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殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤
ベートーヴェン
交響曲



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ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲全集

Hyperion
CDS-44301(5CD)
ベートーヴェン:交響曲全集 チャールズ・マッケラス(指)
スコットランドCO、
フィルハーモニアO(第9番のみ)、
エジンバラ祝祭cho、ジャニス・ワトソン(S)、
キャスリーン・ウィン=ロジャース(Ms)、
スチュアート・スケルトン(T)、デトレフ・ロート(Bs)

録音:2006年9月エジンバラ音楽祭ライヴ(デジタル)
“セルを超えたか?恐るべき完成度を誇るマッケラスの新・ベートーヴェン全集!”
マッケラスのベートーヴェン全集は、ロイヤル・リヴァプールPOとの録音からほぼ10年ぶりの再録音。弦のノン・ヴィブラートをはじめとしたピリオド仕様の演奏が一般的となった今日、ただ作曲当時の様式を取り入れただけでは誰も驚かなくなり、プラスアルファの独自の見識とセンスが要求されるところですが、マッケラスのこの再録音は、今までの彼の多くの録音同様、学究的にスコアを徹底的に掘り下げながらも、音楽に瑞々しい果実のような新鮮さを与え、また決して独りよがりでない真摯な共感がしっかり宿っているので、真に普遍的な価値を誇るベートーヴェン像を打ち立てることに成功しています。例えば、アイデア満載ながら、若手〜中堅の(指)者の中にはこんなことができるんだよ、凄いだろ!と言わんばかりにその独自のアプローチをひけらかすような演奏もありますが、マッケラスの指揮にははそんないやらしさがないのです。
第1番は、恣意的にアクセントを施したり、アーティキュレーションに凝ったりする演奏もある中で、この演奏はごくオーソドックスな表現。しかし、一音一音に意味があり、いつものことながらハーモニーが混濁することは皆無。まさに古典的な佇まいを体現した素晴しい演奏です。第1楽章はテンポからして快速モードを採用せず、最後に打ち込まれる3つの和音は微妙にリタルダンドして終わるなど、古い演奏スタイルを取り入れているほどです。
第2番もこの曲の清新さを十分に意識して活力も満点ながら、ノリントンよりも表情が温和。
「英雄」は、第1楽章の最初の和音から打ちのめすような打撃は加えず、あくまでも清潔なテクスチュア重視。テンポはもちろん快速ながら暴走はせず、音の質感を吟味し尽くしているのが分かります。第1楽章再現部のテーマ斉奏部で、前半のみトランペットを被せるというのがユニーク。第2楽章は悲愴感を強調しないところがマッケラスらしいですが、11:26からのヴィオラの音型に象徴されるよう、音はカラッとしていますが、音の輪郭を克明に表出することで、スコアに込められたベートーヴェンの思いが浮かび上がるようです。第3楽章トリオのホルンは目の覚めるような完全無欠な巧さ!終楽章は冒頭〜繰り返されるテーマの変化していく過程で、これほど各声部が明確な輪郭を伴って融合しているというのは驚異的。一切埋没しているパートがないのです!その点でスクロヴァチェフスキも真っ青でしょう。声部の輪郭と言えば終楽章コーダ!ジョージ・セル以来の完璧さです!
第4番は第1楽章主部冒頭のハーモニーで、ホルンを中核としたバランスをとることで独特な音像の広がりを持たせているのがまず印象的。再現部冒頭も同様のバランスですが、音楽自体が今度は極限までヴォルテージを上げ、10分間の中に生きたドラマを展開しているのがなんとも見事。テンポはC・クライバーなどよりもむしろ遅めに感じ、決してメトロノーム表記を重視していないことが伺えます。
運命は最初のタタターンの主題が1回目と2回目ではニュアンスが違うのをお聴き逃しなく!奏法に変化を与えていると思われますが、こんな衝撃は前代未聞です。声部バランスがここでも完璧なのは言うまでもありませんが、ここまで徹底させながら音楽が窮屈にならないのはマッケラスならではのマジックと言うしかありません。第2楽章は至純の極み。第3楽章はコントラバスの早い走句にも拍節感をにビシッと与え、スケルツォつつとしての性格を徹底表出。3楽章〜終楽章へのブリッジでも音像がもこもこせずクリアさを維持。終楽章は胸のすくようなパワーの噴出が見事ですが、これまた凄技出現!0:35のホルンから始まるフレーズの結尾でトランペットに主役を移行させ、クレッシェンド的な高揚感を持たせているのです。他の楽章でもそうですが、そのフレーズの核となる楽器、スパイス的な楽器の峻別とその徹底ぶりには本当に頭が下がります。ただ単純に主旋律を突出させ、他の声部を抑えるという単純なものではないのです。8:53〜のピッコロの駆け上がりの箇所で、それが埋没しないように他の声部を抑えるのはスクロヴァチェフスキも行っていましたが、その意図が透けて見えて音楽が小さくなっていたのに対し、マッケラスは一枚上手。
田園はこの全集の白眉!声部バランスに比類なき冴えを誇るマッケラスにとってまさにうってつけの曲ですが、その響きの美しさのみならず、音楽に語らせるマッケラスの感性に脱帽することしきり。第1楽章の第1主題〜第2主題へ移る手前のリタルダンドのなんという洗練さ!展開部の低弦の動きの有機的な豊かさには心揺さぶられ、続くヴァイオリンの持続音は、これほどのノン・ヴィブラートであることのありがたさを痛感させる演奏も他になく、両翼配置の意味を単なる掛け合いの面白さ以上の妙味をもって聴き手に迫るという点においても、この曲を語る際に絶対に忘れてはならない素晴しさです。そしてコーダの得も言われぬ余韻!第2楽章はまるで天上の美しさ。5:32〜のクラリネット・ソロは惚れ惚れする巧さに唖然。第3楽章はファゴットのソロをかなり強く吹かせ、しかも同じ音型を受け弦もそれと完全に連動。第4楽章も、ティンパにだけを強打させて表面的な迫力を取り繕った演奏とは次元が違います。終楽章は冒頭のホルンと低弦の溶け合いの美しさ〜うっとり。
第9番のみ大編成のフィルはーモニア管ですが、これも見事な選択。しかも演奏内容が凄いことになっています!ティンパニがかなり豪快な響きで捉えられており、全体の響きもグッと量感を増しますが、演奏自体も他の8曲とは趣が異なり、尋常ならざる切迫感と激烈さが横溢。その分古楽器的な響きは後退しているので、ピリオド仕様が肌に合わない方も心震えること必至。それにしても、炎の中で格闘するようなこんな血肉が滾らせたマッケラスはかつて聴いたことがありません。1楽章も2楽章もまるで猛獣のように凄まじい音圧が襲い続けます。第3楽章でさえ音が峻厳に昇り、決して癒しの雰囲気に安住しません。9:05からの猛烈な打ち込みは、宇宙に向けて砲撃する凄まじさ!終楽章もヴォルテージが異様なまでに高く、マルケヴィチとミュンシュを合わせたようなとてつもない迫力!もはや学究肌のマッケラスのイメージなどどこにもありません。独唱陣も皆粒ぞろい。コーダ突入前の4人のハーモニーもマッケラスの制御が行き届いていることが窺えます。この第9番に至っては、もはや細部がどうのこうのといている場合ではありません。いったいマッケラスという人は、音楽を表現するための駒をいくつ持ち合わせているのでしょうか?しかもこの録音の時点で80歳を超えていたのです!肉体の衰えが音楽に反映することなどあり得ない奥義も含めて、超人と呼ぶしかありません。 [湧々堂]


MEMORIES
ME-1020
(5CD)
ベートーヴェン:交響曲全集、
コリオラン序曲、
「プロメテウスの創造物」序曲、
「エグモント」序曲
クラウス・テンシュテット(指)
LPO(9番、エグモント)、VPO(3番)、
BSO(2,6,7,8番、プロメテウス)、
NYO(4番)、キールPO(5番)、
北ドイツRSO(コリオラン)、
メックレンブルク・シュターツカペレ(1番)

録音:1番='68,8.18、3番='82.8.29、6番&8番='75.7.27、2番・プロメテウス='77.7.31、4番='80.5、5番='80.5.20、7番='77.7.29、9番='91.8.31、コリオラン='92.6.11、エグモント='91.9.26
全てステレオ・ライヴ録音
“特に奇数番号の交響曲は絶対に聴き逃せない感動作!!”
オケも録音年もバラバラなので、全て均一の出来ばえというわけにはいきませんが、この中の奇数番号の曲と「田園」は、心の底から湧き出て全身で奏で切った圧倒的な名演で、聴き逃す手はありません!「第1番」は古典様式を守った極めてオーソドックスなスタイルですが、内面から込み上げる生命力が素晴らしく、平凡に流れることは決してありません。第1楽章の展開部の第2Vnの際立ちは意図的なものを感じず、自然な佇まいの中にも内声を徹底的に充実させている典型的な例。終楽章の骨太な推進力も見事です。「第7番」は、ミュンシュ時代を思い起こさせるトランペットの輝きが印象的。終了後の怒涛の「ブラーボー」も演奏の熱さを物語っています。タングルウッド・ライヴの「第8番」は、大家による草書を思わせる趣き。第2楽章の軽妙なリズムは心からの愉悦に満ち、小鳥のさえずりが曲とマッチして雰囲気に花を添えます。第3楽章の流麗な流れも、古き佳きドイツの伝統美を感じさせます。これと同じ日の「田園」も、緻密な構築よりも全体を大きな流れと、終楽章に至るまでの精神的なニュアンス表出が優った演奏。第1楽章のリズムの鼓動と低音をたっぷり響かせた音像がリアルに迫り、第4楽章のティンパニの最強打は野放図な突出に陥らず、絶大な説得力を誇ります。終楽章は、ボストンの弦の良質な響きが素晴らしく、第4楽章までのドラマを洗い流すような浄化のニュアンスが横溢!この美しさはまさにスコアを微視的に捉えていては到底不可能なニュアンスです!しかも最後のホルン・ソロが完璧な美しさ!「第9番」は、冒頭の32分音符と4分音符の間隔を短くして切迫感を強調しているのがまず印象的。しかし、ここでも大柄な造型力は万全で、全体が一丸となっての熱いドラマ性は変わりません。第2楽章のティンパニと弦の連鎖の俊敏性には、強靭な意志の力が充実。第3楽章の高潔な精神そのものの響きの広がりも、テンシュテットの鋭敏な感性の表れでしょう。深いコクを湛えた木管との響きも忘れられません。弦が弾く第2主題に木管が被さることで醸し出される意味深いニュアンスに至っては、思わず言葉を失ないます。しかし全9曲の中の最高の圧巻は、「英雄」と「運命」でしょう。「英雄」は、テンシュテットとVPOとの唯一の共演。お互いに相性が良くなかったと言われていますが、これを聴く限り、指揮者とオケの個性が完全に融合した感動的な演奏に仕上がっています。第1楽章はテンポこそ中庸ですが、音に灼熱の芯が終始宿り、内面から沸き立つ生命力が見事な緊張感を形成。続く第2楽章は、全曲の中での最高の楽章と言いたいくらい感動的!VPOの豊穣な響きがついに大全開となり、8:14以降は、逞しい造型と、全身で心のもがきを表現する金管の絶叫が心を抉り尽くすのです!この渾身の力感は、VPOがテンシュテットの芸術に心酔しきっていなければ表出されないものでしょう。「運命」がこれまた凄い!プロムス・ライヴも壮絶でしたが、ここではさらに決死の勢いが漲り、何かに憑かれたような緊迫感で一貫しています。第1楽章は、まさに一気呵成!ティンパニの強打が確信を持って轟き、ホルンの容赦ない突き抜け方にも唖然!第2楽章はあまりの感動で全身が金縛り!ティンパニの強打はさらに冴え渡り、荘厳を極めた巨大音像が聴き手の全身に襲い掛かり、緩徐楽章の概念などどこかに吹き飛びます!これでは終楽章までエネルギーが持たないのではと心配になるほどですが、オケの没入が尋常ではないので、その闘志は止まるところを知らず、決ついに決死の勢いで終楽章に突入するのです。キール・フィルは、テンシュテットが亡命後に最初に落ち着いた西ドイツのオケですが、お互いに心中も辞さないようなこの燃え上がり方は、両者の絆が並々ならぬものであったことを物語っています。第2楽章で一瞬ティンパニが勢い余って飛び出す以外は技術的にも万全です。ステレオ・ライヴの「運命」としては、セル&VPO盤と共に「芸術的な灼熱」の極致を行く演奏として忘れるわけにはいきません!【湧々堂】


EMI
5757512[cfp](5CD)
ベートーヴェン:交響曲全集 サー・チャールズ・マッケラス(指)
ロイヤル・リヴァプールPO、
B.ターフェル(Br)、J.ロジャース(S)、
D.ジョーンズ(A)、P.ブロンダー(T)、他

録音:1991〜1997年 デジタル
“マッケラスが徹底考察を経て世に問う衝撃のベートーヴェン!”
アクセント、アーティキュレーションは勿論、テンポ、奏法に至るまで徹底的に考証を重ねて実現したのが, この絶大な衝撃度を誇るベートーヴェン!ヴィヴラートを抑え、金管を割れるほど突出させるなど古楽的奏法も巧みに取り入れていまが、、アカデミックな冷徹さは微塵もなく、一途な音楽への共感のみが湧き上がってくるのですから、感動もひとしおです。メトロノーム表記を遵守しているので、速い箇所は異常な速さで疾走しますが、響きが決して軽薄にならないのは、彼の熟練の為せる技でしょう。「第4番」序奏部の弦のアルコをピチカートに変更しているは画期的!「英雄」第3楽章、「運命」の終楽章の強靭なホルンなど、聴後も耳を離れません。「田園」は、内声部まで充実しきった目の覚めるような快演で、第2楽章冒頭の弱音器効果はセンスの塊。第3楽章の一糸乱れぬ速さ、“嵐”の驚異のバランス感覚と迫力も衝撃的です。「第9」も解像度抜群!どこまでも清潔なテクスチュアから見事に迫力と推進力も引き出しています。一部のパートの激烈な突出(第1楽章のホルンなど)やアクセントはもとより、最近では珍しくないベーレンライター版による音の変更が今でも新鮮に響くのは、マッケラスの音楽家魂が音に宿っていることの何よりの証しでしょう。また、ここではまだ有名になる前のB.ターフェルの精悍な歌いっぷりも聴き逃せません!【湧々堂】

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第1番ハ長調Op.21

Altus
ALT-239(2CD)
ベートーヴェン:交響曲第1番
交響曲第9番「合唱付き」
カール・シューリヒト(指)
フランス国立放送O
アグネス・ギーベル(S)
マルガ・ヘフゲン(A)
ラグナー・ウルフング(T)
エドゥアルト・ヴォリッツ(Bs)
フランス国立放送Cho
ルネ・アリックス(合唱指揮)

録音:1965年6月15日 シャンゼリゼ劇場(パリ) (ステレオ・ライヴ)
“体調を崩す前のシューリヒトの輝かしい至芸!”
「第9」はステレオ録音(優秀バランス)は初出!枯れ切ってしまう前のシューリヒトの悟りの境地を反映されており、このオケならではの木管の煌きを際立たせながら、高次元の燃焼させた名演です。木管の突出、固いティンパニの響きは決してデフォルメではなく、すっきりとしたフォルムい構築に直結。第1楽章コーダ導入の幽玄さ、決然とした締めくくり方はまさに鳥肌モノ。第2楽章は推進力に溢れた雄渾さが印象的。パリ音楽院盤のような最終音のティンパニの一撃はありません。第3楽章は冒頭から至純の極み!そして信じがたい柔和さ。11:50からのトランペットの警告は、ハーモニーの透明さに心を奪われます。終楽章ではなぜか4人の独唱者が先走ってどうなることかと思いきや、なんとシューリヒトがそのテンポに乗っかり、結果的にアンサンブルがキリッと引き締まるという一幕が。
「第1番」は、以前にディスク・モンテーニュから「英雄」(ALT-234で発売)とのカップリングで発売されたもので、その「英雄」と並ぶ超名演!明るめのサウンドと作品が持つ木管の愉悦感がこれほど際立つ演奏は稀で、当時のシューリヒトの円熟味と一体となった味わいは格別。その透明感溢れる響きは、まず第1楽章の古典的なソナタ形式の様式の美しさを引き立てていることを実感。第3楽章の何というリズムの瑞々しさ!終楽章の序奏は一切強弱を付けずに朴訥に進行しますが、それでいて聴手を惹きつけずにおかない求心力があるのです。主部以降は、このオケがいかにシューリヒトに身も心も捧げ尽くしていることがひしひしと伝わり、その蜜月ぶりが泉のように湧き出る微妙なニュアンスに更なる説得力を与えています。例えば、主題回帰の5:14からは急激に音を強めるのが通例ですが、ここではじわじわとクレッシェンドする手法をとり、微細なニュアンスを主体性を持って結実させているのです。シューリヒトの最後の輝きをぜひご堪能あれ! (Ki)


Altus
ALT-190
ベートーヴェン:交響曲第1番
 交響曲第3番「英雄」*
若杉弘(指)ケルンRSO(現WDR響)

録音:1977年1月14日、1977年10月28日* ステレオ・ライヴ(拍手なし)
“誠実さ自体が味!若杉のドイツ音楽への惜しげもない愛の結晶!”
ベートーヴェンの音楽は、握り拳で手に汗握るのだけが脳じゃない!ということを思い知らされる録音。と言ってもそのことを声高には主張しないのが若杉流。若杉弘のイメージが何となく地味なものに落ち着いているのも、そんな“誰にでもわかる”強烈なインパクトでアピールする芸風ではなかったせいかもしれません。自己顕示欲を感じさせない誠実さを売りにする指揮者から出てくる音楽はつまらないだけの場合も多いですが、若杉は結果的に簡単に真似のできない味わい深い演奏を確実に築いてくれるのです。そんな指揮者はこの日本だけでなく、世界中を見回しても決して多くは存在しません。そう考えると、若杉の生前の評価が不十分であったと思わざるを得ません。
このベートーヴェン2曲も、一言で言えば地味。ましてや昨今のピリオド奏法に慣れ切った耳には感覚的な刺激が足りないと感じることでしょう。しかし、演奏の奥底から止むことなく溢れる規律正しく溢れる情熱に接して、パンチに欠ける生ぬるい演奏と言えるでしょうか?
第1番は、ハイドンのスタイルを念頭においた素朴なスタイルが基調としていますが、決してその雰囲気だけで終わらない演奏です。第1楽章は実にゆったりとしたテンポですが、ノスタルジックに浸ることなく音楽を立体的に構築。第2楽章も決して先を急がず、ベートーヴェン初期特有の素朴な歌心を再認識させます。第3楽章は、恣意的に強打することなく核心を抉ったティンパニ連打、中間部の木管の響きの温かさに是非ご注目を。全ての楽章に共通しますが、弦に代わって木管がポコポコと浮き出る瞬間の自然なバランス配分には全く頭が下がります。いちいち指令を下されて吹いている印象を与えず、まさに音楽として湧き出るのです。それを最も顕著に感じるのがこの終楽章。
「英雄」は、これより約15年後のザールブリュッケン放送響との録音もありますが、緊張感も説得力も明らかにこちらが上。ここでもソリッドな切れ味を持つ演奏とは別次元の音楽が展開されます。第1楽章最初の和音は決して威嚇しません。感覚的、もしくは表面面的な刺激音ではなく、音楽を「紡ぎ出す」ということを、こういう勇壮な作品においても堅持し尽くした若杉の静かな維持が終止脈打っています。声部バランスのセンスの高さはここでも発揮され、4:50〜5:06の最後の一音に至るまで聴かれる木管の連動の美しさはどうでしょう。木管といえば、7:31からのフレーズ!ほとんど弦の動きにしか配慮されないことが多く、次第に弦の力感に押されて木管の霊妙な動きが曖昧になるのが常ですが、この演奏はそんな心配は無用。再現部のテーマ回帰はもちろんトランペットを追加していますが、煩さ皆無。第2楽章は過剰な物々しさを避けて敬虔な祈りに徹し、感じ取ってから音を発する若杉の誠実さが説得力となって結実。そのスタンスを固辞しつつも身を粉にして没入する7:06以降の高揚は特に感動的です。12:22からのティンパニの説得力も比類なし。終楽章も安定感磐石。強烈なパンチ力を押し切る演奏では感じ切れない、真に結晶化した音楽を堪能してください。
例えば、一見淡白に見えてその実体はそこはかとなく深遠さを滲ませるあのシューリヒトの芸術を心から感じ取れる感性が、若杉の作り出す音楽に接する際にも聴き手には要求される気がしてなりません。  【湧々堂】


CASCAVELLE
VEL-3154
ベートーヴェン:交響曲第1番*
ヴァイオリン協奏曲、
序曲「コリオラン」
ヨゼフ・クリップス(指)
フランス国立放送O
アイザック・スターン(Vn)

録音:1958年9月18日(モノラル・ライヴ)、1965年8月28日(ステレオ・ライヴ)*、パリ
“木工家具のような風合い!中庸の一言では済まない古典の佇まい!”
まずご注目いただきたいのが、ステレオ録音の交響曲!裏の声部を無理に引っ張り出したりせず、かといって主旋律を追うだけの単純な造形でもない、自然なバランスを保った美しいハーモニーで聴き手を魅了するクリップスのセンスの高さを改めて痛感させる逸品です!第1楽章序奏部は、懐かしいゆったりとしたテンポ感を楽しむような風情が魅力で、そのテンポによって弦と木管との絡みが一層意味深く響きます。主部以降の無理のない自然な流れもそれ自体が美しく、展開部での第2ヴァイオリンのパートはくっきりと浮き上がらせながらも恣意性は皆無。まさに職人芸の極みと言えましょう。第3楽章中間部でリズムの着地をしっかり刻印するのは朴訥さ丸出しですが、なんとなく夢の中を漂うような雰囲気とは違い、現実世界の楽しさを実感しているような趣があるのです。終楽章も慌てず騒がず、大人の音楽作り。一歩一歩足場を固めながら先へ進む安定感が格別。そしてコーダは千両役者のような堂々たる締めくくり!オケの響きも、シューリヒトの名演奏で実証されているように、ドイツ系のオケのような音色のくすみがない分、クリップスのピュアな音楽性をストレートに現出させるのに大きく貢献。名匠が丹誠込めて作り上げた木工家具のような風合いと、この作品の古典的な味わいを久しぶりに思い起こさせてくれた貴重なひとときでした。スターンの協奏曲も、特有のやや強めの弓圧を終始貫徹させ、ベートーヴェンの音楽の深部と対話するような真摯なアプローチで丹念に奏できって好演。【湧々堂】


Hanssler
98-375
ベートーヴェン:交響曲第1番、交響曲第2番 トーマス・フェイ(指)ハイデルベルクSO

録音:2000年 デジタル録音
“音楽のドラマを内面から噴出させるフェイの稀有な才能に驚愕!”
古楽奏法を取り入れながら、途方もないダイナミズムを謳歌し尽くした快演!「第1番」の序奏から、アーティキュレーション、強弱処理、アクセントに独自の見識を示しながら学究臭を感じさせず、音楽の陰影が濃密なことこの上なし!主部に入ると超快速で猛進し、リズムの切れと弾力による牽引力で、終始緊張の連続です。あえてバランスを破って突出するティンパニやホルンの激烈な叫びも自然そのもので、音楽全体を瑞々しくさせ息づかせる手腕は只事ではありません。第2楽章も快速のアンダンテ。このテンポで夢見るようなニュアンスが止め処もなく溢れさせるのですから、これまた驚き。第3楽章中間部の心のこもった歌も、フェイが音楽を決して頭で捉えているのではないことをはっきりと示しています。終楽章は、いきなり冒頭和音がティンパニのクレッシェンドを伴いながら天に駆け上る勢いで音を長く引き伸ばし、壮絶な迫力でノックアウト!以降はこれまた超快速でまっしぐらですが、そんな中、一つ一つのフレーズの中の強弱設定が緻密を極め、思ってもみないニュアンスが次々と溢れ出します。快速感の中でのニュアンスの横溢振りは、「第2番」でも変わらず、特に両端楽章の声部の熾烈なぶつかり合い、灼熱のリズムによる沸点真っ只中の音楽作りには、ノリントンも霞んでしまう程。第2楽章で、弦がヴィブラートを抑えながら、こんなにふくよかな情感を漂わせた例も他にあるでしょうか?終楽章の0:53でオーボエに一瞬アクセントが施されますが、こういう箇所で全く恣意的な印象を与えず、音楽に真の躍動感を与えるのを聴くにつれ、フェイの全身が音楽で満たされていることを痛感させられます。フェイは、師匠のアーノンクールより数倍過激なモーツァルトの「ジュピター」も録音していますが、自己満足的な痛快さに酔っているだけの演奏も少なくない昨今、音楽に迫真のドラマを息づかせ、何度でも繰り返し聴きたくなる衝動に掻き立てるフェイの感性は、どんなに賞賛しても足りないくらいです。【湧々堂】


Berlin Classics
BC-12502
ベートーヴェン:交響曲第1番
交響曲第4番
ハインリッヒ・シフ(指)
ドイツ・カンマーPO

録音:1991年〜1992年、デジタル録音
“泣く子も黙る、指揮者H・シフの恐るべきダイナミズム!”
「器楽奏者の指揮」と聞くと、無意識に本職の指揮者より一段下に格付けして、感動のセンサーを閉じてしまう人が多いのではないでしょうか?正直、私もその傾向がないとは言えませんが、これを聴いたときほど、それを恥じたことはありません!チェリストとしてのシフは、ヴァイオリン的ともいえる軽妙な音色が特徴的ですが、指揮棒を持つと全く別人に変貌!硬い撥を用いた革張りティンパニを核として竹を割ったようなダイナミズムが縦横無尽に溢れているのです。第1番は序奏から声部の輪郭を際たたせて充実しきった響きを引き出し、今後の只ならぬ展開を予感させますが、主部に入るとその予想を遥かに超え、血気に満ちた鋭利なリズムを強調。しかも異様なまでに深い呼吸で圧倒します。結尾のティンパニ強打は空前絶後の凄みを湛え、この瞬間に過去の名演の全てが吹っ飛びます。第4番もC・クライバー盤が霞むほどの威力!極限ともいえる快速テンポを押し通しながら、強引さは全くなし。団員のひたむきな表現意欲と共に目も眩む激情の沸き立ちを見せます。【湧々堂】

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第2番ニ長調Op.36
SONY
SMK-46247
ベートーヴェン:交響曲第2番、
 「エグモント」序曲
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲*
パブロ・カザルス(指)マールボロ祝祭O

録音:1969年、1970年* ステレオ・ライヴ
“入魂一撃!内燃エネルギーの高次元での完全燃焼!!”
「第2番」は、古楽奏法を取り入れない従来の方法で築いたこの曲の録音としては、最高位に君臨する超名演!最初の和音の魂を込めぬいた一撃から内容量満点で、リズムの刻みもとてつもない弾力を誇っています。ホルンの強烈な突出も必然を感じ、その瞬間、更に熾烈な緊張で覆われます。主部のテンポは、荘重そのもの。にもかかわらずリズムは生命感に溢れ、全ての音が異様な意味と熱さを伴って迫り続けます。展開部後半でバスが強靭にゴリゴリと内声を抉り出すなどはほんの一例で、常にスコアから核心を引き上げようとする意思が全編に漲っています。コーダの恐るべきスケール感は、全世界を愛で包み込むようなとてつもない包容力!第2楽章も表面的な美など一切寄せ付けない感性の塊!ポーラ・ロビソン、ミラン・トゥルコヴィチ等が参加するこの最強オケの最高の歌のセンスも聴き逃すわけには行きません。終楽章は勇壮さの極み!悠然たるテンポはここでも変わらず、常に大地にしっかり根を下ろして、入念に引き出したニュアンスを濃厚に敷き詰めます。強靭に張り出すバスが基盤を支えるのはここでも同じで、物凄い発言力を有しながら、全体の推進力を見事に増強させています。そんな感動と緊張感に打ちひしがれながら曲が終わろうとする矢先、全休止の合間で絶妙なタイミングで鳥のさえずりが聞こえるではありませんか!鳥までもがこの演奏を讃えている…そんなわけないのですが、その瞬間、今までの感動が一気に倍増すること必至!【湧々堂】


CPO
999474[CP]
(2CD)
ベートーヴェン:交響曲第1番*
交響曲第6番「田園」、ヴァイオリン協奏曲
ヘンリク・シェリング(Vn)、
ハンス・ツェンダー(指)
ザールブリュッケンRSO

1976年*、1982年 ステレオ・ライヴ
事な凝縮力で迫る磐石のベートーヴェン!”
「第1番」は、序奏冒頭の一撃から量感溢れる凄みで圧倒!内面から湧き出る推進力を、ツェンダーならではの知的なフォルムでキリッと引き締め、終始緊張感に満ちたドラマを展開します。第1楽章では、展開部での第2ヴァイオリンを軸とした各楽器の連携の妙が冴え、ティンパニの雄渾な響きも印象的。終楽章冒頭でリズム、音価の持つ意味合いに徹底的に変化を与えるこだわりも、感覚的に新鮮なだけでなく、音楽的な説得力を持って迫ります。「田園」の晴朗な息吹に満ちた演奏も鮮烈です。第1楽章は、比較的速めのテンポで軽快に運びなが、各パートから淀みない歌が溢れ出て、第2楽章は、しなやかに伸びるフレージングが心地よく、全体が弛緩することは決してなく、全ての表情がツェンダーの音楽への一途な愛情の現われとして、優しく胸に迫ります。第4楽章で、ティンパニの強打を途中でサッと引き上げて弦に主導権を切り替える鮮やかさと、背後の金管の彩りは、知性派ツェンダーの真骨頂!終楽章の清潔この上ないニュアンス表出と声部バランス美しさも、いつまでも浸っていたい魅力に溢れています。ツェンダーは現代音楽の専門家と知られる反面、このような古典作品への純粋な共感ぶりは広く認識されていないのが残念ですが、あのスクロヴァチェフスキの音楽性を愛する方なら、きっと満足されることでしょう。ヴァイオリン協奏曲は、何もしていないようでいて、純粋に語りかけてくる魅力が詰まった冒頭のティンパニから、早速ただならぬ名演の予感!ツェンダーらしい知的なフォームを絶やさず、一貫して緊張に満ちた音楽が流れ出たところで、シェリングの弾き始め第1音が、これまた完熟の音色で一気に引き付けられます。中間11:57以降の「力みのない緊張感」と丹念なニュアンスの醸し出しがひしひしと伝わり、12:40からの甘美な旋律も、自らは酔わず、聴き手の毛穴にじっくり浸透するような、表情を湛えています。カデンツァは、一貫して用いてきたヨアヒムのものですが、シェリング特有の押し付けがましくない緊張の美学が結実。第2楽章では黄昏の微光がきらめくようで、このまま終楽章に突入せずに終わって欲しいと思ってしまうくらいですが、この終楽章が、奇跡としか言い様のない感動で一杯なのです。表面的な技術を超越し、音楽の核心部分だけを抽出してくれる丹念さが高次元に昇華されており、3:17以降のくだりなどは、あまり語られない至純の音色美と、全ての音を慈しみながらの呼吸の妙が涙を誘います。これはシェリングの死の6年前に築いた金字塔として、永遠に語り継がれて欲しいものです。【湧々堂】

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」

Altus
ALT-234(2CD)
シューリヒト〜奇跡の「エロイカ」
シューマン:「マンフレッド」序曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調*
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
カール・シューリヒト(指)
フランス国立放送O
アルテュール・グリュミオー(Vn)*

録音:1963年5月14日シャンゼリゼ劇場での全演目(ステレオ)
※オリジナル・マスターからの新マスタリング
“もはや神の領域!強烈なオーラに溢れた奇蹟の「エロイカ」!!”
ある演奏家の最高の名演を一つだけ挙げよと言われれば、大抵の場合は選定可能ですが、シューリヒトに限ってはどうしても2つの超名演から更に絞ることができません。一つは1962年録音のモーツァルトの「ハフナー・セレナード」。もう一つがここに収録されている「英雄」です。これらの演奏は、一人の芸術家がその感性を極限まで熟成させるとはいかなることかを実感させるとともに、人の手を介して鳴り響いているという現実を忘れさせ、あらゆるニュアンスが聴き手の予想の及ばぬ神の啓示のようなオーラに満ちており、何度聴いてもひれ伏したくなるのです。
「英雄」冒頭の2つの和音の打ち込みは、他のシューリヒトの演奏と同じように荒くれた強靭さとは異なり、感覚的には淡白ながら気力の漲りがハーモニーの結晶に直結し、理想へ向かおうとするベートーヴェンの純粋な精神力そのものとして響きます。続く弦の主題は、強弱の配分が実に入念ですが、川の清流のように淀みがなく、その自然な求心力の高さは、まさにシューリヒト芸術の真骨頂。
61年のVPO盤、64年のBPOと比べると明らかなように、フランス国立管の特色である音の重心の軽さと音色の明るさが完全にシューリヒトの志向と合致しているので、全てのニュアンスが精彩に富み、単に「枯淡の境地」から出たのではない迫真の息づかいとキリッとした佇まいを感じさせるのもこの演奏の魅力の一つですが、その特徴が恐るべき効果を伴って迫るのが展開部7:15以降!ほとんどの演奏が弦の刻みが主体となって木管が軽く添えられる程度のバランスで進行しますが、ここでの木管の響きはまるで星の瞬きを連想させ、宇宙的な神秘性はブルックナーの第9交響曲の世界を思い起こさせるほどで、しかも芯を持った弦との融合も絶妙の極み!これはVPO盤でもBPO盤でも決して体現できませんし、他の指揮者ではその片鱗さえ窺えません。再現部は全声部の凝縮力が頂点に達し感動の極みです。
第2楽章は、シューリヒトならではの「深遠なイン・テンポ」の魅力全開。音色もリズムも鉛色の世界に埋没しないのは言うまでもないですが、ここでも各声部のニュアンスの深さは只事ではありません。3:15から奏でるオーボエのテーマに続いてフルートが突如として衝撃的なフォルテを発するのは神の怒りのよう。3:35からの弦の清明なフレージングでその怒りを収めたとおもいきや、3:48からの管楽器の斉奏が強烈な色彩を降り注ぐのですから呆然とするばかり。9:05の低弦の切り込み以降も明確な意志を宿した音の連鎖はとどまる所をしらず、老境の影など微塵も見られません。そして生き物のような表情を濃密に湛えたコーダ!これに感動しないで「英雄」に何を聴こうというのでしょう!
第3楽章も自然体を貫きながら、弦の刻みには精妙に強弱を配し、同時に流れの美しさも確保という究極技。トリオでは予想に反してホルンはヴィブラートを抑制。他のシーンでは普段のヴィブラートをそのまま生かしているので、ここでシューリヒトがあえて指示したものと思われますが、その慎ましいトーンが中庸のテンポ感と調和して、独特の品格を生む結果となっています。
終楽章に至って、アンサンブルの凝縮度は頂点に達します。まずドキッとするのが、弦からオーボエへ引き渡す1:52〜1:53レスポンスの絶妙さ!各パートがこれほど一本のラインで連動するのは他に例がなく、3:11〜3:13の弦のリズム湧き立ちも、単にオケがシューリヒトの指示に従うという次元を超えて、全員が完全にそのオーラに痺れ身を粉にしている証し。そして遂に訪れる、史上最も感動的なコーダ!!!この部分だけでも他のシューリヒトの「英雄」の中でも段違いの名演であることを実感していただけるでしょう。これだけの超名演が良質なステレオで味わえるのですから、ありがたい限りです。
なお、この「英雄」は、第2楽章から第3楽章はアタッカのように続けて演奏(収録)されています。楽章間は1〜2秒ほどしかないので、初出のディスク・モンテーニュ盤では、3楽章からトラックを再生すると冒頭の音がわずかに欠けていました。その点今回の復刻はきちんとトラックが設定されているので、そんな不満は解消されています。ただ、2〜3楽章をアタッカで演奏するという音楽的根拠は不明(他の演奏では普通に間を取っている)で、もしかすると楽章間の耳障りなノイズ(例えば大きなくしゃみ等)を放送局側が意図的に削除し、それがオリジナルマスターとして保存したのかもしれません。代理店の話でも、マスターの段階でアタッカ風になっているとのこと。日本語解説にもその辺のことには触れられていないので、ぜひ専門的な検証を待ちたいところです。
正直なところこれほどの名演の後には、他の音楽を聴く余力など残っているはずもないのですが、「マンフレッド」序曲これまた他の録音を大きく引き離す演奏で、軽くあしらえません。冒頭の和音を無造作に打ち付けるのはいつものシューリヒト・スタイルですが、その気迫は凄まじく、弦は峻厳さ極み。むしろ一般的にはこちらのモードこそベートーヴェン的と言えましょう。主部以降の息もつかせぬ推進力にも手に汗握り、特に内声部の意味深さと全体を取り巻く透明度の高い管楽器が生み出すハーモニーの絶妙なニュアンスは比類なし。4:30あたりからは、シューリヒトの天才的な間合いのセンスと、しなやかな呼吸の振幅が生み出す生命力にも心奪われ、6:00からのチェロのフレーズは、あらゆる人智を超えた次元で飛翔します。新たなニュアンスが生まれようとするワクワク感が連続して襲い掛かる緊張感をすべて受け止めるのは至難の技です。
そんなシューリヒトの棒と共演するのが甘美な音色で知られるグリュミオー。ここではシューリヒトの音楽性とのコントラストによって、グリュミオーの美音が普段以上に人間臭く響きます。特に終楽章ではグリュミオーがよほど興に乗ったのか、ややテンポが前のめりになるほどの推進力見せ、ライヴならではの盛り上がりを堪能することができます。【湧々堂】


ICA CLASSICS
ICAC-5087B
アタウルフォ・アルヘンタ
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲*

■ボーナス・トラック#
チャピ:ムジカ・クラシカ-前奏曲
 「グラナダの裁判所」〜セレナータ(ファンタジア・モリスカ)
 「擲弾兵の太鼓」前奏曲
ヒメネス:「ルイ・アロンソの踊り」間奏曲
 「ルイ・アロンソの結婚」間奏曲
アタウルフォ・アルヘンタ(指)
スペイン国立O、スイス・ロマンドO*

録音1957年5月24日マドリッド,パラシコ・デ・ラ・ムジカ
1957年8月29日ジェノヴァ,ヴィクトリア・ホール*
1955-1957年マドリッド,グラン・オルケスタ・シンフォニア# (全てMONO)
“シューリヒト譲りのスタイリッシュさと血の熱気との見事な融合!”
民族的な作品の録音が多いアルヘンタが、ベートーヴェンの「英雄」でこれほど確信に満ちた演奏を繰り広げるとは予想外でした。
「英雄」第1楽章は快速なテンポで颯爽と進行。音楽の構えが大きく、大編成の響きを混濁させずにキリッと引き締めて放出するパワーと持久力が見事です。第2楽章は全声部を総動員した有機的な響きが魅力で、恩師でもあるシューリヒトお思わせる洗練されたフレージングも手伝って求心力を確保。特に6:56からはまさに迫真!その緊張感の高まり、憑かれたような一途な熱情注入に胸が熱くなります。そして最大の名演が終楽章!作品への没入が極限に達し、スペイン国立管もそのローカルなイメージをひっくり返す自信と情熱に満ちたアンサンブルを徹底貫徹!どの部分を取っても表現し尽くそうとする意志が脈打っており、手に汗握りっぱなしです。7:56からはまさに勝利の雄叫びで、その輝かしさが大味に傾かずに心からの叫びと化しているので説得力は絶大。
スメタナでは、血沸き肉踊るリズムが炸裂。チャピの「ムジカ・クラシカ」はベートーヴェンの「田園」やメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲の一節が登場する佳作。【湧々堂】


GRAND SLAM
GS-2091
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 エーリッヒ・クライバー(指)VPO

録音:1955年4月11-14日、ウィーン、ムジークフェラインザール
使用音源: Decca/Ace of Clubs (U.K.) ACL-35
“第2楽章必聴!普遍的価値を誇る、エーリッヒ・クライバーの「英雄」”
■制作者より
エーリッヒ・クライバーは英デッカのモノラル時代に2度、ベートーヴェンの「英雄」を録音しました。ひとつは1950年5月、アムステルダム・コン セルトヘボウと、そしてもうひとつは1955年4月、ウィーン・フィルとのものです。双方ともモノラル録音だったため、ウィーン・フィルとの「英雄」は クライバーの死後の1959年、英デッカの再発売シリーズであるエース・オブ・クラブAce of Clubsで初めて世に出ました。こうした経緯があるためか、 演奏内容は全くの互角であるのにもかかわらず、ウィーン・フィルとの「英雄」はカタログから消えている時間が長くなっています。  復刻に使用したLPは非常に状態が良く、LP特有のノイズがほとんど感じられず、しかも既存のディスクよりもずっと肉厚で艶のある音で再生されます。 従って、演奏内容の評価が大きく変わる可能性があります。(平林 直哉

エーリッヒ・クライバーの芸術は、時代を問わず普遍的な価値を持つ逸品であることを改めて痛感。イン・テンポを基調とし、第1楽章のリーピート実行、再現部のテーマをトランペットで補強しないなど、最近のスタイルと表面的には何ら変わりませんが、やはり音に込める思いの深さにいちいち唸らされます。第1楽章はまさにに爽快な進行。その中にセンス満点のアクセントをさり気なく配し、のどかなウィーン・フィルのアンサンブルを引き締め、気高く飛翔し続けます。白眉は第2楽章。冒頭の弱音は単なる小さな音ではなく、深い悲しみを音の芯に宿しています。1:36からの下行音型はまさに極美!ウィーン・フィルの美感ともあいまって、古今を通じて動画苦笑の最も心を打つ演奏と言えましょう。いつもながらのノイズはほとんど気にならないで良質アナログ盤からの復刻も嬉しい限りです。 【湧々堂】


WEITBLICK
SSS-0099-2
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
「プロメテウスの創造物」序曲
ホルスト・シュタイン(指)
ベルリン・ドイツSO

録音:2000年4月24日ベルリン・コンツェルトハウス(シャウシュピールハウス)(デジタルライヴ)*
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
“誇張のない凄み!シュタインの親方的牽引力が完全結実!”
日本でもお馴染みのシュタインのまさに最晩年の名演!NSOとの共演でも聴かせてくれた、正統的な純ドイツ流儀と一切の遊びを許さない職人芸はここでも健在。といってもベームのような厳格さとは性格が異なり、「黙って俺につい来い!」的な親分的な牽引力がシュタインの音楽のベースになっており、その彼の波長とオケのテンションがした時の演奏の凄さは、誰もが認めるところでしょう。そのシュタイン独特の凄みに加え、ここではかつての多くの巨匠たち同様の、完全に雑念から脱しきった、音楽の真のエキスのみで構築された音楽が圧倒的な存在感で迫り続けるのですから、その感動たるや言葉になりません!
まず大物「英雄」の前にお聴きいただきたいのが、「プロメテウスの創造物」序曲。5分半を要する悠然たるテンポ。そのなんと意味深いことか!特に近年では切れ味とスピード感を競い合っているようなOp.ですが、その印象と落差からではなく、このテンポでなければ言い尽くせない思いとイマジネーションの豊かさにただただ降伏。序奏部における得も言われぬ幽玄の世界!主部に入る前のこの短いシーンでかつてこれほど心を吸い寄せられた経験はありません。主部に入ってもわずかにテンポを上げる程度で、決して先を急がずリズムを頑丈に刻む揺るぎない意思。思わず膝をたたく方も多いことでしょう。そのリズムは決して老朽化しておらず、シュタインならでは活力が息づいているのも嬉しい限りです。そしてコーダ最後の3つの和音の恐るべき含蓄!固いティンパニでスカッとキメル演奏では味わい得ない手応えを十分に感じていただきたいものです。
その感動を胸に聴く「英雄」は、もちろん感動の宝庫。ある意味、朝比奈隆以上に何の操作もしない演奏ですが、この破格の説得力は、この年齢にして到達し得たた悟りがあればこそ獲得できたものと言えましょう。徹底的に弦楽器主体とした声部バランスも近年では貴重ですが、ここぞという場面(第1楽章再現部後半など)での金管の強奏は強烈なインパクトをもたらします。
悠然たるテンポで開始される第1楽章は、その威厳を誇示しない自然な佇まいがいかにもシュタイン。提示部リピートを敢行していますが、その移行時の木管の柔らかなニュアンスは聴きもの。それにしても、このただただ音楽そのものだけが湧き上がる感興の豊かさはどうお伝えすればいいでしょう。再現部後半17:45以降の渾身かつ熟成しきった力感の飛翔に至っては、これに心動かされない人はベートーヴェンとは無縁!とさえ言いたいほど、シュタインのベートーヴェンへの畏敬の念が極限まで結晶化されているのです。
第2楽章は、冒頭、コントラバスとの抉りと間合いのタイミングが信じ難い絶妙さ!単に物悲しいといった次元ではなく、SOきの厚みを保ちながら、有機的なフレージングを延々と続けつ精神力にはまったら最後、なかな抜け出せません。長調に転じる5:42以降のおおらかで温かなニュアンス、造型の大きさ…、とにかく無意味にSOいているなどどこにもなく、オケとの波長が完全に一致したときだけに可能な奇跡的なニュアンスの連続としか言いようがありません。
第3楽章はひときわテンポの遅さが際立ちますが、リズムには毅然とした芯が宿っているので、音楽が決してくすむことがないのです。そのテンポから醸し出されるニュアンスが他の楽章と美しく調和していることにも気づかされます。
終楽章も文字通り巨匠ならではの名演奏。他の楽章にも言えることですが、例えばもう少しティンパニをガツンと鳴らしてくれたら、感覚的な達成感のようなものを味わえたかもしれません。しかし過去のNSOのどの演奏を聴いても明らかなとおり、特定の楽器を突出させて刺激的な音を出すことなど皆無に等しく、あくまでも全体を一丸にまとめて豊かなSOきを発することを信条としていたのではないでしょうか?それにそのティンパニは単にやる気のない弱さではなく、調和をを保って確実に音楽的に鳴りきっている点が凄いのです!ただ、そのような音楽つくりは録音]条件やホールの状態によっては散漫なSOきに終始し、聴き手に音楽が伝わらないことにもなりまねません。その点、このディスクの録音]は味付けのない、ホールで鳴った音そのものが捉えられている上に、オケの共感も並々ならぬものがあるため、シュタインの意思と音楽性が最良の形で迫ってくるのではないでしょうか。その全体融合の凄みを最も感じさせるのがこの終楽章。
なお、余談ながら、レコード芸術2月号の月評は、これとは完全に正反対の見解でした。それだけに、この「誇張のない凄み」をご自身の耳でフルボリュームで堪能されることを強くお勧めする次第です。【湧々堂】


DISKY
MP-903849(3CD)
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」*、
第6番「田園」、第7番、第2番
カール・ミュンヒンガー(指)
シュトゥットガルトRSO

録音:1983年*、1985年、全てデジタル
“気品情感を兼ね備えた、由緒正しきベートーヴェン!”
ミュンヒンガーのベートーヴェンは国内盤でも発売され、特に「英雄」も高い評価を得たもののカタログに長くは定着せず、他の3曲はまともに聴いたのか疑わしいほど月並みの評価のまま時が過ぎてしまいました。しかし、初めて全4曲がセット化されたのを聴くと、改めてミュンヒンガーの一貫した芸術信条、未だ語り尽くされていない奥深い芸風を目の当たりにして、後世に遺すべき偉大な遺産であることを再認識させられます。特に第2番、第3番は史上最も格調高い名演奏の一つ。演奏は、アーベントロートの門弟であることを窺わせる一時代前のアゴーギクも散見されますが、それらが古臭いどころか、芳しいニュアンスを伴って立ち昇り、禁欲的という一言で片付けられれがちな巨匠の深い息づかいも感動に拍車をかけます。エキセントリックな表現や分析臭、メカニックな切れ味とは無縁。チャリビダッケが築き挙げたオケの高純度を誇る響き(特に硬めに捉えられているティンパニの響きが絶品)も聴きもの!「英雄」(全楽章リピート省略)は冒頭の2つの和音の打ち込みからして、惚れ惚れするほどのコクと深みに溢れ、テンポは決して急がず、伝統の息吹きを体中に吸収しつくしたミュヒンガーが醸し出す格調高い雰囲気が張り巡らされています。第2主題でわずかにテンポを落としますが、そこに流れる古式ゆかしい風情がまた美しいこと!展開部後半のオーボエの旋律から次第にテンポを落とし、再現部で再び提示部のテンポに浮上しますが、この場面は、バッハを厳格に演奏するイメージの強いミュンヒンガーの知られざるロマン性が滲み出た瞬間として忘れることができません。再現部13:38でさり気なくリタルダンドする技にも鳥肌!後半のテーマ再現では、もちろんトランペットを被せていますが、全声部との溶け合いの中で節度を守った鳴り方が芸術性満点。第2楽章は葬送行進曲としての側面を強調せず、声部の構築と精神的な緊張を持続した感動的な演奏。トリオ主題以降の息の長い幽玄のニュアンスも素晴らしいですが、フーガ主題登場以降、完全に虚飾を配し、無我の境地で構築し続けるひたむきさがそのまま感動につながり、改めてこの作品の偉大さを痛感させられます。第3楽章は、リズム最優先型の昨今の演奏にはない、一時代前の指揮者に自然に備わっていた音楽要素の融合力に感服!馬力で押し切るのではなく、自然にハーモニーが生き生きと湧き上がり、特定の声部を強調するような下心などどこにもありません。トリオのホルンの優美さも必聴。これらの美点を集約した終楽章は、味わいの宝庫!おそらく、上から垂直に振り下ろすような指揮は決してしなかったのでしょう。音がガツンと打ち込まれて衝撃を聴き手にもたらすのではなく、まさに音楽とは「流れる」ものであることをまざまざと思い知らされるのです。緻密なスコアの読みを窺わせる演奏はたくさんあります。しかし、少なくともステレオ録音以降で、そのことを大前提として、出て来る音楽が大河のような自然な雄大さを伴って再現される例というのは、他に思い当たりません。全体を通じて持っても速いテンポを満を持して採用したコーダでは思いがけない推進力が衝撃的ですが、オケの機能美も生き、各声部の連携、ホルン、ティンパニのタイミングも含め、まさに完璧な出来ばえで、感動を確かなものにしてくれるのです。「第2番」(第1楽章リピート敢行)も超名演!ここでも終止無理のないテンポで一貫し、ただ実直にスコアを再現しているだけにも拘らず、全パートの息づき方が素晴らしく、「英雄」以上にアグレッシブな表現になっているのも特徴的。第1楽章で注目すべきは、展開部の恐るべき立体感!7:51から延々と奏でられる低弦の何と意味深いこと!これ以降さ更にハーモニーの緊張を強め、その神々しい構築はカザルス盤と双璧です!第2楽章冒頭の吸い込まれそうなフレージングの美しさ、透明度にイチコロ。しかもこんなに心からの慈愛に満ちた演奏は滅多にないと思います。シンフォニックな厚みも磐石で、古今を通じてこの楽章の最高峰の演奏と断言せずにいられません。第3楽章も「英雄」のそれとは明らかにアプローチが異なり、瑞々しさが際立ちます。最近のベートーヴェンの交響曲の演奏は、全9曲ほとんど例外なく20世紀のものよりテンポが速くなっており、いわゆる「中庸」という概念もより曖昧なものになってしまいました。この終楽章のテンポは、まさにかつての「中庸」の典型で、またそのテンポにして初めて醸し出される奥深さ、声部間の連携の妙などの魅力がたっぷり詰まった逸品です。遊び心をむき出しにするクナとはまさに正反対で、意欲満点のベートーヴェンの才気をシンフォニックに統合した最高の実例として、一人でも多くの方に聴いていただきたいものです。「田園」も味わい志向の音楽ファンの期待を裏切らない名演。ワルターやベームなどの超有名名盤にはない「華」がここにあるのです!「田園」第1楽章、1:47で微かにディミニュエンドする優しさ!木管を際立たせた演奏は多く存在しますが、6:525以降のように、奏者のセンスの高さはもとより、木管が気品香る拍節感を伴って聴き手に擦り寄るなどの魅力を、是非耳全開にして感じてください。第2楽章は、「厳格で冷たい」というミュンヒンガーのイメージを完全に払拭するのに十分な、心温まる演奏。情の通っていない音などどこにあるのでしょうか?木管のセンスはここでも印象的ですが、最後のカッコウのさえずり以降の呼吸の妙といったら言葉になりません!第4楽章は、ティンパニの誇張で凄みを演出するといった安易な手段を用いずに説得力を持たせた数少ない例。終楽章冒頭、囁くように歌われる弦の主題は、愛そのもの。最後まで徹底してインテンポを貫きますが、真の共感に満ちたインテンポは、聴き手の心深くに宿ることを実感できことでしょう。【湧々堂】 


EMI(IMG)
CZS-5751102(2CD)
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
 序曲「レオノーレ」第3番、
デュカス:魔法使いの弟子
J・シュトラウス:芸術家の生活
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番
モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」序曲
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容
コダーイ:ガランタ舞曲
フェレンツ・フリッチャイ(指)
ベルリンRSO、VPO#、RIAS響*

録音:1961年2月5日(ベートーヴェン)、
1961年(デュカス、コダーイ)、
1954年(ショスタコーヴィチ)、
1952年(ヒンデミット)、
1950年(J.シュトラウス)、 
※モノラル録音(デュカスのみステレオ)
“フリッチャイの独自の美学を凝縮した感動のライヴ音源集!”
感動の逸品揃い!2枚続けて聴こうものなら、全身虚脱状態に陥ること必至!中でも特に壮絶を極めるのが2つのベートーヴェンのライヴ録音!「レオノーレ」は、晩年特有の神懸り的精神が縦横に張り詰め、火の玉のような激烈さはフルヴェンの存在すら忘れさせます。更に涙を禁じ得ないのが「英雄」!第2楽章冒頭、低弦の悲痛な「もがき」は、死に直面した人間でなければ表出不可能と言えましょう。フリッチャイの決死のダイナミズム、ふと現れるウィットなど、彼が究極の高みに達した時の凄さを体感するために、まず手にして欲しいCDです!「魔法使いの弟子」の細部にわたる表情の多様さも忘れられません。冒頭、師匠のいない間に魔法を使おうとするドキドキ感と神秘の空気の表出は、聴き手にも相当の緊張を強いるほどの求心力。その後は、リズムの躍動と色彩の放射力が絶品で、辺りが水びたしになっていく緊迫感の煽り方、師匠が戻って来て魔法が解ける瞬間のトゥッティの一撃の壮絶さ、最後の透明感溢れる静寂の佇まいなど、これほど濃密なドラマ性を伴って迫る演奏はめったに聴けません!全てライヴ音源。ほとんどモノラル録音ですが、放送音源に拠っているので聴き易いのが嬉しい限りです。【湧々堂】


Pirz
4420592[PI]
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
ドレスデン・シュターツカペレ

録音:1973年 ステレオ・ライヴ
“堅実さの中に芯の強さを張り巡らせた入魂・ライヴ”
独シャルプラッテンの録音の4年前の熱いライヴ。キリッとした造型を絶やさず、ライヴならではの推進力と緊張を最後まで貫いた見事な「英雄」。最近なかなか耳にすることのできないこのオケの燻し銀の響きもたっぷり堪能できます。第2楽章の冒頭の深々としたニュアンスから醸し出される鬼気迫る空気には息を呑み、それが美しいフォルムの中で気高く響くのは、まさにブロムシュテットならでは。圧倒的というのとは違う、心にしっかり根付く佳い演奏です。【湧々堂】


Barbirolli Society
SJB-1040
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、
バルビローリ編曲:エリザベス組曲
ジョン・バルビローリ(指)BBC響

録音:1967年 ステレオ録音
“豊穣な愛の響きに溢れたバルビローリ芸術の最高の結晶!”
「英雄」といえば、あのフルトヴェングラーの'44年盤と'52年盤は別格的な名演として忘れるわけにいきませんが、その厳格な構築感と精神性、渋みを湛えた音色などのベートーヴェンらしさとは全く異なる、バルビローリ独自の美学で貫かれたこの演奏も決して無視できません。その温かな音色、峻厳さよりも豊穣な響きと入念な語り掛けを絶やさない演奏は、微温的とかドイツ的でないとして初発売当初から軽んじられてきましたが、どこをどう聴いても非音楽的なところがないばかりか、ゆったりとしたテンポでこれほどまでに愛と夢を託した演奏をどうして退けることができましょうか!エキセントリックな叩き付けではなく、豊かな音楽としてしっかり響く第1楽章冒頭の和音から、バルビローリの熱い共感をたっぷりと湛え、展開部での木管群の優しい語り掛けにも心奪われます。第2楽章の冒頭も、腹にズシンとこたえる物々しさとは無縁ですが、一貫して歌を絶やさず、それも単に雰囲気で流れるのではない深い味わいを兼ね備えています。8:29からの弦の積み上げのコクの湛え方も聴きもの。終楽章の3:00からの全パートの隅々に渡る克明な表情、4:43からのコントラバスの渾身の弾きっぷりにも是非ご注目を!7:20以降のオーボエから弦の分厚い響きによる陶酔的な風情は、バルビローリファンはもちろんのこと、全ての音楽ファンに触れていただきたい至福の瞬間です。ワルターの晩年の「英雄」の演奏に感動された方なら、きっとバルビローリの愛の語り掛けもお分かりいただけると思います。【湧々堂】


VANGUARD
ATMCD-1191(2CD)
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
交響曲第5番「運命」
序曲「コリオラン」、
序曲「レオノーレ」第3番
エードリアン・ボールト(指)LPO

録音:1957年 ステレオ録音
“ボールトの崇高な精神美学の最高の結晶!”
この「英雄」は、崇高な精神が漲る名演として、「ブラ4」などと並んで心の深部に浸透する名演です。中庸なインテンポでどこまでも端正な造型を守りながら、全ての音が熟しきった表情と強固な主張を持って迫ります。第1楽章は、いかにも感情を煽るようなそぶりを一切見せずに一見淡々と進行しますが、全声部の自然な凝縮と風格美が絶品。最後の主題の再現ではもちろんトランペットを被せていますが、決して派手に突出せず、同時に低弦の副旋律の動きを強い意思で浮き彫りにする配慮などは、ボールトの実直さと内面の熱い精神の高揚を如実に示し、本当に良質な演奏に触れているという実感が湧き上がります。第2楽章も少しもテンポを引きずらず、一音ごとに丹念に表情が立ち上がります。特にトリオの充実ぶりは感動的で、最初のトリオ主題を奏する木管の自然な語り口を経て、草書風の呼吸で緊張の度合いを高めながら格調高い山場を迎えるまでの揺るぎない進行には、音そのものに威圧感がないだけに、心の底から揺さぶられます。第3楽章のホルンの音楽的な興を備えたハーモニーも印象的。終楽章も冒頭からここまでインテンポを守り通した演奏も珍しく、それが強引にならずに丁寧に各フレーズの表情を引き出しながら進行するので、ドライな感触など皆無。コーダのしっかり大地を踏みしめるような着実な進行も、内面の充実の極み!感覚的な快感とは異なる味わいに溢れているのです。「運命」も同様のスタイルに徹した名演。特に決然とした意思が厳格なリズムと懐の深い表情に満ちた第2楽章は、何としてもお聴きいただきたいものです。珍しく攻撃的な闘志を燃やす「レオノーレ」第3番もお聴き逃しなく!これはドイツ流儀以外の演奏としては、最高位に位置する名演です。録音もステレオ初期のものとしては非常に優秀で、自然な音場感と明晰さを備えています。【湧々堂】

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第4番変ロ長調Op.60

Altus
ALT-220(2CD)
ベートーヴェン:交響曲第4番Op.60
交響曲第3番「英雄」
カルロ・マリア・ジュリーニ(指)VPO

録音:1994年5月17日、ウィーン・ムジークフェラインザール(ライヴ)
“たおやかな歌心!ウィーン・フィルの美感と共に育んだスケール感!”
これは興味尽きないベートーヴェンです。特に「英雄」の素晴らしいこと!その第一の魅力は、たおやかな精神が息づいた歌心。威嚇的な響きを避けて音楽を慈しみながら紡ぎ、懐の広い音楽を展開させている点。象徴的なのは第1楽章の最後、トランペットが主題を重ねて吹くシーン。トランペットがヒーローのように突出するのではなく、全パートとこれほど融和した味わいというのは他ではなかなか聴けません。第ニの魅力は、ジュリーに晩年特有の遅いテンポ自体が高い説得力を誇っていること。ブルックナーなどでは、VPOの豊麗な響きが上乗せされて「過度に重い」という意見もありました、ここでは音楽の流れを鈍化させるような瞬間は皆無で、むしろVPOがジュリーニの意を心の底から理解し主体的な演奏を繰り広げています。第三の魅力は、ミラノ・スカラ座管盤との違い。スカラ座との演奏は、たおやかさという点では同じですが、アーティキュレーションやアクセント、対旋律の意味をかなり強固な意志で表明していましたが、この演奏は、それらの要素をVPO持ち前のイディオムとブレンドさせて、自然体の大きな呼吸に転換しています。これらの魅力が渾然一体となった演奏は、ワルター&コロンビア響の演奏を思い起こさせますが、ジュリーニはそれよりもリズムに芯があり、声部の隈取りが克明なので、どんなにテンポが遅くても枯れた印象を与えません。例えば終楽章2:56からの声部間の連動の緊密さ!その優しく微笑みながらも緊張は絶やさない絶妙な棒さばきには息を呑んで聴き入るばかりです。9:11からの壮大さと響きの美しさは、まさにVPOで聴く「英雄」の醍醐味を極め、コーダも自然体を貫きながらこの味わい!
もちろん「第4番」も同じ傾向の名演奏。全体に優美で、第2楽章が白眉。リズムには明確な意志が宿り、第3楽章の中間部や、終楽章コーダの和音の衝撃も手応え十分。
ORFオリジナルテープよりアルトゥスが直接マスタリングした音質も、極めて優秀です。 【湧々堂】

MELODIYA
MELCD-1001007
ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」序曲*
 交響曲第4番+
モーツァルト:フルート協奏曲第1番
 (カデンツァ:ニコライ・プラトノフ)#
エドゥアルト・シェルヴァチェフ(Fl;#)
キリル・コンドラシン(指)モスクワPO

録音:1965年*/1967年+/1964年#(全てステレオ)
“ムラヴィンスキーと双璧の透徹アンサンブル!”
ベートーヴェンの交響曲はロシア流儀を抑制し、中庸のテンポであくまでもベートーヴェンのスコアに真摯に向き合った演奏。しかし、ただ穏健に流れることがないのはさすがコンドラシン。アンサンブルは精妙を極め、音楽の作りも極めて厳格。持ち前の集中力で、ロシアのオケによるベートーヴェンという概念を忘れさせて音楽のそのものの素晴らしさを堪能させてくれます。特に第2楽章の透明度の高いテクスチュアに閃くニュアンスは絶品。これだけ見通しの良い音像を築きながら音楽がスカスカにならないのは、やはり並大抵の力量ではありません。第3楽章冒頭、アクセントの位置を厳格に指示。中間部の弦の伴奏音型の明瞭な打ち出しにもビックリ。終楽章は疾走を目指すことなく安定した足取り。
忘れてならないのはモーツァルトのフルート協奏曲!ウィーン風の演奏に比べると多少辛口ですが、コンドラシンの清潔で緊張感に満ちた伴奏に乗せたシェルヴァチェフのフルートは輝きと温かさを兼ね備え、なんといってもフレージングの配分が練りに練られているので、無意識のうちに聴き手を音楽に引き付ける求心力があるのです。その魅力をさらに確信させられるのが第2楽章。決して表面的でない丹念な音楽の紡ぎ出しが、作品のエレガンスに一層花を添えます。シェルヴァチェフは、1960年代にモスクワ・フィルでソロ・フルート奏者を務めた人ですが、こういう精鋭が集結していたからこそ、コンドラシンの意思が反映されつくされた名演が多く生み出されたのでしょう。  【湧々堂】


Chesky
CKY-81
ベートーヴェン:交響曲第4番、
交響曲第7番、トルコ行進曲
ルネ・レイボヴィッツ(指)ロイヤルPO

録音:1961年 ステレオ録音
“時代を先取りしすぎたレイボヴィッツの不運!”
レイボヴィッツと聞くと、すぐに条件反射的にリーダーズ・ダイジェストのLPでよく聴いたガーデの「ジェラシー」を思い浮かべます。その痛快で雰囲気満点の演奏に結構ハマっていたのですが、彼が指揮する他の曲を聴くにつれ、その響きが、他の演奏にはない研ぎ澄まされた感覚というか、色合いの違いが妙に気になり出したのです。そんなある日、ベートーヴェンを聴いてビックリ!フルトヴェングラーやワルターといった精神的な高みが不可欠とされている中、トスカニーニともはまた違う、スコアをリアルに再現することだけに徹した尖った演奏を堂々と披露し、しかもそれが自分の生まれる前に録音されていることを知って、大きな衝撃を受けたのでした。フルヴェンのベートーヴェンに息づく精神は不滅です。しかし、そんな目に見えない精神性より、今現実的に聞こえる音が重要とばかりに、スタイリッシュにスコアを鳴らし切るその心意気にすっかり惚れてしまったのです。しかし、どの名盤ガイドを見てもいつもお決まりの巨匠の名が並んでいるだけで、レイボヴィッツの名前などどこにも見当たりません。しかしその後、レコ芸の企画で、丸山桂介氏一人が気を吐いて、ベートーヴェンのほとんど全ての曲をベスト盤としてあげているのを発見して驚喜!レイボヴィッツの信念も天晴れですが、丸山氏の掟破りの熱い賞賛の言葉に触れて、強い味方を得た思いでした。さて、現在レイボヴィッツはどのように捉えられているかといえば、これが未だに「マニア向け指揮者」の域は脱していないようです。なぜでしょうか?昔ほどではないにせよ、今でもメジャー志向が根強いのは事実です。しかし、それだけが原因ではないような気がします。今改めてこのベートーヴェンを一個の演奏として聴くと、各声部の補強や妥協のないアーティキュレーションなどの魅力は決して色褪せておらず、一つとして「ただ鳴っているだけ」の演奏などありませんが、その先鋭性が優位に立ちすぎて、一般的な意味での感動や味わいとは異質なものとして聞こえるるのがネックになっているのではないでしょうか?しかし一般的なイメージがそうであったとしても、ひときわ音楽的なニュアンスに溢れている演奏があります。「第4番」です。第1楽章の序奏から響きの均衡だけでなく意味深さを湛えていて、主部以降一貫している鋭角的なリズムにも、心からの共感が滲んでいます。展開部ではホルンの大々的な補強が飛び出しますが、これが実に効果的。第2楽章でも媚びた表現などどこにもないのに、ちょっとした弦のヴィブラート、一瞬の木管のフレーズにも「興」を感じさます。「第7番」の第1楽章はビーチャムばりの高速で、リズムは真剣に沸き立ち、第2楽章の歌も本当に心に染みます。この楽章の2:15程からティンパニが加わってくるあたりまでの深みは必聴です!この2つの交響曲に限らず、レイボヴィッツのヴィジョンとロイヤル・フィルの特性、そして聴く人のツボが見事に合致して、音楽として迫ってくる貴方だけの瞬間を是非探してみてください。【湧々堂】

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」

EMI
5668652
ベートーヴェン:交響曲第4番、
交響曲第5番「運命」
オットー・クレンペラー(指)バイエルンRSO

録音:1969年 ステレオ・ライヴ
“異様なまでの精神の高揚!クレンペラー芸術の頂点を極めた巨大なベートーヴェン!”
2曲とも、思い描くスケールをはるかに超えており、神々しい精神力と一体となった怒涛のフォルティッシモと、確かな芯を確保したピアニッシモが厳格な骨子を持ったドラマとなって迫ります。「第4番」は、クライバーのような一気呵成型とは対極的な演奏であることは言うまでもないですが、この大河そのもののうねりは尋常ではありません!第1楽章の序奏はむしろ淡白なくらいですが、主部に入るやいなや大伽藍がそびえ立ち、悠然たるテンポで、感覚的な美感を超越した凄みに最後まで圧倒されます。更に凄いのが「第5」!VPOとのライブも壮絶なものでしたが、こちらはオケに際立った個性がない分、クレンペラーの意図が完全に反映されているばかりか、スケール感、トゥッティの重量感において、これに拮抗するのはクナくらいではないでしょうか?終楽章に至っても色彩的な華やぎには目もくれず、恐ろしく頑丈な構築一本で勝負する、一匹狼クレンペラーの面目躍如!録音も優秀。【湧々堂】


オクタヴィア
OVCL-00107
モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲
 交響曲第40番ト短調K.550
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
ハイドン:セレナード
宇野功芳(指)大阪PO

録音:2005年4月10日  大阪、ザ・シンフォニーホール
“新アイデア続出!宇野功芳の飽くなき追求の大成果!”
新解釈も続出!大阪フィルを奮起させた宇野功芳の快進撃!どの曲も宇野氏が再三にわたり指揮してきた曲ですが、何が凄いと言って、今までのどの録音よりも表情も呼吸も大きく、例の過激な表現もマンネリどころか、この録音で初登場するスパイスが随所に散りばめられているのです!それに加え、オケの側から宇野氏の来演をを希望しただけあって、大阪フィルの腹の据わった意気込みも尋常ではありません!「運命」第1楽章は、冒頭の4つの音が微妙にずれて軋みを生じているところからさっそく宇野節!第2主題に入るといきなり新機軸登場。最初の弦は今までのテンポを踏襲し、それに応えるクラリネットからなんとテンポを倍に落として次第に浮上するのです。展開部の途中で音量をギリギリまで押さえ、ティンパニをを伴う動機爆発箇所で一気に激高させるのも、オケが巧いだけに完全にキマッています。再現部後半でバランスを打ち破って運命動機リズムをティンパニのみが丸裸で激打する箇所も、新星日響では変なプロ意識が邪魔して消化不良でしたが、これがまた完全に宇野氏の意を汲んだ強烈パンチ!締めくくりでテンポを追い込んでいく技も、その切迫感に手に汗握ります。第2楽章は、まずチェロの導入の響きの充実と呼吸の深さが絶品。朝比奈との思い出にオケと共に身を委ねるような至福の空気が流れ、コーダでこだまのように深遠に響く木管と弦のたゆたいの美しさにも心奪われます。第3楽章はどっしりとした重量感と風格美が朝比奈の名演を彷彿とさせます。もしかするとこの楽章は朝比奈のオマージュとして臨んだのかもしれません。この楽章でも、いつもティンパニのみを突出させて強打する箇所がありますが、ここでは全体を渾然一体にして高揚させているのもそのせいでしょうか。終楽章はもう感動の極致!重量感を湛えたテンポがまず素晴らしく、ここでも今まで採用してきたテンポ、強弱の入れ替えの激変ぶりが更に進化を遂げ、音楽を一層爛熟させています。トロンボーンの意思を持った強調、コーダの加速の凄さを体感した後にやって来るのは、スコアを遵守してティンパニのトレモロを2度打ちする強烈な効果ですが、この直前でも初めてお目見えする音量の加減が加わり、更に効果絶大!尊敬する朝比奈のオケを得て、今まで以上の感動を届けようとする宇野氏の意思は、完全に結実したと言っても過言ではありません。【湧々堂】


Audite
AU-95493
ベートーヴェン交響曲第5番「運命」、
交響曲第4番
ラファエル・クーベリック(指)
バイエルンRSO

録音:1969年、1979年 ステレオ・ライヴ
“慌てず騒がず、不動の安定感を誇る高貴な『運命』!”
鋭い切り込みと畳み掛ける音のパワーで圧倒する演奏とは一線を画す、格調高い「運命」です。第1楽章の運命動機の全ての音を克明に刻むところから、勢いに任せるそぶりが皆無。中庸のテンポに充実しきった内声バランスを湛えながら、一貫した緊張を保ち続けます。全声部が室内楽的ともいえる透明さを湛えながら、くっきりとした音像で迫るのも魅力です。第2楽章も誠実この上なく、一音たりとも聴き逃せない充実した響きがびっしり敷き詰められていて、この声部の緊密な凝縮力は、まさにクーベリックの真骨頂!4:26からのチェロの音型がこれほど丹念に意味深くうごめく演奏が他にあるでしょうか!第3楽章も、実に端正かつ立体的な造型が説得力絶大。終楽章の熱いエネルギーが外に発散することなく、じっくり熟してからゆとりを持って確実に聴き手の耳の届けられる風格も、例えようもない素晴らしさ!3:18から、第2ヴァイオリンの熾烈な動きが耳を捉えますが、こういうところでも全く意図的な臭いを感じさせないのです。コーダも十分な力感を湛えていながら、威圧感よりも完熟の響きそのものが心を打ちます。心の底から良い音楽を聴いたという実感に浸れる名演奏です。第4番も、もちろん同様のスタイルで一貫。【湧々堂】


Archipel
ARPCD-0328
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
ウェーバー:交響曲第1番、
ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕前奏曲と愛の死
ルドルフ・ケンペ(指)
ドレスデン・シュターツカペレ

録音:1956年6月28日ドレスデンでのライヴ
“揺るぎなき燃焼!ケンペのベートーヴェン:「運命」他”
正規盤初出。ウェーバーの交響曲は終始やる気満々!特に終楽章の馬力は物凄く、聴衆の拍手も、一瞬放心状態となったのか、しばらくしてからパラパラと開始されるほど。
ワーグナーもかなり作品に没入したアプローチで、前奏曲の冒頭の溜め具合はクナを思わせる抉りの深さ!モノラルながら音色に腰と芯を感じさせ、豊穣なロマンの息吹が内面から滾々と湧き出す様は心の深部に浸透します。「愛の死」もオケのみの演奏ですが、ソプラノが欠ける事の不満を一切感じさせないほど、迫真のニュアンスが淀みなく流れ出し、最後の数分間にいたっては恍惚美の極み!まさに強固な愛の結晶を見る思いで、フレーズが根底から揺さぶりを掛けるのです。
「運命」がこれまたミュンヘン・フィル盤をはるかに凌ぐ名演!第1楽章冒頭テーマで、晩年のクレンペラーを思わせる遅いテンポで一音ごとに克明に音を打ちつけるスタイルが予想外。ここでも音楽の深みが素晴らしく、極めて無骨な構築も、骨董品的な古めかしさに止まらずに強烈に訴えかけるものがあります。2、3楽章も重心の低い剛直な表現で、てこでも動かない強靭な意志の力が音に漲っています。終楽章のみがやや速めのテンポで疾走しますが、その怒涛の闘志があまりにも見事!もちろんスポーツ的な快感とは無縁。ピッコロを蔑ろにせず、後半に向かって音楽が内燃のパワーを一層高めて感動的な結末を迎えるまで、息をつく暇を与えない見事な緊張!録音状態もストレスを感じさせずもまずまずの出来栄え。ケンペ・ファン、「運命」ファンの必聴アイテムです!【湧々堂】

EMI
5725052
廃盤

交響曲全集
DISKY
ROY-70522(5CD)
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、
交響曲第7番
クルト・ザンデルリンク(指)
フィルハーモニアO

録音:デジタル
“英国オケから引き出した、重厚壮大なドイツの精神美学!”
巨匠ザンデルリンクが''80年代初頭に完成させた交響曲全集からの分売。初発売時は、さっぱり話題にならなかったのが今でも不思議なほど、伝統の重みを感じる名演です。スケールが大きいだけでなく、気品と温かさが一体となった実に豊穣な響きそのものにまず感動!身を粉にしてニュアンスを出し切っているフィルハーモニア管の功績も相当なものです。「第5番」の第3楽章の恐るべき立体感とバランス感覚、終楽章のティンパニとピッコロを浮き立たせた意味深い響きに是非ご注目を!「第7番」は、冒頭トゥッティのなんとエレガントなこと!ホルン、フルート等を終始強靭に響かせる様にはクレンペラーもびっくりでしょう。【湧々堂】


Altus
ALT-056

ALTHQ-055(2HQCD)
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、
バッハ:G線上のアリア
ヘルベルルト・ケーゲル(指)
ドレスデンPO


録音:1989年 デジタル・ライヴ
“暗鬱の極致!ケーゲル最後の来日公演は全てが異常!”
これは、通常の名演の概念とは全く次元が異なります。一人の人間の苦悩が完全に音に転化し尽くされ、不気味な生々しい空気が醸し出されるといった「事件」が、まさに目の前で繰り広げられることのショックが全身を襲う、“演奏行為を超えた演奏”です。それだけに、「運命」を聴こうとするときに気軽に棚から取り出す気になれないCDでもあります。当時FMでこの演奏を聴いた私は、「運命」の第1音から只ならぬ空気を発していることに仰天しました。そのどこか血の気の失せた「無」に近い音、強さを装いながらも本当は立っていられない様な不安定さが、強烈に切り込んでくる演奏とは逆の意味でショッキングだったのです。もちろんケーゲルがこの後ピストル自殺することなど、想像もできませんでしたが、この時の彼の精神状態が平常でなかったことは、今聴いてもはっきりと感じ取れてしまいます。第3楽章の不気味かつ意味不明のルフトパウゼ、終楽章冒頭の“ドーミーソー”の異常な引き延ばしなど、造形的にも破綻寸前。全体を通じて、いかにもドイツ的な重厚な響きに溢れていますが、崖っぷちのぎりぎりのところで必至に振り絞った音楽と一体となっての壮絶なニュアンスは、音楽的な感動以上のものをもたらすのです。これがデジタル録音で蘇っては、リアル過ぎてぎて、ちょっと辛いものがあります。ただ、クラシック・ファンならこの演奏を一度は体感しておくべきだと思います。人生には、怖くても直視しなければならないことがあるのです!

ALTHQ-055の収録内容…ベートーヴェン:序曲「エグモント」、交響曲第6番「田園」、交響曲第5番「運命」、バッハ:G線上のアリア

VANGUARD
08616571
廃盤


Serenade
SEDR-5037(1CDR)
ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番
交響曲第5番「運命」*
ヨゼフ・ローゼンストック(指)マンハイム国立SO
フェリックス・プロハスカ(指)ウィーン国立歌劇場O(フォルクスオーパー)*

録音:1955年、1958年5月*(共にステレオ)
音源: Livingston (U.S.A.) 2020 C (2 Track Reel to Reel Tape, 71/2 IPS)、
Vanguard (U.S.A.) VRD 1 (2 Track Reel to Reel Tape, 71/2 IPS)*
“オペラ叩き上げ指揮者の真骨頂!、これがプロハスカの底力!”
この2曲はともに2トラック、19センチのオープンリール・テープから復刻したものである。録音年代はかなり古いものではあるが、2トラックゆえか音質は年代を考慮すれば上々ではないだろうか。それよりも、演奏が非常に良い。まずローゼンストックだが、序奏部からスケールが大きく、主部に入るとその男性的な迫力は聴きごたえがある。オーケストラのアンサンブルは特別に優れているわけではないが、この音の勢いと瑞々しさは出色であろう。  一方のプロハスカはオーソドックスな軽量型演奏だが、オーケストラの何ともひなびた音色と、明るくしゃれた雰囲気が独特である。こんなに純な響きのベートーヴェンも珍しいと思う。なお、オーケストラだが、テープのジャケットには国立歌劇場とありながらカッコ書きでフォルクスオーパーと記してあるので、実体はフォルスクオーパーなのだろう。いずれにせよ、ローゼンストックもプロハスカも、古き良き香りの色濃く漂うものとして貴重である。(平林直哉氏の解説より)
ローゼンストックの「レオノーレ」は、オーケストラビルダーとしての能力を遺憾なく発揮してアンサンブルを引き締め、ストイックで強靭な音楽作りを貫徹。クレッシェンドで盛り上げるシーンの力感は相当なものですが、常に緻密に設計されており、決して雰囲気に任せたものではないので全体に漲る緊張感が最後まで持続。13:01からのフルートにホルンを重ねたり、13:23からの金管の強弱付加、コーダでのテンポ・ルバート等も古さを感じさせることない確固たるベートーヴェンを打ち立てています。
更に素晴らしいのが、プロハスカの「運命」!プロハスカは歌劇場を中心に活躍し、バッハの権威としても知られる指揮者。ウィーン国立歌劇場との付き合いは1945年以来のものなので十分に気心は知れていたと思いますが、彼の意図する直截な音楽作りが終始徹底され、ウィーン的な柔和さとは違う凝縮力の高いアンサンブルを築いているのにまず驚き!とにかく凄い迫力です。オペラ指揮者としての血がそうさせるのか、その振幅の大きなドラマの展開、各パートの強力な連動ぶりは、優雅なアンサンブルを旨とするオケの性質を考えるとなおさら驚異的です。第2楽章の山場で、ティンパニの凄い発言力と共に壮麗に音楽がそびえる様はまさに圧巻!終楽章は、各パートのバランスとクレッシェンド効果に徹底したこだわりを見せながら、火の玉のような豪快さ!セル&VPOの「運命」を愛する方、ティンパニ好きな方は、特に必聴です!【湧々堂】


ORFEO DOR
ORFEOR-484981
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、
ピアノ協奏曲第3番、
「エグモント」序曲
ジョージ・セル(指)VPO、
エミール・ギレリス(P)

録音:1968年 ステレオ・ライヴ録音
“VPOを極限まで絞り上げた、セル晩年の旋律の「運命」!”
やはり「運命」は、この驚異的な演奏をあげないわけにはいきません。セルの厳格な芸術信条がライヴでも全く揺るぎないことはもちろんのこと、優雅さを売りにするVPOに、完全無比なアンサンブルを徹底させ、凄まじい表現意欲を注入し尽くしています。VPO側も命に関わるような緊迫感を伴って、その過酷な要求に完全に応えているのですから感動もひとしおです。基本的なスタイルは、SONYのステレオ録音と変わりませんが、音の厚み、重量感など、聴き応えという点で大きくそれを凌駕しています。金管補強の効果や終楽章展開部直前でのテンポルバートもスタジオ録音同様ながら、一層凄みを湛えて迫り、第2楽章冒頭の呼吸の膨らみ、終楽章最後の豪快な畳み掛けは、VPOがセルに完全降伏して、持てる音楽性の全てを全開にさせたなによりの証しです。他の2曲もとても気軽には聴けない逸品!録音も鮮烈です。【湧々堂】

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第6番ヘ長調Op.58「田園」

King International
KKC-2039(2CD)
ライトナーのベートーヴェン
交響曲第5番「運命」/交響曲第7番*
序曲「レオノーレ」第2番**
交響曲第6番「田園」#
フェルディナント・ライトナー(指)NHK響

録音:1983年7月8日、1981年3月14日*、1981年3月18日**、1986年5月7日#
全て、NHKホール/ステレオ・ライヴ
“渋いサウンドに隠されたドイツ精神の貫徹!!”
ライトナーの演奏評には、必ずと言ってよいほど“劇場叩き上げの堅実さ”とか“極めて地味”といったという形容がされます。確かにガツンと腹に響くサウンドとは無縁ですが、決して何もしていないわけではなく、例えば指揮者なしで演奏した場合に、こうした響きには絶対にならないことを考えれば、テンポにも響きにも確固としたヴィジョンを頑固に貫いていたことは明らかで、なによりも、その地味な響きから作品自体の持ち味を浮かび上がらせる指揮芸術はかけがえのないものだったと改めて痛感させられます。
ここに聴く「レオノーレ第2番」も、冒頭で強固にティンパニを打ち鳴らすことで強靭な力感をアピールするのが通例ですが、ここではそんな手法は邪念でしかないとばかりに、燻したような響きがじんわりと広げます。しかし、主要主題が盛り上がるシーンではまさに精神的な高揚を見せ、厳しい締めつけ感のない自然体の造形力の中から独特の風格美を生み出しており、作品そのものに発言させる流儀の貫徹ぶりには本当に頭が下がります。
その徹底してけれん味のない芸風が生きているのが「田園」。全ての楽章が無理のないテンポで、絵葉書的なイメージとは一線を画したスコアの丹念な再現に専心。キリッとしたリズム感と見通しの利いたハーモニー表出といった昨今の風潮と最も顕著な違いを示しているのが第3楽章。ゆったりとしたテンポ、中低域をベースとした厚みのある響きと、決してリズムを独り歩きさせない音の抽出から、温かな情感が引き出されます。当然第4楽章でも感覚に訴える仕掛けなど皆無。調和のとれた響きからはみ出ることなく、聴き手のイマジネーションに問いかけます。終楽章に至っては、完全にニュートラル運転のように指揮者の存在は影を潜めますが、無機質な響きはどこにもなく、そこはかとない味わいがじんわりと広がります。
「運命」は、朝比奈隆の指揮を更に渋くしたような、リズムのエッジを立てず、音の隈取りも磨きをかけない古色蒼然としたスタイルの極み。あくまでも弦楽器群を主体とした、かつてのドイツの伝統的なスタイルを全ての楽章で貫徹。特に終楽章は、ここまで外面的な効果を排して「精神的な高揚」のみを目指した演奏は稀有で、その味わい深さも他に類例を見ません。なお、第1楽章だけでなく終楽章においてもリピートを敢行しているのはこの世代の指揮者としては予想外。
「第7番」も基本的に同じスタイルですが、あまりにも意外なのは、終楽章開始直後0:34から突如として強靭なフォルティッシモで斉奏させ、その直後に音量を落とすというコントラストを築いている点。これはM・ヤンソンスが来日公演でも行なっていた手法ですが、その芸の懐の深さといえば、その差はあまりにも歴然としています。 【湧々堂】


GRAND SLAM
GS-2010
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、
交響曲第7番*
ポール・パレー(指)デトロイトSO

録音:1954年11月26日デトロイト・旧オーケストラ・ホール、1953年2月13−20日デトロイト・メイソニック・テンプル*
※使用音源:Mercury(U.S.A.) MG50045、Mercury(U.S.A.) MG50022*
“待った甲斐があった!これこそがパレーの名演の筆頭!”
マーキリーの一連のステレオ録音がいっせいに廃盤になってからにわかに脚光を浴びるようになった感のるパレーですが、今までもパレーについては、それらの録音のフランス音楽のフィールドでしかその芸風は語られてきませんでした。上記の「田園」の擬似ステレオ廉価LP(フォンタナ)の音は、バランスが悪く、聴きづらいことこの上ないものでしたが、それでもトスカニーニを上回るインテンポに込めるダイナミズムと推進力、音楽を瑞々しく息づかせる天才的な技の数々が次々と襲いかかり、これが純正モノラルで聴ける日を夢見ていた方も多いと思います。「第7番」は、先ごろ1962年のライヴがCD-Rで発売されましたが、その牽引力の凄まじさは尋常ではなく、終楽章後半に進むにしたがって神々しい狂乱がますます激化するという衝撃的なものでした。これは、過去の名匠を一面的な捉え方しかしようとしないこの国の現状に一石を投じるのに十分な画期的なCD化です!
この「田園」(コロンヌ管とのSP録音に続く再録音)は、無意味な慣習を打ち破ることを信条としたパレーの面目躍如であるばかりか、古今の「田園」演奏史上、最もスコアと真摯に対峙した空前絶後の名演奏です。全編を通じてメトロノームと合わせても寸分のずれも生じないと思われる正確なインテンポが一切機械的に響かず、明確な意思に裏打ちされた音楽表現になりきっているのがまず驚異的!第1楽章は誰も想定不能な凄まじい快速で開始し、はっきりとテンポを落とすのは冒頭の3〜4小節目くらいでほぼ皆無。そのインテンポには強引さや暴力性はなく、あるのはただ一途な共感と厳格な統制力のみ。低弦が終止強靭なアクセントを与え続けているもの、この演奏に絶妙な推進力を与えている要因となっています。展開部に入ると更にその推進力が増し、アンサンブルの精妙さが一層際立ちます。スタッカートの音を極力短くサッと切り上げるのは、パレーの他のマーキュリー録音でも確認できる特徴ですが、それが耳を突き刺すような刺激に終わらないのは、混じりっけのない感じたままの共感をストレートに表現した純粋さの賜物と言えるでしょう。第2楽章は弦をはじめとするデトロイト響のクオリティの高さをまざまざと思い知らせれます。透明なテクスチュアを一貫しながら軽妙なスウィング感を表出。2:27のファゴットが先導するフレーズを支える弦のリズムが次第にコントラストを強めながら音楽の律動を高めるシーンや、4:09からの弦のフレーズとクラリネット、フルートへと続く流れの織りなす絶妙な色彩の広がりは、モノラル録音であることを忘れさせるほどです。是非耳をそばだててお聴きいただきたいのがコーダ!カッコウのさえずりの後(10:30)の弦が信じ難いほど柔らかな音色でほんの一瞬哀愁を滲ませるのです!硬質な音を基調としているパレーの音作りの多様さを思い知ると共に、この楽章の締めくくりに何と言う感動的なニュアンスを香らせのでしょう!第3楽章も快速テンポ。エッジの効いた骨太なうねりを湛えながら、グイグイと聴き手を牽引し続けます。そのテンポ感のままトリオに突入するので、このトリオの部分は感覚的に通常よりも遅く聴こえますが、安定感抜群で、このテンポのコントラストそのものが実に美しくバランスが取れているので、説得力も絶大!第4楽章はパレーのダイナミズムが遂に大炸裂!ティンパニも含めた全声部の凝縮力が尋常ではなく、ゴリゴリと突き出る低弦が、その凄みに一層拍車をかけます。最高潮点以降の弦のエネルギーの減衰がこれまた素晴らしいこと!終楽章は、嵐が過ぎ去って良かった良かったと和んでいる場合ではなく、平和をこの手で勝ち取ったという勝利の歌に胸を熱くすることになります!第1主題がこれほど毅然と立ち上がり、輝かしく響いた例が他にあるでしょうか!まさにパレーの反骨精神が乗り移ったかのような魂の音であり、6/8拍子の拍節感がリアルに突きつけられるのにも唖然!更に弦のピチカート登場以降は更に音楽が充満し、感動が更に高められます。ワルターやベームの演奏を最良と信じる方には許しがたい演奏かもしれませんが、安易な「雰囲気」や「イメージ」に全く縛られず、スコアの意味を音楽的な見地から徹底的に抉り出した価値は計り知れず、音楽が聴き手に生きる希望を与えてくれるということを真に実感できる演奏としても、この演奏の価値は不滅です!
一方、「第7番」にはCDRで1962年のライヴ音源も存在しますが、音質と演奏の傷のなさを取るなら断然1953年盤、白熱的な演奏を求めるなら1962年盤がオススメです。全体にテンポ自体は標準的なものですが、ここでもテンポの制御力と特にリズムのこだわり方は尋常ではなく、第1楽章のリズム動機が厳格さと自然さを兼ね備えたものとしてこれを超える演奏は他に思い当たりません。第1楽章最初のトゥッティは、例にとって極めて硬質の一撃。しかし、主部に入るまでの全体のトーンは意外なほど優美な感触も兼ね備えているのが特徴的です。驚異的なのは43小節以降のフルートのフレーズで、符点音符の間に挟まった16分休符を完全に生かし、きりっとした躍動を表出している点!古今を通じてリズムに厳格な指揮者はあまたいる中で、こんな些細なところにまで配慮が行き届く人がいるでしょうか?主部に入った直後、管がリズム動機を繰り返した後に第1主題に滑り込みますが、その第1主題直前で一呼吸を置く洗練されたセンスにも感服!第2楽章は感傷に浸らずに、格調高い構築を貫徹した強靭な演奏。第3楽章はトリオ主題において特に厳しい制御を感じさせ、その主題の最後、トランペットから下降する音型の空前絶後の鮮やかさには息を飲みます。終楽章は迫力満点の演奏ながら、熱狂の中で核心を見失うことを戒めるかのような統制が行き渡り、フリッツ・ライナーを彷彿とさせます。
【湧々堂】

解説は沼辺信一氏による渾身の力作で、日本語で読めるパレーの文献としては最も詳しいものです。 


King International
KKC-2053(3CD)
ホルスト・シュタインのベートーヴェン
交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」
交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」*
交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」*
交響曲第7番イ長調Op.92#
ホルスト・シュタイン(指)NHK響

録音:1985年11月6日NHKホール、1992年4月26日サントリーホール*、1989年2月3日NHKホール#(全てステレオ)
シュタインのベートーヴェンを演奏する際のスタンスを徹底的に思い知ることができる興味深いセットです。シュタインは、「ベートーヴェン」という名を耳にするだけで恐れ慄いたそうですが、いかにベートーヴェンを別格の存在として崇めていたか、ここに収録されている曲を聴けば一目瞭然。さらに同シリーズのシベリウスやロシア音楽集の親方気質を反映した演奏と比べれば、指揮するにあたって異なるセンサーを用いていたことは歴然です。
とにかく全4曲に見事なまでに共通しているのは「遊び」のなさ。自我の混入を避け、スコアおありのままに鳴らすことに徹する姿勢は朝比奈以上で、パワー炸裂とか剥き出しの闘志などは入る余地さえありません。バスをたっぷり利かせた弦を主体とし、特定の声部を突出させずにたっぷりと鳴らし、作品の立体感を意図的に強調することも厳禁。まるでシュタインが自分自身と格闘しているかのような独特の緊張が終始漲っているのです。
そのストイックな姿勢が顕著に表れているのが、「運命」第1楽章。遅めのテンポで一音たりとも取りこぼしの内容に刻印し、テンポの微妙な揺らぎさえ許しません。終楽章に至っても、音の量感は凄まじい一方で、造型の誇張や声部解析は最小限に抑え、勝利宣言のような付加価値もないので、痛快さとは無縁の余韻が漂います。
さすがに「田園」ともなれば優雅さが漂うと思ったら大間違い。第1楽章の一点一画も蔑ろにしない強い意志に変わりはなく、メロディアスに流れることも厳しく律しています。それでも音楽が停滞することなく、明確なその意志力が独特の推進性につながっています。第4楽章は音の風圧が壮絶ながら、全体の声部が渾然一体となることに細心の注意が払われています。のどかさを演出せずしっかり鳴らすことに徹するのは終楽章でも同じ。聴き進むうちに、一般的に思い描く「田園交響曲」のイメージは脳裏から消え去り、作品のあるがままの姿を堪能していただけることでしょう。
「第7番」も「舞踏の権化」というレッテルは無用。誠心誠意ひたむきに音楽に打ち込むだけです。終楽章は、第5番の終楽章同様に鳴りっぷりが半端ではありませんが、やはり爆演に逃げ込まない精神力に頭が下がります。【湧々堂】


WEITBLICK
SSS-0101-2
モーツァルト:交響曲第39番
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
クルト・ザンデルリンク(指)
ベルリン・ドイツSO

録音:1991年12月2日シャウシュピールハウス、ベルリン(現コンツェルトハウス),ライヴ
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
”生きる希望を与える感動的な「田園交響曲」”
モーツァルトの第39番はザンデルリンクの初出レパートリー。第1楽章序奏での木管のハーモニーの際立たせ方のなんと艶やかなこと!まさに愛の塊です。主部は低中域をガッチリと確保しながら生命感溢れるリズムを躍動させ、瑞々しい音楽を展開。第2楽章も、過度にメランコリックにならず、モーツァルトらしいカラッとした明るさを絶やさしませんが、それとコントラストを成すような中間部のフルートの導入のあまりにも切ない響き、後半5:00から繰り返される木管の下降音型の明瞭な表出に是非ご注目を。第3楽章も木管が弦楽器と同等のバランスで有機的に響き、独特の晴れやかな雰囲気を醸成。特に中間部は太い筆致にもかかわらず音楽が鈍重にならないという絶妙なさじ加減に頭が下がります。終楽章も声部バランスが巧妙を極め、悠然たるテンポで安定感抜群の進行を見せます。ここに至ってザンデルリンクの立体的な構築力が顕著となりますが、ベートーヴェンのような頑丈さとは異なる柔和さを忘れない点が流石です。
「田園」は更に感動的!第1楽章は超スローテンポ。音量を抑えながらノスタルジーを満々と湛えながら歌い抜き、早速涙を誘います。そのニュアンスを最後までインテンポで貫徹させますが、雰囲気に溺れずに凛とした気品と意志を常に携えているので、音楽の造型美が見事に現出。コーダのテンポの減衰の余情もお聴き逃しなく!手作りの柔らかなテクスチュアの中で遊ぶ第2楽章のニュアンスも心に染みます。内声の充実味は比類なく、一見シンプルな楽想がこんなに奥深いニュアンスが隠れていたのかと驚きを禁じえません。しかもそこには説明調の嫌らしさが皆無なので、この作品の素晴らさだけに意識を集中して味わうことができるのです。そして終楽章!大きな包容力を感じさせる名演奏は過去にもいくつかありましたが、これは更にその上を行く、全人類を根底から勇気づけるような度量の大きさ、完全に人生を達観した人間でなければ成し得ない次元の音楽として迫り続けるのです。5:30からの信じ難い無垢な響き!これを感じる力があれば人生何も恐くありません!その後のコーダまでの進行は何もかもが感動的!!【湧々堂】


SMF
SMF-012007
(1CD)
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 カルロ・マリア・ジュリーニ(指)
オルケストラ・ジョヴァニレ・イタリアーナ

録音:1999年2月13日フィレンツェ・テアトロ・コムナーレ・ライヴ(デジタル)
“ジュリーニの十八番、ベートーヴェン「田園」の最高の名演奏!”
1998年に指揮活動からの引退したジュリーニが、教育目的という名目で1999年にイタリアのユース・オーケストラの指揮台に立った貴重なライヴ。「公開総練習」の模様をそのまま収録したものですが、いくら貴重とはいえ、また安易なライヴ録音が出現したのかと、聴くまではほとんど期待していませんでした。ところが結果は全く正反対。ジュリーニが終生愛情を注ぎ続けたこの名曲をここまで練り上げ、オケに浸透させたことによる完熟の味わいは、過去のジュリーニの同曲録音からはなかなか見い出せません。団員はどのような立場の奏者を起用しているかは不明ですが、ほとんどプロ、もしくはそれに近い活動をしている若者たちと思われ、完全にプロずれしたオケでは逆に瑞々しい想像力が欠如し、ここまでの豊かな音楽には至らなかったのでは、とさえ思えるほど、奏者一人一人の自発的な表現力とセンスが抜群な点も、この名演奏の大きな要因となっています。
第1楽章のテーマは愛そのもの。もちろんテンポは遅く、響きは厚く、昨今の爽快な演奏とはまるで異なります。その表面的な現象だけを捉えて「最晩年ならではの枯れた味わい」などという人もいるかもしれませんが、音楽を大河のようにうねらせつつも、強拍にきちんとアクセントを施し、常に内側からときめいている音楽に、枯れた要素など全くありません!楽章最後の和音の置き方も実に楚々とした佇まいで絶品。続いて第2楽章へは切れ目なく滑り込みますが、これがまた自然。全ての音符に愛撫してから発するような温もりが全体を覆い、ハーモニーの豊かさも特筆もの。若いオケだからとか、イタリア的ななどといった前置きを全く必要としない音楽そのものを感じさせる演奏をこの楽章で実現しているのですからまさに感無量。終盤のカッコウの囁き後、ほんの一瞬間を取りますが、その一瞬の空白のなんという余韻!これを聴いただけでも、この演奏が「ただ大指揮者に棒を振っていただいただけ」の代物ではないことは明らかです。ちなみに第1、第3楽章のリピートは省略しています。第4楽章は、このオケの潜在的な器量の高さと表現意欲をいかんなく示し、外面的な効果とは一線を画すジュリーニのスケール感と一体となった、量感溢れる演奏。そして終楽章はもはや神の声としか思えません!時代考証や自己の感覚を通さずにスコアの指示に忠誠を誓うことが無駄だと思わせる演奏はありません。1:27からの低弦と高弦の意思を持った対話の際立ちはまさに渾身!9:16からの弱音によるテーマの回想は、ジュリーニ自身の人生への感謝の気持ちを投影しているかのような至福の囁き…。終演後に思わずジュリーニの口から「ブラボー」の声が漏れますが、社交辞令ではなく、そう言わずにはいれなかった衝動が痛いほど分かります。音質も、CD-Rも含めたジュリーニの「田園」全録音の中で最高水準。心の渇きを癒す音楽とは、こういう演奏のためにある言葉です。【湧々堂】


SONY
SRCR-1503

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、
交響曲第5番「運命」
ユージン・オーマンディ(指)
フィラデルフィアO

録音:1966年ステレオ
“「田園」終楽章に聴く、頑固な職人芸の究極美!”
この巨匠が、未だ不当に不当な評価しか得ておらず、遅々としてCD化が進まない(とくにCBS録音)ことにことにもどかしさを禁じえません。と言うものの、実は私も、彼の魅力に気付いたのは30代を過ぎてから。それまでは、通俗曲を分かりやすく演奏するだけ(それだけでも大変なことですが)の人としか思っていませんでした。しかし、先入観を排して聴けば聴くほど、彼独自の色彩感はもちろんのこと、端正な造型力と、作品本来の魅力を愛情を持って引き出す技に感服するするようになったのでした。この「田園」もそのことを痛感させる一枚として忘れられません。第1楽章の、雰囲気に流されない確かな拍節感、自然に息づくテンポ、第2楽章のデリカシーに満ちたアゴーギク、第4楽章のハッタリを許さぬ造型力など、全てが音楽への誠実な奉仕者としての姿勢から滲み出るものに感じられます。そんな中、どうしてもお聴きいただきたいのが、終楽章の中盤(4:01〜)!テーマが軽妙なピチカートに乗せて歌う箇所ですが、このピチカートの潤いある表情とアンサンブルの妙は、何度聴いてもほれぼれするほど魅惑的なのです。それなのに、そんなことお構いなしの廉価盤仕様とは…。【湧々堂】


Altus
ALT-055


ALTHQ-055
(2HQCD)
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、
エグモント序曲
ヘルベルト・ケーゲル(指)ドレスデンPO

録音:
1989年10月18日 デジタル・ライヴ
“のどかな田園を突き抜け、天上から語りかける神の声!”
「田園」の序奏冒頭から衝撃的!結尾の一音をテンポを落としながら異常に引き伸ばし、さらに不気味なパウゼを挟んでからやっと主題が滑り出すのには、慈しみを超えてこの世のはかなさを映すかのようなニュアンス。その後も独特のアーティキュレーションを駆使してテヌート気味に切々と歌われるので、「楽しい気分」というより得も言われぬ幻想を秘めた音像が広がります。第2楽章に入るとそこはもう天上世界!これ以上魂を込めようがない入念なフレーズがゆったりと流れ、テクチュアはどこまで行っても至純の極み。後半のカッコウの囀りも天使の囁きのように意味ありげに語り、深い呼吸を湛えたまま優しく失速するコーダの美しさもこの世のものとは思えません。第3〜4楽章は随所に現われる粘着質のフレージングが心を抉り、どこか猟奇的な雰囲気が鮮烈。、テンポの切り返しのが鮮烈!終楽章に至っては、感動という一言では収まりません!第1〜2楽章同様、ここでも音像自体は透明な美しさに溢れていますが、後ろ髪を引かれるような寂寥感と、もう後はないような切迫感が渾身の弦の響きにも強烈に絞り出す金管の響きにも立ち込めているのです。コーダ8:13以降の失速のうちに呼吸が鎮まっていく様は、涙なしに聴ける人がいるでしょうか!カップリングの「エグモント」がまた凄い!最初の和音が音量を抑えて緊迫感を孕み、再度繰り返される際には金管を激烈に突出させて内面のもがき苦しみを惜しげもなく表出。ケーゲル特有のテヌートもこの曲では一層顕著で、それによって精神的な浮き沈みが生々しく立ち昇ることになります。終結部も音を外に向かって放射することを意地でも避け、中低音重視の純ドイツ的な音像の厚味を湛えながら、内面からの燃焼と意志の強さで圧倒します。この意味深い求心力も、他に類例を見ません。ぜひとも、「運命」のCDと併せてお聴きください。【湧々堂】

ALTHQ-055の収録内容…ベートーヴェン:序曲「エグモント」、交響曲第6番「田園」、交響曲第5番「運命」、バッハ:G線上のアリア

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第7番イ長調Op.92

TAHRA
TAH-664
シューリヒト〜新発見のベートーヴェン&ブラームス
ベートーヴェン:交響曲第7番
ブラームス
:交響曲第4番*
カール・シューリヒト(指)北ドイツRSO

録音:1957年4月15日、1958年5月7日*
“ワルター以来の風格と温和さを醸し出した奇跡の“ベト8”
シューリヒトがまだ枯れきる前のアグレッシブな妙技!ベートーヴェンの第1楽章冒頭は、単に和音を打ち付けるだけではない夢と憧れ、包容力を伴ったSOきがシューリヒトならでは。フレーズ結尾をリタルダンドし流れにメリハリを付ける技、金管の補強も、作品に神々しさを加味。主部はテンポこそオーソドックスですが、金管、打楽器のアクセントが強烈なインパクトで迫り、リズムも下から俊敏に突き上げるので独特の推進力で魅了します。5:23に象徴されるように、裏の拍節まで徹底的に鳴らすこだわりも、全曲にわたって徹底遵守。5:58のような強固で熱いアッパーパンチ、シューリヒトにしては珍しいですが、この意志の漲り方にも感動を禁じえません。そのアクセントが命の結晶と化すのが終楽章。オケの特質も相まって造型はゴツゴツとした感触ですが、芯が熱く、フレージングに不純物や淀みがないので、他では味わい得ない高貴な迫力で聴き手を徹底的に揺さぶります。
ブラームスはさらに感動的!第1楽章0:57からのシューリヒト節とも言える流麗なレガートは魅惑的。巨大に聳える第3楽章の造型力も圧倒的。終楽章では、中間部の幻想的な弱音のニュアンスには一貫して霊妙な空気が漂い、この先の展開が危ぶまれるほどの恍惚感を見せ、ここからどうやって後半へ突入するのかと思っていると、なんと直前(6:24頃〜)で驚異的な長さのルフト・パウゼ!!この全休止は優に10秒は続きますが、それにもかかわらず音楽が寸断されないないのですから、これを神業と呼ばずなんと呼びましょう!そして最大の白眉は第2楽章。S・イッセルシュテットの名演でも明らかなように、ブラームスとゆかりの深いこのオケの程よくくすんだSOきから引き出される寂寥感と、シューリヒトの孤高な精神が放つ香気が渾然一体となった比類なき説得力!この楽章の第2主題(8:10〜)を感動的に奏でる演奏は少なくありませんが、その中でもこの演奏は、そのSOきの特性において真実のブラームスを声を感じさせるのです。2曲とも音質に落差がなく聴きやすいのも嬉しい限りです。【湧々堂】


TAHRA
TAH-763(2CD)
ワルシャワのアーベントロート
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
モーツァルト:交響曲第40番*
ベートーヴェン:交響曲第7番#
ヘルマン・アーベントロート(指)
ワルシャワPO

録音:1953年9月22日(ワルシャワ・ライヴ)
1954年5月16日(ワルシャワ・ライヴ)*
1954年5月16日(ワルシャワ・ライヴ)#
以上、ポーランド放送音源
“アーベントロートだけが可能なモーツァルト&「ベト7」での入魂技!”
どれも当時の旧東欧放送音源としては、明瞭な音質。
ディスク1の「英雄」は、第1楽章の快速テンポによる荒くれた迫力からしてアーベントロート節。第2楽章は、冒頭から心の底から悲痛な嘆きが溢れ、フレーズの端々から嗚咽が漏れます。強弱のコントラストも大きいですが、その全てが心を抉ります。終楽章は弾丸モードで突進しつつ、2:16では思い切り音を引き伸ばすなどの大見得も見せるなど、スリル満点。コーダに至っては演奏不能寸前の加速で一気に畳み掛けます。
ディスク2は更に凄い!まず、モーツァルトのなんと感動的なこと!第1楽章の冒頭からノックアウト。やるせなさ一杯で、前に進むのを拒むような陰りを強弱の繊細なコントラストによって表出。もちろんアーベントロートのことですから悲しみに暮れたままでは済まさず、ワルター以上の濃厚な表情を放ちながら男性的な闘志を全開させます。第2楽章も音の筆致が太く強く、典雅さとは無縁。しかし、2:11からの入念極まりないフレージングと、弦に対する細かい弓遣いへの指示でも明らかなように、表面的に綺麗に仕上げた演奏にはない、極限まで音楽を息づかせようとする意欲に感動を禁じえません。第3楽章も快速テンポの中でニュアンスが渦を巻き、オケに対しかなり厳しく細かい指示を要求していることがわかります。そのどれを取っても音楽的な感銘に結びついているので、息をするのを忘れるほど聴き入ってしまいます。特に中間部でこれほどに大きく呼吸膨らませる演奏は類例なし。
アーベントロートがこの作品について長年熟考し、温め続けた続けた最終結論を存分に出し尽くしたような確信に満ちたニュアンスの数々…。この作品のアプローチの一つの規範として光り続けるであろう圧倒的名演です。
モーツァルト同様、ベートーヴェンの「7番」も意外にも音盤初出曲。それこそアーベントロート向きの作品ですが、その期待を裏切らない感動作!もちろんこれも男性美の塊ですが、第1楽章序奏部で顕著なように、怒涛のように突き進む中でも、声部のバランスを精緻に制御している点が、アーベントロートの築く音楽に確固たる説得力をもたらしていることを再認識させられます。第2楽章でも音の隈取は極めて克明で、消しててテヌート過多の粘りなど見せません。驚くべきは、ヴァイオリンがテーマを弾き始める1:36以降の刻々と変化するニュアンスの素晴らしさ!弓の保ち方から強弱の振幅まで徹底したこだわりをギュッと結晶化させた得も言われぬニュアンスをお聴き逃しなく!第3楽章は中間部の包容力の大きさが印象的。クナとは違うピュアな共感が心を打ちます。そして、テンポ設定が一筋縄ではいかない終楽章!単にテンポが速いだけで「爆演」とされがちですが、真の爆演とはまさにこのこと!このコーダ目掛けて全ての理性を捨て去った狂気は昨今望むべくもありません。アーベントロートの魅力を十分認識しているファンはもちろんのこと、全てのオーケストラ・ファン必聴です!【湧々堂】


GRAND SLAM
GS-2001
ベートーヴェン:「コリオラン」序曲
交響曲第7番(近衞秀麿版準拠)

■最終リハーサルより
交響曲第7番〜第1楽章*
「コリオラン」序曲*
宇野功芳(指)日本大学O

録音:1983年6月21日新宿文化センター
1983年6月19日日本大学文理学部大講堂*
使用音源:19センチ、4トラック、オープンリール・テープ
録音方式:ステレオ
“これが原点!綺麗なベートーヴェンへの猛烈なアンチテーゼ!!”
今から10年前、GS-2001として発売を予告したこの演奏は、突如指揮者から「あまりにも過激な演奏で、世に出すべきものではない」と待ったがかかり、中止となりました。そのため、年に何回かはファンから問い合わせがあり、その都度指揮者と交渉をしましたが、許諾は得られませんでした。しかし、2010年10月、事態は急変、晴れて世に出すことが可能になりました。つまり、指揮者の説得に10年近くかかったことになります。 宇野功芳(指揮)のベートーヴェン第7はこれまでに新星日本交響楽団(1997年、キングレコード KICC-237)、アンサンブルSAKURA(1999年、URFC-0001/プライヴェート盤)の2種類ありますが、全体の解釈は回を重ねるごとに軌道修正がなされています。しかし、このディスクの演奏は第1回目の指揮のためか、やりたいことをすべて行った演奏で、その衝撃度は破格です。また、特筆されるのは日本の指揮界の発展に大きく寄与した近衞秀麿(1898-1973)が編曲した版に準拠していることです。この版には管楽器ではピッコロやコントラ・ファゴットが加わり、ホルンは6本に増強されています。また、弦楽器は特に内声部がより厚みのある響きを得るように改変されていますが、ティンパニなど原典から著しく遠いと思われる箇所は原典に戻してあります。従って、全体の響きの印象としてはマーラー版によるシューマンの交響曲全集に近く、著しく違和感を感ずることはないでしょう。なお、「コリオラン」序曲は全くの原典通りです。 ボーナス・トラックには本番直前に行われた通しリハーサルを入れました。(以上、平林直哉)
※日本大学管弦楽団は同大学芸術学部とは全く無関係のアマチュアの団体です。 (Ki)

この演奏にもヴァイオリンで参加していた平林氏の根気強い説得が遂に実ってCD化された、あまりにも激烈なベートーヴェン!その過激さと、後年に録音されたプロによる録音があることなどから、今まで宇野氏本人の発売の許可が降りなかった録音ですが、どんなな演奏者でも後に「やり過ぎた」とか「もっとできたはず」と振り返ることはつきものですし、その時信じた解釈を必至に観光したことは紛れもない事実ですから、こうして陽の目を見たことは、宇野氏のファッンのみならず、ベートーヴェンの音楽を愛するすべての人にとっては最上の贈り物といっても過言ではありません。ここには、宇野氏のベートーヴェン解釈の原点が詰まっており、商業ベースに乗せることなど念頭に置かない裸のベートーヴェンがまるごと凝縮されているのです。その意欲の表れの一つが「近衛版」の採用。その効力が最も発揮されているのが、第1楽章展開部。管楽器の手にワーグナー張りの金管の咆哮が加わって度肝を抜きますが、極限までテンポを減速した挙句にこれをやるのですから壮麗そのもの。第1楽章全体は、クレンペラーのテンポをベースにして、クナッパーツブッシュの威容加味したサウンドと言えますが、終楽章では一転して、フルトヴェングラーのような激情に、更に血生臭さを加えた阿鼻叫喚の世界!ここまで綺麗事の一切排除した凄みは、プロのオケに出来るはずもありません。この精神こそが、宇野氏のベートーヴェンの根幹であり、「上手いオーケストラでなければ聴く気がしない」という人には無縁の、本気の音楽が噴出した瞬間です。
他の楽章も含め、テンポの緩急やティンパニの強烈な強調などは、後年にも共通しているので、既に作品の全体像はこの時点で確立していたことも重要な事実で、作品を上から目線で捉え、頭のよいことを誇示するように一見面白い解釈をする一部の指揮者から出てくる音楽と比較すれば、その説得力の違いはあまりにも歴然としています。
このように常識から徹底的に外れたベートーヴェンを当時リアルタイムで私は目の当たりしたのですが、音質が極めて鮮明なのも嬉しい限りで、当時の興奮が生々しく蘇った次第です。
この先は全くの余談で恐縮です。当時この演奏に参加した某団員から実況実行録音のカセットを借り、何度繰り返し聴いてことかわかりません。数年後、私は某中古レコード店で勤務していましたが、買取をした面白いレコードやCDを店員同士で好き勝手に店頭で流すという夢のような日々でした。特に、強烈なインパクトのある演奏を好むお得意さんが来店すると、そのお客さんの反応を見るために、わざとこの日大オケの「ベト7」のカセットを大々的に店内に流すのです。鳴り出した途端、必至に棚を漁っている人の手は止まり、ある人は狂喜しながら指揮を始め、ある人は血相変えて「誰の演奏!」とレジまで駆け寄り、またある人(某評論家)などは「気持ち悪いから演奏を止めろ!」と叫び出す始末…。こんな様子を見て我々は楽しんでいたのです。仮にもお客さんに対してこんな生体実験のようなことをしていたのですから、本当に呆れてしまいます。特に「誰の演奏?」と聞かれてた際に、ある店員(私じゃありません)が「クナが若い頃に学生オケを振った時のライヴです」と真顔で答えていたのには、さすがに肝を冷やしました。とにかく、当時のお客さんには、この場を借りてお詫びします。と言いつつも、あれは本当に楽しかった!もうあんな時代は二度と来ないでしょう。しかも、同じ音楽で人の好みがこれほど分かれるということを一瞬にして眼で確認できたのも、後にも先にもこの時だけでした。考えて見れば、この演奏の興奮をダイレクトに感じて、「誰の演奏?」と血相を変えて聞いてくるような人たちに対して何かのメッセージを発したいという欲望はこの時に芽生え、今のお仕事に繋がっているのかもしれません。
ライナーには、演奏会当日のプログラムに掲載された宇野功芳の「指揮者のひとりごと」を転載。 【湧々堂】


King International
KKC-033
宇野功芳/傘寿記念ライヴ
ベートーヴェン:交響曲第7番
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
宇野功芳(指)
宇野功芳傘寿記念日本大学OB管

録音:2011年9月19日上野学園石橋メモリアルホール(ライヴ)
『第7交響曲は情熱のかたまりであるが、僕は第1楽章展開部に苦悩の痕跡を感じ取り、演奏ではそれにこだわっている。もうひとつの問題点は第3楽章スケルツォのABABAという5部形式で、これは明らかに冗長である。さすがのベートーヴェンも聴衆を退屈させまいと、2度目のAを少し変え、弱音部を長く続けているが、僕には弱気になっているとしか思えない。そんなベートーヴェンは見たくないので、本日はABAの3部形式で演奏することにした。おそらくこの試みは史上最初にして最後になるだろう。(宇野功芳。ライナーノーツより)』
宇野功芳氏の傘寿(80歳)を記念した演奏会のライヴ。の当日は演奏に先立ち、宇野氏への花束贈呈と簡単なインタヴューが行われましたが、年齢の割に若く見える宇野氏のイメージは全く変わらず、指揮台の上がってからもその動きの全くの衰えを見せず、最後まで意欲満点の音楽を聴かせてくれました。試聴して驚いたのは、当日の会場の印象よりも音が生々しく、血肉をはっきりと感じさせる点。それによって、今までも度々触れてきた宇野氏独自のベートーヴェンが単なる熱演を狙ったものではなく、「心を抉ること」に心血を注いでいるかが改めて実感できるとともに、「マンネリの爆演」と呼ばせないだけのスコアへの飽くなき探求ぶりにも頭が下がるばかりです。オーケストラはこの演奏のためだけに集結したメンバーで構成され、同じ日大系でも今までとは顔ぶれがかなり異なり、音程の確かさも過去の演奏を明らかに上回っている点も需要なポイントです。
前半に演奏されたのは「未完成」(このCDではベートーヴェンが先に収録されています)。ワルターの名演をベースにしたような歌と、巧妙にバランスさせた声部の彩が魅力で、アゴーギクを多用せずに繊細なシューベルトの佇まいが溢れます。
第1楽章序奏は、弱々しい弱音を嫌う宇野氏ならではの明確に意思を打ち出したフレージングで開始。主部の弦のさざなみは、アマチュアとしては上等の音程で、神秘的なニュアンスを醸し出します。おそらく、このオケの水準を確保した上で満を持して望んだ「未完成」だったのでしょう。精度を注目は展開部。各声部の配分に細心の注意を払いながら立体的な音像を展開し、ベートーヴェンでは大きなテンポ変動を駆使して楽章全体の構成に山場を築くのとは対照的に、歌の流れを連綿と汲み出しています。展開部最後のピチカート(10:18〜)前代未聞の強靭さ!第2楽章も3:56からの精神的な高揚が感動的で、根底にはクナのような凄みが息づきます。特に4:34からの低弦とヴァイオリンの応酬の神々しい威容は是非ともお聴き逃しなく!
メインのベートーヴェンは、宇野氏自身が最後の「ベト7」と公言しているように、長年こだわり続けた宇野氏の最後の結論であることが痛切に感じさせる素晴らしさ!。脳天を打ち砕くようなティンパニの強打、第1楽章展開部の壮大な山場の築き方、終楽章の猛烈なスピード感などは相変わらずですが、上記のような第3楽章への配慮だけでなく、今まで一貫してテンポを激変さていた箇所をインテンポのまま進行たり、変化させてもその差異を抑えるなど、ここへ来て軌道修正した部分もあり、いびつな造型を築くことの唐突感よりも、全体の整合性への配慮も志向している点が興味深いところです。だからと言って綺麗事に傾くことなどあり得ず、結果的に今までのどの7番よりも求心力の高い熱演を実現させているのです。何と言っても終楽章の最後のアッチェレランドの物凄さ!今までもそのスタイルで熱狂を煽ってはいましたが、ここまで確実にキマった演奏はなかったように思えます。「ベト7」ファン、「未完成」ファン、共に必聴の演奏です! 【湧々堂】


HUNGAROTON
HCD-31721
ベートーヴェン:交響曲第7番、
交響曲第8番
タマーシュ・ヴァーシャリ(指)
ブタペストSO

録音:1997年 デジタル・ライヴ録音
“終楽章異常高速!指揮者の中の指揮者、ヴァーシャリの真骨頂!!”
ヴァーシャリのベートーヴェン全集がいきなり市場に登場した時には、指揮者の試金石とも言えるベートーヴェンを引っさげる度胸に感心すると同時に、これ以上安易に競合盤を増やされては困るという懸念を抱かざるを得ませんでした。しかし、これこそまさに聴くまで絶対に中身の凄さなど予想できない逸品の代表格です!1つとして駄演のないこの全集の中でも特にこの「第7番」は飛びぬけて素晴らしく、指揮が単なるピアニストの余技ではないことを示すのみならず、指揮者としての比類なき個性とバランス感覚を最も強烈に印象つける激演です。第1楽章の序奏は大らかに突き進みながら、響きの充実度が高く、音色、音の重量感の志向が明確に打ち出されていることが分かります。主部に入ると、リズムの律動を確実に浮き彫りにしながら、決して深刻ぶらずに一途に激情を飛翔。展開部7:40でほんの一瞬ルフト・パウゼを置きますが、それによって楽想の変わり目を細やかに描き分ける配慮も見事。そしてコーダ締めくくりの強靭な打ち込み!第2楽章は明確に拍節感を出そうとするあまり強弱が恣意的に聞こえる演奏もありますが、ここでのフレージングはまさに理想。テンポのごく標準的で、演出は一切ありませんが、最初にティンパニが登場するまでの間に脈々とフレーズが息づき、聴き手に心にビリビリと迫るものがあります。そのティンパニが入る直前の呼吸の溜めの絶妙さは、このオケとの絆の熱さを物語る瞬間です。テンポ選択のセンスを痛感させられる第3楽章も印象的。マーチ風に駆け抜けず、しっかり足場を見つめながらの重厚な響きが素晴らしく、スケルツォだからといって気軽に接するそぶりなど微塵も見せません。ベートーヴェンの音楽を確実にイメージし、それをオケに伝達する能力が完全に備わっている指揮者だけが可能なこの響きの充溢ぶりに是非堪能してください。更にこの演奏の凄さを決定的なものにしているのが終楽章!演奏時間は6分33秒と印刷されていますが、これは拍手込みの時間。実質6分そこそこです!出てくる音がまた凄い!まさに弾丸!もう言葉が出ません。これを聴いて何も感じない人がいるでしょうか?「第8番」も隅々にまでヴァーシャリの意思が浸透し、その揺るぎない設計力に脱帽。終楽章でかなりアクセントを意識して強調していますが、こういうところで高度なバランスを伴って求心力の高い音を引き出せる指揮者がどれだけいるでしょうか? 【湧々堂】


Valois
V-4825

LIVING STAGE
LS1032(2CD)
ベートーヴェン:交響曲第7番、
交響曲第4番
序曲「献堂式」
シャルル・ミュンシュ(指)
フランス国立放送局O

録音:1963〜1964年 モノラル・ライヴ
“師フルトヴェングラーとの体験が生んだミュンシュの炎の名演!”
第7番は、冒頭から衝撃的!直情型のダイナミズムを誇るミュンシュにしては珍しく、重心の低い粘り越しでフルヴェン張りの精神的高揚を見せるのです。しかし主部に入るや、誰も止められないあのミュンシュ特有の激情がすぐに炸裂。コーダでトランペットとティンパニのペアを突出させるのは、いかにもミュンシュ的で痛快の極みです。第2楽章は、大河の如きうねりから醸し出される高貴な威厳と終結部での意外なほどの余韻が感動的。終楽章ともなるとひたすら驀進、と思いきや、ここでも破格の重量感を絶やさず、強烈なインパクトを残します。第4番も同傾向の壮大なスケール名演。ミュンシュの芸風については、無意識にボストン響との熱演のイメージを前提に捉えがちですが、それはあくまでもボストン響とのコンビネーションが生んだもので、彼の全てを表していないことに気付かされる次第です。【湧々堂】
※LIVING STAGE(LS 1032/2CD)と同一録音。併録は、シューマン:交響曲第4番、ブラームス:第2番。これらも名演。


BBC LEGENDS
BBCL-4012
ベートーヴェン:交響曲第7番 +英国国歌、
メンデルスゾーン:「美しいメルジーネ」序曲、
アディソン:バレエ「白い手帳」
トーマス・ビーチャム(指)RPO

録音:1959年 モノラル・ライヴ
“80歳のビーチャムが大噴射!終止怒涛のベートーヴェン!”
とにかくこの「ベト7」の燃え方は異常です!とてつもなく速いテンポ゚で噴煙を上げながら爆走し、第2楽章でいかにもビーチャムらしいチャーミングな歌を紡ぎ出す以外は、すべての音が真っ赤に燃え盛っており、終楽章に至っては、金管、打楽器の狂暴さに唖然とするばかりで、あのシェルヘンでさえ出る幕なし!アディンソンの佳曲の(5)や(6)での粋なリズム感も枯れることを知らないビーチャムならではの至芸です。録音もモノラルながら実に鮮明です。【湧々堂】


メキシコ州立響
EB-14
ベートーヴェン:交響曲第7番
「エグモント」序曲、
序曲「レオノーレ」第3番*
エンリケ・バティス(指)LSO、RPO*

録音:ステレオ
“古典様式の枠ギリギリまでアドレナリン大放出!”
自身の感性を全開にしながらも古典様式を逸脱しない、バティスの見識の高さを思い知らされる1枚。オケ(特に金管)の鳴りっぷりは仰天ものですが、鳴り過ぎなどと言わせないだけの凄い意気込みで最後まで一気に猛進し、聴き手を釘付けにしてしまいます。第1楽章の序奏から主部への鮮やかな転換、コーダの全合奏のバランス統制の効いた雄叫びは説得力大。第2楽章も響きこそ晴朗ですが、徹底した粘り腰で悲哀を引きずる様はあのラテン気質からは想像できないほどで、微かなピチカートさえ感じ切っています。終楽章は、ホルンの絶叫ぶりをはじめ、それこそバティスならではの音彩が溢れていますが、リズムの重心はあくまでも低く保ち、スポーツ的な軽さに陥るのを避けているのには恐れ入ります。「エグモント」も迫力満点で、コーダは絢爛豪華!2曲ともロンドン響の起用というのも、効を奏していると言えましょう。【湧々堂】

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第8番ヘ長調Op.93
VANGUARD
99016[VA]
ベートーヴェン:交響曲第8番、
ドヴォルザーク:交響曲第8番
ハルトムート・ヘンヒェン(指)
オランダPO

録音:1993年、デジタル・ライヴ録音
“旧東独の伝統と自身の感性を完全に融合させた、格調高いベートーヴェン!”
下記のプレヴィンがワルター風とすれば、これは晩年のクレンペラー風とでも言いましょうか、とにかくこのベートーヴェンが鳴り出した途端、その予想外の風格美にまずあっけに取られます。テンポこそオーソドックスですが、ティンパニを中核とした勇壮な響きが素晴らしく、物々しさを装うのではなく、あくまでもフレージングは瑞々しく、有機的に沸き立つので、魅力はさらに倍増!第1楽章第2主題途中のリタルダンドも、思考優先型ではなく、呼吸が伴っているので実に自然。展開部で低弦に主旋律が移り、次第に音を積み重ねていく過程のでの緊張の増幅振りもまさに巨匠風。この間のティンパニの素晴らしいブレンド感にも息を飲みます。第2楽章はやや速めのテンポで小気味よく弾みますが、粋な語り掛けの風情も絶やしません。第3楽章冒頭は、一音おきにスフォルツァンドの指定がありますが、この指示をさり気なく生かすところや、中間部ののどかな管楽器のフレーズ(特にホルンの巧さ!)と共に、断続的に弦が刻む細かいリズム音型をしっかり浮き立たせるあたりにも、ヘンヒェンの音楽センスを痛感。終楽章は近年示し合わせたように超快速で突き進むのが常識のようになっていますが、ヘンヒェンは地に足を下ろし、リズムのアクセントを大切にして「自分自身の感じる」アレグロ・ヴィヴァーチェを貫徹!全曲を締めくくるに相応しいスケール感で、ますますこの演奏がかけがえのないものでることを確信するに至ります。ドヴォルザークも見事な演奏で、特に第3楽章はデリカシーとやや暗いトーンが見事に融合し、表情が完全に結実していて心に染みます。終楽章は、主部に入った直後に大きくテンポ・ルバートが掛けるのにはビックリですが、旧東独の美観を滲ませた瞬間ではないでしょうか。【湧々堂】


SUPRAPHON
SU-3455(2CD)
ベートーヴェン:交響曲第8番
第7番、第9番「合唱つき」*
パウル・クレツキ(指)チェコPO

録音:1967年、1964年* ステレオ
“クレツキとチェコ・フィルの個性ががっちり手を組んだ名演!”
クレツキ&チェコ・フィルによるベートーヴェン全集は、どの曲もベートーヴェンの一般的なイメージからあまりにも遠いので広く注目されず現在に至っていますが、この「第8番」は特に傑出した名演で、これだけでもクレツキ、チェコ・フィル双方の魅力をたっぷり堪能できるという意味からも是非味わって欲しい録音です。第1楽章、機能性よりも木目調の風合いを生かした純朴な響きが心を捉え、続いて低弦がゴリゴリと唸りを上げ(0:14)ながらリズムに独特のスパイスを注入。しっかりと意思を宿しながら弦は最後まで弾き切っているのは、チェコ・フィルが乗りに乗っていることを如実に表しています。展開部も何の変哲もない進行と続けながら全声部が強固に凝縮され、芯から熱したハーモニーを引き出しているのです。再現部後半9:02からの圧倒的な高揚はスタジオ録音では珍しいほど。その直後の固いスタッカートはアンチェルのそれを彷彿とさせるのがこれまた興味深く、ワクワクする瞬間は尽きません。第2楽章も単に平和裏に済ませた演奏ではなく、これほど全パートがしっかり前を見据えて主張し尽くしている演奏があるでしょうか?演奏のリズムもなんと人なつっこいこと!木管の愉悦感もさることながら、ここでも低弦の生々しい動きが粋な雰囲気を醸し出します。第3楽章も内声の充実ぶりには息を飲み、特に中間部はこれ以上味わい深い演奏を知りません。終楽章でこの演奏の凄さを更に確信!開始間もない0:17、トゥッティに飛び込む直前で絶妙な間合いを持たせてグンと踏み出すその絶妙さ!チェコ・フィル絶頂期とは言え、0:44で微かにポルタメントがかかるタイミングの良さと言い、奇跡的ニュアンスの連続。4:09以降の彫琢の深さ、声部のぶつかり合いの意味深さにも言葉を失うばかりです。これはチェコ・フィルのステレオ録音の名演として絶対外せないばかりでなく、心ある人ならラフマニノフの交響曲第2番と共にクレツキの底力を思い知ることでしょう。【湧々堂】


BMG
09026-68930
廃盤

BVCC-38488
ベートーヴェン:交響曲第8番
交響曲第7番
アンドレ・プレヴィン(指)RPO

録音:1987年 デジタル録音
“ワルター以来の風格と温和さを醸し出した奇跡の“ベト8”
私のプレヴィンに対するイメージは、ジャズ畑という先入観からかなりライトなものでしたが、N響演奏会での細部へのこだわり、たっぷりとした響き、ロマンティックな表情に溢れる名演に触れて、すっかりプレヴィンの音楽家魂に打たれてしまいました。このベートーヴェンを聴いたのは、そのN響体験前でしたし、彼のベートーヴェンといえば、LSOとの精彩を欠く「運命」しか知らなかったのですから、衝撃も相当なものでした。2曲のうち、特に感動的なのが第8番!指揮者の名を伏せて聴かせたら誰もプレヴィンだと思わないでしょう。テンポといい、音色の温かさといい、ワルターを思わせる味わいの深さが格別!第2楽章の素朴な風情を生かした演奏が近年どれだけ聴けるでしょうか?プレヴィンの力量と「ベト8」の魅力を再認識すること必至です!【湧々堂】

ベートーヴェン/BEETHOVEN
交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱付き」








日本伝統文化振興財団
XRCG-30011(8XRCD)
N響によるベートーヴェンの「第9」(1970年代編)

■Disc1(1973年)
ウォルフガング・サヴァリッシュ(指)

■Disc2(1973年)
ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)

■Disc3(1974年)
オトマール・スイトナー(指)

■Disc4(1975年)
ロヴロ・フォン・マタチッチ

■Disc5(1976)
フェルディナント・ライトナー(指)

■Disc6(1977年)
ホルスト・シュタイン(指)

■Disc7(1978年)
オトマール・スイトナー(指)

■Disc8(1979年)
イルジー・ビェロフラーヴェク(指)
■Disc1〜A.トモワ・シントウ(S)、荒道子(A)、H.ウィンクラー(T)、R.ヘルマン(Br)、東京芸大cho【NHKホール/73.6.27(こけら落とし演奏会)】
■Disc2〜中沢桂(S)、春日成子(A)、丹羽勝海(T)、岡村喬生(Br)、国立音大cho【NHKホール/73.12.19】
■Disc3〜河原洋子(S)、伊原直子(A)、田口興輔(T)、岡村喬生(Br)、国立音大cho【NHKホール/74.12.22】
■Disc4〜松本美和子(S)、春日成子(A)、ウィリアム・ウー(呉文修)(T)、木村俊光(Br)、国立音大cho【NHKホール/75.12.17】
■Disc5〜エヴァ・ジェポルトヴァー(S)、ヴィエーラ・ソークポヴァー(A)、ヴィレーム・プジビル(T)、カレル・ベルマン(Br)、国立音大cho【NHKホール/76.12.22】
■Disc6〜中沢桂(S)、伊原直子(A)、田口興輔(T)、木村俊光(Br)、国立音大cho【NHKホール/77.12.17】
■Disc7〜曽我榮子(S)、伊原直子(A)、小林一男(T)、木村俊光(Br)、国立音大cho【NHKホール/78.12.21】
■Disc8〜曽我榮子(S)、辻宥子(A)、小林一男(T)、木村俊光(Br)、国立音大cho【NHKホール/79.12.19】

※『xrcd』は、通常のCDプレーヤーで再生可能な高音質オーディオです。

前代未聞!豪華装丁!高音質!新たにオリジナルアナログテープをNHK職員立ち合いでビクター中央林間スタジオにてトランスファーののちXRCD化!定期的に第9の録音がこれほどまでに残されているオーケストラは世界的にみてもNHK交響楽団くらいと思われます。しかも、その指揮者陣は今から思えば大変な水準でありました。当企画によって第9の奥深さ演奏芸術の面白さに新たに開眼させられることうけあいです。また、2012年末には第2弾の80年代クロニクルが発売予定で年1回づつのリリースとなります。 (Ki)

Disc1(1973年)〜ウォルフガング・サヴァリッシュ(指)
サヴァリッシュNHKホールのこけら落とし演奏会のライヴながら、決してお祭り的な華やぎに興じることなく、ベートーヴェンヘの尊敬の念をベースとして一点一画を疎かにしない真摯さを貫くのはいかにもサヴァリッシュ。しかしこの演奏は、そのいつもの真面目なサヴァリッシュから一歩踏み込んだ大胆な表現が頻出し、最後まで興味が尽きません。特に第1楽章の身を粉にしたベートーヴェンへの献身ぶりは聴くものを熱くさせます。とにかく終始一貫、恐ろしく音像が立体的。金管、打楽器は芯を伴って熱き気迫が漲り、内声部も渾身の表出。再現部では知性のタガを外す寸前まで音楽が高揚させます。第2楽章冒頭は驚愕!こんなあからさまに大見得を切るとは誰が予想したでしょう。まるでドイツ精神の心意気を裸のままぶつけたような正直な表現に、並々ならぬ演奏意欲を感じずにはいられません。ここでもフレージングには常に明確な主張が宿っており、音を切るかか伸ばすのか、曖昧な箇所など皆無。コーダではまた驚きのルフト・パウゼでど肝を抜かれます。第3楽章でも音のテクスチュアは明瞭。瞑想にふけることなく、フレーズもハーモニーも克明に表出します。金管の警告後の11:13〜11:43の求心力と浸透力を兼ね備えたフレージングには一瞬クナッパーツブッシュのような霊妙な[ニュアンスが立ち昇るので御聴き逃し無く。終楽章は、冒頭のコントラバスが人間に肉声のように生々しく語り、バリトンは音価を伸ばせる箇所は思い切り伸ばすなど、それだけだと古臭いスタイルになりかねないところですが、ここでは全体の中で見事に調和がとれているのは流石。この楽章の目玉はなんといっても合唱の素晴らしさ。N響と共演する音大の合唱はいつも高水準ですが、ここではサヴァリッシュのあまりの真剣勝負ぶりに触発されたのか、その自発的な表現が心を打ちます。
1973年といえば、サヴァリッシュは前年にあの有名なシューマンの交響曲全集を録音しており、この演奏で気力が満ち溢れているのも大いに頷けますが、名誉指揮者としてこのホールでこのオーケストラをリードしようとする意気込みと、ドイツ音楽を牽引するという使命感も携えているのですから、いかに信頼のおける名演であるかがお分かりいただけることと思います。【湧々堂】


マタチッチDisc2(1973年)、Disc4(1975年)〜ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)
 1973年盤は、これぞベートーヴェンの中のベートーヴェン!野武士的な荒くれた精神を湛えた実に豪快な演奏です。第1楽章の最初の複付点音符と四分音符の感覚は極めて短く鋭利で、早々に鋼鉄のような意志の強さを表明。低音域のうねりもマタチッチ節を象徴した凄みを示し、8:47からの高潮の凄まじさも尋常ではなく、金管・打楽器のみならずフルートまでが灼熱色。
 第2楽章は猛烈な推進力!しかも各楽器の音像が明瞭なうえ、増強したホルンの咆哮が拍車を掛けてまさに野獣モード。
 それだけに、続く第3楽章は一層深遠な雰囲気が際立ちますが、ここでも痩せた弱音は存在せず、マタチッチのキーワードの一つである「神々しさ」を持って各楽器が明確に発言し、そのハーモニーは無限の宇宙を思わせます。第2主題の筆致の太さには全人類を勇気づけるような度量の大きさが漲り、空気が決して沈思に向かわないスタンスに、ベートーヴェンが込めたメッセージを体を張って代弁しようとするマタチッチの姿勢を痛感。
 終楽章は、冒頭部では全てにトランペットを補強して、強烈な切り込み。歓喜の主題を奏するコントラバスの量感も相当。トランペットが登場するとテンポを速め、一気に興奮を煽り、その威厳と確信力たるや、御行儀よく鑑賞しようとする聴き手にがぶり寄る凄みで、それに付き従うしか手がありません!特筆すべきは、岡村喬生の声のハリ!言葉のニュアンスを繊細に捉えながら小さくまとまることなく、マタチッチと一体化するような発信力に満ちた表現を聞かせます。発言力の強さは岡村だけでなく、4人の独唱者は互いに張り合うように火花を散らし、更にその積極性は合唱にも共通して、まさに宇宙規模のを空間を表出。テノールの丹羽勝海の表現力にも驚愕!声量も十分な上に、特にリズムの躍動をここまで体現した歌唱は古今を通じて稀でしょう。「歓喜の合唱」は、全ての理屈を跳ね除ける渾身の叫び!レガートやアーティキュレーションのことなど一瞬でも考えたら置き去りにされます。最後のプレスティッシモは、シンバルも怒り狂った興奮の渦!まさに泣く子も黙る圧倒的な凄みで押し通した歴史的名演奏です。
 この熱演に対し、1975年盤は全体にテンポが遅くなり、いかにも巨匠然とした風格味を増しているのが特徴。楽器バランスやテンポ切替のタイミング等の細部の解釈こそ共通していますが、注目すべきは第3楽章!ここではアグレッシブな精神を完全に払拭し、ひたすら瞑想のに専心。第2主題など、先へ進むことはやんわり拒否するように過去の懐かしさの余韻に浸り尽くします。響きの質もマタチッチにしては珍しいほど洗練を目指し、一層精神的な高みを遂げたマタチッチの芸術性に心打たれます。
 終楽章は73年盤と最も酷似。二人の男声独唱はこちらも見事で、特に音程の確かさと4人のハーモニーの調和は明らかにこちらが上。コーダでの突進力は相変わらずですが、打楽器群を始めとして熱狂の中にも響きの安定感が確保されています。【湧々堂】



Audite
AU-95620
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 矢野 滋(S)
マルガ・ヘフゲン(A)
フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
テオ・アダム(Bs)
ディーン・ディクソン(指)
ヘッセンRSO(旧フランクフルト放送響)
ヘッセン放送Cho,
南ドイツ放送Cho

録音:1962年4月13日、フランクフルト・アム・マイン ヘッセン放送ゼンデザール(ライヴ・モノラル)
“今生きていて欲しかった指揮者の筆頭!ディーン・ディクソンの比類なき芸術性”
ジャケット写真でもお分かりのとおり、「ヴンダーリヒ・シリーズ」の一環としてリリースですが、これはどう考えても指揮者ディーン・ディクソンの凄さを徹底的に印象付けるCDです。
ディクソンの名前は、「黒人として初めて国際的な活躍をした指揮者」としては知られていても、その顔を思い浮かべることが出来る人がいるでしょうか?ましてや、その芸風をきちんと認識している人がどれだけいるでしょう。彼は、ジュリアード音楽院で音楽的な基礎を身につけ、当初は米国のメジャー・オーケストラとも共演を重ねなていましたが、人種差別の憂き目に会い、欧州へ活動の拠点を移します。しかし、60歳という若さで亡くなり、録音自体が数えるほどしか存在しないこともあり、その真価が未だに認識されていないのが現実です。しかし、プラハ響を振ったメンデルスゾーンの「スコットランド」(スプラフォン)は、心を打つ名演(この演奏の良さを指摘した日本人は、竹内喜久雄氏くらいでしょう)だと思い続けていた私としては、その印象が覆ることがないよう念じ、いざ試聴を開始。結果は、超絶品!ディクソンの並外れた芸術性を更に確信した次第です。
その音楽作りのスタイルはいたってオーソドックスですが、響きは常に洗練され、テンポも安定感抜群。全ての要素のバランスが良く、センスも満点。音の重量感も重すぎず軽すぎず、「中庸の美」をこれほど感動的に具現化した人は古今を通じて稀でしょう。
第1楽章では、聴き手は精神的な重みを期待しがちですが、ディクソンはただただ堅実な音の構築力のみで勝負。表面的にはスタイリッシュでありながら内面は熱い意欲が渦巻いており、展開部では、ティンパニの激打を伴った神々しいまでの高揚感を見せます。最後を締めくくるリテヌートは、実に決然とした佇まい!第2楽章も慌てず騒がず格調の高さが印象的。第1楽章以上に何も手を加えず、金管の補強さえ行わないごく普通の演奏ですが、音楽の土台の頑丈さが尋常ではなく、それだけで独特の牽引力を生んでいると言っても過言ではありません。
そして言葉に出来ないほど感動的なのが第3楽章!この楽章を聴きながら、この後に訪れる終楽章の盛り上がりのことなど全く脳裏に浮かばないほど全身魅了されるという経験は、個人的には初めてです。シューリヒトを思わせる純粋さ、否もしかすると音楽の純度の高さでは史上最高位と言えるかもしれません!「そんなばかな!」と思われる方は、3:36から音楽のトーンがガラリと変わりって彼岸の高みへ更に近づいたような表情を醸している点や、7:12からの弦のピチカートが慎ましさの中にも馥郁たるニュアンスが生まれていることを、今一度ご確認いただければと思います。ただこの演奏の素晴らしさの本質は、そんな枝葉末節なことではなく、ただただ「音楽自体が美しい」ということを申し上げたいのです。
終楽章は、まずテオ・アダムが声量、音程共に万全で輝かしいことこの上なし。四重唱が始まると各独唱者が張り合うように主張し、音楽が一層活気づき、オケも連動して熱気に拍車をかけます。ヴンダーリヒもアダム同様に威容満点で、後半部もオケに埋もれずにパワーを放射!ソプラノは、何と日本人の矢野滋。1927年生まれで、ロッテ・レーマンエルナ・ベルガーなどに師事。ピアニストの松浦豊明夫人でもあります。オケと合唱の融合も見事。ことさら祝典的な雰囲気を強調しようとする魂胆は最後まで見せず、それでもコーダまで聴き手の意識を逸らさないという奥義、いったいどうやって培ったのでしょう。最後の2小節のリテヌートも芸の品格を象徴。
堅実な音楽作りの中にも確固とした芯を湛えるディーン・ディクソンの芸風は、ケンペやS=イッセルシュテットなどのスタイルに近いというか、アメリカ出身とは信じ難いほどヨーロッパ的な雰囲気を湛えています。レヴァインにしろスラットキンにしろ、音楽に対して極めて誠実で、決して単に陽気なアメリカンではありませんが、シリアスな楽曲でもどこかにアメリカ的な楽天性を感じさせることがあります。それがディクソンには皆無なのです。彼の前ではアメリカの話をしないように皆が気を使ったそうですが、それくらいディクソンはアメリカ出身だという意識を捨て去って、強い信念を持って第二の音楽家人生を歩む決意をしたのかもしれません。60歳という若さで亡くなったのは本人も無念だったことでしょう。しかし、このベートーヴェンをきっかけにして、その芸の素晴らしさに気づいく人が少しでも増えれば、天国喜んでくれることでしょう。
モノラルながら音質も良好。【湧々堂】


H.M.F
HMC-901687
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱つき」 フィリップ・ヘレヴェッヘ(指)
シャンゼリゼ劇場O、
ラ・シャペル・ロワイヤル、
コレギウム・ヴォカーレ、D・ヘンシェル(Br)、
E・ヴォットリフ(T)、M・ダイナー(S)他

録音:1998年 デジタル
“清々しいテクスチュアで描き切ったヘレヴェッヘの“第9”!”
ベーレンライターの新版を採用してますが、D.ジンマンの即興性を生かした個性的な解釈とは異なり、表面的には極めて穏健。しかし、演奏は決して平凡ではなく、ヘレヴェッヘらしい清潔なテクスチュアを貫き、生きることの喜びを美しく歌い上げています。あの 『ドイツ・レクイエム』の名演に心打たれた方なら感じられると思いますが、その感覚的な美しさが皮相に陥らず、実に求心力の強いドラマとして展開され、聴後に得も言われぬ余韻を残すのです。第2楽章中間部は、それまでの倍のテンポに転換させますが、同じ手法を採ったチェリビダッケよりも展開が自然。終楽章コーダの、腰を据えた品格ある進行も流石。歌手陣で注目は、何と言ってもフィッシャー・ディースカウ門下のヘンシェル!安定感抜群のフォームから引き出される語り口の妙をたっぷりご堪能ください!【湧々堂】


ORFEO DOR
ORFEOR-207891
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱つき」 ラファエル・クーベリック(指)
バイエルンRSO、Cho、
ドナート(S)、ファスベンダー(A)、
ラウベンタール(T)、ゾーティン(Bs)

録音:1982年5月14日ヘラクレス・ザール・デジタル・ライヴ
激しさと優しさが完全調和した、高次元の“第9!”
クーベリックの全交響曲録音の中でも特に傑出して感動的な名演!破綻のない風格豊かな造型の中で、精神的深みを湛えた音像がくっきりと立ち上がり、得も言われぬ感動を誘います。第1楽章のトゥッティでピッコロ等の木管を埋没させずに格調高い迫力を生むのは、まさにクーベリックならではの芸。第3楽章は、楽器間の呼応が穏やかな清流の如く淀みなく、全体の響きは豊かな厚みと優しさを湛えています。終楽章は、ファスベンダーを筆頭に歌手陣全てが完璧!コーダは安易な狂乱とは無縁の安定感が圧倒的!何度も聴きたくなること必至です。【湧々堂】


Delta
14566[DE]
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱つき」 ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
シュターツカペレ・ドレスデン、
E.ヴィーンス(S)、U.ワルター(A)、
R.ゴルトベルク(T)、
K-H.シュトゥリチェク(Bs)、
ドレスデン国立歌劇場cho、他

録音:1985年 デジタル・ライヴ
“燃えても美しい!ブロムシュテット&ドレスデンの名コンビが放つ灼熱の精神芸術!”
ゼンパーオーパーの再建記念コンサートのライヴ。この曲のステレオ・ライヴ録音の中では、クーベリックのorfeo盤と共に忘れられない名演で、この名門オケが本気で燃えたときの凄さを思い知らせれます。奇を衒わず、コクのある響きが峻厳な造型で立ち昇り、内面からの意気込みと精神力が最後まで途絶えません。第1楽章の最初の弦のトレモロの息を潜めた弱音から緊張が漲り、微温的な脆弱さとは無縁。展開部のティンパニ強打の絶大な発言力を伴った渾身の高揚、コーダの灼熱の凝縮力と荘重な響きは、まさにベートーヴェンそのもの。第2楽章もティンパニの固い最強打がトゥッティで見事に全体と溶け合う様が鮮烈を極めます。リズムのアタックは確信に満ち、単に伝統に寄りかかった漫然とした響きを寄せ付けないところにブロムシュテットのひたむきな曲への共感を感じずにいられません。第3楽章の透徹しきったテクスチュアの一貫性、本当の意味でオケの自発性を引き出したふくよかなフレージングセンスも琴線に触れます。ティンパニの激烈強打で始る終楽章のパワー放射力は圧巻!マーチに入る前の最強の一撃の意味深さも忘れられません。合唱の素晴らしさも特筆もので、“歓喜の合唱”はもちろんのこと、その後も一貫して合唱独自の存在感をもって揺るぎない主張を聴かせるのです。コーダはまさに打楽器総動員で祝祭的な壮麗さ全開ですが、軽薄さはなく、真の精神の高揚として確実に聴き手の体内に奥深くに浸透するのです。【湧々堂】


TOKYO
SYMPHONY
TSOCD-001
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱つき」 ユベール・スダーン(指)
東京SO、cho、
佐藤しのぶ(S)、坂本朱(Ms)、
福井敬(T)、アイン・アンゲル(Bs)

録音:2004年9月23日ミューザ川崎シンフォニー・ホール・ライヴ
“スダーンの東京響音楽監督就任は大正解!!”
スダーンの東京響音楽監督就任記念CD。スダーンの古典音楽へのアプローチは、モーツァルテウム管とのモーツァルトでも明らかなように、テンポや表情に一切極端なところがなく、様式を重んじながらその中で一貫した生命力を漲らせる見事な演奏でしたが、ここでも、スダーンの作品への真摯な態度は変わりません。この「第9」は、ベーレンライター新原典版になんとマルケヴィッチ版まで加味した楽譜をベースに、ピリオド奏法を取り入れて演奏されており、そこからどんな斬新な響きで驚かせてくれるのかと期待しがちですが、出て来る音楽は、外面的な効果とは一切無縁で、ベートーヴェンの持つ音楽の精神力とスダーンの感性が一体となった音楽のエキスの部分だけが着実に引き出されていて、版の特殊性やアイデアばかりが先行して、音楽的な感銘が残らない演奏との「格」の違いをまざまざと思い知らされます。第1楽章は、演奏時間がジンマン盤が13:39なのに対し、スダーンは14:24と穏当なテンポ。冒頭最初のトゥッティで古楽器ティンパニが独特の固い響きで轟きますが、それがエキセントリックにならずに、見事に全体と溶け合っていることなどは、スダーンの堅実な音楽作りをまさに象徴しています。81小節のアウフタクトはシ♭からレに変更。第2楽章は、ティンパニ・ソロの後(2:56)の弦の走句の独特の強弱の揺れや、3:24の弦のクレッシェンド効果が迫真の説得力!第3楽章は、ヴィヴラートを用いず、アゴーグクも最少に止めながら、これほど温かな愛に満ちたテクスチュアで深々と訴え掛ける演奏は稀少で、それだけにトランペットの警告の強靭な響きが神々しさを以って迫ります。終楽章冒頭で、低弦を導く際のユダーンの唸り声(というか歌声)が象徴するように、人間的な温もりを込めぬいたフレージングのセンスが逸品!強力な牽引力や音圧で聴き手を引きずり回さず、しなやかな呼吸による入念な語り掛けに徹しているので、自然に引き込まれてしまいます。独唱陣では福井敬の端正なフォルムの美声が印象的。コーダの入りは、低速でテヌート気味に開始しながら次第にディミニュエンドを掛け、再びクレッシェンドしながら加速するのがユニークですが、最後の大団円の開始に相応しく、結末も派手な音の大饗宴にならず、しっかり聴き手の心に浸透する鳴り渡り方をするので、聴後の余韻もひとしおです。東京響の巧さも予想以上で、最後までの日本のオケを聴いているという変な意識を抱かせず、スダーン共々ひたむきな音楽表現に徹しているのを聴くと、スダーンの音楽監督就任の意義は計り知れません!


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