湧々堂HOME 新譜速報: 交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック 廉価盤 シリーズもの マニア向け  
殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤!!
シューマン
交響曲



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シューマン/SCHUMANN
交響曲全集

MELODIYA
MELCD-1001879(2CD)
シューマン:交響曲集(ジョージ・セル校訂版)
第1番変ロ長調「春」Op.38
第2番ハ長調Op.61
第3番変ホ長調「ライン」Op.97
第4番ニ短調Op.120
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指)
エストニアSO

録音:1978年
 ブルックナーの交響曲、ムソルグスキーの「展覧会の絵」など、通常とは異なる版で演奏するのが大好きなロジェストヴェンスキーですが、ここでもジョージ・セルの改訂版を使用し、そのセルの録音よりも濃厚なロマンチシズムの香りはニ溢れた演奏を展開しています。
 全曲中、最も強くロジェストヴェンスキーの意思が投影されて効果を挙げているのが「第1番」。第1楽章序奏部は金管主体のバランスで輝かしく鳴り渡りながら、テンポは重厚モードを貫徹。アクセントもかなり鋭利。主部のテンポは標準的なものですがリズムが冴えて内容味満点。展開部の4:53からのテーマの斉奏は、この編曲版を用いた意図が明確に示された象徴的なシーン。第2楽章は粘着力の強いフレージングがいかにもロシア的ですが、1:27の低弦の抉り出し方をはじめ、意味深いニュアンスが繰り広げられ、スタイル云々以前に極めて説得力のあるフレージングを気づき挙げている点に是非ご注目を。ヴォリュームを一杯に上げて堪能していただきたいのが終楽章!重戦車のような物々しい進行が嫌味にならず圧倒的な手応えを聴き手に与えてくれます。編曲版の醍醐味を細部にわたって十分斟酌した鳴りっぷりも痛快の極み。
 「第2番」も聴きもの。地味なイメージのこの作品を一皮向けた瑞々しいものに再生し尽くしており、感覚的な楽しさ以上の味わい満ち溢れています。特に緊密なアンサンブルに裏打ちされた第1楽章の出来栄えはには思わず唖然。第2楽章のコーダは弾丸のようなド迫力!第3楽章の嘆きフレージングにも一切嘘がありません。
 「ライン」は特に第4楽章にご注目を。ロジェストヴェンスキーのハーモニーを色彩的に形成する能力の高さが如何なく発揮されているばかりか、陰影豊かな表情がシューマンの音楽から逸脱せず、内面から情念を湧き上がらせたアプローチが胸に迫ります。終楽章の一枚岩のような強固な構築のお見事。
 作品の性質上、いわゆるドイツ精神的の重みを信条とした演奏と最も大きな感覚的な差異を感じさせるのは「第4番」ですが、1番〜3番のアプローチでロジェストヴェンスキーの意図に共感した上で聴けば、フルトヴェングラーの演奏を絶対視される方にも許容していただけるのではないでしょうか?録音の質は全曲ムラがなく優秀。  
【湧々堂】

Linn
CKD-450(2SACD)
シューマン:交響曲全集
交響曲第1番変ロ長調Op.38「春」
交響曲第2番ハ長調Op.61
交響曲第3番変ホ長調Op.97「ライン」
交響曲第4番ニ短調Op.120(1851年版)
ロビン・ティチアーティ(指)
スコットランド室内O

録音:2013年11月25日、26日、30日&12月1日−3日パース・コンサート・ホール(イギリス)
 2014年5月からはグラインドボーン音楽祭の音楽監督にも就任して、ノリにノッているティチアーティの胸のすくような快演!マッケラスによって磨かれた精緻なアンサンブルを生かし、弦のヴィブラートを抑えたピリオド寄りのアプローチながら、ティチアーティ自身の感性をストレートに注入したニュアンスに嘘が一切ないので、曲の素晴らしさが素直に伝わります。
 全4曲がむらなく名演ですが、特に「第1番」は、そんなティチアーティの音が作りが全面的にプラスに作用し、瑞々しさこの上なし。近年では、シューマンの交響曲に独自のアクセントやアーティキュレーションを盛り込む指揮者が多いようですが、ティチアーティのそれにはあざとさ皆無。第3楽章で、弦がわずかにポルタメントが掛かたり、何でもない下降音型がテヌートで奏でられたりと、アイデア満載ですが、それら全てがチャーミングなニュアンスとなって結実。余韻の美しさを十分に堪能させる終結を経て、続く終楽章がまた絶品!じっくり腰をセたテンポ感がまず意外ですが、そうしなければならないほど、フレーズごとのニュアンスの描き分けが入念で、それら全てが幸せに手を取って連動しているのですから気が抜けません。再現部直前の経過句も、こんな心を込めた演奏は聴いたことがありません。この曲で、シューマンの陽性の部分を脳天気ではなくじっくりと奏で尽くしたティチアーティの手に掛かると、「第2番」も今までの演奏は陰鬱なものが多すぎたのでは?と思えてきます。一見健康的ながら、第1楽章展開部以降の揺るぎない造形力と、ニュアンスを克明に引き出す手腕が実に見事で、生き生きとした作品に蘇っています。ティチアーティの感性の素晴らしさは、第3楽章でいよいよ決定的となります。弱音が痩せて聞こえる箇所などないことでも明らかなように、響きの透明度を確保しつつ、ピュアな嘆きが連綿と引き出されるのです。
 「第3番」も、ジュリーニ以来とさえ言いたいほどの名演!響きに一切の綻びがないことはもちろんのこと、第1楽章の3拍子のリズムを豊かにうねらせ、同コーダで風格を感じさせる演奏は久々です。
 「第4番」は、通常の改訂版による演奏ですが、「第2番」同様、必要以上に重く陰鬱になることは避けていますが、音楽的内容は重量級。
 「ノン・ヴィブラートのぎすぎすした響きが苦手」という方も多いことでしょう。しかしそんな方にも、その響きの必然性と潤いを感じ、ティチアーティの音楽の感じ方が並外れていることを痛感死体てだけることと思います。【湧々堂】

DOREMI
DHR-7860(2CD)
シューマン:交響曲全集
交響曲第1番変ロ長調Op.38「春」
交響曲第2番ハ長調Op.61
交響曲第3番変ホ長調Op.97「ライン」
交響曲第4番ニ短調Op.120
マンフレッド序曲Op.115
序曲,スケルツォとフィナーレOp.52
パウル・クレツキ(指)イスラエルPO

録音:1956年2月&3月テル・アヴィヴ(モノラル)
※音源:EMI
“イスラエル・フィルだからこそ実現した、多彩に煌めくニュアンスの連続!”
 クレツキは、イスラエル・フィルとは同時期にメンデルスゾーンの交響曲第3番を録音していますが、これはそれと並ぶ傑出した大名演の板起こし復刻です。どの曲を取ってもテンポ感は常に無理がなく、安定感抜群な上に、指揮もオケも渾身!
 「第1番」は、第1楽章の終結部で今までの推進性がまるで嘘のように突如ニュアンスが変わり、ポルタメントを効果的に用いて幻想的な雰囲気を表出。第2楽章はイスラエルPOの弦の魅力が全開で、極美のカンタービレを見せます。第3楽章はリズムの粘着力が強く、春への憧れを心の底から絞り出すようなニュアンスが聴きもの。
 「第2番」はこの録音当時正当な評価がなされていませんでしたが、そのせいかクレツキの意気込みは「1番」以上。先ず第1楽章主部の求心力と推進力の高さ!シューリヒトと甲乙つけがたい魅力を放ちます。展開部以降は更に取り憑かれたような没入を示し、手に汗握ります。第3楽章の身を焦がすような孤独の表情が胸に迫りますが、精神的な強さが背後に携え、独特の立体的な音像を築きます。
 「第3番」も、オケとの強固な信頼関係をベースにした力演。第1楽章は実に勇壮。単なる風景描写ではない魂の音楽が感動を呼びます。第2楽章は白眉!のどかな表情を湛えつつも表情は常に濃く、雰囲気に任せる瞬間など皆無。なお、2〜3楽章はなぜか擬似ステレオ風のサウンドに変わりますが、使用原盤は明記されていないので理由は不明。
再びモノラルに戻る第4楽章は、陰影の濃さが比類なし!特に弱音の弦に木管が絡むシーンは何度聴いても感動的。コーダでのティンパニとのバランスの良さも特筆もので、その深遠なニュアンスにいつまでも浸っていたい気分に駆られること必至。終楽章は実に軽妙ながら相変わらず音の凝縮力が強固。コーダの熱さも必聴。
 「第4番」は、第1楽章第2主題の地底から這い出るような凄みのある表情、展開部の山場での充実しきった雄渾な響きは、クレツキの芸術性が完全に実を結んだ瞬間と言えましょう。第3楽章は「第1番」同様に粘着質で、サクサクと進む舞曲風にしない固い意志を反映。これほど意味深い響きには、めったに出会えません。中間部冒頭のピチカートの味わいも格別です。【湧々堂】
Marcury
462-955(2CD)
シューマン交響曲全集
マンフレッド序曲
ポール・パレー(指)デトロイトSO

録音:1955〜1958年ステレオ録音、1954年(第4番)モノラル録音
“パレーの知られざるロマンチシズムが立ち込める感動の逸品!”
 これを聴くまでは、パレーがフランスもの以外を指揮した演奏は、家にあった擬似ステレオのベートーヴェンの「田園」しか聴いたことがなかったのですが、この「田園」に私はかなりショックを受けたのを今でも憶えています。トスカニーニ顔負けの非情な快速インテンポで、フレーズの結尾をバッサバッサと切り上げ、のどかさの欠片もない、そんな刹那的な「田園」があっていいものだろうか?と思う反面、なぜかまた聴きたくなる不思議な魅力を湛えていたのです。作品に身を投じて呼吸するよりも、リアルな音像再現を優位に置く点に惹かれたのだと思いますが、これこそがパレーの芸術の最たる特徴だいうことも、このとき確信したのでした。ところが、このシューマンで更にその確信がまた大きく揺らいだのです!彫琢の豊かさはいつものことながら、なんと遅めのテンポに乗せて、生々しくフレーズが息づいているではありませんか!
 第2番
の第3楽章では、心からシューマンの心情に共鳴して涙するパレーの姿が目に浮かび感動的ですし、「ライン」も第1楽章など、まさに大河に抱かれるような悠然たる流れで聴き応え十分。
 そうかと思うと第4番「マンフレッド」は火を噴く激演!特に第4番の第1楽章の速さは空前絶後です。終楽章で段階的にテンポを落としす設計にも舌を巻きます。パレーの録音はモノラル期のものがほとんどCD化されていませんので、まだまだ知られざる真価が発見できるかもしれません。ちなみに、Mercuryの録音方式自体、ほとんど色彩感というものを感じ取れませんが、コンサートホール(これまたぼやけた録音が多い)に録音した「道化師の朝の歌」では、眩いばかりの色彩の放射に圧倒されます。【湧々堂】

シューマン/SCHUMANN
交響曲第1番「春」

CALIG
CAL-51008
シューマン交響曲第1番「春」、
交響曲第3番{ライン」
オレク・カエターニ(指)
ロベルト・シューマンPO

録音:1997年 デジタル録音
“父マルケヴィチの衣鉢を継ぐ恐るべき緊張感と怒涛の迫力!”
 鬼才マルケヴィチを父に持ち、コンドラシンにも師事したカエターニ。両巨匠の最良の部分を見事に体得した彼の名は、以前にFM放送から流れたチャイコフスキーーの第5交響曲(バイエルン放送響)で衝撃を受けたかたなら、それ以来忘れられない存在になっていることでしょう。そのチャイ5でも特徴的だった、全てのフレーズの意味を徹底追及する姿勢はここでも変わりなく、とにかくナメてかかると大火傷を負うのは必至!
 「春」の第1楽章は、序奏からティンパニの壮絶な強打を伴ってうねりまくり、主部に入ると独自のアクセントを施しつつ、対旋律、内声部も克明にあらわにします。音像の重心は終始ずっしりと重く、巨木の如く聳えたち、オケからこんな音が出せるものなのかと、素朴な衝撃を抑えられません。
 第2楽章も悲しみ一色ではなく、夕日に熱い決意を誓う勇者のような趣き。第3楽章はトリオも含めて徹底したインテンポで重厚に進軍。圧巻は終楽章!腰の据わった厳格なリズムと音の厚み、ティンパニのコクと深みを湛えた打ち込み、強靭な意志の通わせ方は往年のケンペンを髣髴とさせ、凄みは極限に達します。「ライン」も月並みの名演ではありません!
 第1楽章は一気呵成に進みながらもやはりリズムの立ち上がり、声部の浮き立ちが精彩を極め、しかも1:26では突然第2Vnを突出させるといった激辛スパイス付き!
 第2楽章の呼吸の深さ、第4楽章の低音部の発言力、他を寄せ付けない荘厳な空気は、古今を通じて類例を見ません。終楽章ともなると、構成的解釈をいよいよ総動員して、聴き手に息つく暇を与えません。2:16でシューマンがチェロに要求している過酷なまでに細かいパッセージを徹底的にクローズアップさせるなど、誰が思いつくでしょう!コーダの強弱入れ替わりの妙、テンポ設定のバランスも彼の型破りの才能を物語っています。
 実際オケとの衝突も多いそうですが、「民主的」に事を進めているだけでは、これほどの感動的な演奏は生まれようがありません!

ORFEO DOR
ORFEOR-565011

シューマン:交響曲第1番「春」
R・シュトラウス:家庭交響曲
ディミトリ・ミトロプーロス(指)VPO

録音:1957年モノラル
“ドロドロとした情念を燃やすミトロプーロスの至芸!”
 2曲とも、命をすり減すことも辞さない完全燃焼の感動作!シューマンは冒頭のファンファーレがいきなり神の宣告のような荘厳さで、その異様な緊張が最後まで途切れません。第2楽章の透徹し切った響きとフレージングの振幅にも思わず手を合わせたくなる敬虔さが宿っています。
 更に凄いのがシュトラウス!この曲を初めて聴く人でも途中で切り上げることなど許されない描写力と呪縛力!全ての音が生々しい息遣いで迫り、モノラル録音であることを忘れさる色彩の放射にも唖然とするばかりです。そんな荒波にドップリのめり込んだVPOの果敢な演奏ぶりにも御注目を!【湧々堂】

シューマン/SCHUMANN
交響曲第2番

東武レコーディングズ
TBRCD-0014
シューマン:交響曲第1番「春」
交響曲第2番 ハ長調Op.61*
ペーター・マーク(指)東京都SO

録音:1993年4月17日サントリーホール・都響第368回定期演奏会ライヴ
1990年12月18日東京文化会館・都響第321回定期演奏会ライヴ* (共にデジタル・ライヴ)
※サウンド・マスタリング:WEITBLICK
“世界に向けて誇りたい、蜜月の名コンビが生んだ世紀の名演奏!”
 「第1番」冒頭のファンファーレから、幽玄の雰囲気を湛えて実に深淵な響きにイチコロ。いかにもトランペットという輝きとは異なるこんな憂いを含んだ響きは、サヴァリッシュ&ドレスデン盤以来ではないでしょうか?その直後の弦と一体となった響きは透明感に溢れ、トゥッティでは派手さを排した大造型美を打ち立てる…というように、短い序奏部だけでもあまりのニュアンスの豊かに心躍らされます。主部に入るとティンパニの雄渾な打ち込みと共にリズムが湧き立ち、第2主題では憧れに満ちた表情が泣かせます。コーダ直前の静かな経過句(10:46〜)では、空前絶後のふくよかで芳しい香気に満ちたフレージングを行ない、マークのドイツ・ロマン派音楽の真のスペシャリストとしての確信的な棒さばきに全面降伏するしかありません!
 第2楽章は強弱の微妙な入れ替えだけとっても心の震えが如実に反映し尽くされており、各声部のバランス操作からは、他の方法などあり得ないと思わせるほどの迫真のニュアンスが続々と溢れます。第3楽章も単なる3拍子のスケルツォではありません。精神的な深みと、響きそのものから抽出される愛情の結晶の純度の高さは、他に比肩しうる演奏が思い当たりません。この楽章をこんなに真剣に食い入って聴く自分自身に驚くほどです。
 終楽章も響きの純度の高さはは相変わらずで、全声部に渡って明瞭に鳴らしているに関わらず雑然とした感じを与えず、唐突とも思える金管の突出も、造型に立体感を与えるのに有効に作用。ほのぼのとした春の雰囲気と、頑丈な骨格を持つ交響曲としての風格美という、一見結びつきにくい要素をこれほど見事に同居させた演奏はかつて聴いたことがありません。
 「第2番」はマークの音盤初出曲。第1楽章導入は、トランペットの朴訥とした表情と、夢に彷徨うような弦とのコントラストが美しく、1:07からピチカートが入ると途端に内省的なニュアンスを深めます。主部に入ると、あのシューリヒトの存在も忘れるほどフレーズごとのニュアンスは多彩を極めます。「第1番」とは演奏会場が異なりますが、オケから同質の佇まいを引き出しているのも驚異で、マークのイマジネーションの高さと響きの鋭敏な感性を改めて痛感します。
 第2楽章は落ち着いたテンポを堅持することで、フレーズが自発的に語り、その全てが琴線に触れます。トリオでのアゴーギクの巧妙さも必聴。
 第3楽章は衒いのない一途な歌が感動的で、大げさ泣きじゃくることなく作品ありのままの佇まいが滾々と溢れます。1:27からの経過句のハーモニーの美しさも格別で、こういう響きを実現できるオーケストラを持つ国に生まれたことに感謝せずにはいられません。5:46から木管におよる主題と弦のリズムが流れる箇所から終盤までの深々とした味わい深さは、もはや形容のしようのない素晴らしさで、日本のオーケストラ演奏史に刻むべき事件です!
 終楽章は瑞々しさ一杯。既にここまでの演奏で、マークという指揮者がどの系統にも属さない独自の感受性の持ち主であり、それが作品の個性と調和した時のニュアンスの広がり方が尋常ではなことはどなたも思い知るでしょうが、この楽章では、第1主題、クラリネットとファゴットによる楽句、第2主題と、それぞれの性格が克明に浮き上がり、しかも恣意性を感じさせずに自然にメリハリ感を引き出すという高次元の音楽性が最も顕著に際立ち、コーダではあえてテンポを前のめりにして推進力を高めながら、風格は堅持するという妙技も大発揮。
 ペーター・マークは「個性的」であることは知っていても、「ただ変な演奏をする人」を思っている方も少なくないと思います。この演奏はそういう方々に真っ先に触れて逸品です。【湧々堂】

シューマン/SCHUMANN
交響曲第3番「ライン」

Chesky
CKY-96
シューマン:交響曲第3番「ライン」
 マンフレッド序曲*
リスト:メフィスト・ワルツ、
ワーグナー:「タンホイザー」序曲*
ルネ・レイボヴィッツ(指)
インターナショナルSO、ロイヤルPO*

録音:1960年、1962年* ステレオ録音
“ベートーヴェンの交響曲と共に忘れえぬ快演!!”
 「ライン」はベートーヴェン同様に、独自の見識でシューマンのスコアを徹底解析し、クリアな音像を実現しているだけでなく、音楽的な共感にも溢れた素晴らしい演奏です。第1楽章からトランペットをむき出しで響かせたり、チェロの細かいパッセージを異様に浮き彫りにするなど、立体的な彫琢を築こうとする配慮に妥協は一切なし。なんと5:45では、ホルンに弱音気を付けて遠近感と色彩変化をもたらすのが衝撃的で、コーダでは突如テンポを倍近くにまで速め、ティンパニのクレッシェンドと共にサッと駆け抜けるとは、何と粋な演出!終楽章でも大河のごとくゆったり流れる演奏ではなく、音符の立ち上がりを徹底重視。それらの衝撃が感覚的な面白さに止まらず、有機的な一貫した流れとして湧き上がるところにがこの演奏の最大の魅力です。
 「メフィスト・ワルツ」
は、この曲の最高峰の名演で、これほど多彩な色彩を大放出し、0分間全く飽きさせずに聴かせてしまう演奏は、他に類を見ません。始ってすぐのヴァイオリンの細かいパッセージが完璧に弾きこなされる所からもう釘づけ!オケの巧さにもびっくりです。【湧々堂】

EMI
CZS-5754622(2CD)
シューマン:交響曲第3番「ライン」
ロッシーニ:「タンクレディ」序曲、
ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲、
ベートーヴェン:交響曲第7番*、
 「エグモント」序曲**、
ラヴェル:マ・メール・ロア#、
ビゼー:子供の遊び、
J.シュトラウス:皇帝円舞曲#
カルロ・マリア・ジュリーニ(指)
フィルハーモニアO、
CSO*、バイエルンRSO#、
トリノRSO**、ウィーンSO#

1956年(ビゼー、ストラヴィンスキー)、1958年(シューマン)、1964年(ロッシーニ)、1968年(エグモント)、1971年(ベト7)、1974年(シュトラウス)
J.シュトラウスのみモノラル
“ジュリーニの野趣と気品の絶妙なバランスを再認識させる好選曲!”
 やっとCD化されたシューマンの「ライン」が超名演!CSOとの格調高い名演も決して無視できませんが、このフィルハーモニア盤は、この時期のジュリーニならではの柔軟な表情と、オケの驚異的な音楽性の湧き立ちが一体となって全編感動の塊です。
 第1楽章からオケの響きが極上の充実!コクを湛えながらあくまでも自然にフレーズがなされ、随所で突出するホルンやティンパニの発言が決してそれだけが浮くことなく見事に全体と溶け合っているのは、奇跡としか思えません。特にティンパニは全ての打ち込みが雄渾一色で、音が発せられるたびにゾクゾクするほどです。第2主題も悲哀を湛えながらも音がしっかり立ち、逞しいコーダまで一貫してリアルな音像を保持。第2楽章のリズムの揺れも、人の手を介していないような自然なうねりが素晴らしく、副主題の柔なかな伸びにも心ときめきます。
 第4楽章でも、沈鬱な空気に旋律線が淀むことなく、芯のある品格の表情が横溢。最後の数小節では深々とした息づかいと、ティンパニがまたもや意味深い轟きを披露し、他に類を見ない余韻を残しつつ終楽章に向かいます。
 その終楽章は、冒頭の流麗なレガートがCSO盤同様に印象的ですが、リズムに生命感が宿り、全く弛緩のない豊かな流れがCSO盤以上の閃きを放っています。コーダのアゴーギクも実に自然で、音の密度が極限に達し、揺るぎない音色の統一感と共に得も言われぬ手応えを感じさせるのです。
 ステレオ初期のフィルハーモニア管の録音の中でも、これはひときわ傑出しています。フィルハーモニア管といえば、デニス・ブレインの妙技が味わえる「火の鳥」を忘れるわけにいきません!終曲冒頭の彼のソロの絶世の美しさは、全身鳥肌!“カッチェイ王の踊りのバスドラムの強固な打ち込みが物を言った野趣満点の迫力や、逞しく聳え立つコーダの力感も、後のジュリーニには望めない魅力です。
 「皇帝円舞曲」は、文字通り高貴な佇まいが魅力。第2ワルツのオペラチックとも言える展開や、第3ワルツから第4ワルツへ移る際の吸い付くような呼吸は、何度聴いてもうっとり…。このコンビのウィンナ・ワルツがもっと世に出ることを願わずにいられません。
 ジュリーニお得意の「マ・メール・ロア」は、スタジオ録音ではなく、あえてバイエルンRSOとのライヴを採用した製作者の意図が痛いほど分かります。まずオケの巧さにビックリ!このオケの巧さは今更言うまでもないですが、それにしてもほとんど弱音で一貫しているこの曲に柔らかな質感を与えながら、全く取りこぼすことなく丹念に表情を紡ぎ出す技量は、ジュリーニの音楽性が色濃く反映しているとは言え、只事ではありません。第1曲のコーダや第2曲の美しいフォルムの中での深々としたニュアンスは、チェリビダッケを思わせる透明度を以って静かに語りかけ、第3曲の色彩は手作りの味わいと気品の結晶!これを聴いてしまうと、他の全ての演奏が「お気軽」に聞こえしまいます。【湧々堂】

Pirz
442068-2
廃盤
シューマン:交響曲第3番「ライン」
ブラームス:二重協奏曲
ロルフ・クライネルト(指)ベルリンRSO(旧東独)
グレゴリー・ガレイ(Vn)、
ラドゥ・アルドゥレスク(Vc)  

録音年不詳(ステレオ)
“アーベントロートの後継者?、クライネルトの知られざる名演!”
 DGにハイドンの「時計」などの録音もあり、アーベントロートの後継者とも目されていたらしいクライネルトのシューマンは、コンビチュニーの演奏を愛する方なら、惚れ惚れすること請け合い!いぶし銀の音色を湛えたオケを完全にドライブしつつ、内面から沸き立つ熱い音を壮大に構築させています。
 第2楽章などは、まさにライン川のとうとうとした流れを思わせる自在なアゴーギクと、それに支えられた豊かな表情が魅力的。ブラームスは、まるでライヴのような熱演で、各ソロが持てる限りの表現意欲を発揮しつつ、きれいごとでは済まない決死のハーモニーを展開させます。特に終楽章の内容の濃さはびっくりです。全てステレオ録音。 【湧々堂】

シューマン/SCHUMANN
交響曲第4番

東武レコーディングズ
TBRCD-0019
シューマン:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第1番
ペーター・マーク(指)東京都SO

録音:1995年10月17日第416回定期演奏会サントリーホール
1995年10月23日第417 回定期演奏会東京文化会館* (共にデジタル・ライヴ)
サウンド・マスタリング:WEITBLICK
“マークが最後の来日で見せた真のロマンチストの美学!”
 共にマークらしい歌心に溢れ、先にリリースされたシューマンの「1番」からの期待を裏切らない名演奏です。いかにもドイツ風の重厚でどっしりした構えを全面に押し出すのではなく、あくまでも心のこもったフレージングで主体。ドキッとするようなデフォルメはほとんどありませんが、もちろん教科書的な無機質さとは無縁で、聴後は良い音楽を聴き尽くしたという充実感に満たされます。
 シューマンは、第1楽章序奏のトゥッティのハーモニーの美しさにドッキリ!呼吸の振幅が豊かで心の震えが完全に音化し切っています。一瞬のルフト・パウゼも実に効果的。シューマンの全4曲の交響曲の中でもこの第4番は過去の演奏でも声部バランスを整えるために様々な工夫が成されてきましたが、ここではその点の恣意的な操作を一切感じさせず、自然に響きを凝縮して瑞々しいロマンティシズムに溢れた作品として再現しているのです。7:05からの響きの充実ぶりは息を飲むほど素晴らしく、心地よい緊張が音楽に一層の深みを与えます。
 第2楽章も孤独に埋没するのではなく、やや明るめの音色トーンを貫きながらシューマン特有の繊細なニュアンスを表出。0:33からのオーボエと弦のピチカートとのリズムのズレを軽視せず、そこに最大限の余情を漂わせている点にもご注目を。
 終楽章はやや遅めのテンポながら一切弛緩はなく、全ての声部が根底から炙り出されるのを目の当たりにすると、マークこそがシューマンのスペシャリストだと確信させられます。2:02からのトロンボーンのクレッシェンドの強調は最も個性的な瞬間ですが、これも取って付けたような感覚的演出を感じさせず、心の律動そのもの。そしてコーダにおける爽快感!この大らかでありながら音楽を軽薄化しないセンスこそ、マークの最大の魅力ではないでしょうか。
 音楽を過剰に深刻化させず、その音楽が最も美しく響くポイントを直感的に捉える能力は、ブラームスでも最大限に発揮されています。もちろんハ短調という調整が持つ重厚な安定感は確保されていますが、気が滅入るような沈鬱さとは一線を画します。
 まず第1楽章冒頭の響きのなんという完璧さ!そして精彩力!決して計算ではなく、音楽の美感が最大に生きるバランスを瞬時に捉えるまさに「直感力」の勝利です。
 白眉は第2楽章!かくも繊細に感情を込め抜いた演奏は久々に耳にしました。終楽章も感動的。全声部の抉りが隅々まで効き、しかも透明度の高い音像とスケール感を兼ね備えているというのは驚驚異的。ここまで音楽が結晶化しているのは、完全に気心の知れた都響の自発的な表現意欲があればこそで、他のオケではここまでの説得力が生まれたかどうか…。予定調和ではなく、真にスリリングな演奏とはどういうものかまざまざと突きつけられるのです。最後の金管コラールでは思い切ってテンポを落としますが、同様のアプローチを見せた過去の演奏と比べてもこの自然な進行は他に類を見ないほど。そしてコーダでは、マークには珍しいほどの灼熱のパワーを炸裂させるながら響きの混濁は一切なし!惜しくもこれらのコンサートがマークの最後の訪日となってしまいましたが、この独自の美学を貫徹したコーダは、日本との別れを告げるものと思うと感慨もひとしおです。【湧々堂】

Audite
AU-97677
シューマン:交響曲第1番「春」(初稿)
序曲,スケルツォとフィナーレ*
交響曲4番ニ短調 Op.120(1841年原典版)*
ハインツ・ホリガー(指)
ケルンWDR響

録音:2012年1月23-27日、2012年3月19-23日*、ケルン・フィルハーモニー、ドイツ
「奏でる」ことを忘れない、名手ホリガーの音楽家魂!
 「第1番」は初稿に基づく演奏で、冒頭のトランペットが通常より3度下で演奏されるのが最大の特徴。演奏は全体的に内声部の解析が非常に明確ですが、決して血の気の少ない貧弱な演奏ではなく、強固な造形力とリズムの躍動、心からの歌心をベースとした内容満点の演奏に仕上がっています。弦のヴィブラートは抑制していますが、第1楽章コーダに見られるように響きには温かみと潤いがあるので、聴き手の心を素通りすることがありません。終楽章は意外にもゆったりとしたテンポで素朴路線を歩みつつ、内実は主張満載。
 「第4番」の原典版による演奏も昨今では珍しくありませんが、通常の改訂版との響きの違いを印象付けるだけの演奏も少なくありません。ホリガーの素晴らしい点は、ごく自然体で当然のように聴手の心に訴える音楽を「奏でる」ことに終始していること。当初シューマンが意図した響きの面白さは十分に伝えつつも、決してそれを演奏効果として利用していないのです。したがって採用するテンポもごくオーソドックスで先鋭さを煽ったりしないので、シューマンの体温を感じることができる演奏として結実しているのです。
 是非、気持ちを一度リセットし、通常版との「比較」ではなく、音楽的な味わいに心を傾注してお聞きいただきたいと思います。【湧々堂】

ICA CLASSICS
ICAC-5081B
シューマン:交響曲第4番ニ短調Op.120
ドビュッシー:「聖セバスチャンの殉教」組曲
ドビュッシー:海
グィド・カンテッリ(指)
フィルハーモニアO

録音:1954年9月9日エディンバラアッシャー・ホール(モノラル)
“過剰なロマンを排したカンテッリの直截なダイナミズムの勝利!”
 カンテルリの死の2年前のライヴ録音。どれもが彼の十八番の作品ばかりですが、予定調和に傾くことなく新鮮な共感を抱きながら推進力の高い音楽を築く手腕に接すると、改めてその早逝が惜しまれてなりません。
 シューマンは、演奏時間23分。全リピートを省略してしているせいもありますが、過剰なロマン性に浸らず、燃え立つような直進性が横溢し、最後まで弛緩を感じさせずに一気に聴かせます。第1楽章は尻上がりに弾丸モードへと突入。第2楽章中間部のヴァイオリンソロは合奏に変更。終楽章コーダで通常は一旦テンポを落とす箇所でもギア・チェンジせずまっしぐらに進む潔さにも感動!単に若さに任せたというのとは異なる清々しさをふんだんに感じていただけることでしょう。D・ブレイン軍団のホルンの巧さにもご注目を。
 「海」がこれまた驚愕の名演!シューマンとは明らかに異なるし色彩パレットを活用し、アゴーギク、呼吸のしなやかさに細やかな感性が息づいており、その一方で潔いまでの直截なダイナミズムも大発揮!特に第1楽章の呼吸の深さは海の躍動を想像させずにはおかず、3:42でのティンパニの野太い打ち込みはまさに意志の塊!終楽章に至っては、フィリハーモニアの鉄壁アンサンブルも手伝って壮絶な迫力で聴手を圧倒します。 【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0143(1CD)
シューマン:交響曲第4番
ベートーヴェン:交響曲第2番*
クルト・ザンデルリンク(指)
スウェーデンRSO

録音:1990年5月4日デジタル
1997年11月28日デジタル*
いずれも、ベルワルドホールに於けるライヴ

※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
“室内楽的響きから渾身の意欲が湧き出る感動的名演!”
2曲とも超名演!シューマンは、ザンデルリンクが自身の引退コンサートでも取上げた十八番の作品ですが、その熟しきった表現と透明感のあるオケの響きの魅力が融合し、得も言われる感銘をもたらします。
特に第1楽章展開部は、室内楽的な精緻を極めた響きから精神の塊のような音楽が溢れ感動の極地。第2楽章の孤独と幽玄、第3楽章の老朽化の影など微塵も見せないリズムの切れ味も80歳を目前にした老巨匠とは思えぬ充実ぶり。終楽章がこんなピュアな響きで青年のような活力が漲る演奏も稀。第2主題はわずかにテンポを落として憂いを浮かべますが、その間も活力は減退させず、主部のリピートが生き切っています。そして展開部冒頭での刃物のような弦の切れ味!コーダのテンポの切り替えの機敏さと声部間の響きの突き抜け方も感動に拍車をかけます。
ベートーヴェンは、ザンデルリンク85歳の時の録音ですが、これまた表現意欲に全く陰りなし。第1楽章冒頭からティンパニが意外な強打で開始し、木管フレーズを短くスタッカートで吹かせるなどユニークなこだわりが見られますが、皮相な表現はどこにもなく、この序奏部だけでも聴き所満載。第2楽章の全てを浄化しきったような響きと優しい語りかけも格別。ただ何となく柔和なだけでなく、フレージングやアクセントに自然な形で、しかも妥協なくその指示を徹底させているので、生き生きと音楽が脈打つのです。終楽章はエキセントリックに突っ走る演奏が増えている中で、ゆとりのあるテンポの中で調和のとれたハーモニーが心を捉え続けます。特定の声部を強調しているわけではないのに、全声部が確実に主張をしており、内面から抉り出す音楽のなんと心を打つことか!コーダの強固な凝縮力も聴きもの。
ザンデルリンクにはこの2曲の録音は他にも存在しますが、録音の良さも含め、現時点でこのディスクがトップと言えましょう。
ただ、シューマンの終楽章のトラックが序奏を飛ばして主部に割り当てられていることは、不可解ですが…。【湧々堂】

CLASSICA
CD-55102
シューマン:交響曲第4番(初稿)、他 ヘンリー・アドルフ(指)南ドイツPO

録音年不詳(ステレオ)
“「駅売り」の帝王アドルフの朴訥なシューマン!!”
 廉価版以下の扱いで乱売されているCDの常連指揮者として、ナヌートと並ぶ存在のアドルフ。実はこのアドルフという指揮者は架空の指揮者というのが常識になっているようで、そういうものが商品化されること自体けしからん話ですが、ここではあえて、単純に演奏の面白さという点で、お伝えしようと思います。
 まず、この第4番が「初版」による演奏であることに御注目!オケの響きは洗練からは程遠いですが、一昔前の純然たるドイツ・オケ特有の多少くすんだ響きがなんとも味。指揮者の統率力もとても並みの指揮者の技とは思えません!全体にインテンポを基調としていますが、平板な印象与えず、見事な緊張感で統一しています。第2楽章でヴァイオリ・ソロが出てくる箇所のニュアンスの広がり、第3楽章から第4楽章へのブリッジの陰影、
 終楽章の推進力、中間部の弦の強固な絡み合いなど、聴き所が満載なのです。これだけの力量を持った指揮者ですから、やはりその実体を知りたいところです。ぜひこの演奏をお友達に聴かせてみてはいかがでしょうか?指揮者の名は告げずに…。【湧々堂】

TAHRA
TAH-447
シューマン:交響曲第4番
レーガー:ヒラーの主題による変奏曲
ベルリオーズ:「ベンベヌート・チェルリーニ」序曲
フリッツ・ブッシュ(指)
北西ドイツRSO

録音:1951年(モノラル・ライヴ)
“命をすり減らす怒涛の呼吸!”
 フリッツ・ブッシュの死の年の感動ライブ。このシューマンは、一人の人間から発せられる音楽表現の極限を行く壮絶な名演!第1楽章の序奏からアクセントのメリハリが異様な説得力で迫り、主部に入ると激情の本流と化します。そのフレーズのうねりは命知らずの侍のような豪快さに溢れ、展開部に入ると、ホルンがクレッシェンドしながら雄叫びを上げるのに象徴されるように、音そのものが生命力の塊となって聴き手の全身を揺さぶります。コーダの高貴な畳み掛けにも、ミトロプーロスを思わせる異次元的な光を湛えています。
 第2楽章はそんな激流のあとだけに、一層孤独の呟きと暗い色彩が心に染みます。豪速の第3楽章も決死の音楽!終楽章のスケール感は空前絶後!なんと主部突入前の経過句で初版の一部を採用して、迫真のドラマの幕開けを告げるのが画期的で、その後はもう血しぶきを上げながらの猛突進。これほど豪放に徹しながら、音楽が少しも乱雑にならず、それどころか、神がかり的な後光さえ滲ませる造型美で迫るのは、全く破綻を見せないオケの優秀さも大きく作用しています。シューマンの音楽に不可欠の要素のみならず、音楽のもたらす衝撃力とはどういうものなのか、この演奏は教えてくれます。
 レーガーでは、ブッシュの無限とも思える色彩イメージの豊かさに圧倒されること必至!第2、第5変奏などの激烈なパワー、第3変奏のメランコリックな詩情、終曲での、シューマンの時と同様の宇宙的なスケール感は、並ぶものがありません。録音も良質。【湧々堂】

ebs
ebs-6091
シューマン:交響曲第4番[1841年初版に基づく、ブラームスとヴェルナーによる1891年改訂版]、
序曲,スケルツォと終曲
フローリアン・メルツ(指)
南ウェストファーレンPO

録音:1994年 デジタル録音
“超過激!初稿の魅力を極限まで押し広げた快挙!”
 交響曲はこの版による世界初録音とされるもの。近年は初稿による演奏自体は珍しくなくなりましたが、整然と再構築された改訂版を聴き慣れている耳には、シューマンの止め処もないイマジネーションで湧き返っている初稿の筆致に触れるたびに、ブラームスがこの版を評価していたことが頷けます。ここでは1891年版を用い、オケの配置は旧式のヴァイオリン両翼型。楽器自体は現代楽器と思われ、古楽奏法を採用していますが、ここでは当時の演奏が実際にどういうであったかということは学者の方にお任せして、とにかく指揮者メルツの音楽的な表現力を体感して頂きたいものです。
 第1楽章の序奏冒頭から凄いパンチ力!この版では、一つの旋律を目まぐるしく楽器を移行させて繋げていくのが特徴的ですが、その橋渡しから生まれる緊張の生み出し方が絶妙で、対旋律の熾烈なぶつかり合いと裏の声部のゴリゴリとした呻きを徹底的に強調しながらそれが恣意的にならず、常に共感に溢れているので説得力が絶大です。主部に入ると荘重なテンポで一貫し、音を割った金管やティンパニの突出、激烈なクレッシェンドの応酬!ここでも感覚的な面白さを超えて、芸術的な格調を合わせ持ちながら、聴き手の全身を揺さぶらずにおかない物凄い牽引力を発揮しています。コーダの深々とした呼吸と間合いの素晴らしさも聴きもの!
 第2楽章は、古楽奏法を用いながらこれほど陰影に富んだニュアンスが立ち込めるのはの驚異です。第3楽章ではリズムの強靭な打ち込み自体に精神的な深みを感じさせます。0:24〜の旋律を引き継ぐホルンや木管の峻厳な立ち上がりも、なんと意味深いことでしょう。この第3楽章から終楽章へのブリッジでは、猛獣が眠りから醒めようとするような異様な緊張感と壮大な造型の広がりにしばし硬直。主部では鋭利なリズムの跳ね上がりが生命感の塊となって迫ります。いよいよコーダ突入ということを印象付ける4:29のティンパニは、革を突き破る寸前の激烈強打!この圧倒的な轟きを契機に、テンポの急緩を克明に与えて見事なクライマックスを築いています。
 シューマンがこういうスタイルこの曲を書かずにはいられなかったその衝動に心から共鳴した演奏と言えるのではないでしょうか。なお、メルツはこれより前に全集を別のオケと録音していますが、これは通常版による演奏でした。【湧々堂】


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