる手腕に脱帽です!
 「4番」もこれみよがしのアゴーギクなど用いず、冒頭からはっきりとしたフレーズの明暗を描き切っています。展開部と再現部の間(ま)の素晴らしいこと!このコーダでも、全声部を熱く凝縮させながら威圧感を与えずに品格を持って締めくくっています。第2楽章は第2主題をこれ以上不可能なほど魂のこもった歌に満ち溢れ、後半の再現の弦パートが一丸となってハーモニーを豊かに広がる様は、録音の素晴らしさと共に圧倒的な感銘をもたらします。終楽章も格調美が隅々まで浸透。コーダの最後の和音で、弦の切込みを若干ずらす粋な計らいにもご注目を!オケの素晴らしさも賞賛し尽くせません!放送オケならではの機能性はもちろんのこと、各ソロ奏者のトーンも地味ながら聴き手を心から虜にするセンスを兼ね備え、その魅力をビシュコフが余すところなく美しく統合しているのですからたまりません。
 ビシュコフの師、ムーシンは、弟子の中で最も自分の教えに忠実な指揮者として彼の名をあげていますが、ロシア的とかドイツ的とかいう範疇に収まらないこの極美のブラームスを聴くと、そのことも大いにうなずけます。【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0048(4CD)
ブラームス:交響曲全集
シェーンベルク:室内交響曲第1番、第2番*
 浄夜、5つの小品、
 交響詩「ペレアスとメリザンド」*、
 管弦楽のための変奏曲*
ハインツ・レーグナー(指)
ベルリンRSO、
ライプチヒRSO*

録音:ブラームス=1978年〜1987年、
シェーンベルク=1980年〜1991年(全てステレオ・ライヴ)
“シューリヒトをも超越?!「ブラ4」第1楽章に聴く天才技の浸透力!!”
 ブラームスの「第1番」のみスタジオ録音ですが、この張り詰めた緊張と音の凝縮はライヴのような熱を帯び、あの名演「ブル9」第2楽章のそれを彷彿とさせます。序奏の清潔この上ないテクスチュアとティンパニの見事なブレンド、続くフルートの厳粛な輝き、ゴリゴリとうねる低弦の発言力など、全てが破格の説得力で迫ります。フレージングの境目が分からないほど一息での大きな呼吸の妙や、展開部後半のいきり立つ高揚は、レーグナーの気力の絶頂を示す好例。第2楽章の高雅な佇まいと、コーダのVnソロの信じられない美しさも必聴!終楽章は、まさに一気呵成!それだけに、コーダの金管コラールの神々しいテンポルバートのように、ここぞという箇所のテンポの動きが、絶大な説得力!序奏のホルン・ソロを支える弦のさざなみの美しさも、地底から静かに湧き上がる生命のような佇まいを醸し出しているのですから、言葉が出ません。
 通常より速めのテンポを設定するのがレーグナーの常ですが、それがスポーツ的なノリと無縁で、内面の燃焼度が極めて高いので、どんなに音楽が高揚しても脂ぎることなく、芸術的な格調を保つ常人には真似のできない技を発揮し尽くしたのが「第2番」。第1楽章の提示部は、ごく普通に流れるだけに感じますが、それが展開部以降の芯の熱さを誇る音楽のうねりの伏線であることに気付かされます。その展開部の雄渾さや11:59以降の魂の壮絶な叫びそのものの響きは、まさに至高のレーグナー・サウンド!第2楽章の幽玄のニュアンスも聴き手を離さず、第3楽章中間部の表情の多彩さは空前鉄後!終楽章に至っては、演奏時間こそ9:26と普通ですが、第主題と第2主題のテンポ・ニュアンスの違いがくっきりと浮き出ると同時に、コーダに向かって弛緩することなく熱い共感を込め、燃えるレーグナーの凄さを思い知らされます。コーダ直前でワルター以上のテンポルバートで一呼吸置いた後の加速の激烈ぶりは、レーグナーどの録音からも聴けなかったもので、これをもし生で聴いていたらと想像するだけで、失神しそうな極限の感動に襲われるのです!案の定、最後の音が鳴り止まないうちに、会場から大拍手が湧き起こっています。
 ところが、さらに凄いことになっているのが「第4番」!かつてレーグナーが読響を振った演奏が、この世で鳴ったブラ4の最高峰と勝手に確信していたのですが、そのときの演奏よりも胸を突き刺すのですから、どんなに美辞麗句を並べても追いつきません!第1楽章は11:17という史上最速テンポ!もちろん押し付けたスピード感ではなく、特有のフレージングの大きさからでた結果で、一陣の風のように流れるその風情は、あえてシューリヒトの閃きをも超越していると言っても過言ではありません。第2楽章後半に登場する第2主題の全身で受け止め切れないほどの内容量の前では、あのアーべントロートが起した奇跡さえ霞んでしまいます。終楽章は第2変奏から早速それまでとは違うテンポに移行するなど、各変奏の表情を入念に描き分けながら、全体に太い芯を貫かせ、一気に聴き手をフレーズの奔流に引きずり込んで離しません。一方、シェーンベルクは逆に肉感的なニュアンスさえ漂わせ、これまた独特の風味を持つ演奏ばかりです。
 十二音技法の頂点とも言われる「変奏曲」は、ショルティなどの剛直さとは異なり、生々しい人間的な息づかいが聞かれます。第6変奏の官能にも似た不思議な空気や、第8変奏のどこか「軋み」と伴う色彩の綾は、いかにも旧東ドイツの土壌が生んだ雰囲気が濃厚。ちなみに、ベルリンの壁が崩壊するのは、この半年後のことです。旧東独で現代作品のエキスパート・オーケストラの役を担っていたライプチヒの放送オケの起用も最大に効を奏しています。
 調性崩壊へ向かう前兆の「室内交響曲第1番」も、明らかにマーラー側から捉えたロマン的な解釈で、冷たい演奏ほど望ましいとする迷信を吹き飛ばす説得力!これほどこの曲が心の琴線に触れたことはありません。
 「浄夜」
では、果てることのないイマジネーションの広がりと魂の叫び(例えば5:33以降!)に圧倒され、「この曲はどう演奏されるべきか」などと頭で考えている場合ではありません!こうして聴くと、ここまでではないにせよ、独シャルプラッテンの数々の録音でもレーグナーの比類なき音楽性の片鱗は十分に窺えるのに、それに気付こうともしない(気付けない?)評論家がこの国にはほとんどいない現実を悲しく思います。 【湧々堂】

お客様レヴュー

KOCH
316402
廃盤
ブラームス:交響曲全集 ホルスト・シュタイン(指)
バンベルクSO

録音:1997年 デジタル・ライヴ録音(バンベルク、ヨーゼフ・カイルベルトザール)
“巨匠シュタインが大切に育んだ剛直な音色美”
 シュタイン70歳記念ステレオ・ライブ。ヴァントのような緻密なアプローチとは対照的に、全声部のブレンド感と重心の低い悠然たるテンポで一貫。スマートな演奏になれた耳には、その音の威力と厚みはかなり衝撃的です。第2,3番の終楽章は、シュタインが敬愛するクナを思わせるスローテンポで、アゴーギクは最小限。最後の高潮時は金管のみが突出しやすいものですが、ここでは全楽器のヴォルテージが一斉に高まり、恐るべきスケールで圧倒するのです。
 しかしそれ以上に凄いのが第4番!まさに経験の重みの為せる技!本物のドイツ魂を体言できる稀少な全集として、いつまでも大切にしたい全集です!【湧々堂】

DISKY
HR-705412(3CD)
ブラームス:交響曲全集、
悲劇的序曲、
ハイドンの主題による変奏曲、
アルト・ラプソディ
エードリアン・ボールト(指)
LPO、LSO、他

録音:1969年〜1972年 ステレオ録音
“ヴォーン・ウィリアムズと並ぶ、ボールト晩年の至宝!”
 ボールトのドイツ音楽が英国指揮者の中で特に際立った説得力、端正な造型感覚を持ち続けたのは、師のニキシュとの交流の賜物だと思いますが、そこへ作品への並々ならぬ愛情が注がれたときの精神の高揚感は、例えようもなく素晴らしいものです。このブラームスも、隅々まで格別な愛情を注ぎこみ、崇高な精神を漲らせ、80歳のボールトが築き上げた偉業として輝きを失っていません。
 「第1番」の第1楽章は意外なほどスムースな進行で始まり、テンポもテクスチュアも爽やか。過度に陰鬱になるのを避けながら、しかし出て来る音楽は、渋み溢れるブラームスそのもの!ハッとするような演出などどこにもありませんが、音の端々から滲み出るニュアンスは、絶妙なアゴーギクと一体となって、風情満点。コーダの締めくくりは、一見あっさりしているようでいて、そこには慈愛が溢れています。
 第2、第3楽章の透明で柔らかなテクスチュアもじっくりと心に染み入ります。第2楽章のヴァイオリン・ソロには、ボールトを敬愛するメニューインが特別参加!これがまた泣かせます。終楽章もガツンくる痛快さとは無縁。テンポの変動を最小限に抑えた淀みのない進行の中から、渋いニュアンスがじりじりと湧き上がり、ヴァイオリン両翼配置も効を奏して、実に深みのある音楽が展開されます。更に感動的なのが「第4番」!ここでもヴァイオリン両翼配置の効果は絶大で、表情は第1番以上にアグレッシブなものを感じます。
 第1楽章の水墨画を思わせる風情、第3楽章の豊かな風格もボールトならではですが、終楽章後半の入念を極めたテンポ設定と壮大な構築は、高次元の精神の高揚に彩られ、感度の極みです!特に6:38でテンポを落としての味わいは、まさに老練!コーダで実にゆっくりとしたテンポで格調高い雰囲気のまま締めくくる手腕も、他の追随を許しません!なお、どの曲も全てリピートを敢行しています。【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0136(2CD)
ブラームス:交響曲全集 エフゲーニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:第1番(1984年9月7日)、第2番(1982年1月15日)、第3番(1980年9月6日)、第4番(1985年10月20日)
以上、全てベルワルドホールに於けるステレオ・ライヴ
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
 ソ連邦解体前、晩年ほどグローバルな存在ではなかったスヴェトラーノフが才気溢れる熱演を展開してます。1981年のソビエト国立響とのライヴとは録音年代が近いだけに基本コンセプトは共通していますが、こちらは何と言ってもオケの響きにクセがなく清潔なので、スヴェトラーノフ本来の無垢な音楽性がストーレートに伝わるという点で見逃せません。
 「第1番」。第1楽章冒頭の硬質なティンパニ連打と弦のブレンドの絶妙さにまず息を飲みます。中低域寄りのでっぷりとしたブラームスではなく、アゴーギクを最小限に抑えた推進力を重視した演奏で、最晩年に差し掛かる前のアグレッシブな表現意欲を強く感じさせます。展開部の最後8:23以降の内燃の凄さは聴きもの。第2楽章はフレージングのアクセントが独特、と言うよりもこれほど綿密に一音ごとにニュアンスを配分した例は稀でしょう。そこから後ろ髪ひかれるような余情が引き出される様にスヴェトラーノフの比類なき芸術性を痛感するばかりです。終楽章の第1主題開始後のテンポの腰の座った安定感と響きの隈取りの克明さは、あの晩年の威容に繋がるものを感じさせます。そしてコーダの猛烈な放射パワーに鳥肌!
 「第2番」は全4曲中、ずば抜けて素晴らしい名演!特にこの第1楽章を聴くと、ソビエト国立響では感じにくかった、スヴェトラーノフの響きと呼吸に対する繊細な感性が手に取るようにわかり、感動もひとしお。第2主題の儚い風情に拍車をかけるようにチェロが呟くような弓使いを見せるなど、その象徴と言えましょう。終楽章は演奏時間8:10とかなり高速の部類に入りますが、いわゆる爆走とは違う求心力の高さが聴く者を虜にします。各パートの主張もかなり強いですが、それを凝固させる意志が尋常では無いのです。これもこの頃の年代のスヴェトラーノフならではでしょう。そしてコーダでの仰天アレンジ!81年盤と同様に、金管の持続音をスコアの指示より1小節長く引き伸ばして、完全無欠の勝利を強烈にアピール!
 「第3番」は、全体を通じて爽やかな余韻を残すイン・テンポ進行を基調としているのがやや意外。第2楽章も過剰な粘りを見せず、スウェーデン放送響の透明なテクスチュアを生かした純な詩情が瑞々しく息づきます。終楽章でのアンサンブルの凝縮度、燃焼度の高さは、やはりスヴェトラーノフならでは。
 「第4番」も第2番と並ぶ大名演!弦のピチカートに象徴される内声への徹底したこだわりは作曲家としてスヴェトラーノフの見識を伺わせ、一見独特なアゴーギクや一瞬のアクセントも、各フレーズの魅力をことごとく倍増させているのには舌を巻くばかりです。第1楽章5:04で鉄槌を下すような強烈なアクセントが施されますが、この一撃は、「第4番」を単なる古風な音の積み重ねではない人間ドラマとして描ききるという強固な意志が凝縮されているかのようです。第2楽章は「これぞブラームス」と呟きたくなる逸品!特にシューリヒトにも近いフレージングの浸透力は、喩えようもない高潔さ!当時のロシア指揮者の多くがドイツ作品を振ると作品との距離感を感じることが多かったことを考えると、明らかにチャイコフスキーとは異なるブラームス独自の色彩とフレージングの魅力を感知するセンスは驚異といえるのではないでしょうか。コーダ9:43からフルートが一音づつ上行する場面がかくも余情に満ちていたことは稀です第3楽章もドンチャン騒ぎとは無縁の格調の高さ。終楽章はシャコンヌ主題の意図的な炙り出しをあえて避けて淡々と進行させながらも、各パートが真に音楽的なニュアンスを発している点にこれまた頭が下がります。コーダでの緊張の高まりに向けての自然な流れといい、ムラヴィンスキーと双璧と言いたい「第4番」です。【湧々堂】

ブラームス/BRAHMS
交響曲第1番ハ短調Op.68

Signum Classics
SIGCD-250(2CD)
ブラームス:交響曲第1番
交響曲第3番
クリストフ・フォン・ドホナーニ(指)
フィルハーモニアO

録音:2009年、ロイヤル・フェスティバルホール・ライヴ
 オーセンティックな解釈など全く無縁の伝統的な演奏の重厚さを終始貫徹させながら、黴臭さがなく瑞々しい息遣いが随所に聴かれるのは、ドホナーニの感性のなせる技でしょう。その伝統美と現代感覚のバランスの絶妙さが独特の味わいに繋がっているのです。
 「第1番」がまずびっくり!序奏冒頭の何というハーモニーの豊穣さ!ティンパニのバランスも最高に素晴らしく、その打し込の余韻がそのハーモニの形成に大きく貢献しています。主部は地を這うように入念な進行。中低域重視のベーム以前のドイツ流儀を彷彿とさせる重みに打ちのめされ、イギリスのオケにおる演奏とは信じ難いほど。ピンポイントで金管を突出させますが、それも恣意的ではなく、音像を引き締めために有効に作用しています。第2楽章も構えが大きく、ドホナーニの円熟味を痛感。ヴァイオリン・ソロが決して出しゃばらずに全体とブレンドしている点も流石の配慮。終楽章はティンパニの巧さが大全開!
 「第3番」は特に第2楽章にご注目!ハーモニーの美しさとブラームスらしい深々とした歌心、気が滅入るような暗さとは無縁の希望の光が指す響きの素晴らしさ。コーダでは、ここでも完全に調和のとれた中低域の魅力に感動。 【湧々堂】

King International
KKC-2028(3CD)
ブラームス:交響曲全集
交響曲第1番/交響曲第2番*
交響曲第3番**/悲劇的序曲#
交響曲第4番##
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指)
NHK響

録音:1973年6月23日NHKホール(柿落し公演)、1971年5月8日東京厚生年金会館*、1972年4月19日東京文化会館**、1972年5月4日東京文化会館#、1975年4月23日NHKホール## 全てステレオ・ライヴ
 サヴァリッシュ40代後半の活気漲る演奏。基本的に過剰な物々しさや大きなテンポの緩急は避け、音楽の推進力を際立たせていますが、ピンポイント的にガクッとテンポ落として見得を切る箇所も散見され、そこにはいかにも大家然とした余裕と言うよりは厳格な統制の痕跡を感じさせるのが特徴的で、N響の団員も襟を正して緊張の面持ちで臨んでいる様子が目に浮かびます。このコンビのブラームスは後年のさらに円熟した演奏も存在しますが、ここでのストレートな内燃エネルギーの凝縮力と放射の鋭敏な切り替えは、この時期ならではの魅力で、第1番の終楽章コーダの思い切ったインテンポでの畳み掛けなどはその好例でしょう。
交響曲もさることながら、忘れてはならないのは「悲劇的序曲」の濃密な名演!【湧々堂】

TAHRA
TAH-732(2CD)
フリッチャイの芸術
(1)モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲K.299
(2)チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
(3)ブラームス:交響曲第1番
(4)ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
フェレンツ・フリッチャイ(指)
(1)ハンス・シュミッツ(Fl)、
 イルムガルト・ヘルミス(Hp)、RIAS響
(2)ユーディ・メニューイン(Vn)、ルツェルン祝祭O
(3)北ドイツRSO、(4)RIAS響

録音:(1)1952年9月17日
(2)1961年8月16日ルツェルン芸術ハウス
(3)1958年2月2-3日ハンブルク・ムジークハレ
(4)1953年4月7日
 モーツァルトは、1952年3月19日のティタニアパラストでの演奏(Archipelなどで既出)と同一という可能性もあり。スケールの大きな演奏で、一見いかにも古き良き時代を思わせますが、フリッチャイが敷き詰める愛情で塗り固めた音楽作りによって、すぐに全てを受け入れざるを得なくなります。ハンス・シュミッツは1950年までベルリン・フィルの主席を務めた人で、派手さはないものの目の詰んだアンサンブルへの志向が全体に美しい調和をもたらしています。
 メニューインとのチャイコフスキーは、今までは1949年盤が唯一で、カットの多いアウアー版を用いていましたが、ここでは通常のフルヴァージョン。メニューインの技術的な輝きは49年盤が優りますが、フリッチャイとのコンビネーションの良さは相変わらず抜群。終楽章はかなり激しく音楽にのめり込み、コーダはまさに圧巻。
 最大の聴きものは、やはり「ブラ1」。命を磨り減らす壮絶なアゴーギクの連続です!1956年のスイス・ロマンド管との録音もフリッチャイの濃密な音楽作りへの期待を満たしてくれましたが、その2年後の当録音は、オケの側からの積極的な共鳴も手伝って更にインパクト大!音質も鮮明。S=イッセルシュテットが育んだオケの燻銀の響きに灼熱の芯を注入し、聳え立つような堅牢な造型力と集中力で圧倒します。
 第1楽章序奏1:35からのクレッシェンドは、開始の弱音から既に内面で沸点に達しているかのうような異様な熱気を孕み、頂点に達すると容赦ないティンパニの最強打!ブラームスは陰鬱とイメージされることへの怒りをぶちまけたかのよう。嗚咽を絞り出すような展開部7:28の弦に象徴されるように、とにかく平穏に音楽が流れる瞬間がないのです。展開部の最後では壮大なリテヌートが掛かりますが、そうしなければ土台を支えきれないほど興奮は頂点に。そして第2楽章冒頭のなんという透徹美!これこそフリッチャイ芸術の極みで、着地点を予測させないほどのアゴーギクの幻想性も含め、拍節を刻むことに囚われた指揮者には思いもよらぬ技の連続。
 終楽章も冒頭はティンパニの強烈打で開始しますが、ただの強打として突出するのではなく、全体との一体感を伴って打ち鳴らされるので意味深さは絶大。ホルン主題がここまでじっくり腰を据えてフレージングされることも稀で、その音色の深さは言うまでもありません。第1主題以降はテンポこそ標準的ですが、常に全ての音が、内部ではパンパンに激情が飽和しているのを必死に封じ込めているような緊張を抱えながら迫り来るのです。最後の金管コラールでトスカニーニ張りのティンパニのトレモロ大追加があるのは56年盤と同じですが、テンポの落とし方、クレッシェンド効果の凄まじさは、古今を通じこれを超えるものが存在するとは思えません!しかも北ドイツ放送響とはこれが初共演だというのですから、フリッチャイの牽引力の凄さには舌を巻くばかりです。フリッチャイの遺産の中でも最高峰と断言できます。【湧々堂】

Goodies
33CDR-3461(1CDR)
ブラームス交響曲第1番
交響曲第2番ニ長調Op.73*
ブルーノ・ワルター(指)NYO

米 COLUMBIA SL200(U.S.)(Set)
(1953年12月30日、12月28日* ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
“50年代の最高峰に君臨するブラームス録音!”
 晩年のステレオ録音の枯れた味わいも素晴らしいですが、オケの力量と量感も含めてこちらのLP初期録音の魅力はより一層魅力的。何よりも気力が充実仕切っており、表情に確固とした力感が漲っているのが最大の特徴で、肝心なのはその魅力は芯を欠くメーカーの正規CDでは感じにくいという点。この2曲では特に「第2番」が、終楽章のアッチェレランドに象徴されるように熱い名演として知られていますが、ここでまず力説したいのが「第1番」の絶対的な素晴らしさ!
 1950年代の「ブラ1」を語る際に絶対に外せない録音です。第1楽章展開部以降の内面から吹き出す高次元のニュアンス、コーダの神々しさ、第2楽章の分厚いハーモニーには、この頃のワルターが決して「優しさ」一辺倒ではない多様な情感が充満。終楽章はホルンのテーマが出てくる前の微妙な陰影感は他では聴けず、第1主題登場までの高潔で逞しい音像も比類なし。その第1主題は全くの純朴スタイルながら馥郁たるニュアンスが溢れ、瑞々しい精神が脈打つのを感じずにはいられません。7:26からのホルンは盛大に増強しているように聞こえますが、その効果は絶大で、しかもそれが、畳み掛けるような推進力に一層拍車をかけ、かつ威嚇的な演奏に陥っていないという絶妙さ!
 もちろん「第2番」も絶世の名演!第1楽章の草書風のフレージングは慈愛に満ち溢れ、リズムは芯から沸き立ち、いつ聴いても新鮮。終楽章は「火の玉のよう」と形容されがちですが、トスカニーニやミュンシュと比べれば分かるように、ここで聴かれるのはただの白熱ではなく、おおらかな精神の究極の昇華!オケの全員が心から敬愛するワルターもオーラに包まれながら演奏できる喜びが頂点に達したことで発火したコーダの猛烈な加速の見事さも、未だに色褪せません!【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0197
ブラームス:交響曲第1番
ハンガリー舞曲集(第1番/第3番/第4番/第5番)*
ジョルジュ・プレートル(指)
シュトゥットガルトRSO

録音:2000年12月8日リーダーハレ、1997年10月29日〜31日リーダーハレ*
 常識に囚われない独自の感性と構成力を湛えたプレートルの芸術をここでもたっぷり堪能できます。その耳慣れないニュアンスやテンポ設定等の表面的現象だけを捉えて、「仕掛け満載の面白い演奏」と形容したら、プレートルは浮かばれません!「仕掛け」でも「演出」でもなく、そうせずにはいられない心の底からの表現が漏れなく音に変換されていること、音そのものの純粋さは、交響曲の第1楽章冒頭を聴けば明らかです。大上段に構えず、しなやかなフレージングを基調としながら大河のようにうねる音楽は、どこを取っても強い確信に満ち、その説得力を目の当たりにすると、他の指揮者はなぜここまで踏み込まないのかと疑問が湧き起こるほどです。序奏第1音から2:07の頂点に至るまでに、溜め込んだエネルギーを着実に増幅させる構築力も他に類を見ませんが、そこにも衒いなどなく、感情表現と一体化しているからこそ強烈な訴求力を生んでいるのではないでしょうか。
 第2楽章のテクスチュアの透明感、名優の台詞回しのような生き生きとした語りも、プレートルならでは。オーケストラの音を感覚的な面白さではなく、「実体の伴ったドラマ」として再現する並外れたセンスは、終楽章は大きく開花。第1主題を前段と後段で対話させるのは、それこそユニークなアイデアですが、「こんなことも出来るんですよ」と心の中でニンマリしているような嫌らしさが無いのです。「何も歌わず語らない音楽なんて無意味!」と言わんばかりの信念の塊に聴こえませんか?しかも、その主題の現れるたびにその対話を判で押したように繰り返すのではなく、各シーンごとに温度差を与えるという入念さ!これこそ、プレートルが「生きた音楽」を追求していた証ではないでしょうか?コーダの盛り上がりも、「ゴツゴツとしたブラームスらしさ」とは無縁。音は常に健康的で伸びやかに聳えます。最後のティンパニのロールにもご注目を。音の最後の末端まで強固な意志が漲っているのは、単に奏者のやる気だけではなく、プレートルの徹底したこだわりが乗り移っているように思えてなりません。【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0098-2
ヨッフム&ベルリン・ドイツ響/1981ブラームス・プログラムVol.2
ブラームス:交響曲第1番
オイゲン・ヨッフム(指)
ベルリン・ドイツSO(西ベルリン放送響)

録音:1981年6月7,8日 フィルハーモニー・ベルリン・ライヴ、ステレオ・ライヴ
※英語、日本語、ドイツ語によるライナー・ノート付
 第1楽章冒頭から、壮大なスケール感と低速テンポによる入念な精神昇華力で、聴き手のハートをたちまち虜にする真の巨匠芸!ティンパニの打ち込みも恣意的な強打ではなく、魂の鼓動そのものの磐石の手応え。その遅いテンポには常に意味があり、リズムは老朽化の影もなく瑞々しく沸き立つのもヨッフムならではの至芸。展開部の最後や再現部の後半(12:34〜)の盛り上がりでの、金管の強烈な強奏も辞さない壮絶な緊張感は圧巻。
 第2楽章の呼吸の深さも驚異的!その音の情報量の多さにはむせ返るほどで、その弱音を決して多用しない広大な空間表出力に、ドイツ精神の意地を痛感せずにはいられません。終楽章の第1主題の何の衒いもない素直なフレージングも、共感一筋で歌いぬき、その一途さに心打たれます。11:45の大噴射は、まるでクナッパーツブッシュのような粉砕力!そして締めくくり最後の一音の灼熱の放射!
 まさに宇宙に届けとばかりの全身からの叫びを浴びせられると、現実社会でのちまちました出来事などどうでもよくなります。  【湧々堂】

フォンテック
FOCD-9399
ブラームス:交響曲第1番 朝比奈隆(指)東京都SO

録音:録音:1996年4月6日サントリーホール・ライヴ
“朝比奈晩年のさらなる飛躍を象徴する無垢のブラームス!”
 朝比奈が遺した「ブラ1」の中でも特に感動的な録音!88歳を迎えた1996年は、シカゴ響デビューを果たすなど、さらなる飛躍を遂げた年ですが。、これはシカゴへ旅立つ直前のライヴ。
 テンポは一貫してスローで余裕綽々。しかし風格で圧倒したり、音圧でねじ伏せようとする意図は皆無で、ただただスコアを丹念に紡ぐことに専念。それでいながらこのスケール感!
第1楽章冒頭のティンパニの雄渾さは、朝比奈の円熟を象徴する素晴らしさ。展開部後半でテンポを落としてジリジリ浮上する緊 張の空気も、芝居がかることなく素朴な感触を保持しているのはいかにも朝比奈流儀。第2楽章の大河を思わせるうねりと憧れの風情も印象的です。
 終楽章はアルペンホルンの動機もそれに続くフルートも、武士の精神を解くような無骨さで迫り、弦の第1主題はアーティキュレーションや強弱に趣向を凝らした演奏とは一線を画し、一切飾らない歌心が心を打ちます。後半15:37からの弦のトレモロの恐ろしいほどの克明な表出も聴きもの。コーダでは金管の低音が腹に響き、まさに「日本人の風格」を具現化した素晴らしいフィナーレ!演奏時間は53分を要しますが、リズムもフレージングも老朽化していないので、全体に瑞々しい息吹が流れている点も、感動に拍車を掛けます。【湧々堂】

S.D.G
SDG-702
ブラームス:交響曲第1番、
 埋葬の歌Op.13、運命の歌Op.54
メンデルスゾーン:われら人生のただ中にありてOp.23-3
ジョン・エリオット・ガーディナー(指)
オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク、モンテヴェルディcho

録音:2007年秋、ロンドン&パリ、ライヴ
“伝統美と現代的センスを完全に融合させた熱きブラームス!”
 ピリオド奏法で演奏することの意義をつくづく痛感させられる名演奏!一見現代的でスタイリッシュな演奏に聞こえますが、聴けば聴くほど、学究的な窮屈さを超えた有機的なアゴーギク、響きの素晴らしさに終始心を奪われます。第1楽章序奏部は早めのテンポで颯爽と進行しながらも主旋律にホルンが虚横列に覆い被さり、ベートーヴェン的な闘志が横溢。主部はすっきりとした造形とテンポ、引き締まったリズムを絶やしませんが、一切無機質に陥らず、響きは常に雄渾。
 第2楽章は歌のセンスに溢れ、0:45からの弦のポルタメントの得も言われぬセンスとそれに続くオーボエの共感溢れるフレージングは心に染みます。
 第3楽章はスピード感が溢れ、リズムは芯から躍動。終楽章に至っては感動の極み!オケがガーディナーの柔軟なフレージングに完全に手足となって応えきっており、ブラームスならではの重厚なサウンドの獲得にも成功しています。アルペンホルンの主題はかつてないほど朗々と鳴り渡り、絶妙な強弱の陰影を伴ってニュアンス満点。第1主題は、まさにノンヴィブラートによる奏法がかくも説得力を持つものかと、認識を新たにされるかとも多いことでしょう。各声部の連動力も半端ではく、弦の両翼配置の効果とも相まって、夢のようなニュアンスが次々とあぶり出されるのです。11:15から次第にクレッシェンドするティンパニ連打の意味深さも必聴!【湧々堂】

JIMMY
OM03-131
ブラームス:交響曲第1番
ベートーヴェン:「エグモント」序曲、
ラヴェル:ラ・ヴァルス*
レナード・バーンスタイン(指)NYO

録音:1959年8月28日レニングラード・フィルハーモニー大ホール、
1959年8月24日モスクワ音楽院大ホール* モノラル・ライヴ
“ただの熱演じゃない!完璧なバランス感覚と精神高揚力!”
 バーンスタインが最もバーンスタインらしかった時代に、その芸術性を高次元で結実させた演奏として、どうしても見逃すことができない一枚です!晩年の重厚路線ともニューヨーク・フィルとのコンビでイメージされるアメリカンなノリとも違う、見事にバランスの取れた芸術的な味わいと緊張感がここには漲っています。
 最初の「エグモント」序曲から壮絶!冒頭のトゥッティが不安を溜め込んだ響きで立ち昇る瞬間から、緊張の空気を現出。続く弦の響きの凝縮力も、響きが荒いとされることが多いNYOとは思えぬ完成度。アレグロに入ると団員全員が身を粉にして激情をぶつけながら熱く激走。ソ連の聴衆にアメリカ楽壇の意地を見せ付けようと意思も込めた様なその神々しいばかりの力感には言葉を失います。副主題のリズムの強固さと弾力のなんというバランスの良さ!終結部直前のホルンはかなり強奏させていますが、その巧さと、音が割れる寸前で深遠さを醸し出すとう離れ技!終結部の輝かしさはモノラル録音であることを忘れるほどの眩さで、金管が主題を高鳴らせる直前のピッコロのトリルがこんなに意味深く響いている演奏も他に聴いたことがありません。
 この1曲だけでもバーンスタインの名は歴史に刻まれたと思えるほどの素晴らしさですが、ブラームスは更に感動的!第1楽章冒頭はテンポこそ標準的なものですが、辺りを払う威厳と意志の強さが音の隅々にまで行き渡った完全無敵の斉奏ぶりで圧倒。主部に入ると、その身を粉にした熱い打ち込みに更に拍車が掛かり、ドイツの伝統とバーンスタインのストレートなバイタリティが完全融和し、皮相な雰囲気作りなど相容れない緊張の糸は、最後まで途切れることがありません。展開大詰めの11:33以降の極限の激高と、その後のピチカートの音楽的ニュアンスの豊かさは尋常ではありません。
 第2楽章も安らぎをもたらす緩徐楽章などではなく、表情は終止熱く濃厚ですが、それがバーンスタイン個人の体臭としてまとわりつくような印象を与えず、アゴーギクにも楽器のバランスにも、音楽自体が自発的に湧き上がるような純粋な佇まいに心動かされます。Vnソロが現れるシーンなどは、マイルドな感触仕上げる演奏が多い中で、そのソロも他の声部も音にハリを失わず、ニュアンスの光をふんだんに湛えている点が実に魅力的。第3楽章は冒頭クラリネット・ソロの巧さと、後ろ髪惹かれるようなニュアンスが印象的で、自己顕示が強すぎると揶揄されることの多いNYOとは思えぬ迫真のソロを聴かせてくれます。この楽章に至ってようやく平穏な空気が流れますが、音像のメリハリ感、リズムの腰の入り方はジョージ・セルを思わせるほどで、皮相な雰囲気に流されるそぶりを全く見せずに格調高い構築を維持している点が更に音楽的な味わいを高めています。
 終楽章はもう圧巻!ライヴならではの熱さを行った次元を超越しており、アンサンブルも表現意欲も全体に漲る緊迫感も全く弛緩せずに、最高の演奏を繰り広げることだけを目指した一途さが完全に効を奏しています。ホルン・ソロ以降の深遠さ、繊細さ、呼吸の深さ、低音域の引き締まった支えが一体となった至高のニュアンスにまず息を飲みます。第1主題の歌わせ方は、後のVPOとの演奏でもその独特の強弱配分が感動を誘いましたが、ここでは人為的な表情付けを全く感じさせない霊妙な味わいが格別で、「バーンスタインのアクの強さが苦手」という方には特に耳を凝らしてお聴き頂きたい瞬間です。テンポはかなり速めですが、単なる暴走ではなく、作品の内面と常にの常に対峙しながらイメージし得た表現を最後の一滴まで絞り出そうとする意気込みはバーンスタインの他のライヴ録音と比べてもトップクラスと思われます。最後の金管コラール出現直前の決死の加速は、壮絶の極み!その超高速テンポの中で、ホルンが主旋律補って完璧に吹ききる瞬間は、ホルン・ファンのみならず驚愕すること必至!
 ラヴェル
は、西欧管弦楽の色彩のデモンストレーションとばかりの輝き!クリュイタンスなどもソ連には訪れていますが、肌に吸い付くようなレガートの感触や、露骨に艶かしいアゴーギクはは、当時のソ連の聴衆にとって相当ショッキングだったに違いありません。録音状態も非常に良好で、会場の臨場感を見事に伝えています。【湧々堂】

Altus
ALT-091
ブラームス:交響曲第1番 ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)
NHK響

録音:1967年1月28日 ステレオ・ライヴ録音
“N響がマタチッチを神と崇めていたことを実証する超名演!”
 DENONから出ていた最後の来日公演の「ブラ1」も神々しい名演でしたが、これを聴くとそれさえ吹き飛びます!冒頭のティンパニの気力から凄まじく、弦は灼熱に燃え盛り、生半可な気持ちでは相対することができない異常な迫力で迫ります。主部に入ると絞り出すような激情と精神的な深みと憧れの風情を湛えた弱音のニュアンスが交錯。弦の持てる潜在能力の120%を出し尽くしたクオリティの高い響きをはじめ、隅々に渡ってマタチッチの熱い共感が浸透し尽くしているのが分かります。
 第2楽章も、綺麗ごとはどこにもなく、明快なアーティキュレーションと分厚い低弦の響きを絶やさずに大柄な造型で圧倒。心を込めぬいたヴァイオリン・ソロも印象的。第3楽章の金管の神がかったような輝き、弦のピチカートの意味深い語り掛けも、マタチッチの芸風を象徴しています。
 終楽章は最初のティンパニのクレッシェンドから、もうこれしかないと思わせる説得力!ホルン・ソロをこれほど強靭に腹の底から吹かせ、鬱蒼とした森の深部に迫る雰囲気を醸し出した例は聴いたことがありません。しかも、フルート・ソロが登場すると低弦が物々しく唸りを上げ、更にハーモニーに濃密さを加味するのですから鳥肌ものです!音は一貫して極太タッチ!その太いパイプに収まりきらないほどの情報量を目の当たりにすると、最近はいかにも少ない要素で感動を余儀なくされ、それが当たり前のようになってしまったことを痛感すると同時に、指揮者とオケとの関係が、単なる仲間意識を超えた次元に到達するという事の凄さを思い知らされます。
 豪放磊落とか爆演といった一言では済まない、音楽の根源に接することができる名演奏と言わずにいられません!【湧々堂】

コジマ録音
ALCD-8001
ブラームス:交響曲第1番
武満徹:夢の時、
細川俊夫:遠景U
高関健(指)群馬SO

録音:1997年 デジタル・ライヴ録音
“弾ける瑞々しさ!このブラームスは日本人の誇りです!”
 これは失礼ながら全く期待せずに聴いただけに、その最初の衝撃は相当なものでした。第1楽章冒頭を聴いて「まぁ普通だな」と思ったのも束の間、すぐに極めて克明な弦のピチカートが耳に飛び込みます。これは彼ら独自のブラームス像を打ちたてようとする前兆で、展開部以降はエンジン全開。取り憑かれたような推進力を見せ、溢れ出す表現意欲の応酬となります。アンサンブルの精度、凝縮度も、このオケの最高水準と思われる磐石さ。
 両端楽章のアグレッシブさと中間の2つの楽章の至福の安らぎ感との対比も含め、最後まで心を掴んで離しません。小細工は一切なし。トスカニーニ的な進行を続けながらきめ細かなバランス感覚が冴え渡る終楽章は特に感動的で、11:25のティンパニの粉砕力に唖然!最後の金管コラールでもテンポを落とさずに駆け抜けますが、そこには決然とした意志が漲っているので、新鮮な感動に襲われるのです。このオケの実力の程は、武満でも歴然。この艶やかな色彩表出ぶりは、本当に見事としか言いようがありません。【湧々堂】

マイスターミュージック
MM-1065
ブラームス:交響曲第1番
メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
ネルロ・サンティ(指)読売日本SO

録音:1999年 デジタル・ライヴ録音(サントリー・ホール)
“懐かしさと豪快さが入り混じった巨匠サンティの凄演!”
 Vnは指揮者の左右、Cbは左後方に配置。アーティキュレーション、アクセントにも古き佳き時代の味わいが濃厚ですが、音像は常に明快で、トスカニーニ張りの突進力を効かせるのにはびっくりです。第1楽章の14:29からの凄い凝縮力を伴ったクレッシェンド効果、第2楽章のしなやかなカンタービレは、オペラの巨匠ならではの技。終楽章の猛進ぶりも聴きもので、なんと終結では、ミュンシュ(EMI盤)並みの盛大なティンパニの追加があり、興奮を一層煽ります!
 メンデルスゾーン
のスピード感とリズムの立ち上がりも文句なし!アクセントの妥協のない処理も、演奏に瑞々しい生命感を与えています。N響と競演したサンティの演奏をお聴ききになった方は、偏狭な理論に惑わされない独特の牽引力に圧倒されたと思いますが、彼が生き抜いた時代の息吹の全てを注入し、この方法以外あり得ないと言わんばかりの確信に溢れる音楽作りは、最近のオリジナル志向の指揮者にはどう足掻いても真似のできない芸当でしょう。彼らはこれを聴いて何も感じないのでしょうか?【湧々堂】

ブラームス/BRAHMS
交響曲第2番ニ長調Op.73

Signum Classics
SIGCD-132(2CD)
ブラームス:交響曲第2番、
交響曲第4番
クリストフ・フォン・ドホナーニ(指)
フィルハーモニアO

録音:2007年6月28日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、2007年2月4日、クィーン・エリザベス・ホール*(共にライヴ)
 シグナム・クラシックスのフィルハーモニア管シリーズ第1弾。1994年にフィルハーモニア管の首席客演指揮者として迎えられたドホナーニは、1997年に首席指揮者に就任。このブラームスはクリーヴランド管とのスタジオ録音から20年を経ていますが、その円熟味たるや予想をはるかに超えるもので、名前を知らされずに聴いたらヨッフムやザンデルリンク級の巨匠の演奏と思われることでしょう。演奏内容はきわめて堅実。ただし、その生真面目なアプローチが音楽自体を極限まで熟成させ、内燃の活力を醸成させるのに完全に作用しているので、模範解答的な演奏には決して陥ってはいないのです。
 まずは「第4番」。冒頭は粘らず軽やかに滑り出しますが、ヴァイオリン両翼配置が功を奏して響きが充実の極み。第2主題は幾分テンポを落とし手じっくり歌い上げますが、その歌いっぷりが内容を伴った素晴らしいさ。アーティキュレーションには常には常に強固な意志が感じられ、それをフィルーモニア感が完全に受けとめています。そのオケの響きがまた筆舌に尽くしがたい魅力で、これぞブラームスといった雄渾な響きの表出を実現しているのも驚きです。10:53以降の内燃力に早くも感動が頂点に!
第2楽章も出だしはすっきりと進行し、ホルンは明瞭そのもの。。流れは楷書風ですが、その書体にも響きにも人口臭さがないので極めて清潔で説得力のある造形美へと繋がっています。第2主題の息の長いフレージングとその呼吸のしなやかさは、現代感覚と伝統的なスタイルが見事に融和した成果。その第2主題の再現(7:56〜)は、この作品への共感度を計る試金石とも言えますが、ここでも古めかしさを感じさせない一途な共感がこもり、分厚いハーモニーは高い求心力を誇ります。
第3楽章は、有機的な弾力をもつリズムにご注目。あからさまではない形で内声を充実させる才には以前から長けていたドホナーニですが、その特質に円熟味が加わったときの音楽の厚みを是非感じていただきたいものです。
終楽章も恣意的な声部操作を感じさせずに見事な立体感を表出。しかもはモニーのバランスがここでも鉄壁!1:17からのアーティキュレーションから引き出される微妙なニュアンスは、耳と感性を全開にして接してください。いつの間にこんなこんな技を体得したのでしょうか?6:43以降はティンパニの充実ぶりが印象的。特に終結部ではその響きが核として一層大きな意味を成し、感動的なクライマックスを築くのです。
がっただを。この裕子運名滋賀感じられもの。
 「第2番」も、鋭角的な響きを持つ演奏が多く聴かれる昨今、響きの美しさ造型の揺るぎなさ、確かな共感といった当然の前提条件を兼ね備えた演奏になかなか出会えないとお嘆きの方にとにかくお勧めしたい素晴らしい演奏。声部感の連動が決してもやもやせずにすっきりしているにもかかわらず、響きが薄くならずに味わい深いのは第4番と同じ。終楽章開始間もなく0:51でティンパニが驚愕のアクセントを利かせるのはライヴならでは。しかもクライマックスの熱さと手応えは尋常ではありません。ここでは安易なアッチェレランドなお呼びでなく、オケの機能美とドホナーニの円熟が最高に結実したあまりにも見事な締めくくりに、言葉を失います。最後の金管の細かい音型が、ここまで明瞭かつ温かみを持って響き渡った例は他に思い当たりません。
ドホナーニは2009年に首席指揮者の座をエサ=ペッカ・サロネンに譲り桂冠指揮者に就任しますが、これはまさに有終の美!  【湧々堂】

Altus
ALT-072(2CD)
ブラームス:交響曲第2番
モーツァルト:フリーメーソンの為の葬送音楽
 交響曲第41番「ジュピター」、
オイゲン・ヨッフム(指)VPO

録音:録音:1981年9月20日 ウィーン・ムジーク・フェライン大ホール(ステレオ・ライヴ)
音源提供:ORF
“旧スタイルの意地を貫徹!カール・ベーム追悼ライヴ”
 カール・ベームの急逝により実現したヨッフム久々のウィーン・フィル定期登場。1曲目はそのベームを偲んで「フリーメーソンの葬送音楽」が演奏されますが、この演奏からして尋常ではありません。冒頭の管楽器の深々とした佇まいは感覚美を越えた幽玄世界。中低域をたっぷり響かせた弦の余韻がそれにさらに広がりを持たせて、搾り出すような悲しみを表出しますが、音楽はあくまでも魂の浄化への向かい、長調で締めくくられる終結部に見事に結実。安らぎのある感動が広がります。
 終了後約35秒間の黙祷の後に演奏される「ジュピター」は、もちろん往年の大柄な旧スタイルによる演奏ですが、些細な裏の旋律まで心を通わせるのは、ヨッフムの純粋な音楽愛の賜物。
 第2楽章で聴かせる心の震えそのものの弦のヴィブラート、リズムの重心は低くても瑞々しさを保持した第3楽章のトリオが印象的ですが、終楽章は内声の充実度が破格でシンフォニックな魅力を存分に堪能させてくれる名演奏!0:39からチェロの走句をここまで生き生きと表出したれいは稀で、その立体感には衒いなど微塵も感じさせません。展開部に入る前に長いルフト・パウゼを挿入し、しかも低速で滑り出すのは一時代前のスタイルを如実に反映していますが、まさに曲が発展・展開し、別世界へと誘う手段としていかに自然で美しい選択であることか、実感させられます。そして再現部に入る直前、5:37からのチェロの下降音型!こんな優美な居ずまいは感涙しきり。コーダに至ってはこの作品のまさに理想郷と言える至芸で、内声部の充実が知的操作に依存せずにする土台からてっぺんまで手間隙を惜しまず造られた建築物のような真の重厚感が圧倒的な手応えを感じさせるのです。
 しかし、このCDの白眉は何と言ってもブラームス。老境に至って風格増しても決して音楽まで枯れさせないヨッフムの真骨頂が余すところなく刻まれています。第1楽章冒頭の厚みと芯を湛えた低弦はごく自然な滑り出しですが、音楽が次第に醸成する様は、まさに生命体の誕生を見るよう。第2主題に入る直前の憧れに満ちた音像のなんという広がり!その第2主題は弓圧をたっぷり使い切った渾身のフレージング。その後はフルートも、トロンボーンもティンパニもその役割の重要さを改めて認識させられることしきりで、しかもほとんどの演奏で裏方に徹していたこれらの楽器が当然のように全体にブレンドしているのにはただ敬服するしかありません。第2楽章も中低域をベースにした大規模な造型。しかしその大きな流れに身を任せて全体が茫洋とすることは決してなく、2:53からの木管の囁きと弦のピチカートに象徴されるようにキラッとした閃きが縦横に張り巡らされているので、「普通の名演」とは説得力が違うのです。
 第3楽章はピチカートを徹底的に前に立てたバランスがユニークですが、絶妙なアゴーギク操作とも相まって、単なる抒情的な雰囲気作りだけではない心血注いだ音楽作りをとことん実感。3:02からの生命感の噴射ぶりにもびっくりしますが、再びテーマに回帰する際の低速テンポ設定の気の遠くなるような霊妙さ!こういう技こそが「音楽をする」ということ!と叫ばずにはいられません。
 そして圧倒的な終楽章。演奏時間は9:03と標準的とも言えますが、ヨッフムとVPOの化学反応はここで遂に頂点に達し、内燃エネルギーの壮絶な噴出に言葉を失います。0:50の強奏の直後で潮が引いたようにガクッと音量を落としたり、終結部の7:59では低弦が他の声部を掻き消すほど襲い掛かるなどの特有のこだわりにも注目ですが、なんといっても一音一音の主張が凄まじく、最後まで持久力が途絶えないのには唖然とするばかりです。特に後半、アッチェレランドが掛かりそうでかからないぎりぎりの攻防が、これまた筆舌に尽くせぬ緊張と興奮を煽るのです!【湧々堂】

archiphon
ARCH2.5CD
廃盤

Hanssler
93-143
ブラームス:交響曲第2番
ワーグナー:「パルジファル」〜前奏曲、終結の音楽
カール・シューリヒト(指)
シュトゥットガルトRSO

録音:1966年 ステレオ・ライヴ録音
“最晩年のシューリヒトが醸し出す天上の音楽!”
 「この世のものとは思えぬ」という言葉を使わざるを得ない究極の演奏というものがいくつかある中で、音楽を超越して神の声として響くこのシュトゥットガルトのライヴは格別の存在感を放っています。ブラームスは、冒頭の低弦からホルンへの序奏の響きが天上からふわっと舞い降りるように鳴る瞬間から、既に異次元的な美しさ!主部以降は、力みが一切なく、微妙な陰影を湛えたアゴーギクと共に、フレーズがとうとうと流れますが、そのテンポの変化も呼吸の膨らみも、人間が操作していることを感じさせない雰囲気は、言葉で言い尽くせません。第2楽章後半の頂点でも、通常の構築美の意味を超えた素朴で深いニュアンスに息を呑みます。
 第3楽章は農村の舞曲風なニュアンスなどではなく、天上の楽園を淡い音彩で描いていますが、中間部に入った途端にリズムが無骨に弾んで現世に舞い降り、再び彼岸の彼方へ去って行く…そんな思いにさせる演奏は他に思い浮かびません。終楽章に至っても、がっちりとした構築よりも、純朴な流れが心を捉え、痛快な身のこなしなどどこにもありません。いわゆる「枯れた表現」のようにも思えますが、晩年のベームのような意味とは異なり、瑞々しさと神々しい光をそこに感じさせるところが、超人シューリヒトならではでしょう。あの名盤の誉れ高いDECCA番の魅力をさらに突き詰めたこの演奏は、聴き手の側から何かを感じ取ろうとしない限り、ただ流れ去ってしまうだけですが、シューリヒトがかねてから得意としていたこの曲の最後の答えが無我一色で、深い奥行きを感じさせる音楽として再現されるというのは、何と素晴らしいことでしょう。
 ワーグナー
でも人間臭さは皆無。いかにもワーグナー的なアクもなく、ただその神々しい光に包まれるのみですが、「前奏曲」の最後の部分や、「終結の音楽」から滲み出るこの空気は、どんな形容詞も通用しません!感動的な音楽を形作るのは、決して「呼吸」だけないことを確信させます。音質も極上。【湧々堂】

※入手が容易なのはHanssler盤。収録曲はこのブラ2に加えて「運命の歌」「悲歌」('54年録音)。archiphon/ARCH2.5CDのブラームス冒頭で一瞬電気的なノイズが聞こえますが、特に鑑賞に支障なし。同一音源によるLIVE STAGE盤(LS4035160)では巧く処理しています。ヘンスラー(93143)からも発売。ワーグナーは、ヘンスラー盤の「ワーグナー作品集」(CD93.019)と同一。
米SONY
QK-62287
ブラームス:交響曲第2番
メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
アルノルド・カッツ(指)
ノヴォシビルスクSO他

デジタル録音
“現代的機能美には目もくれぬ、心一つで歌いぬくカッツの技!”
 「シベリアのカラヤン」の異名を持つカッツのブラームスは、純朴そのもので、カラヤンとは正反対。決して大声でわめくことはなく、しっとりとした詩情を大切にしながら入念に歌います。特に終楽章は終始遅いテンポでとうとうと流れ、なんとも濃厚なノスタルジーと優しい風情は、目頭を熱くさせます。この数分の感動だけでも、是非味わっていただきたい!【湧々堂】

GOLDEN
MERODRAM
GM-4.0071(2CD)
(1)ブラームス:交響曲第2番、
(2)ブラームス:運命の歌、
(3)モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番
*、
(4)モーツァルト:2台ピアノのための協奏曲#、
(5)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ヨゼフ・カイルベルト、
ラファエル・クーベリック#
オイゲン・ヨッフム*(指)
バイエルンRSO、
バイエルン放送cho、
ロベール・カサドシュ(P)、
ギャビー・カサドシュ(P)

録音:(1)'66.12.8(ステレオ)、(2)'61.1.19、(3)'54.3.11、(4)'70.2.27(ステレオ)、(5)'67.5.5(ステレオ)
“男カイルベルト!「ブラ2」終楽章の豪放な突進力!”
 この「ブラ2」はかつてDISQUES REFRAINから出ていたものと同一で、カイベルトのライヴによる交響曲録音の最高作であるばかりでなく、質実剛健の一言で片付けられがちなこの指揮者の天才的なフレージング能力と、オケを奮い立たせる牽引能力の高さを思い知らされる凄演です。第1楽章は、冒頭から細部にちまちまと拘るのではなく、太い筆致の草書を思わせる風情がまさに純正ドイツの響きの象徴し、その後も分析臭は一切なく、一匹狼的な頼もしさで直進し続けますが、一見ストレートなようでいて、自然に呼吸が振幅を繰り返し、瑞々しさを決して絶やさないところが、伝統に安住しているだけの演奏とは一線を画すところです。第2楽章の中低音をベースとした奥行きを感じさせるテクスチュアも、バイエルン放送響の合奏力の高さとともに揺るぎないもので、ブラームスの醍醐味を徹底的に堪能させてくれます。6:08以降の低弦ピチカートに乗せたフレーズの芳しいニュアンスは、なんとしてもお聴き逃しなく!
 しかし腰を抜かすのは終楽章!一糸乱れぬアンサンブルとともに後半に行くに従って白熱の度は増すばかり。コーダでは遂に内声の深々とした融合を解いて、ティンパニが天空を突き抜ける勢いで砲撃を見せ、意図的なアッチェレランドとは違う真に差し迫った加速ぶりも、二度と同じようにはできないと思われる素晴らしさ!この数分間の奇跡だけでもこの2枚組を手にする価値ありと断言できます!
 そのカイルベルトの一枚岩のような音楽作りに乗せ、カサドシュがソロを務めた「皇帝」が、またこのこの曲のベスト演奏のひとつ!カサドシュのベートーヴェンはSONYにもソナタの録音などがありますが、やや水っぽくて食い足りなさを覚えた方も、これには驚かれることでしょう。最初のソロの瞬間から、タッチのニュアンスに一つとして同じものがなく、繊細でありながら音色はブリリアント!ステレオ録音が少ないせいか、カサドシュのピアノにこれほど「華麗さ」を感じる演奏はないように思います。もちろん音が決して割れずに気品を湛えているのはいつも通り。やや速めのテンポの中にも、カイルベルト共々深い呼吸を共有しています。一方、オケもその魅力を十二分に繰り広げ、17:13からのホルン・ソロは、あらゆる演奏の中でも最高に感動的!第2楽章の弱音タッチの美しさも溜息が出ます。カサドシュのタッチの「美しさ」を評も見たことがありませんが、作為の跡が全くない自然発生的な柔和タッチは、ほかに類例がありません。終楽章冒頭ペダルをサッと引いて、リズムの弾力を強調する粋なセンスも一度聴いたら病みつき必至。リズムの重心が低く、頑丈な構築を見せるのも意外。丁々発止のカイルベルトとの緊迫の掛け合いも圧巻!
 2台ピアノ協奏曲も、これ以上何を望めましょうか!愛妻ギャビーとの共演盤は少なくないですが、これは伴奏ニュアンスの豊かさの点でも同曲を語る際に絶対に外せないばかりか、おしどり夫婦ならでは息の合い方などという次元ではなく、完全に一対となって初めて可能な2台ピアノならではのハーモニー感を表出しきっているという点で、絶妙の極みです。第2楽章など愛の育みそのもので、二人の美音タッチで甘いニュアンスに更に香気が立ちこめます。第2楽章の4:45の一瞬の装飾音をあえて意識して聴いてみてください。息がぴったりどころではありません!【湧々堂】

Valois
V-4827
廃盤

LIVING STAGE
LS-1032
ブラームス:交響曲第2番、
シューマン:交響曲第4番
シャルル・ミュンシュ(指)
フランス国立放送局O

録音:1965年、1966年 ステレオ・ライヴ録音
“才気爆発!逞しい骨格で燃え盛るミュンシュの快演!”
 ブラームスの冒頭は、ミュンシュにしては意外なほど繊細な表情を施していますが、すぐに音楽は怒涛と化し、凄まじい推進力で圧倒します。特に第3楽章中間部の破壊力とスピード感は比類がなく、終楽章の展開部の入りではミュンシュは唸り声まで発し、興奮を極限まで煽り続けますが、コーダでは破格の大サービスを披露!最後の締め括りの音を異様に長く引き伸ばし(スヴェトラーノフの「ローマの松」のコーダを思い起こさせる)、遂に聴衆は堪え切れず、その持続音の途中で大喝采を贈ってしまうのです。 シューマンも血気盛んですが、第2楽章の深い憂いと瞑想感はそれとは対照的に心の奥底に響きます。
※LIVING STAGE*LS-1032(ベートーヴェンもカップリングされた2枚組)と同一録音。

ブラームス/BRAHMS
交響曲第3番ヘ長調Op.90

Profil
PH-08043
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ブラームス:交響曲第3番
サー・コリン・デイヴィス(指)
シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1992年10月22日ドレスデン・ゼンパーオーパー(ライヴ)
※収録:MDR
 「未完成」は第1楽章冒頭で超弱音による神秘性を表出し、主部も内省的な味わいを十分に湛えたニュアンスが心を捉えますが、同時にシンフォニックな造形美も余すことなく押し出し、極めて豊穣な音楽が展開されます。展開部冒頭の弱音の幽玄のニュアンスや、全休符の間をたっぷりとりながら緊張が途切れないのも、デイヴィスの円熟を見事に象徴しています。第2楽章も実にスケールの大きな演奏ですが、驚くべきことに第2主題の4:20ほどで、弦にポルタメントがかかるなど、デイヴィスにしては珍しいスパイスも盛り込まれ、のめり込みの強い表現になっています。どこまでも純真な歌心にも心打たれます。
 しかし、それ以上に感動的なのがブラームス!ここ10年で最も心揺さぶられた「ブラ3」かもしれません。何という響きの充実度でしょう!第1楽章冒頭から響きのコクが生半可な演奏とはまるでことなり、第1主題の絶妙なアゴーギクにも尋常ならざる共感が満ち溢れています。当然提示部は繰り返されますが、この包容力に再び味わえることことはまさに至福。展開部は音楽が一層燃焼し、強靭な拍節感ひとつとっても表現意欲のかたまり。しかも音色は常に人間的な温かみに満ちているので、迫り来る高揚にも何かを排除するような威圧感がない分、聴き手への伝播力が違うのです。後半11:48からの追い込みはアンサンブルが乱れがちになることが多いですが、ここでは究極の燃焼を維持しながら縦の線がビシッと完璧!
 第2楽章はこのオケの持ち味の音色美が生き続けていることを証明。冒頭、管楽器の豊かなハーモニーのなんと心に響くこと!ただただ陰鬱になりがちな第2主題も、主旋律のクラリネットだけでなく、それを支える弦までもが伸びやかに呼吸を繰り返し、出てくる表情は実にきめ細やか。しかも音楽全体が大きくうねり続けるので、一旦心を掴んだら最後まで離しません。
 第3楽章はまさに男のむせび泣き!決して哀れさを湛えたものではなく、襟を正した凛とした風情をまいを崩さずに醸しだされるのですから、感動もひとしおです。自己顕示的なアピールに傾かない、純朴なホルン・ソロも聴きもの。終楽章もどんな細部にも曖昧さを残さず、スコアの奥底に徹底的に食い入りながらほかに選択の余地のない絶妙なニュアンスを連鎖させ、内面から燃え盛る演奏の素晴らしさを手に汗握るばかりです。その熱さは最後の鎮静へどうやって繋げるのか予想もつかないほどですが、そのコーダがまた絶世の美しさ!単に音楽を小さく終息させるといったものではなく、希望の光が全体を優しく包み、夢を抱きながら優しく微笑みかけながら終わる…、そんな情景が浮かぶ演奏にかつて出会ったことがありません。  【湧々堂】
NAXOS
8.557685
ブラームス:交響曲第3番、
交響曲第4番(2台ピアノ版)
ジルケ=トーラ・マティース(P)、
クリスティアン・ケーン(P)

録音:2004年デジタル録音
“平凡なオケ演奏など一蹴する圧倒意的手応え!”
 作曲家自身の手による2台ピアノによる演奏ですが、それぞれのピアノを左右にきちんと定位させた録音なので、どの声部をどちらのピアノが弾いているのかが明確に分かるので、一層興味深く鑑賞することがきます。演奏自体も実に素晴らしく、ピアノ・デュオ・ファンのみならずオーケストラ・ファンにもお聴きいただきたいもの。第3番の終楽章など、薄味のオケの演奏の何倍も緊張感に溢れ、二人のピアニストの息もぴったりで、第4番の第3楽章など多重録音かと思うほど縦の線が見事に揃い、推進力の満ちた演奏を披露しています。2台ピアノによる録音は他にもありますが、これはファーストチョイスとして強力にお勧め!【湧々堂】
TAHRA
TAH-303(2CD)
ブラームス:交響曲第3番、
 交響曲第2番

ハイドン:交響曲第88番、
R.シュトラウス:死と変容
ハンス・クナッパーツブッシュ(指)
ドレスデン・シュターツカペレ

録音:1956年〜1959年65年 モノラル・ライヴ録音
“怪物クナが本気で世界を敵に回した4つ異常凄演!”
 どの曲もクナのお得意の曲ですが、「ブラ3」(Arkadia盤と同一ですが音質はこちらが上)は、数種ある録音の中で、自己のスタイルの徹底ぶり、オケの機能美、音質等において、頂点に君臨するものです。第1楽章冒頭から、ホルンではなくトランペットを突出させていきなり激烈なハーモニーで圧倒!終楽章は、主部突入直前の大失速を伴っての瞑想の深さ、展開部のティンパニ追加効果の激烈さと、魅力は尽きません。
 「死と変容」の神々しさも、ひれ伏すしかない説得力。「ブラ2」は、終楽章の11分を超える巨大造型に打ちのめされること必至です!【湧々堂】

ブラームス/BRAHMS
交響曲第4番ホ短調Op.98

Altus
ALT-189
ブラームス:交響曲第4番
 ハイドンの主題による変奏曲*
若杉弘(指)ケルンRSO(現WDR響)

録音:1980年9月12日ケルン、1981年10月13日トーンハレ*、ステレオ・ライヴ(交響曲のみ拍手あり)
 ブラームスの交響曲の中で最も古風なスタイルで書かれた第4番。思い返すと近年良く耳にする演奏は、必要以上に立派に壮麗に過ぎるのではないか?という思いに駆られるほど、これは古き佳き風情を大切にし、そこに現代的な洗練を加味させた独特の格調を誇る名演奏です。シュミット・イッセルシュテットの演奏にもう少し洗練を加味した感じ、とでも言いましょうか。
 第1楽章冒頭の、良い意味での力の抜けた滑り出し方、いかにも渋い音色に、何か忘れていた大切なものに気付かされます。さらに第2主題。リズムのエッジを立て過ぎると削ぎ落とされてしまう、馥郁たるニュアンスがこの作品には宿っていることに感じていただけることでしょう。演奏時間は13分を超えるのは遅い部類に入りますが、その事実を後から知ってびっくりするほど、各声部が優しく連動し、自然な緊張感を携えながら豊かに音楽が進行するのです。コーダではこの作品の内燃力を誇示するかのように芯から音楽が高揚。心を打ちます。
 第2楽章は可能な限り拍節感を噛み締めることで音楽に熟成の味わいが生まれています。丁寧に音楽を進行させつつも決して淀まず、清流のような流れ。
 第3楽章は雄渾と呼ぶに相応しい精神的な燃焼が見事。
 終楽章のシャコンヌ主題の発展のさせ方は、どんな些細な内声部にも配慮する若杉の真骨頂。説明調になりすぎても、知的な構築がなさすぎても音楽がシラケてしまいますが、そういった場面での若杉のバランス感覚は尋常ではありません。シャコンヌ主題が回帰する6:03からの灼熱ぶり。ブラームスの音楽の範疇を超えないギリギリの金管の叫びが印象的で、テンポの設定にも凄みすら感じます。7:18から延々と繰り返される3連符3つの音型にもご注目を。その全てをくっきりと浮かび上がらせながら、それをあからさまではなく謙虚な姿勢で行うのが若杉の美学と言えましょう。7:57以降は心ある人なら感動必至の入念さ、熱さ!終演後の節度ある「ブラボー」の一声も、若杉が敷き詰めた雰囲気に見事にマッチ。
 「ハイドン変奏曲」、これがまた感動的!声部の見通しが良く、各変奏のテンポ設定も絶妙。最初のテーマ自体、全ての音符が慈愛に溢れ、何の小細工もなしに聴き手を擦り寄せる魅力を孕んでいます。第1変奏で、この演奏がただならぬ名演であることをさらに認識。テンポは平均よりやや早めに感じますが、そこには不思議な切迫感が。第4変奏の陰影の濃さ、第6変奏の遅めのテンポによるひなびた味わい…というように実に音楽作りが入念かつ真剣。その入念さ、妥協を知らない愛情の注ぎ方を極めたのが終曲。若杉弘にはスケール感が足りないと思っている方は、この最後のトラックだけでもお聴きいただき、今日から認識を変えていただきたいです!  【湧々堂】

Altus
ALT-070
シューベルト:交響曲第5番
ブラームス:交響曲第4番
カール・シューリヒト(指)VPO

録音:1965年4月24日 モノラル・ライヴ
“神技の連続!最晩年も衰えなかったシューリヒトのロマンチシズム!”
 これはシューリヒトの最晩年の演奏の中で傑出した名演!2曲ともシューリヒトの芸術の最高のエッセンスが凝縮されていると言っても過言ではありません。
 シューベルトは、ワルターに代表される様な無理のないテンポ感と清々しいテクスチュアを一貫させ、強烈なアピールに乏しいこの曲の芯の魅力を余すところなく再現。提示部の最後のディミニュエンドや、展開部2:48以降の濃密なレガートはシューリにとならでは技、再現部は一層リズムに華を感じさせ、「シューベルト=素朴」と単純化できない味わいを残します。
 第2楽章冒頭の質句のような幻想的なニュアンスの聴きもの。こんな絶妙な美しさを他度したフレージングは他では望めません。
 中間部のスルックナーを予感させる敬虔な佇まいにもご注目。コシがしっかり入った第3楽章のリズム感も見事。VPOの特性も手伝って、この3拍子リズムがしなやかに躍動し続けます。そして、中間部へ全く間を空けずにスルッち」滑り込む絶妙さ!
 終楽章も絶品!単に軽妙に流すしか手立てのない指揮者が多い中で、微かな強弱の振幅がフレーズ全体に命を吹き込きこんでおり、VPOの精妙なアンサンブルにも息をのみます。憧れを胸に秘めた第2主題も胸に染みます。よく晩年のシューリヒトは精彩を欠く、などと言われますが、この演奏はその噂が全く的を得ていないことを証明しています。ましてや、続くブラームスを聴いたなら、誰もがそんなことは絶対にありえないと確信することでしょう。
 ブラームス
の4番は、古い様式への回帰を念頭に置くあまり、変に窮屈な演奏に堕してしまうこともありますが、このでのシューリヒトは有名なスタジオ録音の名演以上のロマンティックな情感を吐露し、シューリヒト持ち前の秘技をふんだんに駆使した恐るべき名演です。
 第1楽章冒頭の繊細を極めたロマンの香気からショッキング!バーンスタインのようにむせ返るような匂いではなく、ほのかに、しかし確かに深いニュアンスを伝えているのです。第2主題の深々のした歌、ホルンの絶妙なバックアップも流石。展開部7:30からの弱音による彼岸の風情はには思わず手を合わせたくなるほど。終結の11:44で突如テンポをギアチェンジして低速に転じ、圧倒的な格調美を確立している点も感動を煽ります。
 第2楽章、冒頭のホルンと木管のユニゾンが、これほど支援に響いたことがかつてあったでしょうか!続くクラリネットの息の長いフレーズは、単なる孤独とも違う枯淡の味わい。第2主題が回帰するシーンは、VPOの豊穣な弦の響きが最高に功を奏し、独特の音の厚みと威厳を醸成しています。
 第3楽章は、決してリズムが浮き足立たず、荘厳の極み。雄渾のティンパニが突出せずに全体と融合し、強烈なトゥッティを築いている点も印象的。
 終楽章は、もう言葉にならない高みを極めた超名演!内面から灼熱の炎をたぎらせ、各変奏ごとの入念の描き分けも比類なし。6:37では、なんと10秒以上もたっぷり余韻を保ってからトゥッティに突入するという神技が!シューリヒトといえどもこれに匹敵するニュアンスは二度と再現できなかったのではないでしょうか?コーダはほとんどインテンポながら、音の芯の熱さは極限に達し、圧倒的な凝縮力を見せて締めくくります。この演奏会は、シューリヒトとVPOによる最後の演奏会の一つですが、両者が心から尊敬し合い、またその気持ちが尋常でなかったことを示したという点でも、これ以上の演奏はないと思われます。

TAHRA
TAH-664
シューリヒト〜新発見のベートーヴェン&ブラームス
ベートーヴェン:交響曲第7番
ブラームス
:交響曲第4番*
カール・シューリヒト(指)北ドイツRSO

録音:1957年4月15日、1958年5月7日*
“ワルター以来の風格と温和さを醸し出した奇跡の“ベト8”
 シューリヒトがまだ枯れきる前のアグレッシブな妙技!ベートーヴェンの第1楽章冒頭は、単に和音を打ち付けるだけではない夢と憧れ、包容力を伴ったSOきがシューリヒトならでは。フレーズ結尾をリタルダンドし流れにメリハリを付ける技、金管の補強も、作品に神々しさを加味。主部はテンポこそオーソドックスですが、金管、打楽器のアクセントが強烈なインパクトで迫り、リズムも下から俊敏に突き上げるので独特の推進力で魅了します。5:23に象徴されるように、裏の拍節まで徹底的に鳴らすこだわりも、全曲にわたって徹底遵守。5:58のような強固で熱いアッパーパンチ、シューリヒトにしては珍しいですが、この意志の漲り方にも感動を禁じえません。
 そのアクセントが命の結晶と化すのが終楽章。オケの特質も相まって造型はゴツゴツとした感触ですが、芯が熱く、フレージングに不純物や淀みがないので、他では味わい得ない高貴な迫力で聴き手を徹底的に揺さぶります。
ブラームスはさらに感動的!
 第1楽章0:57からのシューリヒト節とも言える流麗なレガートは魅惑的。巨大に聳える第3楽章の造型力も圧倒的。終楽章では、中間部の幻想的な弱音のニュアンスには一貫して霊妙な空気が漂い、この先の展開が危ぶまれるほどの恍惚感を見せ、ここからどうやって後半へ突入するのかと思っていると、なんと直前(6:24頃〜)で驚異的な長さのルフト・パウゼ!!この全休止は優に10秒は続きますが、それにもかかわらず音楽が寸断されないないのですから、これを神業と呼ばずなんと呼びましょう!そして最大の白眉は第2楽章。S・イッセルシュテットの名演でも明らかなように、ブラームスとゆかりの深いこのオケの程よくくすんだSOきから引き出される寂寥感と、シューリヒトの孤高な精神が放つ香気が渾然一体となった比類なき説得力!この楽章の第2主題(8:10〜)を感動的に奏でる演奏は少なくありませんが、その中でもこの演奏は、そのSOきの特性において真実のブラームスを声を感じさせるのです。2曲とも音質に落差がなく聴きやすいのも嬉しい限りです。【湧々堂】
WEITBLICK
SSS-0072-2
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
バッハ:2台ヴァイオリンのための協奏曲、
ブラームス
:交響曲第4番
クルト・ザンデルリンク(指)ミュンヘンPO、
インゴ・ジンホファー(Vn)、
スレテン・クルスティク(Vn)

録音:1984年11月23日ヘルクレスザール・ステレオ・ライヴ(ステレオ)
“遅いテンポの本当の意味が伝わる驚異の名演!”
 ブラームスがとにかく凄い!ザンデルリンクのブラームスというと「テンポの遅さ」ばかりが云々されますが、少なくともこの第4番は、第1楽章から様式を逸脱したような異様な遅さなはく、各主題の性格に応じて確実にニュアンスを変えていることでも明らかなように、全ての指示が作品のあるべき姿を再現するためのアプローチとして、破格の説得力を持って迫るのです。6:34のトゥッティからクラリネット・ソロへと繋ぐ際の緊密な連携プレーなど、他では聴けないでしょう。
 第2楽章は、過剰なロマンチシズムに溺れず、作品の古風な佇まいを重視するザンデルリンクの姿勢が明確に反映され、より耽美的に歌える箇所でも古典的な居住まいを崩さず、凛としたフレーシングを保持。第2主題でもそのスタンスは変わらず、イン・テンポを基調としながらも気が遠くなるほど深い呼吸と低弦の応酬で圧倒します。
 第3楽章は凄い攻撃力!この時期のザンデルリンクに、こんな露骨なまでのパワーが残っていたことに驚きを禁じえません。決して外側から指示したものではなく、根底から湧き上がるリズムの躍動と化しているので、音楽的な意味に溢れた推進力が尋常ではありません。中間部の陰影の濃さも印象的。
 終楽章は冒頭テーマのハーモニーの美しさに驚愕!ザンデルリンクの音色志向を窺い知る必聴ポイントです。その直後のアーティキュレーションがこれまた高潔で、2:50からのフレージングの透明感も前代未聞。チェリビダッケのあの緻密さとはまた違う、不思議な陶酔感に酔いしれるばかり。拍節を四角四面に振り分けるだけでは成し得ない、まさに究極の芸です。
バッハは近年聴かれなくなった大柄の演奏ですが、バイエルン国立歌劇場管のコンマスもつとめたジンホファー、ミュンヘン・フィルのコンマス、クルスティクの連携も見事で、これも聴き応えあり。 【湧々堂】

BBC LEGENDS
BBCL-4003
ブラームス:交響曲第4番
シューベルト:交響曲第5番
ルドルフ・ケンペ(指)BBC響

録音:1976年(ブラームス)、1974年(シューベルト)
共にステレオ・ライヴ録音
“ケンペ死の3ヶ月前!命の灯を燃焼し尽した涙の“ブラ4”
 ライブで燃えることで有名なケンペですが、この死の直前のブラ4は、英国民への最後のメッセージとなることを予見したような異様なテンションに溢れており、表情の濃厚さ、呼吸の異様な振幅など、持てる表現意欲の限りを出し尽くした凄演です!第1楽章はふわっと湧き上がる冒頭主題から無我の境地!しかし枯れてはおらず、徐々に芯を加熱させ始しながら、コーダでは激烈なティンパニの最強打と共に魂を抉ります。
 第2楽章の息の長いフレージングは天国的な美しさ!第3楽章の重量級の構築と予想外の金管の雄叫びも聴きもの。終楽章は、絶妙なアゴーギクの粋を結集しての造型美が見事で、白熱的なコーダに至るまで感動の連続です。終演後はもちろん大拍手の嵐。しかし誰一人「ブラーボー!」と叫ぶことのできない空気が、この演奏の神々しさを物語っています。【湧々堂】

DECCA
455-5102
廃盤
ブラームス:交響曲第4番
なぜ悩む者に光を与えたか、
祝辞と格言、3つのモテット
ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
ライプチヒ・ゲバントハウスO、
ライプチヒ放送cho

録音:1996年 デジタル録音
“残念ながら、どんなに言葉を尽くしてもこの感動を伝えきれません!”
 ブロムシュテットは、N響の名誉指揮者に就任してからようやく一目置かれるようになった感がありますが、今でも「中庸を重んじる堅実派」というイメージが大勢を占めているのではないでしょうか?しかし、彼の指揮は、そんな一言で片付けられない強固な構築としなやかなフレージング、テクスチェアの克明さが最大の魅力。指揮ぶりだけを見ていると確かに不器用そのもので、とても重量級の名演を聴かせてくれるようには思えませんが、どうもその見た目のイメージが先行しているように思えてなりません。ましてやこのCD、初発売はヴァントの新録音の発売と見事にぶつかったため、この演奏の素晴らしさを伝えるのは本当に大変でした。冒頭の主題は、触れると壊れそうなほど繊細に寂寥感を湛え、次第に骨太なバスの追随と共に呼吸を膨らませ、比類のない味わいを醸し出しているのです。展開部の木管の悲哀に暮れた音色も絶品。コーダでホルンが主題を強奏する辺りからは音楽が熱く熟し切り、その凄みたるや、
 続く第2楽章をすぐに受け入れられない程です。第2楽章は、このオケ特有の渋い音色美が淡い光の中で揺らめき、コーダ直前のカンタービレは、あのアーベントロートと双璧の感動的な歌がとうとうと流れます。第3楽章も正攻法ながら微妙な強弱の変化を織り交ぜ、リズムのセンスも満点。中間の静寂との対比も、誰よりも鮮明です。終楽章は第1楽章冒頭のニュアンスをそっくり受け継ぐように開始し、ブロムシュテットの様式の首尾一貫性を再認識。各変奏の緻密な流動は、天才的な閃きと言っても過言ではなく、最後の約4分間は渾身の力で音色を統制して核心だけを噴出。この響きの砲撃に、かつての名盤の全てが吹っ飛んでしまいます!カップリングの無伴奏合唱曲も極美。名門合唱団の底力(特にバスの安定感!)と呼吸の深さ、和声バランスの冴えには脱帽。トラックIなど、交響曲のクライマックスと同等の手応えです。どうか一度でいいですから、目を閉じて隅々まで聴いてみてください。必ずブロムシュテットの非凡な音楽性にハッとする瞬間があるはずです。【湧々堂】


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