Signum Classics
SIGCD-133
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シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」 |
チャールズ・マッケラス(指)
フィルハーモニアOO
録音:2006年6月10日、クィーン・エリザベス・ホールでのライヴ |
“絶滅寸前の古き佳きドイツに伝統美がここに!” |
このCD、うっかりして指揮者の名前も確認せずにプレーヤーで再生し始めたところ、なにやら古風なニュアンスが…。第1楽章冒頭ホルンも弦もノン・ヴィブラートで速めのテンポ。ヴァイオリンは両翼配置と、ピリオド・アプローチを基調としていることを窺わせ、主部へはそのテンポのまま自然に突入。かなり知的バランスの取れた指揮者である事に気づきますが、刺々しさは一切なく、音の重心が低くどっしりと据わり、ダイナミズムの振幅、アゴーギクの揺れ具合は一時代前の巨匠風。今どきこんな演奏をする人は誰だろうと考えつつ、音楽の求心力が極めて高いので、演奏を途中で切り上げられず、最後まで聴き通す羽目に。
第2楽章は金管の抉り出しがかなり強烈。音楽全体の密度も濃く、特にコーダ、12:30以降の呼吸の切り替えの素晴らしさにどっと鳥肌が!ニュアンスの余韻を残しつつ、音の硬軟を自在に取り込むこんな技が可能な指揮者って…。名前を確認したい気持ちを抑えて第3楽章へ。リズムは小ざっぱりとして、声部バランスも完璧。しかし音楽から立ち上がるニュアンスは粗野な農民風。特に後打ちリズムに強靭なコシがあるので弾力性も抜群。さらに驚くのは中間部!素朴な牧歌どころか、音楽的な主張がこんなにリアルに現出する演奏はかつて経験したことがありません。しかも音楽の中身が熱い!
終楽章は速めのテンポで颯爽と進行。ハーモニーはどこを取っても美しく整理されていますが、やはり音楽自体は綺麗事では済みません。これはマッケラスに違いない!と確信するのはコーダ。声部の絡みが混沌としがちなこの部分でこれほど見通しの良いテクスチュアと破綻の全くないダイナミックな畳みかけを敢行するとは、まさに向かうところ敵なし!なお、最後の一音はディミニュエンドをせずに豪放なティンパニの一撃とともに圧倒的な力感をもって締めくくられます。
ハイペリオンからリリースされている「ベートーヴェンの交響曲全集」でもそうでしたが、この曲を振るために指揮者になったのでは?と感じさせる共感の熱さと驚異的なバランス感覚に、ここでも圧倒されっぱなしです。【湧々堂】 |
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WEITBLICK
SSS-0126-2
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シューベルト:交響曲第8番「未完成」
交響曲第9番「ザ・グレート」* |
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO
録音:1986年9月8日ベルワルドホール・ライヴ(ステレオ)
1990年9月18日ベルワルドホール・ライヴ(ステレオ)*
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。 |
“過去のどんな名演も引き出し得なかった、シューベルトの未知の魅力!” |
N 響とのベートーヴェンやマーラーでも実証されているように、スヴェトラーノフはロシア的な流儀を無理強いはせず、作曲家でもある独自の審美眼を持って各作品の持ち味を最大に引き出すことを第一に考え、安定感抜群の数々の名演を聴かせてくれました。ただシューベルトとなると、スヴェトラーノフの音楽性から最も遠いのでは?と思われる向きもあるでしょう。ところがこれが素晴らしいのです!
まずは「未完成」。内省的な旋律の魅力と立体的な構築を際立たせる箇所の配分が実に絶妙で、超名曲であるあることを十分認識していたつもりが、これほどの多彩なニュアンスを秘めた作品だと気付かされて驚きを禁じえません。第1楽章はまさに抑制の美学。ロシア的な重厚さやリズムの粘着性を完全に封印し、繊細で香り高いなフレージングに徹してますが、決して芯に欠けるぬるま湯的な演奏ではありません。展開部の8:35の弦の刻みから木管へかけての連動では強固な緊張が漲り、作品構成に立体感をもたらしている点も流石。第2楽章はさらに心に迫る演奏。1:10からの木管の旋律の克明さ、1:33〜1:44にかけてのフルートに宿る精神的な逞しさ印象的ですが、圧巻は3:10から訪れます!ここへ来て遂に内燃のエネルギーと堅牢な造形力を一体化させた精神的な高揚を見せ、一瞬スパイス的に効かせるティンパニの効果も加わって壮絶なドラマを繰り広げるのです。なお、終演後の拍手はなし。
一方の「グレート」は音盤初出レパートリー。ミュンシュのような元気一杯猛烈な演奏でも説得力を持つ名演になる曲ですから、それこそロシア的な馬力全開モードでも様になるかもしれませんが、そんな安易な手法を取りません。サン・サーンスの「オルガン」では、「絢爛豪華」という作品の最大の魅力を徹底的に押し広げたのと同様に、ここでもあくまでもシューベルトらしい純朴な歌心を丁寧に引き出すことに主眼を置き、仰ぎ見るようなスケール感でそれを押しつぶすような暴挙に走らないところに、スヴェトラーノフの見識の高さを感じずにはいられません。
第1楽章序奏はゆったりとしたテンポで開始されます、ホルンに続いて弦が登場すると、実に繊細で陰りに満ちたニュアンスが現れ、早速このテンポ以外はありえないという説得力のあるフレージングに心打たれます。音の重心は常に低く保ち、フレーズの末尾まで克明に音化するのはいかにもスヴェトラーノフらしいですが、その揺るぎないテンポ自体の訴求力の高さと相俟って、味わいは格別。主部直前で加速することや、第2主題でテンポを落とすという伝統的な手法をそのまま踏襲していますが、そこには必ず明確なニュアンスの変化が伴い、決して漫然と流れることはありません。特に第2主題でテンポを落とすことで、再び異次元に誘うような演奏はあまり聞いたことがありません。このゆったりテンポを提示部の最後で回復させる解釈も新鮮。コーダのテンポ設定もセンスの塊!
第2楽章も遅めのテンポで幾分ヌメリを帯びながら冒頭の弦が開始されますが、続くオーボエ・ソロの切なさに感涙!そして1:31からのホルンの強奏の意味深さ!それが構えの大きな音楽作りに大きく貢献していますが、少しもシューベルトから逸脱していません。3:44からの長調に転じてからのニュアンスはまさに天国的な美しさ!慈愛に満ちた演奏というのは過去にもいくつもありますが、大きな包容力で優しく抱かれる感覚は比類なし。コーダの締めくくり方は、もう筆舌に尽くし難い感動!14:48のオーボエから、ぜひ全神経を集中して味わい尽くして下さい!
第3楽章は軽妙なリズムが人懐っこく、1:30では弦の音を短く切り上げてなんとも粋!この処理は再現部後半でも登場し、場面転換のメリハリ表出に大いに貢献。中間部に入った途端、外に飛び出して遊ぶ子供のような無邪気さがフワッと広がる…、そんな演奏が過去にあったでしょうか?
終楽章はいわゆる「爆走」一辺倒ではない、瑞々しい推進力が横溢。展開部直前でチェロがスフォルツァンドで明確に句点を打ち込むのには一瞬ギョッとしますが、これまた粋な計らい。再現部ではティンパニの音程の変更あり。コーダ最後の締めくくりの方も聴きもの。スヴェトラーノフ・ファンならきっとニンマリすることでしょう。
なお、終演後には、鳴り止まぬ拍手の中、突然オーケストラがファンファーレを奏でます(13:14〜)が、演奏が素晴らしかった時に現地では こうして指揮者を讃える習慣があるそうです。
晩年のスヴェトラーノフはロシア以外にも活躍の場を広げましたが、その芸術性においても、ロシアのローカル色を超えた真の偉大さを獲得してことを改めて痛感させられる貴重な録音です。日本語解説には「彼らしい覇気が漲る」「最高な鳴りっぷり」というコメントがありますが、それどころではありません! 【湧々堂】 |
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Signum Classics
SIGCD-133
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シューベルト:交響曲第9番「グレート」 |
チャールズ・マッケラス(指)
フィルハーモニアO
録音:2006年6月10日、クィーン・エリザベス・ホールでのライヴ |
“再録音でまたもや心境地!マッケラスの飽くなき表現意欲!” |
このCD、うっかりして指揮者の名前も確認せずにプレーヤーで再生し始めたところ、なにやら古風なニュアンスが…。第1楽章冒頭ホルンも弦もノン・ヴィブラートで速めのテンポ。ヴァイオリンは両翼配置と、ピリオド・アプローチを基調としていることを窺わせ、主部へはそのテンポのまま自然に突入。かなり知的バランスの取れた指揮者である事に気づきますが、刺々しさは一切なく、音の重心が低くどっしりと据わり、ダイナミズムの振幅、アゴーギクの揺れ具合は一時代前の巨匠風。今どきこんな演奏をする人は誰だろうと考えつつ、音楽の求心力が極めて高いので、演奏を途中で切り上げられず、最後まで聴き通す羽目に。
第2楽章は金管の抉り出しがかなり強烈。音楽全体の密度も濃く、特にコーダ、12:30以降の呼吸の切り替えの素晴らしさにどっと鳥肌が!ニュアンスの余韻を残しつつ、音の硬軟を自在に取り込むこんな技が可能な指揮者って…。名前を確認したい気持ちを抑えて第3楽章へ。リズムは小ざっぱりとして、声部バランスも完璧。しかし音楽から立ち上がるニュアンスは粗野な農民風。特に後打ちリズムに強靭なコシがあるので弾力性も抜群。さらに驚くのは中間部!素朴な牧歌どころか、音楽的な主張がこんなにリアルに現出する演奏はかつて経験したことがありません。しかも音楽の中身が熱い!
終楽章は速めのテンポで颯爽と進行。ハーモニーはどこを取っても美しく整理されていますが、やはり音楽自体は綺麗事では済みません。これはマッケラスに違いない!と確信するのはコーダ。声部の絡みが混沌としがちなこの部分でこれほど見通しの良いテクスチュアと破綻の全くないダイナミックな畳みかけを敢行するとは、まさに向かうところ敵なし!なお、最後の一音はディミニュエンドをせずに豪放なティンパニの一撃とともに圧倒的な力感をもって締めくくられます。前回の録音との聴き比べも一興。
ハイペリオンからリリースされている「ベートーヴェンの交響曲全集」でもそうでしたが、この曲を振るために指揮者になったのでは?と感じさせる共感の熱さと驚異的なバランス感覚に、ここでも圧倒されっぱなしです。【湧々堂】 |
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CASCAVELLE
VEL-3155
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シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレイト」*
ウェーバー:「オベロン」序曲 |
ヨゼフ・クリップス(指)
フランス国立放送O
録音:1957年10月10日(モノラル・ライヴ)、1954年10月4日(モノラル・ライヴ)*、パリ |
“クリップスの温かい芸とフランス風の流麗さとの幸せな出会い!” |
これは凄い!シューベルトの「グレート」ほど新旧の録音を含め次々と名演が出現する曲もないのでは?と思いますが、このライヴの味わい深さも並大抵のものではありません!
まず1曲目の「オベロン」。これからして息を飲みます!冒頭のホルンは腐乱すのオケにありがちな振幅の大きなヴィブラートを感じさせず馥郁としたニュアンスが立ち込め、木管の急速な下降音型は春の訪れを告げるかのよう。そんな雰囲気を打ち砕くように、主部に入る際のトゥッティは重量級の一撃!その先は中低音のリズムをベースにした圧倒的な音圧を誇る音楽が滔滔と流れ、強靭なコシを持つリズムの躍動と共に堂々たる進行を続けます。第2主題のクラリネットの太い音色と弦のうねりとの美しい連携も聴きもの。もちろん衒いは一切なし。それだけに「なんていい曲なのなのだろう」とつくづく感じ入った次第です。
そして更に感動的な「グレート」!偶然にもホルンで開始される作品ですが、これも「オベロン」同様ヴィブラートの癖を感じさせず、小細工のない純朴な共感に溢れ、オケの響きの透明さ、シューベルトの純真さ、クリップスの素朴さが完全に調和したハーモニーの素晴らしさに酔いしれます。主部は雄壮に進行、随所に挿入される木管のアクセントは、まさにフランスのオケの持つ明るい音色の魅力が効果的なスパイスとして作用して音楽の魅力を増幅。驚愕するのは終結部の13:05から突如テンポを落とすあまりにも意外な技!それによって生まれる安定感と味わいもさることながら、このギアチェンジをなんの計略性も感じさせずに愚直にやり抜いてしまう心意気に、思わず「名人!」と声を掛けたくなる衝動に駆られます。「皆さんどうです!」といった大見得とは違う夢の世界です!第2楽章がこれまたテンポといい響きといい美の極み。付点リズムのエッジを立てずまろやかな人間的な温もりを大切にしながらも、リズムは終始息づくという素晴らしさ。副部主旋律(3:10〜)のイン・テンポのまま進行しますが、移行の際のほんの僅かな揺らぎから滲む味わいは、単に楽譜通りに演奏したものとは一線を画します。第3楽章はリズムの威力が全開。オケの自発的な呼吸の振幅も感動を更に増幅。中間部の牧歌も泣かせます。終楽章は、昨今では細かいフレーズの動きをあの手この手で解析した演奏が増えていますが、ここではそれ以上に重要な音楽のエッセンスが満載!決して音がダンゴという意味ではなく、歌とハーモニーを融合し、塊にして結晶化させる技の違いを見せつけられる思いです。2曲は録音年代が離れていますが共に均質に明瞭な音質。DECCAのスタジを録音やOrefeoのライヴを遥かに上回るこの説得力の高い演奏、是非お聴きを!【湧々堂】 |
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Channel Classics
CCSSA-31111
(1SACD)
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シューベルト:交響曲第9番「グレート」
5つのドイツ舞曲D.89 |
イヴァン・フィッシャー(指)
ブダペスト祝祭O
録音:2010年6月、ブダペスト芸術宮殿(パレス・オヴ・アーツ) |
イヴァン・フィッシャーは2010年の同オケとの来日公演でもの「グレート」を取り上げ、独特の楽器配置、個性的な解釈に驚かれた方も多いことでしょう。当然ながらこの録音もユニークな解釈が満載!全体的なテンポ配分はベームのような旧来型から大きく逸脱していませんが、ホルンのゲシュトップ奏法の多用や楽想の替り目ごとのリタルダンド、内声を徹底的に浮き彫りにするバランスはフィアッシャーならではのこだわり。特に第2楽章の管楽器群の際立ち方は鮮やか。
コーダの13:08では発作的なフィルティッシモに驚愕。第3楽章もフィッシャーの趣味を色濃く反映しています。リズムの躍動感にこだわり、従来の素朴さを感じさせるよりも、作品の骨格を顕にすることを何よりも重視。終楽章はテンポの変動を抑えた快速型。その爽快な進行の中でも内声強調の手綱は緩むことはありません。【湧々堂】 |
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EMI
3393822 |
シューベルト:交響曲第9番「グレート」 |
サイモン・ラトル(指)BPO
録音:2005年6月ライヴ(拍手なし) |
“全声部を解きほぐし、壮大に再構築した目の覚めるシューベルト!” |
今まで聴いてきたラトルの交響曲の最高峰と断言したい感動作!微細に渡ってラトルのこだわりが張り巡らされているのはいつも通りですが、そのこだわりの全てが、音楽的なニュアンスに直結。シューベルトらしい素朴な歌から外れるどころか、その歌心に一層の瑞々しさを添えて繰り広げる手腕に心底驚愕する録音です。特に中間の2つの楽章に、ここまで念入りに表情を刻印しつくした演奏がかつてあったでしょうか?
第1楽章は、冒頭のテンポの扱い方によって、オーセンティックな解釈を志向しているかのか、伝統的なスタイルにを踏襲するのか、ある程度さ兆候が窺えるものですが、ここでは実に穏やかなテンポで、温かみを持ってフルーズを息づかせているのがまず意外。しかも、聴き進むにつれて、その一見素朴な歌の風情が、過去の名盤から聴かれるそれとは全く異なる立体感を持って湧き上がり続けることに更に驚くことになります。最初のホルンは抜群の安定感(おそらくシュテファン・ドール)で、スタイリッシュな美しさを湛え、弦に移るとアーティキュレーションを明快にしながらふんわりとした呼吸感を持たせて、それが説明調に陥らずに共感の表われとして自然流れを築いているのです。ヴァイオリン両翼配置の対話感も見事。終楽突入の仕方も、直前でテンポを上げるなどの手法はとらず、過去に例がないほど自然な滑り込み!第1主題は4小節ごとにクレッシェンドを施し、その後区切る小節を変化させながら歌に膨らもを持たせますが、ここまで手を掛けるとシューベルト本来の歌からかけ離れてしまうと思いきや、計算ではなく心からのフレージングとして響くので、実に新鮮。なんというバランス感覚でしょう!第2主題への突入では意地でもインテンポを貫く演奏が増えていますが、ラトルはここも従来どおり自然なリタルダンドを行ない、別の心象風景を細やかに描き上げます。テンポの変化に関しては、終楽章に至るまで一貫してエキセントリックな解釈をを排除し、シューベルトの温かな歌を最優先させているのが分かります。終結では15:06で弦に一瞬レガートが掛りますが、これまたチャーミング。コーダの最後の一音まで歌を置き去りにせず、今まで聴いてきた演奏がいかにもコーダらしい構築に比重を置き過ぎていたか、改めて思い知らされます。
第2楽章は最初の低弦の抉り方と確固たリズム、アクセントに意思を持った進行を予感させますが、すぐにそれを打ち消すかのようにしっとりとオーボエの主題が始まり、この硬と軟の対比で最後まで一貫させているのが特徴的。副主題の人間味溢れるフレージングも感動的で、特に4:25から第1ヴァイオリンを最弱音で囁かせるニュアンスは感動の極み!一方、トゥッティの厚みのある響きでは、かつてのBPOのそれを彷彿とさせる雄渾さも見せます。最高潮点の後に訪れるチェロの旋律がここまで愛情に溢れている演奏も他に思い当たらず、11:51からはヴィオラの対旋律を延々と浮き立たせる素晴らしい配慮!この後も最後5分間は、夢にも思わなかったニュアンスの連続で、人生の機微の全てを集約したような深みに言葉を失うのみです。
第3楽章も、テンポそのものは伝統的なものですが、3拍子の拍節感をキリッと表出しているのラトルならでは。ここでも強弱の変化、フレージングの区切り目に細心の配慮を施しつつも、レントラーの素朴さを封じ込めるような真似は決してせず、オケの団員が共感の限りを尽くして歌い上げている姿が目に浮かびます。なお、中間部ではホルンのゲシュトップが意外なスパイスになっています。
終楽章は第2楽章とともに他ではまず考えられない感動的な演奏。まず、スピード感に興じることなく、この楽章に及んでもまだ歌を忘れない執念にも頭が下がりますが、今までの楽章で一貫して見せたアーティキュレーションやアクセントのこだわりがその集大成として凝縮され、極めて密度の濃い名演になっています。スコアの出典は不明ですが、展開部で4:34の弦の走句をレガートで繰返し、繰返し後半でソリッドなアクセントを施すのが斬新。更に驚くのが、あのボールトの名演奏と同じ箇所で、ティンパニを激しくい強打している点!特に最後に第2主題が弦のユニゾンでうねる直前の激打は、粉砕力の点でボールトを一気に引き離しています!この楽章はリピートを回避(第1楽章提示部はリピート敢行)していますが、ここではそれも十分頷けます。
ラトルの徹底したこだわりとシューベルトの歌心の双方がお互いを必要とし、奇跡的な形で結実した稀有な「グレート」です!【湧々堂】 |
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WHRA
WHRA-6022(8CD)
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モストゥー&ボストン響/1950年代ライヴ
(1)メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
(2)ハイドン:交響曲第94番「驚愕」、
シューベルト:交響曲第9番「グレート」
(3)シューマン:交響曲第3番「ライン」
(4)チャイコフスキー:交響曲第5番
(5)エルガー:エニグマ変奏曲
(6)ストラヴィンスキー:「春の祭典」
(7)ストラヴィンスキー(モントゥー選曲):組曲「ペトルーシュカ」
(8)チャイコフスキー:幻想曲「ハムレット」、
モーツァルティアーナ
(9)チャイコフスキー:協奏的幻想曲Op.56
(10)プロコフィエフ:古典交響曲(
(11)チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
(12)ダンディ:イスタール変奏曲
(13)バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番
(14)シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番
(15)ワーグナー:「パルジファル」第1幕前奏曲、
(16)ドビュッシー:「聖セバスチャンの殉教」(最後の2曲をカット)
(17)ワーグナー:「神々のたそがれ」〜ラインへの旅/ジークフリートの死と葬送行進曲
(18)ドビュッシー:「映像」〜ジーグ/イベリア
(19)チャイコフスキー:交響曲第4番
(20)ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」 |
ピエール・モントゥー(指)ボストンSO
(9)ヴェラ・フランチェスキ(P)(
(13)トッシー・スピヴァコフスキー(Vn)
(14)ロマン・トーテンベルク(Vn)
録音:(1)1957年4月13日
(2)1956年2月24日
(3)1955年1月28日
(4)1957年4月12日
(5)1957年1月18日
(6)1957年4月13日
(7)1955年1月28日
(8)1955年2月4日
(9)1955年2月4日
(10)1958年1月3日※ステレオ
(11)1955年2月4日
(12)1956年2月17日
(13)1954年2月6日
(14)1955年1月28日
(15)-(18)1951年12月1日
(19)1958年1月3日
(20)1958年1月3日※ステレオ |
“全声部を解きほぐし、壮大に再構築した目の覚めるシューベルト!” |
モントゥーの音楽性、特にその表現の大きさを再認識するのにはうってつけのセット。凡演など一つも存在しませんが、中でもシューベルト、シューベルト、チャイコフスキーの「第5番」の各交響曲は圧倒的な名演奏!
シューベルトの「グレート」は第1楽章序奏のチェロのフレーズの優美さにイチコロ。序奏から主部への移行や、第2主題への移行時のテンポ設定の鮮やかさ、終結部の容赦ないイン・テンポと高揚の相乗効果も絶妙の極み。第2楽章は速めのテンポを基調とし、憂いに浸るそぶりを見せずに大きな愛でパワーを投与。「くよくよしたって何も始まらない」という前向きなスタンスに徹した解釈は、それだけで刺激的。後半7:19移行の激しさにも言葉を失います。第3楽章も一心不乱。ミュンシュを上回る劇的な演奏ですが、音楽は終始晴れやかで愛の塊り!終楽章はテンポこそ標準的なものですが、心血を注ぎ尽くしたリズムの躍動自体が素晴らしく、その弱拍の末端まで感じきっているのが手に取るように分かります。コーダの白熱ぶりも尋常ではありません。しかしそれでも、音楽のフォルムは高潔さが保たれているのです。終生枯れることを知らなかったモントゥーですが、この演奏は単に音楽が若々しいとだけでなく、注入する表現意欲の想像を絶するほどの旺盛さとその徹底ぶりに驚くばかりです。
シューマンの「ライン」も大スケールで圧倒。特に終楽章の内容の濃密さ、鳴りの強烈さは驚異的。
チャイコフスキーの交響曲は後期の3曲が揃っていますが、なんと言っても十八番の「第5番」がダントツの素晴らしさ。こちらで詳述しています。
ハイドンは元気一杯。ビーチャムのスタイルにも似ており、音もリズムも自体が翳りを寄せ付けない明るさに満ちています。第2楽章後半の物凄いリズムの蹴り上げ、第3楽章の瑞々しい躍動感など聴きどころ満載。
エルガーも音楽自体が巨大。ニュアンスの幅のとてつもなく広く、改めてモントゥーの妥協のない職人芸に打たれます。終曲は壮麗の極み。
でな内容無意味な音がどこにもなく、いで、音楽自体下yとごれ、への
チャイコフスキーの協奏的幻想曲でソロを務めるフランチェスキは、37歳の若さで白血病で亡くなったイタリア系アメリカ人の女流ピアニスト。そのタッチの美しさと、華麗なテクニックを堪能できるのもありがたい限り。
ステレオ録音による「古典交響曲」と「ペトルーシュカ」は、予想をはるかに上回る高音質で、モントゥーの色彩センスを改めて痛感。特に「ペトルーシュカ」は、表情が精彩に富んでいることはもちろんですが、スタジオ録音]以上に音楽が艶やかなのに驚かされます。
なお、この種のライヴ音源を集めたセットは音質にばらつきがあるものも存在しますが、その点このセットは、当時の水準並みでどれも明瞭です。【湧々堂】 |
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ARKADIA
CDMAD-012
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シューベルト:交響曲第9番「グレート」、
交響曲第3番ニ長調* |
ブルーノ・マデルナ(指)
バイエルンRSO、
ハーグ・レジデンティO*
録音:1971年4月22日、1967年10月18日* (共にステレオ) |
“時代先取り!楽譜を徹底凝視したマデルナの超辛口シューベルト!” |
マデルナは1920年生まれのイタリアの作曲家、指揮者。シェルヘンに指揮を学び、現代音楽の旗手として名を馳せましたが、録音が少なく、このような有名曲の録音は、彼の音楽的志向を知る上でも貴重です。で、このシューベルト、とにかく驚きの連続!'70年代の「グレート」の演奏といえば、ベームのような素朴路線が主流だった中、このスピード感とシューベルトの柔和なイメージに流されない決然とした進行はまさに異端!古今を通じてもスコア指示への洞察と冷酷なまでのイン・テンポで一貫した演奏は例を見ません。
特に第1楽章の異常な速さは今でもダントツではないでしょか。ホルンの序奏の小気味よい足取りから仰天!この分だとこのテンポのまま主部になだれ込むと思いきや、更にテンポアップしてひたすら進軍。しかも提示部リピートを敢行し、コーダもそのままスパッと終わる痛快さ!
第2楽章も本来のアンダンテの意味以上に快速。しかも、抑えきれない共感の熱さでフレーズがむせ返っているからたまりません。終楽章は、第1楽章の超快速ぶりからすると普通に聴こえますが、各声部の統制が完全に行き届き、オケの機能性と相俟って核心となるパートの表出が自然になされているのに驚かされます。シューベルトの自筆譜はアクセント記号とディミニュエンド記号の区別が曖昧なのは有名ですが、ここでは最後の音はアクセントではなくディミニュエンドと解釈。こうすると感覚的に奇異に聴こえる場合が多いのですが、ここでは実に自然に聴こえるのが不思議。
第3番も皮相な雰囲気作りには背を向け、常に問題提起し続ける冒険的名演。ハンス・ツェンダー(ヘンスラー盤)と同じような路線とでも言いましょうか、音の凝縮力が尋常ではありません。なお、2曲とも放送音源と思われ、見事なステレオ録音であるのも嬉しい限りです。【湧々堂】 |
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Altus
ALT-084
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シューベルト:交響曲第9番「グレート」
フランツ・シュミット:軽騎兵の歌による変奏曲 |
ハンス・クナッパーツブッシュ(指)VPO
録音:1957年10月27日 モノラル・ライヴ |
“クナの最高のコンディションを示す、常軌を逸した構築美!” |
DGから発売されていたものと同一。「グレート」は、拍手が鳴り止まぬうちにとっとと開始するのがいかにもクナ流。序奏部は意外なほど快適なテンポで進みますが、音圧とカロリー価とは満点。終楽章に移るとワグナー風のアクを含む粘り越しのフレージングで一貫。第2主題に入る前の金管の走句をいちいちクレッシェンドして独特のうねりを醸し出す妙味、再現部直前の低弦の怪物的な呻きにも戦慄を禁じ得ません。コーダの超低速ルバートもクナのみに許される至芸。
第2楽章は、冒頭のオーボエからリズムの立ち上がりが生命感満点で、弦のとてつもない陰影の濃さと一体となっての説得力は、緩徐楽章の概念を完全に突き破っています。後半の大激高の威力と、その直後のVPO特有の甘美な弦のピチカートのコントラストの意味深さにも唖然。
第3楽章も生易しいスケルツォでは収まらず、巨大な牛車を牽引するような重量級の音圧が、トリオも含めて一貫して聴き手に襲い掛かります。
終楽章は13分を超える超低速の必然性を思い知らされる、破格の内容量!冒頭の破壊的な金管の咆哮に先ず度肝を抜かれ、極度に重心の低い弦の響きが超低速で表われますが、その後も快速テンポに転ずることなくそのテンポで通すのですから、恐れ入ります。弱拍の金管を生々しく突出させるなどの裏技も含めて、このテンポでリズムが灼熱の沸きかえりを見せるのも、クナの並外れた感性の賜物です。コーダの弦のユニゾン部分でさらにテンポを落とし、ただでさえ異常なスケール感がさらに倍層!聴後は、厳粛な宗教儀式に参加した後のような、不思議な充実感で満たされます。音質も聴きやすい良好なもの。各変奏で生々しいドラマを盛り込んだF.シュミットもとても気楽に聴ける代物ではありません!【湧々堂】 |
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ARKADIA
CDGI-715(廃盤)
↓
Audite
AU-95640
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シューベルト:交響曲第9番「グレイト」
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 |
ユリアン・フォン・カーロイ(P)
レオ・ブレッヒ(指)RIAS響
録音:1950年6月4日ベルリン=シュテークリッツ、ティタニア=パラスト(ライヴ・モノラル) |
“優美なロマンと激情が交錯する、個性的なアプローチ!” |
シューベルトは、クライスラーの伴奏指揮で有名なブレッヒの芸術性を知る貴重なCD。
第1楽章序奏の優雅なロマンの香り、超スローテンポによるしっとりとしたフレージングから心をつかんで離しません。主部への突入もほんの少しテンポを加速するだけで、スローテンポをそのまま引継ぐのですが、驚きはその後!提示部後半に差し掛かるとどんどん加速し、展開部に入るとまた悠然としたテンポに戻し、またもや後半で加速する…というように、音楽が高揚するたびに加速を伴うというユニークな展開に手に汗握ります。しかもコーダでは、金管が主題を高らかに斉奏するあたりから、今までのどの箇所よりも凄い粘着度でその主題を印象付け、圧倒的な風格を見せ付けるのです。締めくくりに弦のユニゾンで弾かれるテーマの熱さも空前絶後!
第2楽章の濃厚なロマンも印象的。ここでもテンポは一筋縄ではなく、楽想が変わるごとに緩急を入れ替え、この先どこへ向かうのか全く予測不能。しかしそこに宿る歌心に嘘はなく、その愚直までに自身の感性に正直なアプローチが胸に迫ります。後半の高潮点に向かう際にも、またしても大加速が出現。その後の弦のピチカートは、魚が跳ねるような瑞々しさ!締めくくりの悲哀も涙を誘います。
終楽章の冒頭は、フルトヴェングラーのような粘り腰で開始しますが、極端にテンポを変動させることなく安定した構築の中で男性的な推進を見せます。コーダの最後の一音をクレッシェンドするのは驚愕!これを聴く限り、ブレッヒは決して器用な人ではなかったようですが、全てのアイデアが高い訴求力に裏打ちされていたからこそ、オケもここまで完全に彼の意に付き従うことができたのでしょう。なお、これは以 以前Arkadiaから発売されていたものと同じ演奏ですが、音質はもちろんこちらが上。
カーロイのショパンも絶品!ブレッヒの指揮による伴奏は厚い響きで、多彩なテンポ・ルバートに心血を注ぎ、いかにも古色蒼然とした雰囲気を漂わせますが、カーロイのテンポ・ルバートは、第1楽章の第2主題の軽妙なフレージングが象徴するように、濃厚なロマンを湛えながらも洗練味も併せ持っています。そして、真珠のようなまろやかな光を放つタッチも実に魅力的。8:09からのテーマのフレージングが、これまたエレガンスの極み!
第2楽章ではアゴーギクは控えめにしながら微妙にタッチの芯の強さを自在に操作し、スタイルの新旧にとらわれない普遍的な美を確立。そこには甘美な雰囲気に溺れず常に前に見据える精神的な強さが宿り、同郷のゲザ・アンダにも通じる音のロマンを感じずにはいられません。終楽章も明確な意思を持った安定感に満ち、高潔なピアニズムは充実度満点!2:23から少しずつディミニュエンドするフレーズのタッチの色合いの微妙な変化をお聴き逃しなく!【湧々堂】 |
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BBC LEGENDS
BBCL-4072
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シューベルト:交響曲第9番「グレート」*
ケルビーニ:「アナクレオン」序曲**
コルネリウス:「バグダッドの理髪師」序曲# |
エードリアン・ボールト(指)
ロイヤルPO*、BBC響
録音:1969年*、1963年**、1954年#、ライヴ録音 (シューベルトのみステレオ) |
“ボールトの知られざる激情を体感できる貴重なライヴ!” |
「グレート」は聴後に放心状態に陥ること必至!冒頭の安定し切ったホルンの佇まい、悲しみに暮れた弦…と早速心をとらえ、主部に入ると彫琢し尽くした圧倒的音像を構築。第2楽章も安易な感傷とは無縁で、「神の音楽」と呼ぶ他ない威容を湛えています。終楽章に至っては老紳士の衣から遂に脱却!金管、打楽器を根底から轟かせて内燃エネルギーの限りを尽くし、完璧なフォルムで極限に達するという至芸を見せつけるのですから、これが落ち着いて居られましょうか!Vn両翼配置による音色のブレンド感も絶妙! |
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ORFEO DOR
ORFEOR-566012(2CD)
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シューベルト:交響曲第9番「グレート」、
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 |
ズビン・メータ(指)VPO
録音:1985年 ステレオ・ライヴ |
“ウィーン・フィルの味を蘇生させたメータ快挙!” |
ウィーン・フィルと相性の良い指揮者の一人、メータの味わい深い名演です。「グレート」は、ベームに代表されるようなオーソドックスなスタイルを貫き、驚くような細工も一切ありませんが、重心の低さ、剛直な音の芯、柔和な音色など、VPOだけの持ち味に溢れ、聴後しばらく余韻が消えないほどの味わいを残します。どんな指揮者が振ってもウィーン・フィルはウィーン・フィルに変わりないですが、'60年代までの音色とは明らかに違うということは、よく言われることです。
しかしこれを聴くとVPOは決して変わりきってしまったのではなく、その独特の音色に潜むコクと深みまで引き出し得る指揮者がいなかっただけだと思えてなりません。メータについても、あのロス・フィル時代の生気がすっかりなくなってしまったという言われ方をされますが、それがいかに一面的な印象でしかないか、この演奏で実証されます。本当にいい演奏を聴いたというこの味わいは、何物にも代えがたい魅力です。
「ハルサイ」は、ライヴでこそ燃えるメータの表現意欲が全開です。特に第1部の“春のロンド”の超低速で大地を嘗め回すような妖艶さには、言葉を失います!【湧々堂】 |
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Telarc
CD-80502
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シューベルト:交響曲第9番「グレート」、
交響曲第8番「未完成」 |
チャールズ・マッケラス(指)
スコットランドCO
録音:1998年 デジタル録音 |
“全声部を解きほぐし、壮大に再構築した目の覚めるシューベルト!” |
金管を中心に古楽器を使用している分、総奏でのフォルテの威力は絶大!しかも弱音はとろける様なまろやかさ!そこへマッケラスの、音符の裏側の意味まで感じ取る力と比類なき和声バランスが加わり、男性的で瑞々しいシューベルト像を打ち立てています。
最大の注目は「グレート」の最後のアクセント記号の処理。シューベルトは悪筆だったため、横に長く伸びた“逆くの字”が、アクセントなのかディミニュエンドなのか判別しにくいことで有名ですが、さんざん盛り上がった挙句に消え入るように終わる手法をとった場合(テンシュテットなど)、どうしても不自然に聴こえてしまうのは否めません。そこをマッケラスはどう処理するか?何と「大きなアクセント」として響かせているのですから仰天です!もちろん感覚的にそう感じただけで、専門的な考察によるものではありませんが、そのように感じて、思いを巡らすこと自体、楽しいことではありませんか。(おそらく、最新のベーレンライター版を採用していると思われますが、ライナーにその辺の真意が書かれている可能性が書かれている可能性もあります。)
「未完成」も聴き慣れた曲とは思えぬ衝撃の連続で、特に第1楽章展開部の入りの低弦のトレモロの響きに注目ください!【湧々堂】 |
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EMI
5627922[EM]
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シューベルト:交響曲第9番「グレート」
ブラームス:大学祝典序曲、
アルト・ラプソディ |
エードリアン・ボールト(指)LPO、
J.ベーカー(Ms)、
ジョン・オールティーズcho
録音:1972年、1970年(ステレオ) |
“artリマスタリングで蘇ったボールト最晩年の至宝!” |
超名演と絶叫せずにいられないのがこの「グレート」。日本では故・三浦淳史氏以外にこの演奏の偉大さを語った人がほとんどいませんが、この彫琢の限りを尽くした造形、微かに黄昏た歌のニュアンス、高潔な推進力を目の当たりにしてどうして無感動で居られましょうか!素朴でありながら神々しさを孕んだ第1楽章冒頭ホルンはそのまま弦に受け継がれ、早くも至高のニュアンスを現出。侘び寂にも似た空気に身を委ねているうちに、議論の的となる主部突入に差し掛かりますが、次第に加速してアレグロへ雪崩れ込む慣例は取らず、直前で急激にアレグロへ転換。それが分析的にならずに自然な佇まいを保持しているのは正に老練の技としか言いようがありません。ティンパニのエネルギー増減を伴う呼吸の大きなうねりにも心揺さぶられます。
第2、第3楽章では透明度の高い音像表出と、曲そのものに語らせる究極の奥儀を徹底的に思い知らされます。特に、ヴァイオリン両翼配置による音色のブレンド感、すっきりと音が立ち上がる木管のハーモニーや、小さなつなぎのフレーズにもセンスが光るティンパニは絶対注目!
しかし、なんと言っても圧巻は終楽章!80歳を超えた老紳士とは思えぬ快速ぶりだけでも手に汗握る上に、更に信じ難いティンパニの激烈な強打が追い討ちをかけるのです!まず再現部冒頭で痛烈な一撃。その先の8'59"、10'21"でもはっきりと山場を築いて、渾身の力感を誇示。それでも粗野に流れる箇所など皆無で、改めて全4楽章が格調高く調和していることに気付かされ、更なる感動に包まれるのです。なお、
このCDは'80年代後半に一度CD化されて以来の復活で、以前はLPと比較して曇り気味だった音の輪郭がartリマスタリングによってクリアになり、臨場感がグッと増しているのも嬉しい限りです。【湧々堂】 |
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