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殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤!!
チャイコフスキー
交響曲



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チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY
交響曲全集












フォンテック
FOCD-6030(5CD)
チャイコフスキー:交響曲全集(全6曲) 飯守泰次郎(指)
東京シティPO

録音:2011年7月7日(第3&4番)、2012年1月18日(第1&6番)、2012年3月16日(第2番)以上東京オペラシティ・ライヴ、
2011年11月26日ティアラこうとう・ライヴ(第5番)
“世界中の指揮者が模範とすべき、飯守泰次郎の有言実行力!”
 飯守が常任指揮者としての最後のシーズンにおこなった「チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ」のライヴ録音。『どんなに抑制しても噴出してくる人間の生きざまそのもの、悲劇を吹き飛ばすかのような熱狂的な喜びの爆発、といった極端な両面を持つチャイコフスキーの音楽は、ロシア文学と同じ源から生まれたのです。(中略)チャイコフスキー個人の生涯の出来事以上に、最も大切にされるべきは、ロシア人としての彼の心だと私は思います。』と飯守は語っていますが、他の指揮者も似たような同様の意見を述べる人は多いと思います。しかし、完全にその言葉通りに音にその熱い思いを反映し、その結果、低俗的とも思われがちなチャイコフスキーを真に芸術的な高みにまで押し上げたと本当に実感できたことはかつてほとんどありません。ましてや飯守はワーグナーなどの独墺系の作品が得意のレパートリーというイメージが強いだけに、もう何十年も弾き込んでいるような完熟の表現を繰り広げるとは嬉しい誤算です。各曲に対するヴィジョンは常に明確。計算ではなく自然に熱い表現意欲を作品構築の中に凝縮させているので、モヤモヤとした曖昧なニュアンスなどどこにも見当たりません。各曲においてチャイコフスキーは込めた思いに寄り添い尽くしたという点において、あのコバケンさえも大きく引き離したとさえ言いたいまさに金字塔です!
■飯守泰次郎、チャイコフスキー・チクルスを語る…http://www.youtube.com/watch?v=Dei3XEs0Pas&feature=feedu

「第1番」…伝統的なソナタ形式を温存している作品の持ち味を生かしながら、ロシア的な内向きの歌心をスケールの大きな構築感の中に宿らせた画期的名演!リズムは常に活き活きと躍動しながらも決して前のめりにサクサク進行することはなく、足場を固めつつじっくりと情感を滲ませる手法が、この作品の魅力を倍加させています。弦楽器主体のバランスも安定感抜群。第2楽章の陶酔的な美しさに触れると、飯守の指揮がいかに本気なものであるか実感できるはず。終楽章では堰を切ったようにパッションを炸裂させますが、一定のも品格とスケール感は堅持しながら、輝かしい勝利を謳歌!それは、ロシアのオケが彼らの意地を誇示するかの威圧感のようなものとは別物なのです。
「第2番」…この「第2番」からロシア的な野趣が更に加味されることを踏まえ、飯守のアプローチも一層アグレッシブなものに変化。第1楽章冒頭の一撃はまさに烈火!その直後の管楽器のテーマのメランコリーの陰影の深さも鬼気迫るほど。アレグロ以降はリズムがソリッドに沸き立ち、それを低弦が腹の底から抉り上げる、フレージングはこれ以上不可能なほど濃厚。こんなに作品にのめり込んでは最後まで持ち応えられるのか心配になるほどですが、持久力が落ちるどころか、終楽章では過去に例のないほど真っ正直な情熱をぶつけ尽くします。土俗的な色彩にも目を見張るばかり。過去の名盤も含めてこのトーンをここまでリアルに出した演奏がいくつあるでしょう?2:47では大きくテンポを落とすのが珍しいですが、これを契機に再びコーダヘ向かってまっしぐら。第1番終楽章同様の骨太な迫力に打ちのめされる必至です。
「第3番」…全6曲の中である意味最も衝撃的な演奏。演奏頻度の点でも作品の雰囲気からも地味なイメージが拭い切れない作品ですが、飯守はこれまでの作曲家と心中する勢いの没入ぶりに加え、そのイメージを払拭するかのような意気込みも加味して、前代未聞と言っても過言ではない「第2交響曲を深化させた作品」としてのアプローチを果敢に実践。まさにロシアの大地を揺るがすような迫力満点の音楽に仕立て直しているのです。かつてムーティの録音が登場した際も同様の感想を持ちましたが、飯守盤は各フレージングに対するニュアンスの使い分けの多様さの点で遥かにそれを凌ぎます。第1楽章冒頭モデラート部分の、各声部が完全に役割を果たした結果による出口が見えない焦燥感!やや唐突に現れる第2主題がこんなにスッと心に入り込む演奏も稀。第4楽章も「スケルツォ」という軽いものではなくすべての音が決死。終楽章はポーランド舞曲ならではの土俗的空気が横溢。しかも構築力が極めて頑丈なので音楽の聳え方が尋常ではなく、5:46以降はオケの自発的アンサンブルと響きの充実度も極限に達します。第1副主題がイン・テンポのまま現れる威容に腰を抜かす暇もなく圧巻のコーダへ突入。この演奏が同曲の歴代トップの名演であることを確信して止みません。
「第4番」…競合盤の多い「第4番」以降は分が悪いのでは?という懸念は一切無用。前2作同様、ロシア的な土臭さ、作曲家がそう書かざるを得なかった心情に完全に密着した演奏に全くブレはありません。まずは第1主題の息の長い陰影維持。一小節たりとて惰性で奏でている箇所などありません。ティンパニが加わる2:20からは発作的に激情を加え、チャイコフスキーの苦悩を代弁するかのよう。綺麗事とは無縁の飯森のチャイコフスキー解釈を象徴するシーンです。17:10からの追い込みでは響きのニュアンスも緊張感も何故か低下してしまう演奏が多い中で、強固な造型を維持したまま重厚な響きに不安を拭い切れない心情を加味した進行の説得力には手に汗握るばかり。このシーンと第2楽章のきめ細やかなニュアンスの表出を聴くにつけ、つくづく、東京シティ・フィルの技量とセンスの高さも思い知らされます。終楽章がこれまた驚愕!冒頭の一撃は瞬発力を兼ね備えたスパークぶり!しかもシンバルのタイミングが絶妙!テンポもかなり高速ですが胸を焦がしきった歌を絶やさず、ロシア民謡主題をグールドばりに唸る飯守の声は、ヘッドホンで聞く際はご注意を。3:58からは弦のフレージングの切れ目ごとにクレッシェンドが施されますが、これだけでもいか音楽に没入し体全体で呼吸しているかがわかります。そして最後は興奮のるつぼ!
「第5番」こちらのページを御覧ください
「第6番」…「第1番」での内省的な佇まい立ち返ったような第1楽章提示部の美しさが印象的。同展開部や第3楽章でも外面的な効果を他の作品ほどは前面に立ててず、飯守が明らかにこの「悲愴」を別次元の作品として捉えていることが窺えます。第1楽章展開部後半の気の遠くなるような大きな呼吸の説得力はもちろん絶大。第2楽章は冒頭から暫くの間、チェロのユニゾンを耳で追えば明らかなように、単にアンサンブルを統制しただけではない愛が詰まっていることを実感できるはず。終楽章は特に第2主題の温かみと静謐さを兼ね備えた響きにご注目を。ドラが入る直前では悶絶の限りを尽くしますが、感情を外に放射せず、その一途に内燃に向かう意志の力に強く打たれます。【湧々堂】

BRILLIANT
BRL-99792(7CD)
チャイコフスキー:交響曲全集(第1番〜第6番「悲愴」)*
マンフレッド交響曲*
序曲「1812年」#/「ロメオとジュリエット」*、
弦楽セレナード#/フランチェスカ・ダ・リミニ**、
白鳥の湖(8曲)##
リッカルド・ムーティ(指
)フィルハーモニアO*、
フィラデルフィアO

録音:1975-81年*、1981年#、1991年**、
1984年##、全てステレオ録音(EMI原盤)
“ムーティの才気とダイナミズムが満遍なく反映された貴重な全集!”
 チャイコフスキーの交響曲全集は、全ての曲がが一貫して素晴らしいものがなかなか見当たりませんが、ムーティの演奏は全てが高水準。中でも、「第2番」、「第3番」、「マンフレッド」におけるオケの掌握ぶり、容赦ないダイナミズムは、セッション録音の冷たさなど微塵も感じさせない濃密で熱い演奏で、ムーティの交響曲録音の最高峰と言わずにはいられません!キングスウェイ・ホールで録音された「第5番」と「マンフレッド」以外は全てアビーロード・スタジオで収録されていますが、これらは全てティンパニが克明に捉えられているのがまず特徴的。それが恣意的なものでなく、確信に満ちた表現の結果として迫るので説得力が絶大。
 1978年録音の「第2番」は、第1楽章冒頭の一撃からして実に強靭。ホルンから始まる序奏主題が哀愁一辺倒ではなく、明確な意思でメリハリをつけながら進行する様も見事。展開部の熾烈なヴォルテージの高まりは早くも手に汗握らせるものがあり、6:03のティンパニはこれ以上考えられない激烈な強打!その後もティンパニは激高の限りを尽すのです。第2楽章は軽妙な足取りながら、音楽が軽くなることはなく、中間部も情に溺れることないインテンポの進行が実に清々しいのです。終楽章は、これまた冒頭でティンパニが大健闘!第2主題が終わった後の加速の凄みはまさにトスカニーニばりの緊張感を極限まで高めて唖然とするばかり。銅鑼が打ち鳴らされた後の興奮も凄まじく、最後のティンパニはスピーカーを破壊しかねない激しさ!
 1977年録音の「第3番」もこの曲の地味な印象を払拭するに十分過ぎる名演奏。ロシア指揮者以外で、これほど終始緊張を持続させてドラマチックに描ききった指揮者がいるでしょうか?やたらと休符が多いせいか間延びする演奏が多い第1楽章は、長い序奏部から来るべきドラマの予兆を孕み、夜露を思わせる色彩も印象的。主部の突入の仕方は、それまでの流れをばっさり断ち切るような突進力を発揮。こんなに音楽が沸き立っては、しっとりとした第2主題へどうやって繋げるかと思うと、これがセンスの塊としか言いようなの意見事な移行!その第2主題後の疾走の鮮やかさと力感の高め方は、ムーティの最良の資質を出し切った箇所として忘れられません。オケの鉄壁なアンサンブルにもご注目。終楽章は冒頭から弦楽器群が縦の線を異様なまでに完璧に揃えながら突進を続ける様に鳥肌!第1エピソード(1:29移行)を管楽器が奏でている最中も弦が決死の覚悟でそれを支え、緊張感は更に高まります。そして驚異のコーダ!まさにこの曲の極めつけの名演です。
 極めつけといえば「マンフレッド」も同様。全集の中で最後に録音されたものですが、当然録音も最も良い(あらゆる録音の中でトップクラス)という利点もありますが、ムーティのこの曲に掛ける意気込みは尋常ではありません。ヴェルディのオペラの名演を繰り広げるあのムーティがここには存在し、まさに歌のないオペラ。バイロンの詩に対しても表現意欲を極限まで高められたことは想像に難くありません。チャイコフスキーの管弦楽法の魅力をたっぷり堪能できる一方で、それ以上に心に食い入ってくる演奏がほとんどないという現実の中で、この録音の意義はあまりにも大きいことは、どこを取り出しきってきても明らか。例えば第2楽章。スケルツォ的なこの楽章にこれほど身を投じきった指揮者はロシアにもいないのではないかと思えるほどです。終楽章は意外なほどリズムの重心を低く保ち、大伽藍の音像を打ち立てますが、それだけなら他にもそういう演奏はあります。しかし、命がいくらあっても足りないほどのこの没入の激しさ、オケの全パートに血を吐く寸前まで要求を徹底したダイナミズムと説得力は、他では味わえないのです。今後この曲を披露しようとする指揮者は、まずはこれを聴いてから自分も指揮すべきか判断してもらいたいものです。 【湧々堂】

チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY
交響曲第1番「冬の日の幻想」

ALLEGRIA
201031[AL]
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」、
交響曲交響曲第2番「小ロシア」*
ヘルベルト・ブロムシュテット(指)、
デイヴィッド・ジンマン(指)*
南西ドイツ放送SO

録音年不詳:ステレオ録音
“チャイコ嫌いの方にもおススメ!堅固な構築から放たれるロマン!!”
 オケの特性から言って、きらびやかな色彩は望むべくもありませんが、その分この二人の指揮者の誠実な音楽作りがストレートに反映され、確実な手応えを与えてくれます。
 ブロムシュテットの「第1番」は、かつてN響を振った感動的な「第4番」もそうだったように、民族色を排し、スコアをリアルに鳴らすことに徹しながら、凝縮力の強い音楽を展開。第1楽章の頑丈な構築性は、ブラームスを聴いているような錯覚に陥るほどで、第2楽章も際立った特徴は見当たらないのに、なぜかそこに身を委ねていたくなる確実な安定感があるのです。終楽章は楽想自体が民族色濃厚なので、特別な味付けなど施さずにシンフォニックな厚みのある響きを堅実に引き出せば、十分堪能できる曲であることを痛感させられます。
 それ以上に素晴らしいのが「第2番」!これはロシア勢以外の演奏としては、間違いなくトップクラスの見事な演奏です。こちらも堅実な演奏ではありますが、第1番よりも録音が新しく感じられ、音像がよりリアルに迫ることもあって、音色もフレージングも、積極的に訴えかける豊かな表情が漲っています。テンポの設定、強弱対比にも見事なメリハリが効いており、第1楽章の4:48以降で弦から木管楽器に旋律を受け渡す際、弦をサッと弱める効果は、職人技の極み!第2楽章や第3楽章中間部も、センス満点!ロスバウトやブールなどの薫陶を受けたこのオケが、これほどチャーミングな表情を出した演奏も珍しいのではないでしょうか?終楽章では改めてオケの抜群の巧さに舌を巻き、中低域に重心をしっかりと置いた豊穣な響きもたまりません!コーダのあの賑々しさに辟易するという方も、この見事に統制がとれた力感には、納得せざるを得ないでしょう。【湧々堂】

AUDIOPHILE
APC-101028
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」、
幻想序曲「ロメオとジュリエット」
アンドレイ・アニハノフ(指)
サンクト・ペテルブルク国立SO

録音:1992年〜1993年 ステレオ録音
“1965年生まれとは思えぬ巨匠的造型力に驚愕!”
 2曲とも、力任せに飛ばすことなく、一音ごとにじっくり熟成する入念さ、大音量時の音の聳え立ち方、弱音のリリシズムなど、どれをとっても巨匠級の安定感を持って迫るのは、とても録音当時20代の青年の技とは信じられません。音楽がどんなに沸き立っても最後まで腰が浮くことなく、前に進むのをためらうような不安の空気で覆われているのも特徴的です。
 第1楽章は音色とフレージングの趣味の良さにまず惹かれます。オーボエの第1主題はもっと哀愁たっぷりに吹くことも可能でしょうし、再現部に入る前の沈静もより物々しくすることも可能でしょうが、無理のない佇まいの中に一貫した緊張湛えています。
 第2楽章もテーマを吹くオーボエがローカル色と洗練を見事にミックスしたような風情を醸し、そこにフルートが加わると一層チャーミングに音楽が囁きかけます。第3楽章はスケルツォといっても決して軽々しく飛び跳ねず、落ち着いたテンポ自体が意味深さを感じさせ、テンポ設定自体が深く、気品の香る中間部も印象的。
 終楽章のテーマがヴァイオリンで奏でられる(1:08)の息を潜めた暗い情感にご注目を。主部にはいつ直前で急にリタルダンドして、どこでテンポを立て直すかと思うと、ほんの少しだけ速めるだけで、そのままの低速を維持していくのにはびっくりです。しかもすごい風格!更に驚くのはそのあと!何と木管が第2主題を呼応し合うシーンがすっぽり割愛されているのです。コーダの満を持してのスケール感は壮麗の極み!ちなみにこのカットがあるにもかかわらず、バティス&メキシコ響より演奏時間が長いです!
 「ロメ・ジュリ」はより直裁な表現ですが、肝心のところでバス・ドラムを強打するなど、堂に入ったニュアンスが溢れる快演。【湧々堂】

Sonora
S-022584CD
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」
幻想序曲「ハムレット」
交響的バラード「ヴォエヴォーダ」
ユーリー・シモノフ(指)
ソビエト・マールイ国立O

録音:1986-87年 モスクワ音楽院大ホール・ステレオ・ライヴ
“ソビエト崩壊前、シモノフが炸裂させた容赦ないダイナミズム”
 交響曲は、第1楽章冒頭から凍てつくロシアの大地を彷彿とさせる空気感を敷き詰め、ただなんとなく流れる幻想とは違って、一瞬のアクセントにも深い共感が投影されています。強弱の対比もなんと意味深いことでしょう。そして第2主題の包みこむような優しさ!第2楽章のテーマを吹くオーボエは、いかにもロシア的な張り詰めた音色で深い情感を湛え、4:23からのチェロのフレーズはまさに渾身の涙の結晶。それを取り巻く木管を始めとする伴奏音型が次第に優位に立つ際の緊張感にも御注目を。第3楽章は速めのテンポに載せたリズムの躍動が見事で、オケの機能美も磐石。
 最大の聴きものはやはり終楽章。序奏部からこんな濃厚な表情でうねる演奏は前代未聞。主部に入ると恐るべきダイナミズムが炸裂!最初の部分の弦の目まぐるしい強弱の入れ替えが強烈なコントラストを伴って迫り、音像も確信の塊!しかもlテンポが相当速く、打楽器群の破壊力も尋常ではなく、興奮を掻立てられること必至。それでも下品な暴走に陥ることはないのです。民謡風の第2主題もインテンポのまま疾走しますが、フレーズ結尾をディミニュエンドして一陣の風のような後味を残すという粋な技まで披露するのですからたまりません。更に驚くことに、なんと展開部の一部をカット!おそらく
アニハーノフ盤と同じスコアを用いているものと思われます。そしてコーダの凄まじい巨大造型!ソビエト崩壊前のこれが最後の輝きと言わんばかりの腰の座ったド迫力にはただひれ伏すしかありません。
 「ハムレット」がこれまた空前の大名演!ティンパニのトレモロのクレッシェンドも皮がぶち切れるほどの強打で開始。「オフェリアの主題」が現れるまでの約6分間で既に精根尽き果てると思わせる凄まじい迫力で、まさにハムレットの狂気を地で行く迫真ぶりに言葉も出ません。その「オフィリアの主題」は極限の悲しみを見事に反映して悶絶…、というように、生々しい激情と悲哀が、辺りを払うような緊張を伴って最後まで途絶えることがないのです。同じ幻想序曲と題する曲としては「ロメオとジュリエット」ばかりが演奏されますが、この演奏を聴くと、スコアを読み込むだけでは歯が立たない難曲であることを痛感し、気軽に取り上げられないのも無理からぬことと思えてきます。 【湧々堂】

メキシコ州立響
752434-18069
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」
交響曲第4番
エンリケ・バティス(指)
メキシコ州立SO

録音:1997年 デジタル録音
“常人では思いも寄らない第1番・終楽章の大仕掛け!”
 交響曲全集からの分売。驚天動地とは、まさにこのこと!6曲の交響曲中最も端正なフォームで演奏されることの多い「第1番」ですが、バティスはそんなことはお構いなし!全ての音が火傷しそうなくらい熱く、このままでは終楽章ではどうなることかと思うとこれが大変!序奏から主部への移行時、加速開始箇所が通常より早い上に、そこから更に加速を掛け、遂に空中分解寸前まで激烈な高速に転じるのです!心臓の悪い方は、ちょっとご用心ください。これはまさに気心の知れたオケだからこそ指示できた技かもしれません。コーダの築き方も痛快で、最後の最後で更にアッチェレランドで興奮を煽る徹底ぶり!表現意欲が全開なのは、もちろん終楽章だけではありません。第1楽章の冒頭からやる気満々!骨太なタッチで一気呵成に突き進みますが、木管の細かいパッセージや、ちょっとしたピチカートにも魂を感じさせます。第2楽章も表面的な繊細さとは無縁。豊かな呼吸を湛えながら、一途な歌心をしっかりと紡ぎ出し、ここぞという箇所のピアニッシモも心に染みます。民謡風旋律を奏でるオーボエをはじめ、各セクションの巧さも特筆もの。この曲の凝縮力の高い名演として、長く語り継がれて欲しいものです。
 一方「第4番」も、予想通り理屈を並べる隙を与えないド迫力!聴く側も相当体調が良くないと聴き通せないほどの大音量のシャワーです!しかも全楽章快速。終楽章に至っては演奏時間8分を切ります!特に弦楽セクションは、大敢闘賞もの!多少の迫力では痛くも痒くもないという方、これでどうですか?!【湧々堂】

Mercury
4756261(5CD)
チャイコフスキー:交響曲第1番〜第6番
 スラブ行進曲.フランチェスカ・ダ・リミニ、
 ロメオとジュリエット、
 「エウゲニ・オネーギン」〜ワルツ/ポロネーズ
ボロディン:「イーゴリ公」序曲、
アレンスキー:チャイコフスキーの主題による変奏曲
アンタル・ドラティ(指)LSO、他  

録音:ステレオ
“怖いほどの豪快さで迫るドラティのチャイコ!”
 どれも、ドラティらしい渾身の演奏ですが、中でも凄いのが「第1番」!第1楽章から猛進するテンポに乗せて感情を露骨に爆発させ、しかもアンサンブルは破綻なし!第2楽章は自ら感傷に浸らず、聴き手にストレートに訴え掛ける凛とした表情がかえって涙を誘います。終楽章は序奏から表情が息を呑む入念さで、主部に入っても全く気が抜けないほどフレージングが熱く克明。展開部直前の沈静した空気にも戦慄を覚え、コーダの風格と壮麗さに至っては、マルケビッチと双璧!
 「第2番」の終楽章の強靭な迫力、軽視されがちな「第3番」での逞しい力感に溢れる構築美も驚異的といって過言ではありません!録音がまた、その音楽に相応しい鮮烈さです。【湧々堂】

チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY
交響曲第2番「小ロシア」

EMI
5865312(2CD)
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」
交響曲第6番「悲愴」*、
ロメオとジュリエット#、
フランチェスカ・ダ・リミニ#
カルロ・マリア・ジュリーニ(指)
フィルハーモニアO

録音:1956年、1959年*、1962年#(全てステレオ)
“狂乱のジュリーニ!”
この「第2番」は、ジュリーニのスタジオ録音の中でもアグレッシブな意欲に溢れた熱演!まだ重厚壮大モードに入る前の演奏といえ、この激情の煽り方は、同曲の過去の盤歴の中でもダントツです!
 第1楽章一発目のテゥッティの鋭利な叩きつけから異常テンション!すぐにD・ブレインと思しき完璧なホルン・ソロが泣かせますが、主部に入ると土臭さ全開で、リズムを徹底的にいきり立たせ、熱い凝縮を極めた音の塊が襲い続けます。オペラで充分培った俊敏な呼吸とフレーズの振幅の自在さにも驚きを禁じ得ません。
 第2楽章は冒頭の静かなティンパニのリズム打ちが何と良く見通しよく響くこと!行進曲風リズムが次第に熱を帯び、後半の勇壮な響きに至るまでの過程でも揺るぎない緊張が満ちています。第3楽章のチェロのフレーズ(1:01〜)の最後の一音に鮮烈なアクセントが施されていますが、これが一層推進力を助長。今生まれたての生命体を思わせる瑞々しいテクチュアも魅力。
 そして終楽章で遂にパワー全開!優しげな第2主題に入る前までに、既に音楽は高揚しきっていますが、第2主題が過ぎ去った後、展開部の凶暴なまでの迫力は、後年のノーブルなジュリーニとは全く別人。オケも決死の形相で弾き切っている様子が目に浮かびますが、終結部では、更に高速テンポで白熱の度を強め、一気呵成に喜びを大放出して締めくくるのです。
 毎度のことながら、この時期のフィルハーモニアの巧さは空前絶後。ステレオ最初期の録音ですが、この肉感的で熱い音の塊の芯まで見事に捉えた録音状態も効を奏して、感動も倍増です!なお、終楽章に2箇所ほどカットがあります。 【湧々堂】

Collins Classics
11572(廃盤)



BRILLIANT
BRL-93980(60CD)
チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」
幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
ユーリー・シモノフ(指)
フィルハーモニアO

録音:1989年9月
 音符の背後にいる人間を音に転化できるシモノフの恐るべき才能!2曲とも歴史的名演奏!スヴェトラーノフともロジェストヴェンスキーとも違う西欧的な洗練味を持つ音楽性をベースにして、自らのDNAと閃きを信じた表現の訴求力、根源的なスケール感、格調高い造型力が圧倒的な感銘を与えてくれます。
 交響曲第2番は全楽章を通じてやや遅めのテンポで一貫させ、じっくりと郷愁を育んだ演奏…というだけなら他にもありますが、随所に散りば目られた表情の全てに聴き手を惹きつけてやまない訴求力があり、情景をイメージさせる力を孕んでいる点で傑出しています。第1楽章序奏部が、暗い哀愁の霧から次第に音像を明らかにしていく様は、オペラの幕開けのようにこの先のストーリーを予感させる力を内包しており、劇場で培った音楽性が早くも開花。オケの響きがロシアのオケのように変貌しているのも驚きで、8:02からテンポを大きく落として粘着力をもってうねるねりまくり、威厳満点。
 第3楽章トリオの管楽器のハーモニーの色彩もまさに原色タッチ。リズムは軽妙であっても重心を重く保った歩みが郷愁を掻き立てます。終楽章はシモノフの風格溢れる芸風が大全開!主部冒頭のリズムの刻みは大地を這うような雰囲気を醸し出し、第2主題ではノスタルジーと土の香りが心に優しく語りかけ、フレージングは気品に満ちてます。後半でも乱痴気騒ぎとは無縁で、交響曲としての格調を維持して感動的なコーダを迎えるに至ります。
 「フランチェスカ・ダ・リミニ」がこれまた凄い演奏!マルケヴィチやロジェストヴェンスキー&レニングラードPO堂々と肩を並べる破格の説得力を誇ります。ここでも演奏時間26分とやや遅めのテンポを採用しているとおり、シモノフのドラマチックな作品への確信溢れるアプローチが縦横無尽に生かされています。序奏からアゴーギクが極めて入念で、重苦しい悶絶をリアルに表出。主要動機(1:25〜)のまともに立っていられないほどの孤独感から髪を掻き乱すようなもがきに至るまで、その入念さは比類なし。主部の「嵐の動機」は打楽器の強烈で重い打ち込みと共に腹にズシンと応えるスケール感を生み、フランチェスカたちを待ち受ける過酷な運命をそのまま投影した音作りにここまで徹した演奏というのも他に思い当たりません。続く、クラリネットソロによる「愛の主題」(10:33〜)は、技術的にとてつもなく巧いうえに、嘆きの余韻が尋常ではありません。フランチェスカとパオロンの愛を描いたこの第2部は、何のデフォルメを施さず、その甘美な幻想をあますことなく再現するのみならず、生々しい官能までも炙り出すというのは、微妙な呼吸の間合いの為せる技と言えましょう。愛の主題が弦のユニゾンで強烈に迫り(19:33以降)、次第にハーモニーの陰影を克明に変化させながら大スケールの音像にまで上り詰めるシーンは圧巻で、空前絶後の感動に襲われること必至!そしてコーダ!大楽器群の体当たりの連続激打を延々と引き伸ばして、圧倒的なエンディングを築くのです。録音も超優秀。【湧々堂】

チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY
交響曲第3番「ポーランド」

RETROSPECTIVE
RET-93185
チャイコフスキー:交響曲第3番
序曲「1812年」*、序曲「ハムレット」#
エイドリアン・ボールト(指)LPO

録音:1956年2月、1952年4月*、1952年1月#(全てモノラル)
※初出音源
“「第3番」の地味なイメージを払拭して敷き詰める深遠なニュアンス!”
 チャイコフスキーの交響曲の中で最も地味な「第3番」ですが、その地味さを格調高いものに押し上げ、今まで気づかなかったこの作品特有の魅力に開眼することしきりです。
 第1楽章は序奏部から心奪われ、物悲しい楽想に含蓄の深さを感じさせます。主部に入ると引き締まったアンサンブルで強力な推進力を披露。リズムの弾力性の高さもボールトの多くの録音の中でも群を抜くもの。民謡風の第2主題は、小細工を一切施さないストレートなアプローチですが、それがかえって旋律のはかない美しさをあぶりだす結果に繋がっています。ボールトは最晩年に至っても時折ビックリするような疾走テンポを採用することがありましたが、この後の展開はまさにそれで、表情自体もアグレッシブな上にどうにも止めようのない推進力、熱い闘志に圧倒されます。これぞ指揮の極意!そしてコーダ圧巻。
 第2楽章はチャーミングさと孤独さが入り混じった独特の風情を放出。ここでもアンサンブルはかっちりと凝縮されており、極めて清潔なその響きにも酔いしれます。
 終楽章も終始活力に満ち溢れ、純粋にこの作品を心から愛する一途さが漲っています。弦のピチカート一つ取っても嬉しさに溢れかえっている、そんな演奏が他にあるでしょうか?コーダはテンポ設定の鮮やかさも含め、感動に打ち震えること必至!ロシア人以外の指揮者でここまでこの作品に心血を注ぎ切ったという事実だけでも驚異ですが、ボールトの指揮芸術と音楽観を知る上でも欠かせない逸品です。
 「1812年」も後の再録音と甲乙付けがたい名演。C・デイヴィス、バレンボイム&CSO等の録音と共に、この作品のスペクタクル性と芸術的な威容を引き出した名演として忘れるわけにはいきません。音質もモノラルながら極上。  【湧々堂】

チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY
交響曲第4番

Channel Classics
CCS-21798(1CD)
CCSSA-21704
(1SACD)
チャイコフスキー:交響曲第4番
序曲「ロメオとジュリエット」
イヴァン・フィッシャー(指)
ブタペスト祝祭O

録音:2003年6月29日
“快挙!精妙なダイナミズムで描き切った画期的なチャイ4!”
 交響曲が始まって早々、冒頭ホルン動機の2小節目と3小節目の間でしっかりフレーズを切っているのにはビックリ!PHILIPS録音のドヴォルザークでも、今まで聴いたこともない独特のアーティキュレーションで度肝を抜いたフィッシャーですが、ここでもフレーズを有機的に歌わせるためなら妥協を許しません。それらの手法は入念に計算されていながらハートを欠いておらず、民族臭を放つことなく現代的で洗練された音像で一貫させているところに、彼の並々ならぬ力量を痛感させられます。第2主題は入念を極め、繰り返される下行音型のどれを取っても同じ表情はなし!続く経過句の弦の透明感も印象的。普通は漫然と流されるフレーズにもアクセントやスタッカート、さりげないポルタメントを施すことで、表情に一層明確な輪郭を与えているのも真の共感の表われとして、実に音楽的に響きます。
 第2楽章のオーボエ・テーマは、何の変哲もないようでいて、心からの悲哀がじわじわと滲み出る歌い回しが感動的!その後に弦で登場する副旋律に掛かったスラーを徹底的に遵守しているのにはまたまたビックリですが、それが頭の中で組み立てたものでないことは、確実に孤独な表情を伴っていることからも明らかです。
 終楽章は8分24秒という快速の徹底したインテンポで進行しますが、そのスマートなフレージングの中に、機能的な美しさに止まらない共感が込めるという魔術を披露!絶対に音を肥大化させない室内楽的なテクスチュアも新鮮!これは、スヴェトラーノフなどの豪放さと対極を成す精妙な美しさを誇るチャイ4として、大きな存在価値を持っています!
 「ロメ・ジュリ」は、序奏部のピッチカーとの嘆きが必聴!ヴァイオリンの両翼配置も見事に生きています。【湧々堂】

Archipel
ARPCD-0240
チャイコフスキー:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第1番*
カール・シューリヒト(指)
シュトゥットガルトRSO、
スイス・ロマンドO*

録音:1953年12月28日、1954年11月26日*(モノラル)
“'50年代中期の意欲全開の名演を併せた最強カップリオング!”
 なんとも贅沢なカップリング!「チャイ4」はArchiphonから出ていたものと同じですが、1959年代中期のシューリヒトの録音の中で、演奏、録音共にベストの一つです。冒頭の動機から強固な意志を込めた厚味のある響きで、強弱の大きな振幅を伴うフレーズが耳を捉え、主部に入ると独特の一息でのレガートが心の食い入ります。あくまでもしなやかな加速で締めくくった後の第2主題はまるで別世界の美しさで、管のソロが隅々まで呼吸。冒頭主題が繰り返されてからのインテンポの推進力が凄まじく、中低域がしっかり発言しているので響きの勇壮さもこの上なし!そのテンポのまま9:47からのフレーズに分け入るタイミングはまさに天才技で、そのフレージングも1小節ごとに微妙にニュアンスが変わるほど情感を込めながらベタつかず、これほど芸術的な味を湛えた演奏は類を見ません!後半12:24からの求心力としなやかさを常に絶やさない高速進行に手に汗握っていると、スコアにないシンバルの一撃が加わり、迫真のルフト・パウゼ!音量に頼らず、感情の揺れを瞬時に音化させることによるドラマ性表出を目の当たりにすると、これだけでもシューリヒトの名は後世に残ったのではないかと思えてきます。
 第2楽章の歌わせ方も、楽器が発しているとは思えない神がかり的ニュアンス!これ以上不可能なほど呼吸を膨らませながら、バーンスタインのような体臭を感じさせることなく超然さと芸術性が深々と脈打つという、これまたシューリヒトの秘技が全開です。副次主題のテンポの速さ、中間部のアゴーギクの変幻自在さも、まるで魔法!音圧でなくあまりにも意味深いフレージングによる風圧を感じさせる第3楽章も前代未聞!
 終楽章はシューリヒ芸術の集大成!テンポの入れ替えの多さはストコフスキーやロジンスキーを遥かに上回ります。冒頭をゆっくりと滑り出し、徐々に加速するという古いスタイルを踏襲していますが、ここでは骨董品的な古めかしさを感じないどころか、同じメロディーが表情を変えながら延々と繰り返される楽想の意味をここまで痛感させる演奏の威力にただ圧倒されるばかりです。しかもそれら全てが一貫した流れに統合されているのですから、シューリヒトの芸術性の高さは計り知れません。
 そのテンポ操作と表現意欲の横溢ぶりは「ブラ1」も全く同様。この曲は他にも録音を遺していますが、アンセルメのオケを使ってここまでやったという衝撃も含めて驚きの連続です。全体に速めのテンポですが、、音の輪郭が克明な上に幽玄のニュアンスを蔑ろにせず、リズムにはコシがあると同時にしなやかさも併せ持っているので、呼吸が音楽の弾力に確実に変化しているのを肌で感じることができます。圧巻は終楽章で、なんと演奏時間は14:25!弦で主題が登場するまでに既に音楽的な訴え掛けのあまりの多さに打ち震えていると、その主題冒頭で一瞬テンポをわずかに落として深い共感を示して感動が倍増!その後がまた大変で、第1主題が再登場するまで空前絶後の急加速で猛進し続けるのです!
 2曲とも、この頃のシューリヒトの赤裸々な感性を惜しげもなく発散した演奏として忘れることができません。シューリト・ファンはもちろんのこと、シューリヒトの魅力がいま一つピンと来ない方も必聴!【湧々堂】

EMI
CZS-5759382(2CD)
チャイコフスキー:交響曲第4番、
ウェーバー:「魔弾の射手」序曲*、
メンデルスゾーン(デル・マー編):無言歌より、
ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲*
R.コルサコフ:交響曲第2番「アンタール」
ディーリアス:アパラチア*、
ワーグナー:「ラインの黄金」より、
ヘンデル(ビーチャム編):アマリリス組曲
ドヴォルザーク:伝説曲*、
モーツァルト:ディヴェルティメント第15番〜第2&第3楽章
サー・トーマス・ビーチャム(指)
ロイヤルPO、LPO*

録音:1934年〜1958年 
チャイコフスキーの第1楽章のみステレオ録音
“音楽が持つニュアンスの全てを動員した恐るべき「チャイ4」と火だるまの「魔弾」!”
 スタジオ録音では優しい語り掛けで魅了するビーチャムですが、ライブとなると猛獣に豹変!その好例が「魔弾の射手」序曲のコーダ!「フン!」とビーチャムの唸り声と共に、ただでさえ速いコーダにさらに急加速して爆裂一直線!しかも最後の和音を徹底的にルバートで印象付けて終わるなど、誰にも真似のできない至芸!チャールズ・グレゴリーのホルンがまた泣かせてくれます。これはフルトヴェングラーの名盤と共に語り継がれるべき、超弩級の名演です。
 「チャイ4」は、そんなビーチャムの豪放なダイナミズムと語り口の妙が絶妙にミックスされた名演で、スタジオ録音とは思えぬ気迫、ぶ厚く有機的なテクスチュア、独自のテンポ変動が完全にツボにハマっています。しかも第1楽章はステレオ・ヴァージョン初登場!そもそも'57年にパリでモノラル録音を完成させていたのですが、'58年になってロンドンで第1楽章のみステレオで再録音したといういわくつき。驚くのは、このステレオとモノの時間的な隔たりを感じさせず、全体を通して演奏したような一貫性を感じさせる点。
 第1楽章は速めのテンポで熱いフレージングが横溢!フレーズ結尾の自然なクレッシェンド効果、垂直に決然と打ち込まれるリズムのパワーはライヴ録音と錯覚するほどの威力です。第2主題に入るといかにもビーチャムらしいコッテリとしたフレージングにチャーミングな表情が滲ませるといった、硬軟自在の究極芸を披露。コーダの加速の凄みと激高の波しぶきは、一発勝負の奇跡です!モノラル録音の第2楽章以降も表情の濃淡がくっきりと表出され、どっち付かずのニュアンスなどどこにもありません。第2楽章の悲しみの中にも微笑を絶やさない風情はビーチャムだけの秘芸。
 ピチカートが凄い重量感で迫る第3楽章も、こんなに聴き手を釘付けにする演奏は稀です。やや遅めのテンポで心の底から歌いぬいた終楽章は、音圧で捻じ伏せるのではない真の共感に溢れ、他で絶対聴けないニュアンスのオンパレード!コーダの風格美は、スヴェトラーノフのような豪放さとは対照的で、最後の和音が消え入ってからも不思議な余情が漂うのです。トランペットのフィリップ・ジョーンズ、ホルンのアンドリュー・ウッドバーン等の妙技も全開です!妙技といえばモーツアルトのディベルティメントでのデニス・ブレインとイアン・ビアーズの醸し出す至福のハーモニー!
 第2楽章最後の低音での着地の佇まいには言葉を失います。RPO創設当初のホルン・セクションにはデニス・ブレインと共にノーマン・デル・マーも名を連ねていますが、ノル・マーが指揮者になるきっかけを作ったのは他ならぬビーチャムでした。デル・マーがアレンジしたメンデルスゾーンの「無言歌」でも、当時のRPOの管の魅力をたっぷり堪能できます
 。こうして見ると、このCDの隠れコンセプトがホルンを中心とした管楽器であることにも気付かされるのです。まさに究極のコンセプトアルバムとい言えましょう。【湧々堂】

LPO
LPO-0064(2CD)
チャイコフスキー:交響曲第4番
交響曲第5番ホ短調Op.64
ウラディーミル・ユロフスキ(指)LPO

録音:2011年3月19日&5月4日ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール,サウスバンク・センター
“スマートな表情の中に息づくユロフスキ渾身のニュアンス!”
 2曲とも現代的なチャイコフスキーを象徴する名演奏。特に「第5番」において、土臭さを排した洗練性を全面に打ち出しているのが印象的です。ユロフスキーはロシア出身といっても18歳でドイツへ移住し、指揮活動もイギリス中心だっただけに、民族的な土壌性表出よりもグローバルなアプローチに徹しても何の不思議もないのですが、ここまで純音楽的表現に徹するとは予想外でした。とにかく、チャイコフスキーの青春時代の作品のように瑞々しく響くのが画期的であり、しかもその表現に「青臭さ」が付きまとわない点が、ユロフスキーの恐るべき才能の為せる技と言えましょう。微視的にスコアを掘り下げることより、素直で直感的なアプローチを確信を持って行なっており、テンポを激しく揺らしたり見得を切らなくても、十分に説得力の音楽を再生可能だということを実証しているのです。
まず、さっそうとしたテンポの運び自体がまず洗練されていますが、第1楽章や終楽章の各冒頭部に見られるように、弦のユニゾンにおけるヴィブラート抑制も印象的。昨今流行の古楽的アプローチの片鱗とも言えますが、肝心なのはそれがユロフスキー自身の内面から出たイメージと直結した表現として迫る点です。結果として、ヌメリのあるロシア的土壌性が削ぎ落とされ、息を深く吸い込まず、リズムの重心を高めに維持する効果とも相まって、確実にユロフスキー固有のフレッシュな「チャイ5像」が具現化されている点が素晴らしいのです。かつてのロシアの巨匠たちのような凄みだけを期待すると物足りないかもしれませんが、どうかこの「表現として結実した瑞々しさ」を感じ取っていただければと思います。
なお、第1楽章展開部266小節では、ティンパニが3度低い音を鳴らしているように聞こえますが、ロストロポーヴィチ盤で顕著だった「LPOオリジナル版」とも言える改変の名残りでしょうか?(更なる詳細レヴューはこちら)。
 一方の「第4番」になるとちょっと様相が変わります。特に第1楽章は時代掛った表現こそないももの、冒頭から情感を濃厚に反映したフレージングを敢行し、第5番と同じ指揮者とは思えぬ踏み込んだニュアンスに彩られています。この印象は収録環境の違いに起因するものかと思いきや、「第5番」とは演奏会場は同じ、収録日も2ヶ月しか違わないので、ユロフスキーが明らかに作品固有の持ち味を生かすことに心を砕いているかが窺い知れます。第2主題の各パート間の連動の緊密さも「第5番」以上。コーダでは直情的イン・テンポで畳み掛けながら18:13からグッとテンポを落としてメリハリを強調。しかしそこに泥臭さはなくレスポンスは極めて洗練されているので、やっぱり「第5番」と同じユロフスキーかと納得。第2楽章も悲嘆に暮れるのではなく健康的な歌に徹し、しかも音楽自体をお気軽なものにはしていません。終楽章は約8分半とかなり高速。物々しい重圧感や血生臭いニュアンスのないスッキリとしたニュアンスを貫きますが、産毛を剃ってしまったような物足りなさは皆無で手応え十分!【湧々堂】

Chandos
CHAN-9608
チャイコフスキー:交響曲第4番
タネーエフ:ダマスカスのヨハネ
ヴァレリー・ポリャンスキー(指)
ロシアン・ステイトSO、Cho

デジタル録音
“終楽章に至ってもなお泣き続ける、底なしの暗さ!”
 作曲者の悲観的な人生を反映したような、沈鬱なトーンを完全に表出した妙演!フレーズは徹底的に歌い抜かれ、馬力発散型の演奏とは対極的。第1楽章から病的なほど暗い涙が充満しており、コーダの異様に長い間の取り方も、この重圧を支えるのに不可欠なもの。終楽章も遅いテンポに終始して全ての音に哀愁を込め、最後まで涙が枯れることはありません。
 なお、第1楽章の動機が回想される箇所(6:10)で、前代未聞の大太鼓とシンバルの一撃が追加され、不思議な色彩を演出しています。ニコライ・ルービンシュタインの追悼のために書かれたタニェーエフの合唱曲も、極美のハーモニーで泣けます。【湧々堂】

Naive
V-5068[NA]
チャイコフスキー:交響曲第4番
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
トゥガン・ソヒエフ(指)
トゥールーズ・キャピトール国立O
“真のカリスマ!表面的な細工を必要としないソヒエフの恐るべき音楽センス!!”
 トゥガン・ソヒエフは1977年、ゲルギエフと同郷の北オセチア生まれ。ムーシン、テミルカーノフの下で指揮を学び、2003年にはメトロポリタン歌劇場で「エフゲニー・オネーギン」を指揮して賞賛を受けました。2005年、28歳という若さでミシェル・プラッソンの後継者としてトゥールーズ管の首席客演指揮者兼音楽アドヴァイザーに就任。初顔合わせの時から団員のハートをわしづかみにし、練習の際、指揮台の椅子に座る様子だけでも団員を魅了したというおそろしいカリスマ性の持ち主です。naiveレーベルとしても最高にプッシュしている指揮者とのことで早速聴いてみるとこれが大変!軽く特徴だけをつかむつもりで聴き始めたのが、遂に最後まで残らず聴き込んでしまいました。まず第一に驚くのは、「カリスマ性」ということを大きく頷かせる、とてつもないオケの牽引力。若さに任せて暴走することなく、オケを気持ちよく載せて、音楽の流れに一切軋みが生じていないのは、指揮ではなくドライブする術を完全に心得艇ルナによりの証し。しかも競合盤がひしめくこの2曲においてそれを実現するのですから、本当に恐ろしい才能です!第二に音色が実に瑞々しいこと!オケの性格も影響していると思いますが、重戦車のような高圧的な響きではなく、もぎたての果実のような新鮮さ!しかも音の芯がぶれることなく方向性が常に定まっているので、造型の安定感も抜群!表面的な細工を用いず、才能とセンスだけでこの2曲を聴かせてしまう手腕は、とても賞賛しつくせません!
 「展覧会の絵」は、最初の“プロムナード”のトランペットの美しいレガートにハッとさせられます。声部を重ねるにつれ、ロシアン・テイストとフランスの洗練が完全に同居した音像を確立している点にも驚かされます。“古城”は温かな歌心が、まろやかな音の静かな訴えかけが心に響きます。“チュイルリー”では、中間部でコケティッシュな風情を全くこびることなく表出している点にご注目を。“リモージュの市場”は、実に安定したテンポ。決して先を急がずにニュアンスを熟成させるゆとりさえ感じさせ、その技は既に巨匠級。“バーバ・ヤーガ”はソヒエフの求心力の高い音楽作りの結晶。力ずくの感じを一切与えず、音楽の核に力感を与え、スピード感を獲得。ドロドロの恐怖を煽ることなくストーリー性を感じさせる手腕に脱帽です。“キエフの大門”は大伽藍を思わせる演奏とは対極。音楽の組み立てそのものはごくオーソドックスなものですが、フォルからピアノに移行する際のルフト・パウゼの見事なキマり方など、ちょっとした技がキラッと光り、全体をフル稼働させながら、決して音を汚さないという点でも他にあまり例を見ない個性を発揮しています。
 チャイコフスキーもかつて類例のない味わい深い演奏。第1楽章冒頭のホルン動機からハーモニーが有機的に溶け合い、美しさの極み!第1主題はインテンポを基本にしつつも心の奥底から歌が湧き上がり、息の長いフレーズが一切弛緩せずに豊かに流れるのにも心奪われます。また、ティンパニが全体の見事に融合して音像に独特の深みと安定感をもたらしている点もポイント。第2主題のクラリネットを支えるヴィオラの美しさにもご注目を!
 第2楽章は、この曲はこんなに美しかったのかと再認識させる素晴らしい演奏。中間部開始の木管と、それに続く弦も弱音で一貫し全体と美しく調和させる手腕も流石でし。
 第3楽章の開始はスコアにはP(ピアノ)と指示されていますが、ここではピアニッシモ。しかしそれによって音楽が小さくまとまることはなく、かえってリズムの軽妙さが引き立つ結果となっています。第2部はフランスの管の魅力が満載。
 終楽章が約8分半という演奏時間でかなりの高速の部類に入りますが、ここでも決して暴走に陥らず、あくまでも音楽の有機的な流れが最優先。とにかく音楽の流れが実に滑らか!木管で繰り返されるロシア民謡主題では、フレーズ結尾をポツポツ呟かせ、素朴さを感じさせたりもしますが、基本的にロシア色を前面に出すのではなく、純粋な音楽の共感一筋で構築している点は前3楽章と同様。捻じ伏せるような迫力に圧倒されてスカッとするのもいいですが、他では味わい得ない聴後の充足感を是非多くの方に体感していただきたいものです。特に、「チャイ4」は最近ほとんど聴く気が湧かないという方ほど、感動もひとしおでしょう。 【湧々堂】


チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY
交響曲第5番→こちらのページをご覧ください


チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY
交響曲第6番「悲愴」

Signum Classics
SIGCD-253
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」序曲
チャールズ・マッケラス(指)
フィルハーモニアO

録音:2009年2月8日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール(ライヴ)
“明瞭な音像から新鮮なロマンを引き出した画期的解釈”
 土臭さを演出することなく、スコアを鳴らしきることで作品の本質を抉り出すマッケラスの真骨頂!どこまで行っても音像は明瞭明晰。しかし澄ました分析臭など皆無で全ての声部が鳴るべきして鳴り渡る瑞々しい「悲愴」です!
 第1楽章冒頭のファゴットと低弦の深々とした響きと呼吸から一切の妥協なし。第2主題は全く媚びずに甘美な憧れだけがふわっと浮上。そのテクスチュアの清潔感も他に類を見ないほどです。展開部冒頭のトゥッティはスコア通りのパンチ力が不足する録音も少なくないですが、ここでは音を一切汚すことなくフォルテ4つという異常な爆裂を完璧に実現!ティンパニのアクセントの克明さや、管楽器の急速に駆け上がる走句が最後の一音までもクリアなのもマッケラスのこだわりの現れ。12:52からの最高潮点に達するシーンの気の遠くなるほどの呼吸の深さも、器用で巧いだけの演奏とは次元が違います。そして15:14のティンパニ強打の高潔さ!
 第2楽章も不純物を寄せ付けない清明な音楽。しかもリズムが根源から溢れます。1:39からの弦のピチカートは、一音足りとも埋没せず、管とのハーモニーをこれほど完璧に築いた例は他にあったでしょうか?中間部は弦の陰影が一層増して、聴き手のイマジネーションも更に掻き立てられます。
 鳴りの良さという点では、第3楽章も空前絶後!これを聴くと、いかに多くの指揮者が細部を見過ごしているか痛感させられます。ニ次的三次的な旋律はもちろんのこと、バスドラムの衝撃までも、スコアに書かれたままに炙り出し、当然のように鳴り響くのですから痛快この上なし。
 終楽章は冒頭の弦のハーモニーの交錯のさせ方に御注目。スコアでは第1、第2ヴァイオリンを連携させながら主旋律を形成していますが、ここではやや第1ヴァイオリンに比重を置いて、ある種の儚さを浮き上がらせているのです!歌の交換の深さも尋常ではなく、ムラヴィンスキーにとっての「チャイ5」のように、完全に体に染み込んでいる表現の深みと確信力が感動をに拍車をかけます。7:00の頂点の壮絶な迫力も、第3楽章とフォルテとは全く違う凄みを孕んでいることを気付かせてくれる演奏も珍しいでしょう。
 この録音はライヴ収録ですが、最後の拍手が起こるまで全く気付かないほどノイズが少なく、アンサンブルに破綻がないのも奇跡的。しももその拍手開始もグッド・タイミング。
 カップリングのメンデルスゾーンがこれまた超名演!「真夏の夜の夢」の中でも特に序曲を徹底的に堪能したいのなら、これこそが決定盤です!明晰さではジョージ・セルの録音が代表格ですが、そのセルをも凌ぐハーモニーの彩の表出の徹底ぶりに唖然とさせられます。特に管楽器に施された色彩の結晶の数々がこれほどの質と量を誇っていたとは思いも寄らず、改めて10代のンデルスゾーンの天才技を痛感せずにはいられません。7:55ではスフォルツァンド風にして弦に情感を込め抜き、思わず鳥肌が。これも作品への真の共感なくしては成し得ないものです。【湧々堂】

King International
KKC-2007(2CD)
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
ボロディン:交響曲第2番
シューベルト:ロザムンデ序曲*
 交響曲第9番「ザ・グレイト」*
 「ロザムンデ」〜バレエ音楽第2番*
ジョゼフ・ローゼンストック(指)
ウィルヘルム・ロイブナー(指)*
NHK響

録音:1977年2月16日、2月4日NHKホール/ステレオ、1964年1月19日旧NHKホール/モノラル*
“厳格なだけじゃない!ローゼンストックの豊穣なロマン性!”
 N響の基礎を築いたローゼンストックが指揮する2曲は、現在のNHKホールでの唯一の録音で、しかもステレオ!ロシア的な野趣よりも、細部を蔑ろにしない厳格さと品格を感じさせる演奏です。ボロディンでは特に第2楽章が、ホルンの感動的なソロも含めてフレージングの美しさが際立ちます。
 「悲愴」では第1主題などでロマンティックなアゴーギクが見られますが、全体の構築は常に見通しがよくスタイリッシュ。情に流されないストイックなアプローチが光り、緊張感溢れる演奏を展開。第1楽章展開部や第3楽章の声部バランスの完璧さは驚異的で、呼吸の振幅の素晴らしさには、ローゼンストックが如何にスケールの大きな音楽性を保持していたかを思い知らされます。
 終楽章冒頭は節度をもって滑り出しますが、逆にこれ見よがしに絶叫しないそのスタイルがチャイコフスキーの音楽自体を更に高みへと昇華させており、独特の威厳を醸し出しています。ローゼンストックがこの最後の公演以降、事実上引退生活に入ってしまったことが痛恨の極みです。
 一方のロイブナーは生粋のウィーン人で、ローゼンストックとはまさに好対照の音楽作りながら、ここで聴く限り、なかなかに引き締まった音像を築き、推進力のある演奏を繰り広げています。
 「グレート」は、全体に穏健なテンポ感で進行しますが、第1楽章序奏から首部への移行や、第2主題への場面転換はメリハリが効き、決してなんとなく優雅に流すという意味での「ウィーン風」な演奏ではありません。ただ、第3楽章中間部だけは、鄙びたウィーンの田舎風。終楽章コーダは、なんとクレッシェンドで締めくくります!
なお、このシーズンにはウィーン・フィルのウィルヘルム・ヒューブナーが客演コンサートマスターを務めたそうですが、「ロザムンデ」序曲の序奏部で、浮き上がったように甘美な音を奏でているのが彼かもしれません。【湧々堂】

BELLA MUSICA
BM31.2440
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 Op.48
カール・アウグスト・ビュンテ(指)
ベルリンSO

録音:1962年1月14日、1958年10月
19日、ベルリン音楽大学のコンサートホール(ステレオ・ライヴ)
“逞しい精神と巨大造形力を土台とした感動的なチャイコフスキー!”
 この「悲愴」も同じチャイコフスキーの第5番同様、驚愕の名演奏!もはやビュンテに関するネガティブな噂など何の意味も持ちません。
とにかく音楽の造型の大きいこと!第1楽章の提示部は実に堅実な進行で、やや渋めのオケの音色を生かして、確実に心に届くニュアンスとして結実しています。声部の見通しも良好。仰天するのは展開部以降。ケンペンの彷彿とさせる古風で重量級の音像がこれでもかと押し寄せます。しかも衒いは一切なし。10:47で金管がグリッサンド風に雄叫びを上げるのにも壮絶すぎます!13:13からガクッと一段テンポを落とすのはマルケヴィチなどの例がありますが、ここまで自然に、かつ強烈なインパクトを与える演奏は異例と言えましょう。
 第2楽章は一見何の変哲もありませんが、心の奥底からの歌が横溢。何もなく過ぎ去るか、間が持たずにどこかをデフォルメするといった演奏が多い中で、このセンスはますます本物を確信させます。
 第3楽章は腹の底からの威容を噴き上げ、これはスケール大!4/4拍子の行進曲突入直前の金管のクレッシェンドは誰よりも衝撃的。
 一転して終楽章は聴手の精神に直接訴えかける切実な音楽。特に第2主題のやわらかなテクスチュアを敷きつけた慈愛のフレージングは何度聴いても涙を禁じえません。
「セレナード」もしっかりとリズムの重心を落とし、厚みのある響きでロマンの香りを濃厚に漂わせ、聴き応え満点!ただ、あまりにも感動的な「悲愴」の余韻に浸っていると、それを掻き消すように弦セレが開始されるので、こちらを最初に聴かれることをお薦めします
なお、この録音も代理店の案内ではモノラルとなっていましたが、明らかに明瞭なステレオです。この年代のライヴとしては音が良すぎるので、録音年月日のデータが間違っているのかもしれません。【湧々堂】

Altus
ALT-188
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
 弦楽セレナーデOp.48
若杉弘(指)
ケルンRSO(現WDR響)

録音:1979年10月13日、1980年11月28日* ケルン、ステレオ・ライヴ(拍手なし)
“日本人らしい奥ゆかしさと丁寧な構成力から導かれる独特の「悲愴」”
 どんな作品に対しても、日本人ならではの奥ゆかしさを忘れなかった若杉の特色が色濃く出た名演奏。バーンスタインに代表されるような感情剥き出し路線とは正反対で、あくまでも楽譜から発せられるニュアンスを丁寧に描き出すことことで作品の持つ美しさを見事に引き出しています。その造形はドイツの伝統的な構築に根ざしており、色彩も派手さ皆無。しかしその墨絵のような雰囲気から、チャイコフスキーの心の中の嘆きや憂いが懇々と涌き出るのを感じずにはいられません。
 「悲愴」第1楽章第2主題は決して媚びず、自然な気品が滲み、展開部冒頭のトゥッティは、音量ではなく音の緊張感と凝縮度に比重を置くことで独特の重みで迫ります。第2楽章は、何も指定内容でいて、5拍子特有の揺れが折り目正しく紡ぎ出される様に新鮮な感動を覚えます。
 第3楽章は、そんな若杉の音楽性とは最も対極にあると言えますが、これが意外なほど思い切りの良い推進力!しかし悪乗りする素振りなど微塵もありません。さりげなく管楽器にスパイスを効かせているのも独特の見識。後半では一瞬リタルダンドが出現し、往年のスタイルへの憧憬が滲みます。
 終楽章は色の付いていない木目調の弦の響きがスーっと心に浸透。泣き喚くのを目的とせず、この曲の響きの立体感を表出することに徹することで、普遍的な美くしさを持つ作品に仕上げ尽しているのです。白眉は6:52以降の終盤。どんな大音量でも絶望的なフレーズであっても、ハーモニーは汚れを知らず、品格を維持。
 「弦セレ」も中低音をベースとした、これまたドイツ風の佇まい。しかし音楽自体はしなやかな流動に続け、決め細やかなハーモニーのブレンド力を生かしながら歌のセンスが全開。5:20かたピチカートが登場する箇所はなんという味わいでしょう!有名な第2楽章は、それなりに美しい演奏はいくらでも有ります。しかし、この目の詰んだ手織物のような風合いはめったに遭遇できるものではなく、中間部とのコントラストを変に強調することなく、全体を陰影豊かな音楽に仕上げる手腕は、これぞ音楽への献身!感動の極みが終楽章!この楽章に至ってオケの機能性が全開になりすぎる演奏もありますが、ここではオケの精度を十分に活かしつつも丁寧で美しいハーモニーの現出させることで、聴き手の琴線にじんわりと染み入るのです。特に2:09からのピチカートの無地の滴るような煌きには思わず感涙!これは「育ちの良さを感じる」とか「誠実な」と言った形容だけでは済まされない、若杉の芸術性の高さをひしひしと感じさせる一枚です。録音も自然な明瞭さ。 【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0128-2
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
カール・フリードリヒ・アベル(1723-1787):弦楽合奏のためのロンド・レジエロ
アルヴィド・ヤンソンス(指)
シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1971年5月18日ドレスデン・クルトゥア・パラスト(ステレオ、ライヴ)
 「悲愴」冒頭の沈痛さが尋常ではありません。これこそ極限の苦しみを身をもって知っている人間でなければ表現し得ないニュアンスです。しかし、作品全体を絶望的で救いようのないないものとするのではなく、芸術的な造形力を常に携えて普遍的な味わい深い作品として再現している点も見逃せません。第3楽章の推進力はムラヴィンスキにも似てアポロ的な威光が差し、怖いほどの迫力。【湧々堂】

ART CLASSICS
ART-091
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
ラフマニノフ:交響的幻想曲「岩」
イワン・シュピレル(指)
クラスノヤルスクSO

録音:1994年、2001年ライヴ* (ともにステレオ)
“作品の偉大さを再認識させてシュピレルの恐るべき芸術性!”
 指揮者のシュピレルは1935年ブルガリア生まれ。モスクワ音楽院ではガウクなどに師事し、1978年以降は、その生涯の最後までクラスノヤルスク響の指揮者として活躍。モスクワ、サンクトペテルブルク以外ではミンスク、トボリシといった周辺トシが中心だったため、世界的な知名度は高くありませんが、この「悲愴」に聴く確かな統率力とアプローチの揺るぎなさは紛れもなく真の巨匠芸です。音楽の作り方は実に堅実で構成力が磐石。
 「悲愴」第1楽章は、提示部からその高い能力を強く感じさせますが、展開部以降は圧倒的な説得力で聴き手を捻じ伏せます。なんという骨太な造型、ダイナミズム!13:46からはとてつもなく深く大きな呼吸を見せつけ、チャイコフスキーの心の内の絶叫を余すところなく表出。オケの巧さも特筆もので、このような音楽の激流の中で、ライヴ録音にもかかわらずアンサンブルに寸分のほころびも見せないのは脱帽です。
 第2楽章は冒頭のチェロが強力に主導し、速めのテンポで音楽をグングン前に推し進めます。5拍子のリズムが「2+3」ではなく塊となって聞こえるのも画期的ですが、中間の濃密な表現も心を打ちます。
 第3楽章は演奏時間8分11秒の豪速。ここでも音の重量感は満点で、音の腰が浮く瞬間が一切なく、手応え十分。いかにもロシア的なダイナミズムの魅力ととことん堪能させてくれますが、高圧的で威嚇的なダイナミズムとは異なり、全体に漲る瑞々しい感覚が忘れられません。とにかく物凄い迫力ですが、終楽章直前で無神経に拍手をする聴衆など一人もいませんのでご安心を。
 そして、もう極めつけとしか言いようのない感動に震えるのが終楽章!冒頭主題をグワーッとクレッシェンドして息に脱力する呼吸がこれほどど真に迫る演奏というのも珍しく、一気に鳥肌が!その呼吸が周りの空気に溶け込む浸透力が尋常ではないのです!それに続く芯の強い木管の響きは苦悶の極み。そのあまりにも没入の強い解釈に凍り続ける背筋は、後半に進むにつれて熱く変化。作曲者自身の宿命を呪うかのような壮絶なうねりは遂に極限を到達。そして最後の息の根を見せる、10:32の低弦のクレッシェンドとアクセントの強烈な強烈なインパクト!有名名盤がひしめく作品にあって、この部分で作品の核心をわしづかみにして抉り出したことをこれほど痛感させる演奏はほとんど存在しません。
 単にダイナミックで見事な演奏という次元では収まらず、この曲がチャイコフスキーの芸術性の粋を結集した最高傑作であることをこの演奏で徹底的に思い知らされるとは思ってもみませんでした。
カップリングのラフマニノフも、色彩力の優った素晴しい演奏。2曲とも録音優秀(録音技師は、指揮者コンドラシンの息子、ピョートルが担当)。 【湧々堂】

ORFEO DOR
ORFEOR-200891

「悲愴」はこちらで
入手可能です


C-200011(10CD)
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番
フェレンツ・フリッチャイ(指)
バイエルンRSO
アニー・フィッシャー(P)

録音:1960年11月24日(モノラル・ライヴ)
“知らないでは済まされない!生死を掛けた壮絶な“悲愴”!!”
 このキャッチコピー、見覚えのある方もおられると思いますが、実はこの「悲愴」は、ショップ販売員時代に最も多くの方から共感の声を頂いたCDの一つで、今でもこれは棚から気軽に取り出すことができないくらい、桁違いの感動がぎっしり詰まっているのです!フィリッチャイのライヴ録音は、人並み外れた集中力と精神の高揚に圧倒されるものが多いですが、そんな中でもこの「悲愴」は別格の超名演!全人類の悲劇を一人で背負ったようなこの壮絶さは、どう聴いてもスタイル云々の次元を超越しています。
 第1楽章の第2主題が現れる直前、異様に長い間を取ってから、その緊張をゆっくり溶かすようにふわっと滑り出す繊細さは神業としか言いようがありません。展開部で最高潮に達してから急激にテンポ・ルバートを施すのは、マルケヴィッチ&N響などの例もありますが、これほど強靭なリズムの打ち込みを伴って露骨に強調された例は他に見当たりません。
 第3楽章の強烈な迫力も尋常ではなく、ニュアンスも洪水状態!後半のマーチが繰り返される際に、またもや激烈なテンポ・ルバートが掛かり、コーダに至っては、崖から転げ落ちるように物凄い急加速で興奮を煽り立てるのです。
 終楽章は、ただただ極限の没入。極美のフォルムを絶やさずに必死に深く呼吸するフレーズの連続で、聴後はしばらく立ち上がれずに放心状態必死です。オケがバイエルン放響というのもこの凄演を生んだ大きな要因で、一糸乱れずにフリッチャイと生死を共にする様子が目に浮かびます。
 なお、音はモノラルですが、信じられないくらい良好なのも特筆もの!臨場感に溢れ、打楽器の打ち込みまで生々しく感じるといった奇跡的な録音で、更に感動倍増です!【湧々堂】

Chandos
CHAN-9356
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」、
スラブ行進曲
ヴァレリー・ポリャンスキー(指)
ロシアン・ステイトSO

録音:1993年  デジタル録音
“音のパワーではなく、心の歌で聴き手を酔わすポリャンスキーの真骨頂!”
 ロシアの指揮者とオケによる演奏とはにわかに信じられないくらい洗練された美しさに満ち溢れた演奏です。オケは、以前ロジェストヴェンスキーが振っていた元ソビエト文化省響。ソ連邦崩壊後に「国立響」と改称されたようですが、美しい録音のせいもあって、あのバリバリ咆哮型の演奏をしていたオケとは思えない変わり様にまずビックリ。ポリャンスキーは合唱指揮を中心に活動していただけに、ツボを押さえた歌のセンスが抜群で、しかもそのセンスの横溢ぶりは半端ではありません。
 第1楽章のファゴットから聴き手を優しく慰めるような音色と深い歌が心に迫り、この演奏のコンセプトを暗示し、第1楽章の第1主題は、哀愁をたっぷり湛えなががらもゆったりとしたテンポで品格を維持。第2主題もロシア的な嗚咽を込めず、柔らかな筆致と自然なアゴーギクで切々と歌い上げ、音楽を芯から息づかせています。展開部冒頭も音圧だけで聴き手を威圧する演奏とは一線を画し、一貫した歌心をこの激高の渦の中であっても守り通しているので、チャイコフスキーがこの曲に込めた内面的な苦悩が切々と胸に迫ります。
 第2楽章の5拍子の意味をこれほど感じさせる演奏も稀です。なんという思いやりと温かみに満ちたフレージングでしょう!第3楽章も演奏時間にたっぷり10分を要していることでも分かるとおり、痛快なマーチという以上に、各メロディの持つ美しさと表情を丹念に表出させてこんなに語り掛けてくる演奏も珍しく、後半の行進曲主題を奏する弦のテヌートの歌わせ方が、弓を弦から離す直前まで心が込め抜かれているのです。
 歌の本当のあり方を痛感させる終楽章は感動の極み!冒頭2小節と3小節の休符の間(ま)に、こんなに深い息づかいを感じさせる演奏が他にあるでしょうか!中間部主題の弦の質感の素晴らしさも真に迫り、後半のドラの響きの意味深い余韻を十分に感じるゆとりの風情は、表面的な悲劇性の煽りだけに囚われている演奏からは望むことができません。【湧々堂】

LPO
LPO-0009
チャイコフスキー:マンフレッド交響曲 ウラディミール・ユロフスキ(指)LPO

録音:2004年12月8日ライヴ
“豪奢な音の洪水を格調高く昇華させた、ユロフスキの恐るべき手腕!”
 グラインドボーン音楽祭の音楽監督として、このオーケストラと蜜月を迎えているユロフスキの真骨頂!この曲に宿る内面のドラマ性に照準を合わせ、感覚的な迫力のみにとらわれない内容重視の演奏に徹しているのが特徴。色彩もどちらかというと地味目ですが、あのラフマニノフの「交響的舞曲」の名演同様、全声部を確実に掌握した磐石の造形力は既に巨匠級です。
 第1楽章コーダや、終楽章を聴くと、LPOがテンシュテットと共に全神経を集中して臨んだ時と同様のモードで決死の演奏を繰り広げているのが分かります。終楽章後半、ハープが登場して以降の幻想的な深みも格別の味わい!軽視されがちなこの作品のとことん真剣に切り込んだ演奏というだけでも貴重ですが、その核心を突いた解釈に脈打つ揺るぎなき集中力!全く脱帽です。 【湧々堂】

RETROSPECTIVE
RETR-0001
チャイコフスキー:マンフレッド交響曲 ユーリ・シモノフ(指)LSO
ロッド・エルムス(Org)

録音:1989年
※原盤:Collins Clssics
この「マンフレッド」は、シモノフがCollins Clssicsに行なった録音の中でもR・シュトラウスの「英雄の生涯」と並んで決して忘れることができない圧倒的説得力を誇る名演であるばかりか、音質も含めて同曲録音の頂点を成す究極の演奏と言えましょう。第1楽章序奏部でのバス・クラリネットとファゴットによるマンフレッドの主題に込められた苦悩と絶望、それに続く弦のの悶絶のうねりなど、拍節を縦割りに刻むことをあえて避けながらも徹底的に表出するあたり、その早速シモノフの入念なアプローチに全身凍りつきます!一方でアルタルテの主題は単なる美しさを超えて儚さを湛え、ドラマのコントラストを克明に抽出し尽くします。16:16のトゥッティは、全ての幻想を打ち砕き現実の淵へ突き落とす激烈さ!ここからコーダまでは、自らを血祭りに上げるようなパワーが噴射し、超優秀録音の効果とも相まって、スコアに書かれた破格のの大絵巻を高潔な構築力で再現。この大音量が破綻しないだけでも大変なことですが、最後まで神々しさを保つシモノフの力量には言葉も出ません。第2楽章はコーダで消え入るピアニッシモの精妙さ、ピチカートの繊細さに息を飲むばかり。圧巻は終楽章。冒頭部分でテンポの緩急を大胆に付けるところから通り一遍の演奏でないことは明らか。とにかく大音量でも各声部が混濁せずに鳴り渡るり、音の打ち降ろしの求心力が凄いのです!暗雲立ち込める中間部も実に意味深く、第1楽章コーダの再現箇所は空前絶後の大迫力で圧倒!14:50以降の追い込みはホルンも打楽器もまさに渾身。オルガンの鳴りっぷりも壮麗の極み! 【湧々堂】

チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY
マンフレッド交響曲

NAXOS
NAXOS-8.570568
チャイコフスキー:マンフレッド交響曲
交響的バラード「ヴォエヴォーダ」
ヴァシリー・ペトレンコ(指)
ロイヤル・リヴァプールPO

録音:2007年6月20-21日イギリスリヴァプール,フィルハーモニック・ホール
“郷土色とグローバリズムとの完全な調和!”
ヴァシリー・ペトレンコは1976年生まれ。サンクトペテルブルク音楽院であのイリヤ・ムーシンやテミルカーノフに指示した、今後の活躍が期待される逸材です。演奏はなかなかに豪壮!ソ連時代の指揮者のような野太いサウンドよりも洗練されたスタイリッシュなフォルムの音楽作りを行なっていますが、決して平均的にグローバル化した音作りではなく、表情の押しの強さ、SOきの濃厚さなど、ロシア音楽の醍醐味を満喫させてくれる点は無視できません。オケの統率力、牽引力も抜群!第2楽章冒頭の木管の細かな音型もポコポコと軽く浮遊せず、一音一音を強固に刻印。音を有機化させる意思がこんなところにまで浸透しているのです。ペトレンコの実力を最高に発揮されているのが終楽章。いくらでも下品に鳴らすことも可能なこの楽章を、美しいフォルムを維持したまま、芯が強くぶれないダイナミズム惜しげもなく披露。中間部の沈静に見るハーモニーの均衡とデリカシーも必聴。オルガン登場以降の呼吸の深さはもはや巨匠級!最近台頭している若手指揮者の中には、変に自己顕示が目立つ人もいますが、ペトレンコにはそんな嫌らしさがないのです。したがって音楽の凄みをそのものを堪能することが可能となったのです、抜群に巧いオケの機能美、音質も優秀さも特筆もの。【湧々堂】


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